自閉症者の問題行動にはいろいろありますが、周囲にはそれほど迷惑はかけないけど、傍から見て「やめてよ〜」と泣きたくなるのは自傷行動だと思います。
私が以前目撃してショックを受けたのは、壁に自分の頭を激しく叩きつける行為。とても痛そうなのに何度も何度も繰り返して、そばでお母さんがおろおろしていました。
自閉症児・者は痛みに鈍感という傾向はあるようです。ウチの息子も痛みで泣くことはめったになく、たまに泣いたら「よっぽど痛かったんだね」と周囲が顔を見合わせる感じでした(この20年でほんの数回、最後が何年前だったか、思い出せないです)。
痛みの刺激が程よいのか頭を打ちつけたり拳骨で叩いたりする人は、その後よく見聞きしました。手をしょっちゅう噛んでタコになっているのもたまに見ます。
我が家は、幼い頃の夜驚症というのか夜中にひとしきり泣きわめく行為、極端な偏食、服やカバン、履物などを破る行為には悩まされました。
成長とともにそれほど深刻なことはなくなって、ラクになったと思っていた矢先、びっくりするような事態が持ち上がりました。なんと、頭(前)頂部の髪を抜き「河童ハゲ」になりかけていたのです。三蔵法師のお供の沙悟浄、あれ…。
髪の毛を抜くという行為自体は自閉症児者にはよくある話で、息子の学校にもこれが原因で丸坊主にされるジヘイちゃんはたまにいました。
昨夜、入浴中の私のところに娘がやって来て、「○○の頭、ヤバイよ。明日床屋さんに連れて行ってよ」とガラス戸越しに訴えます。
「エッ、そんなに? …床屋さん開いてるかなあ」とうろたえた私。火曜日が定休日ですが、たまに月曜日と連休するのです。ホントは週末がいいけれど、いつも空いている平日の夕方に行くことにしています。
お風呂を出て見てみたら、それほどでもなくホッとしました。このごろは生活時間帯がずれてあまり顔を合わさないので、たまに見た娘は仰天したのでしょう。
数日前から少し地肌が見えて傷があるので、薬を塗ったりはしていました。
髪を短くした方がいいかな、でももうちょっと暖かくなってからの方が…と考えているうちに、ぎょっとする薄さになってしまいました。
ときどき髪の毛を抜いて口に入れることはありました。前歯の間(裏側)が黒ずんでいるのを発見して歯科に連れて行ったら、虫歯ではなく髪の毛でした、けっこう取れましたよと笑われたことも。
見かけたら注意するのでその場では止めていましたし、髪の毛は人の二倍はあるという話(父親譲りです)なので、あまり気にしないでいました。息子は私より背が高いので上から見下ろすことがあまりなく、正直なところ、注意して見てなかったというのもあります。
気がつくと頭頂部がすっかり薄くなって、爪のあとか、かさぶたのようなものがいくつも見えます。一人で部屋にこもる時間も長いので、手持ち無沙汰でつい髪を抜いていたのでしょう。
今まで自傷行為はあまりなかったので、こちらも甘く見ていたと反省しています。
行きつけの床屋さんが開いていたら、帰りに寄って来るつもりです。
ここまで書いたあとで息子を迎えに行き、床屋さんにも寄ってきました。
うんと短くしてもらったので、薄くなった部分も目立たなくなりました。とりあえず一件落着。
それにしても、散髪が終わり台を降りてきた息子を見て、「アンタ誰?」と笑ってしまった私。こんなに短くしたのは初めてで、息子も不思議そうに頭を撫でたりしていました。
これで髪をむしるのを止めて、きれいに生え揃えばいいのですが。爪が立たない長さではないので、まだ油断は出来ないかもしれません。
床屋さんで待っている間に、置いてあった週刊ポストを読んでいたら、「赤ちゃんポストに障害児が入れられていた!」という記事がありました。
共同通信が配信したのみで、ほかのメディアは触れなかった。ポストの記者が取材したら、赤ちゃんのプライバシーを守る観点から答えてはもらえなかったけど、否定はしなかったそうです。
障害児が置かれたことは以前にもあって、そのときは後日親が引き取りに来た。このニュースは私も聞きました。
思い詰めて殺すくらいなら、ここに置いて他人に託すのもいいでしょう。でも「こんな子ヤダ、育てたくない」という親のエゴを助長するおそれも十分考えられること。メディアが沈黙するのは賢明なのかもしれませんね。
生後20年たってもまだ床屋さんのお供。障害児の親は終わりのない特殊な任務を負うので、育てられない人がいても不思議ではないとあらためて思います。
2008年04月28日
