2007年01月15日

品格

一年ぐらい前のサイトに「『国家の品格』という本がよく売れている」と書いてあるのを見かけました。
そういえばそんなこともありましたね。本屋さんでもたくさん平積みになっていました(もしかして今も?)。新書版で値段も手頃だし(714円)ハードカバーほどかさばらないので、通勤通学時に読むにはぴったりだったかもしれません。
品格という言葉はふだんあまり耳にしませんが、広辞苑によると(2)品位。気品。「ーのある女性」と説明があります。
それまでなじみがなくても、品格と聞いてなんとなくそういう気配を感じ取れる、そんな日本語だと思います。
反対の言葉をと考えると、下品(上品と気品はちょっと違うような気もしますが)、はしたない、といった感じでしょうか。

私としては、「武士は喰わねど高楊枝」とやせ我慢して、武士の矜持を守る姿にも品格が感じられると思います。
著者の藤原正彦氏は新渡戸稲造の「武士道」を引き合いに出して、「惻隠の情」「もののあはれ」を論じられました。武士道と聞いただけで、この本を右翼傾向と勘違いして批判する人もかなりあったようです。
私はナナメ読みしただけですが、至極まっとうなことを言ってある真面目な本だと思いました。
国家の品格が崩れている時代だから、それを嘆く人やこれからを模索する若い人にも読まれたのかもしれません、ベストセラーになって流行語大賞ももらったんじゃなかったでしょうか。
でも開いた口がふさがらない事件が続出の現在、日本は品格のある国家になったかと聞かれると、苦笑いが出そうですね。

それにしても、いったいいつから日本人、ことに女性が品格なんてものを捨て去り、これほど厚顔無恥(スケベ)になったのか、とため息が出る思いがするのは「愛ルケ」公開の報道に接したからです。
男性の眼を気にせずに映画を楽しめるよう、男性入場禁止の上映をしたら大好評だったというニュース。
http://movies.yahoo.co.jp/m2?ty=nd&id=20070114-00000028-dal-ent
人目が気になるような映画なら、知る人もいないような遠くの映画館に行ってコッソリ見るとか、DVDになるのを待ってナイショで見るとか、その程度の慎みを期待するのって間違っているでしょうか。
第一、それって「ポルノ、アダルト映画」じゃないんですか。
自分の年頃の息子や娘が見ると言っても、影響を受けても、平気ですか? 娘が不倫しても、きれいになれば許すんですか?

ずいぶん昔のことになりますが、男友達(恋人ではない)二人に誘われて映画を見に行ったら、それがナント「エマニエル夫人」。映像は美しく音楽もよかったらしいですが、なにせ「奔放な」「官能的」「ソフトポルノ」と形容がつく一般映画です。籐椅子にハダカで座って足を開くとぱあっとボカシが入りました。
田舎のオクテな女の子だった私はびっくり仰天、何がなんだかわかりませんでした。目のやり場に困って横を向くと、友人と目が合ってバツが悪い。あわてて反対を向くともう一人の友人と。
とても困って、結局途中で出たのを覚えています。友人たちも話題になった映画の券をもらったから見ようとしただけで、内容についてはよく知らなかった。私をからかうとか、困らせるといった意図はなかったようでした。

そのあと、今度は故意犯(?)の友だちに「愛のコリーダ」を見せられ、気分が悪くなりました。
あんな映画のどこがいいのか、経費をかけて映画を作る価値がなぜあるのか、さっぱり理解出来ませんでした。不潔でただ嫌悪感を覚えただけでした。
阿部定事件をモデルにした実話ですから、面白可笑しく波瀾万丈には出来なかったのかもしれないけど、なぜあれほど話題になったのか(初のヘアヌードだったからでしょうか)今でもわかりません。
お好きな人はポルノでもアダルトでも好きなだけご覧になればよろしい。それで若い子や変質者が犯罪に走るとしても、法規制を守って作られたものなら、(いいとは言いませんが)それは表現の自由の範疇。本人や保護者の責任の範囲のことだと思います。あまりに野放しすぎるように私としては思いますけどね。
そして一線を画して、誰でも見るような一般の映画に紛れ込まないでほしい。

閑話休題。
痴話、という文字が示すように、下ネタは羞恥心とともに存在するもので大っぴらに話すものではない、漫才などでもちらっと触る程度。そういう合意が社会にはあったと思います。不倫を堂々と公開するなんてもってのほかです。
不倫がばれて番組を降ろされたアナウンサーが謹慎期間もろくに置かずすぐ復帰したり、過去の男性遍歴を平気で暴露する勘違い女など、いったい日本はどうなるのだ、タブーもない世の中でどうやって子どもを育てるつもりか、と嘆きたくなります。
なんの恥じらいもなく朝刊にポルノ小説を連載させた大手新聞社にも、それを書く有名小説家(前にも同じようなことがありました。儲かって味をしめましたか)にも、なんの抵抗もなく映画出演をする有名な女優母娘にも、そして「男禁シアターで生唾を呑む」女性たちにも、あなたたちには人間としての品格はないのかと聞きたいです。
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2007年01月13日

ペコちゃんが泣く

きょうの朝日新聞の社説「ペコちゃんが泣いている」、タイトルに共感を覚えて読みました。
経済面でも今後の経営を危ぶんだり、オピニオンのページでは雪印の社外取締役(元全国消費者団体連絡会事務局長)の日和佐信子氏が論評するなど、不二家関係にはかなりの紙面を割いてあります。ほかの新聞でも似たようなものではないでしょうか。
日和佐氏の文章にもありますが、今回の不二家の報道を聞いて「雪印に何も学ばなかったのだろうか?」と驚いたりあきれたり、激怒した人も多かったと思います。

私はケーキの材料にはなるべく雪印のバターを使いたいので、安くなっているとまとめ買いをします。雪印のバターで焼くと格段に美味しいんですよ、実際。同じことを友人も言っていました。
品質が確かだからコアなファンもいる一方、雪印の製品は絶対買わない、という人は今でも多いそうです。
6000人いた社員は1500人に減り、食品界の大部分から撤退しました。
品質管理がちゃんとしていれば、食べ物を扱うという責任感や使命感があれば、ごく初期の段階で解決出来た問題でした。なければどうなるのか、どんな大きな企業でもあっけなく倒れてしまうという教訓を、不二家はどうして我がこととして受け止めなかったのでしょうね。

長年そうやって来てたんだなあと誰だって思います。
私がニュースを聞いて驚いたのは、期限切れの牛乳を使ったのが「パート」社員だったということでした。パートの判断に任せてたんでしょうか、現場の責任者(社員)はどこで何をしてるんでしょうね?
ずいぶんずさんな品質管理だったんですね。
そんなことを知ってからも、わざわざ不二家のお菓子を買うのって、ねえ。もともとミルキーは歯に悪いからって敬遠気味みたいだし、カントリーマアムじゃなきゃイヤだ、とか、ルックチョコ「が」食べたい、という人だけを相手に生き延びるのは苦しそうに思えます。

ケーキについては尚更。
昔娘の誕生日に不二家のバースディケーキを買ったら、全く不人気で大量に残ったことを思い出します。マーガリンやショートニングを多用してコスト(と味)を落としたケーキだと思いました。
こういうものにはトランス脂肪酸が多く含まれますが、トランス脂肪酸が人体に有害なのはもうずっと前から指摘されていることです。
今は世界的にトランス脂肪酸締め出しの風潮があり、ニューヨークでは外食産業に使用が禁止されるとのこと。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20061206ik07.htm
ショートニングを使った、高級感で勝負をしない不二家のケーキは淘汰される運命だと思います。

賞味期限を一日過ぎた牛乳ぐらいなら私も平気で使いますが、細菌が基準の10倍もあるのを「うっかり」出荷した、というのは許せないですね。それを自分の子に平気で食べさせられるんでしょうかね。
もしかして不二家の社員やその身内には免疫がたっぷりで、ノロウィルスにも負けない身体とか? それはそれでいいような気もするけど。
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2007年01月02日

紅白やめたら

紅白の直前、リハーサル中にくも膜下で倒れたNHK職員が、翌日(元旦ですよ!)に亡くなったというニュース。http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/kohaku/?1167736302
リハーサルで荒川静香さんの代役をやったあとあお向けに倒れ、かき始めたいびきも止まってみるみる青ざめたとか。心臓マッサージしながら救急車を待つ騒ぎだったそうです。
本番のとき私もちょうど荒川登場のシーンを見ていましたが、司会の仲間由紀恵さんが、あがっているような様子でトチった場面が印象に残っています。
それにしても、イラクやエベレスト取材中の事故ならともかく、「あの」紅白のリハーサルで亡くなるなんて、死んでも死にきれないのでは。気の毒でなりません。

年々ひどくなる紅白だけど、今年は最悪でした。視聴率上げるためにはなりふり構わず、紅白情報でニュースの時間も削られる始末。話題づくりだけが最優先で見苦しいものでした。
視聴率が下がったらスポンサーが逃げて減収となる、というのとはNHKは無縁なはずです。スポンサーの顔色をうかがわなくていい分、プライドを保った番組を作ることが出来る放送局だと私は思っていました。紅白の視聴率が低いことを理由に受信料を払わない人はいないでしょう。
どうして、受信料を真面目に払うような人たちに愛される本当に歌唱力がある歌手を揃えて、じっくり歌を聴かせてくれないんでしょうか。
司会だって、滑舌のきれいなプロのアナウンサーに任せてほしいです。

いったい、いつからNHKはこれほどに低俗な放送を許すようになったのでしょう。
ハダカが話題のシーンは見そびれたので、きょうネットで探して見てみました。あれはどう見てもハダカそのもの。最後にショーツらしきものを脱いで妙なものを見せるのだって、とても下品で我慢できません。
その出演者はリハーサルで実演せず、局ではチェックしなかったそうです。何のためのリハーサルなんでしょうか。ほかの出演者がよく黙っていたものです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061230-00000076-sph-ent
「僕を出したことを後悔する」と宣戦布告したのが事実なら、なぜNHKはそれを放置したのでしょうか。
下品そのものの出し物の仕上げに登場させられたサブちゃんも、まるで共犯みたい。品格が落とされて怒ったんじゃないでしょうか。

見なきゃいいだけの話だけど、時々聴きたい歌も混じる。その年に亡くなった人にちなんだ歌もあり、私としては「内山田洋(この人が亡くなりました)とクールファイブ」の臨時再結成が嬉しかったです。
……子どもの時からの習慣で、いつも年の暮れは紅白をつけっぱなしにしていますが、もう終わりかなとも思います。いっそやめてくれたら未練も残らないのだけど。
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2006年12月27日

外国人研修制度

これが現代の法治国家で起こったこととは信じ難い。同じ日本人として全く恥ずかしく、腹が立つ事件です。
04年に日本の農業技術を学ぶために来日した外国人研修生が、実習先の会社の役員の息子が経営する会社や自宅で単純労働や家事をさせられた。そして05年から逃げ出すまでの1年3ヶ月の間、役員から60回以上性的暴行を受けたと主張しています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061225-00000316-yom-soci
今までもこういうことは度々あったらしいですが、今回は支援する人がいたのでしょう。受け入れ先企業と財団法人「国際研修協力機構(JITCO)」を相手取り、損害賠償など3,780万円の支払いを求めて提訴したそうです。似たような提訴がこれから続くかもしれませんね。
JITCOは「開発途上国の人材育成に寄与」するための真面目な組織のようです。研修制度をまさかこんな形で悪用されるとは思いもしなかったのではないでしょうか。

8月19日付でここでも書きましたが、8月18日には千葉県木更津市の養豚場で、帰国を迫られた中国人研修生が殺傷事件を起こしました。きつくて臭い長時間の重労働に対してあまりの低賃金でやる気を無くし、仕事をボイコットした研修生をクビにしようとして恨まれたものです。
この事件について、こちらのサイトに解説がありました。
http://www.sankei.co.jp/chiho/chiba/061213/chb061213000.htm
殺傷事件を起こしたのはもちろん許せないことですが、そこまで研修生を追いつめた事情には同情の余地があると思います。「月10万で雇える」と誘い、「残業代は別口座で」と入れ知恵するなど県農業協会は悪質です。まるで人買いを斡旋してるみたいですね。

日本の技術を身につけて今後の仕事に生かしたいと、青雲の志を持って来日した(そんな人ばかりでもないでしょうが……)外国人に対して、いったい、なんという仕打ちでしょうか。
青雲の志は持ってないとしても、真面目に働いて稼ごうとしている人たちのはずです。
ところが受け入れ先は経済格差につけ込んでやりたい放題。タダみたいな給料で長時間働かせ、逃げ出さないようにパスポートや給料を預かる例も報道されました。労働基準法も真っ青の、安い労働力として奴隷のような扱い。現代の女工哀史ですね。
貧しい国の人に対する、救い難い歪んだ優越感がさせることでしょう。
今度の提訴に対して、雇い主側は「合意の上で買春しただけだ」と主張するかもしれませんね。でも万が一暴行ではないにしても、雇用側の優位性に立って社会的弱者の立場につけ込んだ、卑劣な行動であることは疑いのないところです。

大半の研修生は渡航費用などを借金して出稼ぎに来ているのが実情でしょうから、思ったほどの稼ぎがないと脱走して不法残留となるのも(いいことではないですが)無理もない話です。労働災害に対して補償を受けられないとか、犯罪の引き金になるといった影響も出て来るでしょう。
日本という国に対する印象も、ずいぶんと悪くなりそうです。日本人が嫌う職場だからと安易に経済弱者をあてがうといったやり方は、人道上も許されるものではないでしょう。
農業の後継者がいなくてやむを得ず研修生を受け入れていると言うのなら、それはその場しのぎに過ぎず、長期的に見て何の解決にもならない。農政を根本的に見直すべきではないのですか。
河野太郎法務副大臣(当時)が「いかさまそのもの」と断じたという、外国人研修制度を、もう放置していてはならないと思います。


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2006年12月25日

死刑執行

25日に4人の死刑囚に対し刑が執行されたというニュース。
4人も一度に執行されたのは平成9年以来ということで、論議を呼んでいるようです。
日本弁護士連合会は死刑執行に長く反対し続けていて、今回もすぐ会長声明を発表しています。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/061225.html
それによれば、国連人権委員会は毎年、死刑制度が残っている国に対して、死刑執行を停止するよう呼びかけているらしいですね。

前任の法務相が、浄土真宗・大谷派門徒としての宗教観などを理由に執行命令にサインするのを拒んでいたそうで、今回は1年3ヶ月ぶりの執行になるということです。
マスコミの報道は概して、執行命令書にサインした法相に対して批判的な印象を受けます。ことに毎日新聞などは、国会議員有志、日本弁護士連合会やアムネスティの抗議を伝えるという形で、間接的に非難しているように私には読めます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061225-00000050-mai-soci

私個人としては、中立の立場で報道するべきではないのかと思いますが、まあ、それは社の方針もあるでしょうからやむを得ないのでしょう。
それにしても、死刑執行があるたびに法務相がサインしたことを批判されるのは、私の記憶にある範囲では毎回のことだと思います。時には署名した法相が血も涙もない冷酷な人のような書き方があったことも覚えています。マスコミの受けを良くしたいなら、なんだかんだ言って執行命令書にサインするのを拒みさえすればいいんじゃないかと思えます。

死刑を執行してしまえば、それが冤罪であった場合に取り返しがつかない。
死刑は公然と行われる殺人で、人道上容認出来ない。
死刑執行したからといって何も解決せず、せいぜい被害者遺族の溜飲が下がる程度のこと。遺族の中にすら死刑に反対する人もいる。
そういう意見があることも承知していますし、一理あると思います。
スーザン・サランドンがアカデミー主演女優賞を受賞した「デッドマン・ウォーキング」も死刑制度を強く問題視した映画でした。

でも、裁判所が死刑の判決を下した事例について、その執行を命令するのは、法相の重要な任務の一つではないのですか。三権が分立していてお互い対等ならば、執行を拒否するのは越権行為なのではないか、法相はただ職務に忠実なだけではないのかと私は考えますが、短絡過ぎるでしょうか。
冤罪が疑われる時は再審請求も出来るわけだし、どこかの国のように死刑判決が出て即執行、という前近代的なことをやっているわけではないと思うのです。
死刑制度を廃止したいなら、命令書にサインする行為を責めるのではなくて、廃止推進の機運に持って行くべく地道かつ迅速な積み重ねが必要なのではないかと考えます。

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2006年12月13日

無謀運転

きょう福岡地裁で、こんな判決が出ました。
猛スピードで自損事故を起こして同乗していた友人4人を死なせ、自分と助手席の女性に怪我をさせた19歳の少年。裁判長は「無謀、責任重大」として懲役4年から7年(求刑5−7年)の不定期刑を言い渡しました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061213-00000027-nnp-l40
(少年の場合は不定期刑になるようですね。更正の程度に個人差が大きいのでしょうか)
免許を取って日が浅いにもかかわらず60キロ制限の道路を倍の120キロで飛ばして、カーブを曲がりきれずに横転、橋脚に激突したそうです。
後部座席の4人が亡くなったということなので、後部が大破したのでしょうか。RV車だったそうですから、もしかして前部に鹿よけがあって軽症だったのかもしれませんね。定員5人の車にオーバーして6人乗っていたというのも被害を大きくしたのかもしれません。

それにしても4人もの命を奪った運転手に対して、最短だとたった4年というのはあまりにも軽い処罰のように思えます。
亡くなった4人は中学校の同級生で、「盛り上がった雰囲気をこわしたくない」からスピードを上げていたそうです。無理やり乗せたのとは違うから情状酌量されたのでしょうか。また、あと何ヶ月で成人になっていたのか知りませんが、未成年(少年)であったことが多分に影響しているのでしょう。
殺意があって殺した(殺人)のではないにしろ、業務上過失致死ではあまりに量刑が軽すぎるとして導入された危険運転致死罪では、ひき逃げなど他の罪も合併して最長の懲役20年が求刑されている事例もあります。
http://response.jp/issue/2004/0607/article60997_1.html

きょう判決が出た事故のせめてもの救いは、自損事故だったことですね。これがほかの車に追突やら正面衝突していて無関係な相手を殺していたとすれば、気の毒すぎて言葉をなくすところです。
それでも亡くなった人の遺族の中には、よくもおめおめと……と運転手に恨みを持つ人もいることでしょう。盛り上がって笑いさざめきながらの暴走が、取り返しのつかない悲惨な結果となりました。

暴走と言えば、私も若い時にとても怖い体験をしました。
住んでいた九州から先輩の故郷山口まで、男友達二人と日帰りでドライブした時のことです。
友人は貧乏学生だから車を所有していたわけではなくて、誰かに借りたかレンタカーだったのだと思います。私は助手席に乗せてもらいました。
その友人は初心者ではなかったけど、免許取ってから乗る機会はあまりなかったようです。運転も未熟だったはずですが、久しぶりの運転に有頂天、ハンドルを握ると人格が変わってしまうタイプのようでした。
平日の日中だったので高速道路はすいていて、友人は歓声とともにスピードをどんどんあげます。いつもは物静かな人でしたが、高速走行に興奮しているのがよくわかりました。

前の方を走っている車にあっという間に接近して次々と追い越します。
スピードメーターが120キロを越えて、警告音が鳴り出しました。
いくら何でも飛ばし過ぎだ、怖いからスピードを落として、と私やもう一人の友人が再三言っても聞いてくれません。
そのうち雨が降り出しました。フロントガラスにぶつかった水滴が、どんどん上向きに流れていきます。いかにスピードが出ているかはっきりと視覚でとらえられて、私は怖くてたまらず、ついには泣いてしまったのでした。
友人はさすがに鼻白んで減速してくれました。

若い人の暴走の挙げ句の事故のニュースを聞く度に、あれはちょっとしたことで自分の身にも降り掛かった惨事だったかもしれないと思い出します。
25歳未満の人は任意保険の保険料が高いように、大半の事故は若い人が起こすもののようです。若くて無謀な集団にブレーキをかけてくれる仲間が、一人でもいたらいいのでしょうが。
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2006年12月10日

ワーキング・プア

石川啄木が「働けど働けど楽にならざる……」と嘆き、岡林信康が「あんな一生懸命働いてはるのに なんでウチの家いつもお金がないんやろ」(チューリップのアップリケ)と歌った貧しさは、今も深く共感する人が多いのでしょう。
朝から晩まで畑に出て働いたり、毎日正社員並のフルタイムで働いても、生活保護の水準にも及ばない低所得(ワーキング・プア working poor)の家庭が今日本には700万世帯以上もあるそうです。
ちゃんと働いているのに貧困と闘わなければならないというのも悲しい話ですが、年金暮らしで収入は限られているのに介護保険料があがったり負担金が増えたりして、さらに不安な気持ちで老後を送る高齢者や、自立支援法導入で自己負担が増えた障害者にとっても寒さが身にしみる季節です。

