2013年03月14日

成年後見制度:選挙権喪失は違憲 東京地裁判決

いずれ成年被後見人になるであろう息子を持つ母親として、そして法律を勉強中の受験生として、非常に興味を覚える判決が出ました。
http://mainichi.jp/select/news/20130314k0000e040186000c.html


成年後見制度:選挙権喪失は違憲 東京地裁判決

毎日新聞 2013年03月14日 13時52分(最終更新 03月14日 14時05分)

成年後見人が付くと選挙権を失う公職選挙法の規定は法の下の平等などを保障した憲法に反するとして、ダウン症で知的障害がある茨城県牛久市の名児耶匠(なごや・たくみ)さん(50)が国に選挙権があることの確認を求めた訴訟で、東京地裁(定塚誠裁判長)は14日、この規定を違憲と判断し、訴えを認める判決を言い渡した。同様の訴訟は、さいたま、京都、札幌各地裁でも起こされ、今回の判決が初の司法判断になる。
 名児耶さんは07年2月に父清吉さん(81)が成年後見人となり、選挙権を失った。名児耶さん側は「成年後見制度は主に財産管理のためのもので、選挙権を奪うことは憲法違反」と主張していた。
 これに対し、国側は「他人に影響されて不正な投票をする危険性があり、選挙には能力が必要。能力を個別に判断することは不可能で、成年後見制度を借用するのは合理性がある」と反論していた。
 成年後見制度は認知症や知的障害などのために判断力が十分でない人を支援するため00年に始まった。公選法11条は、家庭裁判所が選任する成年後見人がついた人(成年被後見人)は選挙権・被選挙権を有しないと定めている。【鈴木一生】

公職選挙法11条は以下の内容です。
選挙権及び被選挙 権を有しない者)
第十一条  次に掲げる者は、選挙権及び被選挙権を有しない。
一  成年被後見人
二  禁錮以上の刑に処せられその執行を終わるまでの者
三  禁錮以上の刑に処せられその執行を受けることがなくなるまでの者(刑の執行猶予中の者を除く。)
四  公職にある間に犯した刑法 (明治四十年法律第四十五号)第百九十七条 から第百九十七条の四 までの罪又は公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律 (平成十二年法律第百三十号)第一条 の罪により刑に処せられ、その執行を終わり若しくはその執行の免除を受けた者でその執行を終わり若しくはその執行の免除を受けた日から五年を経過しないもの又はその刑の執行猶予中の者
五  法律で定めるところにより行われる選挙、投票及び国民審査に関する犯罪により禁錮以上の刑に処せられその刑の執行猶予中の者
2  この法律の定める選挙に関する犯罪に因り選挙権及び被選挙権を有しない者については、第二百五十二条の定めるところによる。
3  市町村長は、その市町村に本籍を有する者で他の市町村に住所を有するもの又は他の市町村において第三十条の六の規定による在外選挙人名簿の登録がされているものについて、第一項又は第二百五十二条の規定により選挙権及び被選挙権を有しなくなるべき事由が生じたこと又はその事由がなくなつたことを知つたときは、遅滞なくその旨を当該他の市町村の選挙管理委員会に通知しなければならない。

上の11条を読めば、刑務所に入っている人たちと並べて欠格者扱いされるのには、なんだかなあという気もします。民法の規定では成年被後見人には契約を要するような法律行為は認められていませんが(成年後見人の出番です)、結婚、離婚は自由にできます。それを思えば、何もわざわざ投票を禁止することはないんじゃないかとも思います。
そもそも成年後見人の制度は、「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者」の法律行為を(意思能力の欠如を証明しなくても)無効にできるようにしたものです(民法7条以下)。「日用品の購入その他日常生活に関する行為」でなければ、成年後見人が取り消しすることができます。
高い宝石を相手の言いなりになって買わされたり、自分の名義になっている土地を売る約束をしたりしても、大事に至らなくてすんで安心です。

知り合いの成年被後見人のお母さんが、選挙権がないのは納得いかないと言っていたのはもう何年も前のことです。投票には必ず連れて行って、白票だけど投票させているという、まだ成年被後見人になる前の人の話も聞きました。ただ、知的に障害のある人の人権を守るためには、成年後見だけでなく、障害の程度に応じて保佐人(被保佐人:事理を弁識する能力が著しく不十分)、補助人(被補助人:事理を弁識する能力が不十分)を置くこともできます。自分の意志で投票ができるような人なら、被保佐人にすればいいんじゃないかなという気もします。そしたら11条の欠格事由にもあたらないわけで。
私は息子が成人して投票案内が来るようになってからも、ハナから無理で、投票させようとは考えたことがありません。納得いかないと憤慨するお母さんに比べたら、子供の人権に鈍感なのかもしれないと思ったりもします。

ただ、特別養護施設に入っている認知症の高齢者の票が悪用されるようなことは普通に起こるだろうなとは思います。成年被後見人の投票を禁じるのは時代遅れな感じもしますが、社会秩序を守ろうとして起案した人の思いもわからないでもありません。
上の判決はまだ高裁なので、最高裁判所まで行くのでしょう。何年か先になるのかどうか、最高裁がどんな判断を示すか個人的にも大変気になります。
posted by dashi at 15:35| Comment(2) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月01日

謹賀新年


おめでとうございます。
大荒れの予報ははずれて、穏やかに明けた新年でした。
昨夜は、NHKのなりふり構わぬ事前PRぶりに嫌気がさして、初めて紅白を見ない大晦日でしたが、たまたまチャンネルを変えたときに桑田某が出ていたので注目しました。病み上がりという印象で正直なところ痛々しかった(しんどそうでした)ですが、元気になった姿に喜んだファンは多かったでしょう。
この人の息子さんの一人が自閉症(その療育で有名な学校に行った)なのはコアなファンならみんな知っていること (秘密にはしてない) らしいですが、いつか、親としての気持ちも発信して、同じ悩みを持つ人を励ましてほしいなと個人的には思っています。

ウチの自閉症の息子も今年は年男です。
髪を抜いてしまうので丸刈りにしたら、すっかり気に入って、金曜日の夜になると「バリカン、バリカン」とうるさいのでお風呂で刈ってやることにしています。
昨夜も金曜日でしたが冬休みでいつもとスケジュールが違うけど、どうかな(曜日がわかるかな)と様子を見ていたらやっぱりバリカンと言うので、今年の刈り収めとやってやりました。
丸刈りの上に、普通の服は破いてしまうのでユニクロの黒のスウェットを制服のように毎日着ていて、かなり見てくれが悪い。でも、例の酒癖の悪い御曹司のおかげで、丸刈りも社会的にあまり異端視されなくなったような気もします。

今年の我が家にとって大きな変化となりそうなのが、娘が飼う(買う)といってきかないネコです。たぶん一月中にはやって来ることになるでしょう。
息子が大の犬嫌いということもあって、たぶん嫌がるだろうとずっと反対していましたが、押し切られることになりそうです。
私としては、ネコは嫌いじゃないけど、余計なトラブルに頭を悩ませず受験勉強に没頭したいところです。宅建と違って、格段に難しく、かなりの集中を要求される学習内容なのです。丸暗記ではゼッタイだめで、きちんと理解しながら山を崩していく感じ。脱落する人が多そうな印象は強く受けます。
人づてに聞いたところでは、司法書士の予備校に来る生徒のうち、半分は最初から無理な人なのだそうです。あとの半分に入れるよう、頑張りたいと思います。

みなさまにとっても、充実した、あとで振り返って満足のいく年になりますよう。
posted by dashi at 22:20| Comment(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月22日

就眠儀式

ウチの息子も22歳。すっかり落ち着いた最近の姿からは、人よりかなり遅くやって来た思春期と、14年通い慣れた学校から仕事場に移った、その環境変化の大きさに順応する期間がやっと終わったのかなと思います。
学校は自閉症には苦手な年中行事のとても多いところで、親も学校に出向くことの多い忙しいところでした。一方卒業後に入ったのは、自閉症に特化した先進的なところで、全員参加の行事は一切ありません。本人にとっては理想的な環境のはずですが、学校とのギャップの大きさに慣れるのは大変で時間もかかったのだろうと思います。
その息子、このごろはトラブルも少ないのですが、自閉症だな〜とため息が出る思いがするのは毎夜の就眠儀式です。

就眠儀式という言葉はよく耳にするので、ごく一般的な言葉かと思っていましたが、広辞苑にも大辞泉にも載ってません。ネットで検索したら、三省堂の大辞林にやっと見つかりました。
[就眠儀式] 強迫行為の一。一定の順序で一定の行為を繰り返さないと就眠できないこと。
とあります。
自閉症の子どもがいるから私にはなじみがあるだけで、一般にはそれほどでもないのかもしれません。
でも言葉にはなじみがなくても、これをやっている人は多いと思います。寝る前には寝床で本を読み、決まった形にしおりをはさんだりいつもの場所に本を戻すとか、毎日決まった深夜放送を聴き、聴きおわったら必ず目覚まし時計を確認するとか。私の場合は水をコップに軽く一杯飲み、そのあと必ずトイレに行かないと寝付けないです。
だから息子に就眠儀式があっても無理はないのですが、やることがけっこうアホっぽいのです。付き合わされる私もアホっぽい…^^。

歯磨きしてトイレに行ったあと冷たい水を一杯飲み、そのあと着ていた下着を脱いで(たたんで椅子に置く)真っ裸になります。そして、一枚を3つに切った古タオル(友人知人に声をかけて恵んでもらっています)を何か言いながら取り、自分の部屋に駆け込む。
それから、シュレッダーでひとしきり封筒やレシートをゴリゴリ。このときのために使い古しの封筒(色つきで少し厚めが好み)をもらってあります。
(裸のお尻で座るところに洗えるマットを敷いています)
そのあたりで私が引き戸を開けて声をかけ、寝るようせかします。するとベッドに上がって、さっき取ってきた古タオルの、ミシン目を指や歯で開いていきます。ヨレヨレの古いタオルの方がミシン糸が柔らかく、ぴりぴりーと一気にほどけるので面白いようです。
(一枚のタオルを3つに切ってあるので、真ん中の部分に当たった日は、ぴりぴりーはナシです)

それが終わったら、CDプレーヤー代わりに使っているパソコンのマウスを、机のふちにタンタン、タタタタ、タタタタ、タンとリズムをつけて打ちつけます。
それからベッドの足元の方に行き、少しずれたベッドマットをひざでぐいと押します。
そして、次にCDを聴くのに使っているヘッドホン(小さい)を両手で持ち、マウスと同じリズムで机を軽く叩いて鳴らします。
それから「おやすみ」と言いながら急いで部屋の電灯を消しに行きます。私も「おやすみ」と応えながら戸を閉めます。

見てなくてほっといても同じことをしているようですが、かなりぐずぐずしているので、この数分を私に見守ってせかしてもらいたいのだろうと理解しています。
マンガチックな就眠儀式ですが、外泊するときはやらないし、よそではちゃんとパジャマも着ます。家でぐらい好きなようにして、情緒が安定するならそれでいいかと付き合っています。

posted by dashi at 17:39| Comment(2) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月22日

ごめんね…

きょうはとんだヘマをして、息子に「ごめんね」と何度も声をかけてしまいました。
本人は状況を理解できないので知らん顔。むしろ気に入っているかもしれません。

髪の毛を抜くという行動を繰り返していたころに、緊急避難という感じで丸坊主にしました。
(人相が変わってとても違和感がありましたが、頭の形がいいから似合うとずいぶん慰めてもらいました)
初めは行きつけの床屋さんで刈ってもらい、そのあとはバリカンを買って家で刈っています。
昔は娘たちの散髪もしていましたがバリカンは初体験。私が初めてやったときは見事なトラ刈りで娘に笑われ、刈りなおしをしてもらったものです。今でもヘタですが、まあなんとかきれいに刈れています。

バリカンはPanasonicになる前のNational製で、価格は7千円台だったと記憶しています。これがなかなかのスグレモノで、モーターのうなりも小さく(うるさいと息子が嫌がると思います)、扱いやすい上によく切れます。
使用後に毎回掃除して給油と充電をするのが多少面倒ではありますが、床屋さんに連れて行く手間と値段を考えたら苦になりません。

冬はいかにも寒そうで(帽子も好きでないので)可哀相でしたが、ここ数日は暖房もいらないくらい暖かくなり、丸坊主も哀れさはなくなりました。
息子は丸刈りの頭が気に入っているようで、少し伸びてきたらしきりと頭をなでまわしてアピールします。
促すと嬉しそうに「ヤッテ下さい、アリガト」と言います。
私としては長髪のほうがいいので気は進みませんが、仕方なくバリカンを手にします。
このごろは一週間おき、日曜日の夜に刈るのが習慣になりつつあります。

きょうもいつものようにバリカンを持って、息子の頭に向かいました。額の中央から真上に、月代みたいにまず刈り込んでからぐるっと回る刈り方をしています。
周囲から刈り上げて、最後に残った頭頂部をあちこちの方向から刈って仕上げます。
バリカンを手にしてスイッチを入れたとき、ほんのちょっとアレ何か? と迷いがありました。そこで止めたらよかったのですが、バリバリ…と二、三列刈り込んでから気がつきました。3ミリにするの忘れた!
今までそんなことはなかったのに、慣れて油断したか他のことに気を取られていたか、とにかくバリカンの刃先に着けて長さをキープするプラスチックのアタッチメント装着を、すっかり忘れていたのでした。

アタッチメントをつけなければ、たぶん、いわゆる一枚刈りということになるのでしょう。まるで囚人!?
ど、どうしよう…と口に出して言ってみても、息子の反応はありません。
今さら止めるわけにはいかない…とそのまま続けて刈り上げたのは、見慣れない青々とした頭で、頭皮のでこぼこがよく目立ちます。おまけに角度によってはトラ刈りがよくわかります。
こ、こんなみっともない姿にしてしまって、ごめんよっ! 
猿カニ合戦のカニが「早く芽を出せ柿の種」と水をかけた(すぐ芽が出た?)のにあやかりたい気分です。早く伸びろ髪の毛〜。
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2009年01月20日

きょうだい児の作文

小6の自閉症の弟がいる、3つ年上の中学生(兄)が書いた作文にうるうるしてしまいました。
第28回全国中学生人権作文コンテスト・神奈川県大会で優秀賞を得た文章。最優秀賞4編に次ぐ優秀賞12編のうちの一編です。
このコンテストには神奈川県内389校、60,383編の応募があったということですから、自由応募とは考えにくい。国語の宿題にでもなったのかもしれませんね。
全文をご紹介したいところですが、私がこれを読んだのは相模原市の自閉症団体の機関誌で、そこには「禁転載」の文字が。機関誌は横浜地方法務局の許可を得たようです。
全文はダメでも一部ならいいでしょということで、少しだけ引用します。

この中学生が卒業した小学校には、特別支援学級(特学)がなかった。だから弟(床をなめたり奇声をあげたりする、あまり軽くはない知的障害児のようです)は隣の学区の小学校の特学に通っています。
そのこともあってか、この少年に自閉症の弟がいるということを、学校の周りの人は知らないようです。(中学生ぐらいの年頃だと特に、家庭のことはあまり話さないんじゃないかとも思います)
この少年が通っている中学校には特学があり、障害のある子が通ってきています。
部活で一緒の友人たちが、障害のある子をからかったり軽んじているのを見て、少年は心を痛めます。
そして、ある日気がつきました。障害に対して差別的な言動をするのは、みんな特学のない小学校から来た生徒であることに。

特学のない小学校で学んだ人たちは、弟のようなタイプの人のことをよく知らないから、必要以上におかしいと思ったり気味悪がったりするのでしょう。
「知らない」ということは恐ろしいことです。
誰も悪気がなくても、大きな誤解や偏見、こころない差別を生んでしまうからです。
小さいころから障害者が身近にいて、自分たちと違う人がいるのは当たり前、何も変なことでもイヤなことでもないんだ、できる人が手伝ったり助けてあげるのが当たり前なんだ、と思える環境で育てば、意味もなく障害者をバカにしたり、差別することがなくなるのではないでしょうか。


そして彼は提案しています。
僕は、全国の小中学校すべてに、障害をもった人々と交流できる場を作ることを提案したいと思います。
それが、差別のない、基本的人権を尊重する社会を作るための第一歩だと思うからです。


この少年のお母さんはきっと、自閉症の息子を育てることに被害者意識を持たず、前向きで明るいのだろうなと思ったことでした。
それにしても一般には反抗期の中学生が、これほどに素直で建設的な作文を書くことに感心する一方、あまりに優等生過ぎて一抹の不安も感じてしまいました。先は長いのだから、頑張りすぎないでぼちぼちと、と言いたいです。
posted by dashi at 23:13| Comment(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月11日

「こだわり行動への対処」

息子が養護学校に入った年に受け持ちだった先生から、一冊の本を送っていただきました。
「自閉症・アスペルガー症候群と こだわり行動への対処法」
白石雅一著、東京書籍。

先生は既婚で子どものいない若い女性でしたが、そのあとご主人の転勤で東北に引っ越すことになり退職されました。昨年の春、息子の卒業式に駆けつけてくださって再会。雰囲気が当時とほとんど変わらず、あまり年をとらない人だなあと思ったことでした。

そのご主人が臨床心理士、自閉症の専門家だったとは知りませんでした。現在は東北の女子大で教鞭を取っていらっしゃるようです。
今までにも共著では何冊か出しているけれど、今回初めての単著(共著に対して単著というらしいですね)を出版。奥様である先生が、私にも記念に一冊贈ってくださったというわけです。
2008年12月16日に第一刷が出たばかりの、出来立てほやほやの本。
先生も現在は自分の育児(一人)も一段落して、自宅で子どもの療育ルームみたいなことをされているという話でしたから、出版には大いに協力、助言などされたのかもしれません。

自閉症の子の親なら、そのこだわり行動に悩まされない人はいないと思います。
私も息子が小さいころには、小さくなった靴を履きたがって困ったり、偏食に悩まされたりいろいろありました。まだ田舎の実家に居候していたころ(4歳)には、大きな(魚のぬいぐるみの)キーホルダーをいつも持ち歩いていて、私の父に「みっともないからやめさせろ」と言われて困ったものでした。
自閉症児のこだわりは、気持ちを落ち着かせるお守りのようなもの、無理にやめさせようとすれば必ずその反動が出て不幸なことになると私は思います。

こだわりをなくさなくても、その対処法がわかっていれば、こちらは一枚うわてを行くことができます。こだわりをうまく利用して世界を広げる、そういう高度なテクニックがあれば、あまり我慢を強いられず平和に共存できます。
その点この本は、写真入でとても具体的な支援(対処)の方法をわかりやすく解説。悩める親や、直接療育に関わる人たちにとって、大いに参考になる本だと思います。
「世界のナベアツ」が登場するなど、出たばかりの本ならではの新鮮なネタもあって、楽しめるかもしれません。
posted by dashi at 23:38| Comment(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月04日

「ゾウさん」

最近、息子は落ち着いていて好調です。
通っている施設でも、自動車部品の組み立て(かなり細かい作業のようです)を頑張って、少しは世のため人のためになっているようです。(この不況で受注の仕事が途切れないのを祈るばかりです)
もともと300ピースのジグソーパズルを一気に仕上げるなど、わりと長時間の集中力はある方なので、本人がその気になりさえしたらそこそこ仕事も出来るんじゃないかと思っています。

正直なところ、私はもっと早く今の状態になれると楽観しすぎていました。
自閉症者が環境の変化に弱いとは知っていましたし、幼い頃転居を重ねたのには可哀相なことをしたと思っています。が、新しい環境に適応するのにこれほどの時間がかかるものだとは…。
自閉症に対しおそらく最高の環境のところ(例えば、落ち着かせるための部屋が用意されてたり、構造化が徹底しています)だし、スタッフも専門の教育を受けていてノウハウと理解がある。ここなら大丈夫と安心しすぎて、覚悟が足りなかったと反省しています。

今でもたまに服を破りますし、封筒や書類をシュレッダーにかけたがるので、大事な書類はすべて隠す(何をどこに隠したか忘れることも…)など、頭痛の種は健在です。
封筒をのりしろから開いて解体?するのが面白いらしく、茶封筒を見ると(内容にはもちろんお構いなし)すぐ破るので、郵便物を先に見つけられないよう気をつけています。
一昨日は切手シートを破られそうになって慌てました。そのうちお札をやらないかと密かに心配しています。
まあでも、今のところ大過なく過ごしています。

私の入浴中、隠した書類を探し回るのを防ぐために、娘に息子を見てもらっています。
その時に文字の書き取りや、娘の絵を真似して描かせる、というのをやってくれています。このごろは精神的に落ち着いたからか、嫌がらずにやるようです。
文字は、見ていると筆順も滅茶苦茶だし形をなぞっただけで意味もわからないのですが、自分の名前だけは漢字でも読み書きできるようです(学校で練習したから)。
絵の方は、もとの娘の絵と比べると失笑ものですが、何を描いたか判明できるようになって来ました。

スヌーピーの絵を描いたので、「これ誰?」と聞いたら「スヌーピー」と答えました。おおっ、わかるのかと嬉しくなった私。(素直に嬉しく思える自分も嬉しいです)
娘に話したら「ゾウさんの方がすごいよ」。そう言えばきのうゾウの絵を描いていて、聞いたら「ゾウさん」と答えたのでした。
デフォルメされたゾウでなく動物園のゾウでも「ゾウさん」と言えるのか、今度実験しなくては…。
オウム返し以外では「さようなら」「トイレに行ってきます」と、「○○(職場の名)に行くよ」と声をかけられたとき「頑張ります」と返事するぐらいしか口をきかない息子ですが、言葉の便利さに目覚めたとき使える語彙は、案外内蔵しているのかもしれません。
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2008年09月26日

軽度発達障害

先週の週末は、息子の学校が年に一度企画してくれる、卒業生対象の一泊旅行(通称「アフター」)でした。
卒業したらそれっきり、ではなくて、こうして「卒業後の様子(親も)」を気にかけてもらえるのはありがたいことです。
息子は卒業以来半年ぶりのスクールバスに乗り、おなじみの先生たちと顔を合わせて、嬉しそうでした。
行き先はよくドライブで日帰りするぐらいの近場です。
子どもだけの参加もOKですが、ウチは初めてだしたまには気分転換に…と親子で参加しました。
在校中から知っている子が多かったですが、中にはウチの息子が入学する前に卒業した、40歳を越えるオジサンも。
当たり前のことですが知的障害者も歳をとる。でも精神年齢が幼い分、歳よりは若く見えるように思います。
先輩お母さんには70歳になる人もいて、自分と息子の近い将来を見る思いがしました。

担当の先生がちゃんとついてくれ、温泉やカラオケ、寝るのも別行動です。久しぶりに息子のことを気にしないでゆっくり温泉に浸かりました。塩湯で口の周りがしょっぱくなり、よく効きそうな印象でした。
ところが、たまたま同じクラスから6人も参加していたので、夜は同窓会みたく先生方も含めて盛り上がり、ほとんど寝ないハメに。翌朝はみんな地震で目が覚めたそうですが私は気がつかず熟睡、それでも睡眠不足が響いてこの数日は眠くて眠くて閉口しました。もう徹夜はできないと改めて思った次第。
先生たちは若いからか元気いっぱいで、(代休はとらず)翌日から変わりなく仕事をするということでした。
卒業生が何十人も来ていて一人が担当するのは2、3人。先生の頭数も必要だし勉強にもなるからか、この春に着任したばかりの若い先生も数人参加していました。

帰りの、横浜駅まで高速を使っていたスクールバスの中でのことです。
一人で参加していた軽度発達障害の女の子が、私の斜め前の席に座っていました。
息子の少し上の学年に中学部から入った、いつもニコニコしている可愛らしい子で、普通に会話も出来る障害の軽い子です。あまりよく知らない私は学校で見かけて「この子がどうして養護学校に?」と思ったこともありました。
その子が二人掛けの席に一人で座っていたので、先生たちは可哀相に思ったのか、交代で何人か隣に座りに来ました。養護学校では少数派の、普通に会話が出来る子ですから、優しい先生たちはしきりに声をかけて話をします。
女の子も同世代のイケメンの先生と話せて楽しそうでした。

