2006年05月21日

こだわりとの共存

先日、子どもがまだ小学生の、私よりだいぶ若いお母さんと話をしていたら、誕生日に子どもたちと作ったケーキの写真を見せてくれました。
自閉症のお兄ちゃん(小4?)の下にもう一人いる人です。
お兄ちゃんは典型的な自閉症という感じで、こだわりが強くて周りは大変な様子。でも親族の協力があるらしくお母さんは平日はお勤めに出ています。一日中子どもの相手をするのは週末だけで、それも希望したら代わってもらえるようです。
仕事が気分転換になるという面は確かにあるし、経済的にもゆとりが出て来るからか、そのお母さんを見ていると余裕を持って子どもに接している感じがします。
介護の手が複数あると、虐待やキッチン・ドリンカーになる危険性も低くなるでしょうね。
GWに大きなイベントに出かけた写真もあったので、人ごみに連れて行くのって怖くない? と聞いたら、「見失うと大変だから、必死に手を握っていた」とゆったりと笑っていました。

さて、そのケーキの写真のこと。いかにも手作りらしいデコボコした(でも美味しそうな。笑)ケーキの横に白いものが2つ写っています。犬の姿をしていますが、まさかテーブルの上にはね、と思って、
「これって、ぬいぐるみでしょ?」
と念を押してみました。お母さんはにっこり笑って、
「ええ、そう、ぬいぐるみ。オーダーして作ってもらったの」
と答えるので、びっくりしてしまいました。

聞けば、家で飼っていた犬(スピッツということなので、室内犬だったのでしょう)が死んでしまって、自閉症のお兄ちゃんが荒れに荒れて閉口したそうです。仕方がないのでオーダーしたとのこと。
ペットの写真から型紙を作って、生前の姿に似せて作る、というサービスがあるそうですね。宣伝するつもりはありませんが、俳優の津川雅彦さんが経営するお店(グランパ)だそうです。
それで納得したの? と聞いたら、「××ちゃんは死んじゃったからお人形になるんだよ」と説明したらわかってくれたそうです。そのぬいぐるみをとても気に入って、抱いて寝ているとのこと。
大事をとって2つ作ったそうですから、当分は大丈夫ですね。
自閉症児は犬が苦手な子が多いと以前話題にしたことがありますが、自分より前からいる家族の一員なら受け入れるのでしょうか。もしかしたら、可愛がってた犬だからというより、家にいるはずの犬がいないから落ち着かなかったのかもしれませんね。

いったいいくらぐらいかかるのか興味津々で訊ねたら、デザイン料が5,000円、制作費が一体4,000円。2つ同じものを作ってもらったのでデザイン料はそのまま5,000円、制作費が4,000円×2、しめて13,000円ぐらいだったかなあ、とちょっと自信なさそうでした。
私が予想したよりは安くて、これなら庶民にも手が届くかもと思いました。同じようなことで悩んでいる人には是非教えてあげたい情報です。

この話を聞いて私が感心したのは、こだわりとうまく共存しているなあ、ということです。
先にも書いたように、このお母さんの子どもへの接し方には余裕があります。温厚な人なのでしょう。
子どもが人のものに異様に執着するような場面でも、困ったような顔をしながらもニコニコと穏やかに笑っています。大きな声を上げて叱ったり悲劇の主人公になったりしないで、わからないなりに(言葉のコミュニケーションはあまり出来ないようです)納得させようと優しく声をかけています。

もし自分の子が死んだ犬を求めてパニクったら、私だったらついイライラして「死んじゃったんだから仕方ないでしょ!」って怒鳴り、ますますこじらせてしまいそうです。
犬を亡くして不安でたまらない子どもの気持ちに寄り添い、解決法を模索する余裕があるかどうか。
子どもの気持ち(こだわり)を温かくすくいあげて納得させてくれる、こんな賢くて優しいお母さんのもとで育つ子は幸せだなあと思ったことでした。見習わなくちゃ。
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2006年05月20日

キッチン・ドリンカー

自閉症の子は、小さいとき大変な子は大きくなってからラクと聞きます。
きょう小さい時にとても苦労していたお母さんにそう言ったら、とても嬉しそうに「そうなの?」と何度か念を押されてしまいました。
その人の子は小学校低学年までは激しいパニック起こして暴れたり、罵詈雑言をわめきながら走り回ったり(会話の出来る子なので)、お母さんをひどく殴ったりしていました。今はすっかり落ち着いています。
私自身はもうあまり覚えていないのですが、他の人が言うには、その子の手首をつかんで「お母さんを叩いちゃダメでしょう!」と叱ったそうです。見るに見かねてのことで、抵抗しなくなるまで手首を押さえつけていたような気もします。

そのころ殴られてもお母さんは全く無抵抗でした。専門家にはそう指導されるのかもしれません。
私の行動がその子の他傷行為をエスカレートさせたのかどうかわかりませんが、その子はそれ以来私を怖がっていたとも言われました。私の前では二度とお母さんを殴らなかったように記憶しています。
自閉症児に体罰は厳禁というのは私も賛成ですが、殴られたら無抵抗で殴らせなければならないとしたら、「やってらんない!」です。
でも実際に殴られたり噛まれたりして両腕がアザだらけ、夏でも半袖は着られなかった、と話すお母さんにも何人か会いました。暴力が他の人に向かうよりは自分で、と我慢するようですね。
私もかつて息子に爪を立てられたり後ろからポカポカ殴られたことがあって、そのときは情けなくて涙がこぼれました。
幸い2回ぐらいで収まり、あとは服(ジーンズとか)をビリビリで発散したようでした。思春期は誰しもイライラするようですね。わかっていても親はストレスがたまります。

話をしていた席で、「小さい時も大変だったけど今もすごく大変」とこぼす人(Aさん)がいました。
「夜中に寝ないで横で大声を出すから、片方の耳が難聴気味なんだ」
よせばいいのに(笑)、長年の付き合いの気楽さで、またつい言ってしまいました(前に言った人とは別人ですが)。
「○○ちゃんにダイエットさせてみたら? 身体がすっきりするとよく眠るらしいよ。痩せたらきっと気分も落ち着いて安定するよ」
「無理だよお、食べるのがこだわりなんだから」
「Aさんがダイエットすればいいのヨ。そしたら自動的に○○ちゃんも痩せるから」
きっとその場にいたみんながホントはずっと思っていたこと。その母子はどちらももう何年も肥満体のままなのです。
「うちはそうだったよ。アタシがダイエットしたら子どもも自然に痩せたよ」
と私が続けて言うと、あまりの直言に気を使ったのか、
「うちもやったけど、子どもは痩せなかったわ」
と混ぜっ返すスリムなお母さんもいました。

Aさんは私の言葉に多少はムッとしたようでしたが、そのあとまた話をしていたら、
「太る原因はわかってるんだ。夜遅くに酒を飲むのがいけないんだよ」
と告白して来ました。
「えっ、夜にお酒はいけないんじゃない。カロリー高いでしょ」
「うん、だから焼酎にしてる」
「肝臓を悪くするんじゃない? お酒はやめてウーロン茶にしたら。お酒を飲んだつもりで貯金したら?」
なんて下戸の私は気楽なことを言います。
「可愛い妹もいるんだから、お母さんが身体壊しちゃダメだよ。結婚式の晴れ姿を見たいと思わない? 孫を抱きたくない?」
すっかりトシヨリの発言で我ながら可笑しくなります。