今度は生活保護費の母子加算を削減の方針とのこと。
http://www.asahi.com/life/update/1130/003.html
削減の根拠となるのが、「生活保護を受けていない母子世帯の消費支出より多いから」というのも残酷な話です。
おりしも今日NHKスペシャルでワーキングプアを取り上げていて(続編のようです)、生活保護を受けずパートを掛け持ちで二人の息子を育てている母親を紹介していました。
小学生の子どもと夜一緒に過ごせるのはたった3時間。寝かしつけてからまた仕事に行き、帰りは夜中の2時。睡眠時間は4時間ということでした。若いから出来ることでしょうか。

どんな理由で離婚したのか、養育費はもらえないのか、そこらへんはわかりませんでした。
女の細腕でパート掛け持ちで働いて、月18万の収入。アパートの家賃や公共料金、学校関係など必要経費を払うと、食費などに自由裁量で使えるお金はわずか2万円あまりだそうです。
生活のために命を削る母親も哀れだけど、母親に甘えることも出来ない子どもたちが何を思い、どんな大人になるのか気になりました。
母子加算を削るということは、いま生活保護を受けている母子世帯すべてに、この女性のような生活をしろと迫ることだと思います。家族の誰かが病気でもしたらどうなるのでしょう。

今の政治は、社会的弱者に対してあまりに冷たすぎる。苛酷になる一方だと思います。
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2006年12月09日

子どもの臓器移植

生後9ヶ月の赤ちゃんがアメリカに渡って多臓器移植を受けたというニュース。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061209-00000066-mai-soci
「山下みらいちゃんをすくう会」(住友隆介会長)という支援団体が作られ、一家の渡航費用や移植費用を集めて支援。米マイアミ大ジャクソン記念病院で移植を受けたものです。住友会長に両親が喜びの電話をかけて来たそうです。
生まれつき腸に神経がない難病「全結腸型ヒルシュスプルング病」の山下みらいちゃん。胃、肝臓、脾臓、小腸に大腸と計5つの臓器を移植。移植された臓器はすべて順調に機能しているそうです。

みらいちゃんは元気になり両親は喜ぶ。支援に関わった人たちも達成感を得て苦労も報われるでしょうし、募金した人たちも自分の行為が一人の命を救ったことに満足し素直に喜んでいるでしょう。
でも、こんなに幸運な子どもはごくわずか。素早く支援の手が差し伸べられずに死んでいった子どもたちの方が、数としてはずっと多いことでしょう。
募金して費用は集まったけれど間に合わず、肝腎の子どもの容態が急変して死んでしまった、というニュースも少し前に聞きました。

両親も含め3人の渡航費用、長期にわたる滞在・加療の費用、移植にかかる費用。莫大な金額です。これが国内で出来る移植手術ならば、費用も心労も何分の一かに軽減されることでしょう。
なぜそれが出来ないかというと、日本では15歳未満の子どもの、脳死での臓器提供が認められていないため。子どもからの臓器提供がない以上、臓器の大きさが合わない大人の臓器を子どもに移植するのは、事実上不可能です。(日本でも大人の臓器を8歳の子どもに移植した例はあるそうですが、乳児では無理な話でしょう)
腎臓や角膜など心臓死後でも移植できる臓器もありますが、心臓や肝臓は脳死状態からでないとダメ。肺なども死体から摘出したものは定着率が非常に低いと聞きます。
心臓が停止して血液が循環しなくなると細胞の分解(腐敗)が急速に進むからでしょうか。

ではなぜ子どもの脳死臓器提供が出来ないか。
「臓器提供に関する法律」に基づくと脳死段階での臓器提供が出来るのは「本人の提供意思と家族の同意」を必須条件としています。
そして法解釈上は一般的に15歳未満の子どもの意思表示能力は認められておらず、本人が望んでもその意思表示が有効とならないからだそうです。
一理はありますが反論を呼びそうな理由ではありますね。
移植しか助かる道はないと言われた親は、いじめなどで簡単に(と思える)自殺する子に、「要らないんならキミの臓器をおくれ!」と叫びたいでしょう。

脳死や臓器移植に対しては受ける立場、提供する立場で考え方は違って来るでしょうし、宗教や倫理哲学もからみ、優先するのは瀕死の患者か定着率の高そうな患者か、といろんな議論のある難しい問題。肉体に傷をつけるのをとても嫌う宗教もありますね。
私個人としては、そんなに大変な手術を受けて脳はダメージ受けないの? とか、せっかく受けても定着しなかった場合は支援者に対して肩身が狭くならないかな、と余計な心配をしてしまいます。
医学の進歩に舌を巻く一方、どれほど進歩しても助けられない病気がまだまだありますね。ES細胞の分離採取が出来たら臓器移植は不要になるのかもしれませんが。

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2006年12月07日

ホームレス

新宿区の戸山公園ほかに住みついていた野宿者は幸運だったと思います。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061207-00000133-mailo-l13
地域生活移行支援事業の対象となれば、日雇いで月数万の収入しかなくても、一ヶ月3000円の負担でアパートに住むことが出来るそうです。(もはやホームレスとは呼べませんね。住民票もとれる)
寒さに凍えることもないし、悪ガキに襲撃される心配もない。布団で安心して眠ることが出来ます。
問題はこれが2年間の有期事業であることで、事業延長が認められなければ、その住まいを出なければなりません。アパートの家賃の差額を都が負担しているそうですから、予算に限りがある以上、一生そのままとはいかないのでしょうね。

都は01年度から自立支援施設を用意して野宿者を収容しようとしたけれど、嫌って路上に舞い戻る人が続出。当時のテレビで、「あそこじゃ酒が飲めないからヨ」と言っている人を見かけ、寒くても物騒でも、飲んだくれる自由とひきかえには出来ないんだなあと思ったものでした。
それに個室でもないようでしたね。気ままなホームレス生活に慣れた人には窮屈だったかもしれません。
今の日本では本当に食べるものもない生活はあまり考えられないから、ひと昔前ほど悲惨な印象はないように思います。
多摩川を渡る電車の窓からは青いビニールシートの個室が見え、のどかに散髪し合っている姿も見えます。
晩酌のビールを我慢して納税しているサラリーマンにとっては、羨ましかったり腹立たしかったりする光景かもしれませんね。

気ままとはいっても、ホームレスが生活困窮者で社会的弱者であることはたしか。
障害児の親仲間で「自分たちの死後に子供たちがどうなるか」という話をしているとき、「ホームレスの中には障害者も多いだろうね」と言い出した人がいて、みんな同感でした。刑務所みたいな入所施設に入るよりは気楽でいいかも、と笑ったものですが、笑顔も引きつります。
横浜駅の東西出口をつなぐ中央通路の階段に、いつもうずくまっているハダシのホームレスがいました。伸び放題の髪が汚れてフェルト状に固まり、着ている服は着た切り雀なのかかなり汚れて、ハダシの足も黒ずんで角質化した感じでした。
観察していたわけじゃないですが、昼間そこを通る度にいつも階段の上、はしっこに小さくなっていました。通りがかったおばさんが声をかけているのを一度見かけましたが、顔はあげても声は出さないようでした。あの人は知的障害者ではないかとひそかに思っています。
かなり不潔な状態なのに駅員さんに追われることもなく長いこと居着いていましたが、近ごろは見かけないようです。

きょう、家の片付けものをして、不要になった衣類を袋に詰めて集積所に運んだときのこと。
今は衣類は分別収集で月に一度しか出せないし、その日に雨でも降ったら(収集はしているようですが)次の月になってしまうので、早く処分しようと思えば集積所に持ち込むことになります。
私や子供たちが減量してだぶだぶになった服や、何年もしまったままの服や、くたびれて着るのもみっともないようなのを一掃しました。
出したあとで図書館に寄ってまたそこを通ったら、ホームレスとおぼしき男性が袋を開いて物色しているところでした。通りすがりの人がジロジロ見ても気にする様子もありません。
物色するのがいいことかどうかわからないけど、寒さしのぎの役に立つなら服も嬉しいでしょう。大きすぎる分厚い上着があったので、持っていったかもしれないなと思いました。
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2006年12月02日

いじめへの対応

友人の息子が進んだ私立高校で、入学早々いじめにあったことがあるそうです。
そこはスポーツで有名な高校で、野球を始め数々の有名選手を輩出しているところです。生徒は学校の広告塔たるスポーツ奨学生と、ひとクラスだけの学費免除の秀才(奨学生。みんな有名大学に進んでいるようです)と、一般生とに分かれていて、言うまでもなく数が一番多いのは一般生。
友人の息子はその一般生で、「学費納入で学校を支えている大勢」の一人です。

スポーツ奨学生は合宿生活で私生活もきびしく管理されているようですし、秀才クラスの生徒は補習に追われて人をいじめてるヒマもないでしょう。結局自由な時間がありコンプレックスを抱えた生徒が、憂さ晴らしかヒマつぶしとしていじめをするんじゃないでしょうか。
昔私の田舎の中学校では、体力を持て余しているような生徒には半ば強制的にスポーツをさせていました。スポーツでヘトヘトにさせてストレス発散させていたように思います。
忙しくしてないと悪いことを覚えて、ろくなことをしない、という、性悪説に立った発想かもしれませんね。

閑話休題。
友人の息子のいじめは、幸いごく初期の段階で収まりました。元気がない息子の態度に気がついた友人が問いつめて、どつかれたり小遣いを巻き上げられたりしていることを知ったそうです。
これが高校2、3年生だったら親ともあまり顔も合わせなくて、友人も気がつかなかったかもしれません。前の月に中学を卒業した新米高校生ですから、まだ子供みたいなものだったのでしょう。
一人っ子でおっとりしているし、虚弱体質で小柄ということもあっていじめっ子に目をつけられたのかもしれません。本人はとても悩んでいて、死にたいと思うくらいだったようです。

知った友人はすぐ担任に相談しました。もっとひどくなるんじゃないかと一抹の不安はあったけど、わが子を守りたい一心で必死だったそうです。
すると学校の対応はびっくりするくらい早かった。よくあることで「慣れてる」という面もあるのでしょう。
すぐ生活指導の先生(かなり威圧感のある人だそうです)がいじめっ子(の親玉?)を呼び出し、今度やると退学だぞと脅したそうです。
そこは男子校なので、先生も強く出るようです。生徒になめられてはやっていけないのでしょう。義務教育じゃないし私立の学校なので「退学」を脅しに使えるわけですね。
おかげでいじめの芽はすぐ摘まれ、友人の息子は無事に卒業、進学することが出来ました。

いじめで自殺する子は、「どうしたの?」と聞いてくれる大人が周囲にいなかったのでしょうか。ウチの子をいじめるなんて、と怒ったり泣いたりして学校を頼らなかったんでしょうか。
訴えられても学校は放任したんでしょうか。
子どもにとって、いじめっ子のいない世界というのは視野の中になかったんでしょうか。
相変わらず続発するいじめ自殺の報に、なにもみすみす死なせることはなかっただろうに、と心が痛みます。
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2006年11月29日

狂犬病

日本では映画やマンガ(ブラックジャックとか)の世界でしかなじみのない狂犬病。
先ごろ京都と横浜で相次いで死亡者が出て、日本でも野良犬やコウモリに狂犬病ウィルスが!? とびっくりしました。幸いにも国内でなく、いずれもフィリピンで犬に噛まれて感染したものらしいです。
噛まれた当人には狂犬病の危険性に対する認識がなかったのでしょう。噛まれてすぐ病院に行ってワクチンを打てば発症を防げる(こういう感染症はほかに例がない)らしいですが、いったん発症してしまうと有効な治療法がないため致死率100%の恐ろしい病気です。

1970年を最後に国内では発生することのなかった狂犬病ですが、この36年前の発生というのもネパールで犬に噛まれて感染したもの。国内感染は昭和32年を最後に報告されていません。
日本はイギリス、スカンジナビア半島の一部、オーストラリアなどとともに狂犬病の発生がない国とされていますが、それ以外はたいていの国に見られるありふれた病気です。
野生の動物に噛まれたら狂犬病の恐れがあるという認識を、海外に出る人はもっと徹底して持つべきかと思います。頻発している国へ行くときは、事前に予防接種(破傷風も)を受けておくと安心ですね。
日本人は野生の動物に対して抵抗がなく、迷い込んだアザラシが人気者になったり、崖で動けなくなった野良犬が救出されたら喜ぶといった、ある種無邪気な反応がありますね。野良犬は狂犬病の予防注射はしてないだろうから、救出に向かった保健所の職員は大丈夫かな、と私は考えましたが少数派だと思います。
なお狂犬病ウィルスはヒトからヒトへの感染の心配はないそう(終末感染)です。

水を飲もうとすると喉がけいれん発作を起こし、水や食物を飲み込めなくなる。飲むと非常に苦しいので、しまいには水を見るだけで怯える。これが狂犬病の特徴とされる恐水症です。風の刺激を怖がる恐風症というのもあるそうです。
人間は幻覚、錯乱や高熱、麻痺などの神経症状を起こす。犬の場合はやたらと歩き回って吠え、見るものすべてに噛みつくようになるということですから、狂犬病という命名もうなずけますね。
凶暴にならない麻痺型の狂犬病もあり、こちらは特にコウモリに噛まれたときに多い。これは死亡まで比較的時間があるそうですが、普通は2〜7日で昏睡に陥り死亡するそうです。
狂犬病ウイルスに感染してから潜伏期間が平均30日、2週間から1年と幅があります。感染から時間が経って発症し、恐水症など典型的な症状を見せない人もいるので、原因不明の神経症状の患者が死後の解剖で初めて狂犬病とわかる場合もあるそうです。

日本の狂犬病が封じられたのには戦後の徹底した野犬狩りが効を奏したのと、狂犬病予防法で飼い犬に年に一度の予防接種を義務づけていることが大きいようです。ただ高価なこともあってその予防接種率は38%前後。日本で狂犬病になりっこないと油断している飼い主も多いのでしょう。
でも未接種の飼い犬が人を噛んだら大変な事態。相手は高いワクチンを6回も受けなければならないし、通院の補償も必要です。未接種では傷害保険も出なかったりするようですね。それに犬は薬殺処分になると思います。
接種率が低いのは費用がかさむのが主な理由でしょう。ワクチンの原価はびっくりするくらい安いものだそうですから、国としては予防接種の料金を下げて接種率をあげるように指導するべきではないかと思います。

でも国内でいくら防止しても、外国船に乗って来た動物が埠頭でいなくなったり、密輸入される動物もいるようですから、流入の危険はあると思います。
狂犬病は犬だけでなくすべての哺乳類に感染する珍しい病気だそうです。感染しても発症まで時間があるので、その間は一見異常のない元気な姿。でも餌をくれた人に噛みついたら伝染させてしまいます。野生のリスなどに手渡しで餌を与えるのは危険かもしれません。
わが家の庭に現われたことのあるアライグマも、外国では感染源と見なされているようです。可愛い姿をしていますが気性どおりに危ないヤツかもしれません。
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2006年11月25日

ピア・プレッシャー

いじめによる自殺の連鎖、ついには授業中に、制止する先生を振り切って校舎から飛び降りるという事件まで起こりました。そこまで追いつめられた女の子には同情するとしても、力及ばず目の前で生徒を死なせてしまったその先生は、一生悪夢にうなされるのではないかと気にかかります。
そんなに辛いのに、どうして学校に行くんだ。死ぬくらいならその前に、なんで逃げたりいじめを訴えたりしなかったんだ、今ならいじめと言えば周囲もほっておかないだろうに……と疑問に思いますよね。

きょう読んでいた本(悪魔のささやき・加賀乙彦著・集英社新書)の中に、ヒントになりそうな言葉が出てきました。心理学用語で「ピア・プレッシャー(peer pressure)」というものです。
peerは「(地位・年齢・能力などが)同等の人、同僚、仲間」を指し、ピア・プレッシャーは「仲間からの圧力」と訳されているようです。(そのほかpeerには「じっと見つめる、目をこらす」という意味もあるので、「お互いに監視し合っている圧力」という印象もありますね)
この本では、日本社会は欧米に比べピア・プレッシャーが強く、それに抗する力が弱い。だから誰かが始めたいじめがクラス中に広がったり、新歓コンパのイッキのみで命を落とす若者が絶えない、と指摘されています。
たしかに昔から村八分の伝統のある国ですから、みんなでいじめて自殺に追い込む社会的体質はあるかもしれませんね。

そしてこのピア・プレッシャーは、思春期は特に受けやすい時期だそうです。
http://www.ask.or.jp/lifeskill/columns/colum_05_01.html
その年代では、自分が仲間うちでどう見られているのか、とても気になる。まだ学校に行っている年齢ですから、学校の仲間が社会のすべてになるんでしょうか。
ピア・プレッシャーからのライバル意識がいい方に働いて学業やスポーツなどで高め合う面もありますが、集団いじめや犯罪の誘因になったりもするわけですね。
タバコや飲酒も、友人仲間から教えてもらう(強制される?)場合が多いと思います。

私の身内にあまり治安がよくない地域で育った青年がいます。いわゆる悪ガキの多いところですが、その子はおっとりした優しい性格で、親はその子に全幅の信頼を置いていました。
その子の母親は子供たちが大人になってから「ここらへんでは万引きがとても多いらしいけど、やってた子を知ってる?」と聞いたそうです。すると妹にアッサリと「お兄ちゃんも中学生の頃よくやってたよ」と言われて大ショック。「万引き、上手だったよ」の追い打ちに、夜も眠れないくらい落ち込んだそうです。
比較的裕福な家庭の子で万引きしなくても買う金には困ってなかったはずですが、誘われたら断れなかったんでしょうか。もっともピア・プレッシャーのなせるワザだ、と母親が言うとしたら、親バカというものでしょうね。

ピア・プレッシャーはビジネスの世界でも
「個人よりも集団を優先する」「金銭的報酬よりも同僚の評価を気にする」
日本社会の特徴として注目されているようです。
雇用主からしたら、これはまたずいぶん扱いやすい被雇用者ですね。
終身雇用制が崩れてきた今ではだいぶ事情も変わってきたかもしれません。それでも、同僚に迷惑(負担)をかけるのを何より恐れるからサービス残業を厭わなかったり、有給休暇を消化する労働者が少ない、という体質は残っていると思います。
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2006年11月08日

竜巻

さだまさし「無縁坂」の一節に、
「……運がいいとか悪いとか 人はときどき口にするけど
 そういうことって確かにあると あなたを見てて そう思う」
というのがありますが、私もさだまさしさんに同感です。
今回の竜巻で一瞬にして命を奪われたり家を壊されたりした人たちは、ただ運が悪かったとしか言いようがありません。道を隔てたよその家は無傷なのに、竜巻の通り道となったばかりの輪禍です。

「なんで私が、ウチの家が……。私がいったい何をした?」
とボーゼンと瓦礫の山の前で立ちすくんだことでしょう。
牛を飼って静かに暮らしていた人は、牧草にガラスの破片や金属片が混じっていたら牛の胃に穴が開くから、うっかり食べさせられないと途方に暮れた様子でした。
これが地震とか洪水とかなら被害は広範囲に及び、影響が甚大な分、復興に向けた救援の手も素早く届くでしょう。でもこの珍しい災害に対しては、学術的な興味を持たれるぐらいで、人々の記憶からもすぐ消えてしまうのではないかと心配です。天災に対しての保険金は出るんでしょうか。

竜巻自体は富山県に多いと聞きますし、何年か前には横浜でも生協のトラックが軒並み壊される竜巻もありましたが、こんな大規模な竜巻のニュースは初めて。
「アメリカみたいだね」と娘がつぶやくのにうなずいた私です。
家を根こそぎ持ち上げるような大きな竜巻は「オズの魔法使い」でおなじみの、アメリカ中西部(ネブラスカ州など)のものだと思っていました。日本も温暖化の影響で気候が変わったんでしょうか。
気象予報士・森田さんのサイト「お天気ですかァ?」のQ&Aコーナーでも、「日本ではF5の竜巻は起こらない」と書かれていますが、訂正を要するかもしれませんね。
http://www.tbs.co.jp/morita/qa_kaze/faq_040717-236.html

スピルバーグ総指揮の「ツイスター」という映画(1996年)は、竜巻のメカニズムを研究する若者の話です。まだ今ほど一般的でなかったCGを駆使した、迫力ある映像の竜巻の威力に舌を巻きました。
竜巻の被害を防ぐために、発生の条件や竜巻の内部がどうなっているか命がけで知ろうとする姿勢に、アメリカは竜巻が多くて大変だな〜と思ったものですが、日本もひとごとではなくなりました。
今後の研究でいろんなことが解明されることを願っています。
核施設や原子力発電所が竜巻に襲われたら、いったいどんなことになるのか、考えるのも恐ろしいですね。人間の知恵は平和的な方面に使ってほしいものです。
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2006年11月01日