女の子は、その年齢の女性としてはたぶん普通のことなのでしょうが、「他人の恋愛」にとても関心がある様子。
A先生はB先生が好きですか、などといったことを延々と質問しています。「どうかなあ、じゃ、A先生に聞いてみましょう」などと、隣に座った若い先生が後ろの方にかたまって座っている先生たち(A先生を含む)に話を振ったりして、にぎやかに笑っていました。
そのうちに突然女の子は、「B先生が性同一性障害でも、好きですか」と聞きました。口跡がはっきりしている子なので、斜め後ろの私にもはっきりと聞こえました。
聞かれた若い先生は、絶句。バスの中が一瞬シーンと凍りつきました。

「ドラマででもやってるんでしょうかね」と私がささやくと、その若い先生は「そうですね、たぶん…」と視線を泳がせ、「意味、わかってるんでしょうか」と私に小さな声で聞いてきました。
「男が男を好きになったら性同一性障害、と思ってるんじゃないですか」
「そうですよね、ちゃんとわかってるわけじゃないですよね」
と、すっかり「ドン引き」の様子。ほかの先生と交代していました。
私はお節介ながら「○○ちゃん、そんな言葉使っちゃダメだよ」と声をかけずにいられませんでしたが、どうしてダメなのか、彼女には理解できなかったでしょう。

セイドーイツセイショーガイという言葉を記憶して正確に発音する身体機能と知能はある。でもその音の羅列の意味するところや、その言葉を使う場をわきまえることは、たぶん、無理。
知的な障害に理解があり慣れている養護学校の先生相手だからよかったものの、これが例えば近所の(小学校時代の)同級生相手の会話だったら、ヘンタイ扱いされるかもしれません。
相手の気持ちを思いやって言葉を選んだり、口をつぐむというのは、軽度でも発達障害がある人には難しいのではないかと思います。

福岡で先ごろ、軽度発達障害の息子を母親が殺してしまうという事件がありました。死人に口無しで真相はやぶの中ですが、息子の言葉に絶望して発作的に殺した、と母親は供述しています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080924-00000000-nnp-l40
福岡市西区の小戸(おど)公園で内浜小1年富石弘輝(こうき)君(6つ)が殺害された事件で、殺人容疑などで逮捕された母親の富石薫容疑者(35)が、体が不自由なため弘輝君にトイレ介助を頼んだ際「何もしてくれないのにお手伝いばかりさせられる、と言われて絶望的になった」と動機を供述している
あとさき考えないで口走っただけの言葉にも打ちのめされる、体調が悪いならなおさら。障害児の親の傷つきやすさに同情の余地はあるものの、おそらく減刑嘆願書は誰も書かないだろうと思われた事件でした。
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2008年09月05日

癒されたひとこと

引き出しの整理をしていたら、変色した新聞の切り抜きが出てきました。
ちょうど10年前に私が投稿して朝日家庭面に掲載された文章です。出てきたのも何かの縁だと思うので、こちらに再掲いたします。
十歳の頃の息子はおとなしくて、多動などに悩まされることは一切ありませんでした。偏食以外にはそう問題もなく、元気にスクールバスに乗って養護学校に通っていました。
この翌年あたりから服破りが始まり、特定の子を執拗に狙う(たたいたり蹴ろうとする)のでバスポイントを変更したり、学校まで直接送迎するなど、自閉症らしい行動が目立って振り回されたものでした。

日付をメモしてないので何月のものか不明ですが、この年は何年も別居のあと正式に離婚した時期に当たります。親権にこだわった夫にそれはアッサリ譲り、養育は引き続き私がすることにして円満に別れました。
仲のいい夫婦ならお互いに励ましあい慰めあい協力もするのでしょうが、私には学齢期の子ども三人だけ。私一人でちゃんと三人を育てられるのか、娘たちが非行や自殺に走らないか、不安でいっぱいでした。
そういう背景で書いた文章です。
なお、文中のS先生は、佐々木正美先生のことです。それまで先生と個人的に接したことはありませんが、見たことのある顔ぐらいの認識はお持ちだったかもしれません。私は度々先生のお話を聞きに行き、かなり影響を受けました。それだけではなくて、私の直接の恩人でいらしたなあとあらためて感謝しています。


<ひと言に いやされて>
自閉症の権威として知られるS先生の勉強会のあと、レストランで一人でコーヒーを飲んでいらっしゃる先生に思いきって話しかけてみた。
息子の自閉はあまり強くないのですが、と前置きし、「いつしゃべり出そうが、私は、本人の勝手だと思うんです」と言うと、先生は「そうです」。力強いひとことに、思いがけずワッと涙があふれた。
「今まで一度も、そうだねって言ってもらったことがないんです」。やっとの思いで声をふりしぼる私を、S先生は優しく見やり、「本当にそうです。その通りです」。この言葉を、私は長いこと待っていた。涙がとまらなかった。
今十歳の息子が「自閉症です」と宣告されてから五年半。息子の理解しがたい数々の行為の答えが出されたようで、「ああ、そうだったのか……」と力が抜けた。
人並みに泣いたり落ち込んだりもしたけど、一番つらかったのは周囲の言葉だった。家族や親せきは「たたいてしつけろ」「帝王切開が原因だよ」「育て方が悪い」。友人は無邪気に「H君はしゃべるようになった?」と聞く。
しゃべりたくなかったら、しゃべらなくてもいい。しゃべれる方が便利だけれど、しゃべらなくてもコミュニケーションはできるし、本人が楽しく生きていけるならそれでいい。
そう達観できたのはわりと早かった。でも、私の気持ちに共鳴してくれる人には長いことめぐりあえなかった。
たったひとことでいやされることもあるのだ、と改めて思った。
posted by dashi at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月02日

回覧板

イライラ気味で帰宅した息子、テーブルの上にあった回覧板を目ざとく見つけると、あっという間にビリビリに破いてしまいました。
回覧板と言っても板ではなく、透明のクリヤケースに束になって入っています。
私が十数年前に担当していた頃は厚紙製のファイルにはさんでいたので、雨に濡れるとふやけて変形したりして大変でした。
ファイルごとビニール袋に入れる時期から、ファイルごとケースに入れるようになって、その後ファイルはなくなりました。
私の頃には月に二度自治会館まで中身を受け取りに入って、それを二軒の家に配りに行ってました。それが回って返ってくる頃にまた次の回覧、とけっこう忙しかった思い出がありますが、今は月に一度しか来ないようです。
回覧板ひとつにも時の流れが感じられます。

息子が破ったのを拾い集めると、団地自治会から行事のお知らせ、地域の小学校や中学校便り、警察などから空き巣情報など、チラシ7.8枚ばかりあったようです。ざっと見たところ、それほど重要なものはないようでちょっと安心。
いつも私には用がない内容ばかりの、ざっと見てお隣に回す、面倒なだけで無用の存在ではありました。
(実は回覧板の中身を破ったのは初めてではなく、前回は少しだったので貼り合わせた物をカラーコピーしたのでした。クリアファイルに入れた(はさんだ)ものは破りたくなるようです)
うちが最後なら問題ないのですが、残念ながらお隣の家が最後の回覧世帯で、そこから当番組長のもとに返すことになっています。

とにかく息子を連れて当番組長さんの家に行き、事情を説明することにしました。
息子も、なにかまずい事をしてしまったらしい、と感じ取ったようで、素直についてきます。
ご近所なので顔は知ってますが話したことはない人で、いささか緊張しましたが、笑って対応してもらってホッとしました。
「申し込みの用紙があるから、それは必要。破ったのを持ってきて」と言われて、家まで取りに戻りました。それは防災訓練の申し込みを募ったもので、幸い(?)申込者欄は空白。
それを渡しに戻ると、別ルートから返ってきた回覧板が用意されていました。それをありがたく受け取り、お詫びを言って帰ろうとすると息子が身体を折るようにして「サヨウナラ」と挨拶。当番組長の奥さんはニコニコしていました。
帰り際にお隣のポストに(留守だったので)回覧板を入れて、一件落着。

服や靴を破るのも困るけど、大事な書類も見境ないから危なくてしょうがない。…自閉症者の大変さはこんなところにもあります。
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2008年08月27日

保護者会で

先日、息子の通う施設の保護者会があり、仕事を初めて休んで出席しました。
自閉症者ばかり50人余が通う施設なので、出席した保護者もすべて自閉症者の母親です。
今さらですが、4月から働いている新任職員の紹介がありました。その中に同じ法人が経営する自閉症者の入所施設から転勤してきた人がいて、保護者を見回して「(前のところより)お母さんたちがずいぶん若い」と話していました。
入所施設にお世話になるのは家庭で見られない事情がある場合が大半ですから、親が高齢だったり亡くなったりした人も多いと思います。
数ヶ月前まで養護学校に通っていた私の目から見れば今の施設はだいぶ高齢化した印象ですが、入所施設はもっとなのでしょう。

保護者会で「(今のところに)何歳まで通えるのか、年齢制限はないのか」と質問したお母さんがいました。
何歳までも大丈夫とのことでしたが、みんながずっと通い続けると(定員があるから)新しい人が入れないことになります。もう入っている者としては、後続のお母さんたちに羨ましがられ疎まれる立場。
本人はもちろん親にとっても居心地のいい特権階級といったところですが、来年以降入るのが難しい人たちに対しては、申し訳ないような複雑な思いがあります。
膨大な需要に応えられるような、自閉症に理解のある施設の充実を望みたいところです。

施設から保護者への要望として、「送迎バスのドアからは少し離れて待っていてほしい」というのがありました。
施設は乗換えが不便な駅まで送迎バスを出していますが、そこでちょっとしたトラブルがあったそうです。
ポイントの駅に到着して、中にいた利用者がすごい勢いで飛び出した。そしてドアの近くで待機していた他の利用者のお母さんを突き飛ばした、ようです。ぶつかられたお母さんは病院に行ったらしいので、転倒したのかもしれません。

ゆっくり歩いて移動できず、走らずにいられない自閉症者は少なくありません。バスや電車からも、ドアが空くが早いか全速力で駆け出す人もよく見かけます。地下鉄の車両の中を立っている人にぶつかりながら走っている人を見かけたときは、息子のお仲間だなと思いました。
止めさせたいところですが、どうにも出来ない人もいて、これも障害の特性の一つかもしれません。周囲に迷惑をかけるようだったら誰かが同行して制御しなければならないでしょうし、そういう意味では施設への送迎に対してもガイドヘルパーの導入を認めるべきだと思います。

自閉症者の親であることを改めて実感し、ちょっと気分を引き締めた保護者会でした。
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2008年08月16日

「らしい」行動

私の仕事先では自閉症の「じ」も関係ない仕事内容、仕事仲間。
息子の障害がわかって以来、接触のある人は障害関係者(主に、母親と療育に携わる人)だったり、私に自閉症の息子が居ることを知っている人がほとんど。まるきり関係のない人たちと時間を共有するのは本当に久しぶりで、ある意味とても新鮮です。
今までほとんどの人と、自閉症の息子が居るという前提で話をしていましたが、当然のことながら、「それが何か?」という世界もあるわけです。

夏休みで一週間、息子とべったりの日々を過ごしました。
ふだん、慣れているために自覚しないことが多いのですが、あらためて「そうか、この子は最重度の知的障害を伴う自閉症だったっけ」と思いなおした日々でした。
「どこか行こうか」と声をかけたら、私のバッグから車のキーを取ります。暑いから車で出かけたいのでしょう。
口はきけないけどこうやって意思表示できるから、本人もあまり不便な思いはしない。自閉症のことを「究極の自己中」と評して笑いあうことがありますが、自分の欲望のため(?)なら「キーを持ってくる」ことを覚えます。

自分の行きたい方角を指差すようになったので、特に用事がないときは、その方向に車を走らせます。
先日は途中まで来たので「油壺マリンパークに行こうか」と声をかけ、そっちへ行きました。「マリンパークに行こうね」と2、3回念押しました。行き先を前もって告げておくとスムーズにいくようです。
途中、何年も前に通ったきりの道で、住宅が増えて景色が変わっているにもかかわらず、T字路の信号で私が迷っていると「こっちだ」と言うように指差します。
マリンパーク、という言葉よりも進行方向でどこに行くのか判断しているのだと思います。

水族館は障害割引で半額、二人で一人分の料金で入れます。でも、モトは取れないと思う。
せっかくの珍しい魚にも目もくれず、行くのは回遊型の水槽と、ショー会場のみ。私がうっかり足を止めたりすると見失うので、息子の背中から目を離さずに追いかけます。
今回は回遊型(ドーナツ型)の水槽でしばし見入ってくれたので、私も珍しいノコギリエイを観察できました。反応がないのはわかっているけれど、「ほらほら、見て〜、すごい口してるね、ノコギリエイだよ〜」なんて声をかけたりして。
ショーの時間までまだ30分以上もあったので、ほかの展示を見て時間稼ぎしたかったのですが、海洋深層水館に連れて行っても一目散に出口へ向かい、私はあわてて人の間をすり抜けて後を追う始末。(所要時間1分)

まだ早すぎる、というのがわからない。ショーを楽しみに待つのならそれもいいか、と会場へ行きました。
まだ時間が早いのでガラガラ、よく見えて隣が通路(階段)の席を選んで腰を下ろしました。
幸い息子は機嫌悪くもならず待ってくれましたが、思いのほか客が多く混んできて、息子の隣の階段にまで人が座ったのは想定外でした。それも、幼稚園児ぐらいの女の子を膝に乗せたお母さん。
息子がそっちをチラッと見たので、サイアク…と舌打ちしたい気分でした。女の子の帽子に触らないか、サンダル履きの足に触らないか、ハラハラ。
私と席を替わろうかと思ったら、いつの間にか私の隣にも女の子と同じぐらいの男の子が。諦めて様子を見ることにしました。
幸いなことに息子は子どもたちに興味を示さず、前方のプールに注目しています。早く始まってくれ、と祈るような気持ちで、声をかけたりして待ちました。

芸達者なイルカのショーも堪能した帰り道、渋滞を避けて回り道をしようとしたら息子に激しく抵抗されました。
いつもの、よく通る道を走ってほしいのです。
しかたないので近道のはずの縦貫道をノロノロ進みましたが、あまりの渋滞に我慢できず、初めての横道に入りました。ところがこれが予想外の細い農道、土ぼこりをあげて対向車をよけながらのクネクネ道です。途中から中央線のある道に出ましたが、私の思惑は大きく外れ、ものすごく遠回りになってしまいました。
おそらくこのことが原因だと思います(初めての道を通るの嫌い)が、帰ってから息子は早く一人になりたかったらしく、自分の部屋に駆け込みました。
汗だくで帰ってきたのでせめてシャワーでもかけたかったのですが、ゼッタイに部屋から出ようとしません。もみあってさらに汗をかき、しかたないので濡れタオルを持ってきて息子の汗を拭きました。

混んで渋滞してても「確実に家に向かうとわかっている道」を通ってほしい、という理屈なのでしょう。
行動を固定させないために、いろんな道を通る方がいいような気もしますし、それを抵抗なく受け入れてくれることも多い。いろんな道を通って、こことあそこがつながっている、と覚えてくれれば、迷子になってもちゃんと家に帰ってくれるかもしれません。
今回はすごいクネクネ道で私も不安から何か口走ったりしたので、尾を引いたのかなと思います。
どんなに促しても部屋から出ない頑なな姿に、自閉症「らしい」行動かな、と思ったことでした。



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2008年07月13日

丸刈り

自閉症の息子の、髪を抜いてしまうのがまだ続いています。
一時ほどひどくはなくて、大きなハゲは頭頂部の一箇所だけ。このごろは場所も分散しているので直径5ミリほどの小さなハゲが数箇所に出来ている程度です。
経験者に「必ず収まります」と断言してもらいましたが、だいぶ収束の方向に行っている感じはします。
自分の髪しか抜かないのだから人には迷惑をかけないし、騒音も立てない。いいことではないけど(息子は)抜いた髪を食べてしまうのでゴミも出ない。抜いた痕が化膿しても塗り薬が劇的に効くからじきに治る。問題行動としては深刻度は低い方かもしれません。
私に言わせてもらえば服や靴を破られるのに比べればカワイイものですが、抜く姿を見るのは辛いものがありますし、ハゲが出来て目立つのはどうにも困ります。
指が立たない(つまみにくい)長さにしようと丸刈りにした、その姿にも見慣れてきました。

自閉症の親仲間でうなずきあうことですが、自閉症の子って風邪引いても、怪我をしてもすぐ治る。熱もすぐ下がるから病院に行くまでもないことが多いです。
学校もお休みしない子が多かった(ウチの息子も毎年精勤賞もらっていました)。偏食の子が多い割にはみんな元気でした。
爪や髪が伸びるのもずいぶん速いような気がする。新陳代謝が活発で、身体の防衛本能が発達しているんじゃないかと思います。
ウチの息子の髪もすぐ伸びる。(丸刈りは黒っぽくなるので伸びるとすぐわかりますね)
毎回床屋さんに連れて行くのも大変なのでバリカンを買い、10日ぐらいの間隔で3ミリの長さに刈っていますが、ちょっと油断すると爪で挟んでピッと抜いています。
息子と同じところに通っている自閉症者の人に、いつも青々とした頭の青年を二人見かけます。たぶん一週間もおかずに刈っているのでしょう。髪を抜くからか、あるいは他の理由があるのかわかりませんが、夏は涼しくて快適かもしれません。あれならシャンプーじゃなくて全身石鹸(またはボディシャンプー)でいけそうです。

ところで、山本モナ嬢との不倫騒ぎで、巨人の二岡内野手が「ザンゲの丸刈り」にしたそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080711-00000008-ykf-spo
このサイトに写真がありますが、昨日はスポーツニュースで映像が流れたのを私も見ました。
「これで懺悔? なに寝ぼけたことを言ってんだかーー」
と呆れたのが正直なところです。懺悔なら、9ミリなんて中途半端なことをせず、清原サンみたいなスキンヘッドか、一枚刈り程度の長さにするべきじゃないのかしら。
あきらめが悪いというか、潔くないなあ。悪いことをしたという気持ちはないんだろうなあ、と個人的には思っています。

上に「一枚刈り」と書きましたが、これは関西から西の言い方のようです。
昔、私の田舎の中学校(九州)で、問題を起こしたおしゃれな生徒が罰として一枚刈りにさせられて嘆いていました。
一枚刈りが2ミリ、ウチの息子の3ミリは一枚半刈りに該当するようです。
バリカンにつけるスペーサーの枚数に由来するそうですが、今はスペーサーなるものを使う床屋さんは小数なのではないでしょうか。
2枚刈りが5ミリ、3枚刈りが7ミリだそうです。二岡内野手は4枚刈り?
なお関東では「枚」は使わず、5厘刈り(2ミリ)、1分刈り(3ミリ)という言い方をするようです。
9ミリは5分刈りだそうですから、二岡内野手は「5分刈り」。やっぱり「ザンゲの丸刈り」にはほど遠いような気がします。





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2008年07月07日

脳内出血の人の行動

新作「ハプニング」について、
「人が何かに感染され、奇妙な行動を起こし、死に至るという一連のアイデアはどこから生まれたのか」
と問われたシャマラン監督が、インタビューでこんな話をしています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080627-00000011-flix-movi
(監督の友人が大学生のときの話。同じ学校の生徒が目の前でバイク事故を起こすのを目撃、すぐに駆けつけて「大丈夫か?」と聞いた。その生徒はすぐに起き上がって「大丈夫だ」と答えて帰ろうとした)
だけど彼は不安になってその生徒を説得して、病院に連れて行こうとしたんだ。彼はバイクを押した生徒とともに病院に向かって歩き出した。そうしたら急にその生徒が「病院に行く前にこのバイクをアパートに置いてきた方がいいかな?」と聞いてきたらしい。彼は「いいや、その前に病院だよ」と答えてまた歩きだしたんだけど、1分後にその生徒がまた「病院に行く前にこのバイクをアパートに置いてきた方がいいかな?」と同じことを聞いてきたんだ。そしてしばらくしてまた……っていう具合にね。実はその生徒は交通事故の影響で脳内出血を起こしていて、その後学校を1年間休学したらしい。彼はその生徒の様子に、何かがおかしくなり始めていると感じ取って、恐ろしくなったと言っていたよ。

いやあ、びっくりしました。これって、まるきし「認知症」の症状ですよね。
先月近くの自治会館に顔を出したとき、80代以上と思える老婦人に話しかけられました。
(そこで花を飾るボランティアをしているという、一見しっかりした元気そうな方です)
何の話だったか忘れましたが、私は真面目に誠意を持って(けっこう長い文節で)お返事しました。
ところが、納得したようにうなずいたその人が、またすぐ、全く同じ話をしてきた。これには愕然とし、ああ、この人は認知症が始まっているなあと思いました。
早めに受診すれば、あるいは認知症の進行を止めることができるかもしれない、そしたらそれほど困難なこともなく今の生活を続けられるんじゃないのかなあ、と思いましたが、私にはどうすることもできませんでした。
病院に行った方がいいですよ、と言うわけにはいきませんよね、初対面の人に。
私の祖母もこんな感じだったなあ、と今さらながらに思い出しました。同じことを何度も言ったり聞いたりするので、みんなに疎まれていました。病気と知っていたらみんなもう少しやさしくできただろうになあ、と気の毒に思います。

そして、これって自閉症にも通じるものがあるな、とも思います。
ウチの息子は言葉がほとんどないので同じようなことは起こらないのですが、知り合いの自閉症者の中には、先生や施設の職員さんに全く同じことを何度も何度も繰り返し質問して、しまいには相手をしてもらえなくなる人もあります。
周囲の人はきっと、「何回言えばわかるの!!今言ったばかりでしょう!」と、言っても無駄(というより、禁句らしい)だとよくわかっていながらも、言わずにおれないこともあると思います。
息子がまだ就学前のとき先輩お母さんたちがいる席で、ウチの子はまだしゃべらないとこぼしたら、
「しゃべらなくていいの! いっそしゃべらない方が可愛がられるよ!」
と大きな声で返されたことがありましたが、こんなことを指すのだなあと思い出します。

脳の同じ部分が、出血や生まれつきの不都合で、うまく機能しないのだろうなと思っています。
いずれ、医学の進歩でこの世から消える病気や障害なのでしょうか。長生きして見届けたいものです。
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2008年07月02日

可愛くてたまらない

先月、中三になるジヘイくんのお母さんと会う機会がありました。子どもが同じ学校に通っていて、スクールバスのポイントも同じだったので、よく顔は合わせていた人です。
その子がまだ小学部のころ、とても偏食がひどくてお母さんは悩んでいた。先生からdashiさんの子もそうだったヨと教えてもらったとかで、相談を受けたことがありました。ウチはわりと自然に直ったので、偏食克服の例としては理想的だったようです。
身体が大きくなるとおなかがすいて食べるようになるよ、と笑いながらちょっとしたアドバイスをしたのだと思いますが、それからもう7.8年は経つでしょう。
今回「あのときは…」とあらためてお礼を言われて、そう言えばウチの息子は頑固な偏食もあったっけ、と思い出しました。

このお母さんが、最近、行きつけの床屋さんに息子を連れて行ったら、散髪が終わったあとスタッフに取り囲まれて吊るし上げ(?)に遭ったという話をしていました。
もう何年も通っているのに、何も成長していない。こんなことでどうするんだ、このまま大人になったら困るじゃないか、といった感じに責められたそうです。
(具体的にどんなことを言ってるのかよくわかりませんでしたが、例えばお母さんを通じないと指示に従えないとか、そういったことでしょうか。おとなしい子だから床屋さんの仕事はちゃんとさせていたようです)
お得意さんに向かって言語道断、とんでもない床屋だと私は腹が立ちますが、
「同じようなお客さんでひどい目に遭ったんでしょうか、障害児にはもう来て欲しくなかったんですね。今までずっと我慢してたんでしょう」
と寛容なお母さん。

