内心を押し隠して、いつもニコニコと笑顔の女の子がいました。先日書いたタイプCのような「じっと我慢の子」ではなくて、どんなに嫌いな相手にも笑顔で接することがごく自然に出来る才能に恵まれているようでした。(彼女のほかの家族もそんなタイプでした)
当然敵は作りません、誰からも好かれていたと思います。
一度気持ちよく人と別れたあとで、彼女が今別れたばかりの人のことを「あの人大っきらい」と小さくつぶやくのを耳にして、私は腰が抜けるほどびっくりしました。
彼女はまたすぐ笑顔に戻り、別の話を始めました。
彼女との付き合いが途絶えたのは、私が夫のウソを知って悩んでいたとき、彼女が私にひと呼吸置いたあとで「ウソも方便じゃない」って言ったから。ウソなんか聞き流せばいい。そしてウソでもいいから、夫にはいい顔だけを見せて仲良くすればいいのよ、と言われたからです。
そういうことは私には出来ない、と言いました。
お給料のためにふりまく営業スマイルは、それはそれで涙ぐましい訓練の結果で立派なスキルだと思うけど、夫婦や家族の中でウソを許すわけにはいかない。何でもかんでも洗いざらい話せない場合もあるかもしれないけど、それならひたすら沈黙するべきだ、と私は思います。
耳障りのいいウソで誤摩化して相手を喜ばせるのって、これ以上ない残酷な仕打ちに思えます。
「折れたタバコの吸い殻で あなたのウソがわかるのよ」と始まるヒット曲がありました。
歌の題は「うそ」。ほかにいい人が出来て、結婚する気もないくせに「花嫁衣装はどうするの 僕は着物が好きだな」などと優しいウソをつく男を悲しく見ている女の歌です。
「あんまり飲んではいけないよ 帰りの車も気をつけて 一人の身体じゃないんだから」というのも「うそ」。
1974年の歌ですがずいぶん流行りました、当時で100万枚売れたそうです。
よくあるような情景ですね。映画の一シーンみたいで、中条きよしという名とともに、強烈に印象に残りました。
息子の養護学校で知り合ったお母さんが、自分の娘(障害児の妹。小学生)はすぐウソをつくのよ、とへらへら笑いながら言った時には驚きました。「それを許すわけ? ウソをついちゃいけないって叱らないの?」と詰め寄りました。
「ウソをつかせない」、これは子どもの人格形成にあたって何より大事なことではないのでしょうか。自分の子がすぐウソをつくことを笑い話にするという神経が理解出来ませんでした。
その場にはほかにも何人かいましたが、みんな気にも留めない様子。よその子のことにムキになっているのは私一人で、あとは一人のお母さんが「そうねえ、私もウソをついたら叱るかなあ」と穏やかに笑っただけでした。
平気でウソをつく子は、「悪いことをしてはいけない」という定規を持たないまま成長すると思います。ゲーム感覚で万引きしたり、いい子のふりをして陰で陰湿ないじめをしたり、結婚後も浮気するんじゃないでしょうか。殺したあとに平然と偽装工作も。
「ウソは泥棒のはじまり」と言いますが、私はホントにそうだと思うのです。ウソは諸悪の根源。
賞味期限を無視して生菓子を製造したり、架空の事務所経費を税金から使ったり、重大な手抜き工事のマンションや道路を造ったり。戦争をふっかける口実にも使われました。
こんなことは「ウソをつけない」人間には出来ないことだ。「ウソをつかない子」ばかりならきっと世の中良くなる、子どものウソを許さない態度が大切、と思うのですが、どうでしょうか。
ウソも方便と笑っていいのは、しつこそうなセールスマンを「実家が同業ですから」と角を立てずに追い払うときぐらいだと思います。
2007年01月21日
2007年01月16日
今年の目標
ぼやぼやしていたら、もう半月も過ぎてしまった。
きょう、年が明けて初めて食事をした友人と、今年は……と話をしました。
友人の方は、20年だか30年だかご無沙汰の、お琴をまた始めるそうです。一時は芸大の邦楽を希望していたこともあったくらい熱中していたものだそう。
私はほかにもありますが、実現可能な目標として今年はウィンドウズを使えるようになりたいな、と考えています。
人権派の弁護士さん(だと思う)のブログを読んでいると、行が飛んでいることがよくあります。これまでは、忙しい人だから大急ぎで打ってタイプミスも多いのだろうと失礼なことを思っていました。
ところがIEでなくSafariで見るときれいに表示されているのを発見。ウチのPCがMacなので、IEだと不具合が出ていたようです。
娘がウィンドウズのPCを持っているのでちょっと貸してもらって実験しました。
これまで表示出来なかったサイトや添付ファイルも即座に見ることが出来る。読み込みに時間がかかって不安定だったサイトにも、すぐアクセス出来ます。
これまでメールの添付ファイルが開けないとか、少し崩れて表示されるなどの問題はずっと我慢して来ました。
娘たちがデザインを勉強するためにMacを使い始め、買い替えながらわが家はずっとMacひとすじでした。
Macでは一般就職の役に立たない、と一大決心をした娘がウィンドウズを自分で買い、不要になったまだ新しかったMac OSXが私専用になって一年余り。
Air Macにウィンドウズも対応するようになったので、実に助かります。
Macでもブログの更新には十分だけど、いろいろストレスもたまります。一番困るのが、図書館のPCで調べものをするのにまごつくことですね。Macなら出来るのに、とイライラします。
(少ししかないけど、足りる!)ホームヘルパーで稼いだ金で買うぞ! と決心。注文しました。
というわけで、これまでコメントしようとするとバグっていたサイトにも、文字化けして書き込めなかったサイトにも、出現するつもり。これまで見れなかったページも閲覧出来る。うきうき。
息子用のゲーム(数が圧倒的に多い)をDL出来るのも嬉しいです。私がハマらないように気をつけよう。
それにウィンドウズなら、わからないところを教えてくれる人が周囲にたくさんいそうです。
ちゃんと勉強して、ワードとエクセルぐらいは使えるようになりたいと思っています。
……ほんのサワリだけでいいから。
きょう、年が明けて初めて食事をした友人と、今年は……と話をしました。
友人の方は、20年だか30年だかご無沙汰の、お琴をまた始めるそうです。一時は芸大の邦楽を希望していたこともあったくらい熱中していたものだそう。
私はほかにもありますが、実現可能な目標として今年はウィンドウズを使えるようになりたいな、と考えています。
人権派の弁護士さん(だと思う)のブログを読んでいると、行が飛んでいることがよくあります。これまでは、忙しい人だから大急ぎで打ってタイプミスも多いのだろうと失礼なことを思っていました。
ところがIEでなくSafariで見るときれいに表示されているのを発見。ウチのPCがMacなので、IEだと不具合が出ていたようです。
娘がウィンドウズのPCを持っているのでちょっと貸してもらって実験しました。
これまで表示出来なかったサイトや添付ファイルも即座に見ることが出来る。読み込みに時間がかかって不安定だったサイトにも、すぐアクセス出来ます。
これまでメールの添付ファイルが開けないとか、少し崩れて表示されるなどの問題はずっと我慢して来ました。
娘たちがデザインを勉強するためにMacを使い始め、買い替えながらわが家はずっとMacひとすじでした。
Macでは一般就職の役に立たない、と一大決心をした娘がウィンドウズを自分で買い、不要になったまだ新しかったMac OSXが私専用になって一年余り。
Air Macにウィンドウズも対応するようになったので、実に助かります。
Macでもブログの更新には十分だけど、いろいろストレスもたまります。一番困るのが、図書館のPCで調べものをするのにまごつくことですね。Macなら出来るのに、とイライラします。
(少ししかないけど、足りる!)ホームヘルパーで稼いだ金で買うぞ! と決心。注文しました。
というわけで、これまでコメントしようとするとバグっていたサイトにも、文字化けして書き込めなかったサイトにも、出現するつもり。これまで見れなかったページも閲覧出来る。うきうき。
息子用のゲーム(数が圧倒的に多い)をDL出来るのも嬉しいです。私がハマらないように気をつけよう。
それにウィンドウズなら、わからないところを教えてくれる人が周囲にたくさんいそうです。
ちゃんと勉強して、ワードとエクセルぐらいは使えるようになりたいと思っています。
……ほんのサワリだけでいいから。
2007年01月08日
おにぎり
その昔自動車学校で知り合った人数人と、自宅に行き来するほど親しく付き合っていたことがありました。
私はまだ幼稚園に入らない子ども二人を連れての学校通いで、親しくしていた人も同じくらいの子どものいる人ばかりでした。授業を受けて試験に備えるなんてみんな学生時代以来で、励まし合い、仮免に通ったら無邪気に喜び合っていました。
その中の一人に、結婚して長いこと子どもが出来ず、やっと生まれた男の子を連れていた人がいました。
その人は私と同じ九州の出身で、親類縁者は一人も近くにいないというのも私と同じでした。また、引っ越したばかりで知り合いもあまりいないようでした。ご主人も不規則な交代勤務の人でした。
やっと授かった待望の男の子を、友人や、手助けや助言してくれる人もない状態で育てていたのです。
子どもがちょっと咳をするとあわてて服を着せようとします。
親同士おしゃべりしていても常に不安そうな視線を子どもに向けていて、傍目には子どもが神経質な視線で始終見張られている感じに見えました。
子どもは線が細くひ弱な感じで、のびのびとした子どもらしさとは無縁な子でした。
そしてそのお母さんの悩みは「子どもがご飯を食べてくれない」。
子どもの好みそうな食事を一生懸命作って、その成果のなさに疲れているように見えました。
みんな無事に免許を取得して次第に疎遠になったあと、久しぶりに街で会ったことがありました。
その時そのお母さんに言われたのですが、言った私には全く記憶がありませんでした。
「ご飯を食べてくれない、と言ったら、アナタはこう言ったのよ、『おにぎり作って置いとけば、おなかがすいたら勝手に食べますよ』って」
彼女は私が冗談めかして口にした言葉が強烈に印象に残ったそうです。そんなにいいかげんなことでいいのかとあきれる一方、それくらい気楽に構えてもいいんじゃないかとも思ったそうです。
おにぎりを置くことはしなかったけれど、ちょうど成長をする時期だったのでしょう、彼女の子も食欲が出て来て食べるようになった。彼女の悩みは雲散霧消して、子育てを楽しめる余裕が出て来たようでした。
私は「3人めからは上の子が育ててくれる」と笑う母にほったらかされて育ちました。
ある朝寝坊して起き出したら、家の中は静まり返っていて、母に「まだいたのか! 学校に遅れるよ!」と驚かれたこともあったぐらいです。
そんな感じですから、「食べてくれない」という嘆きとは無縁でした。小学生のある日、おかずの中に私の嫌いな牡蛎が入っていて、それが強く匂う。こんなの食べたくないとダダをこねたら、父はもちろん母も姉たちもカンカンに怒って、「食べなくていい!」。食事室を追い出されました。
夜中におなかがすいてべそをかいていたら、母がこっそり小さいおにぎりを持って来てくれました。
たぶん父方の叔父さんが持って来てくれた採れたての牡蛎だったのだと思います。今は牡蛎飯や酢牡蛎なんか大好きな私ですが、小さいときは好き嫌いが多い子どもでした。
「お残しは許しまへんで」で育てた娘たちは、幸いあまり好き嫌いはない方です。次女は食が細くてあまり食べなかったですが、悩むほど小食でもありませんでした。
そして「食べてくれない」という悩みは3人め(頑固な偏食の自閉症児)の息子で、3人分たっぷり味わいました。
「おにぎりを作って置いといても、食べてくれない」子がいることを思い知ることとなりました。
いったい何なら受け入れてくれるのかと手探りの時期を過ぎて、豚汁なら何を入れても大丈夫、ケチャップ味もOK、マヨネーズ味もクリア、とだんだん広がっていっていたころは、毎日料理するのが楽しみでした。
今はたいていのものは食べるようになり、おにぎりだとまず割って中身をチェックしてから食べています。
おにぎりはご飯にもいろいろ混ぜられるので、とても便利な食品だと思います。ゴマや小さく刻んだ小松菜なんかから始めて、偏食をなくすのにも役立つかもしれませんね。
私はまだ幼稚園に入らない子ども二人を連れての学校通いで、親しくしていた人も同じくらいの子どものいる人ばかりでした。授業を受けて試験に備えるなんてみんな学生時代以来で、励まし合い、仮免に通ったら無邪気に喜び合っていました。
その中の一人に、結婚して長いこと子どもが出来ず、やっと生まれた男の子を連れていた人がいました。
その人は私と同じ九州の出身で、親類縁者は一人も近くにいないというのも私と同じでした。また、引っ越したばかりで知り合いもあまりいないようでした。ご主人も不規則な交代勤務の人でした。
やっと授かった待望の男の子を、友人や、手助けや助言してくれる人もない状態で育てていたのです。
子どもがちょっと咳をするとあわてて服を着せようとします。
親同士おしゃべりしていても常に不安そうな視線を子どもに向けていて、傍目には子どもが神経質な視線で始終見張られている感じに見えました。
子どもは線が細くひ弱な感じで、のびのびとした子どもらしさとは無縁な子でした。
そしてそのお母さんの悩みは「子どもがご飯を食べてくれない」。
子どもの好みそうな食事を一生懸命作って、その成果のなさに疲れているように見えました。
みんな無事に免許を取得して次第に疎遠になったあと、久しぶりに街で会ったことがありました。
その時そのお母さんに言われたのですが、言った私には全く記憶がありませんでした。
「ご飯を食べてくれない、と言ったら、アナタはこう言ったのよ、『おにぎり作って置いとけば、おなかがすいたら勝手に食べますよ』って」
彼女は私が冗談めかして口にした言葉が強烈に印象に残ったそうです。そんなにいいかげんなことでいいのかとあきれる一方、それくらい気楽に構えてもいいんじゃないかとも思ったそうです。
おにぎりを置くことはしなかったけれど、ちょうど成長をする時期だったのでしょう、彼女の子も食欲が出て来て食べるようになった。彼女の悩みは雲散霧消して、子育てを楽しめる余裕が出て来たようでした。
私は「3人めからは上の子が育ててくれる」と笑う母にほったらかされて育ちました。
ある朝寝坊して起き出したら、家の中は静まり返っていて、母に「まだいたのか! 学校に遅れるよ!」と驚かれたこともあったぐらいです。
そんな感じですから、「食べてくれない」という嘆きとは無縁でした。小学生のある日、おかずの中に私の嫌いな牡蛎が入っていて、それが強く匂う。こんなの食べたくないとダダをこねたら、父はもちろん母も姉たちもカンカンに怒って、「食べなくていい!」。食事室を追い出されました。
夜中におなかがすいてべそをかいていたら、母がこっそり小さいおにぎりを持って来てくれました。
たぶん父方の叔父さんが持って来てくれた採れたての牡蛎だったのだと思います。今は牡蛎飯や酢牡蛎なんか大好きな私ですが、小さいときは好き嫌いが多い子どもでした。
「お残しは許しまへんで」で育てた娘たちは、幸いあまり好き嫌いはない方です。次女は食が細くてあまり食べなかったですが、悩むほど小食でもありませんでした。
そして「食べてくれない」という悩みは3人め(頑固な偏食の自閉症児)の息子で、3人分たっぷり味わいました。
「おにぎりを作って置いといても、食べてくれない」子がいることを思い知ることとなりました。
いったい何なら受け入れてくれるのかと手探りの時期を過ぎて、豚汁なら何を入れても大丈夫、ケチャップ味もOK、マヨネーズ味もクリア、とだんだん広がっていっていたころは、毎日料理するのが楽しみでした。
今はたいていのものは食べるようになり、おにぎりだとまず割って中身をチェックしてから食べています。
おにぎりはご飯にもいろいろ混ぜられるので、とても便利な食品だと思います。ゴマや小さく刻んだ小松菜なんかから始めて、偏食をなくすのにも役立つかもしれませんね。
2006年12月31日
さらば2006年
気が付けばもう大晦日の夜。今年はやけに過ぎるのが早く、あっという間の一年でした。
夕方、息子を運動のため散歩に連れ出し、歩くのが速い息子に大股で必死に着いて歩きながら、
「ねえ、今年はどんな年だった? 楽しかったかな〜。卒業後の進路が見えてよかったね」
返事がないのはわかっているものの、語りかけていた私です。
今年は初めての現場実習に2回出て、学校卒業後のシュミレーションを体験することが出来ました。最初の時は大変でしたが2回めは問題なく順調に行って、本人も自信がついたように思えました。
療育センターのあと入学した養護学校で小学部からずっと過ごしています。叱られることのまずない温かい校風で、文字通りの温室育ちですから大いに不安はありました。来年度にも2回実習に出てから卒業となりますが、そつなくこなしてくれると信じたい気分です。
上の娘にとって大きかったのは、車の免許を取ったこと。そして転職して、パートながら満足して働ける職場にも恵まれました。これはとても自信になったようで、独り立ちの前段階なのか、私に対してもやたら反抗的。遅れて来た思春期という感じで近ごろはケンカばかりです。
友人にこぼすと、「そういう時期もないといけないのよ」と慰められました。はいはい「親殺し」でしょ、わかっちゃいるんだけどサ。
下の娘はマイペースでわが道を行っています。昨日は息子と3人で久しぶりに出かけたら、何を思ったか、安楽亭(行ったことないけど、息子は気に入りそうと話していたら)の焼き肉ランチをおごってくれました。
3人の子どもが無事にそれぞれ成長していて、親としてはまあまあだったかな、と自己満足。
今年の漢字が「命」と報道されましたが、私にとっても命についていろいろと考えさせられる年となりました。
仲谷昇さんのひと月後に岸田今日子さんが亡くなったのには、(ただの偶然と笑われそうですが)別れたと言っても子をなした夫婦なんだなあと感動してしまいました。
市川昭介さんや宮川泰さん、ポール・モーリア氏など広く親しまれた作曲家や、橋リューさん、灰谷健次郎さんも亡くなりましたね。丹波哲郎さんには出て来てあの世のリポートをしてほしい。
この前年下の友人が、今年は知り合いの葬儀が多かったと話していました。火葬場に行ったあとは数日落ち込むそうで、「やっぱり、ショックですよね〜」とため息。
私も10月に父が急逝して初めての骨拾い、ひと月ぐらい調子が悪かったと返事したことでした。
今年は姪が二人出産したので、世代交代を実感することにもなりました。
今年は皇室に男子誕生という大ニュースもあり、「男の子ってこれほど歓迎されるんだ〜」と驚きました。女の子しか生めないから離縁、という時代ではないでしょうが、そんな時代もあったことを彷彿とさせる出来事でした。
それにしても、反論や名誉毀損で訴えられる心配がない(?)のをいいことに、最近の週刊誌は皇太子妃への誹謗中傷書き放題。ずいぶん失礼な、事実誤認の記事も見受けられます。
宮内庁が秘密主義に固まらないのはいいことかもしれないけど、問題のある記事に対してはもっと毅然とした態度で抗議してほしいと思っています。それに秘密保持厳守の契約だと思うので、内情を洩らす職員はちゃんと処分してほしいです。
皇室は別格として、世の中は女性の地位向上はめざましく、仕事を持つお母さんも珍しくなくなりました。父親の権威はなくなる一方ですね。お父さんが怖くないと子育てにメリハリが効かなそうですが、もう古い考えかもしれません。
仕事を持つお母さんと言えば、復帰して紅白にまで出た森昌子の離婚騒ぎは印象に残りました。復帰は大歓迎を受けているようだし、頭抜けた特技があると強いですね。
それにしても、さっき紅白でのコメントでは、辛い時に支えてくれた母と子どもたち……という発言があり、夫はアンタを苦しめた「だけ」の存在かい? って言いたくなりました。3人の子どもがいい子たちなら、そのDNAの半分は夫のもののはず。ぐっと抑えて、有賀さつきみたいに「いい子たちをを授けてくれた夫に感謝している」ぐらい言ったらカッコよかったのに。
私は別に森進一のファンじゃないけど、どんな気持ちで「おふくろさん」を歌ってるのかなあと同情してしまいました。彼の境遇にも気の毒なところがありますからね。(この項敬称略)
今年は知事の逮捕が相次ぎましたが、東京都知事の庶民とかけ離れた金銭感覚、公私混同ぶりもあきれたものでした。これほどの問題を抱えた人でも、次の選挙ではまた選ばれるんじゃないでしょうか。野党が絶好の機会に乗れるほどに足元がしっかりしてないんですよね。
選挙民も、せっかくの直接選挙なのに、権利を行使して世の中良くしようという気概に欠けます。投票率が30%台なんて恥ずかしくて、普通選挙制度を敷いた先人に聞かせられないと思います。あなた任せの人が多すぎて、いいようにやられているのに、怒った学生がデモをすることもない。なんて御しやすい国民なんでしょう。
首相は首相で、問題が表面化した人に引導を渡すことも出来ない。国民の感情とかけ離れすぎの、内輪への気配り優先でどうする。指導力を発揮してほしいです。それに、小泉サンがぶっ壊して断ち切ろうとしたものを、せっせと拾い集めているような不愉快さを覚えます。昔の自民党に逆戻り?