「一度健康診断を受けてみたらどう? このままじゃ長生き出来ないって言われたらガーンと来るんじゃない?」
「うん、長生きは無理かもね。血圧が高いのはわかってるんだ」
「血圧も高いの? 糖尿は? この2つが重なったらメタボリック・シンドロームって言って、脳梗塞を起こす危険性がぐっと高くなるんだってよ。何十倍も」
と、ブログ用に仕入れた付け焼き刃の知識で説得にかかる私。
「脳梗塞は起こしそうな気がする。ときどきクラクラってする時があるもん」
と力なく答えるAさん。
「そこまでわかってて、なんで痩せようと思わないの? お酒をやめて夜はさっさと寝なよ。お酒を買う金があるなら、それで子どもたちと旅行でもしたらいいじゃん」
Aさんはそこでため息まじりに、
「先のことより、今の酒なんだよね。明日楽しいことをするより、今夜飲みたいの」
とつぶやきました。

昼間会っている時には活発で明るいAさんですが、キッチン・ドリンカーというものなのでしょう。
「禁酒用の薬とか、ニコチンパッチみたいなのって、ないの?」
と聞いてみたら、アル中の治療を受けたこともあるらしく、病院に行って薬も飲んだけど治らない、と言っていました。
ご主人とは長いこと家庭内離婚状態のようです。
子どもの障害と夫との不和。きょうだい児の将来を考えると胸がつぶれる思いを、私も経験しました。
私はアルコールを少しでも飲むとジンマシンが出て痒くてたまらないため、酒には逃げられませんでした。飲めない体質で本当によかった、飲めたらきっとキッチンドリンカーになってた、と思っています。Aさんを意気地なしと嗤うことは出来ません。
もっと前向きに気分転換したら。ヘルパーでもやって、その体格を生かしたらどう? 夜は疲れて眠くなるからきっとダイエットも出来るよ。痩せて綺麗になってダンナを取っ替えなよ。
最後はそんなことを言ってハッパかけました。いいヘルパーになれそうな人なのですが。
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2006年05月18日

ノンバーバル・コミュニケーション

中国語を習っていたとき、指で数を示す仕草はとても新鮮でした。
日本のように親指から順に折っていくのですが、6以降日本では反対に広げていくのに、中国ではそんな単純なやり方は採用しないんですね。楳図かずおの「グワシ」みたいなのやら指ピストルみたいなのやらと賑やかです。
へえっと驚いたのは9を表す表現で、ほかの指は握り人差し指だけを立てて軽く曲げます。日本ではナント10を表す指文字(1と区別するために曲げるそうです)、メキシコではカネの意味があるとか。
なお10は人差し指と中指をクロスさせる(Xにする)ので、「Xの悲劇」とかいう小説にこんなのが出て来たな、と興味を覚えたものでした。

こういう、指に限らず身体の仕草を使った表現(動作)や、表情、服装・身なりなどで伝えられる、言葉以外の伝達方法がノンバーバル・コミュニケーションです。
話題の本・人は見た目が9割(竹内一郎著、新潮新書)を書店で立ち読みしたら、思いのほか面白かったので買って来ました。
刺激的なタイトルなので胡散臭く思っていましたが、著者は比較文化で九大の博士号を持つ専門家。ノンバーバル・コミュニケーションを「見た目」と大きくくくってやさしく解説した、真面目な本です。

この本に紹介されていますが、アメリカの心理学者アルバート・マレービアン博士はこのような実験結果を発表しているそうです。人が他人から受け取る情報(感情や態度など)の割合について、
○顔の表情 55%
○声の質(高低)、大きさ、テンポ 38%
○話す言葉の内容 7%
上の二つ(視覚的刺激と聴覚的刺激、と言い換えていいでしょうか)がつまり、ノンバーバル・コミュニケーション。言葉はコミュニケーションの主役どころか、たった7%にしかすぎないというのです。
見た目が9割どころか9割3分、93%というわけですね。

ところで自閉症の人は、このノンバーバル・コミュニケーションは苦手だと思います。
日本人の得意な「腹芸」「暗黙の了解」、これはまず無理。
よくドラマで「言わなきゃわからないのか!」「言われなくてもわかるだろ!」って叱る場面がありますが、言われなきゃわからない。しかも、耳で聞いてもすぐ飛んでいってしまうから、文字で書いて(言葉で)伝えないとわからない……そうです。
うちの息子みたいにIQの低い者はともかくとして、普通に会話が出来る自閉症者の難しさはこういうところにもあるようですね。

自閉症児を説明する時に言われる有名な話があります。細かいことは忘れてしまったので、大雑把にお話しすると……。
子どもA、Bが同じ部屋で遊んでいる。Aがそれまで自分の遊んでいたおもちゃをカゴaに入れて片付け、部屋を出て行った。次にBが、Aの片付けたおもちゃをaから出して別のかごbに移し入れ、部屋を出て行ったとする。
さて、間もなく戻って来たAは、a、bどっちのカゴからおもちゃを取り出そうとするでしょうか?
自閉症でない普通の子どもたちにこれを尋ねると、たいていの子どもたちは「a」と答えます。
Aはおもちゃがbに移動したと知らないのだから、当然aを見るだろうという暗黙の了解があるわけですね。
ところが同じことを自閉症児に尋ねると、みんな「b」と答えるそうです。おもちゃはbに入っているのだから、当然bを見るはずだ、という理屈らしいです。
それなりにスジは通ってますが、これでは自閉症以外の人たちと仲良くやっていくのは大変だなあ、と思います。
文化の違い、と温かく理解していただけると有り難いですね。
posted by dashi at 23:47| Comment(4) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月12日

行方不明

いまワイドショーでさかんに伝えられている、平塚の5人の死体の謎。
そのうちの一体は、22年前だかに失踪したままの当時6歳の息子の死体ではと見られているようです。
その子の失踪騒ぎも、借金の返済をうやむやにするための狂言か、と推理小説も真っ青な仮説が立てられているようですね。
誘拐かと思われた失踪当時、まだ若くて美しかった母親がテレビに登場し「息子を返して」と泣き叫ぶシーン(同じ放送局だったのか、当時の映像が残っていたようですね)をちらっと見ました。
あれが芝居だったとしたらたいした演技力です。もしくは息子を死なせてしまった(殺したとは限らない)<もう一人の自分>に向かって叫んでいたのかな。

一番の親不孝は親より先に死ぬこと(逆縁)と言いますが、子どもが死んだのを確認して遺骨が手元に残るのは、まだしも気持ちに整理がつくと思います。
子どもが失踪して、その安否がわからないというのが親としては一番辛い拷問なのではないでしょうか。
北朝鮮拉致被害者・横田めぐみさんのご両親の話が多くの人の胸を打ち、アメリカ大統領が協力を申し出るのだって、その辛さを我がことのように痛く感じるからだと思います。
数年前には小学生だった女の子を誘拐して自宅に監禁していた男が逮捕される事件がありましたが、もう大人の女性になっていた被害者だって、無事に帰って来たと素直には喜べない。周囲の人も含め事件の影響は一生引きずることになるでしょう。
やったことの重大さに比べ、量刑があまりに軽いと話題になりました。被害者の親にとってはいない時も戻ってからも、無念の日々が続いて辛いことでしょう。

ところで自閉症の子が行方不明になる事件はたまに起こります。
身体は丈夫だし堂々と行動するので、傍目には迷子と映らないようです。一見して障害児とわからない風貌だったりするので、発見が遅れることもよくありますね。
私の友人のところでは、小学生のころ学校から飛び出し、電車を乗り継いで一人旅。2つ離れた県で見つかったこともあります。
見つかったのがいなくなった翌日の午後とかいう話ですから、友人は一晩まんじりともせずに過ごしたようです。
目的を持って電車に乗る子ではないので、たまたま誰にも止められないまま成りゆきでそこに行ったのでしょう。

別の友人のところでは、終点まで電車に乗って(どうやって改札を出たのかはわかりません)、外に出てタクシーを止めた。「まっすぐ、まっすぐ」と言うので運転手さんは道なりにしばらく走ったそうです。
どうもおかしいと思った運転手さんが警察に行ってくれたので発見されましたが、連絡を受けて友人夫婦が車で迎えに行ったのが夜中の3時頃。
お母さんが夕食の支度をしている間に家を飛び出すことがそのころ度々あったそうですが、それほど長時間行方がわからなかったのは初めてで、死ぬほど心配したそうです。
当時17歳。その子は小さい時から親の言うことをよく聞く素直なおとなしい子でしたから、初めて経験する思春期に友人はすっかり参っていました。