そして、取り囲まれて口々に責められていたとき、
「この子はこの子なりに成長しているんですよ。私はこの子が可愛くてたまらないんです」
と答えた、そうです。残念ながら、
アンタが可愛くったってしょうがないだろう、年取ったらどうするんだ、
と口撃は止まらなかったようですが…。
可愛くてたまらない、って言ってもらえるとは、なんてシアワセな子だろう! と私は感動してしまいました。
一人っ子というせいもありますが、よく親子三人で活動する仲のいい家族のようです。
別れ際に「先週、モンゴルから帰ってきたんですよ」と聞いてびっくりしました。聞けば、毎週馬の講習(親子一緒)に行っているとかで、その仲間でツアーを組んでモンゴルへ馬に乗りに行ってきたそうです。
自閉症児の療育に有効(らしい)といわれるものはいくつかありますが、乗馬もその一つのようですね。
彼女の場合は子どもをなんとかしようと必死なのではなくて、家族三人で純粋に「とっても楽しかった」そうです。
モンゴルの平原を馬で駆け回って、「ここでずっと暮らしてもいいなあ」と思った、と笑っていました。

私にも、この子が可愛くてたまらない、と思える日が来るのかどうか。連日ズボンをビリビリしてくれ、夜はなかなか寝てくれない。とてもそんな心境にはなれないでいます。ジヘイちゃんは新しい環境が苦手だから、夏までの辛抱、と言われていますが、果たして?
posted by dashi at 23:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月28日

障害との共生

幼稚園年長組、5歳の女の子。
ある日自宅の庭で、遊びに来た同年輩の親戚の子と、石を投げて遊んでいました。
それに気がついた大人が、危ないから止めるように注意しましたが、やんちゃな子どもたちは言うことを聞きません。
そのうち、女の子の右目に小石が命中してしまいます。
それが原因の外傷性白内障で、女の子は右目を失明。何度も手術を受けましたが光は戻らず、左目まで失明するのを食い止めるのが精一杯でした。

明確な障害を持っているけれど、それを特別なこととしないで自然体で成長しました。
母親には「アンタの目がそうなったのは、自分が悪いんだからねっ」と突き放された(心を鬼にして、かもしれないと私は思います)そうですが、たぶんそれをちゃんとフォローする人がいたのでしょう。
内面的なことはわかりませんが、傍から見る分にはコンプレックスとは無縁の、言いたいことをずけずけ言うはっきりした人でした。(敬遠する人が多くて、私もその一人でした)
地域では最高峰とされる大学の大学院に進んで一生の仕事を持ち、お医者さんと結婚して、授かった子ども二人は国立の大学を出て、父親と同じ職業に就きました。
田舎に広い敷地の家を持って、自給自足を目指して各種の野菜を育てながら、捨てられた犬や猫を何匹も引き取って平和に暮らしているそうです。

きょう、出張で上京してきた彼女と久しぶりに会いました。
彼女とは長い付き合い、同じクラスにもなったことのある高校の同級生です。
彼女とはもともとあまり親しくなく、立ち入った話をしたこともありません。でもきょうは、めったに会える人ではないし、(時期的に)もういいだろうと思って、目のことを聞いてみました。
高校時代の彼女は片目が白濁していましたが、体育の時間も(多少もたつくぐらいで)普通にやっていたし、少しは見えるのかと思っていました。確認したら、「視力0.0」、全く見えないのだそうです。
一見軽い斜視程度にしか見えないのは、「カラーコンタクトを入れているから」。
白濁がひどくなったのか、一時は眼球をくるむような義眼(?)を入れていたけれど、目やにが出たり疲れやすかったりで困っていた。カラーコンタクトの存在を知って、入れてからは調子がいいと笑っていました。

彼女に、今まで困ったことはなかったか聞いてみました。
物心つくころからだから、それが当然のこととしてあまり意識したことがない。
困ったというのではないけど…と彼女が笑いながら話したのは「よく子どもを蹴飛ばしていた」ということでした。
子どもが小さいときは、よく母親の足にまとわりついてくるものです。彼女の場合は子どもの姿を見落とすことが多かったのでしょう。
よく蹴飛ばして(泣かせて?)しまうので、「なんでこんなに度々蹴飛ばすんだろう」と不思議に思っていた。自分の視野が狭いからだということにあとで気づいて、ああそうかと納得したそうです。
あと、若いときにはバドミントンなどの球技でみんなと遊べない(出来ないことはないが、とても疲れる)のが辛かった。それから、山登りで、杖を使うことを思いつくまでは降りるのがとても大変だった。
…それくらい。普段は意識することはほとんどない、そうです。

片目とは言え全く見えないのなら、障害者として何か特別扱いを受けているのかと思い、そのことも聞いてみました。
返事を聞いて驚きました。彼女も以前ちょっと聞いてみたところ、障害者と認定されるには、眼球を摘出しなければならないと言われたのだそうです。
彼女は社会的にも自立しているし、眼球を摘出してまで公的援助を受ける必要はない。特に障害者として扱われることなくずっと来たということでした。
私の亡くなった父も、戦地でのマラリアが原因で片耳が全く聞こえなかったそうです。でも母にそのことを教えられるまで私は全然気がつかなかったし、知っている人はごくわずかでした。
障害があっても、他人の世話にならずごく普通に生活ができる人もいる。(多少の不便がないはずはないし、本人の苦悩は人にはわかってもらえないでしょうけどね)
身体の障害と重度の知的障害は、そこが一番違うところかなと思ったことでした。
posted by dashi at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月24日

ひまつぶし

自閉症の子を持つ母親どうしでランチしているとき、小さいときの<武勇伝>を聞かせてもらいました。
小さいとき大変な子は成長してからがラクと言いますが、その子も今はすっかり落ち着いて、一人で路線バスに乗って通勤しています。その姿を見た人は誰も、彼がかつては数々の武勇伝で周囲を振り回していたなんて、想像もできないでしょう。
いつも穏やかなこのお母さんもかつては修羅場をくぐったんだなあ、どれだけ驚きうろたえ困り果てたことかと、ちょっぴり同情してしまいました。

彼女の一家は集合住宅に住んでいました。おそらく社宅アパートか借り上げマンションの住まいだったと思います。
子どもの名前をAくんとしましょう。
Aくんはいわゆる自閉症らしい子で、小さいときは多動でしょっちゅう行方不明になっていたそうです。下に弟もいますし、お母さんがいくら気をつけていても一瞬の隙に出て行ってしまう。
(いつでも飛び出せるように服のまま玄関で寝ていた、パジャマなんか着たことがない、という人の話を聞いたことがありますが、彼女も似たようなものだったようです)

Aくんには、自宅以外に勝手に出入りするお宅がありました。そこの住人との関係は良好で、よく来たね、まあゆっくりしていきなさいとお菓子を出したりしてくれていたそうです。
あるとき、その家の人が不在で玄関に鍵がかかっていた。するとAくんは、たまたま施錠をしてなかったその隣の家に入ってしまったのだそうです。
その家の人はAくんのことを知らず、ヘンな子が急に入ってきてびっくりしたらしい。でもまだ小さい(カワイイ顔してる)ときだったし、心当たりを探しに来たお母さんが比較的すぐに見つけたので、そのときは大事に至りませんでした。
それから数年後。Aくんは小学校高学年、すらっと背の高い少年に成長していました。
また家を飛び出したAくんを探し回っていたお母さんの前に、頬を赤く腫らしたAくんが現われました。カンカンに怒った、「お隣の人」が言うには…。

Aくんが突然、家の中にぬっと現われた。家の中にはおばあさん、おじいさんと、お年頃のお嬢さんがいたのだけど、まるで眼中になし。悲鳴が上がっても怒鳴られても平気。
そして、そのお嬢さんの部屋に入り込んで、ベッドにもぐりこみ寝てしまった、のだそうです。
家の人は、数年前にもやって来たあの子とは気づかず、どこのヘンタイかと逆上したのでしょう。夢中で顔をひっぱたいてやっとこさ追い出した、のだそうです。
平謝りに謝るお母さんに投げつけられた罵詈雑言。さんざん罵った挙句、こんな子家から出ないようにちゃんと見張っとけとどやされたそうです。
「家から出すなって言われてもねえ。鍵かけても自分で開けちゃうし」と今は困ったように笑うお母さんも、その夜は涙にくれただろうと思ったことでした。

若い女の子が、自分のベッドに見ず知らずの男の子がもぐりこんだら、そりゃ、イヤでしょうね。
二度とそのベッドには寝たくない! と潔癖な子なら思うかもしれません。
かといって、言い聞かせてわかってくれる子ならそんなことはしないし、言ってわからなくても、親は「こんな子いらん! 出てってくれ!」と投げ出すわけにもいきません。
ちゃんと見張っとけと怒鳴る人と、怒鳴られるこちらとの違いはナンなんでしょう。
怒鳴られはしなかったけど、もうここに来ないでくれという意味のことを言われて落ち込んだこと、私も先月ありました。

こんな情けない辛い思いをしてこの子を育てて、そのあとにいったい何が残るんだろう。私の人生を全部この子に捧げなければならないんだろうか。私がいったい何をした?
多かれ少なかれ、重い知的障害児の親はそういうことを考えることがあると思います。子どもに振り回され夢中で過ごして、ある日はっと気がついたら鏡の中にはくたびれたオバサンが、恨めしそうにこっちを見ている…。

娘の通っていた高校(東京の私学)の校長はかなりの変人でした。親子代々受け継がれた座だから校長が務まったのだろうと思っています。
人生これからの高校生相手に、この人は「人生は死ぬまでのひまつぶし」と口癖のように言ってたそうです。
…自閉症児の親にとっては、子どもが次々やらかす武勇伝の後始末に追われ、なかなかシビアなひまつぶしではありますね。
なるべくガイドヘルパーなど他人の手を借りて、優雅な(ホンモノの)ひまつぶしの時間を確保し、気分転換するのが大事かもしれません。

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2008年06月09日

先輩お母さんの電話

きょう、自閉症の息子をグループホーム(ケアホーム)に入れている先輩お母さんから、ちょっとした問い合わせの電話があり、久しぶりにお話しました。
このお母さん、その年代としては珍しい、システムエンジニアをしていたとかのバリバリのキャリアウーマンあがり、といった印象の有能な女性です。自閉症児・者親の会の名簿をパソコンに打ち込んで、必要に応じてデータをさっと取り出せるように、膨大な仕事をボランティアでしてくれたりしました。
私も一緒に活動していたころは元気で、まだまだ現役という感じでしたが、お互いに歳を取りました。もう老後を通り越して、自分の亡き後の心配が切実な様子です。

「グループホームに入れたらもうあとは安心、ってわけにはいかなくなっちゃったのよ」
と、ここでもやはり悪名高い自立支援法の話題。
今の待遇ではホームの職員に、思うようなケアをしてもらえない。本来なら数人でローテーションを組むべきところ、十分な人件費が捻出できないのでしょうね。やる気のある優秀な職員を確保するのも難しいようです。
グループホームのこれからを考える勉強会が近々発足する、誘われているがどうしよう。私も誘われているけど、会合の場所まで行くのが面倒で、考えていると返事しました。

ウチの息子が(新しい環境に慣れず)問題を次々起こして困っている、とこぼすと
「激しい拒絶反応を起こす人のほうが、そこを乗り越えたらあとはラクだって言われた。私のところも大変だったワ」
と励ましてくれました。
長電話はしない人なのでそそくさと電話を切りました。
実際のGHの具体例を聞く機会はあまりないので、じっくりと話がしたい。今度ランチの約束でもしようとあとで思いました。

ところで、彼女もまだ猶予はあると思うけど、後期高齢者医療制度のことも話に出ました。
「早く死ねってことでしょう」とご立腹です。
短い通話時間内に早口でいろいろ出たものだと、ちょっと可笑しい。
後期高齢者って言い方、75歳だからオイボレとひとくくりにされるのは、私もすごく抵抗があります。三浦雄一郎さんの例もあることだし。

もみじマーク義務化も、ちょうど後期高齢者対象ですね。
たまたま見かけた記事に、こんなものがありましたのでご参考までに。
http://www.hokkoku.co.jp/_today/H20080602101.htm

◎「無念」タクシー運転手を引退 「もみじマーク」義務化で金沢の80歳

 一日施行された改正道交法で「もみじマーク」の表示が義務付けられたのを機に、金沢個人タクシー協同組合で最年長の運転手桑本亮さん(80)=同市小立野三丁目=が、五十四年間続けたタクシー運転手を引退した。健康面に問題はないものの「客に不安を与える」と決断した桑本さん。同じく七十五歳以上が対象の後期高齢者医療制度(長寿医療制度)を引き合いに「高齢者いじめばかりや。心にぽっかりと穴があいたよう」と語り、一日、営業車から行灯(あんどん)を取り外した。
 桑本さんは一九五四(昭和二十九)年に大和タクシー(同市)に入社、七〇年六月から個人タクシーの営業を始めた。

 個人タクシーの運転手は七十五歳以上になると毎年、適性検査が義務付けられ、桑本さんは裸眼視力一・二など問題はない。車間距離を多くとるなど安全運転にも気を配り、「引退なんて考えたこともなかった」と話す。

 週一回の定休日を除く毎日、午前八時から午後六時までハンドルを握り、兼六園で観光客を乗せる機会が多かった。バブル経済期には二泊三日の能登旅行を案内することも多く、最後の乗務となった先月三十一日は県外の観光客を近江町市場まで案内し、「金沢は緑が多くて住みやすい街」とPRした。

 「毎日、出会いがあるのがタクシー運転手の醍醐味(だいごみ)。マークの義務化さえなければ続けたかった」という桑本さん。十年近く走らせた愛車を磨き、「長い間ご苦労さん」とつぶやいた。


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2008年04月28日

髪を抜く

自閉症者の問題行動にはいろいろありますが、周囲にはそれほど迷惑はかけないけど、傍から見て「やめてよ〜」と泣きたくなるのは自傷行動だと思います。
私が以前目撃してショックを受けたのは、壁に自分の頭を激しく叩きつける行為。とても痛そうなのに何度も何度も繰り返して、そばでお母さんがおろおろしていました。
自閉症児・者は痛みに鈍感という傾向はあるようです。ウチの息子も痛みで泣くことはめったになく、たまに泣いたら「よっぽど痛かったんだね」と周囲が顔を見合わせる感じでした(この20年でほんの数回、最後が何年前だったか、思い出せないです)。
痛みの刺激が程よいのか頭を打ちつけたり拳骨で叩いたりする人は、その後よく見聞きしました。手をしょっちゅう噛んでタコになっているのもたまに見ます。

我が家は、幼い頃の夜驚症というのか夜中にひとしきり泣きわめく行為、極端な偏食、服やカバン、履物などを破る行為には悩まされました。
成長とともにそれほど深刻なことはなくなって、ラクになったと思っていた矢先、びっくりするような事態が持ち上がりました。なんと、頭(前)頂部の髪を抜き「河童ハゲ」になりかけていたのです。三蔵法師のお供の沙悟浄、あれ…。
髪の毛を抜くという行為自体は自閉症児者にはよくある話で、息子の学校にもこれが原因で丸坊主にされるジヘイちゃんはたまにいました。

昨夜、入浴中の私のところに娘がやって来て、「○○の頭、ヤバイよ。明日床屋さんに連れて行ってよ」とガラス戸越しに訴えます。
「エッ、そんなに? …床屋さん開いてるかなあ」とうろたえた私。火曜日が定休日ですが、たまに月曜日と連休するのです。ホントは週末がいいけれど、いつも空いている平日の夕方に行くことにしています。
お風呂を出て見てみたら、それほどでもなくホッとしました。このごろは生活時間帯がずれてあまり顔を合わさないので、たまに見た娘は仰天したのでしょう。
数日前から少し地肌が見えて傷があるので、薬を塗ったりはしていました。
髪を短くした方がいいかな、でももうちょっと暖かくなってからの方が…と考えているうちに、ぎょっとする薄さになってしまいました。

ときどき髪の毛を抜いて口に入れることはありました。前歯の間(裏側)が黒ずんでいるのを発見して歯科に連れて行ったら、虫歯ではなく髪の毛でした、けっこう取れましたよと笑われたことも。
見かけたら注意するのでその場では止めていましたし、髪の毛は人の二倍はあるという話(父親譲りです)なので、あまり気にしないでいました。息子は私より背が高いので上から見下ろすことがあまりなく、正直なところ、注意して見てなかったというのもあります。
気がつくと頭頂部がすっかり薄くなって、爪のあとか、かさぶたのようなものがいくつも見えます。一人で部屋にこもる時間も長いので、手持ち無沙汰でつい髪を抜いていたのでしょう。
今まで自傷行為はあまりなかったので、こちらも甘く見ていたと反省しています。
行きつけの床屋さんが開いていたら、帰りに寄って来るつもりです。


ここまで書いたあとで息子を迎えに行き、床屋さんにも寄ってきました。
うんと短くしてもらったので、薄くなった部分も目立たなくなりました。とりあえず一件落着。
それにしても、散髪が終わり台を降りてきた息子を見て、「アンタ誰?」と笑ってしまった私。こんなに短くしたのは初めてで、息子も不思議そうに頭を撫でたりしていました。
これで髪をむしるのを止めて、きれいに生え揃えばいいのですが。爪が立たない長さではないので、まだ油断は出来ないかもしれません。

床屋さんで待っている間に、置いてあった週刊ポストを読んでいたら、「赤ちゃんポストに障害児が入れられていた!」という記事がありました。
共同通信が配信したのみで、ほかのメディアは触れなかった。ポストの記者が取材したら、赤ちゃんのプライバシーを守る観点から答えてはもらえなかったけど、否定はしなかったそうです。
障害児が置かれたことは以前にもあって、そのときは後日親が引き取りに来た。このニュースは私も聞きました。
思い詰めて殺すくらいなら、ここに置いて他人に託すのもいいでしょう。でも「こんな子ヤダ、育てたくない」という親のエゴを助長するおそれも十分考えられること。メディアが沈黙するのは賢明なのかもしれませんね。
生後20年たってもまだ床屋さんのお供。障害児の親は終わりのない特殊な任務を負うので、育てられない人がいても不思議ではないとあらためて思います。
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2008年04月17日

息子の近況

養護学校を卒業した息子が、自宅から歩いて(かなりの早足)20分の立地にある通所施設に通い始めて、半月あまりが過ぎました。
中間点あたりのバス停前(人だかりがある)で足を止め、ちょっとペースを落とすものの大体一目散。通所を嫌がる様子はないので、心地よい居場所なのだろうと思っています。
ただ、14年も同じ学校に通い慣れていたので、本人としても切り替えが大変だったのでしょう。連日上履きを持ち帰ろうとしたり、それを止められて投げ飛ばしたり。作業中も上履きに手をやって注意されたり(止められなければ上履きをバリバリと破るのが大いに予想される展開)していたようです。

何かを破らないと気がすまなかったのか、家庭との連絡に使っていたファイルや連絡票も2回ビリビリに破られました。連絡票は家でコピーしてその後も使いましたが…。
現在は小型のファイルに交換し、本人には隠して持ち運びしています。私のバッグに入れると見つかるから服の下にはさんだりして、ヨレヨレの連絡票に苦笑している次第。
破られたら担当職員が対応をすぐ考えてくれ、「一枚うわて」のやり方を楽しみながら模索する余裕も感じられ、なかなか勉強になります。
ハンカチ一枚入れただけのリュックを背負って、他の人のように連絡帳が入っていないことに多少不思議そうな顔をしながらも、「そんなものかと思っている」ようす。
私の予想より適応に時間がかかったものの、ようやく落ち着いてきた(と思われる)ところです。

そこは自閉症者ばかり、定員50人のところに57人も集まっているそうです。自立支援法施行の余波で定員に幅を持たせられるようになり(と言うか、そうでもしないと経営的に立ち行かないらしい。今でもすごい赤字らしいし)、ウチの息子も滑り込めたという感じですね。
以前からいるお母さんたちがこの前、「57人もいるんだって」と眉をひそめていました。援助が手薄になるんじゃないかとご心配なのでしょう。
まあ、そこは自閉症のプロのお手並み拝見と大目に見て下さい、と言いたいところです。ウチの息子にも、なるべく手をとらないで迷惑かけないでやってほしい。

同時期に別々の養護学校から新卒が4人入りました。先日そのお母さん4人でお茶を飲んだら、同じような障害の子たちだから悩みも共有できて話がはずみ、すっかり話し疲れるほどでした。
来週には、この施設を運営している社会福祉法人(関連施設多数)の、保護者会総会。厳しい社会情勢や運営などの実情を聞いて、認識を新たにする…ことになるかなと思っています。
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2008年03月29日

ありがとうコンサート

昨日は、SELP・杜10周年記念・ありがとうコンサートというのに行って来ました。
SELP・杜(セルプもり、と読みます)というのは、横浜市栄区にある(以前の呼び方では)通所授産施設。ここが開所10周年を迎えたようです。
ここで職員をしている知り合いの方に、コンサートがあることを教えてもらいました。
最後の春休み、どうして過ごそう(息子を過ごさせる)かと頭の痛いところに、こういうイベントがあるのは本当にありがたいことでした。

SELPのS は、Support(支援)、 E はEmployment(就労)、 L は、Living(生活)、 P はParticipation(参加)を表し、その頭文字をとっているそうです。支援を必要とする人たちの就労・生活・社会参加を支援する施設です。
交通はわりと不便(バス便だけ)なところにありますが、施設見学の人たちがよく訪れ、障害者の親の間では理想的な進路先として人気のあるところです。
(ただ授産というところは就労の足がかりという位置づけなので、ウチの息子のような重度の子には無理です)
施設長の手腕も左右するのでしょうか(人望のある方のようです)、地域に溶け込んで関連施設も増やし、かなり成功しているところだと思います。

お年寄りのデイセンター(中野地域プラザ)と同じ建物(玄関を共有)であることや、施設にある多目的ホールや調理場を地域の人に開放していることなどから、人の出入りが盛ん。
そこにもってきて、そこで作る豆腐やうどん、パンは美味しく、喫茶室で食べることも出来、人気があるようです。
換金性の高い仕事をしていることもあって、万単位のお給料も出ていたようです。
こういうところで働けたらどんなに幸せかと思いますが、ここもご他聞にもれず自立支援法のせいで、かなり運営が苦しくなっているような話でした。
コンサートは入場は無料ながらちゃんとしたホールを借り、プロも招いて開かれていたので経費はかなりかかったと思いますが、地域交流のイベントということで、横浜市の補助金で賄えたということです。

アンサンブルブーケという女性ばかりのコーラスグループ(ピアノも)は、障害者も多数来ていることを前提としたプログラムで楽しめましたし、和太鼓集団・昇龍の演奏は迫力があってさすがにプロ。大きな音があまり好きではない息子もよく聞いていました。
それにしても和太鼓はそうとうの運動量だなあと思いました。この激しい運動でストレス発散すればスッキリしてよく眠れそうです。
会場で会った友人が、「ウチの子もゲームばっかりやってないで太鼓やればいいのに」とぼやいていました。

「芋掘りなどで交流がある」保育園児がヤーレンソーラン節とかいう曲で見事な出し物をしてくれ、可愛い〜と感激しました。
就学前の小さい子たちですが長い曲なのにちゃんと振り付けを覚え、激しい屈伸運動などもこなしていました。大きな子の方がテレがあるのか、なんとなく恥ずかしそうに見えました。
SELP・杜のクラブからフラダンスとダンスの発表もあり、楽しそうに踊る利用者の姿も心に残りました。でも笑顔だったりひょうきんだったりするのはダウンちゃんばかり、ジヘイと思われる人たちは表情が豊かではありません。
息子の先輩も一人その中にいて、元気そうだなとなつかしく手を振ったことでした。