2006年は、ブログのおかげで思いがけない交流を楽しめて、少しは頭も使い、充実させることの出来た年でした。言いたいことを書きなぐることで発散できて、ストレスが溜らないのも有り難かったです。
この個人的な道楽にお付き合い下さった皆様に厚くお礼を申し上げます。有り難うございました。
今後とも引き続き宜しくお願い致します。
来る2007年が皆様にとって素晴らしい年になりますように。
夕方、息子を運動のため散歩に連れ出し、歩くのが速い息子に大股で必死に着いて歩きながら、
「ねえ、今年はどんな年だった? 楽しかったかな〜。卒業後の進路が見えてよかったね」
返事がないのはわかっているものの、語りかけていた私です。
今年は初めての現場実習に2回出て、学校卒業後のシュミレーションを体験することが出来ました。最初の時は大変でしたが2回めは問題なく順調に行って、本人も自信がついたように思えました。
療育センターのあと入学した養護学校で小学部からずっと過ごしています。叱られることのまずない温かい校風で、文字通りの温室育ちですから大いに不安はありました。来年度にも2回実習に出てから卒業となりますが、そつなくこなしてくれると信じたい気分です。
上の娘にとって大きかったのは、車の免許を取ったこと。そして転職して、パートながら満足して働ける職場にも恵まれました。これはとても自信になったようで、独り立ちの前段階なのか、私に対してもやたら反抗的。遅れて来た思春期という感じで近ごろはケンカばかりです。
友人にこぼすと、「そういう時期もないといけないのよ」と慰められました。はいはい「親殺し」でしょ、わかっちゃいるんだけどサ。
下の娘はマイペースでわが道を行っています。昨日は息子と3人で久しぶりに出かけたら、何を思ったか、安楽亭(行ったことないけど、息子は気に入りそうと話していたら)の焼き肉ランチをおごってくれました。
3人の子どもが無事にそれぞれ成長していて、親としてはまあまあだったかな、と自己満足。
今年の漢字が「命」と報道されましたが、私にとっても命についていろいろと考えさせられる年となりました。
仲谷昇さんのひと月後に岸田今日子さんが亡くなったのには、(ただの偶然と笑われそうですが)別れたと言っても子をなした夫婦なんだなあと感動してしまいました。
市川昭介さんや宮川泰さん、ポール・モーリア氏など広く親しまれた作曲家や、橋リューさん、灰谷健次郎さんも亡くなりましたね。丹波哲郎さんには出て来てあの世のリポートをしてほしい。
この前年下の友人が、今年は知り合いの葬儀が多かったと話していました。火葬場に行ったあとは数日落ち込むそうで、「やっぱり、ショックですよね〜」とため息。
私も10月に父が急逝して初めての骨拾い、ひと月ぐらい調子が悪かったと返事したことでした。
今年は姪が二人出産したので、世代交代を実感することにもなりました。
今年は皇室に男子誕生という大ニュースもあり、「男の子ってこれほど歓迎されるんだ〜」と驚きました。女の子しか生めないから離縁、という時代ではないでしょうが、そんな時代もあったことを彷彿とさせる出来事でした。
それにしても、反論や名誉毀損で訴えられる心配がない(?)のをいいことに、最近の週刊誌は皇太子妃への誹謗中傷書き放題。ずいぶん失礼な、事実誤認の記事も見受けられます。
宮内庁が秘密主義に固まらないのはいいことかもしれないけど、問題のある記事に対してはもっと毅然とした態度で抗議してほしいと思っています。それに秘密保持厳守の契約だと思うので、内情を洩らす職員はちゃんと処分してほしいです。
皇室は別格として、世の中は女性の地位向上はめざましく、仕事を持つお母さんも珍しくなくなりました。父親の権威はなくなる一方ですね。お父さんが怖くないと子育てにメリハリが効かなそうですが、もう古い考えかもしれません。
仕事を持つお母さんと言えば、復帰して紅白にまで出た森昌子の離婚騒ぎは印象に残りました。復帰は大歓迎を受けているようだし、頭抜けた特技があると強いですね。
それにしても、さっき紅白でのコメントでは、辛い時に支えてくれた母と子どもたち……という発言があり、夫はアンタを苦しめた「だけ」の存在かい? って言いたくなりました。3人の子どもがいい子たちなら、そのDNAの半分は夫のもののはず。ぐっと抑えて、有賀さつきみたいに「いい子たちをを授けてくれた夫に感謝している」ぐらい言ったらカッコよかったのに。
私は別に森進一のファンじゃないけど、どんな気持ちで「おふくろさん」を歌ってるのかなあと同情してしまいました。彼の境遇にも気の毒なところがありますからね。(この項敬称略)
今年は知事の逮捕が相次ぎましたが、東京都知事の庶民とかけ離れた金銭感覚、公私混同ぶりもあきれたものでした。これほどの問題を抱えた人でも、次の選挙ではまた選ばれるんじゃないでしょうか。野党が絶好の機会に乗れるほどに足元がしっかりしてないんですよね。
選挙民も、せっかくの直接選挙なのに、権利を行使して世の中良くしようという気概に欠けます。投票率が30%台なんて恥ずかしくて、普通選挙制度を敷いた先人に聞かせられないと思います。あなた任せの人が多すぎて、いいようにやられているのに、怒った学生がデモをすることもない。なんて御しやすい国民なんでしょう。
首相は首相で、問題が表面化した人に引導を渡すことも出来ない。国民の感情とかけ離れすぎの、内輪への気配り優先でどうする。指導力を発揮してほしいです。それに、小泉サンがぶっ壊して断ち切ろうとしたものを、せっせと拾い集めているような不愉快さを覚えます。昔の自民党に逆戻り?
2006年は、ブログのおかげで思いがけない交流を楽しめて、少しは頭も使い、充実させることの出来た年でした。言いたいことを書きなぐることで発散できて、ストレスが溜らないのも有り難かったです。
この個人的な道楽にお付き合い下さった皆様に厚くお礼を申し上げます。有り難うございました。
今後とも引き続き宜しくお願い致します。
来る2007年が皆様にとって素晴らしい年になりますように。
2006年12月30日
明日、書き直します
きょう書いていた文章に確認したいことがあり、明日(もう、今日ですが)満を期して書き直すことにします。どうも失礼しました。
2006年12月28日
小さい旅
きょうは朝から大掃除の仕上げ、ゴミを捨ててすっきりしたところで、息子と二人家を出ました。暖かくてお天気も良く恰好の行楽日和だけど半日だからそう遠出は出来ないと考え、電車を乗り継いで鎌倉へ行くことにしました。
着いてみると、こんな時期でも観光客が多く、けっこうな人出でした。
息子にとって鎌倉で向かうところは鶴岡八幡宮です。何度か来ているので道はよくわかっていて、どんどん歩いて行きます。私はそのあとを見失わないように着いて行くだけ。
目的地に一目散に向かう息子と一緒では、せっかくの小町通をぶらぶらするような楽しみ方は出来なくて、早足で通り過ぎながら横目で見るだけです。
八幡宮で、そばを歩いていた家族連れが「お正月はすごいんだよ〜」と話していました。初詣は何万という人出で賑わうのでしょうね。初詣客に備えて石段の両側に仮設の柵でも設置するのでしょうか、青竹を二本渡す工事をしていました。鳥居付近の石畳も一つ一つ雑巾で拭いていました。
破魔矢やおみくじの準備も整って、新年を迎える準備はだいぶ進んでいるようでした。
年明けに息子を連れて初詣(人ごみ)は無理だから、一足先に参拝して来年もよろしくお願いします、と手を合わせました。冬休みになってまもなく、息子の散歩のお供で近くの神社をはしごした時も参拝したので、そんなにあちこちでお願いしてもいいものかと迷いながら、いいかげんなことをやっています。
鶴岡八幡宮と言えば、石段左脇にある大銀杏は有名です。化粧直しをしたという最新ニュースがありました。
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxidec542/
以前行った時は野生のリスが走り回っていた元気な樹でしたが、今日見たら台風で折れた枝をだいぶ切り詰めてあって驚きました。でも銀杏は再生力の強い樹ですから、またすぐたくさんの枝が出ていました。
元気な樹のころの画像がありましたのでご覧下さい。
http://www.geocities.jp/y_tadashi_jp/turuokahachiman/turuokahachiman.htm
樹齢1000年、県指定の重要記念物、幹の周り7m高さ30m。銀杏の古木に多い気根が多数垂れ下がっていますが、これは霊験あらたかと歓迎されるもののようです。
源実朝を殺した公暁がこの銀杏の陰に隠れていたことから、「隠れ銀杏」とも呼ばれています。
鶴岡八幡宮を出て段葛を通り、豊島屋本店で鳩サブレを買って(息子の好物。嬉しそうにずっと持っていました)、そのまま帰るのは早すぎるので江の電に乗ることにしました。
電車が出たばかりだったので、待っている間に二人で名物(?)の玄米チーズあんぱんというのを食べてみました。バターや卵を使っていないそうなので、アレルギーのある人には歓迎される甘味だろうと思います。小ぶりで割高ですが、あっさりしていて味は良かったです。
小物のほか江の電サブレやケーキなども売ってあって、江の電はなかなかあやかり商売熱心だと思いました。シーズンには修学旅行客が買い占めるのかもしれませんね。
江の電にはずいぶん久しぶりに乗りましたが、息子はどうも覚えていた様子で、懐かしそうに外を見ていました。途中で海が見えましたが、灰色で波が高く荒れて、いかにも冬の海。
途中で対向車輛を待ち合わせたので、江の電って単線なんだと思い出しました。ほかでも数分止まったりしましたし、急いでいる人には酷な路線かもしれません。
終点の藤沢まで乗って、息子の後を追って歩いたらJRの駅に着きました。どうして道を知ってるんだろうと不思議。逆向きに昔乗った記憶が残っているのかもしれません、さすが自閉症。
帰りはもう真っ暗で、とても寒くなりました。帰宅してさっさとご飯を食べたら、大急ぎで自分の部屋にこもってしまった息子。外の刺激に疲れて早く一人になりたかったのかも、と思いました。
着いてみると、こんな時期でも観光客が多く、けっこうな人出でした。
息子にとって鎌倉で向かうところは鶴岡八幡宮です。何度か来ているので道はよくわかっていて、どんどん歩いて行きます。私はそのあとを見失わないように着いて行くだけ。
目的地に一目散に向かう息子と一緒では、せっかくの小町通をぶらぶらするような楽しみ方は出来なくて、早足で通り過ぎながら横目で見るだけです。
八幡宮で、そばを歩いていた家族連れが「お正月はすごいんだよ〜」と話していました。初詣は何万という人出で賑わうのでしょうね。初詣客に備えて石段の両側に仮設の柵でも設置するのでしょうか、青竹を二本渡す工事をしていました。鳥居付近の石畳も一つ一つ雑巾で拭いていました。
破魔矢やおみくじの準備も整って、新年を迎える準備はだいぶ進んでいるようでした。
年明けに息子を連れて初詣(人ごみ)は無理だから、一足先に参拝して来年もよろしくお願いします、と手を合わせました。冬休みになってまもなく、息子の散歩のお供で近くの神社をはしごした時も参拝したので、そんなにあちこちでお願いしてもいいものかと迷いながら、いいかげんなことをやっています。
鶴岡八幡宮と言えば、石段左脇にある大銀杏は有名です。化粧直しをしたという最新ニュースがありました。
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxidec542/
以前行った時は野生のリスが走り回っていた元気な樹でしたが、今日見たら台風で折れた枝をだいぶ切り詰めてあって驚きました。でも銀杏は再生力の強い樹ですから、またすぐたくさんの枝が出ていました。
元気な樹のころの画像がありましたのでご覧下さい。
http://www.geocities.jp/y_tadashi_jp/turuokahachiman/turuokahachiman.htm
樹齢1000年、県指定の重要記念物、幹の周り7m高さ30m。銀杏の古木に多い気根が多数垂れ下がっていますが、これは霊験あらたかと歓迎されるもののようです。
源実朝を殺した公暁がこの銀杏の陰に隠れていたことから、「隠れ銀杏」とも呼ばれています。
鶴岡八幡宮を出て段葛を通り、豊島屋本店で鳩サブレを買って(息子の好物。嬉しそうにずっと持っていました)、そのまま帰るのは早すぎるので江の電に乗ることにしました。
電車が出たばかりだったので、待っている間に二人で名物(?)の玄米チーズあんぱんというのを食べてみました。バターや卵を使っていないそうなので、アレルギーのある人には歓迎される甘味だろうと思います。小ぶりで割高ですが、あっさりしていて味は良かったです。
小物のほか江の電サブレやケーキなども売ってあって、江の電はなかなかあやかり商売熱心だと思いました。シーズンには修学旅行客が買い占めるのかもしれませんね。
江の電にはずいぶん久しぶりに乗りましたが、息子はどうも覚えていた様子で、懐かしそうに外を見ていました。途中で海が見えましたが、灰色で波が高く荒れて、いかにも冬の海。
途中で対向車輛を待ち合わせたので、江の電って単線なんだと思い出しました。ほかでも数分止まったりしましたし、急いでいる人には酷な路線かもしれません。
終点の藤沢まで乗って、息子の後を追って歩いたらJRの駅に着きました。どうして道を知ってるんだろうと不思議。逆向きに昔乗った記憶が残っているのかもしれません、さすが自閉症。
帰りはもう真っ暗で、とても寒くなりました。帰宅してさっさとご飯を食べたら、大急ぎで自分の部屋にこもってしまった息子。外の刺激に疲れて早く一人になりたかったのかも、と思いました。
2006年12月24日
やり直し
つい最近、息子関係の知り合いの結婚式に参列しました。息子宛の招待状だったので息子の出席で私は付き添い。新婦がクリスチャンだから(新郎の方は不明)か、教会での式でした。
知的障害を伴う自閉症の息子は、残念ながら自分の立場が理解出来ません。ベールのかかった横顔が誰かすらも、分からなかったのではないかと思いました。
息子は連れて行っても喜ぶわけじゃないのは重々承知で私が参列したのには理由があります。
この新婦は20代に結婚と離婚を経験した人で、離婚した時期がどうも私と同じ頃らしいのです。離婚後も姓が変わらなかったので知らなかったのですが、あとで人に聞きました。
どんな事情があったのかわかりませんが、子どももいないので結婚前と同じ職場でずっと働き続けています。バリバリ仕事をしている人だから全く余計なお世話なのですが、彼女と会う度に私はひそかにその将来を気がかりに思っていました。
だから、新しい伴侶を得て幸せな結婚をする彼女を、素直に祝福したいと思ったのです。
式で初めて見た新郎は優しそうな落ち着いた人で、仕事も福祉関係の堅い職場。今度こそ彼女は幸せな家庭を持てるだろうととても嬉しく思いました。
みんながそうだとは言いませんが、第三者の目を通して相手を選ぶお見合いは別として、まだ未熟な若い時に恋愛で結婚相手を選ぶ人が大多数だと思います。
自分のことを考えても、あまり先のことは考えてなかった。価値観の違いがあるのはわかっていても、立ち止まって考える賢明さに欠けていました。ろくに覚悟も決めないままに成りゆきで結婚し、未熟なまま親になりました。相手にも子どもにも、申し訳ないことをしたと思っています。
だからやり直しがきく人には良かったねと言いたいし、ちょっぴり羨ましくもあります。
再婚と言えば、「だから あなたも生き抜いて」の大平光代さんの再婚を以前ここでもご紹介しました。
最初の結婚は16歳のときで相手は極道。並外れた努力で手に入れた、やり直しの人生の伴侶は先輩弁護士です。
その大平光代さんは9月に41歳で出産、生まれた女の子はダウン症だったそうです。
http://www.sankei-kansai.com/03_kikaku/ijime/01.htm
その現実を受け入れるのに彼女は1秒あれば足りたそうで、全くすごい人ですね。
悠(はるか)ちゃんもこんな根性のすわったお母さんの元に生まれて幸せだろうし、世のダウン症を持つ親、障害児の親にとっては心強い味方。ありがたいことです。
知的障害を伴う自閉症の息子は、残念ながら自分の立場が理解出来ません。ベールのかかった横顔が誰かすらも、分からなかったのではないかと思いました。
息子は連れて行っても喜ぶわけじゃないのは重々承知で私が参列したのには理由があります。
この新婦は20代に結婚と離婚を経験した人で、離婚した時期がどうも私と同じ頃らしいのです。離婚後も姓が変わらなかったので知らなかったのですが、あとで人に聞きました。
どんな事情があったのかわかりませんが、子どももいないので結婚前と同じ職場でずっと働き続けています。バリバリ仕事をしている人だから全く余計なお世話なのですが、彼女と会う度に私はひそかにその将来を気がかりに思っていました。
だから、新しい伴侶を得て幸せな結婚をする彼女を、素直に祝福したいと思ったのです。
式で初めて見た新郎は優しそうな落ち着いた人で、仕事も福祉関係の堅い職場。今度こそ彼女は幸せな家庭を持てるだろうととても嬉しく思いました。
みんながそうだとは言いませんが、第三者の目を通して相手を選ぶお見合いは別として、まだ未熟な若い時に恋愛で結婚相手を選ぶ人が大多数だと思います。
自分のことを考えても、あまり先のことは考えてなかった。価値観の違いがあるのはわかっていても、立ち止まって考える賢明さに欠けていました。ろくに覚悟も決めないままに成りゆきで結婚し、未熟なまま親になりました。相手にも子どもにも、申し訳ないことをしたと思っています。