私の息子は家を飛び出してどこかへ行ってしまう、ということは小さい時にちょっとありましたが、間もなく帰って来るので気にしないでいました。
珍しく雪が積もった日に玄関前の雪かきをしていたら、そばにいたはずの息子がふっと消えたことがありました。名前を呼んで探していると、ひざから下を泥水まみれにして帰って来ました。どうしたのかと思っても、聞いて答えてくれる子ではないので、真相は薮の中と諦めました。
その数日後、狭い坂道の、普段は通らない路地を歩いていると、「その子はアンタんとこの子か」と聞いて来るお年寄りがいました。

そこのお宅の、道路からよく見える庭に小さな池があって、鯉が何匹も泳いでいました。息子は門扉をあけて庭に入り込み、鯉をのぞき込んでいることが何度かあったようです。
「黙って入って来て、声をかけるとものも言わずに逃げるし、なんてしつけの悪い子だろうと腹を立てていた」ということでした。雪の日には、雪が積もっていて見えなかったから池に入ってしまったようでした。
事情を話して謝って、あとで何か届けてお詫びしましたら、またそのお返しもされたので立腹は収まったらしいとホッとしたものでした。障害児とわかるとみなさん寛容になりますね。
雪の日に泥水にはまって以来、消えることはなくなったように思います。
今はたまに、ゴミ収集車が来ると飛び出して見物してたりします。

出先ではぐれて見失ってしまう、ということは何度かありました。
混雑する横浜駅と新横浜駅で見失った時は、事故も頭をよぎってハラハラしました。
友人の子のこともあるから、もし遠くまで行ってしまってたら高くつくな、と正直なところ憂鬱にもなりました。
幸い無事に見つかったり、一人で(無賃乗車して)家に帰っていたりで、大事には至らないでいます。このごろは私に見つけてもらいやすそうな場所でウロウロしているようです。
服を破られた時などにカッとして、「出て行って! アンタなんか帰って来んでもいいわ!」と怒鳴ったことも一度や二度じゃありませんが、息子には意味が分からないのが幸い。本気にしないでね!
posted by dashi at 23:50| Comment(6) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月09日

歯科受診

自閉症の息子(18歳)の6ヶ月検診に、歯科保健医療センターに行きました。
ここには障害児者専用診察日があって、障害児者の扱いに慣れたスタッフが揃っているのでとても安心です。
ここ数年虫歯はなかったので油断していたら、今回は3本も見つかってしまいました。最低3回は通ってもらいますと言われて大ショック。フロスの使い方の特訓を受けて帰って来ました。
一日一回はフロスを使ってきれいにするように言われて、今まで雑な磨き方でお茶を濁してたなと深く反省した次第。最近反省することばっかりです(笑)。

私がしょげていると、歯科衛生士(助手?)の方が、
「このくらいの年齢、思春期の終わり頃は虫歯になりやすいんですよ。ホルモンバランスが崩れるからどうしてもね」
と慰めてくれました。私は、
「えっ、ホルモンがこんなところにも影響するんですか」
と、反省もつかの間、興味津々で身を乗り出してしまいました。

平日の昼間に行ったのに、遠くの養護学校を早退して診察に連れて来ていた知り合いが二人もいて、障害児の世界は狭いと笑ったことでした。大きくなったら、安心して受診出来る歯科が少ないということでもありますね。
おとなしい障害児は一般の歯科でも大丈夫でしょうが、自閉症の子の場合は歯科探しで困る人も多いです。周りがどんなに頑張っても絶対に口を開けない子や、先生の指を噛んで暴れる子もいるようです。
自閉症の扱いに慣れた人が要領よく相手してくれると、子どもたちも落ち着くようですね。
私もこのセンターの存在を知るまでは息子の歯科受診はとても気の重い重大事でした。

私が息子の虫歯(乳歯)のことを初めて相談したのは、姉のツテで行った神戸の病院でしたが、そこでは危ないからと全身麻酔での治療を勧められました。
でも夫(父親)が「絶対ダメだ」と言うので全身麻酔はやめ、進行しないように気をつけながら、その後、私の田舎の方の大学病院付属歯科で治療してもらいました。5歳になる少し前です。
そこで初めて開口器や治療用のネット(毛布状の網)を見せてもらい、使用の承諾をしました。
身動き出来ない状態にして無理に治療するわけですから、子どもにとってはひどい拷問。どうしても人権は侵害してしまいますね。

予想してはいましたが息子の恐怖はそうとう大きかったようで、すごい声で泣きわめいていました。待合室でその泣き声を聞きながらそわそわと歩き回った日を思い出します。
泣き疲れて赤い顔でぐったりして、吐きそうになりながら戻って来て、麻酔のかかった口の辺りをしきりと触ろうとするのを止めながら帰りました。
数日後に息子と同じようなタイプの友人の子が治療受けた時は、唇を噛んでしまうのを抑えきれなかったため、翌日には茹でたタラコのようにぱんぱんに腫れ上がった唇になってしまいました。色白のきれいな顔をした子でしたが、真っ赤に腫れた異様な唇がおかしくて、悪いけどみんなで笑ってしまったものでした。

そこで乳歯の治療受けたあとは、こちらに戻ってから療育センターで紹介してもらった歯科に通いました。
小さい頃は私も気をつけましたし、本人も甘いものは食べなかったので幸いひどい虫歯になったことはありません。それでも削る治療は何度かありました。
大変な子を診てもらってとこちらとしてはとても恐縮し、言われた通りネットの使用料として毎回1000円支払いました。
(でも、これはあとで聞くところによると、とてもおかしいということでした。ネットを使った治療の場合は診療費を5割増しで請求出来ることになっているそうです。なお、ネットがなくても、毛布でくるんでうまくやってくれるところもあるようです)

小さな子用のネットが使える間はそこで治療や検診を受け、ネットが小さくなってもう無理と言われてから、知人に教えてもらった現在のところに移りました。初めての時、こんなところがあるんだ、とホッとしたものです。
それ以来ここには何度も通っているので、ネットなしでも治療出来るようになりました。
虫歯となると削るでしょうからちょっと心配ですが、慣れたスタッフがうまくやって下さるでしょう。
今回、フロス初体験でだいぶ歯茎から出血したのですが、嫌がりもせず静かに治療を受ける姿に、息子の成長を見られて少し嬉しかった私でした。
posted by dashi at 23:22| Comment(4) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月04日

睡眠障害

障害児仲間のお母さん(Yさん)に会ったら、昨日も寝てないと疲れた顔をしていました。
Yさんの娘さん(yさん)は自閉症ではない知的障害児で、生まれた時に口蓋裂と耳の中にも異常があったそうですから、身体の発達が未熟なままに誕生したのかもしれません。
言葉はほとんどありませんが、マカトンサインと呼ばれる、簡単な手話のようなものでかなり意思疎通が出来ます。
私は不勉強で習ったマカトンサインもほとんど忘れてしまいましたが、このyさんに付き添っていたとき、「トイレ」のサインで教えてくれたのには助かりました。(ちなみに、右手の人差し指で左の肩のあたりをこする仕草です。)

意思疎通が出来るから子育ても楽なように思えますが、Yさんが長く悩まされているのが睡眠障害です。
睡眠のリズムが狂って夜眠らずに動き回り、眠っているYさんを揺り起こし、起きないと怒るそうです。眠っていなくても学校には行きたがるので、欠席させて眠ることも出来ない。
長い付き合いの私に一度も怒った顔を見せたことがない温厚なYさんだから、yさんにもとても寛容。どこにでも連れて行くくらい可愛がっていますが、最近はホトホト疲れた様子。
更年期も重なって、夜寝かしてもらえないのはこたえるようです。
ショートステイで1、2日施設に預かってもらったりもしているようですが、卒業後の進路で入所施設も考えているらしい話に、大変だなあと同情してしまいました。