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2008年03月20日

受容

昨日は息子の卒業式でした。
小学部から高等部本科・専攻科と14年間を過ごした養護学校ですから、ここを去るのはかなり大きな節目。学校が大好きでほとんど休まずに通った息子にとっては、安住の地を失うということです。
最重度の知的障害(自閉症)の息子は、いろんな人から再三「卒業おめでとう」と声をかけられ、午後の謝恩会で心のこもった出し物やエールをおくられても、その意味するところは理解できなかったと思います。それでも朝からずっと窮屈なネクタイ姿で最後まで落ち着いていた姿には、成長を感じられました。

卒業式の終盤でのこと。
在校生の終了式も兼ねた式なのでけっこう長引き、子どもたちの中には声を上げたり立ち歩く子も増えて、会場はだいぶざわついて来ていました。
おとなしいダウン症の子はともかく、そもそも進行していることの意味を理解できない知的障害児は、長くじっと席についていること自体が苦手です。自閉症の場合はことに行事・イベントが苦手な子も少なくありません。
(ウチの息子も小学部のころはよく奇声を上げ、後ろの保護者席にいる私にも聞こえて苦笑したものでした)
いつもなら保護者席と子どもの席は離れているのですが、卒業生の母親は証書授与がよく見える前の方に設けられた席に座ります。子どもが受け取った証書や記念品(アルバム)を式が終わるまで預かったりもします。

私の近くの席にいた女の子が、ニコニコ笑いながらしきりに悲鳴のような声を出していました。(たぶん)今年度中学部に入った子で、私は見かけたことがあるだけで名前も知りません。
式の終わり近くになって、卒業生の代表が(答辞に当たる)「感謝の言葉」を読み上げ始めました。担当したのは息子のクラスの、はっきりした口跡で話すことのできる子です。
お世話になった皆さんに感謝を述べるものですし、私としてはその女の子の奇声に邪魔されずに、ちゃんとその全文を聞きたいと思いました。
ちょっと迷いましたが、その子のそばに行って、「聞こえないから静かにしてくれない?」と小さく声をかけてみました。

他の問題行動に比べ、奇声を止めさせるのはかなり難しいといわれます。隣に座った担任の先生も再三注意していましたが、聞いてくれないでいるようでした。
私としてもダメモトでしたが、その女の子は初めての私にびっくりしたのか、ぴたっと声を出すのを止めてくれました。
また笑顔で出しそうになるのを「もうちょっと、もうちょっと我慢」「もう少しね」となだめ、途中で「ちゃんと我慢できてエライね」と褒めたりしながら、「感謝の言葉」が終わるまで粘りました。
終わった時には私も心からその子に感謝して「よしっ、頑張ったね」と肩を軽く叩いて席に戻りました。

親や先生ではない第三者に言われたらよく聞く、ということは確かにあります。
こういうやり方が通用しない子もいますし、かえってパニクるなど逆効果になる子もいるのはわかっています。
息子のクラスの子(自閉症)に、「そんなことやめなさいよ」と気軽に注意したらたちまち逆上して、周囲に八つ当たりし、私をさんざん口汚く罵ってきたのであっけにとられたこともあります。(あとで涙ぐみながら謝ってきました)
でも、世界がその子を中心に回っているのではない以上、周囲との折り合いは出来るだけつける努力はするべきだと思うのです。
「この子はいくら言ってもわからないから、どうしようもない」という状況は私も(イヤと言うほど)経験があります。でも、「だから周囲の方がこの子に合わせてくれて当然だ」というのは開き直りというものでしょう。

前回書いた「そっ啄同時」のような、こちらの働きかけがすっと受け入れられるタイミングを探す努力は惜しむべきではないと思います。
タイミングといっても必ずしも時間的なことだけではなく、場面、相手など、膠着状態で困っている現状打破につながる要素には、様子を見ながら試みる価値があると思っています。
偏食の激しい自閉症の子に、その子が食べられるもの「だけ」を用意していたのでは、いつまでたっても偏食は直らないでしょう。いつかふっと食べ始める時のために、ダメモトで勧めてみる、そういうことも大事だと思います。
先ごろ、定年退職するまでずっと公的な機関で障害児福祉の仕事をしていた方とお話をする機会がありました。その方の言葉で強く印象に残ったのは、
「昔は何でも受容、だから大変だったけど、今はそうじゃないから。今育っている子たちは大丈夫よ」
というものでした。

そう言われて思いだしたことがあります。
私が九州の実家に身を寄せて、息子と母子通園していたときのことです。運動療法というものだったでしょうか、子どもたちに同伴して平均台やすべり台を順番に通過するプログラムがありました(それ以外は母子分離でした)。
足元のおぼつかない子が前にいたとき、ウチの息子は身体的には問題がないので邪魔に感じたのでしょう、押しのけようとしました。相手の子は大きくぐらつき、危ないでしょっ、と横にいた私は息子を叱りつけました。
すると、指導をしていた先生が叱ってはいけないと私を止めたのです。私としては大いに不満でしたが、子どもの行為はすべてその子なりの「かかわりの方法」とみなして「受容」しなければならないようでした。その頃はそういう指導が主流だったのでしょう。
その後こちらに戻って通い始めた療育センターでも、子どもを叱るようなことは一切ありませんでした。でもこちらでは一段進んでいて、「そもそも叱りたくなるような危険な場面を作らない」マニュアルが徹底していたような気がします。

障害児がすべて純粋な天使であるなら、受容するだけでいいのでしょうけどね。
卒業式の女の子に対する私の行動について、隣にいた担任の先生はあとでお礼を言ってくれました。
でも「dashiさん、大丈夫です、大丈夫ですから」と声をかけて、私をさえぎろうとした先生がいたのも事実。とても穏やかな優しい先生なので、本人は何でも受容したいのでしょう。
でも、奇声のためにせっかくの「感謝の言葉」が全然聞こえない状況を私たちに「受容」しろと? 自分の子どもを含む卒業生の総意を表す「感謝の言葉」の内容を知り、皆さんにもちゃんと聞いてほしいと思うのは当然だと思いますし、その女の子の親としても奇声を上げてほしくはないはず。

そこで我慢したことがあとで形になって(自傷とか)現われ困るとしても、それはその後の長い人生を思えば、経験を重ねてなるべく克服していくべきではないでしょうか。
その子にとって大きな声を上げるのが気持ちのいいことだとしても、周囲にそれを受容しろと言うのは無理があります。ここならいいという場所で思い切り出すのはかまわないが、それ以外では我慢するということを覚えるのは、その子にとって最優先の学習課題かもしれません。
実はウチの息子も、バスの中などで声を出したり急にくすくす笑い出して困ることがあります。「降りようか」「降りないなら静かにして」と声をかけることで(時には腕をつかんで立ち上がって…もう動かせないですが)、なんとか周囲に大きな迷惑をかけない程度にやり過ごしています。

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2008年03月15日

そっ啄同時

きょうは天皇家のお姫様が幼稚園を卒業したそうですが、世間はまさにそういう季節ですね。
ウチの息子が月に一度通っている訓練会でも、卒業生を送るお別れ会がありました。
訓練会は幼児・学齢期を対象とした組織なので、高等部卒業までで会員を卒業することになっています。
息子は2年前(高等部卒業時)に卒業を祝ってもらい、記念品もいただきました。現在はOBの立場でリトミックの日だけ参加しています。
今年は卒業生が3人でした。みんな息子とは別の学校なので息子より2歳下ですが、春からは共に社会人です。

卒業するのは子どもたちばかりではなくて、ボランティアで参加してくれていた学生さんも一緒です。大学のボランティアサークルから代々来てくれていますが、今年は4年生が4人卒業でした。
障害児の相手をしてくれるのだからみなさん優しくて忍耐強い、元気な学生さんたち。
障害児の中には知的に軽い人懐っこい子もいますが、どちらかというと一緒に参加しているきょうだい児の遊び(話し)相手として貴重な存在です。
きょうだい児のフォローというのは(親には手が回らないけれど)とても大切なこと、この会で救われてきたきょうだい児も多かっただろうと私としては思っています。

ボランティアの学生さんたちが、卒業する子どもたちに色紙を贈ってくれました。
訓練会はOBだけど学校を今年卒業するウチの息子の分もあり、笑顔で手渡されました。
トトロのイラストを囲んで寄せ書きが配置された、とても可愛い色紙です。
いつもはこういうものにあまり関心を示さない息子ですが、今回は違いました。色紙にこめられた温かい愛情が伝わり、自分に贈られたものとわかったよう。無表情ながらじっと眺めたり、大事そうに持ったりしています。
家に帰ってからは自分の部屋に持ち込んで「観賞」しているようです。

例えば「寒いから、それでは風邪を引くから」と服を着せようとする。
爪を切っている時尖った部分が出来て「これでは引っかいて怪我をするから」ヤスリをかけようとする。
塩分の摂りすぎになるから、ドレッシングや塩コショウを控えさせようともします。
こちらは息子によかれと思ってするのですがわかってくれず、激しく拒否される度に裏切られたような気分になる。
これは喜ぶだろうと奮発して買ったもの(天空の城ラピュタのDVDとか)も、一度見たらあとは頑として受け付けない。がっかり。
心が通い合うというのは期待する方が間違っている、と今はもう諦めが先に立つことが多いです。だからきょうの反応はとても嬉しく思いました。
息子も人の愛情が受け止められるほどに成長したのかもしれません。

親がいくら一生懸命になったところで、時期がこないと子どもは反応を示さない(反発はする)。受け入れる準備が整ったところに働きかけがあって初めて、すんなりと意思が通う。
ちょうど、こういう状態を形容するぴったりの言葉を聞きました。そつ(口篇に卒)啄同時(そったくどうじ)、というのです。
もともとは禅宗の用語で、師家(しけ)と弟子のはたらきが合致すること、と広辞苑にあります。
今まさに悟りを得ようとしている弟子と、 それを導く師家の教えが絶妙に呼応することを指す言葉のようです。絶妙に呼応する、というのはめったにあることではないでしょうね。

一般に使われるのは、それから発展した「逃したらまたと得がたいよい時機」の方でしょう。
口+卒(そつ)は、孵化直前の雛が卵の中から殻をコツコツつつくことで、啄(たく)は親鳥がそれに応えて外側から殻を突き破ること。(啄木はキツツキのことですから、啄の方はわかりやすいですね)
雛がつついているのに気づかないでいると雛は死んでしまう。親が破るのが早すぎても雛は死んでしまう。内側と外側から同時に呼応して突き破って、初めて雛が誕生する。そういうことを表す言葉だそうです。
(親がつつかなくても出てこれる雛もいるんじゃないかと思いますが…。孵卵器で生まれるヒヨコは殻が柔らかいのかもしれませんね)

タイミングを見計らう能力が、(特に障害児の)親や教育者に最も求められる資質かもしれません。


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2008年02月27日

採血

一昨日、以前受けた健康診断でクリアできなかった血液検査のための採血に行ってきました。
学校が終わる頃に迎えに行って、初めて乗るみなとみらい線を利用。地下4階にホームがあり、ずいぶん深くまで掘ったんだなあと驚きました。この線は料金も高めですが、工事費を考えるとやむを得ないのかもしれません。
息子は、地下路線で外が見えないのがつまらなそうでしたが、いくらも乗らずに到着。
駅から少し歩いたところの療育センターに到着したのが3時10分過ぎ、3時20分の予約でした。
こういうところは(需要に供給が追いつかないため)何ヶ月も前から予約が詰まっているのが普通、私の場合は無理を言って割り込ませてもらったものです。だから待たされるのは当然なのですが、そういう事情はわからない息子は待つのに飽きて、何度も上着を着てはカバンをしょい、立ち上がる。しきりに帰ろうとするのをなだめなだめ待ちました。

到着してすぐは本棚に直行してひとしきり絵本を見ていました。
初めての場所で何が始まるのか不安もあったに違いありませんが、無心に(?)本を物色する姿には、私の都合でよく図書館に連れて行かれる(じきに飽きますが)経験の積み重ねの効果があるかもしれないと思ったりしました。
他の人がそばに来たからか、それとも早々と飽きたのか、いったん本棚を離れてからはいくら促してももう関心を示しませんでした。
あとはベンチでボーとするか、何度も立ち上がるか、トイレに行く(一回)か、のみ。
小一時間待ってやっと順番(当然最後)が来ましたが、初めての場所で長く待たされた挙句に拷問(!)では、正直、かわいそうだったと思います。でも、おそらく本人にとっても最も幸せな選択と思える通所施設に入るためには、これをしないわけにはいかない。

そこは障害児・者の扱いには慣れたもので、まずは採血をしている絵カードを見せて説得にかかりました。
息子もカードを一瞥はしましたし、あれこれ説得されて、腕まくりするところまではいきました(私はこれだけでも大いに感動しました)。でもそのあとはやっぱりダメ。
予想通り、息子は全力で抵抗しました。なにしろジーンズを素手で破る怪力の持ち主ですから、簡単には制御できません。
どこにいたのか看護師さんが集結し、おそらくこういうときに動員されるらしい男性職員が何人も上の階から呼ばれ、加勢してくれました。総勢7、8人だったでしょうか。

椅子に座っては無理(蹴飛ばす、立ち上がる)ということで、みんなで床に押さえつけました。
絨毯の床ですがサッと枕が置かれて、その素早さは達人の域という印象でした。
私は採血しない方の腕を馬乗りで押さえつけ、片手であごのあたりを押さえて「これが終わらないと帰らないよ、我慢して」などと再三言い聞かせました(ま、ムダですが)。
蛇の道は蛇と言いますか、押さえつけて物理的に動けなくしさえすればさすがはプロ、わりとあっけなく採血終了。血はほとんど出なかった上に内出血もなく、その手際のよさは感動モノでした。
あまり痛くもなかったのでしょう、終わった後は息子もけろっとして気にする様子もなく、怒りもしませんでした。
何をされるかわからない恐怖から暴れたけど、たいしたことなかった、といったところでしょうか。次回からは(毎年一回はするようです)平気でさせるかもしれません。

子どもの時とは違うな、と思ったのは、泣かないことでした。小さいときなら顔を真っ赤にして泣きわめいて、私が「もうやめて下さい」と泣き出すような思いを、あるいはしたかもしれません。
あとどんなことがあるか…と考えても、にわかに思いつかない。もうこんな大変な思いをするようなことは、二度とないような気がします。(削るような虫歯は作らないように気をつけよう…)
もう成人式も終わったオトナの息子へ。卒業式もしっかりね!
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2008年02月23日

息子の成人

かつて熱心に活動していた自閉症団体の機関誌に、息子の成人に際して寄稿を頼まれました。私も編集担当をしていた時は、該当者に寄稿依頼書を書き、原稿が届くと大喜びしたものです。
きょう掲載誌も届いたことだし、目新しい内容もあるので、そこに書いた文章を手直ししたものを載せたいと思います。


1月20日、横浜ラポールで開かれた成人の集いに出席してきました。
障害者とその保護者が、周囲に何の遠慮も気兼ねもなく、誇らしげに成人を祝うことの出来るこの会、とてもありがたく思いました。
その前の週には横浜アリーナで横浜市主催の成人式がありました。
もし息子が障害のない子でそちらに出ていたら、上の娘たちと同様、友だちと行くか行くのを拒否するかで、いずれにせよ親が同伴することもなかったでしょう。今の時代、わが子の成人式に同席してともに祝えるのは、障害者の親ぐらいかもしれないと思いました。
また、政情不安定や衛生状態が悪くて成人まで育つことが難しい国だったら、成人を祝うのも大きい意味を持つことでしょう。成人式が人生の一里塚として大きな意味をあまり持たない(ように見える)日本は、平和で豊かな国である証明かなとも思います。

障害者の場合、養護学校の高等部などを卒業して作業所その他に通うのは18歳からが一般的ですが、ウチの息子は学校に高等部専攻科(2年)があるため卒業はこの3月。成人式用に買ったスーツは、またすぐ卒業式で出番となります。
知り合いのお母さんがスーツを着たわが子のことを「馬子にも衣装」と笑っていましたが、ウチの息子もまさにそんな感じ。ネクタイやトレンチコートがサマになっていて、電車に乗っていても一人前の若者に見えるだろうと思いました。

式のとき私の隣は車椅子の女の子でした。
重い脳障害のある子のようで、車椅子に身体を投げ出すようにして座っていました。麻痺のある細い手がときどき私の目の横に伸びてきました。
絞り染めの和服を着て、頭はきれいに結ってあります(かつらだったかもしれません)。顔もお化粧してあって(ちらっと見ただけですが)赤い口紅が印象的でした。
親御さんにとっては娘が元気にこの日を迎えられたことが奇跡のような、そんな20年だったのではないかとそのご苦労を思いました。

我が家の場合、親の離婚で子どもたち、とりわけ父親の愛情を「全く」知らないで育った息子には、申し訳ないことをしたとずっと思っています。
離婚前、子どもたちを連れて8ヶ月ほど身を寄せていた私の実家のある田舎では、ヨソモノは目立つので、娘たちが学校でひどいいじめに遭いました。次女はいじめられても適当に受け流すたくましさがあったようですが、長女の方は深刻でした。
私は息子と一緒に出て昼間は留守なので、学校に行かないわけにはいかない。
学校が辛いばかりの場である上にくつろげない居候生活、親は不和、弟は障害児というこの試練に耐えられるのか、自殺するんじゃないかと私は本気で心配して、その後もかなり過保護で育ててしまったと思います。

息子は障害があるとわかって障害児の通園施設に通い始めましたが、なにしろ田舎のことですから遠いのには閉口しましたし、職員との関係にも不満が残りました。あとになってみると、あの時ああしておけばよかった、と反省することばかりです。
横浜に戻って療育センターの通園部(年長組)に入れたときは、その明るい雰囲気に驚き、手馴れた対応ぶりに「この子の居場所があった!」と涙がこぼれるほど安堵しました。
その後は運よく父親も望んだ養護学校に入学できて、今日に至っています。
息子の問題行動はひどい偏食、破衣行為などいろいろとありましたが(今でもたまにはやりますが)、「日にち薬」でもうすべて笑い話です。

ところで、今回の成人の集いに出かける朝、とても嬉しいことがありました。
前の日、娘が「まじめにお付き合いしている人がいる」と言うので、弟のことは話したのかと訊ね、早い段階で話しておくように言いました。娘はその夜、メールで「自閉症の弟がいる」と告げたようです。
そして朝、「自閉症のことはあまり知らないけど、これから勉強する」「レインマンは見た」「近く弟さんにも会いたい」と返事が来た、と教えてくれました。
障害児の親にとって、これほどに嬉しい反応はないと思います。娘の選択眼の確かさにも感激しました。

その前の日には、もう一人の娘の彼氏が遊びに来てくれました。
息子は促されてコンニチハとお辞儀をするなり部屋に引っ込んでしまいましたが、息子に向けた彼氏の顔は温かく笑っていてとても自然。
そして相模原市上鶴間で起こった、50代の母親が20代の息子二人(下が知的障害者)を殺害した事件を持ち出して、「ウチの近くなんですよ」とさらりと、少し残念そうに話していました。
息子の障害のことを、他人事と思わないで受け止めてくれているんだなあと、娘の味方になってくれそうだなと、これにも感激しました。

今後どうなるかは神のみぞ知るですが、そのうち息子にやさしいお兄さん(たち)が出来るかもしれないと、楽しみにしています。
成人した息子へ。春からは元気に職場に通って、しっかり働こうね!



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2008年02月09日

ひとり親

何年か前にご主人を亡くした友人と久しぶりに会いました。
一昨年に体験談を聞いたときには話しながら涙ぐんでいましたが、やはり日にち薬、だいぶ明るくなった印象です。
まだ働き盛りの40代と若かったので多少不調でも病院に行くのは後回しになっていたのでしょう、診察を受けたときにはすでに末期の癌で、闘病3ヶ月で亡くなったそうです。
彼女にもウチの息子と同じ知的障害を伴う自閉症の息子がいます。あとは受験を控えた高校生のお兄ちゃんだけで、身内は遠い地方に住んでいて手助けしてはもらえなかったようでした。

いよいよ危ないというころに自閉症の息子を入所施設に預かってもらったのだけど、そこでの対応がよくなかったのか、ひどく荒れた。精神病院に入院させると言われたのでタクシーで迎えに行ったりと、とても大変だったようです。
危篤のご主人が苦しい息の下から「俺のことはいいから息子のところに行ってやれ」と言ってくれたとか。
ご主人にはずいぶん心残りもあったと思いますが、せめてもの救いは社宅から新しい家に引っ越したばかりだったという点でしょうか。
社宅なら出なければなりませんが、ローンの支払いがなくなった家が残る(ローンを組むとき生命保険に加入させられます)わけで、少なくとも住むところの心配はない。遺族年金で生活も出来るようです。

今回、「ご主人が亡くなったあとって、鬱にならなかった?」と聞いたら、「息子のことで大変だったからもう夢中で、鬱になっているヒマはなかったわね」と笑っていました。
お兄ちゃんもお母さん思いの優しい子で、大変な時期をよく支えてくれたようです。
自閉症の子どもが小さいときって、中にはウチの息子のようにおとなしい子もいますが、信じられないくらいのエネルギーで周囲を振り回してくれます。
普通の子みたいに長い時間寝ません。何日も寝なくても平気な子もいます。
目を離すとどこに行くかわからない。車の間をぬって国道を渡ったりもします。
親はヘトヘトになって肝を冷やし寿命の縮む思いをするわけですが、うまくしたもので親がくたびれて更年期に悩まされるころには落ちついておとなしくなる子が大半のようです。
大変な時期に鬱になると、無理心中を図ったりしやすくなるのだと思います。

この友人の子はその後養護学校を卒業して、少し遠くの通所施設に入りました。情緒不安定なところがあって友人はずいぶん心配したらしいですが、今は落ち着いて通っているようです。
彼女は息子を朝夕送迎して、昼間は家事や趣味で穏やかに過ごしている様子。小さい織機を買って趣味の織物を始めたとかで、細い糸で織ったマフラーを見せてくれました。
それがとても品のいい見事な出来栄えで、私が率直にほめると彼女は照れくさそうににっこり。無心に集中して作品を織りあげる楽しみが、どれほど彼女の救いになっているかと思いました。

彼女も私も、おそらくは障害のある息子と二人だけで、自分の老後を迎えることになると思います。
(息子はいずれケアホームか入所施設のお世話になるとしても…)
万が一脳梗塞や心臓発作で倒れたとしても、救急車を呼んだり近所に助けを求めたりしてくれる可能性ゼロ。少なくとも生活習慣病とは無縁な状態で年取らないとマズそうです。
もっとも、今は救急車を呼んでも受け入れを拒否されたりして、搬送してくれるとは限らないみたいですけどね。

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2008年02月03日

朝、のどが渇いて目を覚まし、水を飲みに台所へ行ってびっくり。
出窓の外が妙に明るいのだけど、晴れた日とは違う白っぽい明るさで、雪だとすぐ気づきました。さすがに寒い。
予報で雪が降ると言われながら今まで降らずじまいだったので、この冬は雪を見ないで終わるのかと思っていました。たまには雪もいいけれど、積もるとたちまち外出に困ります。きょうは日曜日でホントによかった。
一日家に閉じこもって息子は退屈だっただろうけど、仕方ありません。
息子の部屋の雪見障子を開けて(日中もわざわざ閉めて薄暗くしています)、「ほら、雪だよ。ずいぶん積もってるねーー。きょうは外には行けないね」と説得(?)し、しばらく一緒に雪を眺めました。