だからやり直しがきく人には良かったねと言いたいし、ちょっぴり羨ましくもあります。
再婚と言えば、「だから あなたも生き抜いて」の大平光代さんの再婚を以前ここでもご紹介しました。
最初の結婚は16歳のときで相手は極道。並外れた努力で手に入れた、やり直しの人生の伴侶は先輩弁護士です。
その大平光代さんは9月に41歳で出産、生まれた女の子はダウン症だったそうです。
http://www.sankei-kansai.com/03_kikaku/ijime/01.htm
その現実を受け入れるのに彼女は1秒あれば足りたそうで、全くすごい人ですね。
悠(はるか)ちゃんもこんな根性のすわったお母さんの元に生まれて幸せだろうし、世のダウン症を持つ親、障害児の親にとっては心強い味方。ありがたいことです。
2006年12月23日
Softbankにもの申す
携帯の機種変更をしようとした娘が、「今のサービスをそのまま使えなくなる」と言われて断念したそうです。
Vodaphoneの時代に買った電話機なのでVodaphoneのプランを使っていますが、機種変更をするとSoftbankのものに変えないといけないらしい。
今は長電話するのにラブ定額とやらで毎月数万円分節約しているので、これが使えないと困る。そりゃそうでしょう(来年になると可能とか。0円キャンペーンが終わってから?)。何万円分も長電話してないで会うなりその時間勉強なりしてくれればいいんですが、それはまあさておき。
全く、不愉快な思いをしています。私はそもそも、胡散臭いあのおでこの広いオジさんの会社の電話機を使うつもりなんか毛頭なかった。まさか2回も会社名が変わる憂き目に遭うなんて。あのヒトの会社になるなんて。
J-foneからVodaphoneのときは、別に腹も立たなかった。電話機を買い替えたりもしましたよ。
でも今度はひどい。メールが0円なんて詐欺まがいのキャンペーンを張って、実はタダでもなんでもないってことであざ笑われている。顧客として恥ずかしい。
だいたい、コストがかかっているものをタダで提供出来るわけがない。タダより高いものはない、が世のならい。どこかで釣り合いを取るに決まっています。あんな見えすいた手口で客を増やそうなんて、消費者をなめてると思う。
今契約なら何割引だとか何とか、今の値段でやっていけるんなら値上げする必要はないでしょう。そんなら最初から安くすりゃあいいじゃないか。
それに、長く使っている顧客を少しは大事にして、現在ありがたく使っているVodaphoneのサービスをそのまま提供したらどうなんだろう。
昔、うちの近くに開店した家電の量販店は、バカ安の目玉商品を用意して集客を図っていました。
出血価格の目玉目当てで、開店当初はそりゃあ押すな押すなの賑わい、でもすぐ行き詰まって閉店してしまいました。そりゃあそうでしょう、バカ安の分は他の商品で穴埋めしなきゃいけないんだから、目玉以外は割高になってしまう。
ヨドバシみたいに桁違いの大きな商売していれば倉庫買いでコストダウンも可能だろうけど、小さい量販店じゃ太刀打ち出来ないはずです。
第一、客を集めればいいってもんじゃない。目玉に飛びつくだけの単発の客じゃなくて、ことあるごとにやって来てくれる常連さんやリピーターが増えないと店はやっていけないと思う。携帯で言えば、何年も契約したままの古い顧客でしょ。
最近に限ったことではないけれど、Softbankのメールは、特に夕方から夜にかけては、届かないことが多すぎる。「何分の特急に乗ったから駅まで迎えに来て〜」というのが、夜中になってから届いたりします。
わが家は3人でSoftbankを使っていますが、3人ともこういうことはよく経験するし、周囲の利用者にも同じ意見の人が多いです。
こういう不都合はずいぶん前から指摘されていて、番号を移せるようになったのを機にSoftbankに見切りをつける人も多いように思います。なにしろ、いっこうに改善されないのだから。いやむしろひどくなる一方です。
悪評紛々のコマーシャル(友だちに「アンタが悪いんじゃない」と言うもの)作ったり、キャメロン・ディアスの出来の悪い写真(見る度に腹が立つ。もっときれいな人のはず)を駅に張りまくったり、ブラピを起用するカネがあるなら、中継局を整備してメールがちゃんと使えるようにしてほしい。
そっちの都合で会社が変わったんだから、もとのサービスを継続して使えるなり、似たようなサービスを用意してしかるべきだと思う。
しっかり頼みますよ、Softbank。つぶしたりしないでね孫社長。せめて私の携帯が壊れるまでは。
Vodaphoneの時代に買った電話機なのでVodaphoneのプランを使っていますが、機種変更をするとSoftbankのものに変えないといけないらしい。
今は長電話するのにラブ定額とやらで毎月数万円分節約しているので、これが使えないと困る。そりゃそうでしょう(来年になると可能とか。0円キャンペーンが終わってから?)。何万円分も長電話してないで会うなりその時間勉強なりしてくれればいいんですが、それはまあさておき。
全く、不愉快な思いをしています。私はそもそも、胡散臭いあのおでこの広いオジさんの会社の電話機を使うつもりなんか毛頭なかった。まさか2回も会社名が変わる憂き目に遭うなんて。あのヒトの会社になるなんて。
J-foneからVodaphoneのときは、別に腹も立たなかった。電話機を買い替えたりもしましたよ。
でも今度はひどい。メールが0円なんて詐欺まがいのキャンペーンを張って、実はタダでもなんでもないってことであざ笑われている。顧客として恥ずかしい。
だいたい、コストがかかっているものをタダで提供出来るわけがない。タダより高いものはない、が世のならい。どこかで釣り合いを取るに決まっています。あんな見えすいた手口で客を増やそうなんて、消費者をなめてると思う。
今契約なら何割引だとか何とか、今の値段でやっていけるんなら値上げする必要はないでしょう。そんなら最初から安くすりゃあいいじゃないか。
それに、長く使っている顧客を少しは大事にして、現在ありがたく使っているVodaphoneのサービスをそのまま提供したらどうなんだろう。
昔、うちの近くに開店した家電の量販店は、バカ安の目玉商品を用意して集客を図っていました。
出血価格の目玉目当てで、開店当初はそりゃあ押すな押すなの賑わい、でもすぐ行き詰まって閉店してしまいました。そりゃあそうでしょう、バカ安の分は他の商品で穴埋めしなきゃいけないんだから、目玉以外は割高になってしまう。
ヨドバシみたいに桁違いの大きな商売していれば倉庫買いでコストダウンも可能だろうけど、小さい量販店じゃ太刀打ち出来ないはずです。
第一、客を集めればいいってもんじゃない。目玉に飛びつくだけの単発の客じゃなくて、ことあるごとにやって来てくれる常連さんやリピーターが増えないと店はやっていけないと思う。携帯で言えば、何年も契約したままの古い顧客でしょ。
最近に限ったことではないけれど、Softbankのメールは、特に夕方から夜にかけては、届かないことが多すぎる。「何分の特急に乗ったから駅まで迎えに来て〜」というのが、夜中になってから届いたりします。
わが家は3人でSoftbankを使っていますが、3人ともこういうことはよく経験するし、周囲の利用者にも同じ意見の人が多いです。
こういう不都合はずいぶん前から指摘されていて、番号を移せるようになったのを機にSoftbankに見切りをつける人も多いように思います。なにしろ、いっこうに改善されないのだから。いやむしろひどくなる一方です。
悪評紛々のコマーシャル(友だちに「アンタが悪いんじゃない」と言うもの)作ったり、キャメロン・ディアスの出来の悪い写真(見る度に腹が立つ。もっときれいな人のはず)を駅に張りまくったり、ブラピを起用するカネがあるなら、中継局を整備してメールがちゃんと使えるようにしてほしい。
そっちの都合で会社が変わったんだから、もとのサービスを継続して使えるなり、似たようなサービスを用意してしかるべきだと思う。
しっかり頼みますよ、Softbank。つぶしたりしないでね孫社長。せめて私の携帯が壊れるまでは。
2006年12月20日
格安ツアー
格安航空券と言うと海外旅行を連想する人が多いと思いますが、国内旅行にもあります。あまり儲からないので広告宣伝費はかけられないのでしょう、その存在は案外知られていないように思います。
今回の帰省で私が使ったのは、往復JALの航空券にホテル一泊つきのツアー。帰省、行楽シーズンではない平日なので一番の低料金、片道の航空券より安いからびっくりです。
ツアーと言っても単独行動です。ツアーチケットのばら売りという感じですが、実際にそういう仕組みで安くなっているらしいですね。安くても、空気だけを運んだり、客がいなくてスタッフだけ待機、というのよりはいくらかマシなのでしょう。
スカイマークのようなもともと安いチケットや、航空会社が販売する割引券((PEX航空券。1万円チケットなどの企画ものも)がシーズンによっては非常に安くなる例もあるようです。
今回は目的地(空港)や搭乗時間も、ホテルも(対象物件の中から)自分で自由に選べました。
安いツアーであることのしばりとしては、10日前までしか購入出来ないことと、搭乗機種と日時の変更、ホテルの変更が出来ないことぐらいでしょうか。もうちょっと高いツアーになると、手数料払えば(いらないのもある)帰りを延ばせるのもあるようですね。
安いからあまり期待していなかったホテルも、まあ古いながらも普通にシャレた部屋で、バイキングの朝食つきです。
ツインの部屋に一人で泊まりました。夏に岐阜に行った時はシングルの部屋でとても窮屈、「狭い部屋を無駄なく使う工夫」の見本みたいだったので、今回は開放感に浸れました。
父は亡くなり母は入院中。親のいない実家ではなくホテルに泊まって(ちゃんと泊まるように旅行社からは釘をさされています)、田舎の友人と会うつもりでしたが友人の子の風邪のため中止。一人でのんびりしました。
そう高くないホテルらしく、朝食時には庶民的な外国人を多く見かけました。東南アジア系の団体さんがいたので「どこから?」と(いちおう英語で)聞いてみたら、シンガポールからのお客さんでした。
大人と一緒に子どももいましたが、シンガポールはもう冬休みなんでしょうか。
この半年で4回も帰郷(一度は途中まで)しましたが、急に葬儀となった前回以外は安いツアーの航空券を使いました。(この部分、事実関係に誤認があるようです。メンドクサイのでこのままで。21日記入)安いのにもいろいろあるようです。
今度初めて経験したのは、あらかじめ郵送されて来た書類に記された数字(アルファベットまじりの8桁)を機械に打ち込んで、航空券を発券するシステムです。ほかの2回は旅行会社の店頭で手渡されたのと、空港の専用カウンターに行って受け取るやり方でした。
航空券を機械で発券出来るなら、人件費も時間もだいぶ節約出来るのではと思いました。正規の料金で購入した前回は、搭乗券購入のために行列して乗り遅れないかやきもきしたものです(先にしてもらいました)。
息子は明日から冬休みとなるので、きょうは短縮授業でした。スクールバスのポイントに一時間早く迎えに行くのに間に合わせるため、午前中の便で戻って来るという慌ただしいスケジュールでした。
母の見舞いに行ったら、同じ病院にたまたま父の義姉も入院しているというので覗きに行き、居合わせた年上のいとことひとしきり話し込みました。義伯母はもう87歳と高齢ですが、この年になるまで大きな病気も怪我もしたことがなかったそうです。
義伯母は交通事故で下半身を3カ所も骨折して、その後高熱が出て意識を無くし始終眠ってばかり。顔をしかめたり目をちょっと開ける場面もありましたが、反射反応という感じでした。
この人もこのまま眠るように絶命するのかなと、先日亡くなった世界一長生きした女性(12月14日付でここに書きました)のことを思いました。
今回は、やたらと胸騒ぎするので帰省したのでしたが、もしかしてこの義伯母に呼ばれたのかもしれません。おそらくこれでお別れなのだろうと思いました。
伯父は15年も前に亡くなっていますが、その後もずっと隣町の父の生家を守っている気丈な人です。父の葬儀のときはまだ元気で言葉も交わしたのに、と諸行無常の感を強くしました。
母は怖れていた通り認知症がだいぶ進んでいて(癌が脳に転移ということかもしれません)、私のことも「これ誰?」と姉に聞かれてもわかっているのか微妙。とんちんかんなことを言っていましたが、身体の方は痛みもなく大丈夫のようでした。
姉が業者に頼んできれいにしたお墓に参りに行ったら、父の名前に並んで母の名前も彫ってありました。「こうすれば長生きするってみんなが言うから」と姉は言ってましたが、墓地を買うと長生きするというのは私も聞いたことあります。(買うのを待ったように亡くなった、という話もありますけどね)
それにしても、亡くなってから葬儀に参列するよりは、存命中に見舞う方が本人も少しは喜んでくれるでしょう。また格安ツアーのお世話になろうと思った次第です。
今回の帰省で私が使ったのは、往復JALの航空券にホテル一泊つきのツアー。帰省、行楽シーズンではない平日なので一番の低料金、片道の航空券より安いからびっくりです。
ツアーと言っても単独行動です。ツアーチケットのばら売りという感じですが、実際にそういう仕組みで安くなっているらしいですね。安くても、空気だけを運んだり、客がいなくてスタッフだけ待機、というのよりはいくらかマシなのでしょう。
スカイマークのようなもともと安いチケットや、航空会社が販売する割引券((PEX航空券。1万円チケットなどの企画ものも)がシーズンによっては非常に安くなる例もあるようです。
今回は目的地(空港)や搭乗時間も、ホテルも(対象物件の中から)自分で自由に選べました。
安いツアーであることのしばりとしては、10日前までしか購入出来ないことと、搭乗機種と日時の変更、ホテルの変更が出来ないことぐらいでしょうか。もうちょっと高いツアーになると、手数料払えば(いらないのもある)帰りを延ばせるのもあるようですね。
安いからあまり期待していなかったホテルも、まあ古いながらも普通にシャレた部屋で、バイキングの朝食つきです。
ツインの部屋に一人で泊まりました。夏に岐阜に行った時はシングルの部屋でとても窮屈、「狭い部屋を無駄なく使う工夫」の見本みたいだったので、今回は開放感に浸れました。
父は亡くなり母は入院中。親のいない実家ではなくホテルに泊まって(ちゃんと泊まるように旅行社からは釘をさされています)、田舎の友人と会うつもりでしたが友人の子の風邪のため中止。一人でのんびりしました。
そう高くないホテルらしく、朝食時には庶民的な外国人を多く見かけました。東南アジア系の団体さんがいたので「どこから?」と(いちおう英語で)聞いてみたら、シンガポールからのお客さんでした。
大人と一緒に子どももいましたが、シンガポールはもう冬休みなんでしょうか。
この半年で4回も帰郷(一度は途中まで)しましたが、急に葬儀となった前回以外は安いツアーの航空券を使いました。(この部分、事実関係に誤認があるようです。メンドクサイのでこのままで。21日記入)安いのにもいろいろあるようです。
今度初めて経験したのは、あらかじめ郵送されて来た書類に記された数字(アルファベットまじりの8桁)を機械に打ち込んで、航空券を発券するシステムです。ほかの2回は旅行会社の店頭で手渡されたのと、空港の専用カウンターに行って受け取るやり方でした。
航空券を機械で発券出来るなら、人件費も時間もだいぶ節約出来るのではと思いました。正規の料金で購入した前回は、搭乗券購入のために行列して乗り遅れないかやきもきしたものです(先にしてもらいました)。
息子は明日から冬休みとなるので、きょうは短縮授業でした。スクールバスのポイントに一時間早く迎えに行くのに間に合わせるため、午前中の便で戻って来るという慌ただしいスケジュールでした。
母の見舞いに行ったら、同じ病院にたまたま父の義姉も入院しているというので覗きに行き、居合わせた年上のいとことひとしきり話し込みました。義伯母はもう87歳と高齢ですが、この年になるまで大きな病気も怪我もしたことがなかったそうです。
義伯母は交通事故で下半身を3カ所も骨折して、その後高熱が出て意識を無くし始終眠ってばかり。顔をしかめたり目をちょっと開ける場面もありましたが、反射反応という感じでした。
この人もこのまま眠るように絶命するのかなと、先日亡くなった世界一長生きした女性(12月14日付でここに書きました)のことを思いました。
今回は、やたらと胸騒ぎするので帰省したのでしたが、もしかしてこの義伯母に呼ばれたのかもしれません。おそらくこれでお別れなのだろうと思いました。
伯父は15年も前に亡くなっていますが、その後もずっと隣町の父の生家を守っている気丈な人です。父の葬儀のときはまだ元気で言葉も交わしたのに、と諸行無常の感を強くしました。
母は怖れていた通り認知症がだいぶ進んでいて(癌が脳に転移ということかもしれません)、私のことも「これ誰?」と姉に聞かれてもわかっているのか微妙。とんちんかんなことを言っていましたが、身体の方は痛みもなく大丈夫のようでした。
姉が業者に頼んできれいにしたお墓に参りに行ったら、父の名前に並んで母の名前も彫ってありました。「こうすれば長生きするってみんなが言うから」と姉は言ってましたが、墓地を買うと長生きするというのは私も聞いたことあります。(買うのを待ったように亡くなった、という話もありますけどね)