いじめ自殺の報道について

いじめた4人の子を名指しにした遺書を残して自殺した女の子の事件。
4人の子の保護者が死んだ子の遺族に詫びたそうです。
その子たちの名前が2ちゃんねるに流れるのは時間の問題だと思うのは考えすぎでしょうか。その4人の家族は今の住所に住み続けることが出来るのでしょうか。
4人の子やその家族に、PTSDに苦しむ人が出ないでしょうか。最悪自殺の心配もあると思います。

日本には昔から、死者にむち打つようなことは慎むという風潮があって、言葉は悪いけど「死んだもん勝ち」という傾向があると思います。「死人に口なし」で死んだら抗弁出来ないから、交通事故などでは一方的に悪者にされがちということはあるようですが、一般的に、死んだ人が責められることはまずないのではないでしょうか。
むしろ、死んだ人は絶対的な善で、死に追い込んだ人は極悪非道なワルであるという、社会的制裁が堂々とまかり通っていないでしょうか。

いじめたことは確かに悪い。いじめられた子は毎日、刃物で斬りつけられるよりも辛い痛みを受けていたかもしれません。
私も自分の子をいじめられた経験があり、いじめっ子に電話したり親と直談判したこともあります。学校や教育委員会に相談してもラチがあかず、一時学校に行かなくなった娘を担任が訪ねて来たこともありました。
娘がどんなに辛い苦しい思いで学校に行っていたか、実態とはかけ離れた認識ながらも胸を痛めていた時期もあるので、けっしていじめを容認するつもりはありません。
それでも今回の事件は、死ぬことの意味もろくに知らない子どもの、当て付け自殺という後味の悪さが残ります。

報道がエスカレートすると、その死が美化されることも往々にしてあると思います。
いじめを苦にした自殺が連鎖的に起こるとすれば、冷静さを失った報道もその一因ではないかと私は思います。
自分が遺書を残して自殺したら、いじめた子たちにこんなに派手に復讐出来るんだ、自分の辛い気持ちをわかってもらえるんだ、と救いを求めてまねをする子が出ないでしょうか。
「なにも死ぬことはないじゃないか。学校がイヤなら行かなきゃいいんだし、クラブなんか辞めたら縁が切れる。お荷物になりたくないなら退部すれば済むことで、死ぬほどのことじゃない。それより、ほら、こんなに楽しいことがあるよ」
って、誰かが気づかせてくれていれば、彼女は死ななくて済んだのだと思います。

自殺したら、悲劇のヒロインになる代償として、骨になるまで焼かれて暗いジメジメした墓の中に投げ込まれ、土に還る日を待たなければならない。
子どもにそういうことがわかっているとは思えませんね。いじめで自殺した子のニュースを見て、自殺したらラクになれるしいじめた子を叱ってもらえる、くらいの気持ちにふっと流れたんじゃないでしょうか。
いじめは何も最近始まったことではありません。いくら学校が頑張ったって、ケンカやいじめがなくなることはあり得ないと思うのです、大っぴらにしなくなるだけで。
外でいじめられたって、それより楽しい世界がある子は自殺はしないでしょう、そういう趣味を持つのも大事かもしれません。できればゲーム以外で。

私が子どものころ、祖母から「親より先に死んだ子は賽の河原で石を積むのだ」という話を聞かされました。少し積んだら鬼が来て蹴っ飛ばすから、また最初から積まなければならない。
泣きながら永遠にその作業を繰り返さなければならない子どもが哀れで哀れで、その仲間入りだけはしたくなくて、「親より先には絶対に死なないぞ」と思ったものでした。少し大きくなったら「そんなこと言ったって、病気や事故で死んだ子は可哀そうすぎないか?」と一人で突っ込んでましたが……。
「死ぬことは怖いことだ。それにとても罪なことだ。自分一人だけの命ではない」ということを、もっと強調してほしいとマスコミに対しては思っています。自分が死ねば、妊娠、出産を経てそこまで育ててくれた両親が悲しむことも考え、もっと心を開いてほしいものです。
第一、もったいない話です。ちゃんと動く身体にちゃんと機能する頭脳があるのに。温かい家庭があるのに。
それらを投げ捨てて自殺する勇気なんて、勇気と呼ぶに値しない愚かな行為であると、私は声を大にして言いたいです。

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2006年10月22日

棄権した人へ

きょうは神奈川県と大阪で、衆院の補選が行われました。どちらも自民党の現職議員の死去に伴うものと聞いているので、自民党が議席を獲得するのが順当というところでしょうか。
それにしても午後6時現在の中間投票率は神奈川16区36.43%、大阪9区39.83%、いずれも昨年9月の衆議院選を12ポイント程度下回っているということです。
もう最終投票率も出た時間ではありますが(当確も出たらしい)、どのみち半数にも満たない投票率なのでしょう。

これでいいんでしょうか。
補選だから与党に勝てっこないと無気力になるのもわかりますが、国政に直接参加出来る滅多にないチャンスに自分の意思表示をしないで、それでいいんでしょうか。
投票する権利があったのに、今回投票に行かなかった人に聞きたいです。
政治家がどんなに好き勝手な政治をしても、もの申さずに、黙ってそれを受け入れるんですね?
お仕着せの政治に、文句ないんですね? 年金がいくらに減らされようと、黙って我慢するんですね?
投票にも行かないのなら、政府の方針に文句ないってことですよね。

女性に投票権を認めさせ、女性を意志を持つ一人の人間として扱わせるためには、打ち破らなければならない壁がたくさんありました。先人は血のにじむような苦労をしたと思います。
そういう人の努力の成果として、今、女性は男性と同じ一票を行使出来る。
1890年の第一回総選挙では、選挙人は満25歳以上の男子で、直接国税15円以上を納入する者に限られました。投票出来たのは(議員の顔ぶれを決定出来るのは)国民全体のわずか1%、ひと握りの人でした。当然、ひと握りの人のための政治を進めたと思います。
そのころに生きていた人が、成人ならすべて公平に投票権を持つ現代を見たら、なんて言うでしょうね。
国の政治をあなた任せで、ホントにいいんですか?
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2006年10月19日

先生のいじめ

先ごろ、自殺した中学生のいじめが昨年度の担任に起因するとわかった、というニュースには衝撃を受けました。私も、うちの子もそんな目にあった、という人もきっとたくさんいるでしょうね。
からかっているだけでいじめのつもりはない、と言っても、受け止める側の辛さは人にはわからないと思います。
今回はサインを何度も出していたのに、友人間では本気にしてもらえなかったみたいですね。親には心配かけたくなくて言わなかったのか、気になるところです。
不登校の子どもの親も、もはや無理に行かせようと思わなくなったのではないでしょうか。
学校に行けないのは本人が悪いんじゃなくて、学校側に問題があるという場合も少なくないでしょう。
義務教育の場がこうでは、ホントに困りますね。選んで行く学校じゃないですからね。

ウチの娘は太めでのんびりした子だったので、元気でハキハキした子が好きという噂の担任に受け持たれた小学1・2年生の時は、ずいぶんひどいことを言われたようです。
ただ、教育熱心なベテラン教師で落ちこぼれを作らない、という評もありましたから、私としてもまさか先生が率先して娘をいじめているとは思いもしませんでした。
「ボールがちょっとぶつかっただけで、わーって泣くんですよ」とジェスチャーつきで呆れたように言われたことがあり、あ、この先生はウチの子嫌いなんだ、と悟ったことはありました。でもまさか、いじめるなんてね。

大人になってから、先生に受けた仕打ちの数々を話してくれて、胸がつぶれる思いをしました。
何か言われて悲しくて泣き出すと、それをあざ笑うような追い打ちをかけられていたようです。
当時は私も生まれたばかりの息子の世話もあり、夫は留学中でしたから、あまり真剣に向き合う余裕はなかったのも事実です。可哀想なことをしました。
「もう今さらどうにもならないから、忘れるしかないね」と言いながら、悔しくてたまりません。
その先生はご主人が社会党の地方議員だったからか、地域のカオで、自転車で通えるすぐ近くの小学校に転勤もなく15年も勤めていて、校長より発言力があるという話でした。
学校生活の最初でつまづいて、娘の人生をかなりの部分台無しにしてくれたと思っています。

私が中学生のとき、英語の時間に先生が突然「ベトコン、今のところを訳して」と言い出して、みんな「ベトコンって誰だ?」とキョロキョロ顔を見合わせたことがありました。
名指しされたのは先生が顧問をしていたソフトボール部の女の子でした。なぜベトコンと命名されたのかは謎ですが、そのあだ名は定着して、その子は卒業するまでベトコンと呼ばれ続けていました。
当時はベトナム戦争の最中でしたからベトコンという名詞にはみな馴染みがあり、意味も考えずに使っていました。
救いとしてはその子がベトコンと呼ばれるのを別に気にする風もなかったことでしょうか。もし内心嫌がっていたとすれば、気の毒だったなと思い出しています。

また高校のときにはこんなことがありました。
私の高校は前にも書いた通り甲子園出場を果たしたことがあるのですが、私のクラスには補欠の生徒がいました。その生徒のことを、化学の先生がなぜか、しつこくからかっていたのです。
「お前のポジションはどこだ、甲子園ではどこを守るんだ、センターの後ろか」
というのは何度も聞かされ、その子はついには自分から「ボクはセンターの後ろデス」と自嘲気味に称していました。
先生としては眠そうな生徒たちを笑わすためのジョークだったのでしょうが、本人にしてみればとても悔しかっただろうなと思っています。

先生の無神経な発言でいじめが始まりエスカレートすることは、よくあると思います。
もし子どもの口からそういうことを聞いたら、早めに対応してあげてほしいです。みんな学校が好きになって、授業を楽しく受けて、給食をおいしく食べてほしいですね。
そしてみんなで仲良く「美しい国」を支えて下さい。
posted by dashi at 23:46| Comment(5) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月05日

開き直り

民主党の議員と不倫旅行したのを写真雑誌にすっぱ抜かれて謹慎中(?)のアナウンサーが、電話して来た友人のキャスターに「くじけず頑張る」と再起を誓ったそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061005-00000093-sph-soci
こんな個人的なやりとりがなぜニュースになるのか理解に苦しみますが、それだけ「社会的需要」度が高いんでしょうか。
私なら再起を誓うより、恥を知って雲隠れしてほしいと思うけど。

今は不倫というのは恥ずべきことではないんでしょうか。そんなことをしたら世間様に顔向け出来ない、なんて言ったら(私は言いませんけど……)「江戸時代じゃないのよ」とせせら笑われるのかしら。昔は日本にも姦通罪というのがあったそうですけどね(北原白秋はこれで友人知己の多くを失ったとか。7月17日にここに書きました)。
相手の民主党の議員も不倫をした事自体ではなくて、「世間をお騒がせした」(不倫がばれた。写真を撮られた)方を詫びているようです。
そうじゃないでしょ、もっと選民意識を持って、ちゃんと子どものお手本になるような生活をして頂戴、と言いたいですね。

自分もしてるから言うんじゃないけど、離婚というのは仕方ないと思います。人生にはやり直す機会が何度かあって、離婚もそのひとつだと思う。若い時の選択が間違っていたとお互い思うなら、チャラにすることはアリだと思います。もちろんなるべく避けるべきだし(特に子どもがいるなら)、お互いに誠意を尽くして円満に別れるべきだとは思いますけどね。
でも離婚する気もないのに恋人と堂々と旅行なんて、奥さんを始め支持してくれている人たちに対して、あまりにひどい裏切り行為ではないでしょうか。恥ずかしい、とは思わないのかしら。
もし自分の子が同じことをしたら、叱れないですよね。

恥ずべき態度、というので私が思い出すのは、国会に証人喚問された人たち(小佐野賢次氏とか?)がテレビで「覚えておりません」「記憶にありません」を連発したロッキード事件でしょうか。昔のことでよく覚えていませんが、「大の(偉そうな)大人でもミエミエのウソを平気でつくんだ〜」と驚いたものでした。
厳密に言えばウソをつくと罪になるから(偽証罪)、知らないととぼけたんでしょうけどね。「記憶にない」「覚えていない」のがウソだというのは実証するのが難しいかもしれませんね。
ウソをつくと閻魔様に舌を抜かれる、と脅されて(本気で信じていたわけじゃないけど)育った私には、とても異様に見える光景でした。残念ながら、もう珍しいものではなくなりましたけどね。
開き直って他人に責任を押し付け、被害者ヅラをしたのはおなじみの姉歯もと建築士ですね。
正直が美徳でない時代なのかと気分が重くなります。

最近は小中学校の給食費を滞納する親が増えているそうです。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/21476/
貧困ばかりが原因ではなく、高級車を乗り回したり携帯に何万も払っていながら……。開いた口もふさがらないどころか笑い出してしまいそうです。
義務教育だから払いたくないって、なんだか学校に「(面倒だけど仕方ないから)行ってやってる」って姿勢ですね。
行ってやってるのに、カネまで取るんか? ってね。
しまいには「給食を出してくれと頼んだ覚えはない」と開き直るんだって! 先生も大変だ、不登校になりそうですね。「親の顔が見たい」ってセリフ、今日日は通用しないかも。
posted by dashi at 22:42| Comment(3) | TrackBack(1) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月04日

脱・飲酒運転

マスコミがこぞって取り上げるテーマには流行があるようで、今は「脱・飲酒運転」が旬ですね。
誰が何と言おうと飲酒運転は本人が悪い。心神喪失で不起訴とか過失致死や過失傷害程度の量刑で片付けられたら、被害者はとても納得出来るものではないでしょう。マスコミがこういうことでキャンペーンを張るのは歓迎したいですね。是非飲酒運転撲滅まで続けてほしいと思います。
愛知県の屋台風焼き鳥チェーン店・あみやき亭は、釜飯など食事中心のメニューにシフト変更を決めたそうですし、居酒屋の中にはキーを預かるところも出ているようです。
酒を提供した方の責任も厳しく問われるようになるなら、おそらく確実に飲酒運転は減っていくでしょうね。

これからはタクシーや代行運転業の需要が増えるでしょう。
以前は野放しだった代行運転業も、今はタクシー並みに普通2種免許取得が義務づけられていて、公安委員会の審査を通って初めて開業出来るそうです。
車の所有者に代わって運転する人(普通2種保持者)とその車のあとについて行き、運転手を乗せて帰る(普通免許のみで可)人の二人のドライバーがいたら出来る仕事。車があればあとは宣伝費と保険料ぐらいですから、わずかな資金で開業出来ますね。
代行運転の料金は各社ばらばらのようで、1キロ1100円から3キロ2000円、待機は10分300円などとあります。安くはありませんが、タクシーと違って車も家まで運んでくれるわけですから、便利ではありますね。

田舎にいる私のいとこは、まだ50代で未婚の子どももいるというのに、重症のアルコール中毒。もともととても頑健な身体に恵まれた人なのに、可愛がっていた息子が事故死したこともあってか、酒量が増え続けていたようです。
どんなに止めても運転をやめないので周囲は困りきっていました。
私が帰省したおりに、たまたま私の父と同じ病院に入院していて会う機会がありました。
肝臓をかなり悪くしていたようで、顔色は肝臓病特有の土気色というやつ。意識が混濁していて私が誰かもわからない様子でした。点滴のチューブを取りたがって看護師さんや付き添いの奥さんを怒鳴りつけ、困らせていました。
もう長くないんじゃないかと密かに思った私ですが、そのあと退院したという話には驚いたりホッとしたり。次に帰省した時に奥さんに会ったので聞いたら、その後酒は飲んでいないし運転もしていないということでした。
飲酒運転で事故を起こす前に断酒出来そうで、奥さんも子どもたちもさぞかし安心だろうと思いました。

過度のアルコールは健康な人間を廃人にしてしまう、毒薬にも匹敵する有害なもの。酔っぱらいの失態に寛大な日本人の感覚は、なんとかするべきだと思っています。
現在公立校の教師をしている私の甥が大学生の頃、飲酒(酒気帯び?)運転で捕まったことがあります。あとで聞いた本人の弁によれば、
「居酒屋でコンパのあと、先輩にバイクを下宿に持って帰ってくれと頼まれた。ずっと押して歩いていたが、疲れたので坂道でちょっと乗ってしまった。ヘルメットをかぶっていなかったから警官に止められた」
お酒は好きじゃないからほとんど飲んでなかった、とノーヘルで「不運だった」と言わんばかり。
飲酒運転で捕まった人たちに多い反応ではないかと思います。
この知らせを聞いた時には、温厚な義兄(甥の父親)が烈火の如く怒りました。
甥に電話をかけていきなりすごい剣幕で怒鳴りつけたそうです。たまたまそばに居合わせた私の娘たちが、優しいおじちゃんの怒る姿を初めて見て「怖かった〜」と怯えていました。
飲酒運転にだけはこの義兄ぐらい、断固とした姿勢で臨んでほしいと思います。
posted by dashi at 22:11| Comment(3) | TrackBack(2) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月02日

代理母の出産

タレントの向井亜紀さんがアメリカ人の代理母に生んでもらった双児ちゃんに、東京高裁は品川区に出生届を受理するように命じました。
その後の報道を見ていると、お涙頂戴、美談仕立ての扱いが気になります。
結婚して妊娠直後に子宮がんが見つかり、子どもをあきらめて泣く泣く子宮を摘出した向井さんは、そりゃあ気の毒です。飲酒運転で自損事故を起こし障害が残ったような事例とは違って、本人に責任はない、完全な不運です。
聡明できれいな人ですし、人柄や生い立ちにも文句のつけようのない、可愛い人だと思います。
不妊に悩む人たち、がん患者の関係者、向井さんやご主人の親族やファン、友人知人、みんな記者会見で彼女が涙をこぼす姿にもらい泣きしたり同情したりしたと思います。
自分の健康とひきかえに失った赤ちゃんへの未練も、人には計り知れないくらい強いものがあったでしょう。

ネバダ州では代理母が違法ではなく、引き受けてくれる人がいた。代理母となった女性は自分で生んだ3人を含め4人の子がいる人で、ネットでやりたいと希望を出していたそうです。
仲介業者の厳密な審査を通った、思想的、遺伝的にも問題のない代理母。報酬で家のローンを払ったそうですから、ボランティアではない、完全に営利事業ですよね。
向井さんの前に日本人の子にチャレンジしたけど、この時は失敗した。今回、無事に着床したあと双児とわかって減数手術を希望したけれど、向井さんがうんと言わなかったそうです。
実際に出産した人でなく卵子を提供しただけの方が母親というのは疑問だけど、生まれたあとすぐ引き取ってずっと育てるのなら、育てる人の方が母親と呼ばれるのにふさわしくはあるでしょう。
子どもたちはもうお話しも出来るくらい成長していて、向井さんのブログには幸せそうな一家の写真も出ています。
そういう意味では、子どもの福祉を優先した高裁の判断も妥当な気はします。

でも、裁判所が「代理母出産を認めた」というのとは、違うと思います。
そうではなく、生まれてもう2歳になる子どもたちに戸籍がないのは子どもの福祉上好ましくない。
代理母が合法のネバダ州で生まれているから、出生自体には問題はない。アメリカの裁判所で親子であることは認められているし、ちゃんとした両親のもと順調に育っている。公序良俗に反しないだろうから、今回は出生届けを受理してあげなさい、ということだと思います。
これで代理母にゴーサイン、と早まらないでもらいたい。
代理母が認められるなら、選りすぐりの優秀な遺伝子同士の子どもを「作ろうと」する人が、ゼッタイ出て来ると思います。人の命を「作ろうとする」行為、遺伝子を操作・選別しようとする行為。SFでおなじみの恐ろしいテーマです。

胎盤を作って血液を巡らし、おなかを切って(帝王切開だったそうです)赤ちゃんを「産んであげる」行為が容認されるなら、自分の意志で二つある腎臓の片方を売りその金で借金を返済しようとする行為(愛媛県の事件のことではないです)が、責められるでしょうか。
インドには片方の腎臓を売った人がたくさんいる「腎臓村」と呼ばれる地域があるそうです。
騙したり脅したりして提供させたり、さらって来た子どもの臓器を売るなど恐ろしいことも横行している国もあるらしいです(ブラジル映画の「セントラル・ステーション」にも出て来ました。昔の話かと思ったら現代だそうです)。
中国では死刑囚の臓器が移植に使われていると話題になりました。
出産は命がけの大事業だと体験上考える私としては、この出生届受理はあくまでも今回特例(上告したら結論は先延ばしされますが)だと思うし、とても「よかったね」と言う気にはなれません。




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2006年10月01日

衛生的な社会

不衛生な環境が原因で、世界では発展途上国の農村を中心に、毎日少なくとも4500人の子どもが死亡しているそうです。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/medical/21545/
以前何かのテレビ番組で見た記憶では、きれいな水がないと身体を清潔にしておくことが出来ないから、感染症を防止することが出来ないそうです。
ろくに洗いもしないものを食べることになりますから、経口で病気が広がることも増えますね。