雪と言えば、私は
「♪ゆ、きでした あなたのあとを なんとなく ついてゆき たかった」
「振、り向いた 貴方の瞳は 早くお帰り ぼうや って言ってた」
という「猫」(というグループがあったのですよ)の歌が口をついて出ます。
テレビも持ってなかった貧乏学生の頃、ラジオでよく流れていたような記憶があります。
きょう検索で初めて知りましたが、これは吉田拓郎の歌だそうです。「猫」は拓郎のバックバンドだったということなので、その縁なのでしょう。
参考までに、歌詞とコードはこちらに載っています。
http://music.j-total.net/data/038yo/001_yoshida_takuro/032.html

千葉県市原市でも、こちらとあまり変わらないくらい雪が降ったんじゃないかと思いますが、自閉症の娘を殺した母親が自首した、という事件があったそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080203-00000052-mai-soci
中1の三女殺害容疑で母を逮捕 千葉
2月3日19時5分配信 毎日新聞

 3日午前6時35分ごろ、千葉県市原市辰巳台東の県警市原署辰巳台交番に、東京都大田区仲六郷2、無職、池田由起子容疑者(48)が「近くの実家で娘の首を絞めて殺した」と自首してきた。署員が同市大厩(おおまや)の住宅を調べたところ、布団の上であおむけで死亡している三女耀(よう)さん(13)=同区立東調布中1年=を発見し、池田容疑者を殺人容疑で緊急逮捕した。
 調べでは、池田容疑者は3日午前2時ごろ、空き家だった実家の和室で、就寝中の耀さんの首を和服の腰ひもで絞め殺害した疑い。耀さんは自閉症だったといい、池田容疑者は「介護に疲れた。娘を殺して、自分も死ぬつもりだった」などと供述している。
 池田容疑者は夫(52)や耀さんら4人暮らしで、2日午後4時ごろ、母娘で実家を訪れたという。台所のテーブルの上には「皆さんごめんなさい 由起子」などと書かれたメモがあった。【山本太一】


自閉症と雪は相性が悪いのかどうか、ウチの息子も今朝の起き抜けはいつになく落ち着きがなくて、余計なことばかりしてくれ、私はイライラさせられっぱなし。
「もうアンタみたいな子いらん! 出てって!」と怒鳴っていたら、「きのうじゃなくてよかった」とつぶやきながら娘が起きてきました。(きのうは娘の友人が遊びに来ていたようですが、私と息子は外出していて会ってはいません)
自閉症の子がいなければ怒鳴ることもない、家庭は平和というわけでもないでしょうが、すべて投げ出して逃げ出したくなることは私にも今までに何回かありました。
特に思春期で不安定な時期には、わけもなく暴れたり私に殴りかかったりもしました。

殺された女の子は中一ということですから、一番難しい時期だったかもしれません。
女の子の自閉症のお母さんに聞いたところでは、生理中(とその前)はとてもイラついて大変だそうです。
何年かたって慣れればいいのかもしれませんが、初潮からしばらくは人前でナプキンを取って投げるなど過激なこともされ、死にたくなる思いをするお母さんもいるようです。この母親も、何かそういうことがあったのかもしれません。
何も殺すことはない、自分で育てるのが無理なら児童相談所や福祉事務所に泣きついて施設に預かってもらえばいい、と無責任に言うのは簡単ですが、そうできない事情があったのでしょうか。
相模原では、引きこもりの兄と障害者の弟(20代)の二人を殺した母親もいました。思い詰めて警察などに相談に行ったけれど、なかなか親身になって考えてはもらえなかったようですね。

ふんわりとかかった厚めの白いベール。事件事故も、毒ギョウザも、「35過ぎると羊水が腐る」発言(倖田來未 )も、すっぽり覆われたような観があります。
「太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪降り積む
 次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪降り積む」(三好達治)
今夜は、ウチの息子もよく眠らせてほしい。
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2008年02月01日

健康診断

自閉症の息子が内定した施設に通う日のために、調査用の書類をどっさり書きました。
自閉症の人に特化した施設なので、個人対応の準備のために詳しい資料が必要となるようです。こんな丁寧な仕事をしていては儲からないだろう(コムスン&グッドウィルとはえらい違い)と老婆心ながら思いますが、親としては実にありがたいことです。
息子をスクールバスに乗せた後、図書館にこもって集中して書き上げ、気がつくと2時間もたっていました。
療育手帳の判定のときなど、幼いときからの生育歴を書かされることはよくあります。
いつも同じことを書かされるので、「こんなのデータベース作って保存しておけばいいじゃん!」と思ったりします。
でも今回は、「これこれこういうことで今現在困っていることはありますか」など、これまでに聞かれたことのない、踏み込んだというか家族の側に立った質問も多くて、心強く思いました。
自閉症者には特有のクセみたいなものがありますが、そういうのをよく承知して対処法を考えてくれるところは全国的にもあまりないでしょう。ここに内定をもらえた幸運に感謝して、しっかりやっていきたいと思います。

提出しなければならない書類の中に、健康診断書があります。
さあ困った、初体験の採血をして血液検査を受けなければなりません。
区役所の福祉保健課で教えてもらった病院や近場の総合病院に電話して、こういう子で暴れるかもしれないがやってもらえるか、と確認したら案の定、健康診断「だけ」というのはお断りしています、との返事。
とびひで皮膚科にかかったぐらいで、ほとんど病院とは無縁に大きくなった息子ですが、かかりつけの病院がないとこういうときに困ります。
息子の通っている養護学校の、校医さんの病院ならどうだろう、と思いつきました。学校でちょっとした怪我をして診てもらったことのある病院です。
診察券もあるしと電話して、ダメモトで学校から回って、行ってみました。

初めてのことは苦手ですが、血圧は「これはゼッタイやらなくちゃいけないの!」と迫力勝ち?で測ることができました。
尿は、年に一度採っている(学校に提出)ので抵抗なく採らせてくれました。
あと身長・体重は笑ってしまうくらいカチンカチンになって計測させてくれました。
レントゲンも学校で昨年度撮ったとかで初めてではなかったのと、先生も扱いに慣れた様子で(校医さんですからね)、すんなり撮れました。

余談ですが、レントゲン写真に映った息子の心臓は「少し大きいね」ということでした。
(「ついでにお聞きしたいんですが、これは心臓ですか?」と訊ねて教えてもらいました)
この子の父親は「心臓が馬並みに大きい」と言われたそうだ(だから遺伝?)、という話をしたら、先生は首をひねって「心臓は大きいのはあまりよくないんだよね」。意外でした…。
元気な人は心臓が小さいそうです。朝青龍のなんてちっこくて性能抜群なんでしょうね。
息子のはやや大きめ程度で「正常」だそうです。

採血だけはどうしてもダメ。
先生も無理だろうと判断されて、提出先と相談するように言われました。結局血液検査抜きの診断書(血液検査がないからすぐ結果がわかる)を書いてもらい、8千円あまり支払って帰りました。
何も異常なし。当然…と思うのは不遜かもしれませんね。
そのあと施設長さんの計らいで、血液検査だけを後日、こういう子専門の病院で受けられることになりました。日時が指定されるのを待つことになります。予約でいっぱいのところに無理を言うので、この日に来いと言われたら、何を差し置いても行かなければなりません。
あとひとふんばり。
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2007年12月15日

きょうだい児

きょうは息子の通う養護学校のクリスマス会でした。
キリスト教系の学校ですから、これは入学・卒業式に次ぐ重要な学校行事だと思います。
もう14年目なので私も感動が薄れていますが、入学した最初の年などはおごそかな雰囲気に圧倒され、厳粛な気分に浸ったものでした。
式のあとは子どもたち全員が参加する生誕劇(ページェント)で、高等部の生徒たちは劇の幕間に聖歌を歌ったりちょっとした演奏をする聖歌隊です。
在校している子どもたち全員を見る機会というのも年に何度もありません。年の離れた子などは久しぶりで見違えたりします。

成長期には一年で20センチ伸びる子もいますから、あらー大きくなったねとびっくりします。思春期ににきびが出るのも年齢相応。
顔は全然変わらなくても身体は大きくなっていたり、成長に伴って親と似てきたりして、なかなか面白いものがあります。
自閉症の女の子が一人、人が大勢集まっていて興奮したのか、ニコニコ笑いながらずっと両足跳びを続けていました。
あれは激しい運動ですから、普通は1分も跳んでいられないと思います。
自閉症の子が疲れを知らないのは、やっぱり脳がうまく機能していないんだなあとあらためて思ったことでした。

午後、ボランティアサークルがミニコンサートを開いてくれました。
ノリノリで終了したあと退出の順番を待っていたら、前の方に、中学一年生のダウンちゃんが妹と一緒にいる後姿が目に入りました。
妹はまだ小学校低学年ぐらい、家族全員で来ていたようです。
その子が、隣に座っているお兄ちゃんに甘えるように寄りかかり、頭を傾げてもたせかけました。お兄ちゃんの方は戸惑ったように妹の方を見て、黙ってまた正面を向きました。
お兄ちゃんが好きなんだなあとほほえましい光景です。
ただ、障害のある兄に屈託なく甘えてくれるのも、もうあと何年もないだろうなとちょっと切ない思いで二人を見た私でした。

そこのお宅は両親とも医師をされていて、お母さんの実家に同居。
きょうだいは他に上に二人、4人の子どもがいます。両親だけでなく大人が多い環境は子育てには助かることでしょう。
大人たちや上の兄姉の愛情を十分に受けて、のびのびと育った妹も、思春期にはダウンちゃんの兄の存在を重く感じて悩むときが来るのかもしれません。
同じ悩みを共有する兄姉がいることは、彼女にとっては大いに救いになるだろうとは思います。
でも、どんなに家族愛が豊かでも、いくら周囲がサポートして頭ではよくわかっていても、全く避けて通れはしない道ではないかと思います。

おとといの勉強会で、自閉症の子の、思春期のきょうだいとのかかわりを質問している人がいました。
講師の話で私の印象に残ったことは…。
障害児のきょうだいのことを「きょうだい児」と呼んでいますが、きょうだい児の中には
「きょうだい児って言わないで。きょうだいって目で見られるのがイヤだ。きょうだいじゃなくて、私はワタシ」
と訴える子がいるそうです。
この気持ちは、親はしっかりと受け止めてあげなければならないでしょう。

きょうだい児はいじめの対象になりやすい上に、障害児の分まで期待されたり、お手伝いを期待されたりと、思えば辛い子ども時代になりがちですね。
小さいときにはよく面倒を見てくれたような「いい子」だったきょうだい児であればあるほど、無意識のうちに押さえつけていたものがたくさんありそうです。
たまにはうんとわがままを言わせて、ガス抜きをしてあげたほうがいいかもしれません。
夕食のおかずを、きょうだい児の希望を聞いてそれを優先するといった、小さいことでもいい。「あなたのことを大切に思っている」ということを伝えてあげたいですね。





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2007年12月14日

問題行動

昨日は勉強会に行って、自閉症の専門家に問題行動への対処など伺ってきました。
(講師は京都市発達障害者支援センター・中山清司さんです)
問題行動というのは「周囲の状況や関係によって決まる相対的なもの」であるという指摘には、ナルホドと思いました。
例えば、
何度も石鹸をつけて繰り返し、手洗いがいつまでたっても終わらない人に対しては「きれい好きなんだね」。
疲れを知らず走り回る多動の子に対しては「元気いっぱいだね」。
という見方も出来る。たしかにそうです。
それが問題のある行動として親が死にたくなるほど悩むことになるのは、水道代が非常識な額になったり、片時も心の休まるヒマがないほど振り回されるから、だと思います。

療育センターのとき一緒だった子に、激しい多動の子がいました。
その子のお母さんは看護師の経験があったせいか、とても度胸の座った人でした。
その子の妹がまだおなかにいた頃、ちょっと目を離した隙にその子が飛び出して、大きな通りの向こう側に行ってしまったことがあるそうです。
「トラックばんばんのイチコク(国道1号)を横切ったんだよ〜。ぞーっとしちゃった」
と笑うお母さん。幸い、急ブレーキかけたりクラクション鳴らす車はなかったそうです。
「ああいう子は上手にすり抜けるんだよね。車に轢かれたって話は聞かないなあ」
と屈託がありません。
周りにいた人は「それで、どうした?」と身を乗り出しました。

するとそのお母さんは困ったような笑顔で、
「だってえ、どうしようもないよ、こっちは妊婦だし」。
引き返してまた横断しないことを祈りながら、何メートルか先の信号が青になるのを待って渡ったそうです。いちおう「こっちに来ちゃダメ」と声をかけながらだったそうだけど、それを聞けるような子だったら苦労はありませんよね。
でも同じことは二度としなかったそうですから、子どものほうも何となく感じるものがあったのでしょうか。実は怖かったとか?
その局面で、卒倒しそうになったり逆上して泣きわめくお母さんもいるかもしれませんね。
同じエピソードでも語る人によってずいぶんイメージが変わりそう。問題行動と深刻に悩むか、しかたないとさばさばするか、お母さんの個性がだいぶ出そうです。

ところで、今回、例として挙げられた問題行動に「突然、着ている服を破って裸になってしまう」というのがあり、思わず隣に座っていた友人と顔を見合わせて笑ってしまいました。
ウチの息子も同じようなことをしていたからですが、のんきに笑っていられるのは過去の行動となったからです。
今も上履きを破るなど油断なりませんが、裸になるほど激しいパニックは卒業した様子。当時はクラーーい毎日が一年半も続いたのに、「過ぎてしまえばみな美しい」「日にち薬」を実感しました。
ここで挙げられていた実例は女の子で、登校途中のバスの中で破っていたそうですから、もっと深刻だったでしょう。付き添っていたのはお母さんでしょうか、いつ始まるかとびくつく切ない気持ちがよーくわかります。

今回のお話の<問題行動への対処>の中で、「適切な初期対応」としてまず挙げられたのが「静かに、落ち着いて対応する」ということでした。
ゆっくりと近づく
※小さな声で、ゆっくりと、しかしはっきりと聞き取れるように
※視覚的な手がかりを使う:指差し、文字、絵や写真、モデルを示すなど

たしかに、私も身に覚えがありますが、びっくりして「きゃー、何てことするの! やめなさーい」と騒ぐと、その問題行動に油を注ぐことになるようです。
まずは深呼吸して、「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせるといいかもしれません。
先の「だってえ、どうしようもないよ」と苦笑していたお母さんは、きわめて適切な対応をとったことになるでしょうね。

問題行動の中でもとりわけ家族が悩まされるのは、夜中に寝かせてもらえない睡眠障害だと思いますが、時間が限られていたせいか、これについては話が出ませんでした。


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2007年12月11日

物足りないニュース

きょうYahooにこんなニュースがありました。
死亡率高く、早く成長して出産=ピグミー族が小柄な理由−英ケンブリッジ大が調査
12月11日16時1分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071211-00000089-jij-int
念のために全文コピペすると…

 アフリカなどに住むピグミー族が小柄なのは、死亡率が非常に高いため、早く成長を終えて子供を産むように適応した可能性が高いとの調査結果を、英ケンブリッジ大の研究チームが11日までにまとめた。人類が進化し、世界に居住地域を拡大する過程でどのように環境に適応したかの解明に役立つと期待される。論文は米科学アカデミー紀要の電子版で発表される。
 小柄な理由をめぐっては、これまでは(1)熱帯森林での生活で体内に熱がこもらない(2)密林で動きやすい(3)食物が乏しい環境で飢えに耐えやすい−との説があった。しかし、森林以外の涼しく乾燥した地域に住んでいたり、食物が少ない環境でも背が高い民族がいたりして、はっきりしていない。
 ピグミー族は男性の平均身長が155センチ以下で、同程度の体格の民族がマレーシアやフィリピン、ブラジルなどにも住んでいる。研究チームは2002年から03年にかけ、フィリピンの2地域で計約800人の子供や大人を調査した。
 その結果、女性の場合、身長の伸びが早く、12−13歳で大人並みになることが判明。15歳まで生き延びる割合は3−5割と、アフリカの草原に住む民族の6−7割に比べ、大幅に低かった。 


ん? と頭をひねったのは私だけでしょうか。
ピグミー族について解説するなら、なぜ死亡率が「非常に」高いのかなど、もうちょっと情報がほしいと思います。
ピグミー族で検索して驚きました。「ピグミー族」というのは特定の民族を指す言葉ではなく、成人男子の平均身長が150cm(80cmという説も)以下の種族を指す、のだそうです。
(ピグミーはギリシャ語の「ひじからこぶしまでの長さ」をあらわす単位。誇張した表現)
ピグミー=アフリカに住む小柄な民族、というのが一般的な認識ではないでしょうか。
古代エジプトの文書にはファラオが軍の指揮官に「樹木の国からの真性のコビト」「霊地からきた神の踊り子であるコビト」を宮廷まで連れてくるように命令している記載があり、これがピグミー族を指しているらしいとのことです。かなり小さくないとこのような書き方にはならないでしょう。記事にある155cm以下で「小人」呼ばわりされるのか大いに疑問です。

そして、このような短躯の民族はアフリカだけでなくアジアにも存在していて、だから上のニュースでマレーシアやフィリピンが出てくるわけですね。彼らも「ピグミー族」の範疇に入るようです。
岩肌のくぼみに薄い壁を作っただけの住居(アフリカ)の写真がありましたが、
http://www.ayumi-g.com/past/ex04/jukuten5/miura/miura.html#4
なかなかにユニークな文化を持つ、文化人類学的にはとても興味をそそる人たちだと思います。
私がざっと調べた範囲では、残念ながら、なぜ、どのように非常に短命(死亡率が高い)なのかはわかりませんでした。きょうは時間が足りないので、また調べてみたいと思います。

ネットでニュースが読めるのは早いし読み比べることができてとても便利です。
印刷して配送する時間が節約できるのだから早いのは当然と言えますが、内容的には不満が残ることも多いのも事実ですね。誤字脱字も案外よく見かけます。
朝日新聞の契約更新に来たASAの社員に聞いたら、そこでは毎年100人ずつ契約者が減っているそうです。私の知る範囲でも新聞の購読をやめた人は多いです。
でも今のネット配信のレベルでは、無料だからといっても(有料のところもありますね。そういうところはこんな不満もないのでしょう)私はとても満足できないですね。もうちょっと頑張ってほしいです。






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2007年11月29日

アルミ缶つぶし

Yahoo!ニュース東北版にこんなものがありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071129-00000021-khk-l04&kz=l04
障害者の意欲つぶさないで 作業用アルミ缶の提供激減
(11月29日14時19分配信 河北新報)
長いので少し短くしました。原文そのままではありませんので、ご了承ください。

 仙台市若林区、知的障害者施設「のぞみ苑分場 南材ホーム」の、通所者の作業「アルミ缶つぶし」が危機に陥っている。施設周辺の住民、企業などから提供される空き缶の量が減り続けているためだ。同施設は「15年以上続けてきた作業であり、得られる報酬は通所者の貴重な収入源」として、協力を呼び掛けている。
 ホームのアルミ缶つぶしは1991年に始まった。知的障害者のある11人が月―金曜の1時間半、空き缶の回収と選別、缶をつぶす作業などに取り組んでいる。つぶす際の感触が障害者にとって達成感につながるほか、作業への集中で心を落ち着かせる効果もあるという。
 つぶしたアルミ缶は、回収業者に1キロ100円前後で引き取ってもらい、通所者の旅行や誕生会などの行事費用に充てている。
 周辺の町内会や市内の企業などから、ビールや清涼飲料水の空き缶を回収してきたが、状況が変わってきた。企業、個人の支援者が減り、今年の回収量は1334キロ(10月25日現在)と、10年前の半分程度にまで減少した。このまま減り続けると作業そのものの継続が困難になりそうだという。
 千葉はるみ指導課長(51)は「通所者は作業を毎日、楽しみにしている。時間短縮も精神的な負担につながる。単純にごみとして廃棄しているアルミ缶があったら、回収させてほしい」と提供を呼び掛けている。
 連絡先は、同ホーム022(215)6951。


私にとっては他人事ではないニュースです。
以前息子が実習に行った施設でも、アルミ缶つぶしは花形の作業です。
そこは専用の機械を買う資金も置く場所もないため、集めてきた缶は足で踏んでつぶしていました。バキバキとかなりうるさいのですが、利用者にとってはこれがいいストレス解消になるようでした。
アルミはけっこう高く買い取ってもらえるので、銭単位の受注作業をしている施設にとっては、アルミ缶つぶしは効率のいい現金収入が見込める作業のようです。アルミ缶を集めて回るのもいい運動になるし、気分転換にもなるようでした。

私も、風向きが変わってきたなと感じていました。
北京オリンピックの影響もあるのか、相場が高価になっているようで、回収して収入を得ようという自治体も増えています。私の住んでいる団地でも、資源ごみとして捨てていたアルミ缶を月に一度回収するようになりました。
軽トラックで乗り付けて、集めてあるアルミ缶を盗んでいく人を見たこともあります。
ほぼ毎日、巨大なゴミ袋いっぱいのアルミ缶をいくつも自転車にくくりつけて走っている人もいます。(いつかは自動販売機のそばのゴミ箱から回収していました。厳密に言うと窃盗なのでしょうね)
2缶で1円になる回収用の機械が備えてあるスーパーもありますから、小遣い稼ぎしているのかもしれません。

作業所に回してもらうアルミ缶は、ずいぶん減っただろうと思っています。
なんとか理解のある企業や商店から、定期的に提供を受けて続けられたらいいのですが。


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2007年11月22日

Kさんのこと


きょうは息子の学校で創立40周年を祝う会が開かれ、出席して、昼食にはお赤飯をいただいてきました。
最初は戦中戦後の混乱の中、教会の奉仕活動の延長でしょうか、身寄りのない子どもたちを引き取る施設として始まりました。
そこから当時は学ぶような場もない(就学猶予で義務教育からはじかれた)障害のある子どもたちの学校が作られたそうです。
初めは小学部だけの小さな学校で、養護学校義務化で公立の学校が設置された時には、転校する子が続出して、深刻な経営危機に陥ったこともあるそうです。
公立の学校は学費が要らないし、自宅に近い方がラクだからでしょうか。新築で職員も多い大きな校舎に惹かれた親もいたかもしれません。
今でこそ息子の学校も校舎を新築してきれいになっています(金八先生のロケにも使われました)が、ウチの子が入学した14年前には床のささくれが気になるようなオンボロ校舎でした。

40年のあゆみを記念して、年に一度発行される機関紙をまとめて冊子にしたものが配られました。33年分あるそうです。
この機関紙には、毎年二人ぐらいの保護者が依頼を受けて文章を寄せます。
その中に私が2002年に書いたものもあり、久しぶりに読み返しました。わりと気に入っている話なので、手前味噌で恐縮ですが、ここに再掲させていただきます。

<Kさんのこと>
訓練会OBのお母さんたちが(子どもはみな成人)おしゃべりしていました(私はそばで聞いていました)。
「きのうスーパーに、ちっちゃいダウンちゃんを連れたお母さんがいたの。とっても可愛くてさー、声をかけたかったんだけど」
「かけたらよかったのにー」
「そうよ、お母さん、喜んだと思うわよオ」
口々に言っている中でぽつりとひとこと、
「かわいそうだね。これから地獄が始まるんだね」。
溜め息まじりのつぶやきに、みな絶句。やっと一人が
「べつに、地獄とは思わないけど」
と力なく言うのが精一杯でした。
この「事件」で私は故郷の友人Kさんを思い出しました。
Kさんに出会ったとき、私たちの子どもは同じ自閉症の4歳児。母子で地元の通園施設に通っていました。
Kさんは私より一回り若く、一人っ子のTくんを溺愛と言ってもいいくらいに可愛がっていました。
初めての障害児に悩まされていた私には、
「知恵遅れでも自閉症でも何でも、ちっともかまわない。Tが笑ってくれるだけで最高に幸せ」
と屈託のないKさんが、むしろ不思議に思えました。
あるとき、亡くなったKさんのお父さんの話を聞いて、なるほどと納得したのです。
大工の棟梁だったKさんのお父さんは、とても子煩悩な人だったようです。
Kさんはけっこう遅くまでおねしょをしていて、嘆かれたり叱られたりで悲しい思いをしたそうです。そんなとき、Kさんのお父さんは、
「Kの小便はちっとも臭くない。いい匂いがする」
と言って、干したおねしょ布団にほおずりをしてみせてくれたそうです。Kさんの深い愛情は親譲りというわけです。
Kさんはその後、Tくんが国立大学付属の養護学校に入学できてから、二人の子を産みました。上京の折に会ったら、幼い弟妹が「Tにいちゃん」の横で明るく笑っていました。
障害なんか関係なくTは可愛いと言い切るKさんと、地獄というあのOBさんと。
未来は大きく変わってしまうだろうと考えさせられたことでした。