それにしても、亡くなってから葬儀に参列するよりは、存命中に見舞う方が本人も少しは喜んでくれるでしょう。また格安ツアーのお世話になろうと思った次第です。
2006年12月18日
また、お休みします
実家の母が入院しているので、明日、冬休みになる前に見舞いに行きます。
ホテル一泊もついた格安のツアーチケットで、それでもJALで往復です。
いったい、どういう料金体系になっているのか興味津々ですが、それはまた帰ってからゆっくりと。
息子を連れては帰省もままならないし、休み中に預けるのは費用もかさむので、明日朝出ます。今夜はちょっと忙しいので、更新はお休みさせていただきます。よろしく〜。
ホテル一泊もついた格安のツアーチケットで、それでもJALで往復です。
いったい、どういう料金体系になっているのか興味津々ですが、それはまた帰ってからゆっくりと。
息子を連れては帰省もままならないし、休み中に預けるのは費用もかさむので、明日朝出ます。今夜はちょっと忙しいので、更新はお休みさせていただきます。よろしく〜。
2006年12月16日
障害児と逆縁
きょう息子の通う養護学校でクリスマス会があって出かけました。
午前中の式が終わったあと昼食後には、関係の深い大学からやって来た合唱部の皆さんがコンサートを開いてくれました。アカペラで童謡などを歌ってくれ、最後の方ではピアノの伴奏もつけて賛美歌やハレルヤコーラスなども。
美しいハーモニーに聞き惚れているうち、私の隣に座ったお母さんの様子が気になりました。
このお母さんは昨年、大学生の愛娘を突然の事故で亡くした人です。娘さんが生きていれば、壇上で歌っている学生さんたちと同じ年頃。これは辛いだろうなと思いましたが、不用意に声もかけられない。
そのうち、彼女の膝の上の手が落ち着かなげにしきりと動き出しました。
私は胸が詰まり、思わず彼女の二の腕に手を置いていました。「辛いよね」と声が出ました。
彼女は何度も小さくうなずき、「大学4年生だから、同じなの」とつぶやきました。
私は彼女とはあまり付き合いがなくて娘さんとも会ったことがないのですが、知らせを聞いて告別式には出席しました。
彼女の少し年の離れたご主人が、すっかり老け込み憔悴しきった様子で、声を詰まらせながら挨拶されていました。
亡くなったお嬢さんの友人と思われる若い人がたくさん来ていて、突然のことにぼう然、泣きじゃくっている子もいました。お母さんに似た可愛らしい笑顔のパネルの前に、白いカーネーションを一本ずつ置いたものでした。
コンサートのあと教室に戻って、彼女と少し話をしました。
もう一周忌も終わってだいぶ落ち着いたそうですが、一時はショックで片方の耳が聞こえなくなったりしたそうです。ストレスから来るもので、異常はないけどひどくなるとメニエール病になるとか。
地震かと思うくらいぐらぐら揺れるめまいがしたり、いきなり涙がワッとあふれたり、かなり精神的に不安定な状態が続いたようでした。
障害児を含む二人の弟を可愛がる優しいお姉さんで、親の期待以上のとても優秀な人でもあったようです。
何ごとも日にち薬で、少しずつ少しずつ心の傷も癒えていくのでしょうが、かなりの時間がかかるだろうなと思います。
彼女のほか、障害児の親で子どもを亡くした人を何人か知っています。
障害児が亡くなったのは二人。
一人は私が子どもを連れて実家に身を寄せていたころに、息子の通園施設で一緒だった子です。
重い知的障害を伴う点頭てんかんの子で、始終発作を起こしてはヘッドギアをつけた頭を壁に打ち付けていました。
その姿を見ているだけでとても辛いものがあり、毎日介護しているお母さんはどんなに苦しい日々かと思っていました。私が引っ越したあと間もなく、プールに浮かんで発見されたと聞きました。
もう一人は、引っ越したあと通った療育施設で一緒だった子です。重い脳障害があって一人では動けず、車椅子というよりベビーカーみたいなのにいつも乗っていました。
施設の行事で、節分だったのか豆まきがわりに殻つきのピーナツがばらまかれ、子どもたちが嬉々として拾うということがありました。その時に、周囲のことに配慮できない障害児たちがその子の乗ったベビーカーすれすれを走り回り、お母さんが「危ない」と怒っていたのを覚えています。
活発に動き回る子どもには、たぶんに複雑な思いがあったのでしょう。
この子は身体も脆弱で、養護学校の小学部の時に亡くなりました。
同じ療育施設に通っていた子の妹が亡くなったのは、私がそこに通い始める少し前のことで直接には知りません。
お姉ちゃんを送って来るお母さんと一緒に毎朝その施設に通って来て、「お姉ちゃんをよろしくお願いします」と頭を下げるおしゃまな子だったとか。ある夜、急に高熱が出て意識を無くし、救急車で運ばれた病院で2日後ぐらいに亡くなったそうです。
きょうだいは二人だけだったので、残ったのは重い脳障害で寝返りも打てないお姉ちゃん。このことと関係あったのかどうか知りませんが、そのお母さんはのちに離婚したと聞きました。
結婚が早かったのか、まだ若いお母さんでした。子どもが養護学校に入ったあと、近くの小学校の給食室で元気に働き始めたという話を聞きました。
息子の学校のお母さんと同じ電車に乗り合わせて、きょうだいは、と聞いたときのことです。
「上にお兄ちゃんがいたけど亡くなったの」
と静かに言われたときは耳を疑いました。そのお母さんは寂しげに微笑して、
「急に亡くなったの。中学校の林間学校で行った先で、心臓マヒだったそうなの」
と淡々と話してくれました。もう何年もたっていたからか涙目になるようなことはありませんでしたが、悪いことを聞いたかなあとしばらく気になりました。
障害児のお姉さんが亡くなった例は、卒業したばかりの子の家でもありました。その子は可愛がってくれていたお姉さんの死を理解できず、しばらくは不安定で周囲を困らせたようです。
息子が障害児とわかってからもう15、6年にもなりますから、障害児やそのお母さんと知り合う機会もたくさんあります。
みんな普通の社会と同じく毀誉褒貶、喜怒哀楽、決して「悟りの開けた」「品行方正、率先垂範、純粋無垢」とは言えない生活を送っています。
障害児がいて大変だからって、死神に容赦はしてもらえません。お父さんやお母さんが亡くなる場合だってあります。
詰め込みなしで天和をあがることだって、対子も順子も一つもなし(シーサンパラパラ)のときだってある(麻雀用語がわからない人、ごめんなさい!)。
運命は甘受するしかないですね。
午前中の式が終わったあと昼食後には、関係の深い大学からやって来た合唱部の皆さんがコンサートを開いてくれました。アカペラで童謡などを歌ってくれ、最後の方ではピアノの伴奏もつけて賛美歌やハレルヤコーラスなども。
美しいハーモニーに聞き惚れているうち、私の隣に座ったお母さんの様子が気になりました。
このお母さんは昨年、大学生の愛娘を突然の事故で亡くした人です。娘さんが生きていれば、壇上で歌っている学生さんたちと同じ年頃。これは辛いだろうなと思いましたが、不用意に声もかけられない。
そのうち、彼女の膝の上の手が落ち着かなげにしきりと動き出しました。
私は胸が詰まり、思わず彼女の二の腕に手を置いていました。「辛いよね」と声が出ました。
彼女は何度も小さくうなずき、「大学4年生だから、同じなの」とつぶやきました。
私は彼女とはあまり付き合いがなくて娘さんとも会ったことがないのですが、知らせを聞いて告別式には出席しました。
彼女の少し年の離れたご主人が、すっかり老け込み憔悴しきった様子で、声を詰まらせながら挨拶されていました。
亡くなったお嬢さんの友人と思われる若い人がたくさん来ていて、突然のことにぼう然、泣きじゃくっている子もいました。お母さんに似た可愛らしい笑顔のパネルの前に、白いカーネーションを一本ずつ置いたものでした。
コンサートのあと教室に戻って、彼女と少し話をしました。
もう一周忌も終わってだいぶ落ち着いたそうですが、一時はショックで片方の耳が聞こえなくなったりしたそうです。ストレスから来るもので、異常はないけどひどくなるとメニエール病になるとか。
地震かと思うくらいぐらぐら揺れるめまいがしたり、いきなり涙がワッとあふれたり、かなり精神的に不安定な状態が続いたようでした。
障害児を含む二人の弟を可愛がる優しいお姉さんで、親の期待以上のとても優秀な人でもあったようです。
何ごとも日にち薬で、少しずつ少しずつ心の傷も癒えていくのでしょうが、かなりの時間がかかるだろうなと思います。
彼女のほか、障害児の親で子どもを亡くした人を何人か知っています。
障害児が亡くなったのは二人。
一人は私が子どもを連れて実家に身を寄せていたころに、息子の通園施設で一緒だった子です。
重い知的障害を伴う点頭てんかんの子で、始終発作を起こしてはヘッドギアをつけた頭を壁に打ち付けていました。
その姿を見ているだけでとても辛いものがあり、毎日介護しているお母さんはどんなに苦しい日々かと思っていました。私が引っ越したあと間もなく、プールに浮かんで発見されたと聞きました。
もう一人は、引っ越したあと通った療育施設で一緒だった子です。重い脳障害があって一人では動けず、車椅子というよりベビーカーみたいなのにいつも乗っていました。
施設の行事で、節分だったのか豆まきがわりに殻つきのピーナツがばらまかれ、子どもたちが嬉々として拾うということがありました。その時に、周囲のことに配慮できない障害児たちがその子の乗ったベビーカーすれすれを走り回り、お母さんが「危ない」と怒っていたのを覚えています。
活発に動き回る子どもには、たぶんに複雑な思いがあったのでしょう。
この子は身体も脆弱で、養護学校の小学部の時に亡くなりました。
同じ療育施設に通っていた子の妹が亡くなったのは、私がそこに通い始める少し前のことで直接には知りません。
お姉ちゃんを送って来るお母さんと一緒に毎朝その施設に通って来て、「お姉ちゃんをよろしくお願いします」と頭を下げるおしゃまな子だったとか。ある夜、急に高熱が出て意識を無くし、救急車で運ばれた病院で2日後ぐらいに亡くなったそうです。
きょうだいは二人だけだったので、残ったのは重い脳障害で寝返りも打てないお姉ちゃん。このことと関係あったのかどうか知りませんが、そのお母さんはのちに離婚したと聞きました。
結婚が早かったのか、まだ若いお母さんでした。子どもが養護学校に入ったあと、近くの小学校の給食室で元気に働き始めたという話を聞きました。
息子の学校のお母さんと同じ電車に乗り合わせて、きょうだいは、と聞いたときのことです。
「上にお兄ちゃんがいたけど亡くなったの」
と静かに言われたときは耳を疑いました。そのお母さんは寂しげに微笑して、
「急に亡くなったの。中学校の林間学校で行った先で、心臓マヒだったそうなの」
と淡々と話してくれました。もう何年もたっていたからか涙目になるようなことはありませんでしたが、悪いことを聞いたかなあとしばらく気になりました。
障害児のお姉さんが亡くなった例は、卒業したばかりの子の家でもありました。その子は可愛がってくれていたお姉さんの死を理解できず、しばらくは不安定で周囲を困らせたようです。
息子が障害児とわかってからもう15、6年にもなりますから、障害児やそのお母さんと知り合う機会もたくさんあります。
みんな普通の社会と同じく毀誉褒貶、喜怒哀楽、決して「悟りの開けた」「品行方正、率先垂範、純粋無垢」とは言えない生活を送っています。
障害児がいて大変だからって、死神に容赦はしてもらえません。お父さんやお母さんが亡くなる場合だってあります。
詰め込みなしで天和をあがることだって、対子も順子も一つもなし(シーサンパラパラ)のときだってある(麻雀用語がわからない人、ごめんなさい!)。
運命は甘受するしかないですね。
2006年12月02日
事故の始末
先ごろぶつけられて修理に出していた愛車が戻ってきました。
代車として同じ車種同じ排気量の車を用意してもらったのですが、古いタイプらしくキーレス装置がキーと一体じゃないのには不便な思いをしました。それにクッションの感じが違って腰がだるくなったり、ハッチバックが固くて開けにくいなど不満もあったので、また慣れた車に乗れるようになって嬉しいです。
車庫の出し入れでこすっていた部分がきれいになっていて、ちょっぴりトクをした気分。2年弱で2回も後ろが大破(1回目はレッカー移動)なんて縁起が悪い気もしますが、車の修理だけで済んだ(それも相手が全額負担)のは不幸中の幸いでした。
同じ車に乗っていた息子は不調があっても訴えられないし、たとえ無理やり病院に連れて行ってもレントゲンも撮らせないでしょうから、無視した形になりました。とくに変わった様子はないので無事だったのだろうと思うことにしています。
以前、この息子が助手席のドアを雄叫びとともに力いっぱい開いて、隣にいた車のドアに傷をつけたことがありました。
運転手は怒り狂って怒鳴りまくり、私には「ドアを丸ごと交換してもらうからな」とすごみ、「いくらかかっても全額支払いますと念書を書け」と迫りました。娘と息子は怯えてわんわん泣いていたものです。
私は怖いそのスジの人かとビビりましたが、修理工場に運んで話をしたところ、意外なことに郵便局に勤めている一般人で、交通事故の処理を仕事にしているということでした。相手が任意保険に入ってなかったり、言い逃れをして居直る人に手こずったりするのが日常茶飯事のようでした。
何故狂ったように怒ったかというと、その人の車は前の月に買ったばかりの新車で、まだ50キロも走ってなかったそうです。この話をあとで人にすると、「新車だったら怒るかもね」と運転手に同情的でした。
その後私も買って間もない時に追突されナルホドと思いました(新車が事故車となってしまいます)。もっとも「私もやったからな〜」と、あまり腹は立たなかったですが。
その怒り狂った人の車には奥さんも同乗していて、修理工場の待ち時間にちょっと話をしました。
ご主人があれほどに怒るからには、自分の身内は事故を起こしたことがないのだろうと思って聞いてみたら、ナント坂の下にいたゴミ収集車にぶつけたことがあるそうです。
「ああいう車って、とっても丈夫に出来てるらしいんですよ。その時も『いいから、いいから』って言ってもらってそれきりでした」
思わず奥さんの無邪気な笑顔を凝視した私。ンなら私を怒鳴るのって不公平なような……。ズルイ(笑)。
ぶつけた相手によって天国も地獄もアリですね。
今回ぶつけた人がお詫びに来てくれ、けっこう遠いのにわざわざと恐縮してしまいました。
聞けば免許を取って20年で初めての事故だったそうです。任意保険料も最低額(4割?)まで割引されていたでしょうに、ちょっとの不注意でそれもパー。更新時にはずいぶん高いなあと驚くかもですね。
その人が持ってきてくれたカステラが、もったいぶった箱に入った高級品でした。
食べて「亀屋のカステラの味だ!」と感激した私です。昔私の田舎にあった亀屋という店の自家製カステラは、病気で寝ているときに買ってもらったりするご馳走でした。
今どきの市販のカステラとは全然違う味です。カステラは比較的簡単に作れるお菓子なので私も焼いたりしますが、似て非なるものしか出来ません。
もう一度あのカステラを食べたいとずっと願っていましたが、思いがけない形で叶いました。
カステラは美味しかったけど、もう事故とは無縁にいきたいものだと思っています。
代車として同じ車種同じ排気量の車を用意してもらったのですが、古いタイプらしくキーレス装置がキーと一体じゃないのには不便な思いをしました。それにクッションの感じが違って腰がだるくなったり、ハッチバックが固くて開けにくいなど不満もあったので、また慣れた車に乗れるようになって嬉しいです。
車庫の出し入れでこすっていた部分がきれいになっていて、ちょっぴりトクをした気分。2年弱で2回も後ろが大破(1回目はレッカー移動)なんて縁起が悪い気もしますが、車の修理だけで済んだ(それも相手が全額負担)のは不幸中の幸いでした。
同じ車に乗っていた息子は不調があっても訴えられないし、たとえ無理やり病院に連れて行ってもレントゲンも撮らせないでしょうから、無視した形になりました。とくに変わった様子はないので無事だったのだろうと思うことにしています。
以前、この息子が助手席のドアを雄叫びとともに力いっぱい開いて、隣にいた車のドアに傷をつけたことがありました。
運転手は怒り狂って怒鳴りまくり、私には「ドアを丸ごと交換してもらうからな」とすごみ、「いくらかかっても全額支払いますと念書を書け」と迫りました。娘と息子は怯えてわんわん泣いていたものです。
私は怖いそのスジの人かとビビりましたが、修理工場に運んで話をしたところ、意外なことに郵便局に勤めている一般人で、交通事故の処理を仕事にしているということでした。相手が任意保険に入ってなかったり、言い逃れをして居直る人に手こずったりするのが日常茶飯事のようでした。
何故狂ったように怒ったかというと、その人の車は前の月に買ったばかりの新車で、まだ50キロも走ってなかったそうです。この話をあとで人にすると、「新車だったら怒るかもね」と運転手に同情的でした。
その後私も買って間もない時に追突されナルホドと思いました(新車が事故車となってしまいます)。もっとも「私もやったからな〜」と、あまり腹は立たなかったですが。
その怒り狂った人の車には奥さんも同乗していて、修理工場の待ち時間にちょっと話をしました。
ご主人があれほどに怒るからには、自分の身内は事故を起こしたことがないのだろうと思って聞いてみたら、ナント坂の下にいたゴミ収集車にぶつけたことがあるそうです。
「ああいう車って、とっても丈夫に出来てるらしいんですよ。その時も『いいから、いいから』って言ってもらってそれきりでした」