その番組では、水の少ない地域(中東のようでした)にWHOから派遣されていたのでしたか、無力感におそわれた日本人医師が、まずは水の確保だ、と井戸を掘るボランティア活動をして成果をあげていました。
水源の豊かな日本ではちょっと掘るとすぐ水が出るようですが、日本の何倍も掘らないと水源にたどり着けない、たどりつくとも限らないという話でした。
こういう国に対する援助は、井戸を掘る技術や機械が一番効果的だろうと思いました。
昔、中国の、水が貴重な内陸部を舞台にした「古井戸(原題:老井)」という映画を見た時には、水を汲むために生きているような生活をかいま見て、日本ってなんて恵まれた国なんだ、と感激したことを思い出します。

生まれた時から清潔な環境で育って、シャワーや水洗トイレが当たり前の人にとっては、遠くの井戸から汲んで来ないと飲む水もないという生活は、想像も出来ないでしょう。
今はキャンプ場も水道ぐらい設置してあるところが多いですね。
水道の栓をひねって水が出るのは、そこまで水道管でひいてあるからなのですが、ふだんは意識することもないですね。水道代を払う時になって初めて、水ってタダじゃないんだと気がついたりします。
地震に備えて水を常備するとき、沸騰させた湯冷ましは使わないで下さいと聞いたことがあります。沸騰させた水はカルキ(塩素)が抜けているから、細菌が繁殖しやすいそうです。
カルキを抜くためにとわざわざ浄水器を使っている人は、安全性には気をつける必要がありそうですね。

私が生まれる前の話ですが、姉の一人は赤痢になって隔離されたことがあるそうです。近くの雑貨屋で祖母が買ったさつま揚げにあたったとか。あまりはやってない店で、そこでの買い物はみんな避けていたらしいので、売れずに古くなっていたのでしょう。さつま揚げは魚をミンチにして揚げたものですから、保存料がないと足が早い食品です。
添加物のことを扱った番組で、食品会社の人が
「みなさん保存料を目の敵にされますが、保存料のおかげで食中毒はうんと減ったんですよ」
と遠慮がちに話していたのを見たことがあり、そういう一面はあるのだろうなと思いました。
なるべくなら無添加のものを私も選んで買いますが、催奇性のない安全な保存料の研究も進んでいることと思います。

清潔な工場で無添加のおにぎりを作っている工場もありますね。
昨年、ヘルパーの資格をもらうのに、検便をさせられました。数年前ボランティアで作業所の給食作りに行っていた時も保健所で経験したものでしたが、検査方法が格段に簡単になっていて感動ものでした。
おにぎり工場で働く人は毎月検便するそうですが、ごく簡単なキットがあるそうです。またこの工場では毎朝両手をチェックされ、傷がある人は直接食べ物にさわらない仕事に回るということです。マニキュアも禁止だそうです。
衛生的な社会は、守る人の努力で維持されているんだなあ、と思っています。
適度に不潔な方が花粉症は少ないらしいですが、毎日4500人もの子どもが死ぬような環境は、やはり、なんとかしてあげたいですね。ユニセフの募金はこちらへ。http://www.unicef.or.jp/

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2006年09月06日

皇孫誕生

天皇家に41年ぶりの男子誕生。ほかの番組をすべて中止にしてまで同じことを何度も報道し続けるテレビには、そんな大きなニュースなんだなあとある意味感動してしまいました。カラー印刷の号外も出たようですね。
私も国民の一人として、お健やかな成長をお祈りしたいと思います。
もしかしたら今日9月6日は将来天皇誕生日になるかもしれないのですしね。
秋篠宮妃が「キコちゃん」と呼ばれて取材の記者たちのアイドル的存在だった時代を(間接的にではありますが)知る者としては、あのキコちゃんは実に職務に忠実な、理想的な嫁であるなあと感慨深いです。
本人ももちろんとても努力されたことでしょうが、適性を見極めて求婚し、仲睦まじくやって来られた秋篠宮の慧眼にも素晴らしいものがありますね。

今朝息子をスクールバスまで送った帰りの車中で、速報のニュースを聞きました。
週刊誌の中吊り広告で男子だと書いてありましたが、かたくなに男女平等を貫こうと涙ぐましい(滑稽にさえ見える)努力をしている学校教育をあざ笑うかのような、「男子」であることを強調したニュースでした。
これがもし女児誕生だったらどうなっていたのか、見てみたい気がします。たぶん上のお二人の時と同じような、地味な報道だったことでしょう。
皇室典範の改正が先送りされるだろうとか、これで皇太子妃へのプレッシャーが弱まって病気が良くなるだろうとか、いや却ってプレッシャーは強まるだろうとか、外野はうるさいことです。

私の知る一人っ子のお母さんが、「私、秋篠宮妃より年下なんですよ。可能性アリですね」と笑っていました。
高齢出産になるからとためらっている人が刺激を受けて踏み切るなど、少子化に多少の影響はあるかもしれないですね。ベビー服の会社の人が、みなさんにも次の子を生んでほしいとコメントしていました。
私個人としては、以前にも書きましたが、帝王切開や前置胎盤に対する世間の理解が進み、偏見が一掃されることを願っています。
先月はたまたま私の姪二人がお産をしたので、同い年ということになりました。一緒の時代に育っていく姪の子二人の存在で、天皇家の人たちがぐっと身近に感じられます。

このビッグニュースで一番トクをしたのは、偽装設計の姉歯もと建築士でしょうか。
ホリエモン初公判ではあんなに大騒ぎしたマスコミも、姉歯初公判のニュースは申し訳程度の扱いです。
地震があったら人が死ぬのはわかっていたけど、それまでに金を稼いでおこうと思っていたとか。虚偽の証言で濡れ衣を着せられた木村建設の東京支店長が、取り調べで20キロも痩せた哀れな衰弱ぶりが印象に残っています。
皇孫誕生のニュースのおかげで初公判をこっそり乗り切った感じ、つくづく運のいい人だと思います。でももう夜道はもちろん一人歩きは無理でしょうけどね。
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2006年09月05日

死後生殖

「無茶苦茶でござりまする〜(古い)」と言いたくなるような裁判です。
夫の死後、凍結保存していた夫の精子を使った体外受精で出産した女性が、子どもを亡き夫の子として認知するように求めた上告審。
最高裁は認知を認めた2審を破棄、請求を棄却しました。これで法的な親子関係は認められないことが確定します。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060904-00000007-yom-soci
この種の裁判で最高裁の判決が出たのは初めてで、今後ほかの裁判に与える影響は小さくないでしょう。
補足意見で「早急な法整備が求められる」と指摘されたそうですが、こんなことまで法の網でしっかり押さえないといけないというのも、ご苦労なことと思いました。

夫が死亡した場合、保存している精子は速やかに処分されるべきだ、とさっきラジオで言っていましたが、私も同感です。この裁判の事例の場合は、体外受精を行った医師は夫の死を知らなかったらしいですね。
人間の精子をゴミ扱いして捨てていいのか、という倫理上の問題もあるでしょうが、それはともかくとして……。
いくら愛し合っていて二人の子どもがほしかった夫婦と言えども、片方が亡くなった時点でそれは叶わぬ夢と諦めなければならないと思います。
2年も前に死んでしまった人の精子で受精するなら、子どもは最初から父親の顔も見ることが出来ない運命。父親を知らずに育つ、子どもの人権はどうなるのだと思います。
認知をするべき人間がこの世に存在しないのに、いったい誰が認知出来るのでしょうか。

精子と卵子が出会って受精したら新しい生命は出来ます。でも生まれさえすれば即人間になるってものでもない。
周囲の人間に愛情を注がれ充分なケアを受け、いろんな人の影響を受けて人格を作り上げていく。思春期の親殺しの時期を経て大人になっていきます。
親にはそこまで育てる義務があると思います。とても責任の重い、大切な仕事です。
父親はいないけど大丈夫、と勝手に決めないでほしい。

赤ちゃんの横に山のような札束を積んだって、赤ちゃんは一人では生きていけない。深い愛情を持って豊かな情操を育てる両親に育てられるのでなければ、生まないでほしいと私は思います。
私自身は離婚したので、父親の愛情をほとんど知らずに育った子どもたちに、すまないことをしたとずっと思っています。でももちろん、子どもを生む時には夫と別れるつもりは毛頭ありませんでした。
最初から影もかたちも無い人の子どもとして誕生させるのは、一種の虐待だと思います。幼いうちはともかくとして、難しい思春期には本人もかなり悩むのではないでしょうか。

凍結保存した精子が大量にあって、何人もの女性が体外受精に成功した。そして生まれた子は全員認知してもらえたと仮定します。
そして亡くなった男性が大資産家で、本妻や子どももいたとする。
本妻の子でなくても認知されたら実子ですから、自称内縁の妻の子が大勢で遺産相続に名乗りをあげたら、面倒なことになるでしょうね。本妻も裁判を起こしそうです。
法整備が科学の進歩に追いつけない事態というのも、困ったものですね。科学も暴走しないでほしいものです。
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2006年09月03日

ボトルネック踏切

駅の近くの踏切を通りかかったら、ちょうど警報が鳴り出したので足を止めました。横にいた車はあわてたようにスピードを上げて、遮断機が下りる前に渡っていきました。
この踏切は駅構内に入った電車が発車して通り過ぎるまで閉まっていますし、反対方向から駅に向かう電車も停車のために減速するので、いずれにしても長く閉まります。時間帯によっては上下二本の電車が通り過ぎたあとまた次のがやって来て、えんえんと待たされることも珍しくありません。
私がこの踏切を渡るのはたいてい息子と散歩がてらのんびり歩いている時。急がないので「あの電車がそろそろ出そうだね」などと息子に声をかけながら(無視されるのですが……)見物しています。
でもこの近くに住んでいて必要に迫られている人なら、毎日この踏切を渡るのはストレスだろうなと思います。

駅のすぐ近くの踏切なので、駅で事故があったり前の電車が遅れていて中に入れない時は、踏切の上で停車することもあります。そういう時は警報も鳴りっぱなしなので、近所の人は迷惑なことですね。
もう何年も前のことですが、この踏切で事故があって、そのために駅の向こう側にあるもっと大きな踏切が長時間開かなかったことがありました。そして、待ちきれずに踏切に入った婦人が二人、反対側から走って来た電車にはねられて即死。
大きな方の踏切は立体化工事が遅々として進まないでいたのですが、この事故のあとあっという間に橋がかかりました。
亡くなった人の死が無駄にはならなかったわけですが、遺族からしたら、そんなにサッサと出来る工事ならどうしてもっと早くしてくれなかったんだ、と悔しいでしょう。
東京の方でも似たような事故がありましたが、橋をかける工事はまだ着手もされてないという話ですね。

JR戸塚駅そばの踏切を初めて通ったとき、東海道本線、横須賀線の数本の線路を次々と電車がやって来て、あきれるくらい長く待たされました。たっぷり20分はたち、いつの間にか私のまわりにはたくさんの人が立っていて驚きました。みなさん慣れた様子で、じりじりしている人は見当たりませんでした。
踏切を渡らなくてもいいように、少し先の駅には連絡通路もあるし車は遠回りして橋を渡っているようです。それでもやはり、こんな開かずの踏み切りにはエレベーターつきの橋をかけるか、地下道を掘るべきではないかと思いました。
事故などで踏切が閉まりっぱなしの時には、迅速に人員を配置して手旗信号などで歩行者を誘導するべきではないでしょうか。約束の時間に遅れそうだからと遮断機をくぐった母子がいましたが、防げた死だと思います。

ところで開かずの踏切とは、ピーク1時間当たりの遮断時間が40分以上の踏切のことをいい、全国に約500箇所もあるそうです。その内訳は東京都53%、大阪府20%、その他の三大都市圏(首都圏、近畿圏、中京圏)26%に集中していて、それ以外は1%しかありません。
この開かずの踏切と、踏切交通遮断量(1日交通量×踏切遮断時間)が5万台時/日以上である踏切(例えば、1日に1万台の車が通り、かつ5時間遮断機が下りる踏切)を併せて、ボトルネック踏切と呼んでいます。
こちらは全国に1,000箇所、東京に360箇所あるそうです。
ボトルネックとは瓶の首の細くなったところ。「(瓶の狭い口が中身の出入りを窮屈にすることから)支障となるもの。隘路。『事業拡大のーー』」と広辞苑にあります。ネックと略されることもありますね。
たしかに、そこで瓶の口みたいに人や車が詰まるわけですから、うまいネーミングだと思います。(ボトルネック橋梁、という言葉もあります)

国土交通省のHPによれば、ボトルネック踏切1,000箇所のうち約半分について、平成22年度までに立体交差化などにより改良の計画があるようです。
http://www.mlit.go.jp/tetudo/anzen/07_03.html
地元住人にしてみれば、22年と言わず今すぐやってほしいでしょうし、残りの半分もすぐにでも何とかしてほしいものですね。
ここに引っ越す前のサイトで書いたことがあるヒヤリハットの法則によれば、(http://blog.goo.ne.jp/kimuraminori/e/11919b90470e2bf836d6d412b1512b3b)、「重大な災害1件の裏には29件程度のかすり傷程度の事故があり、さらにヒヤリ、ハッとした事態が300件ある」といいます。
ボトルネック踏切で遮断機をくぐって危機一髪だった人、きっとすごい数なのでしょうね。
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2006年08月28日

子どもの事故

このところ、小さな子受難の事件が続きました。水難、火事に虐待、交通事故。
先日飛行機に幼いきょうだいが乗っていて、よく回らない舌でお母さんに話しかけていました。お揃いのシャツを着てよく笑い、なんて可愛いんだと思いました。
幼い子はその可愛さを武器に育ててもらうのだなあと実感した次第。自分では何も出来ない子は、周囲に庇護されないと生きていけないわけですからね。
そんな可愛い盛りに落命した子どもの事故は、痛ましさもひとしおです。

命までは落とさなくても、人生始まったばかりなのに一生ひきずる障害が残るようなケガをした子どもも哀れです。
業務用のシュレッダーで指を無くした子の将来も、気の毒で言葉もありません。親指以外の全部と報道されているのを聞きましたが、今の医学をもってしても、シュレッダーを通ったものを再生するのは無理に思えます。
シュレッダーを製造した会社も、子どもが手を入れることは想定外だったのでしょう。業務用の機械には危険なものも多いですが、そういうことは子どもにはわかりませんからね。
結局は周囲の大人が気をつけるしか、事故の防ぎようはない気がします。

長女がまだヨチヨチ歩きの頃。夫の実家に行っていて、誰かを見送って玄関のドアを閉めようとした時のことです。厚い一枚板のドアで、閉める時は手前に引くようになっていました。
閉めて鍵をかけようとしているのに、ドアがうまく閉まらないのです。ヘンだな、と思いながらぐいと引こうとすると、思いがけず子どもの泣き声が。驚いて横を見るといつの間に来たのか、娘がドアの蝶番のあたりに指を突っ込んでいるではありませんか。
血の気が引くとはあのことです。急いでドアを開いて手をはずし、夢中でさすりました。娘の小さい指にドアの角の筋が赤く残っていました。骨が折れてないかと指を曲げさせて、ちゃんと曲がるのにホッとしたものでした。

長女は指を縫ったことも一度あります。缶詰を開けたところに宅配便が来て目を離したすきに、乳児の娘が缶詰のフタにさわって指の付け根を切ってしまったのです。
初めて見る子どもの血にすっかり動転した私でした。まだ引っ越しして間もなく、近所に知り合いもいなかったこともあります。
娘を抱きかかえ半べそかいて病院に行き、外科に行くように言われて市電に乗りました(血は止まっていました)。日曜だったので遠くの当番医のところへ行ったのです。
そこでひと針縫ってもらい、抜糸と消毒のために後日また行きました。
おかげであとも残らず綺麗に治りましたが、のちに落ち着いて考えると、縫うほどの傷ではなかったと思いました。

前にも書いたことがありますが、この子はオーブントースターから出したばかりのチーズトーストに指を突っ込んで軽く火傷したこともあります。今思うと指ばっかりですね。
下の二人の時はこんなことは全くなかったので、やはり親も経験を重ねて育児のツボを心得ていくのでしょう。
親ばかりでなく、すべて子どもの世話にあたる人には、ある程度の経験があった方がいいと思います。

昔、郊外の地下鉄の駅(地下ではなく明るく開けたところ)に遊びに来ていた託児所のグループに遭いました。そこは出来たばかりの駅で、転げ回っても汚くないような綺麗なところでした。
まだハイハイの赤ちゃんが、一生懸命駅の階段を下りています。そばを通りかかって私がぎょっとしたのは、ついている若い保育士さんが赤ちゃんの上側にいたことです。
「下に行きなさいよ! 赤ちゃん、落ちたらどうするの?」
思わず声を荒げてしまいましたが、当の保育士さんは悪びれた様子もなくニコニコしていました。
赤ちゃんがケガをしてから危険を悟るのでは遅いのですけどね。
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2006年08月19日

外国人実習生

18日夕方、千葉県木更津市の養豚場で、中国人の農業研修生が、県農業協会職員や研修の仲介をした人材派遣会社の社員、通訳の男女3人を次々と刺し、一人が亡くなるという事件がありました。刺した本人も殺虫剤を飲んで自殺を図り、入院して手当を受けているそうです。
http://www.excite.co.jp/News/society/20060818214800/20060819M40.101.html
殺人はもちろん許すことの出来ない卑劣な犯罪、自分も運命をともにしようとしたからといって同情するわけにはいきません。でも、その中国人をそこまで追いつめたものも、きちんと検証されるべきだと思います。

日本の進んだ技術を研修するという名目で外国からやって来て、実際は低賃金の住み込みで単純な肉体労働を強いられている人たちの存在は、もう何年も前から話題になっています。
17日朝日朝刊では、ちょうど「低賃金で酷使される外国人実習生」の実態が報道されたばかりです。
http://www.asahi.com/life/update/0817/003.html
研修生というのは実務研修をする人であって、就労資格は認められていない。けれど研修生から移行した実習生は労働関係法令の適用を受ける労働者です。

本来、技能実習生は受け入れ企業との間で雇用関係が認められ、労働基準法、労働安全衛生法、最低賃金法、労働者災害補償保険法、雇用保険法などの労働関係法令が適用されることになっているそうです。日本人が働くのと同じように雇用契約を結んだ労働者という位置付け。働いている人たちは日本の高賃金(貨幣価値が違いますから)を期待して、2年間の出稼ぎに来ているのだと思います。実修生として来る人もその後実習生に移行するつもりなのではないでしょうか。
日本に渡航する費用だって、中国の相場ではかなりの大金のはず。ブローカーが中に入るとさらに高くなるでしょう。
その費用は親戚に借金して来ているのではないでしょうか。そうだとしたら、働きが悪いから帰れと言われても、ハイわかりましたとは言えませんよね。

外国人実習生の実態は目を覆いたくなる劣悪な労働環境で、
※技能実習生に移行する時点で、労働条件を明示せず書面(雇入通知書)を交付しない(労働基準法第15条違反)
※賃金控除に関する労使協定を締結しないで、賃金から住宅費、光熱費、食費などを控除している(同24条違反)
※時間外労働に対し、法定割増賃金を支払っていない(同37条違反)
※最低賃金を下回っている(最低賃金法第5条)
などなど、残業代わずか300円といった、タコ部屋も真っ青の生活を強いられている例も少なくないようです。
この養豚場の労働条件は知りませんが、雇用側は働きが悪いと言い、被雇用側は賃金が安いと言っていたそうですから、お互いの思惑に大きなズレがあったのは否定出来ないでしょう。

不法滞在の外国人労働者をなくして、ちゃんとした労働環境の下で外国人労働者を受け入れようという方針自体は間違っていないと思います。
危険な職場で大けがして障害を負っても、不法残留者では補償どころか治療もろくに受けられない。病気をしても売薬でごまかして重症化させる。医療費を踏み倒したり、犯罪に走る人も出て来るでしょう。
そういう事態を生む、経済格差につけこんで安く上げようという卑劣な姿勢は許されるべきではありません。
ちゃんとした雇用契約の下で賃金や休みが保障されていれば、みんな安心して働けると思います。そうなってほしいですね。
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2006年08月15日

8月15日

きょう8月15日は61回目の終戦記念日でした。
小泉首相の靖国神社参拝ですっかりかすんでしまいましたが、全国各地で戦没者追悼式などの式典が開かれ、世界の平和を祈る人たちの姿が見られました。
先ごろ東京大空襲で被災した人たちが賠償を求めて訴訟を起こすと報道されましたが、戦後61年たってもまだ終わらない人もいるのだなあ、時効はどうなるのかなとその行方が気になりました。