ところで自閉症の子に睡眠障害はとても多くて、入眠剤や睡眠剤を処方してもらっているという話もよく聞きます。まるで効かない子も、劇的に効く子も、いろいろいるようです。
家中の灯りをつけて回り、ビデオを見たり台所に行って何か食べたりする子の話も聞きました。
別の友人のところでは、毎晩夜中にドライブさせられていたそうです。毎晩3時間ぐらいしか眠れずとても辛かったという話でした。
私の息子も一時はひどくて、家族みんな病気になりそうでした。疲れて眠るようにと思って昼間遠足やプールに連れて行っても、まるで効果なし(むしろ興奮して目が冴える傾向も)。
今は眠っていなくてもベッドの中でちょっと声を出すくらいなので、こちらが熟睡していると気がつかない程度で助かっています。

当然と言えば当然ですが、療育機関に通っている障害児を持つ母親を対象にした調査では、一般女性と比べ「抑うつ性」「生活不規則性」が高い傾向にあるそうです。
じゅうぶん気をつけないと、子どもを道連れに無理心中となる可能性大ですね。
ことに睡眠障害は母親のうつのきっかけにもなる辛いものですから、周囲の理解と協力をお願いしたいです。
posted by dashi at 21:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

余暇活動

自閉症の息子と私にとってGWは、行くべき学校が休みで落ち着かない期間です。
小さい子の泣き声が苦手なのと、出先で見失うことを考えたら、いくら楽しそうなイベントでも人ごみに出かける勇気がありません。毎年GWには早く終われと願いながら近場の散策でやり過ごしています。
上の子たちも小さいころには、それでも出かけることもありましたが、イライラするばかりであまり楽しめなかったような気がします。

きょうは一時預かりで何度か利用したことのある近くの地域活動ホームで、障害児対象の余暇活動の催しに参加することが出来てとても助かりました。(有料)
それも、ただの娯楽ではなくて、
「買い物に行って、オムライスを作って、みんなで食べて片付ける」
という一連の活動です。道路をはさんだ向かい側にある大きなスーパーで買い物を済ませ、活動ホームには調理場の設備があるので、そこでマンツーマンでついた介助者(職員、アルバイト、ボランティアのみなさん)の援助を受けながら活動したようです。
きょうはたまたま知り合いの子が複数参加していて、預ける方としても安心でした。

食器の片付け以外は家であまりやらせたことがなく、調理はどうかなと思いましたが、はりきって楽しめた様子。出来上がったオムライスを4分割して、4口で食べたと説明を受けました。
一時預かりでお願いした時は、家から持って行ったジグソーパズルを黙々とやるだけで、誘っても外出しなかったそうですが、仲間と一緒だったからスムーズに動けたようです。
パズルをやるおとなしい姿しか知らない職員さんに、意外な面を見ることが出来ました、人なつっこいんですねと言われ、笑顔が出たんだなと思いました。
余暇活動として料理実習は最適なので、家でも面倒がらずにもっと手伝ってもらおうと思ったことでした。

きょうの活動には自閉症の子が3人いたようです(全部で6人ぐらい)。
そのうちの一人のお母さんが、
「うちの子はなんにも出来ないから」と言いかけたら、
「とても上手にやってましたよ。ボランティアも楽しく過ごせたと喜んでいました」
と声をかけられて、感激のあまり涙ぐむ場面もありました。
ボランティアさんが楽しめたということは、本人も楽しめたはず。それが何より嬉しい。
意思表示をはっきりしてくれない重度の自閉症児の場合、親はこういうふうに間接的に事態を把握したりします。

ところで障害の程度はかなり重くても、料理が出来る自閉症者は少なくありません。
お母さんが夕飯の支度をするとき、目を離せないから仕方なく台所に連れて来て、見張りと遊びを兼ねたお手伝いから始まったりしているようです。
うちの息子の場合は目を離せたので出遅れました(笑)。
知り合いの息子さんは、ちゃんとトッピングを整えて、実においしそうなラーメンを作るそうです。でも、どんなに頼んでも<自分の分しか>作らないとか。
その話を聞いた時は「自閉症らしい」と笑ったものですが、上手く持って行けば家族も食べられそうですね。
posted by dashi at 00:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月21日

妹の出産

きょう年上の友人(Aさん)と会ったら、「孫が出来たのよ」と嬉しそうに携帯に保存された写真を見せてくれました。
ぱっちりした目がAさんに似てとても愛らしい赤ちゃんでした。今8ヶ月でハイハイを始めたところとか。
孫ってホントに可愛いわ、と目尻を下げっぱなしのAさん。
Mr.ドーナツでお茶を飲んだら、<ドーナツを買うと150円>のミニカーを二つも買うので、まだ早いんじゃないのと笑ったことでした。

このママになった人はAさんの末の娘さんで、すぐ上が自閉症のお兄さんです。
娘さんは自分のおなかにいる子どもが男の子だとわかった時、自閉症は男が多いということは知っていたので、自閉症ではないだろうかと密かに心配していたそうです。
出産してすぐ何かの検査があった時(ビタミンKの欠乏を調べるのではなかったでしょうか?)、これで自閉症じゃないってわかるのかと聞かれたAさんが
「この検査は別のものを調べるだけで自閉症のことはわからないよ」
と答えたら、何とも言えない不安そうな顔をしたそうです。
Aさんは、ああ、この子は自閉症のお兄ちゃんがいることがこんなにプレッシャーになっていたのかと、普段は全く気付かなかった娘の胸の内を知って言葉に詰まったそうです。

そして気を取り直して、「自閉症の子とは全然違う。この子は大丈夫」と断定したそうです。
今はもう8ヶ月になって、だっこしてあやすと喜んで笑う、何でも拾って口に持って行く、という言葉に、
「そりゃあ違う、そりゃあ間違いなく普通の子だワ」とうなずき合いました。
Aさんの息子さんはもう28歳ということなので、赤ちゃんの時のことなどはもう大方忘れてしまったようですが、
「自閉症の子って、普通の子とはぜーんぜん違うよね。他の子とは全然違ってた」
と感慨深げ。
「うん、だっこもおんぶも嫌がってた。離乳食なんてまるきり食べなかった。うちも上の子とは全然違ってたなあ」
私はAさんより10年もあとの記憶ですが、すっかり遠い話になってしまいました。

ところでこのAさんの息子さんは、妹の出産を好意的に受け止めたようです。
隣の市に住んでいるので妹とはたまに会うだけだそうですが、赤ちゃんの成長記録用に自分のビデオカメラを貸してあげたりしているそうです。
お正月には、福祉的就労で稼いだ給料の中から、幼い甥にお年玉5000円を出してくれました。知的障害があるからと、成人してからももらうばかりだったお年玉を、初めて「あげた」そうです。
また、身内の法要で同席した際には、いとおしそうにこの赤ちゃんのほおを触っていたとか。こんなことは初めてとAさんも嬉しそうで、伯父さんと甥だから、やっぱり何か呼び合うものがあるのかねえと話したことでした。

うちの息子の場合、上に20代の姉が二人います。犬や猫がいると遠回りして避ける息子ですが、人間の赤ちゃんに対しては果たしてどんな反応を示すのか、その日が来るのが(来るかどうかは神のみぞ知るですが)ちょっと楽しみです。
posted by dashi at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月18日