2008年04月17日
息子の近況
養護学校を卒業した息子が、自宅から歩いて(かなりの早足)20分の立地にある通所施設に通い始めて、半月あまりが過ぎました。
中間点あたりのバス停前(人だかりがある)で足を止め、ちょっとペースを落とすものの大体一目散。通所を嫌がる様子はないので、心地よい居場所なのだろうと思っています。
ただ、14年も同じ学校に通い慣れていたので、本人としても切り替えが大変だったのでしょう。連日上履きを持ち帰ろうとしたり、それを止められて投げ飛ばしたり。作業中も上履きに手をやって注意されたり(止められなければ上履きをバリバリと破るのが大いに予想される展開)していたようです。
何かを破らないと気がすまなかったのか、家庭との連絡に使っていたファイルや連絡票も2回ビリビリに破られました。連絡票は家でコピーしてその後も使いましたが…。
現在は小型のファイルに交換し、本人には隠して持ち運びしています。私のバッグに入れると見つかるから服の下にはさんだりして、ヨレヨレの連絡票に苦笑している次第。
破られたら担当職員が対応をすぐ考えてくれ、「一枚うわて」のやり方を楽しみながら模索する余裕も感じられ、なかなか勉強になります。
ハンカチ一枚入れただけのリュックを背負って、他の人のように連絡帳が入っていないことに多少不思議そうな顔をしながらも、「そんなものかと思っている」ようす。
私の予想より適応に時間がかかったものの、ようやく落ち着いてきた(と思われる)ところです。
そこは自閉症者ばかり、定員50人のところに57人も集まっているそうです。自立支援法施行の余波で定員に幅を持たせられるようになり(と言うか、そうでもしないと経営的に立ち行かないらしい。今でもすごい赤字らしいし)、ウチの息子も滑り込めたという感じですね。
以前からいるお母さんたちがこの前、「57人もいるんだって」と眉をひそめていました。援助が手薄になるんじゃないかとご心配なのでしょう。
まあ、そこは自閉症のプロのお手並み拝見と大目に見て下さい、と言いたいところです。ウチの息子にも、なるべく手をとらないで迷惑かけないでやってほしい。
同時期に別々の養護学校から新卒が4人入りました。先日そのお母さん4人でお茶を飲んだら、同じような障害の子たちだから悩みも共有できて話がはずみ、すっかり話し疲れるほどでした。
来週には、この施設を運営している社会福祉法人(関連施設多数)の、保護者会総会。厳しい社会情勢や運営などの実情を聞いて、認識を新たにする…ことになるかなと思っています。
中間点あたりのバス停前(人だかりがある)で足を止め、ちょっとペースを落とすものの大体一目散。通所を嫌がる様子はないので、心地よい居場所なのだろうと思っています。
ただ、14年も同じ学校に通い慣れていたので、本人としても切り替えが大変だったのでしょう。連日上履きを持ち帰ろうとしたり、それを止められて投げ飛ばしたり。作業中も上履きに手をやって注意されたり(止められなければ上履きをバリバリと破るのが大いに予想される展開)していたようです。
何かを破らないと気がすまなかったのか、家庭との連絡に使っていたファイルや連絡票も2回ビリビリに破られました。連絡票は家でコピーしてその後も使いましたが…。
現在は小型のファイルに交換し、本人には隠して持ち運びしています。私のバッグに入れると見つかるから服の下にはさんだりして、ヨレヨレの連絡票に苦笑している次第。
破られたら担当職員が対応をすぐ考えてくれ、「一枚うわて」のやり方を楽しみながら模索する余裕も感じられ、なかなか勉強になります。
ハンカチ一枚入れただけのリュックを背負って、他の人のように連絡帳が入っていないことに多少不思議そうな顔をしながらも、「そんなものかと思っている」ようす。
私の予想より適応に時間がかかったものの、ようやく落ち着いてきた(と思われる)ところです。
そこは自閉症者ばかり、定員50人のところに57人も集まっているそうです。自立支援法施行の余波で定員に幅を持たせられるようになり(と言うか、そうでもしないと経営的に立ち行かないらしい。今でもすごい赤字らしいし)、ウチの息子も滑り込めたという感じですね。
以前からいるお母さんたちがこの前、「57人もいるんだって」と眉をひそめていました。援助が手薄になるんじゃないかとご心配なのでしょう。
まあ、そこは自閉症のプロのお手並み拝見と大目に見て下さい、と言いたいところです。ウチの息子にも、なるべく手をとらないで迷惑かけないでやってほしい。