思わず奥さんの無邪気な笑顔を凝視した私。ンなら私を怒鳴るのって不公平なような……。ズルイ(笑)。
ぶつけた相手によって天国も地獄もアリですね。
今回ぶつけた人がお詫びに来てくれ、けっこう遠いのにわざわざと恐縮してしまいました。
聞けば免許を取って20年で初めての事故だったそうです。任意保険料も最低額(4割?)まで割引されていたでしょうに、ちょっとの不注意でそれもパー。更新時にはずいぶん高いなあと驚くかもですね。
その人が持ってきてくれたカステラが、もったいぶった箱に入った高級品でした。
食べて「亀屋のカステラの味だ!」と感激した私です。昔私の田舎にあった亀屋という店の自家製カステラは、病気で寝ているときに買ってもらったりするご馳走でした。
今どきの市販のカステラとは全然違う味です。カステラは比較的簡単に作れるお菓子なので私も焼いたりしますが、似て非なるものしか出来ません。
もう一度あのカステラを食べたいとずっと願っていましたが、思いがけない形で叶いました。
カステラは美味しかったけど、もう事故とは無縁にいきたいものだと思っています。
2006年11月27日
働くお母さん
数年ぶりに道でばったりと会った友人と立ち話しました。彼女の末っ子がうちの次女と同級生、私より少し年上の人です。
彼女については常に働いているイメージがありましたが、仕事を探すにもトシだし学歴もコネもなくて正社員にはなれない。パートやアルバイトを掛け持ちして働き詰めでした。
大学院に行っていた長男も無事就職が決まり、次男三男は先に就職しているのでやっと学費が要らなくなった。家も建て替えたし、もう働かなくてすむと晴れ晴れした表情でした。
秀才の長男は私立の薬学部に行きました。卒業してラクになると思っていたら、大学院に進みたいと言い出し、博士課程まで行ったそうです。薬学部は忙しくてアルバイトするヒマもない上に、学費もそうとうするようですね。
次男が高校を出たあと調理専門学校に進んで板前の修行を始めたのは、家計を考えてのことかもしれません。三男は車が好きでフォークリフトの免許を取り、運送会社で働いているそうです。
男の子が3人だから、学費の前の育ち盛りは、食費がハンパじゃなかったようです。月に30キロの米を食べると聞いて驚いたこともありました。夕食時に自分のご飯が残ってないことはしょっちゅう。「残ったパンをもらいたくて」パン屋さんで働いていたこともありました。
今度話している時に彼女が「ホントに苦しかった」時代の話をしてくれました。
3人分の学費が出ていく上に、もともと古い家を買ったから建て替えなければならなくなった。どんなに働いてもお金が足りなくて、ほしいものなんかなーんにも買えなかった。
スーパーで買い物するとき、横の人のカゴを見ては「みんな、どうしてこんなにたくさん買えるんだろう。どうしてこんなにいろいろ買えるんだろう」と泣きたくなったそうです。
今は家で一人のんびり過ごすのが何よりシアワセ。3人の息子が立派に独り立ちして、孫を抱ける日が楽しみと笑っていました。
もう一人、好きではないけどずっと仕事をしている、という友人がいます。
会う度に「早く仕事を辞めたい」と言ってますが、その日はまだまだ先になりそうです。
今の仕事の契約が来年で切れるけど、年齢からしてまた事務の仕事にありつくのは難しい。職探しのためにケアマネージャーを受験したと聞いて感心しました。
出産前にしていた仕事の関係で、ケアマネの受験資格があるそうです。働いていたのはずいぶん古い話なので、書類を揃えるのが大変だったということでした。
彼女のご主人は目指している夢があって働きながら勉強を続けているので、子供(大学生)以外にこちらにも学費がかかります。(もうあと一歩。数年のうちには実現出来るらしいです)
少し前には年老いた両親の同居に備えて大きな家も買ったので「私が働かなくちゃいけないわけよ」。
エライなあと思うのは、二人ともとても夫婦仲が良くて明るいことです。
ご主人の愚痴なんて聞いたことがありません。ご主人も家族を大切にしながら一生懸命働いていらっしゃるのでしょうね。
子供たちもみな親思いの優しい子たちみたい。子は親の背中を見て育つと言いますからね、外に出て忙しく働き、かつ家庭を大切にしているお母さんは、何よりの生きた見本かもしれません。
彼女については常に働いているイメージがありましたが、仕事を探すにもトシだし学歴もコネもなくて正社員にはなれない。パートやアルバイトを掛け持ちして働き詰めでした。
大学院に行っていた長男も無事就職が決まり、次男三男は先に就職しているのでやっと学費が要らなくなった。家も建て替えたし、もう働かなくてすむと晴れ晴れした表情でした。
秀才の長男は私立の薬学部に行きました。卒業してラクになると思っていたら、大学院に進みたいと言い出し、博士課程まで行ったそうです。薬学部は忙しくてアルバイトするヒマもない上に、学費もそうとうするようですね。
次男が高校を出たあと調理専門学校に進んで板前の修行を始めたのは、家計を考えてのことかもしれません。三男は車が好きでフォークリフトの免許を取り、運送会社で働いているそうです。
男の子が3人だから、学費の前の育ち盛りは、食費がハンパじゃなかったようです。月に30キロの米を食べると聞いて驚いたこともありました。夕食時に自分のご飯が残ってないことはしょっちゅう。「残ったパンをもらいたくて」パン屋さんで働いていたこともありました。
今度話している時に彼女が「ホントに苦しかった」時代の話をしてくれました。
3人分の学費が出ていく上に、もともと古い家を買ったから建て替えなければならなくなった。どんなに働いてもお金が足りなくて、ほしいものなんかなーんにも買えなかった。
スーパーで買い物するとき、横の人のカゴを見ては「みんな、どうしてこんなにたくさん買えるんだろう。どうしてこんなにいろいろ買えるんだろう」と泣きたくなったそうです。
今は家で一人のんびり過ごすのが何よりシアワセ。3人の息子が立派に独り立ちして、孫を抱ける日が楽しみと笑っていました。
もう一人、好きではないけどずっと仕事をしている、という友人がいます。
会う度に「早く仕事を辞めたい」と言ってますが、その日はまだまだ先になりそうです。
今の仕事の契約が来年で切れるけど、年齢からしてまた事務の仕事にありつくのは難しい。職探しのためにケアマネージャーを受験したと聞いて感心しました。
出産前にしていた仕事の関係で、ケアマネの受験資格があるそうです。働いていたのはずいぶん古い話なので、書類を揃えるのが大変だったということでした。
彼女のご主人は目指している夢があって働きながら勉強を続けているので、子供(大学生)以外にこちらにも学費がかかります。(もうあと一歩。数年のうちには実現出来るらしいです)
少し前には年老いた両親の同居に備えて大きな家も買ったので「私が働かなくちゃいけないわけよ」。
エライなあと思うのは、二人ともとても夫婦仲が良くて明るいことです。
ご主人の愚痴なんて聞いたことがありません。ご主人も家族を大切にしながら一生懸命働いていらっしゃるのでしょうね。
子供たちもみな親思いの優しい子たちみたい。子は親の背中を見て育つと言いますからね、外に出て忙しく働き、かつ家庭を大切にしているお母さんは、何よりの生きた見本かもしれません。
2006年11月26日
きょうは挫折
dashi's roomにお越しいただきありがとうございます。
きょうは、シンプルテキストに書いていた文章を娘に読まれ、
「小学生の作文みたい。面白くない。もっとシャレた文章書けないの」
と突っ込まれて大ショック。
ご説ごもっとも。反論できないから情けないです。
明日また捲土重来を期したいと思います。See you〜。
きょうは、シンプルテキストに書いていた文章を娘に読まれ、
「小学生の作文みたい。面白くない。もっとシャレた文章書けないの」
と突っ込まれて大ショック。
ご説ごもっとも。反論できないから情けないです。
明日また捲土重来を期したいと思います。See you〜。
2006年11月22日
脚本を書く人
きのうの続きです。
京急脚本大賞は、京急沿線を舞台にするというしばりがある以外は全く来るもの拒まずのようです。
昨日おしゃべりした一人は規定の枚数に全然足りなかったけど、時間がなかったからそのまま出した、と言ってました。門前払いにならず招待もしてもらえたのは、京急のお客様だからでしょうか。
その時期になると京浜急行の駅や電車の中に大きなポスターが貼られますが、これほど広く一般から公募するシナリオは他にはないんじゃないでしょうか。だいたい、映画関係の雑誌や専門学校、その業界の中で公募することが大半だと思います。
だからかどうか、応募した人の中にはズブのシロウトも少なからずいたようで(私もそうですが)、私が声をかけて聞いた人の中で、ちゃんと学校に通って習ってる(習った)という人はほとんどいませんでした。
入賞したうちの青年の一人も、聞いたら、独学で本や雑誌を買って勉強したと言っていました。
もっとも、それとわかるシナリオ学校の生徒さんも大勢いたので、それ以外の人の話です。
また受賞して挨拶した人の中に「シナリオの書き方がわからないから2ちゃんねるで聞いた。ちゃんとした答えがなかったから薄い本を買って研究した」と言っている人もいましたが、これはかなり脚色が入っているんじゃないかと思いました。
公募シナリオの中では、ひときわ敷居が低いところと言えそうですね。
審査委員長の脚本家先生も、自分の名を冠した賞を手渡す席で受賞者に(応募先が)「京急脚本大賞でよかったね」とシニカルでした。
ただ、前回の初めての公募の際はもっとひどかったようで、このシビアな先生が「こんなレベルの低いのは初めて。シナリオをなめてる」と憤慨したように挨拶されていた記憶があります。そのとき私は隣の知り合ったばかりの女性と「レベルを下げたのは私」「私も」なんて苦笑したものでした。
今回は大賞(映画化の対象。賞金300万円)は前回に続いて該当作なし。最優秀賞の賞金が倍額の100万円に変更になっていました。
シナリオで100万円も稼げるのはとてもすごいことらしくて(小説と比べ賞金・稿料が安いみたいですね)、件の先生が「次回は審査委員を降りて自分が応募したい」と、本音っぽい講評をされていました。
賞金と言えば、審査委員の一人阿木燿子さんが、紫綬褒章を受けたことを祝福されて「褒章をもらっても一円ももらえないから、こっちの方がいいかも」といったジョークを、あのゆったりとした上品な口調で話されていました。
会場には学生服を着た高校生らしき若者もいましたが、案外、中高年の姿も目立ちました。
会場で話をした人は定年退職した64歳だかで、ノミネートされた20代からせいぜい40代の人たちが並んだ壇上を見上げながら、「こういうのを書く人って、人生経験は必要ないんですかね。みんな頭の中の空想だけで脚本を書いてるとしか思えない。そんなんでいいものが書けるのかな」と首をひねっていました。
60代から見たら、みんなクチバシの黄色いヒヨッコかもしれませんね。でも老人が自分が重ねた人生経験をもとに力を入れて書いたものは、説教臭い作品になるように思いますが、どうでしょうか。
鉛筆と紙さえあれば(またはPCがあれば)書けるものですから、カネも体力も要らないし時間も場所も選ばない。シナリオは絵手紙同様、老若男女を問わず長く楽しめる趣味かも知れません。
しかも、ひょっとしたら自分の脚本で映画が出来るかもしれないんですから、夢がありますね。宝くじが当たるの待つより楽しいと思います。
映画作りに命をかけて、生涯の仕事として脚本を書いている人たちから見たら、趣味で書いている人たちはテリトリーを引っ掻き回す目障りな、腹立たしい存在でしょうけどね。
阿木燿子さんが最後にきっぱりと、「仕事は、覚悟です。みなさん覚悟を決めてこの仕事に打ち込んで下さい」といったようなことを話されてて印象的でした。
受賞作品集とお菓子の箱とパスネットの入った紙袋をおみやげにもらって帰途につきました。
ゆりかもめの駅で同じ袋を下げた中年の男性に「せっかく来たのでお話しをしたいんですが、かまいませんか」と声をかけたら「もちろんですとも」とありがたいお言葉。
たちまち盛り上がって、一緒に電車に乗って話しこんでいたら「私もお仲間に」と若い女性が男性の横に座りました。
シナリオを学んでいるわけではないけど、舞台女優をしている人でした。演技の勉強のために書いてみたそうで、知り合いの脚本家に見てもらったりはしているようです。取材で漁船に乗って地元の人と話せたのが、とっても楽しかったと目を輝かせていました。
同じ袋が同好の士の目印、脇の座席の男性も会話に入って来ました。こちらは私同様前回も応募した人で、前はああだったこうだったと思い返しました。
途中でもう一人加わって、あれこれお話し出来て刺激を受け、とても楽しいひとときでした。書いたご褒美をもらった気分になりました。
名前も聞かずに別れた人たちと、また再会出来たらなと思っています。
京急脚本大賞は、京急沿線を舞台にするというしばりがある以外は全く来るもの拒まずのようです。
昨日おしゃべりした一人は規定の枚数に全然足りなかったけど、時間がなかったからそのまま出した、と言ってました。門前払いにならず招待もしてもらえたのは、京急のお客様だからでしょうか。
その時期になると京浜急行の駅や電車の中に大きなポスターが貼られますが、これほど広く一般から公募するシナリオは他にはないんじゃないでしょうか。だいたい、映画関係の雑誌や専門学校、その業界の中で公募することが大半だと思います。
だからかどうか、応募した人の中にはズブのシロウトも少なからずいたようで(私もそうですが)、私が声をかけて聞いた人の中で、ちゃんと学校に通って習ってる(習った)という人はほとんどいませんでした。
入賞したうちの青年の一人も、聞いたら、独学で本や雑誌を買って勉強したと言っていました。
もっとも、それとわかるシナリオ学校の生徒さんも大勢いたので、それ以外の人の話です。
また受賞して挨拶した人の中に「シナリオの書き方がわからないから2ちゃんねるで聞いた。ちゃんとした答えがなかったから薄い本を買って研究した」と言っている人もいましたが、これはかなり脚色が入っているんじゃないかと思いました。
公募シナリオの中では、ひときわ敷居が低いところと言えそうですね。
審査委員長の脚本家先生も、自分の名を冠した賞を手渡す席で受賞者に(応募先が)「京急脚本大賞でよかったね」とシニカルでした。
ただ、前回の初めての公募の際はもっとひどかったようで、このシビアな先生が「こんなレベルの低いのは初めて。シナリオをなめてる」と憤慨したように挨拶されていた記憶があります。そのとき私は隣の知り合ったばかりの女性と「レベルを下げたのは私」「私も」なんて苦笑したものでした。
今回は大賞(映画化の対象。賞金300万円)は前回に続いて該当作なし。最優秀賞の賞金が倍額の100万円に変更になっていました。
シナリオで100万円も稼げるのはとてもすごいことらしくて(小説と比べ賞金・稿料が安いみたいですね)、件の先生が「次回は審査委員を降りて自分が応募したい」と、本音っぽい講評をされていました。
賞金と言えば、審査委員の一人阿木燿子さんが、紫綬褒章を受けたことを祝福されて「褒章をもらっても一円ももらえないから、こっちの方がいいかも」といったジョークを、あのゆったりとした上品な口調で話されていました。
会場には学生服を着た高校生らしき若者もいましたが、案外、中高年の姿も目立ちました。
会場で話をした人は定年退職した64歳だかで、ノミネートされた20代からせいぜい40代の人たちが並んだ壇上を見上げながら、「こういうのを書く人って、人生経験は必要ないんですかね。みんな頭の中の空想だけで脚本を書いてるとしか思えない。そんなんでいいものが書けるのかな」と首をひねっていました。
60代から見たら、みんなクチバシの黄色いヒヨッコかもしれませんね。でも老人が自分が重ねた人生経験をもとに力を入れて書いたものは、説教臭い作品になるように思いますが、どうでしょうか。
鉛筆と紙さえあれば(またはPCがあれば)書けるものですから、カネも体力も要らないし時間も場所も選ばない。シナリオは絵手紙同様、老若男女を問わず長く楽しめる趣味かも知れません。
しかも、ひょっとしたら自分の脚本で映画が出来るかもしれないんですから、夢がありますね。宝くじが当たるの待つより楽しいと思います。
映画作りに命をかけて、生涯の仕事として脚本を書いている人たちから見たら、趣味で書いている人たちはテリトリーを引っ掻き回す目障りな、腹立たしい存在でしょうけどね。
阿木燿子さんが最後にきっぱりと、「仕事は、覚悟です。みなさん覚悟を決めてこの仕事に打ち込んで下さい」といったようなことを話されてて印象的でした。
受賞作品集とお菓子の箱とパスネットの入った紙袋をおみやげにもらって帰途につきました。
ゆりかもめの駅で同じ袋を下げた中年の男性に「せっかく来たのでお話しをしたいんですが、かまいませんか」と声をかけたら「もちろんですとも」とありがたいお言葉。
たちまち盛り上がって、一緒に電車に乗って話しこんでいたら「私もお仲間に」と若い女性が男性の横に座りました。
シナリオを学んでいるわけではないけど、舞台女優をしている人でした。演技の勉強のために書いてみたそうで、知り合いの脚本家に見てもらったりはしているようです。取材で漁船に乗って地元の人と話せたのが、とっても楽しかったと目を輝かせていました。
同じ袋が同好の士の目印、脇の座席の男性も会話に入って来ました。こちらは私同様前回も応募した人で、前はああだったこうだったと思い返しました。
途中でもう一人加わって、あれこれお話し出来て刺激を受け、とても楽しいひとときでした。書いたご褒美をもらった気分になりました。