「私が連れて行く」

お見合いで結婚した夫と、離婚問題でもめていた知人がいました。
障害児の長男が当時小学部の高学年、その下に4つぐらい離れた妹がいたと思います。
知人は長男のことがなかったら別れることにはならなかったと思われる、もと音楽の先生をしていた、聡明で完璧な主婦という感じの人でした。
妹は年齢に似合わないくらいしっかりしていて、見かけた人の話によれば、父親と兄の3人でプールに来ていて、無関心な父親をよそに障害児のお兄ちゃんに泳ぎを教えていたそうです。

私も当時別居していて離婚秒読みということを知り、その人は他の人には内緒にしていた夫との確執を打ち明けてくれました。別れることにはお互い異存がなく、健常児である妹の親権と養育費の額でもめていたようでした。
子どもの障害が認定されると特別児童扶養手当(特児)というものをいただけますが(親の所得制限があります)、
「離婚して自分の扶養をはずれるとその特児をもらえるはずだから、その手当の分養育費を減らす」
と主張していると聞いて、私は呆れました。なんという言い草でしょう。
「そんな人、さっさと別れた方がいいんじゃないですか」
と思わず口走ってしまって、知人は苦笑したものです。

結局弁護士が中に入ってケリがついたようで、数ヶ月後、彼女は子ども二人を連れて自分の実家のある地方都市に引き上げて行きました。
弁護士が「まったく話にならないご主人だ」とぼやいていたとあとで聞きました。
とてもひょうきんな明るい子だった彼女の長男が、引っ越しの前しばらくは荒れた感じになって周囲を困らせていました。知的障害があるなりに自分の置かれた不安定な状況を感じ取り、先行き不安でたまらなかったのかもしれません。

離婚してお母さんの実家でおじいちゃんおばあちゃんと同居する暮らしになるということでした。
実家はそれなりの家のようでしたし、彼女ももと音楽教師をしていたくらいですから、働こうと思えばピアノを教えるなど仕事はいくらでも探せたと思います。
しっかりものの妹もきっとお母さんを支えてくれたことでしょう。
薄情でケチな父親なんていっそいない方が、悲しい思いをしない分まっすぐに育つと思います。
音信不通になってしまったのでその後のことは知らないのですが、元気で幸せにやっていると信じています。

ただ彼女とその子どもたちについて、一つだけ気がかりなことがあります。
それは、彼女の実母、子どもたちにとっては同居することになるおばあちゃんは、彼女の長男の障害をとても嘆いていて、彼女が里帰りして会う度に、
「アタシが死ぬ時は連れて行ってやる」
と言って涙ぐむ、という話を彼女から聞いたからです。
孫の障害をとてつもなく不運な恥ずべきものと捉えているらしい祖母の存在が、子どもたちの精神世界にどんな影響を与えたのか、気になっています。
子どもたちの笑顔に「障害なんて些細なことだ」と思い直してくれたと信じたいです。
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2006年04月13日

条件反射

夕食後は息子を助手に台所の片付けをしています。
息子は手先が不器用ではなく、通っている養護学校では上手にみんなのコップを洗ったりするようです。
だからうまく仕込めたら一人でやってくれるようになったのでしょうが、指導力(特に根気)がない私には、一緒にやってもらうのがせいぜい。
私が洗った食器を拭いて、食器棚にしまうのが息子の仕事です。手抜きして適当に突っ込んだりせず、しかるべき場所にきちんとしまってくれます。
自閉症の特性が生かせるからか、これはなかなか気に入っている仕事のようで、喜んで手伝ってくれます。
箸やスプーンなどカテラリー類、一部の皿や飯椀はなぜかしまわずに食器乾燥機に並べます。ここらへんは息子なりのこだわりがあるようなので、好きにさせています。

ところで息子は、いつからか、作業の途中で必ずトイレに行くようになりました。
「トイレに行って来ます」と、ちゃんと言える数少ない「文」を早口でつぶやくと、サッとトイレに向かってしまいます。
すぐ戻って来るところをみると、尾籠な話で恐縮ですが、大ではなくて尿意をもよおすだけのようです。
その姿を見ていて思い出したことがあります。
高齢になった親を家庭で介護している人が、「トイレでうまく排尿できないので悩んでいる、何かいいアイデアはないでしょうか」と質問した文章をネットで読みました。
それに対する答えが、「自分の働いている施設では、認知症の人を便座に座らせて、少しだけ水を流してみます。そしたらそれが文字通り誘い水となって、うまく排尿出来ることがありますよ」というものでした。
これは、おむつをはずしたい小さい子にも応用出来そうなアイデアだなと思います。
水の流れる音に排尿を誘われる、息子の場合もまさにその通りというわけです。

トイレに行くのは実害がありませんが、「服の縫い目から糸が出ていたりほころびていると、そこから破かずにおれない」、この条件反射には困っています。入学式の次の日に着ていったコートを早速破いてしまい、初めて担当する先生たちの度肝を抜きました(たぶん。笑)。
前の日の夕方に出かけたおり、手首あたりに糸が出ているのを気にしているのに気がつきました。
その場ではハサミがなくてどうにも出来なかったのですが(爪切りならあるから切ろうかとちらっと考えたのですが、大丈夫だろうと油断しました)、あの糸は切り取っておかないとマズいと思いながらすっかり忘れていた私のミス。うっかり翌日にそのコートで出してしまい、おそらくその糸の部分をとっかかりにしてビリビリに破いたのだと思います。
タオルやシャツの、縫い込んであるラベルも根元から切り取っておかないと、そこをむしり取ってしまいます。そしてほころびたところに指をかけて、ミシン目から一気にびりーーと、……やらずにおれないようです。

服に穴が開いているとそこに指を突っ込んで引っぱり、穴を広げて着られなくしてしまう、というジヘイの子の例は他にも数人聞いたことがあります。「あるべきでないものがあるのが許せなくて、とても気になる」のは障害の特性でしょうから、しょうがないなと諦めています。
それと、窮屈なものは嫌うという傾向もあるようです。身体の動きに合わせて伸び縮みする素材でないとイヤのようで、息子の場合は特別極端ですが、棉パンやジーンズ類はすべて破ってしまいました。わざわざ縫い目にガリガリと爪を立てて糸を出している……のだろうと推測しています。
(卒業式、入学式にはそれなりの服を着せたので、内心ヒヤヒヤしていました。)
かつて、手と歯だけでジーンズを夢中で「解体」していた息子は、がっちりと筋肉がついて力持ちです。

着ている服を破り続けた、悪夢のような日々は過ぎ去ったと油断していると、時々ガツンと来ます。
でも今は私も年齢と経験を重ね、おろおろすることもなくなりました(逆上することがないと言えばウソになりますけど)。家には糸くず対策の業務用空気清浄機もあるし、天から降って来る(笑)ありがたいお下がりもユニクロもある。
あまり深刻にならないで条件反射の条件を除くようにしたいと思っています。
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2006年04月10日

普通の子になる夢

知的な遅れを伴う自閉症で今でもほとんど会話が出来ない息子ですが、この子を弟に持つ娘たちは息子がまだ小さい頃、突然しゃべりだした夢を何度か見たそうです。
小さい頃は自閉症の常として可愛らしい外見をしていたので、電車などで出会った人が、口もきけないとは知らずに話しかけて来たりしました。そんなとき息子はぷいとそっぽを向くので、ずいぶん可愛げのない子だとムッとされ、謝ったものでした。
でもそっぽを向くのは姉たちに対してもそうで、一緒に遊ぼうと近づき手を引いたりする娘たちを、払いのけたり押しやったり逃げたりと、構われるのを嫌がっていたものでした。
この子はどうしてこうなのか、いったい何を考えているのか知りたいと、娘たちも子供心に思ったに違いありません。それが夢となったのだと思います。