きょうは外出していて見なかったのですが、「徹子の部屋」に野球評論家の張本勲さんが登場して、広島で被爆した体験を語ったようです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060808-00000068-sph-ent
爆心地から1.5キロの自宅で被爆したとき張本さんは5歳。母親が覆いかぶさってくれて命拾いしたけれど、6歳上の姉は目の前で亡くなったそうです。
昨年末にNHK広島のローカル番組で告白するまでは原爆手帳を持つ身であることを公表して来なかったのですが、戦争の記憶が薄れていく世相に危機感を持っての出演となったようです。

声帯模写の江戸家子猫さんのお父さん、故江戸家猫八さんはたまたま広島の部隊にいて被爆した人でした。事後処理に当たったそうですから残存放射能はたくさん浴びたでしょうね。
列車に乗って広島を離れようとしていた時、列車が数分ごとに大きな音をたてて止まり、しばらくして動き出すということが続いたそうです。車掌さんに聞いたところ、次々と身投げをする人がいるという話だったとか。
原爆で即死はしなくても、絶望して死を選んだ人も多かったのでしょう。

私の中学校に長崎で被爆した英語の先生がいました。ぴかっと閃光が走ったのでサッと机の下に隠れたそうです(小柄で敏捷な人でした)。しばらくして出てみたら、周りにいた人はみんな死んでいたと淡々と話していました。
原爆が続けて二つも落とされたことで日本の降伏が早まったことに異論はないでしょうし、アメリカでは戦争の終結を早めたとして原爆投下を正当化する論調が主流だそうです。
しかし実際に原爆を体験した人たちにとっては一生忘れられない地獄絵図、とても諦めたり肯定出来るものではないでしょう。

中国や南方に4回も駆り出された私の父は、「この世は地獄だと思っている」と母に語ったそうです。
野生のキジを仕留めるのは上手かったそうですから、銃の扱いには慣れていたのでしょう。人を撃ったことはないと言っていましたが、命からがら逃げたり、目の前で船が爆発するような修羅場を何度もくぐったようです。
インドネシアの部隊にいたとき、飛行場建設のために近くの島に行かなければならなかったのだけど、子どものいない若い人に代わりに行ってもらったことをずっと気にしていました。
今となっては認知症となった父から戦争の話を聞くことも出来ません。元気で頭脳明晰で体験談を語れる人はもう少なくなったかもしれませんね。
61年の歳月は短くありません。これだけ続いた平和な日々が、これからもずっと続けばいいのですが。
posted by dashi at 23:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月05日

冤罪

きょう、ヒッチコックの作品の中でまだ見ていなかった「間違えられた男」を見ました。
ヘンリー・フォンダが主演、実話に基づいた話だそうです。
家族思いの真面目な男が、ある日突然連続強盗犯として逮捕され、裁判にかけられる。
アリバイを証明してくれるはずの証人が死んでいた不運もあって、目撃証言だけで犯人に仕立て上げられる。
保釈金など借金はかさむし、愛妻は精神に異常を来すなど、冤罪によってひどい目に遭います。
一見そっくりな男がまた強盗をやって捕まったから一件落着。
精神病院に入っていた妻も2年後には退院して、その後はマイアミで幸せに暮らしたそうですが、真犯人が現われなかったらどうなっていたでしょうか。
1953年の話でずいぶん昔の映画ですが、テーマは今に通じるものがあると思いました。

先ごろ岩手県でこんな事件がありました。
http://people.ne.jp/2006/07/02/print20060702_61085.html
無実の男性が、東京都世田谷区で起こったひき逃げの犯人として逮捕された事件です。
後輩の男二人が口裏を合わせて、なんの関係もない、その車に乗っていない先輩を、ひき逃げした車の運転者に仕立て上げた。
先輩の男は、二人が事件を起こしたことを聞いていて、出頭すると言うのを信じていたそうです。自分が逮捕されたときも、事情はわかっているから焦りはなく、ちゃんと話せば誤解は解けると思っていたらしい。
ところが警察、検察は聞く耳を持たず起訴、無実の先輩は10ヶ月もの長きにわたり勾留されてしまいます。
冤罪が解けたのは、無罪を信じる友人が事故車を見つけてくれたからとか。

人間は思い違いも見間違いもすれば、ウソもつきます。だからこそ客観的な物証が重要とされているのに、証人の言葉だけで罪人が作り上げられる恐ろしさ。
痴漢と言われて逮捕される人の中には、無実の人も多いと聞きます。無実だけど罪を認める人も少なくないらしい。
あとの負担を考えたら罪をかぶる方が(前科がないなら)ラクという事情があるようですね。それでも家族や場合によっては勤務先にも知られるでしょうから、家庭崩壊や解雇につながる可能性もないとは言えない。とんでもない濡れ衣に眠れないくらい悔しい思いをすることでしょう。
誰かを陥れるために、意図的に痴漢に仕立て上げるのも簡単だと思います。
満員電車に乗ったら両手は下ろさないとか、女性のそばは避けるなど自衛している人もいるようですね。

今でもあるくらいだから、冤罪事件は昔からありました。
冤罪と言われて有名な帝銀事件は、再審請求が認められないうちに本人が獄死してしまいました。私が生まれる前の古い事件ですから、帝銀事件と言ってももう知らない人が多いでしょう。
冤罪事件として私がよく覚えているのは(事件自体はこれも私の生まれる前ですから、よく知りませんが)免田事件と財田川事件です。
二人とも何回も再審請求をして、やっとのことで勝ち取った無罪判決(免田事件が史上初)だったと記憶しています。
事件についてはこちらをどうぞ。
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage113.htm
財田川事件では無罪を勝ち取るまでに33年11ヶ月の歳月を要したそうです。

財田川事件で無罪となったのは「証拠不十分」であると当時報道されました。一緒にニュースを聞いていた知人がそのとき
「ホントはやってんだよ。証拠が足りなかっただけだろ」
と吐き捨てたのが強烈に印象に残りました。
無罪判決を得て金銭的な補償は受けるとしても、その後をこういう世間の冷たい眼と闘いながら生きていかなければならない人の辛さが思われました。
2005年に心不全で亡くなったそうですが、19歳から過ごした塀の外に出る価値のある、幸せな余生だったのかどうか気になります。釈放されたあと知人の家でばら寿司のおにぎりを5つ立て続けに食べ、兄と祝杯をあげたそうですから、外に出た喜びは満喫出来たかもしれませんね。
一回しかない人生を台無しにする冤罪、二度と生まないでほしいものです。
posted by dashi at 21:45| Comment(3) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月02日

アルバイト

今の世の中って、熟練工といわれる人たちや、豊かな経験を持つ人の存在を、あまりに無視していないだろうか。人件費を安く上げるために、安易にアルバイトやパートに頼り、社員教育をおそろかにしすぎてはいないだろうか。
年功序列制度が崩れるのは仕方がないと思う。無能な役員に「給料泥棒」と陰口を叩いたことのある人は多いだろう。長年勤続したからと言って必ずしも会社に貢献するとは限らない。
でも、世の中の仕事がすべて「誰にでも出来るもの」であるとは言えない。若いアルバイトには気がつかず判断を誤ることもあるだろう。そういう時のために年長の現場責任者がいて、ちゃんと教育し、監視の目を光らすべきなのだ。

高校生が初めてアルバイトをするならマクドナルドがいいと聞いたことがある。
社員教育をみっちりやってくれて、親に出来ないしつけをしてくれるらしい。疲れると能率が落ちるから、わずかな時間しか働けないとも聞いた。働いている人間の顔が見えない、という言い方もヘンだけど、ジグソーパズルの一片のような使い方に思える。
これらはすべて企業に都合のいい合理化ではあるけれど、しつけの厳しいアルバイトはその後の仕事に役に立つだろうし、命はかかってないからまだいい。

プールの監視員はそうではない。泳ぎに来ている人の命を預かっている、責任の重い仕事である。
大半の監視員は高校生のアルバイトだったという、今回事故を起こしたプールの管理会社には、その自覚があったのかどうか。市から受注したプールの管理を下請けに丸投げしていたそうだから、ちょっと間違うとたちまち人命にかかわるという危機感は全く持ち合わせていなかったとしか思えない。
監視員の教育も下請けに任せていたとか、いったいなぜそんな会社が管理を受注出来るのだろう。
少し年をとった人なら、プールの吸水口の格子に足をはさまれた子どもが水死したり、吸水口の格子に吸い付けられた子が何人がかりでひっぱっても動かなかった(結果は水死)という事件をご記憶ではないだろうか。

事故の直前に、ふたが外れているのに監視員が気づき、近寄らないように注意していたという。
そのときすぐに排水を止め、プールから出るよう指示していれば事故は起こらなかったはず。
よちよち歩きの幼児ならともかく、たった1mしかないプールで溺れるなんて、誰も思わないだろう。まさかふたのはずれた吸水口に、いきなりすごい力で吸い込まれるなんて、まるで映画の世界だ。
プールの吸水口は危険な場所であるという認識がなかったのは、そういう事故の記憶がない若いアルバイトだったから。そういう危険があるときちんと認識させる、教育がなされていなかったからだと思う。
危険な場所だからボルトで固定していた。それがなくなったから針金で代用なんて、そんなことを平気でしていたのも下請けに薄給で雇われたアルバイトだったからだろうか。
可愛い盛りの子どもを殺してしまったずさんな管理、救いのない事故で心が痛む。

(きょうは気分を変えてである調で書いてみました。やっぱり明日からですます体に戻します)
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2006年07月31日

飲酒運転

浜松で、検問を突破して逃げていた酒気帯び運転の車が、パトカーを振り切ろうと信号無視して交差点に入り、一人死亡二人に大ケガを負わせる事故。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060730-00000105-yom-soci
私の知る人にも最近、高速道路で飲酒運転の車に追突されて車が横転、亡くなるという事故がありました。
被害者だけでなくその遺族の人生設計を無茶苦茶にして償いようがないこと、取り返しのつかないことをしでかしたこと、自覚してほしいです。

今は飲酒運転が見つかると即免停、罰金も6桁の金額だそうですね。危険運転致死傷罪が出来てからは、業務上過失致死傷よりはるかに刑期も長くなりました。
罰則が強化されてから飲酒運転自体は大幅に減ったという話ですが、なくなりません。理性が働かない分乱暴な運転をするから、事故となると大惨事になるようです。

きのう話題になっていたのは、泥酔状態で運転して帰ろうとする男(その後ひき逃げで若い女性死亡)を制止しなかった同僚にも、責任を問う判決が出たことでした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060729-00000006-maip-soci
危ないから乗るなといくら止めても聞かなかったら、どうすればいいんでしょうね。キーを取り上げるのも手こずりそうです。
この同僚の場合は、相手が年長だから注意しにくかったという事情もあるようです。

認知症の父親が運転をやめないからとうとうバッテリーをはずした、という話を聞いたことありますが、酔っぱらいも運転させないのは難しいでしょう。警察に通報したら対応してくれるのかどうか。
運転者がアルコール臭い息だったらエンジンがかからないというシステムを義務化するしかないのかなと思います。カーナビよりこっちを優先するべきかもしれませんね。一滴も飲まないドライバーや、飲んだら乗らない主義の人も少なくはないでしょうけど。

それにしても、一時は全く見かけなかった駐車違反の車や、携帯で話しながらのドライバーも、最近はよく見かけます。
のどもと過ぎたら熱さを忘れる、ってヤツで、まさか自分は摘発されないだろうと高をくくっているのでしょうか。事故を誘発するのは間違いないのですが。

娘の友人に、バイクの事故で親友を亡くした人がいて、自分は一生二輪には乗らないと言っているそうです。同じようなことがあっても、このように「教訓を自分の人生に生かす」「自分のこととして考える」人ばかりでないから、事故はなくならないのでしょうね。
飲酒や寝不足は自殺行為。車は走る凶器であることを自覚してハンドルを握りたいものです。
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2006年07月28日

肝移植

肝移植に関する気になるニュースが二つ続きました。
昨年の11月、夫に肝臓の一部を提供(生体肝移植)した女性が、医療ミスにより半身不随になったというニュース。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060724-00000186-kyodo-soci
さんざん悩んだ末に、苦しい思いをして乗り切った移植手術でしょうに、提供を受けた夫は今年3月に死亡、ドナーは半身不随と悲惨な結果になりました。

もうひとつは、99年にドミノ肝移植を受けた患者が、20〜30年後の発症と予測されていた神経難病FAPを、手術から6年半で発症したというニュース。
http://www.asahi.com/health/news/TKY200607260758.html
日本で初めてドミノ肝移植を実施したときの報道を私も覚えています。
肝移植を受けて摘出したFAP患者の肝臓を、ほかの患者に移植すると聞いて、
「そんな、使えなくなった病気の肝臓を移植するわけ? 病気にならないの?」
と頭をひねったものでした。
もともと治療法がないからと肝移植して不要になった肝臓、健康な臓器のようにはいかないのは当然の話。

ドミノ肝移植は、すぐにも肝臓を移植しないと命の危険がある人に、脳死の肝臓提供を待っていられなくて緊急避難的に始められた手術ということです。治療法がない難病で摘出した肝臓ながら、肝臓の機能としては問題がないので、発症が予想された20〜30年の延命のために行われた手術ということですね。
欧州でも6年後、8年後の発症が報告されているそうですから、20〜30年という予測が誤っていたということかもしれません。
日本ではこの手術はすでに28例実施されていて、救われた人も少なくないのでしょう。発症の早かった人は不運ということなのでしょうか、お気の毒なことです。

腎臓と角膜以外の臓器は酵素不足に弱いため、心停止して新鮮な酸素が供給されなくなると、すぐ細胞の崩壊が始まります。腎臓は死後一時間はもつとされていますが、それでも心停止前に摘出した方が移植の成功率は高くなるそうです。
まだ血液が循環している脳死の状態で臓器提供が求められるのは、そういう事情ですね。
日本では脳死提供の臓器が少ないからとアメリカなどに出かけて移植を受ける話もよく聞きますが、米国・カナダで脳死と判定された3人が、日本帰国後に意識回復というショッキングなニュースもありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060726-00000069-mai-soci&kz=soci
脳死判定に対する考え方が、日本とはだいぶ違うようです。

生体肝移植と言えば、政治家の河野洋平氏が息子の太郎氏から提供されて手術を受けたこともありました。
その報道の際、ドナーとなった太郎氏が、生体肝移植したことを「美談にしてほしくない」とコメントしていたのが印象に残りました。
健康体の人がドナーになるわけですからやはり危険で、洋平氏自身もずっと反対していたそうです。あまり真似してほしくないようでした。
親族のプレッシャーに負けて、気が進まないままドナーになる人も中にはいるような話も聞きます。
そうとうの覚悟の上で臨む手術、せめて医療ミスで台無しにするような事態は絶対繰り返されないことを願っています。
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2006年07月26日

怒り心頭

慣用句が誤った言い方、使い方をされる例はよくありますが、「怒り心頭」に続く言葉も、誤用の「怒り心頭に達する」と思い込んでいる人が7割を超えているそうです(文化庁調査)。
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20060726-66397.html
私も普段、「怒り心頭」という言い方はするけれど、「怒り心頭に発する」と正しく言った事はないような気がします。
「発する」と知っている人はわずか14%ということですから、悪貨は良貨を駆逐するじゃないけど、いずれ「達する」も<誤用>と注釈つきで辞書に載る日が来るのかもしれません。

さて最近は怒り心頭に発する事件が次々と起こりますが、中でも私が一番許せないのがパロマ湯沸かし器の事故です。
百歩譲って、製品には何の欠陥もなく不正改造で事故が起こったにしても、最初の死亡事故が起こった時点でパロマは迅速で適切な対応、厳しい再発防止策を取るべきでした。
同じような事故がまた起こるかもしれない、と関係者の誰も考えなかったのでしょうか? 
一酸化炭素は無色無臭、わずかな濃度で死に至らしめる危険なものであること、安全装置が作動せずに不完全燃焼に気づかなければその一酸化炭素が発生することを、ガス屋の元締めが知らないわけはないでしょう。

自分たちが作っている器具が、恐ろしい殺人マシンに化す危険があるという認識が、ほんとうに、なかったのでしょうか? 殺したと思わなかったんでしょうか。 
死亡事故の報告が入る度に、良心は痛まなかったのでしょうか。
不正改造をしたヤツが悪いんだ、ちゃんと換気をしなかったからだと、歯牙にもかけなかったのでしょうか? 事故が続発するのをどうして指をくわえて見ておれたんだ、と遺族ならずともつるし上げたくなりますね。
警察も、一酸化炭素中毒死と把握しておきながら、どうしてもっとPRしてくれなかったんでしょう。管内で続発しない限りは気にならないんでしょうかね? マスコミにちょっと流せば防げた死もあったでしょうに。

不正改造だけではなく、製品自体にも問題があったこと。問題があるのを認識しておきながら、法で定められている7年を過ぎたら修理用部品の製造を打ち切っていたことも明らかになりました。
決して安くはない給湯器の寿命を7年と見るお役所仕事にも呆れますが、おそらく修理の需要があることは承知の上で、利用者のことは考えずに部品製造を打ち切るという企業姿勢には、信じられない思いです。
なるべく買い替えずに修理して長く使いたいと考えるのは、消費者として当然ではないでしょうか。
修理しようにも部品がないなら、応急処置で間に合わすしかない、そう望まれる場合も多いと思います。不正改造はそういう背景で行われたのではなかったのでしょうか。
刑事事件としてパロマに問えるのは業務上過失致死傷の罪だけで、それも大半は時効にかかっているとも聞きます。
民事で争うしかないらしいですが、「カネなんかいらないから息子を返せ!」と叫ぶ遺族の姿が見えるようです。

社名となったPalomaはスペイン語で鳩のことだそうです。平和のシンボルとして愛されている鳩に、平和で豊かな暮らしの願いをこめて決定したそうですが、今となっては白々しく聞こえますね。
パロマはアメリカのガス会社を吸収合併(?)して、アメリカでは給湯器は40%のシェアがあるそうです。今回、謝罪せずにまず「不正改造をしたからだ」と主張したのは(シンドラーエレベーターを彷彿とさせます)、アメリカナイズされていたからなんでしょうか。
日本ではリンナイに次ぐ20%のシェアということですが、上場もしていない同族会社。閉鎖的になっていたという事情はあるかもしれませんね。
こんな非良心的な企業に見殺しにされた人の無念を思うと、ホントに怒り心頭です。


以下余談、社名について。
日本で給湯器40%のシェアを持つリンナイ。社名の由来は、創業者「林」兼吉と「内」藤秀次郎の名前から。
No.3のノーリツ。昭和26年に創業者太田敏郎が、植松清次が開発した家庭用風呂「能率風呂」の製造を手掛ける「能率風呂工業」を興し、昭和43年に社名を「ノーリツ」に変更したそうです。
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2006年07月25日

長寿者社会

きょう制限速度60キロ、準高速道路という感じの道を走っていたら、前の車がやけにノロい上に左寄りを走るのに気がつきました。
そこの部分は2車線ですが、少し先に分岐点があるのでほとんどの車は右の本車線を利用し、私も前の車も右側を走っていました。
「前の車、ヘンじゃない? 車間距離とった方がいいかも」
同乗していた娘の言葉にうなずき、減速して離れたら、前の車はますます左に寄り車線境界線をはみ出してしまいました。

左側車線を走って来た大型トラックが後ろから迫るのに、右側に戻ろうとせず、左車線に飛び出したまま。トラックも左側いっぱいに寄ってよけたようでしたが、道路が狭くて高い防音壁に囲まれ、おまけにゆるやかな左カーブ。
私も思わず「危ない!」と叫んだくらい接近して、もう少しでぶつかるところでした。
よく見たら紅葉マークがぶら下がっていて、娘に聞いたら運転しているのはかなりの高齢者だったそうです。
車線が増えたところで追い越して先に行きましたが、ミラーで何回確認しても、そのあとその車はいっこうにやって来ませんでした。途中で曲がったのかもしれないけれど、事故ったのではないかと気にかかっています。

きょうの昼間には、横浜市役所の駐車場に車を停めようとした80代のドライバーが、アクセルを踏みすぎて市役所に突っ込むという事故を起こしたそうです。
幸いケガをした人はいなかったようですが、歩行者でもいたら惨事になるところでした。
高齢ドライバーの危なっかしさについては以前にも書いたことがありますが、自分で運転しないとどこにも行けない、電車もタクシーも高いから払えない、という事情の方も少なくないでしょう。
今の制度ではホームヘルパーが運転をするのは禁止されていますが、業務でない雑用程度の運転は出来るようにならないものでしょうか。ヘルパーに代行してもらえたら自分では運転しないという高齢者も増えると思うのですが。
これから日本の高齢化は確実に進むのですから、高齢者が安心して暮らせる社会を用意したいものですね。