名前も聞かずに別れた人たちと、また再会出来たらなと思っています。
2006年11月21日
京急脚本大賞パーティーに行ってきました
きょうは、私のために仕事の休みを合わせてくれた娘の協力で、京急脚本大賞のパーティーに行って来ました。夕方から出かけて帰りは夜なので、その間息子の世話をする人が必要なのです。
授賞式がありましたが、もちろん私が賞をいただいたわけではなく(もらってたらここで大騒ぎしますともさ!)、ノミネートされた人たちが壇上に並ぶのを、ジュースやウーロン茶をヤケのみ(?)しながら見ていただけです。
授賞式が終わったら料理を喰いまくり、さすがにホテルの食事は美味しいワと満足して、おなかいっぱいで帰って来ました。
今思うとまことに恥ずかしい限りですが、私は以前、狂ったように小説を書きまくっていた時期があり、その最後の作品(と言うほどのものだったかどうか……)が京急脚本大賞に応募した脚本です。
これは第2回の公募で、最初のにも応募しました。その時知り合った女性と、次回も是非来ようねと別れたのですが、残念ながら会えませんでした。
京急の顧客サービスも兼ねているのでしょう、作品の出来は度外視して、応募した全員を招待して授賞発表及び懇親パーティーを開いてくれます。
もっとも前回は500人あまり、今回は299人という応募だそうですが、出席者はその何割かだと思います。
今回も、招待状が届いたので楽しみに出かけて来ました。
お台場のホテルの立食パーティー、立ちづくめで疲れましたが、今回はせっかく来たからと何人もの人に話しかけ、楽しいひとときでした。
ブログのネタはたくさん拾えましたが、遅くなってしまったので、ご披露する時間がありません。明日またあらためて書きたいと思います。
中途半端なことで申し訳ありませんが、自閉症の息子に免じてご了承下さい。
授賞式がありましたが、もちろん私が賞をいただいたわけではなく(もらってたらここで大騒ぎしますともさ!)、ノミネートされた人たちが壇上に並ぶのを、ジュースやウーロン茶をヤケのみ(?)しながら見ていただけです。
授賞式が終わったら料理を喰いまくり、さすがにホテルの食事は美味しいワと満足して、おなかいっぱいで帰って来ました。
今思うとまことに恥ずかしい限りですが、私は以前、狂ったように小説を書きまくっていた時期があり、その最後の作品(と言うほどのものだったかどうか……)が京急脚本大賞に応募した脚本です。
これは第2回の公募で、最初のにも応募しました。その時知り合った女性と、次回も是非来ようねと別れたのですが、残念ながら会えませんでした。
京急の顧客サービスも兼ねているのでしょう、作品の出来は度外視して、応募した全員を招待して授賞発表及び懇親パーティーを開いてくれます。
もっとも前回は500人あまり、今回は299人という応募だそうですが、出席者はその何割かだと思います。
今回も、招待状が届いたので楽しみに出かけて来ました。
お台場のホテルの立食パーティー、立ちづくめで疲れましたが、今回はせっかく来たからと何人もの人に話しかけ、楽しいひとときでした。
ブログのネタはたくさん拾えましたが、遅くなってしまったので、ご披露する時間がありません。明日またあらためて書きたいと思います。
中途半端なことで申し訳ありませんが、自閉症の息子に免じてご了承下さい。
事故のあと
きのう救急車に乗りそこねたので、娘と今朝病院に行ってきました。
精神的なものかもしれないけど、二人とも肩が凝って違和感があります。
息子をスクールバスに乗せたその足で近くの救急指定病院へ。どこでもよかったのですが、交通事故に慣れたところがいいかと思って選びました。
私が去年そこの隣の老健施設(経営者は同じ医療法人)でヘルパー実習をしたり、昔(当時の)夫の両親が交通事故(軽いむち打ち)で入院したこともある、因縁のある病院です。
初診受付を済ませ、待つこと2時間半。
整形外科だからさすがに老人が多くて、座る椅子も足りない混雑にもおとなしく待っています。
診察室に呼ばれてからは早くて、診察・レントゲン撮影・もう一度診察・薬局で湿布薬をもらう・会計まではベルトコンベアーに乗ってるようでした。
医師も受付嬢も手慣れたもので、あっという間に診断(軽いむち打ち)は下るし薬は出る、会計は「保険会社に連絡をとって処理しますから」と保留。立て替えたのは駐車代300円だけでした。
「レントゲン高そうだね、手持ちのお金で足りるかな」と娘と話していたのは杞憂に終わりました。
きのう、調書を取るから診断書を持って署に来てくれと言われていたので、病院から警察署に向かいました。
事故現場がなじみのない場所だったので、その警察署も初めて行くところ。昨夜ネットで調べたり、電話で道順を聞いたりしながらたどり着きました。
担当の警官は人の良さそうなオジさんで、わざわざ来てもらってスミマセンと何度も言ってくれました。警察と思えない感じの良さ。娘が気にしていた「免許に傷がつかない」ことも保証してくれてひと安心です。調書も無駄なく用意されていてすぐ終わり、気持ちよく署を出ました。
なんだか可笑しかったのは、その調査室(?)の奥にはお偉いさんらしい制服を着た人が二人も、腕組みをしつつ「ヒマで死にそう」といった表情でこっちを見ていたことです。ヒマなのも困るんだろうなと思った次第。
息子のお迎えに回ってから帰宅したら、タイミングよく相手側の保険屋さんから電話が入りました。
修理に出す間の代車の希望まで聞いてくれて、これで前回閉口したタバコ臭い代車に乗ることもないと喜んでいます。(希望したら大型車にも乗れるようですね。料金はだいぶ違うでしょうに)
ぶつけた車の持ち主はちゃんとした人で、安かろう値切ろうの保険屋さんじゃなくてホントによかったです。これが任意保険にも加入してない若い子だったらイヤな思いをしたかもしれません。
病院で順番を待っている時、意識のない女性が点滴を受けながらストレッチャーで目の前を往復しました。娘が「交通事故かな」とつぶやき、私もそうかもしれないと思いながら見送りました。
自分があれほどのケガを負っていたら、こうしてPCに向かうことも出来ないわけですから、輪禍といってもたいしたことなくて幸いだったと思いました。
精神的なものかもしれないけど、二人とも肩が凝って違和感があります。
息子をスクールバスに乗せたその足で近くの救急指定病院へ。どこでもよかったのですが、交通事故に慣れたところがいいかと思って選びました。
私が去年そこの隣の老健施設(経営者は同じ医療法人)でヘルパー実習をしたり、昔(当時の)夫の両親が交通事故(軽いむち打ち)で入院したこともある、因縁のある病院です。
初診受付を済ませ、待つこと2時間半。
整形外科だからさすがに老人が多くて、座る椅子も足りない混雑にもおとなしく待っています。
診察室に呼ばれてからは早くて、診察・レントゲン撮影・もう一度診察・薬局で湿布薬をもらう・会計まではベルトコンベアーに乗ってるようでした。
医師も受付嬢も手慣れたもので、あっという間に診断(軽いむち打ち)は下るし薬は出る、会計は「保険会社に連絡をとって処理しますから」と保留。立て替えたのは駐車代300円だけでした。
「レントゲン高そうだね、手持ちのお金で足りるかな」と娘と話していたのは杞憂に終わりました。
きのう、調書を取るから診断書を持って署に来てくれと言われていたので、病院から警察署に向かいました。
事故現場がなじみのない場所だったので、その警察署も初めて行くところ。昨夜ネットで調べたり、電話で道順を聞いたりしながらたどり着きました。
担当の警官は人の良さそうなオジさんで、わざわざ来てもらってスミマセンと何度も言ってくれました。警察と思えない感じの良さ。娘が気にしていた「免許に傷がつかない」ことも保証してくれてひと安心です。調書も無駄なく用意されていてすぐ終わり、気持ちよく署を出ました。
なんだか可笑しかったのは、その調査室(?)の奥にはお偉いさんらしい制服を着た人が二人も、腕組みをしつつ「ヒマで死にそう」といった表情でこっちを見ていたことです。ヒマなのも困るんだろうなと思った次第。
息子のお迎えに回ってから帰宅したら、タイミングよく相手側の保険屋さんから電話が入りました。
修理に出す間の代車の希望まで聞いてくれて、これで前回閉口したタバコ臭い代車に乗ることもないと喜んでいます。(希望したら大型車にも乗れるようですね。料金はだいぶ違うでしょうに)
ぶつけた車の持ち主はちゃんとした人で、安かろう値切ろうの保険屋さんじゃなくてホントによかったです。これが任意保険にも加入してない若い子だったらイヤな思いをしたかもしれません。
病院で順番を待っている時、意識のない女性が点滴を受けながらストレッチャーで目の前を往復しました。娘が「交通事故かな」とつぶやき、私もそうかもしれないと思いながら見送りました。
自分があれほどのケガを負っていたら、こうしてPCに向かうことも出来ないわけですから、輪禍といってもたいしたことなくて幸いだったと思いました。
2006年11月20日
もらい事故
犬も歩けば棒に当たる。
雨の日曜日、おとなしく家でDVDでも見ていれば起こらなかった事態ですが……。
きょうは若葉マークの娘が運転する車で、止まったところを後ろから追突され、はずみで前の車にぶつかるという玉突き事故に遭いました。
もう暗かったし雨もだいぶ降っていたので、後ろの車も前がよく見えなかったか、スリップしたのかもしれません。
赤信号で止まっているのに追突されるというのは去年も経験しましたが、そのときには物損で処理してもらい病院には行きませんでした。大丈夫と判断してのことでしたが、あとで首のあたりがなんとなく不調の時に、ちゃんと診てもらっておけばよかったと未練が残りました。
それで今回は救急車を呼んでもらったのですが、いざ息子を連れて乗り込もうとしたら、息子が大声をあげ激しく拒否して車から降りません。仕方なく、後日病院に行って診断書をもらい、それを持って警察署に行くことになりました。
事故当時は胸周辺がヘンで少し気持ちが悪い感じでしたが、今は特になんともなく、気分的なものだったかなと思っています。無駄に人身にしてしまったかもしれないと気になります。
事故に対する娘の意見は「次に車を買うときは明るい色にしよう」でした。「よく目立つ方が事故は少ないでしょ」。
たしかに、夜目にも目立つ白い車の方がより安全かもしれませんね。
それにしても、交通法規を守っておとなしく運転していても事故には遭う。ほんの一瞬よそ見をするだけでたちまちガツンです。飲酒運転なんてもってのほかとあらためて思ったことでした。
雨の日曜日、おとなしく家でDVDでも見ていれば起こらなかった事態ですが……。
きょうは若葉マークの娘が運転する車で、止まったところを後ろから追突され、はずみで前の車にぶつかるという玉突き事故に遭いました。
もう暗かったし雨もだいぶ降っていたので、後ろの車も前がよく見えなかったか、スリップしたのかもしれません。
赤信号で止まっているのに追突されるというのは去年も経験しましたが、そのときには物損で処理してもらい病院には行きませんでした。大丈夫と判断してのことでしたが、あとで首のあたりがなんとなく不調の時に、ちゃんと診てもらっておけばよかったと未練が残りました。
それで今回は救急車を呼んでもらったのですが、いざ息子を連れて乗り込もうとしたら、息子が大声をあげ激しく拒否して車から降りません。仕方なく、後日病院に行って診断書をもらい、それを持って警察署に行くことになりました。
事故当時は胸周辺がヘンで少し気持ちが悪い感じでしたが、今は特になんともなく、気分的なものだったかなと思っています。無駄に人身にしてしまったかもしれないと気になります。
事故に対する娘の意見は「次に車を買うときは明るい色にしよう」でした。「よく目立つ方が事故は少ないでしょ」。
たしかに、夜目にも目立つ白い車の方がより安全かもしれませんね。
それにしても、交通法規を守っておとなしく運転していても事故には遭う。ほんの一瞬よそ見をするだけでたちまちガツンです。飲酒運転なんてもってのほかとあらためて思ったことでした。
2006年11月18日
訃報
先日友人二人と会ったときに、先月89歳目前で亡くなった私の父のことを聞かれました。
それだけ長生きしたら本人も本望だろうし、葬儀で泣く人はあまりいなかった。連れ合いの私の母も、悲しそうには見えませんでした。
事故(火傷)だったので激しい痛みはあったようです。私が気をつけていれば……と介護していた姉には悔いが残ったと思いますが、じきに意識をなくして数時間後には昇天したので、長く苦しむことはありませんでした。
以前にも書いたことがありますが、パーキンソン病で何年も寝たきりだった親戚のオバさんに、そんなになってまで生きてたいのかと呆れたように声をかけた父ですから、最期はサッサと去りたかっただろう、望んだ死に方だっただろうと私は思いました。
友人二人と「PPK(ぴんぴんコロリ)がいいよね」「あんまり長生きしなくてもいいワ」などと話していたら、一人が「還暦過ぎたら、もういいかな〜」と言い出し、還暦じゃ早すぎるよと笑いました。
「糖尿になってもいいから太りたい」という先代貴乃花の言葉に象徴されるように、勝つために健康を犠牲にする相撲界では、昔は還暦まで生き残る人がまれで、還暦のお祝いは盛大だったと聞きます。
でも今は健康管理(主に引退後の減量)が進んで、親方も長命な人が増えました。無理に太る必要がない一般人は、もっと長生きしたいものです。
漫画家のはらたいらさんの死は、クイズダービーを毎週見ていた私にとっては感慨深いものがありました。はらさんは高知出身の大酒豪、淡々と浴びるように飲んでいたとか。肝硬変から肝臓ガンになったけど、飲みたいだけ飲んで「もう十分生きた」と言っていたそうです。
男性には珍しい(と思われていた)更年期障害にも長く苦しんだ経験がある人ですから、死生観にもだいぶ影響があったかもしれませんね。
漫画家は「人間の生活が出来ない」そうで、若く亡くなる人も多いですね。きょうは石川賢氏の訃報を知りました、急性心不全、まだ58歳です。
おじゃる丸の原案者とか、古くはちばあきお氏とか、自殺する人も珍しくありません。
私の祖父も父同様平均寿命以上に長生きしましたが、晩年には同世代のご近所さんがいなくなって淋しそうでした。認知症にもならず元気にしていましたが、腎不全で入院したら急速に弱り一週間ばかりで亡くなりました。
見舞いに大阪から駆けつけた姉に、ベッド脇の点滴スタンドを見上げながら「こんな死に方だけはしたくなかった」とつぶやいたそうです。
今年も一ヶ月あまりを残すのみとなり、私も書いた喪中ハガキが友人からも届きました。
ご主人のお父さまが亡くなったようです。お父さまなら順番だから、仕方ないよね。
それだけ長生きしたら本人も本望だろうし、葬儀で泣く人はあまりいなかった。連れ合いの私の母も、悲しそうには見えませんでした。
事故(火傷)だったので激しい痛みはあったようです。私が気をつけていれば……と介護していた姉には悔いが残ったと思いますが、じきに意識をなくして数時間後には昇天したので、長く苦しむことはありませんでした。
以前にも書いたことがありますが、パーキンソン病で何年も寝たきりだった親戚のオバさんに、そんなになってまで生きてたいのかと呆れたように声をかけた父ですから、最期はサッサと去りたかっただろう、望んだ死に方だっただろうと私は思いました。
友人二人と「PPK(ぴんぴんコロリ)がいいよね」「あんまり長生きしなくてもいいワ」などと話していたら、一人が「還暦過ぎたら、もういいかな〜」と言い出し、還暦じゃ早すぎるよと笑いました。
「糖尿になってもいいから太りたい」という先代貴乃花の言葉に象徴されるように、勝つために健康を犠牲にする相撲界では、昔は還暦まで生き残る人がまれで、還暦のお祝いは盛大だったと聞きます。
でも今は健康管理(主に引退後の減量)が進んで、親方も長命な人が増えました。無理に太る必要がない一般人は、もっと長生きしたいものです。
漫画家のはらたいらさんの死は、クイズダービーを毎週見ていた私にとっては感慨深いものがありました。はらさんは高知出身の大酒豪、淡々と浴びるように飲んでいたとか。肝硬変から肝臓ガンになったけど、飲みたいだけ飲んで「もう十分生きた」と言っていたそうです。
男性には珍しい(と思われていた)更年期障害にも長く苦しんだ経験がある人ですから、死生観にもだいぶ影響があったかもしれませんね。
漫画家は「人間の生活が出来ない」そうで、若く亡くなる人も多いですね。きょうは石川賢氏の訃報を知りました、急性心不全、まだ58歳です。
おじゃる丸の原案者とか、古くはちばあきお氏とか、自殺する人も珍しくありません。
私の祖父も父同様平均寿命以上に長生きしましたが、晩年には同世代のご近所さんがいなくなって淋しそうでした。認知症にもならず元気にしていましたが、腎不全で入院したら急速に弱り一週間ばかりで亡くなりました。
見舞いに大阪から駆けつけた姉に、ベッド脇の点滴スタンドを見上げながら「こんな死に方だけはしたくなかった」とつぶやいたそうです。
今年も一ヶ月あまりを残すのみとなり、私も書いた喪中ハガキが友人からも届きました。
ご主人のお父さまが亡くなったようです。お父さまなら順番だから、仕方ないよね。
2006年10月31日
復活延期
きょうは風邪もだいぶ良くなって買い出しにも行き、息子を学校まで迎えにも行きましたが、まだ文字を打ってるとクラクラするので復活は明日以降の予定です。
いろいろ書きたいことがあるのにと欲求不満。ストレス太りしそうですが、仕方ありません。