夢の中で息子は「お姉ちゃん」と呼びかけ、普通に会話をしたそうです。
どうしてあんなことをしたの、と問うとひとつずつ答えてくれたということでした。
例えば、息子はよくカーテンがかかった窓の上の壁の辺り(特定の場所)をじっと見ているのですが、息子の目には私たちに見えない何かが映っているのだと思います。その、見えているものが何か、ちゃんと説明してくれたそうです。謎が解けるところだったのに(笑)惜しいことしました。
残念ながら当時は私はあまりに切なくて、娘たちの話をきちんと聞くことが出来ませんでした。娘たちも、なにせ夢の話ですからじきに忘れてしまい、夢の中で息子がどんな説明をしたのか真相は薮の中です。
娘たちのフィルターを通した息子の気持ち、知りたかったと未練は残ります。

今でも、何かじっと考え込んでいるような様子の息子(弟)を見て、
「この子、ほんとは何もかもわかってるんじゃないのかな。わざと黙って周りのこと窺ってるんじゃない?」
「きっと、何かたくらんでるんだよ」
「そうそう、あとで『よくもあんなこと言ったな』って文句言うんじゃない」
「自閉症なら全部覚えてるからね」
などと笑いながら話していることがあります。一緒に声を上げて笑いながら、こういうことをジョークとして話せるところまで無事来れたことに安堵したりします。

私は現実的な人間だからか、息子が普通の子になる夢は見たことがありません。この子に障害がなかったらどうなっていただろうか、とちらっと思うことぐらいはありますが、それはそれで苦労しそうな気もします。
ただ、障害のない息子がいるパラレルワールドを覗いてみたくはあります。
そういうことを考えたのは、きょう、息子と同い年の双児ちゃんがいる知人と話をしたからです。
そこの双児ちゃんには会ったことはありませんが、親でもたまに間違うくらい瓜二つの一卵性双生児。カッコいい野球少年で「タッチみたい」と言われていたそうです。
高校でも一緒に野球をやっていましたが、卒業後は、就職と大学進学に分かれたという話でした。

あそこで進学しないで就職していたらどうなっていただろう、というようなことは考えたことある人も多いと思います。人生の岐路で、あっちの道を選んでいたらどうなっていただろうか、あのとき引き返さないでいたら、というようなこと。
この、瓜二つの顔をした二人の少年(青年?)が別々の道を行くということは、他人の私が無責任に考えるに、パラレルワールドを覗くような興味を惹かれます。大きく分かれる道ですから。
うちの息子が普通の子になったら、それはもう息子ではない別の人間。だから今さらしゃべり出さなくていいのだけど、ジョークを飛ばして笑う姿を(遠目から、映画のようにでいいから)見てみたい気もします。
posted by dashi at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月30日

一時ケアなど

今日の日中、自閉症の息子を近くの地域活動ホームで3時間預かってもらいました。
そこの一時ケアサービスを利用したのですが、今はホントに便利になってありがたいと思いました。
そこに登録しておくと時間単位の一時ケアやショートステイ(泊まり)を利用できます。幼児から高齢者まで幅広い年齢層の人(障害者限定)が使える制度です。
多少費用はかかりますが、ヘルパーを雇うよりずっと安いので私にも利用できるわけです。

緊急性のある人優先なので、希望しても必ずしも対応していただけるわけではないのですが、よほど混んでないかぎりは大丈夫のようです。養護学校に通う子たちが学童保育的な使い方をしている例(個別対応ではない)もあるようです。
緊急の場合はなおさらありがたいですね。万が一自分や親が入院するような事態になったとしても、ある程度障害児の扱いに慣れた人に世話してもらえると思うとかなり心強いです。

緊急時に預かってもらえる制度は息子の学校にもありますが、家の近く(歩いて行ける距離)で、理由を問われないというのはある種の解放感があります。リフレッシュのために旅行に行きたい人も使えるわけです。
これがいかに贅沢なことであるかは、家に手のかかる幼児や病人、一人に出来ない高齢者を抱える人にはよくわかってもらえるでしょう。
28日の朝日新聞の報道によれば、高齢者への虐待の深刻さが判明し、4月1日から「高齢者虐待防止・養護者支援法」が施行されるとのこと。長いことかなり放置されて来た虐待(暴力から無視までいろいろあります)に法の網がかかります。
介護はする側にしたら(常にじゃないですが)気が滅入る辛い仕事。3月10日にここで触れたグループホーム「いちわ」の例は論外としても、放置される程度の虐待は日常的に行われているでしょう。
たった一晩ショートステイで預かってもらえるだけで、介護する側も相手に優しくなれてとても助かると思います。

今の制度があったら起こらなかったのではないかと思える悲劇が、私の知る施設でありました。養護学校を卒業して通所施設に通っていた青年が、無理心中をはかった父親に殺されてしまった事件です。
その青年は一人っ子で、仕事で超多忙な父親は息子のことはほとんど母親任せにしていたようです。
ある日母親が急死しました。青年が通っていた施設も出来る限りの協力はしたようですが、父親は仕事と、息子をどうするかで心労がかさみ、思い詰めて無理心中しようとしました。そして息子は死に自分は死にきれなくて自首し、殺人の罪に問われました。
福祉事務所に相談に行ったとき、疲れ切った顔でどうしようもないんですねと長いため息をついていたそうです。

この事件の後、きっと影響はあったと思いますが、この地域の福祉サービスは飛躍的に進みました。
昔は考えられなかった個室の入所施設も出来ていますし(これは自閉症者にとってはホントにありがたいのです)、短期間預かってもらうこともあまり難しくなくなりました。私もずっと身内の結婚式にも出ないで来ましたが、次は大丈夫かなあと思ったりしています。
殺された青年の事件は、私にとって人ごとではありません。一時ケアやショートステイに助けてもらいながら、安心して息子を託せるグループホームや入所施設のメドをつけるまでは、ゼッタイに死ねないと思っています。
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2006年03月24日

息子の笑顔(つづき)

息子は夫の留学期間中に生まれました。
会社派遣で一年間北京に留学したのですが、行ったのは晩夏から次の夏にかけての一年で、息子が生まれたのは10月の初めです。私は大きなおなかでしたので成田に見送りにも行けませんでした。
普通、一年間は帰国しないで頑張るものだそうで、長男誕生、冬休み、長女の小学校入学式、と何度も帰国していた夫は会社で顰蹙を買ったようです。たぶん家族思い(子煩悩)の優しい父親とみんな(呆れ半分で)思ったでしょう。

ポラロイドカメラを買って毎日のように夫に子どもたちの写真入りの手紙を送っていたのですが、一年後に帰国した夫は息子を「写真で成長を見るだけじゃどうもピンと来ない」とぼやき、自分の子という実感が湧かないと言って私をがっかりさせました。
自閉症だったからだと今では理解出来ますが息子は夫には全くなつかず(誰にでも、なのですが)、抱こうとすると押しのけ、あやしても笑わない息子を夫は「なんだこの子は!」とののしり、ろくに見ようともしませんでした。

息子のことが原因ではないですが、3年後に北京転勤が決まった時、夫はしきりに単身赴任をしたがりました。そうすればよかったのかもしれないと今は思います。
「子どもをアーイー(メイド)さんに預けて学校に行く」生活に長年あこがれていた私は、何が何でも北京で暮らしてみたかったのです。育児の愚痴をちょっとでも口にしようものなら夫はすぐ「北京に転勤になったら育児はアーイーに任せて学校に行けばいいよ」といなすのが常だったので、しっかり刷り込まれていたのでした。
私のわがままに付き合わされた子どもたちには可哀想なことをしてしまったと今でもすまなく思っています。

いい顔をしない夫を無視する形で手続きをし、住まいからかなりの距離にある大学に通いました。
強行したのは、北京に(と言うより夫のそばに)長くはいられない予感があったからだと思います。
学生生活はとても楽しく面白い体験をたくさんしました。夫との不仲に悩んでいた私にとって、どれだけ救いになったかわかりません。でも2ヶ月が限度でした。
授業は午前中だけで夕方前には帰っていましたが、周囲にはずいぶん迷惑かけました。初めの頃、泣き止まない息子に手こずったアーイーさんが夫の職場に息子を連れて行ったということもあったようです。
息子に問題があることがはっきりし、学生をやってる場合じゃなくなりました。残念でしたが、わずか2ヶ月でも夢が叶って気が済んだと納得するしかありませんでした。