今日のニュースによれば、日本人の平均寿命は女性85.49歳で21年連続の世界一。男性も78.53歳で香港、アイスランド、スイスに次ぐ世界第4位ということです。
http://www.sankei.co.jp/news/060725/sha077.htm
長く生きられればいいってもんじゃないことは、平均寿命が6年ぶりに縮んだという背景に自殺の増加もあるという現実に現われていると思います。今は高齢者にとって肩身の狭い時代かもしれません。
それでもこれだけ長生き出来るというのは、戦争や飢餓が(ほとんど)なく感染症の少ない住み良い国だからであることは確かですね。有り難いことです。
今の若い人は粗食じゃないから長生き出来ないと言う人もいますが、さて、どうでしょうか。

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2006年07月15日

依存症

大阪大学の学生が母親をハンマーで殴り殺した事件は、
「24歳にもなって情けない、とか、お兄ちゃんたちはあんなにしっかりしているのに、ぐらいはどこの母親も普通に口にすると思う。いったい何がいけないのだ?」
と母親の立場にある者の胆を冷やしたと思います。母親に落ち度があるとは思えず、強いて言えば叱るより自立を促すべきだったのかもしれないけど、可愛い末っ子(?)ですから甘くなるのは無理もないところ。
きょうの報道によれば、青年が「パチンコ・パチスロ依存症」であったことが事件の大元のようですね。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/murder/?1152946564
息子は依存症である(本人も辛い)という認識を持っていれば、あるいは殺されることはなかったかもしれないと思いました。

パチンコ等ギャンブルへの過度なのめり込み(依存症)による自己破産・家庭崩壊は、今や深刻な社会問題となっています。質問サイトを覗いていると、
「夫(恋人)がパチスロにはまって借金。やめることを条件に肩代わりするのがいいのか」
といった相談をよく見かけます。サラ金の取り立てを見かねてのことでしょうが、依存症の人への肩代わりは「絶対ダメ、無駄金」らしいですね。それでやめるようなら依存症とは呼びません。
風邪で熱や咳が出るのを止められないのと同じように、やってはいけない、破滅へ続く道だとわかっていても行動をコントロール出来ないのが依存症です。

WHO世界保健機関の国際疾病分類(ICD-10)ではギャンブル依存症は
「習慣および衝動の障害」
に分類され、病的賭博(Pathological gambling)と呼ばれているとのこと。これはれっきとした「病気」であると周囲が理解し、適切な対応を取ることが大事のようですね。
胴元である東京遊戯協会も看過出来なくなったようで、早稲田大学の加藤諦三教授に提言を依頼し、2005年3月からネット上で
「パチンコ・パチスロ依存症予防対策プログラム」
を公開しています。http://www.pachinko-izon.net/
これはとても興味をひかれるためになるサイトですから、身近に依存症の人がいる場合は是非一読をお勧めします。
怒鳴りつける前に読んで、相手の心理を多少とも理解してあげてほしいと思います。

上のサイトにはギャンブル依存症だけではなく依存症一般、
「アルコール依存症」「薬物依存症」「買い物依存症」「インターネット依存症」
などなど、実例の記載(重症となると文字通り身の破滅です)や対処法、Q&Aもあって役に立つのではないでしょうか。
まだ脳の若い子どもは依存症になるのも早いと思います。ゲームやネットに異常に執着している子どもに対しては、いきなり力ずくで取り上げないで、それなりにうまく対応しないと悲惨なことになりそうです。
買い物依存症であることを公言していた中村うさぎという作家は、自分の置かれた状況(カードの限度額を超えて買い物に走ってしまう心理)をユーモラスに綴っていました。依存症をネタに出来る人はいいですが、たいていは自己破産や家庭崩壊という結末が待っていると思います。

私の姉の一人は「箪笥がいっぱいになっているのを見ると幸せを感じる」とかで買い物が大好き。
でも分不相応なゼイタクはしない節度は持ち合わせているので、趣味はフリーマーケット漁りです。近場でやっていると知ると行かずにおれない。姑の介護をしていた時期にも、家族に「30分で帰るから」と言いおいて飛び出していたそうです。
掘り出し物をいかに安く手に入れるかに喜びを見出すことで、買い物欲求と折り合いをつけているようす。買ったあとは(箪笥に入れるもの以外は?)執着はなく、段ボールに詰めて私に送ってくれたりします。
姉が300円でゲットして来た新品のフライパンを、これは1万円近くするよとびっくりして言ったら、この上なく満足そうな顔をしていました。
「うちが破産しないのはフリマのおかげやで」
と笑う姉に、買い物依存症の亜流(?)・フリマ依存症でよかったねと頷いています。

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2006年07月14日

随意契約

少し古くなりますが7月5日付けの毎日新聞のサイトに、こんなニュースがありました。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060705k0000m040172000c.html
特殊法人・日本中央競馬会(JRA)が子会社・関連会社計12社に発注している仕事(清掃や警備など)のうち、実に94%が随意契約※だというのです。
(※随意契約:競争または入札の方法によらず、相手方を選択し、随意にこれと締結する契約。国または地方公共団体の契約では特別の場合に限られる。⇔競争契約。by広辞苑)

そしてその12社の社長は全員(全員ですよ!)、役員計67人中51人がJRAから天下りしている人物だそうです。
随意契約率が8割にのぼるとして先ごろ問題化していた中央官庁と比べても、94%は法外な数字に思えます。「特別な場合」に限られるはずなのに。
競馬ファンや馬主以外はあまり関心をひかないニュースかもしれませんが、日本社会に深く根付いた
「公正な競争を排除して、一部の者だけが甘い汁を吸い続ける」
体質を見る思いがします。

01年12月に閣議決定した「特殊法人等整理合理化計画」で
「一般競争入札等の大幅拡大と、関係会社に対する委託費の削減」
を求められ、05年12月の閣議決定でも、
「公正・中立性の確保上支障のない契約については、10年までにすべて競争入札に移行」
することを求められていたそうです。
JRA経理部では「……閣議決定の趣旨に沿うべく精査・検討している最中」と言いながらも、JRAは
「軽々しく競争入札に移行して興行に影響が出た場合、競馬離れにつながる」と苦しい反論。
「国の助成、補助を受けず、不安定な馬券収入に依拠し独立採算で運営しており、国の機関などとは性質が違う」
と主張しているそうです。
JRAは「畜産振興に寄与する」事業目的に基づいて、賭博行為を独占的に運営する特権団体。馬券の売り上げの10%を国庫に納めているそうです。馬券の払い戻しに75%、残りの15%が運営経費ということですから、運営経費が競争入札を排除した随意契約で割高になれば、国に納める金額にも影響しそうですね。

天下りや贈収賄をエサとした癒着・随意契約はいたるところに巣食っているようで、介護保険の現場もそうではないかと私は個人的に疑っています。
介護保険に関わっている人の間では、介護用品がかなり割高なのは常識のようです。
たとえば介護靴。ただマジックテープで留めるだけの上履きみたいな靴ですが、これが一足5,000円もします。
色も茶色とほかわずかだけのようです。私の友人のところでは、特養に入ることになった姑さんがこの靴を「ダサイ」と嫌うので困ったそうです。
この靴をほとんど一律に着用させている施設が多いです。なぜなら、介護保険で安く購入出来る靴はこれだけ(たぶん)だから。

介護保険では好きな物を選ぶ自由はなく、カタログに載った指定の物の中で妥協しなければなりません。
必ずしも安いわけでもない指定商品がどうやって決定されるのか、不思議に思っています。
そこに載っている品物は最も性能がいいとは限らないし、選択の幅が狭い。こういうのはいまどきの高齢者には屈辱的な扱いかもしれないなと思っています。
第一、割高な商品を介護保険で購入するとしたら、国庫の負担は増えるはずです。

7月8日にここでご紹介した歌手の三善英史さんが、13日の記事でこんなことを言っています。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kaigo/note/20060713ik02.htm
「夜はおむつです。おむつは役所から支給されるものもありますが、肌触りが良くないものだけで、母が嫌うので、使っていません。本人が気に入るものを選べたら良いのにと思います。」
なぜ「選べない」のか。コストの問題ではないでしょう、高価なら支給量を減らせば済むことですから。
何かがおかしい、と思っています。
posted by dashi at 23:51| Comment(3) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月10日

高齢ドライバー

自動車学校に通っている人が、きのうは高齢者向けの講習があったようで老人が多かったと言っていました。
満70歳になると免許更新の際に、高齢者講習を受けることが義務づけられているらしいですね。これは自動車教習所に業務委託されていて、内容は講義・検査・運転実習の計3時間。費用は6,150円かかるようです。
(問題がある人には自宅訪問までして免許証の返納を勧めるそうですが、なかなか応じてもらえないらしいです)
それとは別に、自治体によっては任意のシルバー講習(65〜69歳対象)を設けています。こちらは運転実習がないことを除けば高齢者講習とほぼ内容が同じのようです。
千葉県の上総自動車教習所のHPには、交通安全運動キャンペーンの一環として「高齢者交通安全リーダー研修会」を開催した報告もありました。http://www.driver.jp/license/howto/silver02.html

これだけ高齢者向けの講習会を開くのには、交通事故を起こした人のうち高齢者が3割前後を占めるという深刻な事情が背景としてあります。
高齢化社会を反映して65歳以上の運転免許保有者が全体の約12%、24歳以下の若者の保有者数より多いそうですから、無理もありませんね。100歳以上の保有者も5人、最高齢は106歳ということです。
危ないからもう運転はしないけれど、身分証明書にと持ち続ける人もいます。それで、02年の道交法改正で「運転経歴証明書」を発行する制度が出来ました。
これは、高齢や病気などで免許証を返納した人が以前免許証を持っていたことを証明し、身分証明書代わりに使えるというものですが、発行申請をした人はまだあまりいないようです。

高齢になるとなぜ危ないか。
もちろん個人差が大きいのは言うまでもなくて、あくまでも一般論ですが……。
視界が狭くなるので、安全確認が不十分だったり、標識の見落としが目立つ。反射神経が鈍ってとっさの判断に時間がかかり、危機回避が遅れる。どうしてもモタモタしてしまいますよね。
夜間視力、動体視力を検査すると、若い人とは歴然とした差が出るそうです。
そして長年運転して来た人にはプライドがあり、自分の身体的機能の低下を自覚していない。人情として自分の老化はあまり認めたくないですからね。
中には高齢者実習でショックを受けて、返納する人もいるそうです。

とは言え、高齢になっても運転を続けるのは、なにもドライブが趣味という人ばかりではありません。
電車もバスもない過疎地に高齢者だけで住んでいるような世帯だと、車に乗れなければ買い物にも病院にも、家から離れた畑にも行けないといった切実な事情があったりします。
「足腰が弱っているから自転車や二輪車はふらついて危ない。車の方が安定しているし安全」という言い分には一理あります。
車の維持費より安い費用で利用できるタクシーや個別配達を頼めるコンビ二など、制度的なヘルプが必要かもしれませんね。

私もハンドルを握りながら、年をとってコレが出来なくなるのは淋しいだろうな〜と思います。
でも運転の場合、経験や分別より反射神経の方が優先する場合もありますね。高齢になって危険を自覚出来たら、返納する勇気を持ちたいと思っています。
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2006年07月05日

ミサイル発射

北朝鮮のミサイル発射の影響で、株価が軒並み下がったというニュースを聞きました。
投資家心理としては、国際情勢が安定しないと先行き不安。手放す人が多いらしいですね。
昔からの相場格言にこんなのがあるそうです。
「遠くの戦争は買い、近くの戦争は売り」。
戦後の日本の復興は朝鮮戦争による軍需景気だったと思うのですが、朝鮮戦争は遠くの戦争だったんでしょうか。三菱の株で大もうけした人もいることでしょう。

故佐藤栄作氏は非核3原則とやらでノーベル平和賞をもらいましたが、それが有名無実の原則だったのは周知の事実。
(核兵器を)持たず、作らずはともかく、持ち込ませずは(立ち入り検査はしないそうですから)相手の胸先一寸で決まることですからね。
先ごろは横須賀市長が原子力空母の配備を認める発言をして物議をかもしました。
戦争下の国に生まれ合わせなくてなんて幸運だったかと思う一方、きな臭い香りが漂って来て「ん?」と緊張したりもします。

それにしても報道は入り乱れていて、何を信じたらいいのかわかりませんね。
発射の動機にしても、
「ミサイル開発は発射して初めて完成だから、研究のためにやりたかったのだ」
「統率が乱れているから軍部の抑えがきかなくて、暴走を許した」
「中東に売り込むためのデモンストレーション」
「アメリカを牽制するため」などなど。

アメリカまで届くらしいテポドンも含め、日本海に着弾したことについても、
「打ち上げ失敗」「技術不足」
「中国や日本を刺激するのを最低限に押さえるため、最初からあの海域を狙った」
などとまことしやかです。
真相は命令を実行した人にしかわからないのでしょうね。
朝6時に記者会見に臨んだ官房長官、ヘアメイクに何分かけられたかな、と不謹慎なことを考えてしまった私でした。
出席した記者は泊まり番か、叩き起こされたか。ワールドカップを見てろくに寝てない人もいたでしょうね。
深刻な事態に発展しなくて幸いでした。

ミサイルはすべて日本海に落ちたそうで、太平洋側に住んでいる私にとっては遠い話ですが、その時間に漁に出ていた人や飛行機に乗っていた人にとっては、胆の冷える出来事ですね。
朝は通常番組をすべてキャンセルしてミサイル情報を流していたNHKも、もう呑気に平和な番組をやっています。
今後被害は出ないんでしょうか、ミサイルは爆発してバラバラになったんでしょうか。
弾頭って、普通、ついてるんですよね? まさか不発弾が日本海に沈んだわけではないですよね。
船舶は通らない場所に着弾したんでしょうか。
北朝鮮軍部の蛮行のおかげで、胃が重苦しくスッキリしません。だだっ子みたいな真似はやめてほしいものです。



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2006年07月02日

悪者探し

奈良県で、高1の少年が自宅に放火し、母親と幼い弟妹を焼死させた事件。
その後の報道はとても気になる方向に進んでいます。
父親が息子の教育にとても熱心で、手を上げることが再三あったらしい。家庭訪問時に担任の前で、父親の暴力をやめてほしいと嘆願したこともあったそうです。
それを聞いて「ひどい父親。先生は何もしてくれなかったの?」と思わさせられるような、そんな論調です。
父親は「自分の接し方が間違っていた」ともらしているそうですが、愛する妻や子どもたちを残酷に殺された上に、殺したのは期待をかけていたわが子。これ以上ないくらい辛いシチュエーションなのに、世間の目にまで攻撃されて、この父親が気の毒でなりません。
父親が悪いのでしょうか? 何も出来なかった担任が悪いのでしょうか?
そうじゃないでしょう。

両親は離婚していて、今回亡くなった母親というのは継母だそうです。弟妹は腹違いのきょうだい。
実母との確執のことはわかりませんが、少年としては内心含むところはあったでしょう。
もし幼い弟妹が出来のいい子で、自分より親の期待に応えられそうだったら、嫉妬に似た感情すら持ったかもしれません。
それでも母親は毎朝弁当を作って持たせてくれていたとかで、関係をよくしようと努力していた様子。少年は感謝していると話したそうです。
また、報道ではイマイチよくわかりませんが、少年は近くの祖父母宅で過ごすことも多かったとか。
父親の暴力が堪え難いものであるなら、逃げることは充分可能だったはずです。

うちの息子みたいに知的に問題がある者ならともかく、秀才と呼ばれる立場だったのなら、ことの善悪はわかっていたはず。放火するまで追いつめられるほど、苛酷な家庭環境だったとは思えません。
家出をするなら、火をつける前にすればよかったのです。一人で勝手にどこなりと行けばよかったのです。家出した先にまで追っかけて来て殴る父親ではないでしょう、話の分からない原始人ではないんですから。
どう考えても本人が悪い。反撃して来ない弱者を狙った卑劣な犯行です。責任を取るべきだと思います。

この少年の通っていた学校の保護者の有志が、減刑嘆願書の署名集めを始めたそうです。
この子はホントは明るくてとてもいい子だ、暴力を振るう父親に追いつめられて<窮鼠猫を噛む>の類いの犯行だと言わんばかりです。
冗談じゃない。暴力が習慣化した父親に理不尽に殴られたからって、子どもが人を殺しても大目に見て下さいってお願いするなんて、なんか間違ってませんか。
(殺意はなかったと言うかもしれないけど、これは未必の故意※注 というものでしょう。死ぬのはわかっていたはず)
子ども同士が友だちだからという程度の理由で、軽々しく手を付けるべきことではないと思います。
無念の死をとげた3人の遺族にとっては(祖父母やきょうだいだっているかもしれないし)耐え難いことでしょうし、残された父親にとっても複雑な思いのすることでしょう。

私の息子が生まれるより前、当時は障害児を育てる環境も苛酷なものがあったと思うのですが、養護学校の保護者が子どもを殺してしまう事件が起こったそうです。
(こういう事件は現代でも珍しくなく、報道はされないけど子殺しや無理心中のうち子どもが障害児である確率は高いと思います<子育てに悩んでいた、というのは特にそうだと思います>。今は認知症の親を殺す子も多いですね)
それで、養護学校の保護者は減刑嘆願書の署名集めを始めて、当時の校長先生のところにもそのお願いが来たそうです。
その時校長先生はきっぱり断ったと本人の口から聞きました。親に同情する気持ちはむろんあるけれど、神の子(校長先生はクリスチャン)の命を奪うのはどうしても許すことが出来なかったそうです。
その保護者がどうなったのか誰も知らないようですが、おそらく起訴猶予か執行猶予というところでしょう。

今回の少年の場合も18歳以下の犯罪ですし、そう重い罪には問われないと思います。
でも3人の命を奪い、父親をはじめ周囲の人の人生を無茶苦茶にしたことははっきりと自覚して、きちんと罪を償ってほしいものです。
周りの人もマスコミも妙に庇わないで、悪者探しのような報道は遠慮して、現実を厳粛に受け止めてほしいと思います。

※注:未必の故意
行為者が、罪となる事実の発生を積極的に意図・希望したわけではないが、自己の行為から、ある事実が発生するかもしれないと思いながら、発生しても仕方がないと認めて、行為する心理状態。故意の一種。(広辞苑)
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2006年07月01日

高齢化社会

昨年の国勢調査速報によれば、日本の人口は1億2,776万人。
そのうち65歳以上の高齢者は21.0%の481.5万人。この比率は堂々の世界一だそうです。
5人に1人は65歳以上、そしてこの比率は今後すごい勢いで増えていきます。
もちろん、65歳以上の人が皆介護を要する老人というわけではなくて、65歳以上の高齢者が働く割合も他の先進諸国と比べてずば抜けて多いそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060630-00000142-mai-soci

65歳以上で22.2%、65〜69歳では男性の半数以上が現役として働いているか、働く意志がある(求職中という意味でしょうか)。
勤勉な国民性や、元気なお年寄りが増えているといった理由のほか、経済的理由で働かざるを得ない人も多いのだろうということです。
65歳ではまだ住宅ローンが終わってないという人も多いかもしれませんね。晩婚だったら子どもがまだ学生やフリーターしてて独立してないかもしれません。
知り合いの家に来るヘルパーは70歳だそうです。気の毒で仕事を頼みにくいとこぼしていました。

老化が年齢に比例しないのは人間界の不公平なところで、熊本県天草市には102歳の新人アナウンサーが誕生したというニュース。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060630-00000026-nnp-kyu
インターネット配信の放送局「天草テレビ」でシノちゃんデビュー。
先輩のツルちゃん(89歳!)と「ご長寿コンビ」を組んで天草地方の話題を発信するそうです。
天草テレビの金子社長は「明治、大正、昭和、平成の各時代を行きてきた豊かな人生経験を存分に発揮してもらいたい」と期待を寄せているとか。
シノちゃんは背筋もピンと伸びてしゃべりも達者だそうで、きんさんぎんさんとはだいぶ違うキャラのようですね。

介護保険も改正(改悪)ばかりで油断がならないし、高齢者も自助努力が求められる高齢者社会。
なんとか健康に気をつけて、なるべく人に迷惑をかけないで老いていきたいものだと思っています。
知的障害の息子にも等しく老いは訪れるのですから、出来る範囲で精一杯頑張ってもらいたいものです。私に出来ることは、せめてメタボリック・シンドロームにさせないよう肥満に気をつけることぐらいでしょうか。
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2006年06月19日

バイオハザード

先日ローカルニュースでだったか、山ビルが異常繁殖しているという話を聞きました。
もともと山の中に住んでいて人家の近くにはいないものだったのに、今は家の周りの畑にもたくさん。どこの話だったのかわかりませんが、そう田舎でもないようでした。
なぜそんなところにヒルが異常繁殖したかというと、意外にも犯人は野生の鹿。
今は開発が進んで深い森が少なくなり、鹿の天敵となる動物が激減した。それで鹿や猿がとても増えているらしいです。
山ビルは鹿の耳の中など柔らかくてもぐり込める場所に吸い付き、鹿のエサの豊富な人家周囲の畑に運ばれて繁殖しているというわけです。