同時期に別々の養護学校から新卒が4人入りました。先日そのお母さん4人でお茶を飲んだら、同じような障害の子たちだから悩みも共有できて話がはずみ、すっかり話し疲れるほどでした。
来週には、この施設を運営している社会福祉法人(関連施設多数)の、保護者会総会。厳しい社会情勢や運営などの実情を聞いて、認識を新たにする…ことになるかなと思っています。
2008年03月29日
ありがとうコンサート
昨日は、SELP・杜10周年記念・ありがとうコンサートというのに行って来ました。
SELP・杜(セルプもり、と読みます)というのは、横浜市栄区にある(以前の呼び方では)通所授産施設。ここが開所10周年を迎えたようです。
ここで職員をしている知り合いの方に、コンサートがあることを教えてもらいました。
最後の春休み、どうして過ごそう(息子を過ごさせる)かと頭の痛いところに、こういうイベントがあるのは本当にありがたいことでした。
SELPのS は、Support(支援)、 E はEmployment(就労)、 L は、Living(生活)、 P はParticipation(参加)を表し、その頭文字をとっているそうです。支援を必要とする人たちの就労・生活・社会参加を支援する施設です。
交通はわりと不便(バス便だけ)なところにありますが、施設見学の人たちがよく訪れ、障害者の親の間では理想的な進路先として人気のあるところです。
(ただ授産というところは就労の足がかりという位置づけなので、ウチの息子のような重度の子には無理です)
施設長の手腕も左右するのでしょうか(人望のある方のようです)、地域に溶け込んで関連施設も増やし、かなり成功しているところだと思います。
お年寄りのデイセンター(中野地域プラザ)と同じ建物(玄関を共有)であることや、施設にある多目的ホールや調理場を地域の人に開放していることなどから、人の出入りが盛ん。
そこにもってきて、そこで作る豆腐やうどん、パンは美味しく、喫茶室で食べることも出来、人気があるようです。
換金性の高い仕事をしていることもあって、万単位のお給料も出ていたようです。
こういうところで働けたらどんなに幸せかと思いますが、ここもご他聞にもれず自立支援法のせいで、かなり運営が苦しくなっているような話でした。
コンサートは入場は無料ながらちゃんとしたホールを借り、プロも招いて開かれていたので経費はかなりかかったと思いますが、地域交流のイベントということで、横浜市の補助金で賄えたということです。
アンサンブルブーケという女性ばかりのコーラスグループ(ピアノも)は、障害者も多数来ていることを前提としたプログラムで楽しめましたし、和太鼓集団・昇龍の演奏は迫力があってさすがにプロ。大きな音があまり好きではない息子もよく聞いていました。
それにしても和太鼓はそうとうの運動量だなあと思いました。この激しい運動でストレス発散すればスッキリしてよく眠れそうです。
会場で会った友人が、「ウチの子もゲームばっかりやってないで太鼓やればいいのに」とぼやいていました。
「芋掘りなどで交流がある」保育園児がヤーレンソーラン節とかいう曲で見事な出し物をしてくれ、可愛い〜と感激しました。
就学前の小さい子たちですが長い曲なのにちゃんと振り付けを覚え、激しい屈伸運動などもこなしていました。大きな子の方がテレがあるのか、なんとなく恥ずかしそうに見えました。
SELP・杜のクラブからフラダンスとダンスの発表もあり、楽しそうに踊る利用者の姿も心に残りました。でも笑顔だったりひょうきんだったりするのはダウンちゃんばかり、ジヘイと思われる人たちは表情が豊かではありません。
息子の先輩も一人その中にいて、元気そうだなとなつかしく手を振ったことでした。
SELP・杜(セルプもり、と読みます)というのは、横浜市栄区にある(以前の呼び方では)通所授産施設。ここが開所10周年を迎えたようです。
ここで職員をしている知り合いの方に、コンサートがあることを教えてもらいました。
最後の春休み、どうして過ごそう(息子を過ごさせる)かと頭の痛いところに、こういうイベントがあるのは本当にありがたいことでした。
SELPのS は、Support(支援)、 E はEmployment(就労)、 L は、Living(生活)、 P はParticipation(参加)を表し、その頭文字をとっているそうです。支援を必要とする人たちの就労・生活・社会参加を支援する施設です。