なんか妙な子だという認識は北京に行く前からありましたが(姑に指摘されましたが)、相談した病院でもはっきりしたことは言われなかったのです。私は、おとなしくて手がかからない子であったことや、上の二人をちゃんと育てて来たという自負もあって、あまり深刻に考えていませんでした。
赤ん坊の頃、お風呂から出て母乳を飲んだあとはそのまま寝てくれてとても助かりました。上の子たちの時は寝付かすのもひと仕事でしたから、ほっておける子はラクで親孝行でした。
男の子は女の子とだいぶ違うな、口が遅いと言うけどホントだな、とのんきに思ったりしていました。偏食はひどかったのですが、そのうちに食べ始めるだろうと希望的観測していたと思います。
日本にいる時は、慣れた環境で落ち着いて暮らせていたのだと思います。

ところが北京では、かなり面倒なことになりました。
朝から夜までビデオの前から動こうとせず、日本から持って行った「天空の城ラピュタ」を繰り返し見ています。上の子たちが相手しようとしても振り払います。
夫がつがいの文鳥を買って来たら、餌の粟をソファーにぶちまける。
夜中に突然、とても悲しそうな声で泣き出し、どうしても泣き止まない。夫には怒鳴られて一緒に泣いたものでした。
フィリピン人が経営する私設の託児所に預かってもらったこともありますが(日本人のはなかった)、すぐに行かなくなりました。ハグという習慣をはじめ、イヤなことばかりだったようです。
私が連れて散歩に出るとおとなしくついて来るので、北京の街をあてもなくさまよいました。

戦時中や文革のことなど知らない先入観のない人は自由に行動出来たと思いますが、私は日本人であることを中国人しかいない場所で知られるのは怖く(あまり単独では行動しないように言われていました)、ものを言わない息子だけと出歩くのは気楽な面はありました。しゃべらない限り日本人とわからないからです。
一度、乗り合いバスに乗って初めての郊外に行ったらひどく渋滞したことがありました。窓の外の景色が変わらないので退屈した息子が、バスの座席の下に張られた鉄板をガンガン蹴りはじめ、小さい声で制止しても(当然なのですが、笑)止めず、バスに乗り合わせた人たちから口々に(全然聞き取れなかったのですが)ツバを飛ばして叱られた時は本当に困ったものでした。

あとになって思えば、息子にとってなんて苛酷な環境であったかと申し訳ない気持ちでいっぱいです。
寝床がタタミに布団からベッド。姉二人は寝室が別。床は大理石。
見慣れない家、街、エレベーターを使う高層住宅の生活。
周囲に飛び交うのは4声があって日本人にはなじみのない発声の言語。
アーイーさんのほか台所には男(コックさん)までいる!(コックさんにはあとでとても可愛がってもらいました)
食卓に出て来るのはコックさんの作った中華料理。(コロッケを教えて作ってもらったりはしました)
どんなに混乱し、動転した日々だったかと可哀想になります。
(今ならもっと日本と近い暮らしが出来るのでしょうが、当時は食材一つ揃えるのも大変でした。アーイーさん、コックさんを雇うのも、監視を受けるという意味合いもあったようで半ば強制に近いものでした)

そのあと、私が逃げ出すような形で帰国して九州の実家に身を寄せ、もとの家に戻ったのは息子が年長になる春でした。
療育センターに通い、住み慣れた家で暮らし始めてやっと息子にも笑顔が戻ったのでした。
北京で撮った写真では不安そうな表情が目立っていました。もう二度とあんな可哀想な目には遭わせたくないと思っています。
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2006年03月23日

息子の笑顔

先日引き出しの奥から古い写真ホルダーが出て来ました。
自閉症の息子は一時服の前に写真を破っていた時期があり、写真は小さいホルダーに移してあちこちに隠しました。まとめておくと見つかるからですが、だから隠したのを忘れていたような場所から出て来たりします。
その中には入学前のころ(療育センターに通っていた頃。幼稚園だと年長の年)の息子の写真がたくさんあって、なんて可愛いんだと親馬鹿丸出ししました。

おととい養護学校の高等部(本科)を卒業した息子ですが、もちろん小さい時もありました。
前にも書いたことがありますが髪を切るのが大変だったので、切りやすいおかっぱ(と言うよりマッシュルームカット。なんとかいうお笑い芸人みたいな髪型)だったことや、上の二人が女の子でトレーナーなど女物のお下がりを着ていたせいもあって、女の子によく間違えられました。当時はまだ、ピンクと言うと女の子の服って感じでしたね。
写真はほとんど娘が撮ったもので、娘の部屋でくつろいでいるものが多く、無邪気にカメラ目線でニコニコしています。
自閉症の子にとって、気に入った環境で毎日を過ごすことがどんなに幸せなことか、息子の笑顔にあらためて実感しました。と言うのは、それより少し前は息子にとって辛い日々が続いたからです。
(この先、だいぶ書いたのですが、ごちゃごちゃするのでまた明日整理して書き直したいと思います。きょうは中途半端ですが、ここまで)
posted by dashi at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月19日

プランB

<調子が良くてエエカッコシイだからすぐ安請け合いするけど、出来ないことが多くて結局みんなに迷惑をかける>知人のことでこぼしたら、娘が、
「初めからそういう人だとわかってるなら、プランBを用意しとくといいんじゃない」
と言い出したので、これは面白い、是非きょうのブログのネタにしようと身を乗り出した私です。
難しい話はさっぱりの娘だから、プランBのネタ元も「ダーリンは外国人」とかいうマンガエッセイと、「チャーリーズ・エンジェル」とのこと。

ダーリンはいろんな国の血が混じった人らしいので、国民性というのではなさそうです。周到な性格の人なのでしょう。
お出かけの予定を立てる時は、出かける前にあらかじめ
「動物園がだめならどこそこ、そこもだめならあそこ」
というように考えておくそうです。天候などで変更するのでしょうね。
ハプニングには無縁で堅実すぎるかもしれませんが。

チャーリーズ・エンジェルは私なんか途中で飽きてしまった娯楽映画ですが、スパイものだから手順に抜かりなく、プランAがダメならプランB、それもだめならプランCと用意してから仕事にかかるらしいですね。
作戦1、作戦2と言うよりずっとしゃれた感じがします。
たしかにプランBの準備があれば、ドタキャンがあっても逆上する事なく、落ち着いて対処出来そうです。

ところで卒業や進級を控えたこの時期、自閉症の子の親にとっては頭の痛い季節です。
自閉傾向が強い子たち、高機能やアスペルガー症候群の子たちにとっては、通い慣れた学校や教室、先生が変わるのはとても辛いことのようです。
(健常の子でも好きだった学校や学級を出るのは、引き離されるようで悲しいですよね)
情緒が不安定になってイライラしたり、登校を嫌がる。慣れて落ち着くまで親はヒヤヒヤするという話も聞きます。

うちは同じ学校でずっと過ごしているからかあまり困ったことはないのですが、それでも中学部から高等部に移った時は不安定になりました。
校舎が変わって新入生が二人加わったのですが、最重度のうちの子でも影響を受けるくらいだから、軽い子は大変だろうなと思ったりしました。実際、困り果てた親も多かったようです。
環境の変化にとても弱い子が多いのです。

プランAがもう使えないから今度はプランBを、といった臨機応変な融通のきくやり方は、たぶん彼らが一番苦手とするところだと思います。
でももし、プランB、プランCもしっかりシュミレーションして、よく理解させることが出来れば、いくらかマシじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。
posted by dashi at 00:27| Comment(6) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月27日