山ビル、ヒルと聞いて私が思い出すのは映画「スタンド・バイ・ミー」の一場面。池に落ちたんだったか飛び込んだんだったか、冒険旅行の子どもたちがヒルまみれになりべそをかくシーンです。パンツの中にまで入り込んだヒルを大慌てではたき落としていました。
(あれは淡水に住む血吸いビルという種類だと思います。町中の公園などには頭がハンマーのようなコウガイビルというのが生息しているそうです)
人の足に吸い付いて巨大になったヒルを子どもの頃一度だけ見ました。親指ぐらいの太さに赤黒くふくれ、長さもだいぶあったと思います。それをむしり取って地面に投げ、踏みつけると、どくどくと吸い取ったばかりの血が「いつまでも」流れ出しました。
こんなにたくさん吸ってる、痒いだろうに気がつかなかった? と周囲の大人が呆れたように話していました。
子供心にもヒルが小さく縮むことに驚き、その不気味さに震え上がったものでした。

ところで、このニュースで解説をしていた専門家が「バイオハザードですよ、バイオハザード」と強調していました。
バイオハザードってよく聞くけど、子どもがはまっていたゲームや映画の題名でしかなじみがありません。
調べてみたら、「生物災害」と訳され(直訳ですね、笑)、
1)狭義(病原体や危険な実験動物等を扱う職員への感染など)、
2)広義(1、および外部の住民らに及ぼされる被害など。公害)に定義はあるけれど、一般的はさらに広義の、
3)1、2および病原体・組換え微生物・生物製剤による感染・発癌・発病・障害等の災害
をいいます、とのことです。(http://homepage2.nifty.com/sisibata/biohazardj.html)

最も広義のバイオハザードとは、具体的には、SARS(サーズ)や鳥インフルエンザによる感染など。
いずれも話題になり大流行で何万人が死ぬ、なんて脅されましたが、今のところ押さえ込みが成功してそれほどの流行にはなっていないようですね。ありがたいことです。
世界的な感染爆発・バンデミックに至らずに済んでいるのは、以前このサイト(3月28日付)でもご紹介した、WHOのメディカルオフィサー・進藤奈邦子さんたちの奮闘のたまものでしょう。
ヒルの異常繁殖は人間の生死には関わらないかもしれないけど、見た目気味も悪いし、これも広がってほしくはないですね。
身近にバイオハザードの恐怖もない平和をこれからもずっと享受していきたいものです。
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ドクちゃんの結婚

ベトナム戦争時の、枯れ葉剤使用の象徴として知られる、ベトちゃんドクちゃん。
1981年、下半身が結合したいわゆるシャム双生児として生まれましたが、兄のベトちゃんが脳症になって命の危険があったため、88年、日本の医師団も参加した12時間に及ぶ手術の結果二人は分離されました。「二人とも助かれば奇跡」と言われた難しい手術だったようです。
分離手術成功のおかげでドクちゃんは元気になり、1年ばかり大阪で過ごしたこともあって日本ではすっかりおなじみ(来日も16、7回?)です。
(もうちゃん付けで呼ぶべき年齢ではないのですが、私はなじみのある「ドクちゃん」で通すことにします)
残念ながらベトちゃんの方は脳症の重い後遺症で寝たきり。手厚い介護を受けて過ごしているそうです。

そのドクちゃんももう25歳の青年になって結婚も決まったとか。
20年も支援を続けている「ベトちゃんドクちゃんの発達を願う会」代表・藤本文朗滋賀大名誉教授のもとに、10月に予定している結婚式に出席を願う手紙が、ベトナム人主治医を通して届けられたそうです。
ドクちゃんはずっと、分離手術も受けたツーズー病院でコンピューター事務を担当する職員として働いています。ベトちゃんもその病院にいるので、病院が生まれ育った家のようなもの。でもいずれは病院を離れ、レストランなど自分の店を持って自立するのが夢だったそうですから、伴侶を得るのはまずはその第一歩ですね。

藤本さんによればドクちゃんは、いつまでも枯れ葉剤の被害者を代表しなければならないことに抵抗を感じて「思春期にはかなり荒れた」そうですが、そんな時期も過ぎて、今はとても優しい青年に成長したとか。
働いているのはツーズー病院内にある枯れ葉剤被害児(2世、3世も含めたくさんいる)の受け入れ施設「平和村」。兄のベトちゃんもそこにいるそうです。
分離手術の結果片足は付け根からないので、普段の生活は松葉杖か車椅子。それでも誰よりも速く歩くし階段は駆け上がる、地元のホーチミン市内では三輪バイクを一人で乗り回しているそうです。
初めて北海道に行ったときは雪遊びに大はしゃぎし、温泉の露天風呂では1時間も長湯してくつろぐ普通の青年の顔を見せました。

ベトナム戦争の時、アメリカ軍は解放勢力が潜むジャングルや田畑を枯れさせるために、10年もの間猛毒のダイオキシンを含む枯れ葉剤をばらまき続けました。その結果、ベトナムでは戦争が終わっても奇形児が次々に生まれ、またベトナムから帰還したアメリカ兵の子どもにも奇形児が生まれたといいます。
アメリカ政府は1993年に枯れ葉剤被爆の事実を認め、その補償金を受けたのは実にベトナム帰還兵の12%にもなる37万人以上。一方ベトナム人被爆者については謝罪や補償を一切行わず、損害賠償の訴えも却下されたとのことです。中東ならずともアメリカに恨みを持つ人は多そうですね。

日本も原爆投下ですぐ降伏しなかったら、本州南部と四国に枯れ葉剤が撒かれる計画があったといいます。その化学戦が15年後にベトナムで現実となった。
歴史の歯車がちょっと狂っていたら、奇形児として生まれたのは私だったかもしれないし、ドクちゃんといくつも年の違わない私の子どもたちだったかもしれない。
9・11の惨劇をテレビで見ながら私が思ったのは、アメリカは外に出ての戦争はしょっちゅうしているけど、自国に攻撃を受けたのは初めてだな、ということでした。破壊を受けることの悲惨さ辛さを身を以て知った人たちが、なぜ、同じことをしようとするのでしょう。復讐の連鎖は何も生まない。どこかで断ち切らなければならないと思います。

平和についてどう思うかと聞かれた時、ドクちゃんは、
「今アメリカはイラクでも戦争をしています。戦争はすぐにやめて下さい。どこの国も戦争のない平和の国になってほしい」
と答えたそうです。他の誰が言うより重みのある発言だと思います。
ドクちゃんの結婚は、多くの人に夢と希望を与え、平和の大切さを訴える何よりのメッセージとなることでしょう。
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2006年06月09日

生活保護

生活保護

自分の娘を亡くした母親が近所の子を殺して捨てた事件。
近所の人すら信用出来ない疑心暗鬼を招く、後味の悪い事件でした。殺された子の両親は犯人に親切に接していたらしいのに、ひどいことをされたものです。本当に気の毒なことでした。
動機の解明などはこれからですが、平気でウソをつく人間らしいので取り調べも難航するでしょう。

今回の事件報道で私が驚いたのは、生活保護費から7万も携帯使用代に使っていたらしい、ってことです。
そんなことのために支払われる保護費ではないでしょう。自営業などで仕事に使うのなら必要経費ですが、仕事以外で好き放題使うのはどう考えてもゼイタク。
(携帯使用料が高いのは周知の事実で、我が家でも長電話は自粛するし、なんとか安くならないかとあれこれ工夫しています)
生活保護を受けているということは、人様のお金(税金)を頂戴しているということ。保護費の使い道にそれなりの節度が求められるのはしかたのないところだと思います。
こういう報道があると、心ならずも生活保護を受けている人たちがますます肩身の狭い思いをするかもしれません、その点も迷惑な話です。

いい機会なので生活保護について調べてみました。
「生活保護制度は、生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障し、併せてその自立を助長する制度」
とハローワークのサイトに説明があります。(Q36)
http://www.hellowork.go.jp/html/seikatsu_qa2.html
「最低限度の」生活を保障するためのものなんですね。
生活扶助、教育扶助、住宅扶助など8種類の保護があり、必要に応じて単給、併給されることになっています。福祉事務所の担当者が支給の判定をします。
地方自治体の経済状況や担当者によって審査が甘くなったりシビアだったりという余地はありそうですね。

また生活保護は世帯単位で行われるので、例えば夫が浮気やギャンブルで家にお金を入れてくれないような時、妻が生活保護を受けるということは出来ません(離婚して家を出ないと無理ですね)。
離婚して別世帯にしても、近くに住んでいるような場合には認められないこともあるようです。
生活保護を受けるには、ひと月の生活費の半分程度を残して使い切ったあとでないと申請出来ないそうです。持ち家や車(仕事に必要な場合以外)、加入している保険があったら、処分や解約してその代金で暮らしたあとのこととなります。
今回の犯人は車も所有していましたね。審査がゆるいのか、本人名義でない車だったかでしょうか。
車ぐらい認めてあげたら……と個人的には思いますが、車は維持費がかかりますから認めるわけにはいかないのでしょうね。

以前、離婚して遠くの実家に引き揚げることになった人が、住み慣れた土地を離れたくないとこぼし、子どもたちが転校した学校になじむか心配していました。
「生活保護を受けてこちらで暮らす選択もあるんじゃない?」
と私が言いましたら、彼女は不愉快そうに眉を寄せて、
「だって、クーラーもだめなんでしょう?」
と吐き捨てたものでした。生活保護受給のためにクーラーを取り外させられた一人暮らしのおばあさんが、熱中症のため亡くなったという事件の記憶がまだあったころでしょうか。
今は当時より受給者の人権が尊重され、クーラーも認められているようです。
クーラーもない「最低限の」生活をするより実家の居候を選んだ彼女、今は年齢的に親の介護に追われてるころかなあと思ったりします。(親孝行かもしれませんね)

彼女はもちろん保護を考えていなかったわけですが、離婚して子連れで実家に身を寄せているような場合、親の資産や収入によっては受けられません。またいったん住んだ実家を出て生活したいと思っても、親きょうだいに生活の援助を受けられると判断される場合は、原則として生活保護は認められないようです。
64歳までは自分で働いて稼ぐように言われる(始めから働く気のない人には認められない)そうですし、(当然と言えば当然ですが)案外厳しい。安易にアテには出来ないようです。
生活保護は、働きたくても働けない事情のある、ホントに困った人のための制度。世間の理解を得るためにも不当受給はやめてほしいものですね。

それにしても、つい反応してしまった私が言うのもナンですが、犯人の携帯代が月7万なんてどこから洩れた情報なんでしょうね?
本人が誰かに愚痴ったのをマスコミが聞きつけたのでしょうか。まさか携帯電話の会社関係者が個人情報を洩らしたなんてことはないですよね。
犯罪者だからってプライバシーが暴露されていいってことにはならないはず。生活保護を受けているとか、借金があるなんてことも、情報提供者がいないとわからないことだと思うのですが。
過度のスクープ合戦が繰り広げられている印象、個人保護法の精神に反するのでは。
マスコミには、あまりに些細なことや踏み込みすぎた内容に、貴重な放映時間や誌面、紙面を使わないでほしいと要望したいですね。煩わされる地元民の方も迷惑だし、そもそも、もっと報道するべき重要な事項が世の中にはたくさんあるはずですから。
posted by dashi at 22:05| Comment(9) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月08日

エレベーター

便利で安全な乗り物のはずのエレベーター。
高層の住宅に住む人にとっては、赤ちゃんからお年寄りまで、どうしても生活に必要なものですよね。最近のはスピードもアップしたし乗り心地も改良が進んだと思います。
そのエレベーターから下りようとしていただけなのに、いきなり動き出して挟まれるなんて、それで殺されるなんて、無茶苦茶な話ですね。犠牲となった高校生はホントにお気の毒です。
エレベーターが凶悪なターミネーターみたいですね。毎日乗らなければならない人たちは、さぞかし不愉快な思いをされていることでしょう。
今まで不具合が度々あったのに、死者が出るまで深刻に受け止めなかったらしい(決定的な対策をとらなかった、漫然と放置した)製造会社の姿勢は大いに問題だと思います。

もう十数年も昔のことになりますが、私たちが住んでいた高層アパートのエレベーターも、よく誤作動していました。
そこは北京の中心地、天安門広場もすぐ近くの立地にあるアパート群でした。私たちの棟は(アフリカや南米の国の)大使館勤務の人もたくさん住んでいたようなので、おそらく最高級の施工ではあったと思います。建てた時は最新式で、たぶんもう古かったのでしょう。
ドアが開いて降りようとしたらエレベーターの床が30センチも高かったことがあり、信じられない事態にぎょっとしました。
エレベーターにはいつも監視がてら(?)服務員のお姉さんが乗り込んでいましたが、彼女にとっては見慣れた光景だったようです。その時もお姉さんは慌てずにドアを一旦閉めてから移動させ、また戻しました。

当時小学生だった娘が乗って同じようになった時は、お姉さんに飛び降りるように身振りで(お互いに言葉がわからないから)指示されたそうです。怖いからためらっていると、しぶしぶという感じで戻してくれたとのこと。
この恐怖の体験で懲りた娘、それから数日は、急がない時にはエレベーターを避けて、時間をかけて階段を上り下りしていました(10階だったし天井も高かったのでひと仕事)。
エレベーターではその他にも階の真ん中で開いたり(ドアの外はコンクリートの塊、頭の上に人の靴が見えたとか)、中に閉じ込められた話も聞きました。服務員さんが乗り合わせていなければパニックになっていたかもしれませんね。


停電や地震の影響でエレベーターに閉じ込められたという話はたまに聞きます。
数人で閉じ込められた若い男が「外に出られたら彼女にプロポーズするんだ!」と叫んだのは何という映画だったでしょうか。
「死刑台のエレベーター」という古い映画(1957年)は、完全犯罪のはずが、ビルの管理人が電源スイッチを切って帰ってしまったために、エレベーターに朝まで閉じ込められてしまう(そのせいでとんでもないことになる)話。殺人犯なのだから因果応報というものですが、脱出を試みるシーンには思わず応援してしまいました。
サスペンス映画では、天井の上(箱の外)に置かれた死体からしたたった血がエレベーターの床に落ちる、というシーンが不気味な効果音とともに出て来たりします。
エレベーターは密室ですし一人だけで乗ることも多いので、不安な思いで乗りたくはないですね。
早く徹底的に原因究明して対策を講じ、二度と不具合が起こらないようにしてもらいたいものです。
posted by dashi at 22:27| Comment(9) | TrackBack(1) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月06日

プライド

養護学校の保護者(母親)が集まった席で、知的障害のある子どもにもプライドがあるという話が出ました。
「プライドだけは高いんだよね」
「叱ると怒る」
「そうそう、なんにも出来ないくせに、プライドだけはいっちょまえ」
なんて子どもの人格を無視した発言で盛り上がりました。
親の言いなりになった(言う事もなかなか聞きませんが)子どもの時代を卒業して、今はみんな思春期。
頭ごなしに押さえつけようとすると嫌がり、うちの息子の場合は服を破ったりして抵抗します。

反抗期は子どものプライドが親の干渉を許さない時期と言えるでしょうか。
知的障害児なら憎まれ口を叩いても「おお、こんなことも言えるんだ」と感激するかもしれませんが、健常児であるきょうだい児はストレートですね。
私も娘の反抗期には「なんでこんな子を生んだんだろう」と真剣に悩むほど憎らしいもの言いをされ、先輩お母さんに愚痴ったら、「うちもそうでしたよ」と返されたものでした。
音大に行ったお姉さんの反抗期には、よく激しい言い合いをしたそうです。こんなにワガママな子に育ってしまってどうしようと夜も眠れないくらい悩んだとのこと。
そのときご主人には「芸術家だからこれでいいんだ」とアドバイスされたそうです。
たしかに芸術家はプライドも人一倍高そうですね。

今回の盗作騒ぎで私が不思議に思うのは、盗作した画家には芸術家としてのプライドがなかったのか、という点。
あなたのファンです、ということで接近したイタリア人画家の絵を真似したらしいですが、まさか盗作ではないと本気で考えているわけではないでしょう。二人ともどちらかというと無名に近い画家で、イタリアと日本と距離的にも離れているから、ばれっこないとタカをくくったんでしょうかね?
提出期限が迫っているのに思うような構図が浮かばないから、お気に入りの絵を模写したんでしょうか。模写の腕は一流だそうですね。

短歌の世界でも、全く同じ句になることがあるそうです。少ない語数で勝負するんですから大いにありそうな話ですね。盗作というより偶然なるらしいです。
そういうときはどうなるんですか、とその道の専門家に聞いたら、「有名な方の人が勝ちます」ということでした。
無名の方が、より有名な人の句を真似たということになるようです。これも一種の実力主義の世界、ということでしょうか。
人気作家の山崎豊子さんと立松和平さんにも以前盗作騒ぎがありました。謝罪もあったので、盗作の<疑い>ではなく確定です。でも人気にあまり影響しないようだったのは、盗作というより単なる引用しすぎ(プロットの盗用ではなく枝葉末節)という位置付けだったからなのか、個人的に気になっています。

それにしても、プロとしてのプライドがあれば起こらないはずの事件、最近は多すぎますね。
偽装設計しかり、施設(グループホーム)での虐待しかり、ライブドアに村上ファンドもそう。
一級建築士も公認会計士も、十分にプライドを持つに値する職業だと思うのですが。
酒を飲んでバスや電車を運転した人もいましたし、くず肉を接着剤で固めて(これ自体は合法らしいです)「ステーキ」と称して出していたレストランもありました。
プライド(自尊心)とは、「自分の尊厳を意識・主張して、他人の干渉を排除しようとする心理・態度」と広辞苑にはあります。
いい意味のプライドは大いに持ちたいものですね。自閉症の息子のプライドも、出来るだけ尊重してやりたいと思っています。
posted by dashi at 23:31| Comment(4) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月29日

地震

ジャワ島の地震では震源地に近いところでは8割の建物が全壊したとも言われて、死者は約4,300人(28日現在)、かなりの被害となりそうです。世界遺産に登録されている古都の寺院郡も含まれるようで、かなり破壊されてしまったようですね。
地震のあとあまり遠くない場所で火砕流が襲っただの、雨に濡れて寒かっただのと、被害の広まりそうな報道も気になります。

豪州外務貿易省は4月20日付けで、バリ島・ジャカルタを含む地域にテロの恐れがあると注意を喚起したばかり。
日本の外務省も渡航は控えるようにとネットで呼びかけていますし、お隣のスマトラ島では大津波の影響も残る中、内戦に天災も加わって観光どころではない日々がまた続きそうです。
素早く支援も始まったようですが、復興までは長い道のり。厳寒の冬でないのがまだしも幸いでしょうか。

恐怖の思い出を胸の奥深くしまい込んでいる人は多いようで、きっかけがあると吃驚するくらい饒舌にその体験を語るのを何度か聞きました。
新潟地震というのはもう何十年か前のことだと思いますが、
「地面が波打つので立ってられなかった。池の水が激しく揺れて、中の鯉が外に投げ出されて跳ねていた」
「地割れが出来ていて、もう少しで落ちるところだった」
と、普段無口な上司が憑かれたように語っていたこともありました。
つい先年の新潟地震の時には、トラックの運転手さんが、
「ハンドルが効かないから慌てた。車が片側に滑るので、タイヤがどうかなったのかと思った」
と発言しているのをネットで見かけました。

昔は「地震、カミナリ、火事、おやじ」なんて言ったものですが、今は全然怖くないおやじは別格としても、地震の恐ろしさは防ぎようがあるカミナリや火事の怖さとは比較にもなりませんね。
昼間に起きた地震の時でも、ミシミシと音を立てながらゆらゆらと揺れる不気味さには、鳥肌が立つ思い。倒れて来る家具のない場所に素早く移動しないと、と思いながら凍り付いてしまいます。

我が家の自閉症の息子は服を破ってしまうので寝る時は素っ裸。夜中に地震があったときには、
「あの子に服を着せなきゃ逃げられない!」
と飛び起きて、着せる服を取りに走ったものでした。
大きな地震があったら家具固定具を用意したりと対策も考えますが、のどもと過ぎたらなんとやら。
私もいつの間にか本棚の前に平気で寝ています。
天災は忘れたころにやって来ると言いますが、海の向こうの地震を教訓に、常に油断しないようにしないといけませんね。
posted by dashi at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月17日

夜は家に

昨日の夜9時半ごろ駅に行ったら、塾帰りらしい小学生の群れ。こんな時間に子どもが外に出ていて親は平気なんだろうかと気になりました。
それから家に帰ってお風呂に入って、学校の宿題でもしてから寝るんでしょうか。
いったい何時に寝て何時に起きる生活をしているんでしょうね。
夕食はちゃんと食べてるんでしょうか。一人で? 何を? 
家族と、学校での出来事などをのんきに話す時間はとれるんでしょうか。
話すどころか、ろくに顔も合わせないんじゃないかと心配です。これじゃ子どもが何を考えてるか、親にもわかりっこないんじゃないでしょうか。