字数の関係で書けなかったのですが、Kさんに関してはこんなエピソードもあります。
障害児の親が集まった席で、親にとっては知的障害と身体障害(ほとんど一人では動けないくらいの)のどっちがラクか、という話になりました。
本人にとっては、悩まなくていい分(悩めるほど軽くない前提)知的障害の方が幸せだろうと意見が一致しましたが、親にとっては、の方は意見が分かれました。
意思疎通が出来るのはいいとしても、本人が悩んでいるのを見るのは辛いものがあるだろう、という意見ももっともです。
Kさんの考えはこうでした。
「動けなかったら地震や火事のとき逃げられない。周りに人がいなくなったら、餓死するしかない。そんなのカワイソウだから、知的障害の方がいい。おなかがすいたら、人のものを奪ってでも食べてほしい。行きたいところに行き、したいことをしてほしい」
ここまで子どもを愛して子ども本位の考え方をするんだ…と感動したことを忘れられません。
Kさんの子に産まれてTくんは幸せだったな、と思っています。


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2007年11月04日

売られた喧嘩

きょう、息子と散歩に出て、行きは電車だったけど帰りはルートを変えて一駅分歩き、路線バスに乗ることにしました。
自閉症の息子は決まったルートを好みがちですが、散歩のときはあまり固執しませんし(するときもあります)、なるべくさせないように心がけてもいます。
始発から終点まで20〜30分ばかり乗ります。ウチの最寄り駅まで一本で帰れるので、私たちにとっては便利なルートです。
車ではよく走る道ですが、運転中にはよそ見もできないし、高い位置に視点があるので見慣れた場所でも違って見え、ミニ旅行気分にも浸れます。

あまり利用する人のない路線なので、昼間は一時間に1、2本しかありません。
バスターミナルに着いて時刻表を見たら、発車までに30分もありました。そばのスーパーに寄ってお茶などを買って戻っても、まだ20分以上あります。
電車を乗り継いで帰ることも出来ますが、息子の機嫌もいいし、のんびり待つことにしました。
利用者が何人か並んでいましたが、乗り口に近いベンチには空席がいくつもあります。
その乗り場からは3つの路線が発着していて、私の乗る予定以外はバス便しかない、比較的利用者の多いルートです。並んでいる人は私とは別の線だろうと思われました。
空席があるのに何も20分も立って待つことはないと思い、空いたベンチに息子と二人腰を下ろしました。

「割り込みだ!」
大きな声が飛んできました。驚いてそっちを見ると、白髪まじりの頭をした小柄な女性がこっちをにらんでいます。
私の左隣に息子、その向こうに70代ぐらいの男性、空席がひとつあって一番奥(端っこ)に件の女性が座っています。
割り込むつもりはない、みんなのあとから乗ればいいだろう。疲れているし、席が空いているから座っただけで、いけないことではないだろう、というようなことをなるべく穏やかに説明したつもりです。
こちらには、座っていれば息子も落ち着いて待っていられる、という事情もありました。
ところが私がひとこと言うと、相手は大きな声で何倍も言い返してきます。訛りもない、はっきりとした口跡です。

私はからんだりからまれたりというのは、あまり経験がありません。きょうだいゲンカでも私は年が離れた一番下なので、だいたい言われっぱなし。鍛えられていないので鈍く、たまに舌戦をしても丁々発止ができません。
揚げ足を取るような物言いをされると、冷静に言い返せずついカッとなってしまいます。
途中で、相手は知的障害者だと気がつきました。論旨が滅茶苦茶です。
滑舌がいいというのか、口が達者で、なんだかんだと罵ってきます。罵る言葉ばかりをどうしてこれほどに溜め込んでいるのかとますます腹が立ちました。
(知的障害者は)「いっそ何もしゃべらない方が可愛がられる」というのは、こういうことを指しているのだと納得できました。

左隣の男性が、立ち上がって乗り口の方に移動しました。
みんなが(彼女を避けるように)離れた場所に並んでいたのは、私の来る前にも何かひともんちゃくあったのかもしれません。
相手にするな、とそっと忠告してくれた人がいて、とても恥ずかしくなりました。
相手が喧嘩を売るのが趣味なら、こちらはそれを買わなければいいだけの話。むきになって声を荒げた私は(怒ると言葉に詰まる方ですが…)、娘が一緒だったら制止されていたに違いありません。
いいトシしてほんとうに恥ずかしい。
黙り込んだ私に、割り込みを非難する言葉から、お門違いの説教になり、おとなしくしている息子(障害児とわかったのでしょう)や私を中傷する言葉が延々と続きました。まあその憎たらしいのなんの。

それだけしゃべれる知性を、別の方に使ってほしいものだと思いました。
我慢して無視している私に再三、「聞いてんの?」と尖った声が投げつけられます。
「どこそこではこんなんじゃすまないよ、怖いよ。アタシはこの前殴られたんだから」
別の駅では殴られたらしいですが、さもありなんと思いました。
その場を立ち去る選択肢もありましたが、長く歩いて疲れてもいたので、そのまま耐えました。
二台違う行き先のバスが来て、人が去りました。私の見込みどおり、並んでいた人はみんな乗ったようです。
(心配して?)先に乗るように促してくれた人もいました。
右隣にいた女の子に「うるさくしてごめんなさいね」と謝ったら、「大丈夫です」とにっこりしてくれました。

なんとその女性は私と同じバスに乗りました。
私より前から待っていたわけだから、最低でも20分以上。待ちかねたようにさっさと乗って中央あたりに掛けました。
うんざりだったけど仕方ありません。あとから来た人たちが乗り込んでから一番最後に乗り、がらがらだったので奥に座りました。
バスの中でまでは続かなかったのでやれやれでしたが、途中で彼女が降りるまでは気が休まりませんでした。
「割り込みはいけない」のは確か。この場合はそうではない、と幅のある思考が出来ないのは自閉症なのかもしれません。そうだとすると彼女は「喧嘩を売った」つもりはないのでしょうが、こちらとしてはそうとしか思えませんでした。

彼女はたぶん、喧嘩を売る形でしか人と関わりを持てない孤独な女性なのでしょう。怒って相手をしてくれれば、寂しさが紛れるのかもしれません。
おそらく相手が黙り込み無視する形で決着するのが大半でしょうから、言い負かしたのと同じこと。ゆがんだ形の達成感を得て満足しているのかもしれません。
相手が男なら殴られることもあるでしょう。殴りそうにない相手を選ぶのか、殴られてもいいから相手をしてほしいのかもしれません。
私が広い心の持ち主だったら、その寂しさを切なく思い、彼女に優しくしてあげられたのかどうか…。
全く大人げない対応をしてしまった、と自己嫌悪に陥り、すっかり落ち込んでしまいました。気晴らしに娘が借りてきた「ダイ・ハード」を見てもスカッとしないでいます。…もう寝よう。



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2007年10月07日

地域の運動会で

きょうは地域の障害者団体連合の運動会に参加して、リレーで走る息子を応援したりしました。
今までは耳を押さえたりしてろくに走らなかったのが、速くはないけどまともに走っていて、おおっという感じでした。
パン喰い競走とか風船割り競走にも、私がほかのお母さんとおしゃべりしている間に、自分から出て行って(ボラさんと一緒ですが)参加しています。こんなことは初めてで、息子の中で殻を破ったと言うか、何かに目覚めたのかなあと成長を感じる出来事でした。

今は月に一度、リトミックのプログラムのときだけ参加している訓練会所属としての参加です。
子どもがいるのは訓練会ぐらいで、ほかはほとんど作業所などで働いている成人。息子の数年後という感じの青年がいたりします。
正直、この区だけでも障害者がこんなにいるのか…と圧倒される気持ちもあります。
でも障害者ばかりが(ボランティアさんや職員、保護者もですが)これだけ集まる機会はあまりないので、みんな楽しそうでした。

息子が今月実習に行く予定の通所施設は自閉症専門のところなので、行事が嫌いな自閉症の特性を尊重してか、参加していませんでした。
(3連休の中日を出勤にしたら、あとの手当て(代休とか)が大変なのかもしれません)
私も今までは、自閉症の息子は運動会は嫌いだと思っていたので、きょうは認識を新たにしたことでした。

困ったのは、はしゃいでいたのか笑顔のまま、人の帽子のひさしを押し下げるという行為を繰り返していたことです。
「いいかげんにしろー」と怒っている人もいて、ボラさんが私を呼びに来たりしました。
それくらいイイヨと大目に見てくれる人が大半なのですが(たぶんそれを見越してのことでしょう)、面白いらしくてこれはなかなか終わらない問題行動です。
お天気に恵まれた、1日早い体育の日でした。

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2007年10月03日

才能の発掘

小さな絵画展に行ってきました。
息子の通う養護学校の、美術の先生が主宰している小さな絵画教室の発表会です。
出展しているのは、息子の学校の卒業生のほか、商業高校やよその養護学校の卒業生など7人、「アトリエ七色」という会の名前どおりでした。それに主宰の先生と、写真を担当する協力者もいらっしゃるようで、各人の写真も数点ずつつけてありました。
前は在校生も混じっていましたが今回は全員作業所などで働いている社会人ばかりでした。はっきり聞いてはいませんが、たぶんみなさん知的障害を持つ人だと思います。

7人の中には兄弟も一組います。絵を描くこの二人は知る人ぞ知る存在で、ほかの自閉症児者の作品展でも(たぶん何度か)絵を見かけました。もう10年も前のことになりますから、二人は生涯の趣味としてずっと絵を描き続けるのでしょうね。
私は双生児かと思っていましたら兄弟とのことで、たまたまいらしていたお母様とお目にかかりました。私より少し上の世代と思われる品のある女性でした。
弟にも障害があるとわかったときのお母さんの苦悩を思い、二人を穏やかな絵を描く青年に育てあげたお母さんの歩みを思ったりしましたが、親しかったら聞いてみたいところです。

息子の学校とはもう14年ものお付き合いですから、卒業生の一人は知っている子で、もう一人はお母さんも含めよく知っている子でした。
そのよく知っている子・自閉症のYくんは、卒業する頃になって絵に目覚めたようです。
卒業する一年前ぐらいまではあまり絵らしい絵は描かなかったらしいですが、指導がぴったり合ったのでしょうか、描き始めたらめきめき上達したようでした。このことには、お母さんもびっくりされているそうです。
絵はまだ発展途上という感じですが、自閉症らしい集中力でそのうち大化けするかもしれません。次回の展示会を楽しみに待ちたいと思います。

養護学校に通う子も障害の程度はさまざまで、中には普通の学校でもいけそうな子もいますから、そういう子は絵も器用に描きます。でも、口もきけない重い知的障害のある子でも、絵だけは抜群にうまかったりする例も珍しくありません。
親としては山下清の再来を望むのも無理もないところですが、そこまで欲張らなくても、落ち着いて集中できる趣味があるのは幸せなことだと思います。
趣味を自分で選び出すことが難しい知的障害児の場合は、適切な指導者とひき合わせてあげられるかどうかですね。家族がその役割を果たせたら一番いいのでしょうけど。

日産のゴーン社長が、朝日Beのインタビューで答えていました。「人間にとって最大のムダは持って生まれた能力をムダにすることです」と。
耳が痛いですね、自分自身についてもですが、今まで長いこと息子の潜在能力(たくさんあるような気はするのです)を引き出してやれなかったなあ、時間をずいぶん無駄にしたかも…と悔いが残っています。
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2007年09月30日

特別養子縁組

私の親戚に、子どものできなかった夫婦がいます。
40近くまで不妊治療を受けたものの、とても痛い思いをする上にお金もかかる(100万単位?)ものだそうで、叶わないまま諦めたようでした。
二人とも子どもが大好きで、とてもいい父親母親になれたと思える人たちです。
奥さんの方は就職はしなかったけど教職課程を履修した人で、小学校で教育実習をしたのがとても楽しかったと言っていました。
この人から最近私に電話があり、養子を考えていると打ち明けられました。

二人とも私より少し年下で、早い人なら孫がいてもおかしくない年齢です。
夫婦仲が良く、夫の仕事で何年か海外赴任だったときは、子どものいない身軽さからあちこち旅行したりと外国生活を楽しんでいたようでした。
子どものいない仲良しの夫婦も珍しくありませんから、私はてっきり二人もそうなるのだと思っていましたが、子どものいる暮らしを諦め切れなかったものとみえます。
生まれたばかりの赤ちゃんを考えている、という彼女に、
「私はどうしても考えてしまうけど、生まれたばかりでは自閉症はわからないよ」
と言わずにはおれませんでした。私の味わって来たものを、彼女に勧める気にはなれません。

ダウン症など染色体の異常や、身体に現われる障害なら生まれてすぐでもわかると思います。
成長の過程で事故や病気で障害を負った場合は、二人なら実子と同じように悲しみ、苦しみを分かち合うでしょう。でも、たった一人の他人の子を引き取って育てるのに、その子が障害児だったら、引き取る方も引き取られる方もお互いに不幸だと思います。
不妊治療を受けていた頃、高年齢出産で障害児発現の割合が増すのは「覚悟の上」と話していた人ですが、実子ならともかく養子にまでその覚悟をしろと言うのは酷。
「この子がいてよかった」と話す障害児の親も、「自分の子にも(障害児を)産んでほしいとは思わない」と言います。

自閉症の子の中には、普通かそれ以上の速さで成長してしゃべり始め、そのあと言葉が消えてしまったという過程の子も少なくありません。
そういう話をするお母さんに、何人も会いました。
まるで退化するみたいに、言えていた言葉を言わなくなり、出来ていたことが出来なくなるそうです。
ウチの息子も、ほんの少しですがしゃべりかけていて消えたクチです。
見た目可愛くて賢そうに見えるから、障害があるとはにわかに信じ難かったりしますね。
2歳か3歳ぐらいならわかるんじゃない…と言っていたら、彼女は実子として入籍したいのだそうです。だから生まれたばかりの赤ちゃん。

それなら、特別養子縁組というのがあるよ、と話したことでした。
子どもの福利のためにともうけられた制度らしいですが、この特別養子縁組という制度については、もっと知られてもいいんじゃないかと思います。
裁判所のサイトに詳しい説明がありました。
http://www.courts.go.jp/saiban/syurui/kazi/kazi_06_09.html
特別養子縁組とは,原則として6歳未満の未成年者の福祉のため特に必要があるときに,未成年者とその実親側との法律上の親族関係を消滅させ,実親子関係に準じる安定した養親子関係を家庭裁判所が成立させる縁組制度です。そのため,養親となる者は,配偶者があり,原則として25歳以上の者で,夫婦共同で養子縁組をする必要があります。また,離縁は原則として禁止されています。

養子縁組を解消することを離縁といいます。
この子はヤダ、や〜めた、が許されないわけですね。
実子と同じように愛情を注いで育てることが求められるわけで、だから(それまでの記憶があまり残らない?)5歳までしか認められていません。一定期間里子として過ごしたとか、兄弟の子であるとかいった、実績や事情も考慮されるようです。
縁組には裁判所の許可が必要なわけですが、これが認められると実子と同じ扱いとなって、実の親の存在も戸籍には残らないと思います。
子どもがほしいけど出来ない人は、DNAにこだわって危険な代理母を考えるよりも、こっちの方が合理的ではないでしょうか。
たいして費用もかからないようだし、赤ちゃんポストに捨てられて親が迎えに来ない子などに対し、もっと積極的に進められてもいいんじゃないかと個人的には思っています。生みの親に育てられるのが一番幸せ、というのは、幻想ですから。
posted by dashi at 23:08| Comment(2) | TrackBack(1) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月27日

姉をヨロシク

お嬢さんの結婚が決まった友人が、嬉しそうにツーショットの写真を見せてくれました。
ついこの間まで学生していた気がするけど、もう就職して12年、33歳になったそうです。
(お相手は39歳とかで、優しそうな人です。若いカップルとは違い落ち着いた雰囲気の二人でした)
しっかり者で結婚願望も特にない(一人でも生きていけるタイプ)ながら、突っ張っていたわけではなく、親の勧めるお見合いも何度かした。
傍目には文句のつけようもない条件のいい相手もいたようですが、本人がその気になれなかったようです。
慎重な人なのでしょう、一年間じっくり付き合って様子を見たそうです。

そして、今回巡り会った人のことを、お母さんに、
「いいもんめっけた、と思った」
と形容したそうです。いい話だなあと感動しました。
焦らず騒がず、マイペースで歩いているときにふっと見つけた「いいもん」。すかさず拾い上げて両手で包み込み、大事に胸に抱いている姿が目に浮かびます。
できちゃった婚に象徴される性急な野放図な恋愛ではない、品格のあるオトナの恋ですね。

このお嬢さんにも障害者の弟がいるのですが、初めて相手と会ったとき、慣れない相手には警戒して「固まる」その弟が、帰り際には自分から握手を求めに行ったそうです。
自分が温かく受け入れられていることを、本能的に察したのかもしれませんね。
そして「姉をヨロシク!」という思いが伝わってくる話で、聞いた私もうるっと来てしまいました。
お姉さんの幸せを願う気持ちは、知的な遅れがあってもきっと誰にも負けないくらい、持ち合わせているに違いありません。

障害児(者)の弟の存在が結婚にどう影響するか、ウチの娘たちにとっても近い将来直面する(かもしれない)現実です。
私の息子が養護学校に入学したとき、遠くに住む義母のお母さん(息子のひいおばあちゃん)からお祝いが届きました。
当時夫(孫)は北京駐在で別居中、仕方なく私が電話をして(あとで手紙も書いたと思います)お礼を言いました。そこはとても格式の高い家で、もともと口をきくのも緊張する人でしたが、やけに冷ややかな対応だったのが印象に残りました。
ひいおばあちゃんはあとで義母に「どうして本人に直接お礼を言わせないのか」と不満を言っていたそうです。
義母は「私立の学校に入った」と説明しただけで、養護学校というのは内緒にしていました。私も、その点はぼかすようにと言われました。
障害児のひ孫が存在するなんて、たぶん亡くなるまでご存知なかったと思います。
遠くだったから隠せもしたけど、これがすぐ近くに住む人だったら揉めるのは必至。…離婚が早まっていたでしょう。

娘の交際相手やそのご両親と会ったとき、肩が凝らない相手でほんとうに安心しました。
自閉症の息子が自分から握手を求めることはない(と思う)けど、存在を否定されることなく平和裏におつきあいできたらと願っています。
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2007年09月22日

殺される子

幼い子どもを道連れに無理心中を図った、というニュースに接する度に、「障害児かしら」と考えてしまう私ですが、たぶんそう的外れではないと思います。
夫の暴力とか不倫とか、人生に絶望するようなことがあったとしても、一緒に死のうとまで思い詰めるのはよくよくのことではないでしょうか。まだ子どもが小さいなら母親も若いはずだし、同情して助言したり助けてくれる人もいると思います。
周りにわかってくれる人が居ない、未来は出口のない真っ暗なトンネルとしか思えない、深い絶望の中で死を選ぶのでしょう(実際にはなかなか死ぬことは出来ないようで、生き残る親も多いですね)。子どもを残して行けないのは、子ども自身にその原因があるからだと思います。

有名な大学病院で小児科医として働いていた人が、生まれた子がダウン症だったとき「迎えに来ない親もいる」と話していました。(ダウンちゃんは心臓に奇形があることが多いと聞きますが)手術をしないと助からないとわかっていて、手術を断る親も珍しくないそうです。
赤ちゃんポストに入れられたダウンちゃんもいたようですね。(幸いあとで迎えに来たそうです)
警察が介入することなく、闇に葬られた障害児も少なくないでしょう。
自閉症の場合は生まれてすぐにはわからないので、殺されるとしたら多動で走り回る(親をふりまわす)ようになったあとでしょうか。
事件になっても自閉症であることが明らかにされることは少ないと思いますが、きょう、珍しく二人の「自閉症」を苦にした殺人の報道を見つけました。

事件自体は昨年、二人の子どもを殺して自分は死に切れなかった母親が、殺人の罪に問われたものです。
この事件のニュースを聞いたとき、私は例によって「どっちかが障害児か? 自閉症では?」と思いましたが、そういう報道はなかったように記憶しています。
二人とも自閉症の子だったようですね。
これは地裁で被告が述べたことを報じる7月のニュースですが、広島の事件なのでこちらではあまり報道されなかったように思います。

2007年7月25日(水) 、 共同通信社が提供したニュースです。
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「生きていても幸せでない」 2児殺害の母が心境

 広島県福山市で昨年、自閉症の長男(5)と二男(3)を殺したとして殺人罪に問われた無職泉ひろみ被告(35)は25日の広島地裁(奥田哲也裁判長)の公判で被告人質問に答え、「世間では障害者は不幸という見方が強く、生きていても幸せになれないなら一緒に死んだ方がいい」と殺害を決意した心境を話した。
 泉被告によると、二男は知的障害もあり、パニックになると手に負えなかったといい「わたしの養育方法が間違っていたのか」と悩んでいたと説明。一方で「かわいいという気持ちはなくなっていなかった」と言葉を詰まらせた。
 また「夫に助けを求めたが、『おまえの育て方が悪い』と言われた」「自閉症は障害なので薬をのませるものではないのに、母親に『のませろ』と言われ無理解だと思った」と孤立感を深めていった状況を話した。
 奥田裁判長は、弁護側が求めた精神鑑定の実施を決めた。


ひとごととは思えないですね。私も上に二人の子がいなかったら、子ども二人が自閉症でパニックを起こす子だったら、同じことをしたかもしれません。
おまえの育て方が悪い
『(薬を)のませろ
私も同じことを言われました。(薬は夫が強く希望して処方してもらいましたが、二回で飲ませるのをやめてしまってなじられました。お医者さんの話ではとても苦い、ぴりぴりする薬だそうです)
「オレの血筋にはこんな子は居ない。お前の方の血だ」とも言われましたね。
夫のもとを離れて実家に身を寄せたら、実の姉には「母原病」と決め付けられたし、他の姉には「3回も帝王切開をしたからだろう」と言われました。

私の場合、経済的なこと以外身内に頼ることは出来なかったですが、今まで無事にやってこれたのは、こういう子を専門に療育してくれる場があったからです。
上の子たちを幼稚園に預けた経験はあるのに、この子は無理だろうという思い込みがあって(保育園を2日で断られたから)、「えっ、この子を預かってくれるの? 私はいなくていいの?」と感激しました。子どもと離れられる時間が全くなかったら、息抜きも出来ず絶望的な気分になっていたかもしれません。
若いお母さんたちは誘い合ってカラオケに行っていましたが、療育施設の先生はそういう気晴らしを積極的に勧めていました。(親同士仲がいいのは武器になるでしょうから、親睦は大切だと思います)
その後の養護学校でも、母子ともどもよく助けていただいています。