ありがたい話

今日は息子の授業参観・面談で一日学校でした。
一日一人ずつなので、連日保護者の監視(?)を受け続ける先生はさぞかし気疲れすることだろうなと思っています。時間割に合わせて体育館や校庭に移動し、給食も一緒に食べます。
体育館で他のクラスのお母さん数人と一緒になりました。子供たちとは離れているので遠目に見るだけで、私語も迷惑にはならない状況です。
久しぶりに会ったTさんと、バザーで一緒のパートをやってからもう4年か、早いね〜などと積もる話をしました。

Tさんはこの養護学校に通う自閉症の長男の下に、もう一人重い知的障害の末っ子がいます。二人ともなかなかに大変な子のようですが、今は上の子が高校生になって落ち着き(この頃になると落ち着く子が多いようです)、少しは言うことを聞いてくれるようになったと笑っていました。
下の子が活発らしくて、走り出すと追いつけないというのは私も同じ。もうすぐやって来る春休みをどう過ごすか難問だねとうなずき合いました。

ご主人や真ん中にいる健常児がお休みの日なら助けてももらえるでしょうが、一人でずっと二人の面倒を見るのは、自分も以前大病を患って健康に不安があるTさんには無理な仕事。いろんなツテを頼りにボランティアさんのお世話になって来たそうです。
今の時代、本格的なボランティアをするゆとりもない学生が増えたのか、探すのも大変になったということでした。
このTさんに聞いた、ちょっといい話。

学生の頃に長くTさんの長男(Tくんと呼ぶことにします)のボランティアをしてくれた人が、実家のある田舎に帰って福祉関係の仕事につきました。
Tさん一家と親しく接しているうちに、障害者福祉(自閉症関係)を生涯の仕事にと決めたようです。Tさんには、Tくんにいい勉強をさせてもらいました、とお礼を言って帰郷したそうです。
そしてその後数年して、友だちの結婚式に来たからついでにと、わざわざTくんに会いに来てくれました。大きくなったTくんの姿に感慨深げで、3日間こちらにいるから一日ぐらいは大丈夫です、と言って翌日一日、Tくんを遊びに連れ出してくれたそうです。
ありがたいわねえ、としみじみ語るTさんの笑顔に、思わずうるうると来てしまった私でした。

私にも、しみじみとありがたかった思い出があります。
何年か前に、息子が電車の中で急に自分の着ていたTシャツをびりびり破り始めたことがありました。暑くて多少イライラしていたかもしれませんが、特に理由はなく突然のことでした。
破衣行動に悩まされていた頃で、いったん破り始めると止めることは出来ないのはよくわかっていました。でも場所が場所ですから、無駄だとわかってるけど止めようとする私と少しもみ合いました。

電車は混んでなくてみんな座れる程度でした。近くにいたみなさんは驚いたようすで、見るのも気の毒って感じで見ぬふり。
こっちとしてはそれだけでありがたかったのですが、向かい側にいた女性が電車を降りる時に、「よかったらこれ」とささやきながら新品のTシャツを押し付けて来てくれました。
驚いている私に、「安かったから」と早口で言うとさっさと電車を降りていってしまいました。ちゃんとお礼を言えたかどうか覚えていません。

いったいどうしてこんなことをするんだろう、どうしたらやめてくれるんだろう、と泣きたい気分でいたときにすっと差し出された手。
まだ今ほど普及してなかった、100円ショップで買ったらしい黒いタンクトップ。小さくなるまでありがたく着させていただき、その度にあの女性の好意を思い出しました。今でも感謝しています。

posted by dashi at 23:52| Comment(7) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月25日

障害児の親になること

息子が療育センターに通っていた年長のころ、そこで知り合った人がお昼に呼んでくれたことがありました。私とはそれほど付き合いがなかったのですが、私の家に数人集まったことがあったので、そのお返しにだったと思います。
療育センターのバスに息子を乗せ、私を呼んでくれたMさんの親しい友人Yさんと落ち合って、二人でMさんの家に向かいました。
Mさんには療育センターに通う息子(Mくん)の上に歳の近いお兄ちゃんも一人いるようでした。Mさんは一人娘で、家族4人で自分の両親と同居しており、その日Mさんのお母さんもご在宅でした。

Mさんは結婚して二人を出産、自閉症のMくんを育てているうちにストレスですっかり太ってしまったとぼやいていました。昔の写真を見ると少女モデルのようにきゃしゃで可愛く、太ったあとも体型に合ったおしゃれを楽しんでいる人でした。
Mさんの居室からダイニングに移動して、お手製のカレーをご馳走になりました。
スパイスの利いたおいしいカレーでしたが、びっくりするくらい量が多かったのを覚えています。ストレス発散においしいものを食べる→おいしいから食べ過ぎる→過食が習慣になる→ますます太る、の悪循環に思えました。

カレーを食べている間に、近くの部屋にいたMさんのお母さんが出て来て、私たちにコーヒーの用意をして下さっていました。
子供の話をしていたら突然MさんがMくんのことを
「あの子、死んでくれないかしら」
と平然と言ったので私は腰が抜けるくらい驚いて、Yさんと顔を見合わせました。Yさんは初めて聞くセリフではなかったようで、眉をちょっとひそめたぐらいでした。
返す言葉もなく黙り込んだ私たちを悲しそうに見て、お母さんは、
「この子、いつもこんなことを言うんですよ。困ってるんです」
と顔を曇らせていました。長く学校の先生をしていらした優しいお母さんだったそうなので、きっと可愛がられて育てられたであろうMさんの、あの神をも恐れぬセリフはなぜ出たのかと思います。

Mさん、Yさん、私の3人の息子はいずれも知的障害を伴う自閉症と思われましたが、Mくんは中では知的障害の程度が軽い方で、簡単な会話は出来て意思表示も出来る分、手こずるような不可解な行動は少なかったと思います。
Yさんや私から見たらラクで羨ましいぐらいな子でしたが、Mさんにとってはお兄ちゃんのように私立の学校に行くぐらい優秀な子じゃないと、自分の子としては受け入れがたかったのでしょう。
たぶん、心の奥底でそう思っている親は少なくないと思います。障害児でなくても、学校の成績がぱっとしないだけで「あんな出来そこない、死んでしまえばいいのに」と考えてしまうような未熟な親もいると思います。
でも「それを言っちゃあ、おしまいよ」ですよね。天罰も下ることでしょう。

ボーボワール「第二の性」の冒頭の有名なセリフに、
「女は女として生まれるのではない。女になるのだ」
というのがありますが、私はこう言いたい。
「親は子供を生んだからといって親になれるのではない。(子供を育てることを通して)少しずつ親となっていくのだ」
「子供」を「障害児」と置き換えてみて下さい。障害児の親はその大半が
「え? なんでよりによって私の子が?」
と驚き、うろたえ、悲しみ、運命を呪うでしょう。少しずつ少しずつ現実を受け入れ、障害児の親になっていくのだと思います。
(中にはかのオトくんのご両親のように、なんの抵抗もなく最初からわが子を愛せる、人間の出来た人もいます。)

後日、またMさんと話す機会がありました。大勢集まっている席でしたが、その日私は虫の居所が悪くてイライラしていましたので、何か言ったMさんにきっぱりと言ったものでした。
「あなたのストレスはMくんのせいじゃない、言い訳にしているだけ。ダイエットして10キロやせてご覧よ、もっと自分に自信を持てばいいよ。人生楽しくなるし、ご主人だって可愛いあなたに惚れ直すんじゃないの」
幸いMさんは泣き出さずに「きつ〜〜」と苦笑しただけでした。
自分に甘い私は人には言っても自分はダイエットを敢行せず、太めのままの30代40代を送ったのでした。やれやれ。

posted by dashi at 16:26| Comment(9) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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