だいたい、なぜ「塾で」 勉強しないといけないんでしょうか。
子どもたちは何のために学校に行くんですか? 授業時間にはいったい何をしているんですか?
なんのための「義務教育」なんでしょうか。
なぜ、学校に行って教室に座っている時間に、ちゃんとわかるような授業をしてもらえないんですか?
学校で教えきれないほどたくさんの知識を、子どもたちは「塾で」身につけてるんでしょうか。
なぜ、「塾の授業は面白」くて、学校の授業は「つまらない」んですか?
きちんと教えて理解させるのが先生の仕事のはずです。昔の先生はそれをやってた(中にはひどい先生もいましたが)と思います。

学校は義務教育期間は(公立は)タダだけど、それは学校の先生の給料を税金から払っているだけで、なにもボランティアで教えてもらっているわけじゃありません。
なぜ、毎日学校に通わせて費やしている時間に見合うだけの授業を、学校には期待しないんでしょうか。
親は塾の費用を自腹で払っているから、それなりの見返りを要求する。塾の先生は生活がかかってるから教え方の工夫もして必死です。学校の先生に、同じことをなぜ期待できないんでしょうか。
クラスが多すぎて無理なら、ひとクラスの児童生徒の数を減らすように要求していくべきじゃないんでしょうか。
学校できちんと教えてもらったら、読み書きも計算も、基礎のところは出来るようになると思います。あとは知的好奇心をくすぐるような生活環境を各家庭で用意すれば十分じゃないんでしょうか。

小学生の時から英語を教えるなんてことを考える前に、「夜に外に出ているのが常態化している」今の状況をなんとかしてほしいと思います。
夜遊びがタブーでないから、非行も覚え、犯罪に巻き込まれることも増える。
夜更かし朝寝坊が習慣になったら、寝不足で情緒不安定になったり、朝食を食べられない子も増えます。
朝食を抜くことの影響は、子どもが無気力になったり居眠りしたりイライラしたりと、すぐ出て来ると思います。頭の働きもかなり鈍るそうですし、肥満や生活習慣病にも直結するはずです。
島根県かどこかの小学校では、ヨーグルトや牛乳などの朝食を公費で用意することにしたそうです。朝食を摂らないで登校する子どもが増えて、看過出来なくなってのことでしょう。

これでいいんでしょうか。みんな、どんな大人になるんでしょうか。
塾の費用を工面するより、学校の勉強だけがよく出来る子に育てるより、子どもに健康的な生活をさせる方が大事なんじゃないかなと、かねがね思っています。
塾に通う経済的余裕のない子に不利になるような学校教育は、義務教育の意図に背くとも思います。
夜は親も子も家でゆっくりくつろいで、次の日に備えるべきではないでしょうか。
仕事で遅くなるお父さんは無理だとしても、一家団欒を軽視するべきではないと思います。
posted by dashi at 20:25| Comment(6) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月14日

鉄道事故

きょうの母の日、長女からは「自閉症の弟の世話は引き受けるから、一人でのんびり出かけて来ていいヨ」というありがたいプレゼント。ちょうどきょうの午後に、出来たら出席したいと思っていた会合があったので、遠慮なく家を出ました。
片道一時間(乗り換えが一度)も電車に乗るのは久しぶりです。
ゆっくり本を読んでいたら疲れて眠くなったのであとは爆睡。始発近くから終点まで乗ったので座る席もあったし、連れに気を使うこともなくささやかな一人旅を満喫しました。

それにしても旅を楽しめるのは、電車が予定通り安全に運行されての話。
待避線に入って停止しているはずの電車が単線の向かい側から迫って来て、どこにも逃げることが出来ずに驚愕と恐怖の中で命を落とした42人の被害者、ケガや心的外傷を負った人たちにとっては、「電車の旅イコール阿鼻叫喚の修羅場」だったことになります。
信楽焼の本場で世界陶芸祭が開催されていたため、観光客がぎっしり乗っていた信楽高原鉄道の列車事故。早いものでもう15年もたつそうです。
事故の年に生まれた子が中学校を卒業する計算になるでしょうか、人々の記憶からも遠くなり、事故を知らない世代も増えただろうと思います。
現地の地名も滋賀県甲賀郡信楽町から、甲賀市に変わりました。

単線と言われても何のことかわからない人もいるでしょう。
上りと下りで一本の(レールは平行に二本並んではいますが)線路を共有するなんて、3分おきに次の電車が来る生活に慣れると、理解するのも難しそうですね。
私の田舎にはそういう路線が残っていて、一時間に1、2本のペースでのんびりと運行しています。あまりに本数が少ないのでバス便や自家用車を使う人が多く、利用者が減って経営は苦しくなる一方。料金もかなり高めに設定されています。
のどかなこの路線でも、昔、正面衝突という事故がありました。単線だから待避線に入って逆方向に行く電車をやり過ごさないといけないのに、信号を見落とすミスがあったのだったと記憶しています。
幸い死者はなかったのですが、けが人は多数出ました。その時の若い運転士は事故のショックで精神に異常を来たしたと噂されていました。

時刻表通りに正確に運行される電車は、世界的に見るとたいしたものらしいですね。
その陰には運転士育成の厳しい訓練や、日々車体や線路を点検する地道な努力があるのだと思います。
以前私鉄のモニターをやった時に踏切事故を想定した訓練の様子を見学する機会があり、電車にもぐり込んだ乗用車の車体を切断し、フロントガラスをはずして人海戦術で車体を撤去する訓練を見ました。
こんなことまでやるんだ〜、コストもかかってるなあ、電車代が高いなんて言ってられないなと感心したものでした。

きょう、少しオーバーランしたらしくて、車体を少し後ろに移動しますとアナウンスされているのを聞きました。前のJRなら日勤教育とかいう拷問(?)の対象になったのでしょうか。
何秒もかからないようなことに、なぜそれほど躍起になったのでしょうね。
もちろん時間通りに運行されるのが一番だけど、安全第一で、多少の遅れやオーバーランぐらい寛容に見守るゆとりを利用者も持ちたいものだと思います。
posted by dashi at 23:43| Comment(4) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月13日

個人差

広島や長崎で被爆したものの原爆症と認定されなかった人たちがおこした訴訟に対し、大阪地裁は「国は審査基準を機械的に適用するべきではなかった」と指摘、不認定処分を取り消す判決。
「原爆って、いったいいつの話?」と驚いたのは私ばかりではないでしょう。戦後はまだ終わってなかったのですね。
原爆症と認定してもらいたいのは、原爆手帳があると医療費が無料になるなど公的な庇護を受けられるからだと思います。原爆のせいで健康被害を受けた(がんや甲状腺機能低下など)人にとっては、当然享受するべき権利です。

今回提訴したのは「爆心地から2キロ以内の被曝限定」という認定基準に機械的にはばまれたまま人生の大半を送った、気の毒な人たちです。
ことに投下のあとに被爆地に入った人たちは、被災者の救出や死体処理など、たいへんな思いをした人たちだと思います(今ならPTSDとか言われそうですね)。吸い込んだり皮膚から吸収した放射能も半端な量じゃないでしょうに、一律に審査基準ではねられたというのも、あまりに冷たい事務的な対応に思えます。
原爆投下からもう60余年もたつのですから、認定からはじかれたまま、病気と医療費の両方に苦しみながら無念の死を迎えた人もたくさんいたことと思います。
国はこれ以上裁判を長引かせないで、一日も早く認定してあげてほしいですね。

機械的な処理ではねられることに対し、私たちが強い違和感を持つのは、個体差、個人差というものがあるから一概には言えない、ということを体験的に知っているからだと思います。
みんなはこうだから、という判断基準からはみ出す子は必ずいる。
頑強な、刺激に鈍い子を基準にされたら、逆の子は立場がないですよね。
同じ教室にいてもハウスシックの影響が出る子と平気な子がいる。他のみんながなんともないからハウスシックではない、と学校に断定されたら、保護者は怒ると思います。
爆心地から2キロ以内にいなかったから原爆症ではない、と、よくもまあ断定出来たものです。根拠のある数字なのでしょうが、同じ条件下でも発症する人としない人が出るのは当然だと思います。

昔の話ですが、私が高校の修学旅行に参加したとき、食中毒騒ぎがありました。
最後に車中で配られたかしわ飯弁当にサルモネラ菌が繁殖していたそうです。
私はその弁当を広げた時に割り箸が折れて、短い箸で食べにくかったのだけは覚えていますが、身体はなんともなく、食中毒のこともあとで聞いて初めて知りました。
帰宅後みんなおなかが痛くなったり戻したりとエラい思いをしたようで、症状がひどくて入院した生徒もいました。その中には野球部のレギュラーもいましたから、身体の丈夫さとは関係なかったようです。

先日友人からこんな話を聞きました。
彼女のお兄さんはお父さんと同じ仕事で、一緒に働いている。
お昼はお母さんが作った弁当を食べて、朝夕は同じ食卓につく。同じようにタバコも吸うし酒も飲む。量も同じくらいだそうです。
それなのに、お兄さんは通風になり、お父さんはなんともない。
「 要は体質ね。個人差ってあるのよ〜」
と嘆息する友人に深くうなずいた私でした。

知り合いに二卵性双生児の女の子がいます。
小学生のころから知ってますが、もともとそっくりではなかった。でも高校生の現在は体格も顔も全然かけ離れ、双児どころかきょうだいというのすら「ウソー」って感じです。
お母さんに聞いたら、外見だけじゃなく食べ物やテレビ番組の好みまで違っているそうです。おまけに片方だけ花粉症とも。
似てないきょうだいは多いですが、双児でもそうだというのは、なんか、不公平な気がします。
人体には理屈が通らない不思議がいっぱい。画一的に判断するのは慎まないといけませんね。
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2006年05月12日

家がいい理由

私はもと畑の丘を大規模に開発造成した住宅街に途中から移り住んだのですが、周囲は新しい街が出来てすぐから住んでいる人が大半です。
住み始めは若かった住人も年老いて来て、老朽化した住宅の建て替えもさかんに行われています。
二世帯住宅に建て替えて子ども世帯と一緒に住む人も多いのですが、夫婦だけになったり一人で年老いた人も少なくありません。

一人暮らしって本人は不安じゃないんでしょうか。
年老いて一人になったら、家事は手抜きしてなんとかするにしても、古くなった家の維持管理も大変です。田舎ほど冠婚葬祭で出費や出番はないでしょうが、そのぶんご近所で気にかけてくれる人も少ないです。
ご主人が入院している間に、一人で家にいた奥さんが脳梗塞か何かで倒れ、亡くなって数日して発見されたという事件も何年か前にうちの近くでありました。
このごろは救急車が近くに来ていることも多いような気がします。

一人暮らしのおじいさんがゴミの分別が出来ず近所から苦情が来るからと、離れて暮らす息子さんに頼まれて、私の友人は週に一回、ゴミの分別・30分だけのバイトをしていると言ってました。
身体も頭も健康そのものの人なら万事難なくこなせるのかもしれませんが、高齢となるとややこしいことは難しいでしょう。
いっそ食事の心配もない施設に入った方が周りも安心なのではないのかな。今は元気なお年寄り向けの私費のところもあるし。
でもやっぱり不便でも好きなように生活出来るから、住み慣れた家がいいのかなと思っていました。

私の知るある高齢者の話をしたいと思います。
その人は病気のために身体が思うように動かず、一日の大半を椅子に腰掛けて過ごしています。
一人で移動するのは危ないので、誰か(巡回看護師やヘルパーなど)が来るまでトイレに行くのも我慢しています。
独身のお子さんと二人暮らしですが、お子さんは勤務先が遠いのと多忙なのとで、家には寝に帰るという感じのようです。
それでも夜はおむつのお母さんの世話をして、朝おむつをはずして着替えさせ、食事を出して(作るわけではないようです)椅子に移動させてから出勤しています。

今のままでは、お子さんにもし恋人がいたとしても結婚を考えるのは難しいんじゃないかと、他人の私としては思います。余計なお世話だけど、自分の老後はどうするつもりなんだって気になります。
最近はこのように独身で親の介護をする子ども(と言ってももう中年、初老)がとても多いという話。
お母さんなら、自分の子どもの先行きについて考えないはずはありません。これではいけないって焦りも少なからずあると思います。
元気で出歩ける人ならともかく、テレビのお守りをしているような余生も退屈なんじゃないか、施設(グループホームとか)に入ったら少なくとも話し相手はいるし安心では……と私としては思っていました。

その人は週に一回デイサービスで施設に行き、リハビリやマッサージも受けています。
そこには近くに住む高齢者がマイクロバスの送迎で集まって来ます。
そこでデイサービスを受けられるのは健康に問題がある人ばかりですが、身体はなんともなくて認知症の人もいるそうです。
その中に、怒りっぽくてイライラと八つ当たりする(ものを投げたりする)人がいるようです。職員は慣れていてそれなりに受け流すのでしょうが、優しかったり気が弱かったりする人はとても怖れるようです。
認知症でなくても、気難しい人もいるようですね。

その人はお子さんの泊まりがけの出張のために今度初めてショートステイを利用するのですが、二人部屋なのが不安でならない様子。
いつも怒っている人ならどうしよう、いびきがうるさくて眠れなかったらどうしよう、首を絞められたら……と妄想(?)をたくましくしているようです。
何を着ていけばいいのかな、と一つ一つ心配だけど、なかなかケアマネに聞きにくいようです。
図々しいのの対極にいるような人ですから、初めてのことは不安でたまらないのですね。
結局、自分の家が一番いいのでしょう。
でもショートステイで気に入って、時々施設も利用出来るようになったらいいな、と思っています。
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2006年05月08日

メタボリック・シンドローム

きょう出先でそそくさと昼食を済ます必要があったので、久しぶりにマクドナルドに入りました。
フライドポテトは食べたくないからセットじゃなくて単品で注文かな、と思っていたら、今はポテトをサラダに代えられるのを知りました。
店内を見回したらけっこう高齢者も連れ立って来ていました。ポテトはあまり好まない人も少なくないでしょうから、サラダに出来るのはありがたい制度だと思いました(ドレッシングに和風があったら言うことなし)。
家に帰って娘にこの話をしたら、「スーパー・サイズ・ミーで吊るし上げられたからね」。
私もこの映画を見た時はショックを受けました。

「スーパー・サイズ・ミー」をご存知ない方のためにざっと説明すると、アメリカの映画監督:モーガン・スパーロックが「ファーストフードを1日3食1ヶ月食べ続けると人間どうなるか」を自ら実験したドキュメンタリー映画です。
1.ファーストフード店内にあるものしか注文しない
2.「スーパーサイズ」を勧められたら断らない
3.全てのメニューを必ず一度は食べる
4.3食全て残さず食べる
というルールでやったそうですから、かなり過激な人体実験です。それにスーパーサイズというのは日本人はびっくりするようなサイズではあります。

もともと健康体だった監督はこの高カロリー食生活でたちまちひどい病人に。ドクターストップがかかっても実験は続けられました。
撮影後、血圧や肝機能、コレステロール値は元に戻ったものの、太りやすい体質になってしまったそうです。
2004年にアメリカで公開されるやいなや大きな話題になりました。その年の暮れに日本で封切られたときは監督も来日。
「見てからは食べられないから」と上映前にマックを食べていたという若者の話を聞いたりしました。
やり玉に上がったマクドナルドは映画を黙殺しながらも、スーパーサイズの販売を自粛したりしたようです。
日本人はお茶を飲むからまだマシだと思いますが、スーパーサイズ(Lより大きい)のコーラやジュースを飲んでいたら、ハンパじゃない量の砂糖も摂取することになると思います。

この映画を見て驚いたのは、アメリカの小学校の給食にファーストフードやクッキー、ケーキにジュースやコーラといったものが出ているという実態です。これでは国をあげて肥満児を作っているようなものだと思いました。
先ごろ、豪州やアメリカで学校の自動販売機からジュースやコーラを追放するというニュースを聞きました。反応が遅すぎる、もっと早くするべきだったと思いますが、大きな前進であることは間違いないでしょう。
子どもには是非ミルクや野菜ジュースなど、栄養があって糖分の少ない飲み物に慣れてほしいものです。

夜のテレビニュースで「メタボリック・シンドローム」を取り上げていました。
これはかつては「シンドロームX」「死の四重奏」と呼ばれていたとかで、その恐ろしげな名前通り、急速に動脈硬化を進行させて心筋梗塞や脳梗塞の頻度を高める危険な病態。働き盛りに多いそうです。
今はわかりやすい診断基準が出来ていて、ウェスト回りが男性85cm女性90cm、それに高脂血症・高血圧・糖尿病のうち2つ以上があればメタボリック・シンドローム(代謝症候群)と診断されるそうです。

メタボリック・シンドロームの人は、40歳以上では3人に1人ともいわれるほどとても多く、特に肥満気味の人は要注意。一般には血糖値や血圧がやや高く、おなかの出て来た人(危険な内蔵脂肪型肥満)を指すようですから、周りにたくさんいそうですね。
それぞれ単独ではたいしたことない(見過ごされやすい)値でも、重複すると深刻な状態になるようです。
心臓病のリスクが、肥満・高血圧・高血糖・高脂血症・高コレステロールのうち2つ持つ人は10倍、3〜4つ併せ持つと31倍(!)になるという調査結果もあるようです。
前にも書きましたが昔ながらの和食と、適度な運動で、健康に痩せるといいと思います。禁煙も大事らしいです。
posted by dashi at 23:13| Comment(8) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月01日

何も解決していない

歌舞伎の市川団十郎さんが闘病から復帰し、きょう9年ぶりの舞台をつとめたそうです。
体力的にはまだまだで無理は出来ないでしょうが、元気になって舞台に立てる喜びはひとしおだろうなと思いました。
病気やケガで寝込んだりすると健康のありがたさが身にしみますね。
人間、健康に恵まれるのが何よりの幸せだと思います。だからこそ、理不尽に健康な生活を奪われるのは一番の災難と言えますね。それが対応次第では防ぐことが出来た、人災ならばなおさらのことです。

私は中学校の修学旅行で水俣の海を見たことがあります。
貸し切りバスでチッソ水俣工場の近くを通り、バスガイドさんが「これがあの水俣病を生んでいる工場です」といったような説明をしてくれました。
私もテレビニュースや新聞報道で水俣病のことを知る程度でしたが(九州に住んでいたから情報は多かったかもしれません)、あんな悲惨な被害を出している企業が平然と操業を続けているのには驚いたものです。
岸壁のすぐそばにバスが止まったとき、海に突き出したパイプから真っ黒な廃液がドボドボと垂れ流されているのが見えました。
(有機水銀を含んだ廃液かどうかはわかりません)
あんな汚れた水をよくも平気で海に流すものだ、廃液に汚染された海の魚を食べたから被害が出たのは周知の事実のはず、なぜ野放しなのかと激しい怒りを覚え、その光景は歳月を越えて今でもはっきり思い出せます。

水俣病が確認されてからきょうで50年になるそうです。
有機水銀を垂れ流さなくなったのが1968年ということですから、確認されてから10年も流し続けていたことになります。
被害者がおとなしい(中央から遠く離れた)田舎の人たちで、差別偏見を怖れて病気を隠すという風潮もあったらしいですから、政府の対応が遅れたということもあるでしょう。
政治的な理由(力関係)もかなりあったようですが、こちらは私にはよくわかりません。
とにかく無策のうちに被害が広がり、認定患者がごくわずかで(認定基準というのが個人差を無視した相当シビアなものである印象を受けます)、被害者数がいまだにはっきりわからないという無茶苦茶な話です。

きょうの記念式典で、被害者の女性がインタビューに答えていた言葉に深く共感を覚えました。
お偉いさんも出席した盛大な式典だったようですが、これだけは言わずにおれないといったような、静かな迫力ある言葉に「よく言った、おばちゃん、エライ!」とつぶやいた私です。
うろ覚えで恐縮ですが、こういう内容でした。
「こんなことをしてもらっても嬉しくない。私は悲しい。なんにも解決していないのに、50年たったからといってお祝いのようなことをするのは、空しいだけだ」

そう、水俣病はまだ何も解決していないのです。
中央政府からは遠い熊本で、あまり騒がないで年老いていく被害者たち。水俣病のことを知る人もだんだん少なくなっていきます。式典が終わったら報道されることもあまりなくなるのでしょう。
大昔の歴史上の出来事ではなく、いまそこに被害者がいて苦しんでいるというのに。死ぬまで待つつもりなんでしょうか。
北朝鮮拉致被害者と同じ構図。何も解決していない。
posted by dashi at 22:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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