そしてとても大きかったのが、同じような悩みを持つ人たちと出会い、自閉症の団体で一緒に活動したことです。
「離乳食を食べなかった」と人が話すのを聞いて、思わず「うちの子もですよ!」と叫んだことは忘れられません。
いろんな奇異に見える行動のことを「ウチの子もそうだったわね」とアッサリ笑われて驚き、自分が「悲劇の主人公」ではなくて、<よくいる>「障害児の母親」の一人にすぎないことを悟りました。
顧問的な先生をはじめ専門家からは適切なアドバイスをもらって自然と勉強もしましたし、先輩お母さんは小難しいことは言わず、「そういうときはこうしたらいいわよ」と実践的な対処法を教えてくれるので、とーーっても助かりました。
子ども二人が自閉症の人も何人も、中には双子という人もいます。こういう人の体験談を聞くことが出来ていれば、先の母親は子どもを殺すことはなかったと思います。

おまえの育て方が悪い』 と言われた。
「そうそう、みんな言われてるのよね!」と笑い飛ばされ、
『(薬を)のませろ』と言われた。
「アタシも飲ませてみたけど効果なかったよ」「アイスやコーヒー牛乳に混ぜても気がついて飲まないのよね。こういうのは敏感だからしかたないよ」と体験談を聞き、
「なんとか治ったらいいな、薬があるなら(ダメモトで)飲ませてみようって思うよね、普通。無理もないよ」と慰めてもらっていれば、未来に絶望することもなかったと思います。
たとえ身内の中で孤立していても、世界は身内以外のほうが親切だし数も圧倒的に多いのだから、大丈夫。
生きていても幸せでない」 かどうか、先輩お母さんや子どもたちの笑顔を見てから考えてほしいです。



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2007年09月12日

自閉症者の辛さ

きのうちょっとした集まりの席で、アスペルガーの判定を受けている人が、こんな話をしていました。
(アスペルガーの定義はいろいろあるようですが、ここでは「知的障害を伴わない、広い意味での自閉症」といった意味合いでご理解ください)
その人が前の日に出席した会合は最悪だった。
一つの部屋で、集まった人たちが3つのグループに分かれて、それぞれで話し合いをしたそうです。
それほど狭くもない部屋で、ギャーギャーわめき散らすようなこともないなごやかな話し合い。
でも彼女には、ざわざわと別の話をしているのが四方から聞こえてとても疲れ、耐え難い苦痛だったそうです。

「だって、自分のところで話していたら、別のグループの話なんか聞こえないでしょう」
と誰かが言ったら、「聞こえないんですか!?」と驚いていました。
自閉症の子が騒がしいところが苦手だったり、子どもの泣き声に過剰に反応したりするのは、こういうことなんだろうなあと考えさせられました。
補聴器を初めてつけたときには、うるさくて我慢できないという話を聞きます。自分にとって不要な雑音も全部拾ってしまうからですね。
私たちの脳は、自分に関係ない雑音をシャットアウトして聞かない、という高度なふるい分けを無意識のうちにやっています。だからかなりうるさいところでも隣の人と会話が出来るし、雑踏の中で自分の名を呼ぶ声に気がついたりします。
アスペルガー(自閉症)の人は、このふるい分けの能力が低いのかもしれません。あまり高性能でない補聴器のように、周りの音を取捨選択しないですべて拾ってしまうのかも。

それと、嗅覚と同じように、うるさい場所でも少し時間がたつと慣れて平気になりますが、自閉症者にはこういうファジーさが欠けているのかもしれないと思います。
良く言えば潔癖できちんとしているのが好き。許容範囲が狭い、と言えるでしょうか。
「まあいいか、これくらい」といういい加減さは我慢できないかもしれません。
会話の出来る子ならそれを言葉にして伝えることも可能だけれど、生まれたときからそうならば人は自分と感覚が違うということが理解できないでしょう。
言葉のない子ならその場を逃げ出したり、泣きわめいたり暴れたりするかもしれません。いずれにしても、なかなか人にはわかってもらえない辛い立場だなあと思いました。

アスペの彼女の話が一段落したとき、彼女の斜め前にいた人が、
「そうそう、あなたはこれが苦手なんだったね」
と言いながら飲みかけのペットボトル(小さい、背の低いサイズ)の、下に置きっぱなしだったふたを締めました。
聞けば、アスペの彼女はペットボトルの口が開いたままになっているのがどうにも気になって落ち着かないそうです。
彼女は笑いながらジェスチャーつきで、
「締めようと思って立ち上がろうとすると(取上げて)飲むから、すわって、また締めようとしたら飲み始める、の繰り返しだった」
と話していました。やっと締めてくれたからとても嬉しそうでした。

私自身、粗忽者でよくものを倒す方なので、ペットボトルを机に置くときは必ずいちいち口を締めることにしています。大事な書類のそばにコーヒーカップがあったりするのは我慢できない方。だから彼女の気持ちはよくわかります。でも、人のペットボトルのふたまで締めようとする人は、あまりいないかもと思ったことでした。
アスペルガーの人の中には知能が天才的に高い人も少なくありません(アインシュタインやビル・ゲイツもそうだと言われています)。
私の知っている人もみな、「勉強は出来た、成績は良かった」そうです。だから一般の優秀な学校に進んで、「変わり者」のレッテルを貼られて仲間はずれやいじめの対象になる。こういう人は殊に苦しい思いをするのではないでしょうか。

知り合って間もない別のアスペの女性と二人きりで話しこんでいたとき、
「私には友だちがいないんです。友だちはいらないんです」
と言うので言葉に詰まったことがありました。でもその後彼女も、光が三角に尖って見えるなど独特の感性を解りあえる同じようなタイプの人に巡り会って、仲良くしているようです。
その彼女は息子が自閉症と診断される過程の中で自分の障害にも気がついたそうです。息子の、傍目には奇異に見える行動が、なぜそんなことをするのかよくわかって共感する(時には一緒にやる)ということでした。
彼女にはもう久しく会ってないけど、辛い思いからは解放されて、息子や「友だち」とともに心地よい日々を過ごしていることを願っています。
posted by dashi at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月05日

リュウちゃんのおばあちゃん

知的障害のある(と伝えたマスコミもあります)3ヶ月の孫の首をタオルで絞めて殺した祖母が、殺人で逮捕されたというニュースがありました。
http://excite.co.jp/News/society/20070904114400/20070904E40.042.html
「3ヶ月で知的障害がわかるということは、ダウン症かしらね」
と娘と話したことでした。知的障害はほかにもありますが、数や障害のわかりやすさから言ったらダウン症かなと思った次第。
自閉症の子ならそんな早くにはわからないです。

報道によれば普通の明るい家庭だったようで、この事件でみんなの運命はどう変るのかと考えさせられました。
人の命は地球より重いとか、孫でも一人の人格を持った人間なのだから許せないとか、正義感からこの祖母を非難するのはたやすい事です。
でも同じくらいに「孫の将来を悲観してのこと」「三女のこれからの苦労を思いつめての犯行」などと減刑嘆願も出てくるんじゃないでしょうか。殺人といっても行きずりの金目当てや暴行の挙句に殺したのとはわけが違います。
いずれ情状酌量が認められて執行猶予がつくか、正常な判断力がなかったとして裁かれないか、刑務所に入ることはないんじゃないかと思います。それでも犯した罪は死ぬまで抱えて生きていかなければならない。家族にとっても辛い日々が続くことでしょう。
せめてマスコミはこの家族を追いかけないでそっとしておいてあげてほしいと思います。

このニュースで私が思い出したのは「リュウちゃんのおばあちゃん」。
ウチの息子がまだ自閉症の診断もつかない段階で通っていた、障害児対象の療育施設で出会った人です。

九州の実家に身を寄せていたとき、年中の年齢で息子が通い始めた近くの保育園では、2日で「面倒見きれない」と断られました。
「これからどうします?」と園長先生は心配してくれましたが、加配の制度もない田舎の保育園。乳児も何人もいましたし、言うことを聞か(け)ない、昼寝をしない、何をするかわからない息子は危なくて預かれなかったようです。
そのあと紹介してくれる人があって、車で1時間以上かかるところにあるその施設まで通い始めました。

「知的障害がある」と言われてもなかなかぴんと来ませんでしたが、いきなり障害児ばかりの世界に飛び込んで、少なからずショックを受けました。
出産時の事故で重い脳障害を負った子数人をはじめ、突飛な行動に走る自閉症児、ダウン症の女の子、身体と知的の両方に軽めの障害を持った子、ヘッドギアをつけた重い点頭てんかんの子、などなど。
「ウチの子は、この子たちの仲間なのか!?」と厳しい現実にたじろぎました。こんなに可愛い、賢そうな顔をしてるのに! 身体もなんともないのに!
そこに行き始めて間もなく、その通園施設を含む障害者センター合同の運動会がありました。
大人から幼児まで、残余能力を使っていろんなゲームをしたり、ダンスしたりします。私も息子と一緒に、段ボールでこさえたキャタピラーの中に入って走(這)ったりしました。
スタッフやボランティアさんたちが笑顔で進行してくれたのですが、当時の私は「なんでわざわざ見世物になるようなことをするんだ?」と、イヤでたまりませんでした。

一見して「障害がある」とわかる子がほとんどでしたが、中でも初めて見たとき思わず顔をそむけそうになったのがリュウちゃんでした。
詳しいことは忘れてしまいましたが、発育不全のまま生まれて、頭の骨もまだよくつながってなかったんじゃないかと思います。
顔が文字どおりに「曲がって」いて、赤塚不二夫の漫画のよう。手術のあとの縫い目も目立つ。悪いけどギョッとし、正直に言って「この子、これでちゃんと育つの? よく生きてるな〜」と人体の不思議を見る思いでした。
ところがこのリュウちゃん、やたらと明るいのです。最初はひいてしまった私も可愛くなる、よく笑う子でした。
リュウちゃんの明るさには理由があって、それがフルタイムで働くお母さんの代わりにリュウちゃんの送迎をし行事のたびに出てくる、おばあちゃんでした。
このおばあちゃん、心底リュウちゃんが可愛くてたまらないようで、周りのお母さんたちが辟易して顔を見合わせるくらい、リュウちゃんの自慢ばかりするのです。

「リュウちゃんがあれをした、これをした」って、「それで?」と突っ込みたくなるような話を延々とします。
リュウちゃんは奇跡的に生き延びた子らしく、元気に育っていることがこのおばあちゃんにとって何よりの喜びのようでした。
おばあちゃんはいわゆるインテリではない、ごく庶民的なお年寄りでした。医学的なことは何もわからなかったと思います。ただ盲目的と言ってもいいくらいの愛情でリュウちゃんを包み、その、人と比べたらかなり遅い発達を無条件に喜んでいたのでした。
このおばあちゃんの成し遂げたことを実感したのは、保護者会結成(私が行っていた間に出来ました)10年目に開いてくれた同窓会に出席したときです。
ウチの子は年長に上がるときにこちらに引越したので、みんなに会うのは10年ぶりでした。まだ幼児だった子どもたちがいい大人になり、うっすらとヒゲが生えた子もいる中に、あのリュウちゃんがいました。

10年たっていても面影はあり、みんな顔はわかりました。リュウちゃんは独特な顔はそのままで大きくなっていました。
私がとても驚いたのは、リュウちゃんがお母さんと(誰とでも話せるわけではないようでした)おしゃべりをしていたこと、立って普通に歩き回っていたことです。お母さんの指示で何か運んだりとお手伝いもしていました。促されると挨拶もしてくれました。
ろくに歩けもしなかったあのリュウちゃんが! ニコニコ笑うだけだったあのリュウちゃんが! 
おばあちゃんが惜しみなく注ぎ続けた愛情が、形になって見えたような気がしました。もう身体が弱って外出は控えているということで、残念ながら再会は出来なかったのですが、家では元気にリュウちゃんの相手をしているという話でした。

生まれた赤ちゃんに重い障害があるとわかったとき、「子ども(孫)の将来を悲観して」「障害児の親になって苦労する娘が不憫」と殺してしまうおばあちゃん。
あやしたら笑った、その顔がとても可愛いと人に話さずにおれないおばあちゃん。
生まれた家によってこれほどの差が出るのも、やりきれない思いがします。

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2007年08月25日

自閉症の遺伝子

娘は自閉症のことを「将来は治る病気だよ」と言いますが、それが夢物語ではないと思わせるような記事がありました。
「自閉症の発生(感受性)と遺伝子との因果関係が解明された」という書き出しです。
http://www.rikenresearch.riken.jp/japan/research/252/
遺伝子マッピングを用いたこれまでの研究で、自閉症の発症がヒト7番染色体上にある遺伝子の一つ・CADPS2(CAPS2ともいう)と関係あることは突き止めれられていました。
この分野の研究を進めてきた、理研脳科学総合研究センター(和光市)の古市貞一チーム・定方哲史研究員が、最新の研究成果を「Journal of Clinical Investigation」誌に発表したそうです。

記事の内容は難しくて私にはよくわからないので、そのまま写してみますが、
研究チームはCADPS2遺伝子が欠損したマウスを作製・解析した結果、CADPS2が神経栄養因子の分泌と正常な脳発達に必要で、その異常は自閉症感受性に関連する可能性を示した。
CADPS2欠損マウスの視覚、聴覚、嗅覚などの機能は正常であった。しかし、他のマウスとの社会的相互作用の頻度が低下しており、不慣れな環境では不安行動の亢進や行動量の低下がみられ、慣れた環境では多動がみられた
。」
いかにも自閉症のマウスという感じです。

そして、
結果として、CADPS2の欠損は、大脳皮質と海馬の一部のGABA作動性介在ニューロンや小脳プルキンエ細胞といった特定の神経細胞の発達や生存が損なわれるなど、自閉症患者の脳で頻繁に観察される異常に酷似した細胞レベルの異常を生じさせた。CADPS2が会合する分泌小胞に含まれるタンパク質である脳由来神経栄養因子(BDNF)を脳内に投与すると、欠損マウスにおけるこれらの細胞異常は回復した。」
…そうです。自閉症児の親としては「おおっ」と注目。マウスの脳は小さそうだから、手先のよほど器用な人じゃないと出来ない実験かも、などと余計なことを考えます。

そしてこの研究班では、自閉症者(複数)に遺伝子を提供してもらい、分析したようです。
注目に値するのは、一部の自閉症患者において、健常者にはみられない長さの短い欠損型CADPS2が発現していたことである。この欠損型CADPS2タンパク質は、健常者がもつ完全長の野生型CADPS2と同様BDNFの分泌を促進した。ところが、ダイナクチン複合体に結合したのは野生型CADPS2のみだった。ダイナクチン複合体は、神経細胞に特異的な軸索という部位へ構成成分や小胞などを輸送する機構を調節する。そのため、野生型CADPS2は、神経細胞の軸索内に分布したが、欠損型CADPS2はみられなかった(図1)。」(もとのページをご覧ください)

「欠損型CADPS2の発現は、今回の研究対象とした一部の自閉症患者でのみ観察され、また、欠損型CADPS2が生じる原因究明は残された課題」
とはいえ、「自閉症の発症および病理に関与している可能性のある特定遺伝子の存在が明らかにされた」意義は大きい。
古市TL(チームリーダー)は「今回の研究成果は、自閉症の早期診断法や有効な治療法の開発に向けた足がかりとなるものです」と語っているそうですが、的を絞り込めたら研究もはかどることでしょう。
自閉症の夢の特効薬(今も、全くないわけではないですが、時に劇的に効く場合がある、程度のようです)が誕生するのも、そう先のことではないのかもしれません。

いずれにしろ、ウチの息子には間に合わないけど…。
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2007年08月19日

任務終了

長い長い夏休みがようやく終わり、息子は明日からまた学校です。
こんな長期の休みは最後だからと、後悔を残さないように頑張ったつもりですが、いやあ猛暑もあってエライ日々でした。
地域活動センターの余暇活動や、ガイドヘルパーさんに連れ出してもらったのが計8回。登校日が1日。
それ以外の日はずっと私一人で連れ出しました。娘たちは自分のことで精一杯だし、離婚のツケとして父親は不在。
一緒に入れる更衣室があるプールにも4回ばかり連れて行きましたが、男親なら身体も大きく力もあるから、強引にでも泳ぎを教えてやれるかもしれないなあと思ったりしました。

きょうは暑さがぶり返して、私も体調がイマイチで外を歩きたくなかったので、ベイブリッジを往復するドライブに行きました。
ベイブリッジも首都高速に乗ると見晴らしも抜群ですが、あまり急いで行く必要もないので、高速道路の下を渡る一般道で行きました。今日のように晴れた日は港まわりもはっきり見えて気持ちのいい道です。
高速だとさーっと通り抜ける感じですが、一般道は橋に乗るのも降りるのもぐるーーっと大きく迂回します。インターチェンジが複雑にからんでいるのか、SF映画の未来社会みたいな、ちょっと日常ではない光景が視界に入って面白いです。
両側とも埠頭のそばだからか、同じ型のトラックがずらっと並んでいる場所があったりします。普段はあまり意識しない輸出の現場という感じですね。
息子もなんとなく雰囲気が好きなようで、ベイブリッジを渡るときは楽しそうにしています。

何もこんな遠くまで来なくても、もっと近くに3箇所もあるのに…と苦笑しながら、イトーヨーカドーに寄って休憩がてら醤油ラーメンを食べることにしました。
ラーメンが出来るのを待っていると、近くの席で子どもが泣き出しました。
普通の泣き声でなく、ギャーと全力で泣きわめく声。若い両親がなだめていますが、泣き声は激しくなるばかり。
お母さんの陰になって子どもの姿は見えませんが、泣きながら何か言っているので、話せるぐらいの年齢と思えました。
困ったな、と息子を見ると案の定両手で耳をふさいでいます。
息子ももうすぐ成人する年齢でわきまえもだいぶついたので、修羅場にはならないだろうけど…と考えました。

自閉症の子に限ったことではありませんが、子どもの泣き声が苦手、という障害児は多いです。
苦手だから泣くのをやめてほしい、というのを表現するのもいろいろで、泣いてる子のそばに行って「ごめんなさい、ごめんなさい」と連呼する子もいるそうです。
それならまだいいのですが、ウチの息子の場合(小学部のころ)、ひどいときは泣いている子を叩きに行ったりしていました。椅子から突き落としたこともありました。本を投げつけて角が当たり、痣になったこともあったそうです。
スクールバスに同乗して学校に行ったお母さんが、バスの中で泣いてる子がいたらウチの子が靴を手に持って駆け寄ろうとしてた、と教えてくれたこともありました。投げつけようとしたのでしょう。
(こんなこともあったので、息子がスクールバスに乗るのを嫌がった時期には無理をせず、学校まで送迎したりしました)

閑話休題。
泣いている子の横の席には中年のオジサンが一人で何か食べていましたが、時々ちらっと子供の方に視線を投げます。あの人もさぞかしうるさいだろうと思いました。
意を決してその席に行き、「ボク、泣くのをやめてくれない?」と(なるべく優しく)声をかけてみました。
そしてすぐ、横のお母さんに「ごめんなさいね、息子が障害児で、泣き声が苦手なものですから」と言い訳しました。
思ったより小さな子で私の言うのを理解できない年齢のようでした。泣くのもやめませんでしたが、お父さんがその子をすぐ抱き上げてくれました。
ひとつ遠い席が空いたので私たちはそっちに移りました。少しでもうるさくない席をと思ってのことですが、まもなく静かになりました。

ラーメンを食べていると、通り抜けながら「さっきはすみませんでした」と声をかけてくる男性がいます。それがさっきの子のお父さんだと気づいてびっくりしました。
「あっ、いえ、こちらこそ、もっと大きい子かと思ったので」と焦って返事したら、照れくさそうに軽く会釈して去っていきました。
息子と一緒でなかったら、私もうるさいなあと思いながらも我慢していたと思います。その子の両親は(ホントはとてもいい人たちなのに)、周囲の人が迷惑しているのに気がつかないかもしれません。
泣いて我を通すのはいけない、他の人がいるところでは静かにする、というルールは小さいときから教え込んでほしいし、まあ、必要に迫られた(と判断した)からやったことだけど、結果的にはよかったかなと思ったことでした。

自閉症の息子はマイペースで行動したがるし、歩くのもかなり早い。好き嫌いもかなり意思表示できるようになった。
だから長い休みも、仲間と誘い合って行動することはしませんでした。それがよかったのかどうかはわかりませんが、私としては、孤独な(?)長い付き添い任務が無事終了してホッとしているところです。
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2007年08月11日

夏休み

毎年思うことだけど、マッタクいつまで続くんだろう、この夏休み。
学校の夏休みっていくらなんでも長すぎると思う。
長期の休みを利用して海外旅行するとか、田舎に滞在するような人にはいいだろうけど、大半の家庭では終わる日を指折り数えているんじゃないでしょうか。塾の集中講座を受けるぐらいなら、それを学校でタダでやってもらいたいもんです。
お母さんも仕事に出ているような家庭では、給食がないから昼食だっていいかげんになりそうです。
子どもたち(一人っ子なら一人)で留守番できないような小さい子や、ウチみたいな障害児を抱える家庭にとっては、夏休みは「じっと我慢の修行の毎日」…じゃないかしら。

ウチの息子は来春卒業だからこんな長い夏休みももう最後。一緒に堪能できればと頑張ってますが、いいかげんくたびれる。
ほっとくとクーラーの効いた部屋でごろごろして音楽を聴くぐらいだから、なるべくお手伝いをさせていますが、たいして時間稼ぎにもならない。
連れ出さないと一人では外出できないので、炎天下お供をすることになります。少しは運動もさせたいし、刺激もほしいです。
きょうは普通電車にのんびり乗って、(交通費の安い)東急東横線に乗り換えて終点の渋谷へ。渋谷に何があるかと考え、何年か前に行ったことのあるNHK放送センターにしました。初めてのところは自閉症の息子が警戒するので。
暑いので日陰をたどり、なるべく人の少なそうな通りを選んで行きました。きょうはこの夏最高の暑さだったそうで、さもありなんというところです。(NHKホールの脇を通ったら「思い出のメロディ」受付けをやっていました。夜テレビとラジオで生放送していた、アレです)

スタジオパークの自動販売機で息子は紙コップのカルピスを選び、長椅子にかけて飲むことにしました。
背もたれのない長椅子を二つくっつけたような場所の真ん中に斜めに寝そべっている子がいて、脇にリュックも置いてあります。
ずいぶん行儀の悪い子だなあと思いながら、ほかに空いた席もないので「ここ、いいですか」と声をかけ、リュックをちょっとずらそうとしました。
すると後ろにいた女性が「腕が伸びてくるかも、ぶつかるかもしれません」と言うので、ああそういうことかと事情がつかめました。
わかりました、と返事して腰を下ろしました。近くで見ると、養護学校によくいるタイプの子、おそらく息子のお仲間です。
「今動かせないものですから、どうにもならなくて」と横の人にも言っている声が聞こえます。
あらためて女性の顔を見ると、お母さんと言うには若すぎる。「ガイドヘルパーさんですか」と訊ねると「はい、そうです」と元気に返ってきました。

子どものことを「何年生ですか」と聞いたら、ちょっと間があって「19歳なんですよ」ということでしたから、ウチの息子と同じです。
目をつぶっていて顔はよくわかりませんでしたが、とてもその年齢には見えず、服装なども19歳の青年にしたら幼稚だったかもしれません。
(知的障害児に対しては親はつい、精神年齢に合わせて、子ども扱いしてしまいますね。ウチの息子も傍目には中学生ぐらいに見えるかもしれないなあと思いました)
その子はほとんど動かず、眠っているように見えました。「発作ですか?」と聞いたら、ヘルパーさんも慣れているようで「はい、これは、発作なんです」と冷静に答えが返ってきました。(発作のあとはみんな少し眠るようです)
発作のある子を家まで迎えに行って、おそらく楽しませようと(ドーモくんなんかが好きなのかも)NHKまで連れて来てくれるガイドヘルパーさんの存在は、お母さんにとってどれだけありがたいことかと思いました。
椅子を占領して眠ることに対しても、お母さんならとても恐縮して周囲に謝りまくっていたかもしれません。(そういう思いをしたくないから、自分ひとりでは連れ出さないという人もいます)