今後書きたいと思っているテーマは、「性同一性障害」「稚穂」「いじめ自殺の報道について」「非電化の発明」などです。うずうず。
きょうはせっかく開いていただいた方に、軽いお笑いをご紹介。先日NHKラジオで聞いたネタです。
「サルカニ合戦とかけて、格闘技家の講演と解く。そのこころは」
「エステとかけて、昨日のおでんと解く。そのこころは」
「エステとかけて、恩知らずと解く。そのこころは」
……それぞれ、
「最後は『ウス』で決まります」
「よく『しみとり』ます」
「顔に泥を塗ります」。
いろいろ書きたいことがあるのにと欲求不満。ストレス太りしそうですが、仕方ありません。
今後書きたいと思っているテーマは、「性同一性障害」「稚穂」「いじめ自殺の報道について」「非電化の発明」などです。うずうず。
きょうはせっかく開いていただいた方に、軽いお笑いをご紹介。先日NHKラジオで聞いたネタです。
「サルカニ合戦とかけて、格闘技家の講演と解く。そのこころは」
「エステとかけて、昨日のおでんと解く。そのこころは」
「エステとかけて、恩知らずと解く。そのこころは」
……それぞれ、
「最後は『ウス』で決まります」
「よく『しみとり』ます」
「顔に泥を塗ります」。
2006年10月30日
PC自粛してます
油断して風邪をひどくしてしまい、しつこい頭痛に悩まされています。
PC見ているととても疲れるので、更新を自粛中です。
みなさまもどうぞお大事に。
PC見ているととても疲れるので、更新を自粛中です。
みなさまもどうぞお大事に。
2006年10月17日
葬儀雑感
10日に亡くなった父の四十九日法要を11月26日に行うと連絡がありました。
本来は初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日と一週間おきに法要をして、七七の四十九日目を満中陰と呼んで一区切りつき、その次は百ヵ日となって少し時間が空くようです。
その後は一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌と平成34年まで予定されています。死んでもなかなか忙しい。
正しい四十九日は11月27日に当たりますが、平日を避けて集まりやすい日曜日に決めたようです。私は行けないでしょうが、関西に住んでいる姉たちは出席するものと思います。
今回の葬儀は、3つの部屋のふすまや障子を取っ払って、父の住み慣れた自宅で行いました。
早世してしまった、大工さんだった父の末の弟が建ててくれた家で、古くなっても建て替えは父も母も反対だったそうです。昨年にリフォームをしたばかりできれいになっていて、おあつらえ向きだったねと話したことでした。
そこに幕を張って葬儀屋の人が祭壇を設け、たくさんの花が供えられました。
こういうのには全く疎い私は、葬儀の花というのは菊ばかりと思い込んでいましたが、今は色とりどりのきれいな花を飾るんですね。見たこともない花も多くて見とれてしまいました。
会ったこともない市長からの花もあって(なにか地域に貢献していたことがあったようです)、ポケットマネーとは思えず「カネの出所」が気になりました。
参列出来なかった私の子どもたちの分の供花も姉が頼んでくれていて、1万円の供花を1値割引にしてくれたからと9千円請求されました。
「この花が1万円もするわけ? 高いね〜」と率直な感想を述べてこの姉にはすっかり嫌われてしまいました。
卒業式でも思いますが、どうして生の花を「大量に」贈ったり供えたりするんでしょうか。どうしてこういう習慣が根付いたのか、私は不思議でなりません。
花が大好きな人なら喜んでくれるでしょうが、父は花は「腹の足しにならん」と言って価値を認めない人でした(私も多少その影響を受けているかもしれません)。
綺麗だけどこんなにたくさんはもったいない、こういうのはレンタルで十分だと思う私はセコいのかなと考えてしまいます。生花の使い回しはタブーなんでしょうか。
納棺の際に、みんなでこの花の一部を棺桶に入れました。たくさんあるから花で埋めようとどんどん入れていたら、葬儀屋の方に「それくらいにしておいて下さい」と遮られました。
「お骨に色がつくことがあるんですよ」との説明に、そうなのかと納得した次第です。
そのあと見たら、本当に父の頭蓋骨は薄いピンク色に染まっていました。父の顔の周囲には赤紫の蘭が何本か入っていたので、その色がついたのだろうと思いました。
お骨を拾うのは初めての経験でしたが、さすがに「いよいよこれでお別れだ」としんみりしました。
それでも、頭蓋骨が逆さになっている(あごが上の方にあった)のが不思議で、焼き場の職員さんに聞いてしまった不謹慎な私です。焼死体は両手をすぼめていわゆる「ボクサーポーズ」を取ると言われますが、焼くと人間の身体はスルメみたいに反っくり返るものらしいですね。
喘いでいるような印象で、苦しそうで可哀想な気もしました。死にたいと口にする子どもにはこういう姿を見せて、死んだらアンタもこんなになっちゃうんだよ、熱そうだねって脅したら、思いとどまるかもしれませんね。
みんな父のように、もう十分と思える年齢まで長生きしてほしいものだと思いました。
本来は初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日と一週間おきに法要をして、七七の四十九日目を満中陰と呼んで一区切りつき、その次は百ヵ日となって少し時間が空くようです。
その後は一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌と平成34年まで予定されています。死んでもなかなか忙しい。
正しい四十九日は11月27日に当たりますが、平日を避けて集まりやすい日曜日に決めたようです。私は行けないでしょうが、関西に住んでいる姉たちは出席するものと思います。
今回の葬儀は、3つの部屋のふすまや障子を取っ払って、父の住み慣れた自宅で行いました。
早世してしまった、大工さんだった父の末の弟が建ててくれた家で、古くなっても建て替えは父も母も反対だったそうです。昨年にリフォームをしたばかりできれいになっていて、おあつらえ向きだったねと話したことでした。
そこに幕を張って葬儀屋の人が祭壇を設け、たくさんの花が供えられました。
こういうのには全く疎い私は、葬儀の花というのは菊ばかりと思い込んでいましたが、今は色とりどりのきれいな花を飾るんですね。見たこともない花も多くて見とれてしまいました。
会ったこともない市長からの花もあって(なにか地域に貢献していたことがあったようです)、ポケットマネーとは思えず「カネの出所」が気になりました。
参列出来なかった私の子どもたちの分の供花も姉が頼んでくれていて、1万円の供花を1値割引にしてくれたからと9千円請求されました。
「この花が1万円もするわけ? 高いね〜」と率直な感想を述べてこの姉にはすっかり嫌われてしまいました。
卒業式でも思いますが、どうして生の花を「大量に」贈ったり供えたりするんでしょうか。どうしてこういう習慣が根付いたのか、私は不思議でなりません。
花が大好きな人なら喜んでくれるでしょうが、父は花は「腹の足しにならん」と言って価値を認めない人でした(私も多少その影響を受けているかもしれません)。
綺麗だけどこんなにたくさんはもったいない、こういうのはレンタルで十分だと思う私はセコいのかなと考えてしまいます。生花の使い回しはタブーなんでしょうか。
納棺の際に、みんなでこの花の一部を棺桶に入れました。たくさんあるから花で埋めようとどんどん入れていたら、葬儀屋の方に「それくらいにしておいて下さい」と遮られました。
「お骨に色がつくことがあるんですよ」との説明に、そうなのかと納得した次第です。
そのあと見たら、本当に父の頭蓋骨は薄いピンク色に染まっていました。父の顔の周囲には赤紫の蘭が何本か入っていたので、その色がついたのだろうと思いました。
お骨を拾うのは初めての経験でしたが、さすがに「いよいよこれでお別れだ」としんみりしました。
それでも、頭蓋骨が逆さになっている(あごが上の方にあった)のが不思議で、焼き場の職員さんに聞いてしまった不謹慎な私です。焼死体は両手をすぼめていわゆる「ボクサーポーズ」を取ると言われますが、焼くと人間の身体はスルメみたいに反っくり返るものらしいですね。
喘いでいるような印象で、苦しそうで可哀想な気もしました。死にたいと口にする子どもにはこういう姿を見せて、死んだらアンタもこんなになっちゃうんだよ、熱そうだねって脅したら、思いとどまるかもしれませんね。
みんな父のように、もう十分と思える年齢まで長生きしてほしいものだと思いました。
2006年10月15日
きょうだいの絆
今回父の葬儀に帰郷して、長く会わなかった多くの親族と会いました。
そのうちの一人、遠縁のテルちゃんとは40年ぶりの再会、もうお互い顔もわかりませんでした。
小さい頃近くに住んでいたしすぐ上の姉と同い年なので、子どものころにはよく遊んでもらった記憶があります。
幼い私にはよくわからなかったけれど、テルちゃんの家はきょうだいが多くてとても貧しかった。貧乏人の子だくさんを地でいく家庭でした。(親の借金もあったようです)
戦後間もないころに生まれたテルちゃんの兄姉は、貧しくて学校に弁当を持っていくことも出来なかった。お昼になると教室から抜け出して、水を飲んで飢えをしのいでいました。学校給食が始まって一番喜んだのは、子どもたちを不憫に思っていたテルちゃんの母親だったそうです。
それほどの貧しい家庭ですから、きょうだいみんな中学校までしか行けず、卒業後は就職しました。
一番上の姉は中華料理店に住み込みで働き、独立して結婚してからは弟妹の援助をし、父の死後は母親も引き取って一緒に暮らしていました。
テルちゃんは美容院に住み込んで修行を始め、のちに美容師の資格を取って働き、結婚して店も持ちました。
仕事の傍ら子ども二人を育て、孫も5人と嬉しそうに笑っていました。今は店を継いでくれた息子にバトンタッチして、忙しい週末に手伝うだけという話でした。
仕事柄髪は明るい栗色に染め若々しく元気で、葬儀の前には姉の髪を直してくれました。
夜に私の姉二人と布団を並べて寝た時に、このテルちゃん一家の話が出ました。
あんなに貧乏だったのに親を恨むどころかとても親孝行で(もう亡くなりましたが)、きょうだいみんな仲がよくて何かのときはすぐ集結し、一人としてグレたり疎遠になったりしていないようです。
どうしてだろう? と私が不思議がると、
「どん底を見ていれば、食べるご飯があるだけで有り難いって思うのかもね」
と姉が言うのに納得しました。苦労を苦労と思わずひたすら働き、たまにきょうだいと会えるのが唯一の楽しみだったのかもしれませんね。
私の育った家庭はテルちゃんの家よりははるかに豊かで、望めば大学にも行かせてくれました。
でもテルちゃんたちほどきょうだいの絆は強くなく、音信も途絶えがち。
遠くに住んでいるのを口実に、ばらばら以外では何年も会わずにいます。5人姉妹が揃ったのは実に20余年ぶりのことでした。
会ってみればやはり他人とは違い、誘い合って一緒にお風呂に入ったりもします。おなかの皮がたるんでいるのを笑い合うのも、きょうだいならではかもしれません。
争うほどの遺産もなく、一周忌での再会を望みながら笑顔で別れました。きょうだいの絆を再認識したのが、父への何よりの供養だったかもしれません。
そのうちの一人、遠縁のテルちゃんとは40年ぶりの再会、もうお互い顔もわかりませんでした。
小さい頃近くに住んでいたしすぐ上の姉と同い年なので、子どものころにはよく遊んでもらった記憶があります。
幼い私にはよくわからなかったけれど、テルちゃんの家はきょうだいが多くてとても貧しかった。貧乏人の子だくさんを地でいく家庭でした。(親の借金もあったようです)
戦後間もないころに生まれたテルちゃんの兄姉は、貧しくて学校に弁当を持っていくことも出来なかった。お昼になると教室から抜け出して、水を飲んで飢えをしのいでいました。学校給食が始まって一番喜んだのは、子どもたちを不憫に思っていたテルちゃんの母親だったそうです。
それほどの貧しい家庭ですから、きょうだいみんな中学校までしか行けず、卒業後は就職しました。
一番上の姉は中華料理店に住み込みで働き、独立して結婚してからは弟妹の援助をし、父の死後は母親も引き取って一緒に暮らしていました。
テルちゃんは美容院に住み込んで修行を始め、のちに美容師の資格を取って働き、結婚して店も持ちました。
仕事の傍ら子ども二人を育て、孫も5人と嬉しそうに笑っていました。今は店を継いでくれた息子にバトンタッチして、忙しい週末に手伝うだけという話でした。
仕事柄髪は明るい栗色に染め若々しく元気で、葬儀の前には姉の髪を直してくれました。
夜に私の姉二人と布団を並べて寝た時に、このテルちゃん一家の話が出ました。
あんなに貧乏だったのに親を恨むどころかとても親孝行で(もう亡くなりましたが)、きょうだいみんな仲がよくて何かのときはすぐ集結し、一人としてグレたり疎遠になったりしていないようです。
どうしてだろう? と私が不思議がると、
「どん底を見ていれば、食べるご飯があるだけで有り難いって思うのかもね」
と姉が言うのに納得しました。苦労を苦労と思わずひたすら働き、たまにきょうだいと会えるのが唯一の楽しみだったのかもしれませんね。
私の育った家庭はテルちゃんの家よりははるかに豊かで、望めば大学にも行かせてくれました。
でもテルちゃんたちほどきょうだいの絆は強くなく、音信も途絶えがち。
遠くに住んでいるのを口実に、ばらばら以外では何年も会わずにいます。5人姉妹が揃ったのは実に20余年ぶりのことでした。
会ってみればやはり他人とは違い、誘い合って一緒にお風呂に入ったりもします。おなかの皮がたるんでいるのを笑い合うのも、きょうだいならではかもしれません。
争うほどの遺産もなく、一周忌での再会を望みながら笑顔で別れました。きょうだいの絆を再認識したのが、父への何よりの供養だったかもしれません。
2006年10月14日
父の死
父が急死したため、田舎の葬儀に帰郷して来ました。
もっと悲しいものかと思っていましたが、これも順番だからとむしろホッとするくらい。うるっとする程度で涙は全く流れず、きれいに死に化粧が施された父の姿に、もう心のこりもなかっただろうと思いました。
89歳の誕生日を目前にした長寿でしたから存分に生きたと思います。最近は下の始末が出来なくなって同居の姉を困らせてもいました。
以前にも書いたことがありますが、パーキンソン病が進んで夫の介護を受けていた身内に「そんなになってまで生きていたいのか」とあきれたように言い放った人ですから、人の世話になってまで長生きしたくはなかったと思います。
何度も戦争に行った父は修羅場をくぐりながら運良く生き延び、長女のあと復員後にも4人の娘を得て、孫12人ひ孫9人の子孫を残しました。その大半が集まり、配偶者も含め大勢で賑やかに送ることが出来ました。
偏屈者でしたが嫌われていたわけではなかったらしく、実家で行った葬儀にはたくさんの人が参列して泣いてくれました。
女の子しか持てなかった父は、幼い頃父親を亡くした、長姉と同世代のいとこ(男)をとても可愛がっていたそうです。父親のように慕っていた、と言われて驚いたりしました。
今回亡くなったのは、姉がちょっと目を離したすきの事故でした。
汚れた下半身を洗うためにお風呂に入った際に、自分で給湯の蛇口を開いて熱い湯をためた浴槽に足を入れてしまったもののようです。健康な人ならあわてて飛び出すところ、認知症も入った老人のことですから反応も鈍く、姉が気がついたときには膝から下を火傷していました。
救急車の中で「痛い痛い」と暴れたそうで、その点は可哀想だったとみんなが話していました。田舎のことですから緊急病院も遠くて時間がかかり、救急車の中ではモルヒネを打ってもらうことも出来ずに、苦しみながら意識をなくしてそのまま亡くなったそうです。
夏に私が帰省したときから何度か、原因不明の熱を出すことがあったようです。今回も入院したあと退院して数日たったところ、住み慣れた自宅で死にたかったのだろうとみんなが話していました。
事故死ですから警察の事情聴取があり、姉は虐待だか殺人だかの疑いをかけられたと憤慨していました。ここで書類を発行してもらわないと埋葬も出来ないから仕方ありません。
危篤だと電話をもらって、そのあと間もなく亡くなったと連絡があったので「えっ、もう!?」と驚いた私でした。死に目に会えなかったのは残念ですが、遠くに住んでいるので無理ありません。押っ取り刀で駆けつける必要はなくなったので、落ち着いて支度しました。
息子を預かってもらう手配をして、翌朝息子を送った足で羽田に向かいました。
(続きはまた明日)
もっと悲しいものかと思っていましたが、これも順番だからとむしろホッとするくらい。うるっとする程度で涙は全く流れず、きれいに死に化粧が施された父の姿に、もう心のこりもなかっただろうと思いました。
89歳の誕生日を目前にした長寿でしたから存分に生きたと思います。最近は下の始末が出来なくなって同居の姉を困らせてもいました。
以前にも書いたことがありますが、パーキンソン病が進んで夫の介護を受けていた身内に「そんなになってまで生きていたいのか」とあきれたように言い放った人ですから、人の世話になってまで長生きしたくはなかったと思います。
何度も戦争に行った父は修羅場をくぐりながら運良く生き延び、長女のあと復員後にも4人の娘を得て、孫12人ひ孫9人の子孫を残しました。その大半が集まり、配偶者も含め大勢で賑やかに送ることが出来ました。
偏屈者でしたが嫌われていたわけではなかったらしく、実家で行った葬儀にはたくさんの人が参列して泣いてくれました。