交通はわりと不便(バス便だけ)なところにありますが、施設見学の人たちがよく訪れ、障害者の親の間では理想的な進路先として人気のあるところです。
(ただ授産というところは就労の足がかりという位置づけなので、ウチの息子のような重度の子には無理です)
施設長の手腕も左右するのでしょうか(人望のある方のようです)、地域に溶け込んで関連施設も増やし、かなり成功しているところだと思います。
お年寄りのデイセンター(中野地域プラザ)と同じ建物(玄関を共有)であることや、施設にある多目的ホールや調理場を地域の人に開放していることなどから、人の出入りが盛ん。
そこにもってきて、そこで作る豆腐やうどん、パンは美味しく、喫茶室で食べることも出来、人気があるようです。
換金性の高い仕事をしていることもあって、万単位のお給料も出ていたようです。
こういうところで働けたらどんなに幸せかと思いますが、ここもご他聞にもれず自立支援法のせいで、かなり運営が苦しくなっているような話でした。
コンサートは入場は無料ながらちゃんとしたホールを借り、プロも招いて開かれていたので経費はかなりかかったと思いますが、地域交流のイベントということで、横浜市の補助金で賄えたということです。
アンサンブルブーケという女性ばかりのコーラスグループ(ピアノも)は、障害者も多数来ていることを前提としたプログラムで楽しめましたし、和太鼓集団・昇龍の演奏は迫力があってさすがにプロ。大きな音があまり好きではない息子もよく聞いていました。
それにしても和太鼓はそうとうの運動量だなあと思いました。この激しい運動でストレス発散すればスッキリしてよく眠れそうです。
会場で会った友人が、「ウチの子もゲームばっかりやってないで太鼓やればいいのに」とぼやいていました。
「芋掘りなどで交流がある」保育園児がヤーレンソーラン節とかいう曲で見事な出し物をしてくれ、可愛い〜と感激しました。
就学前の小さい子たちですが長い曲なのにちゃんと振り付けを覚え、激しい屈伸運動などもこなしていました。大きな子の方がテレがあるのか、なんとなく恥ずかしそうに見えました。
SELP・杜のクラブからフラダンスとダンスの発表もあり、楽しそうに踊る利用者の姿も心に残りました。でも笑顔だったりひょうきんだったりするのはダウンちゃんばかり、ジヘイと思われる人たちは表情が豊かではありません。
息子の先輩も一人その中にいて、元気そうだなとなつかしく手を振ったことでした。
2008年03月20日
受容
昨日は息子の卒業式でした。
小学部から高等部本科・専攻科と14年間を過ごした養護学校ですから、ここを去るのはかなり大きな節目。学校が大好きでほとんど休まずに通った息子にとっては、安住の地を失うということです。
最重度の知的障害(自閉症)の息子は、いろんな人から再三「卒業おめでとう」と声をかけられ、午後の謝恩会で心のこもった出し物やエールをおくられても、その意味するところは理解できなかったと思います。それでも朝からずっと窮屈なネクタイ姿で最後まで落ち着いていた姿には、成長を感じられました。
卒業式の終盤でのこと。
在校生の終了式も兼ねた式なのでけっこう長引き、子どもたちの中には声を上げたり立ち歩く子も増えて、会場はだいぶざわついて来ていました。
おとなしいダウン症の子はともかく、そもそも進行していることの意味を理解できない知的障害児は、長くじっと席についていること自体が苦手です。自閉症の場合はことに行事・イベントが苦手な子も少なくありません。
(ウチの息子も小学部のころはよく奇声を上げ、後ろの保護者席にいる私にも聞こえて苦笑したものでした)
いつもなら保護者席と子どもの席は離れているのですが、卒業生の母親は証書授与がよく見える前の方に設けられた席に座ります。子どもが受け取った証書や記念品(アルバム)を式が終わるまで預かったりもします。
私の近くの席にいた女の子が、ニコニコ笑いながらしきりに悲鳴のような声を出していました。(たぶん)今年度中学部に入った子で、私は見かけたことがあるだけで名前も知りません。
式の終わり近くになって、卒業生の代表が(答辞に当たる)「感謝の言葉」を読み上げ始めました。担当したのは息子のクラスの、はっきりした口跡で話すことのできる子です。
お世話になった皆さんに感謝を述べるものですし、私としてはその女の子の奇声に邪魔されずに、ちゃんとその全文を聞きたいと思いました。