今回は、「仕事」と割り切ったさばさばした印象のガイドヘルパーさんの態度に、いろいろ考えさせられました。
高齢者の介護にしても、自分の親を見るのは嫌だ、という人は多いです。仕事でするなら、お金のためと割り切って我慢もするし、時間が来たら解放され、あとは忘れていられる。
親となるとそうはいきません、献身的に働いてアタリマエ、感謝どころかわがままを言って振り回されます。
(看護師をしている私の姉は、スープの冷めない距離で一人暮らしの義母を介護していましたが、「仕事に行く方がずっとラクやわ」と笑っていました。看護師だからプロと周囲は期待もするし甘えもしますよね。給料は出ないのに)
障害児相手も同じことです。親の場合は恩もあるし「先が長くないんだから」とカワイソウにも思いますが、子どもの場合は普通自分より先まで生きますしね、終わりがない。
ずっと自分で見るのは無理と達観して、他人に託すことに慣れるのもお互いのためかなとも思います。

私もこの夏は初めてガイドヘルパーさんのお世話になっています(ガイヘルさんも家庭もちが多いとかで、あまり利用できないですが)。他に地域活動センターの余暇活動で、4回はプールなどに連れて行ってもらえ、とても助かりました。
とは言っても長い長い夏休み、大半の日は私があちこち連れて歩いています。初めての路線バスに乗ったりとか、駆け抜けるだけの動物園とか。江ノ電はとても好きなようです(海が見えるから?)。
はるばるNHKまで行ってもキャラクターにも無関心、おじゃる丸(おなじみのはずだけど)のアニメは声を出すのですぐ退室。
嬉しそうに笑顔を見せたのは紙コップのカルピスを買うときのみ。NHKは通り抜けただけだったけど、普通電車にゆっくり乗れたし、運動にはなりました。
息子の学校は20日から授業再開なので、あと一週間の辛抱です。頑張らなくっちゃ。
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2007年07月26日

自己主張

小さいときは私の行くところにはどこでもおとなしく着いてきてくれた息子ですが、だんだん、途中で行方不明になったり(電車に乗って家に帰ったことも)、嫌な時は大声を出して抵抗したりするようになりました。19歳の今は初めてのところにはまず入りませんし、行こうと声をかけると「イラナイイラナイ」と大きな声を出して拒否します。
小さいときは「いや」と言うことを知らなかったから、我慢するしかなかったのでしょう。「いや」と言えるようになったら自傷行為が収まったという自閉症児の話もきいたことがあります。
「イラナイ」と言うのは自己主張が出来るようになった、成長の証なのだろうと思っています。

きょう、電車でちょっと出かけるつもりで家を出ました。そこより先には行かなくてすむようにと、わざわざ川崎止まりの電車が来るのを待って乗ったのに、終点で降りたらとても不満そう。
どこか行きたいところでもあるのかと好きなようにさせたら、品川ではちゃんといったん外に出て乗り換え、電車も間違わずに上野へ。動物園が見えるところまで行ったら、満足そうににやっとしていました。
私は電車の清算をしたり切符を買って着いて行っただけ。

動物園と言っても、息子は動物にはあまり興味がありません。促しても横目でちらっと見るくらい、ふらふらと先に歩いていってしまいます。
見失っても適当に待っていてくれるので、私はせっかく来たからと見物することにしました。
私にはやっぱり守護霊が…と思ったのは、ちょうど、ゾウとふれあう時間に通りがかったことです。それも、終了の数秒前という感じ。柵越しにゾウにさわれたんです!!
いったいどんな感触なのか、鼻や眉間のあたり、腕を伸ばして耳(人間で言うところの耳たぶ部分)にもそーっとさわらせてもらいました。「もう終わりです」と言われながら…。ごわごわしていて、古くなった柔らかい皮のカバンに毛が生えたような、という印象でした。

以前は亀とか爬虫類はわりと好きで、じっと見たりしていた息子ですが、このごろは関心が薄れた様子。
絶滅が危ぶまれるガラパゴスゾウガメやホシガメなど珍しい亀もたくさんいたのに、もったいないことでした。
息子の分までと見ていた私の印象に残ったのは、強化ガラス(?)越しに、たぶん数センチの距離で観察したガラガラ蛇。頭って、ほんとに三角形なんですね。先日書いたプラナリアみたいに、少しエラの張った三角形の頭をしていました。
道端で遭遇する蛇にはぎょっとして気持ち悪くなるのに、どうして動物園のとぐろを巻いている巨大な蛇には抵抗がないんだろう、なんて考えました。光沢があってきれいな皮です。ぬけがらは美しいかも。
蛇というと楳図かずおの恐怖漫画、ですけどね。

息子が動物園を目指したのは、売店のソフトクリーム目的のようでした。私はもう覚えてませんが、前に来たときに食べさせたのだと思います。
それから向かったのはモノレール乗り場。これには前に乗った記憶があります。
二分足らずの短い行程ですが、たしかに視点が変って面白くはありますね。べつに楽しそうな顔もしていないけど、モノレールが気に入ってたんだなあと思いました。
そのあと不忍池沿いを歩いて、ハスの花が咲いているのを珍しく見たりしました。
おみやげや、なにか食料を買おうとしても「イラナイイラナイ」が始まるので、お昼を食べそびれて帰ってきました。
本人もおなかがすいていたはずですが、思い通りのところに行けて満足したのか、空腹でも機嫌が悪くならず助かりました。
ながーい夏休みも今年が最後。私も少しは楽しみながら、息子の自己主張につきあっています。
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2007年07月22日

「悲しい」子

公務員として定年まで福祉畑で働いていた人と、ちょっと話す機会がありました。
その方(女性)が、「悲しいものを見ちゃったのよ」と話してくれたのは、こんな情景です。
ガイドヘルパーさんと思われる女性に付き添われて商店街を歩いていた、見たところ自閉症の小学6年生ぐらいの男の子。
いいお天気の暑い日中で、日差しは厳しかったそうです。その男の子は点々と続く木陰に入るたびに、ごろりと地面に寝ころがってしまう。
人通りもあるところだから、ヘルパーさんはあわてて腕を引っ張って立たせる。その子は次の木陰に駆け込むとまた寝ころがる…。
ごろんとやりたい子ども、立たせようと焦るヘルパーさん。見ようによっては笑える光景だけど、当人たちにとっては泣きたくなるような深刻な事態かもしれません。

「ねっころがると涼しいんでしょうね。でもほかの通行人の邪魔だし、立たせないわけにはいかないわよね」
自閉症の子は(みんなじゃないですが)汗腺の発達が人より遅れているため体温調節が上手くできず、部屋の隅っこで寝ころがって涼んだりするのだそうです。気温の低い場所をよく知っているとか。
ウチの息子も汗をかいて体温を下げるところができなかったので、夏にはよく板間で寝そべっていました。
背中にびっしょりと汗をかくようになったのは、小学部も後半じゃなかったかと思います。やっと汗をかけるようになったんだ、と嬉しく思ったものでした。
暑くなくても寝ころがるのは、結局、その皮膚感覚が心地いいのでしょうね。気持ちが落ち着くのだと思います。

もちろんこの人は、自閉症のそういう特性はよくご存知です。だから切ない二人の姿に「悲しく」なったわけですね。
たぶんその子は木陰がぬかるんでいても汚れていても、おかまいなしに寝ころがるのだと思います。
「それは困りますね、服だって汚れますしね」
「もっと小さな子ならいいかもしれないけど。本人も辛いでしょうね」
ウチの息子もところかまわずごろんと寝ころがるのは、幼児期によくありました。3歳から4歳にかけて北京に暮らしたころは、北京の街中でごろんとやりそうになる度にあわてて引っ張りあげたものでした。
北京はほとんど雨の降らない乾いた気候のところで、ほこりっぽく、道行く人はよく「かっ、ぺっ」と痰を吐いていて、信じられないくらい汚かったのです。(昔の話です。今はきれいになったと思います)

帰国して地下鉄に乗ったら、いったいどこへ行くのかと不安でたまらなかった(と思われる)息子が、通路の真ん中で大の字に寝そべりました。(さいわい電車はがらがらで、歩いている人はいませんでした。)
電車の床はきれいに磨かれていて、ゴミひとつ落ちていない。もちろん痰の乾いたのもこびりついていない光り輝く清潔な床に、涙がこぼれそうなくらい感動しました。
気が狂ったように息子を引っ張りあげなくても、気分が悪くなるような汚さとは無縁。とは言えほっとくわけにはいかないので、穏やかに声をかけて落ち着いて立たせ、背中をはたいてから座席にかけさせました。
「そんなとこに寝ちゃダメ! 汚い!」と金切り声で腕を引っ張られるのと比べたら、息子にとってもどんなによかったかと思います。
この環境で子育てが出来る、と深く安堵したものでした。

「それにしても、そんなにしつこく寝ころがるのは、よほど暑かったんじゃないでしょうか。体温が下がるように、水を飲ませたらよかったかもしれないですね」
と私が言うとうなずいて、「ヘルパーさんがそういうことをわかっているのかどうか」と首をかしげていました。
その子が汗をかけない子だったら、体温があがって涼みたかったのかもしれないと思います。それでも道端でごろんと寝ころがるのは、やめてほしいですよね。
大きくなってからは指導(矯正)も難しいから、「小さいときの教育って大事ですね〜」と話したことでした。
自閉症でも自分で説明できる子ならいいですが、会話が出来ない子ならあわてて制止する前に周囲が、「なぜそういう行動をとるか」、ちょっと考えてあげてほしいですね。全く脈絡のない突飛な、理解しがたい行動ももちろん多いのですが、うまく解決することもたまにはあるので。

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2007年07月10日

参観日

土曜日は息子の(養護)学校の家族参観日でした。
普段、子どもの学校生活を見るチャンスのない家族(主にお父さん)のために、学校で半日一緒に活動してもらおうという企画です。
お昼は子どもと同じ給食を食べますし(給食費530円前払いします)、毎年何か共同作業で作ることが多いです。今年はお香とお香を載せる皿を作りました(粘土細工の部分だけ)。
小学部のころはお父さんやきょうだい児の参加も多くて賑やかなこともありましたが、もう最高学年なので静かなものでした。

私は息子の入学前から別居していてその後別れたので、父親の参加はなく、ずっと私が出て来ました。
夫婦で参加している家庭が多い年には正直なところちょっぴり淋しい思いもしました。息子も何か奇妙な気分だったかもしれませんが、今回でこの行事も最後です。
家庭では見られない面を見せられて、「へえ〜、こんなことも出来るんだ」と感心したり、呆れたり恥ずかしい思いをしたりもしますが、普段学校任せにしている子どもの教育を見直すいい機会です。
ウチの息子の場合は、家ではほとんどしゃべらないのに、パターン化された場面で案外声を出したりしています。あら、しゃべれるようになったのねと(もと姑なら特に)錯覚しそうです。

それに数日先立って、いよいよ最後となる校内宿泊がありました。学校が今年から指導寮というものを運営していて、そこでの最初で最後の宿泊、銭湯も初体験したようです。
息子は私の母の葬儀のときそこでお泊りを経験していますが、ほかにも数人いる自閉症の子にとって、慣れない場所で寝るのは拷問だったかもしれません。でもそこはさすがにもう成人を迎える年齢、みんなよく寝て余裕で宿泊を楽しんだようです。
家族参観日に、宿泊の様子を撮影したビデオを見せてくれました。夕食はハヤシライス(副菜は何だったか忘れました)、フルーツヨーグルト。買物に行って調理をして、盛り付けて食べて、片付ける、すべてが学習計画に組み込まれています。
同世代の子どもたちは大学や専門学校に行ったり、社会人として働いている年齢。障害がなかったら、と複雑な思いでもするのか、ビデオを見ようとしないお父さんがいて気になりました。


久しぶりでどうもリズムに乗れず、今日はこれにて失礼します。

posted by dashi at 21:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月19日

現場実習(3回目)

月曜日から息子は3度目の現場実習に出ています。
小学部から通い慣れた養護学校も来春はいよいよ卒業。その後の進路先を決めるための現場実習が在学中に都合4回予定されていて、最後は秋にもう一度やります。
今回の実習先は、月に一度訓練会のリトミックで出入りしている建物だからか、初日(きのう)からすんなりなじんでくれて助かっています。ここに通うのだとわかるまでは不安そうにいらついていたので、また何か破ったりしないか不安でしたが、杞憂に終わりました。

朝が9:45からの始まり。自宅から車で10分ほどの近場なので、家を出るのが9:30ごろになります。学校に行くときより一時間以上も遅く、朝食後は時間を持て余し気味です。
きのうは落ち着かないのでジグソーパズルをやって待ってもらったところ、時間になって途中で家を出たら、残りは帰宅してからすぐ、自主的にやっていました。やりかけのまま置いておくのが嫌いな自閉症らしい姿でした。

ここは同じ建物に入っていた二つの作業所が統合されて一つになり、機能強化されたところです。といっても必ずしも予定通り機能しておらず(なにしろ職員がとても対応しきれないという現実があるようです)、私にも実際のところはよくわかりません。
一つは身体障害の人向けの作業所だったようで、車椅子姿の利用者も見かけます。もう一方は自閉症者が多いとかで、息子の学校の卒業生二人も利用しています。

お帰りの会が終わると、24時間テレビで寄贈を受けたらしいマイクロバスで送迎される利用者は、さっさと乗り込んで待っています。家が近いのか、歩いて一人で帰宅する利用者も見かけます。
学校と一番違うのは所属している障害者の年齢が高いところでしょうか。ついこの前までは幼稚園に行っていた小学生や、成長期の少年が走り回る学校には無秩序とも言える活気がありますが、成人ばかりの施設はあまり声も聞こえず、動きも鈍いような印象を受けます。

にぎやかなのは好きでない息子は、ここの静かな環境が気に入った様子。
実習日誌には、ありがたいことに「一日通して、笑顔も多く見られました」と書いてありました。
作業もすぐなじんでこなし、ほめてもらえるほど頑張ったようです。
初日はバスタオル(古いもの)を裁ちばさみで裁断するウエス切り。
ウエスというのは、(wasteから)機械類の汚れを拭き取るぼろきれ(広辞苑)のことです。
使い捨てなので扱いやすい大きさに細かく切ります。機械工場で需要があるらしいですが、幸いここは近くに工業団地を控えているので、販路に苦労しないのかもしれません。
(息子は左利きなので、左利き用のはさみも置いてあるのは面接で確認していました)

二日目のきょうは、前日とは別の作業室で金属部品の仕分けなどをやらせてもらったようです。こういう仕事はおそらく得意だと思いますが、案の定、「すぐベテランの域に達した」ということでした。
とは言ってもやはり気疲れするのか、帰宅するなり部屋にこもって暗くなっても灯りもつけず、パソコン(CDプレーヤーとして使用中)の光だけで夕食まで過ごしています。
夕食も、最近は断固8時過ぎないと「いらない、いらない」とわめいて受け付けません。きょうは9時過ぎになってやっと部屋から出てきました。一人になりたいようです。
残りの3日、出来たら少しは楽しんで、問題なく過ごしてくれたらと願っています。

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2007年04月28日

気まぐれ散歩

3連休を持て余すであろう息子を、きょうは私が散歩に連れ出しました。
電車に乗って、息子が走って行くのを追う形で地下鉄に乗り換え、どっち行きでもよかったのですが先に来た電車に乗って終点の湘南台へ。
息子は春休みの一日出かけたことのあるコースをなぞっている様子で、迷わず小田急のホームに進み、自動販売機のポカリスエットをコツコツ。
「ああ、前に来たときにここで買ったっけ。こういうのは良く覚えているなあ」と、自閉症らしい行動に納得。
こういうことにしか楽しみを見出せないのかと可哀想な気もします。
水分不足が発作の引き金になるのは怖いので、水分はこまめに補給したいと思っています。どこで覚えたのかコーラを欲しがりますがそれは拒否して、なるべくお茶かスポーツ飲料にさせています。

まだ就学前の年齢で療育施設に通っていたころ、電車で通っていた人が
「毎日駅の売店でジュースをせがまれる。それを振り切るのが大変」
とこぼしていました。するとそばにいた人たちが口々に、
「絶対買っちゃだめだよ」「一回買うとおしまい。それから必ず買わなきゃいけなくなるから」「ガンバッテ」
と励ましているのを、他人事として聞いていた私でした。
ウチの息子は長いこと甘い飲み物は飲まず(家で飲む習慣がなかったので、知らなかったのだと思います)、ジュースを欲しがることはなかったのです。なにしろほとんどの食品は受け付けない偏食でしたから、キャラメルなどの甘い嗜好品にも無関心でした(今から思うとウソみたいです)。
ハイチュウが大好物という子のお母さんには、とても羨ましがられたものです。その人の子はハイチュウを見かけると買ってほしがり、ダメと言われようものならとても悲しそうに泣く(劇団四季なみの「名演技」だそうです)ので、困っていました。
歯医者さんに連れて行くのが大変だから、出来ることなら虫歯になりそうなものは食べさせたくないんですよね。今はキシリトール関連商品が増えて、いい時代になりました。

これもだいぶ昔、息子が小学部だったころのことです。
自閉症ではありませんが息子の学校に通っていた子が、学校帰りに自動販売機で缶ジュースやコーヒーを数本(4,5本でしたか)買うのが習慣になって、と先輩お母さんが話していたことがありました。
その子は脳炎の後遺症で知的障害になった子で、お母さんが不憫に思う気持ちは私の比ではなかったと思います。自動販売機にコインを入れて商品を取り出す、という行為に楽しみを見出すとすれば、それを好きなだけさせてあげたいとお母さんが思ったとしても無理はありません。
でも、買いたがるだけで特別飲みたがるわけではないし、肥満が心配だから親としてはなるべく飲ませたくない。ほかの家族も甘いものはあまり飲まないとかで、家にゴロゴロ溜まる(邪魔)、ということでした。
このままでいいのかと迷って、そのお母さんはご主人に相談しました。その話を聞いたとき私は子を思う親の気持ちがとても胸に迫ってうるっとしたのを覚えています。ご主人はこうおっしゃったそうです。
「いいじゃないか。それくらいでウチは破産しやしないだろ?」

小田急の終点・湘南江の島に着いて、前回は江ノ島に行ったのですが、きょうはお天気があやしかったのでそちらには向かわず、海沿いに少し歩くことにしました。雨が降ってきたり疲れたりしたら途中から江ノ電(海岸線沿いに走っている)に乗ればいいと考えました。
きょうはどこかで突風のために怪我をした人がいたそうですが、七里ガ浜も風が強く、いつもより高くて白い波が打ち寄せているようでした。
きっといつもよりスリリングで、腕のいいサーファーにとっては面白い日だったのではないでしょうか。休日のわりに波乗りをする人が少なかったのは、風が強すぎて危険を感じた人は自粛したのかもしれないと思いました。
途中、稲村ガ崎の小さい岬(?)が公園のように整備されていることに気がつきました。歩いてここに来ることはもうないかもしれないから寄ることにして、ベンチで休憩しました。
途中で息子のトイレを借りたときに買ったコンビニのおにぎりを食べていると、近くで何か撮影している一団がいます。何を撮っているんだろうと目を上げてびっくり、正面に見えているのは富士山ではありませんか。左に江ノ島、奥に夕映えの富士山。ピンクに染まってとても美しい光景です。
前にも書いたことがありますが、富士山が稜線まではっきり見えるということはめったにありません。きょうは湘南台駅で雨が降ったようなお天気だから、見えるだけでも奇跡的です。
きれいな景色が、守護霊か神様からの贈り物(ごほうび)に思えました。

疲れ知らずの息子がどんどん行くのに早足でついて歩き、江ノ電も見えなくなったので(線路沿いには歩けない部分が多い)結局鎌倉駅まで歩き通しました。
休憩をはさんで3時間くらい歩いた計算になるでしょうか。あとで地図を見たら6キロ以上あるようです。
さすがにヘロヘロになって、駅では階段じゃなくてエスカレーターのお世話になりました。
しらすちりめんと、名物の湘南せんべい(初めて買いましたが、とても美味しいです)、息子用に鳩サブレ5枚入りを購入して、気まぐれ散歩は終わり。しっかり歩いた日は息子も満足するのか、いつもより機嫌がいいようです。夜もきっとよく寝てくれるでしょう。
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2007年04月22日

ダイエットと脳

学校も違うのであまり話したことのない自閉症児のお母さんと会う機会がありました。
その人の子は、この春養護学校を卒業。毎日一人で電車に乗って作業所に通っています。受注作業のほか週に3回はマンションや公的施設の清掃などもするそうです。
「いいなあ! ウチの子もそんな、世のため人のために役立つ仕事を出来たらいいんだけど」とため息が出ました。
自力で通所が出来て立派に仕事が出来る。障害も軽かったんだろうと思ったら、小さいときは多動でとても苦労したという話。
3秒以上目を離すなと言われる、と聞くけどそんな感じだったようです。
薬(安定剤?)を処方してもらったけど、効いている間はともかくとしても、効き初めと切れる頃にはとても機嫌が悪くなって大変。ちょうど寝る頃にそうなるので、こちらはおちおち寝ていられない。服薬してもどのみち大変なら、と薬に頼るのはあきらめたということでした。

この子は中学部から高等部に上がるころに(多動はおさまったのでしょう)とても太っていて、健康診断で危険値が出た。きつく減量を命じられたそうです。
(お母さんは細い人なので、普段の家庭の食事に問題があるわけではなかったと思います)
それから学校では毎日何キロもランニングをさせ、食事もお代わりは禁止ということで真剣に取り組みました。
夏休みはお母さんが付き添って、涼しくなる夕方に近くの海岸を何キロも(学校と同じくらいの距離を換算して)走らせたそうです。思わず「エライですね!」とお母さんの顔を見つめてしまいました。学校と家の連携がないとダイエットは難しいでしょう。
その結果、15キロの減量に成功したそうですからたいしたものです。自閉症の子ですから食べることにこだわりがあったかもしれないし、太ってたぐらいだから走るのも好きではなかったでしょう。それでも頑張ったのは、周囲の本気さが通じたのかもしれません。
この子と同じ学校に行っていて太ったままの子(母子とも肥満体)も知っていますが、親が望まないと学校もやってくれないそうです。そりゃそうでしょうね。結局は親の反省とやる気と言えそうです。

この子は水ぶくれといった感じの肥満だったようです。お母さんの言葉を借りると「運動で余分な水が出て、締った」そうですから、イメージとしてはぎゅっと絞ったスポンジか陽に干したクラゲ?
人間の身体の65〜70%は水分、脳にいたっては90%ともと言われます。水分(大半は血液)は全身の細胞へ酸素と栄養素を運ぶ重要なものですからなくすわけにはいきませんが、必要なだけあればあとは要らないものでしょう。
そしてそのお母さんの話の中で興味深かったこと。
「身体が痩せるとね、脳も痩せるんだって」。
水びたし(?)だった脳が絞れて、頭もすっきりしたそうです。よく指示が入るようになって、やりやすくなったとか。

脳は体重の2%にも満たないのに、20%のカロリーを消費するそうです。これだけエネルギーを使う脳には、そのエネルギーを貯めておく場所がないので、すべて血液中のエネルギー(糖分:血糖)を消費します。
いきおい血液中の糖分が不足したら思考力が落ちたり集中力がなくなるなど、脳の働きは悪くなります。
脳の働きが低下すると脳から糖分をあげるように指令が行き、血糖値をあげる作用があるアドレナリンという物質が出されます。このアドレナリンは多すぎると興奮して、イライラしたり落ち着かなくなります。
身体から余分な水分が抜けて血中の糖の濃度(血糖値)が安定すると、アドレナリンの過剰分泌が防げて気分が安定するということはありそうですね。たしかに、太ってきたら落ち着かなくなったという話は聞きます。

脳はよく「柔らかい豆腐」にたとえられますね。ダイエットして痩せた脳って、さしずめ「よく水切りした木綿豆腐」かしら。




posted by dashi at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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