女の子しか持てなかった父は、幼い頃父親を亡くした、長姉と同世代のいとこ(男)をとても可愛がっていたそうです。父親のように慕っていた、と言われて驚いたりしました。
今回亡くなったのは、姉がちょっと目を離したすきの事故でした。
汚れた下半身を洗うためにお風呂に入った際に、自分で給湯の蛇口を開いて熱い湯をためた浴槽に足を入れてしまったもののようです。健康な人ならあわてて飛び出すところ、認知症も入った老人のことですから反応も鈍く、姉が気がついたときには膝から下を火傷していました。
救急車の中で「痛い痛い」と暴れたそうで、その点は可哀想だったとみんなが話していました。田舎のことですから緊急病院も遠くて時間がかかり、救急車の中ではモルヒネを打ってもらうことも出来ずに、苦しみながら意識をなくしてそのまま亡くなったそうです。
夏に私が帰省したときから何度か、原因不明の熱を出すことがあったようです。今回も入院したあと退院して数日たったところ、住み慣れた自宅で死にたかったのだろうとみんなが話していました。
事故死ですから警察の事情聴取があり、姉は虐待だか殺人だかの疑いをかけられたと憤慨していました。ここで書類を発行してもらわないと埋葬も出来ないから仕方ありません。
危篤だと電話をもらって、そのあと間もなく亡くなったと連絡があったので「えっ、もう!?」と驚いた私でした。死に目に会えなかったのは残念ですが、遠くに住んでいるので無理ありません。押っ取り刀で駆けつける必要はなくなったので、落ち着いて支度しました。
息子を預かってもらう手配をして、翌朝息子を送った足で羽田に向かいました。
(続きはまた明日)
2006年10月10日
お休みします
急なことですが実家で不幸があり、明日の朝、急遽帰郷することになりました。ここの更新は今日を含め数日お休みさせていただきます。
2006年09月27日
トラックバック
プラウザとプロバイダの区別もあやふやな状態で始めたこのブログ。
おかげさまでいいストレス発散になり、毎日楽しんで書いています。
ところで毎日更新となると数は増え、扱うテーマも多くなったせいか、いろんなところの検索に引っかかるようです。
アクセス解析をしてみると、ずいぶん前に書いた「レバー料理」をキーワード検索で見つけてアクセスする方が、毎日一人はいらっしゃるようで面白いです。
検索で出るせいだと思いますが、いわゆるトラックバックスパムというものも貼られるようになりました。
トラックバックされたようなので相手のサイトを開いてみると、まるで無関係な広告のページに飛んだり、すでに削除されていて読めなかったりします。
ここは(地味すぎて?)幸いアダルト系などの有害なサイトには今のところ目をつけられてないようですが(ずっと前に一度ありました)、そういうのにしつこくトラックバックされてる気の毒なサイトもありますね。
トラックバックとは何か、確認してみました。ブログ特有のものらしいですね。
人のブログの内容に言及したり、関連のあることを書いた時に、
「あなたの記事を参考にさせてもらいました」
「私はこういうふうに書きましたのでご覧下さい」
と連絡をするため、というのが本来の機能のようです。
相手の記事を扱ったとしても、こちらが教えなければ相手はそのことを知らない。いちいちメールで教えるのって面倒だし宛先がわからなくてメール出来ないこともある。
そういうときに、本来は、相手のサイトにこちらのURLを載せ、自分のサイトにも相手のURLを載せる、自動的に相互リンクとなるものだったようです。
私も毎日更新しているくせにブログ初心者の域をいつまでたっても出られずにいるので、正直なところよくわかりません。
ブログを始めたばかりの頃、トラックバックして来た人にこちらからもしたところ、相手をえらく怒らせてしまったことがあります。しちゃいけないのか、とびっくりしました。
こちらが謝ったらなんだか火に油を注ぐ結果となり、私を庇ってくれた人が問題発言をしたこともあって、メチャクチャ荒れてしまいました。ネットの怖さを初めて知りました。
(相手は高校生だと思う、という意見もありました)
全部削除して一件落着でしたが、トラックバックされて怒る人もいるんだと勉強になりました。
それ以来、操作がよくわからないせいもあるけど、こちらからトラックバックするのは遠慮しています。
ホントはトラックバックする際には相手にコメントを入れるのが礼儀じゃないのかなとは思いますが、同じようなテーマを扱っているのなら、別に黙って貼ってもらってもちっともかまわないと思います。私も含め、関心を持つ人がいるかもしれませんしね。
でも相手のサイトの内容はこちらとは全く関係がない、相互リンクとなるどころか相手が自分の宣伝(店の宣伝まで……)に使っているだけ、というトラックバックがあります。自分のサイトにアクセスを増やす手段としてトラックバックを使っているのですね。
これはちょっと、と思うものはばっさり削除していますが、こちらに手間「だけ」かけさせられるのはどうかと思います。
トラックバックを検索したら、トラックバックをする前に相手の許可をもらうべきだ、という意見までありました。それは反対意見も多くてかなり議論されたようです(2年ばかり前の話のようでした)。
されて迷惑なトラックバックは削除する自由はあるのだから、許可まで求める必要はないと思いますが、まあ、一方的に宣伝に利用するだけというのはやめてほしいかな、と思っています。
おかげさまでいいストレス発散になり、毎日楽しんで書いています。
ところで毎日更新となると数は増え、扱うテーマも多くなったせいか、いろんなところの検索に引っかかるようです。
アクセス解析をしてみると、ずいぶん前に書いた「レバー料理」をキーワード検索で見つけてアクセスする方が、毎日一人はいらっしゃるようで面白いです。
検索で出るせいだと思いますが、いわゆるトラックバックスパムというものも貼られるようになりました。
トラックバックされたようなので相手のサイトを開いてみると、まるで無関係な広告のページに飛んだり、すでに削除されていて読めなかったりします。
ここは(地味すぎて?)幸いアダルト系などの有害なサイトには今のところ目をつけられてないようですが(ずっと前に一度ありました)、そういうのにしつこくトラックバックされてる気の毒なサイトもありますね。
トラックバックとは何か、確認してみました。ブログ特有のものらしいですね。
人のブログの内容に言及したり、関連のあることを書いた時に、
「あなたの記事を参考にさせてもらいました」
「私はこういうふうに書きましたのでご覧下さい」
と連絡をするため、というのが本来の機能のようです。
相手の記事を扱ったとしても、こちらが教えなければ相手はそのことを知らない。いちいちメールで教えるのって面倒だし宛先がわからなくてメール出来ないこともある。
そういうときに、本来は、相手のサイトにこちらのURLを載せ、自分のサイトにも相手のURLを載せる、自動的に相互リンクとなるものだったようです。
私も毎日更新しているくせにブログ初心者の域をいつまでたっても出られずにいるので、正直なところよくわかりません。
ブログを始めたばかりの頃、トラックバックして来た人にこちらからもしたところ、相手をえらく怒らせてしまったことがあります。しちゃいけないのか、とびっくりしました。
こちらが謝ったらなんだか火に油を注ぐ結果となり、私を庇ってくれた人が問題発言をしたこともあって、メチャクチャ荒れてしまいました。ネットの怖さを初めて知りました。
(相手は高校生だと思う、という意見もありました)
全部削除して一件落着でしたが、トラックバックされて怒る人もいるんだと勉強になりました。
それ以来、操作がよくわからないせいもあるけど、こちらからトラックバックするのは遠慮しています。
ホントはトラックバックする際には相手にコメントを入れるのが礼儀じゃないのかなとは思いますが、同じようなテーマを扱っているのなら、別に黙って貼ってもらってもちっともかまわないと思います。私も含め、関心を持つ人がいるかもしれませんしね。
でも相手のサイトの内容はこちらとは全く関係がない、相互リンクとなるどころか相手が自分の宣伝(店の宣伝まで……)に使っているだけ、というトラックバックがあります。自分のサイトにアクセスを増やす手段としてトラックバックを使っているのですね。
これはちょっと、と思うものはばっさり削除していますが、こちらに手間「だけ」かけさせられるのはどうかと思います。
トラックバックを検索したら、トラックバックをする前に相手の許可をもらうべきだ、という意見までありました。それは反対意見も多くてかなり議論されたようです(2年ばかり前の話のようでした)。
されて迷惑なトラックバックは削除する自由はあるのだから、許可まで求める必要はないと思いますが、まあ、一方的に宣伝に利用するだけというのはやめてほしいかな、と思っています。
2006年09月24日
自動車保険
昼間のテレビCMで「あわてない自信ありますか」と言うのに、思わず「あわてちゃうよねえ、どうしても」とつぶやいた私。それはスイスに本拠を置く保険会社のCMで、自動車保険を扱ったものでした。
事故ることを予期してハンドルを握る人はいないでしょうから、交通事故は誰にとっても突然やって来る想定外の事態。落ち着いて行動しようと思っても、気が動転して身体が震えたりするものです。
毎年きちんと任意保険に入っておれば、営業の人の顔が浮かんだりして、警察の次に保険会社に電話しようと思いつくかもしれませんね。私もちょっとした事故は何度かやりましたので、その度に保険会社のお世話になりました。
右折しようとして直進のバイクにぶつかった時には、バイクが木っ端みじんになってスローモーションでフロントガラスいっぱいに降り注ぐ幻覚を見ました。もう外は暗い時間だったので、黒い夜空をバックに藤色のバイクの小さい破片がバ・ラ・バ・ラという感じに散っていきました。(あとで見たら黒いバイクだったので、ライトにあたって藤色に見えたのでしょう)
殺しちゃったか! と血のひく思いがしました。
一時停止をしたあとでスピードはあまり出ておらず、実はたいしたことはなかった。念のためにと救急車を呼んだので人身事故になりましたが、相手はケガもなく、バイクも前部が一部割れただけでした。(あとでバイクを見て、え? と不思議でした)
警察に行って調書を取られたときには、左右確認をちゃんとしなかった私のミスだ、私が100%悪かったと答えたものですが、あとで考えたら、相手のバイクが右折している私の車の前に回り込んで来たため反対車線側でぶつかった事故。相手も私の車が止まると思って(「止まると思ったから」と何度か言ってました)強引に突っ込んだからのようでした。
事故のあとというのは、特に加害者側は、かなりあわててしまい冷静な判断は出来ないものだと思います。すぐ保険会社に電話して指示を仰ぐのが賢明でしょうね。
昨年は初めて被害者になりました。赤信号で止まっている時に後ろからぶつけられたものです。
この時はしばらく身体の震えが治まらず動けませんでした。ぶつけた運転手がずいぶん時間が経ってから覗きに来ましたが、さぞかしひどいケガをしたかとオロオロしていたかもしれません。
すぐ警察に電話したら、まず「相手は逃げてませんよね」と聞かれたのが印象的でした。
相手のは頑丈そうな外車でしたが前部が大きく壊れ(修理代も高かったでしょうね)、私の車は後輪が車体にめりこんでレッカー移動しました。その数ヶ月前に買ったばかりの車でしたが不思議なくらい腹は立たず、「私(息子)もやったからな〜」と思いました。
(息子が助手席のドアを力一杯全開にして、隣の車のドアをへこませたことがあったのです。これがまだ70キロしか走ってない買ったばかりの車とかで、運転手のオジさんが烈火の如く怒り狂って怒鳴り散らし、息子と娘が怖がってわあわあ泣いていたものでした。あとで人に話したら「新車だったら怒るかもね」とオジさんに同情的でした。このとき加入していた保険会社は対応がひどく、騙されたような形で全額自弁となりました。)
私の事故った車は相手の全額負担で修理してもらいましたが、その間借りた代車がタバコ臭いのには閉口したものです。
一度は広い駐車場で、後方確認を怠ったままバックして後続車にぶつけたことがありました。
相手はクラクションを鳴らしたそうですが、息子の聴く音楽がうるさくて(自閉症の子は大音響を好む場合が多いようです。今はだいぶマシになりました)、全く聞こえませんでした。
相手はフェアレディに乗った車椅子の人で、特別仕様だったのか修理費が40万という話でした。一見なんともなくて、相手も「もういいです」と言ってくれたのでしたが。
保険から支払ってもらいましたが、これが自弁なら大変だったなと思いました。
この事故で私もすっかり懲りて、その後は慎重に安全運転をしています。
ところで、今は自動車保険と生命保険などを一つにした、超保険というものが発売されているようです。
http://www.tokiomarine-nichido.co.jp/j0402/html/12-1.html(おススメしているわけではありません)
地震保険もカバーするようですから、これ一つでかなりの部分保障されそうです。外資系の保険会社に客を取られ、保険会社もあれこれ考えて生き残りに必死なのかもしれませんね。
いずれはこういう保険が主流になるかもしれないなと思っています。
事故ることを予期してハンドルを握る人はいないでしょうから、交通事故は誰にとっても突然やって来る想定外の事態。落ち着いて行動しようと思っても、気が動転して身体が震えたりするものです。
毎年きちんと任意保険に入っておれば、営業の人の顔が浮かんだりして、警察の次に保険会社に電話しようと思いつくかもしれませんね。私もちょっとした事故は何度かやりましたので、その度に保険会社のお世話になりました。
右折しようとして直進のバイクにぶつかった時には、バイクが木っ端みじんになってスローモーションでフロントガラスいっぱいに降り注ぐ幻覚を見ました。もう外は暗い時間だったので、黒い夜空をバックに藤色のバイクの小さい破片がバ・ラ・バ・ラという感じに散っていきました。(あとで見たら黒いバイクだったので、ライトにあたって藤色に見えたのでしょう)
殺しちゃったか! と血のひく思いがしました。
一時停止をしたあとでスピードはあまり出ておらず、実はたいしたことはなかった。念のためにと救急車を呼んだので人身事故になりましたが、相手はケガもなく、バイクも前部が一部割れただけでした。(あとでバイクを見て、え? と不思議でした)
警察に行って調書を取られたときには、左右確認をちゃんとしなかった私のミスだ、私が100%悪かったと答えたものですが、あとで考えたら、相手のバイクが右折している私の車の前に回り込んで来たため反対車線側でぶつかった事故。相手も私の車が止まると思って(「止まると思ったから」と何度か言ってました)強引に突っ込んだからのようでした。
事故のあとというのは、特に加害者側は、かなりあわててしまい冷静な判断は出来ないものだと思います。すぐ保険会社に電話して指示を仰ぐのが賢明でしょうね。
昨年は初めて被害者になりました。赤信号で止まっている時に後ろからぶつけられたものです。
この時はしばらく身体の震えが治まらず動けませんでした。ぶつけた運転手がずいぶん時間が経ってから覗きに来ましたが、さぞかしひどいケガをしたかとオロオロしていたかもしれません。
すぐ警察に電話したら、まず「相手は逃げてませんよね」と聞かれたのが印象的でした。
相手のは頑丈そうな外車でしたが前部が大きく壊れ(修理代も高かったでしょうね)、私の車は後輪が車体にめりこんでレッカー移動しました。その数ヶ月前に買ったばかりの車でしたが不思議なくらい腹は立たず、「私(息子)もやったからな〜」と思いました。
(息子が助手席のドアを力一杯全開にして、隣の車のドアをへこませたことがあったのです。これがまだ70キロしか走ってない買ったばかりの車とかで、運転手のオジさんが烈火の如く怒り狂って怒鳴り散らし、息子と娘が怖がってわあわあ泣いていたものでした。あとで人に話したら「新車だったら怒るかもね」とオジさんに同情的でした。このとき加入していた保険会社は対応がひどく、騙されたような形で全額自弁となりました。)
私の事故った車は相手の全額負担で修理してもらいましたが、その間借りた代車がタバコ臭いのには閉口したものです。
一度は広い駐車場で、後方確認を怠ったままバックして後続車にぶつけたことがありました。
相手はクラクションを鳴らしたそうですが、息子の聴く音楽がうるさくて(自閉症の子は大音響を好む場合が多いようです。今はだいぶマシになりました)、全く聞こえませんでした。
相手はフェアレディに乗った車椅子の人で、特別仕様だったのか修理費が40万という話でした。一見なんともなくて、相手も「もういいです」と言ってくれたのでしたが。
保険から支払ってもらいましたが、これが自弁なら大変だったなと思いました。
この事故で私もすっかり懲りて、その後は慎重に安全運転をしています。
ところで、今は自動車保険と生命保険などを一つにした、超保険というものが発売されているようです。
http://www.tokiomarine-nichido.co.jp/j0402/html/12-1.html(おススメしているわけではありません)
地震保険もカバーするようですから、これ一つでかなりの部分保障されそうです。外資系の保険会社に客を取られ、保険会社もあれこれ考えて生き残りに必死なのかもしれませんね。
いずれはこういう保険が主流になるかもしれないなと思っています。