ちょっと迷いましたが、その子のそばに行って、「聞こえないから静かにしてくれない?」と小さく声をかけてみました。
他の問題行動に比べ、奇声を止めさせるのはかなり難しいといわれます。隣に座った担任の先生も再三注意していましたが、聞いてくれないでいるようでした。
私としてもダメモトでしたが、その女の子は初めての私にびっくりしたのか、ぴたっと声を出すのを止めてくれました。
また笑顔で出しそうになるのを「もうちょっと、もうちょっと我慢」「もう少しね」となだめ、途中で「ちゃんと我慢できてエライね」と褒めたりしながら、「感謝の言葉」が終わるまで粘りました。
終わった時には私も心からその子に感謝して「よしっ、頑張ったね」と肩を軽く叩いて席に戻りました。
親や先生ではない第三者に言われたらよく聞く、ということは確かにあります。
こういうやり方が通用しない子もいますし、かえってパニクるなど逆効果になる子もいるのはわかっています。
息子のクラスの子(自閉症)に、「そんなことやめなさいよ」と気軽に注意したらたちまち逆上して、周囲に八つ当たりし、私をさんざん口汚く罵ってきたのであっけにとられたこともあります。(あとで涙ぐみながら謝ってきました)
でも、世界がその子を中心に回っているのではない以上、周囲との折り合いは出来るだけつける努力はするべきだと思うのです。
「この子はいくら言ってもわからないから、どうしようもない」という状況は私も(イヤと言うほど)経験があります。でも、「だから周囲の方がこの子に合わせてくれて当然だ」というのは開き直りというものでしょう。
前回書いた「そっ啄同時」のような、こちらの働きかけがすっと受け入れられるタイミングを探す努力は惜しむべきではないと思います。
タイミングといっても必ずしも時間的なことだけではなく、場面、相手など、膠着状態で困っている現状打破につながる要素には、様子を見ながら試みる価値があると思っています。
偏食の激しい自閉症の子に、その子が食べられるもの「だけ」を用意していたのでは、いつまでたっても偏食は直らないでしょう。いつかふっと食べ始める時のために、ダメモトで勧めてみる、そういうことも大事だと思います。
先ごろ、定年退職するまでずっと公的な機関で障害児福祉の仕事をしていた方とお話をする機会がありました。その方の言葉で強く印象に残ったのは、
「昔は何でも受容、だから大変だったけど、今はそうじゃないから。今育っている子たちは大丈夫よ」
というものでした。
そう言われて思いだしたことがあります。
私が九州の実家に身を寄せて、息子と母子通園していたときのことです。運動療法というものだったでしょうか、子どもたちに同伴して平均台やすべり台を順番に通過するプログラムがありました(それ以外は母子分離でした)。
足元のおぼつかない子が前にいたとき、ウチの息子は身体的には問題がないので邪魔に感じたのでしょう、押しのけようとしました。相手の子は大きくぐらつき、危ないでしょっ、と横にいた私は息子を叱りつけました。
すると、指導をしていた先生が叱ってはいけないと私を止めたのです。私としては大いに不満でしたが、子どもの行為はすべてその子なりの「かかわりの方法」とみなして「受容」しなければならないようでした。その頃はそういう指導が主流だったのでしょう。
その後こちらに戻って通い始めた療育センターでも、子どもを叱るようなことは一切ありませんでした。でもこちらでは一段進んでいて、「そもそも叱りたくなるような危険な場面を作らない」マニュアルが徹底していたような気がします。
障害児がすべて純粋な天使であるなら、受容するだけでいいのでしょうけどね。
卒業式の女の子に対する私の行動について、隣にいた担任の先生はあとでお礼を言ってくれました。
でも「dashiさん、大丈夫です、大丈夫ですから」と声をかけて、私をさえぎろうとした先生がいたのも事実。とても穏やかな優しい先生なので、本人は何でも受容したいのでしょう。
でも、奇声のためにせっかくの「感謝の言葉」が全然聞こえない状況を私たちに「受容」しろと? 自分の子どもを含む卒業生の総意を表す「感謝の言葉」の内容を知り、皆さんにもちゃんと聞いてほしいと思うのは当然だと思いますし、その女の子の親としても奇声を上げてほしくはないはず。
そこで我慢したことがあとで形になって(自傷とか)現われ困るとしても、それはその後の長い人生を思えば、経験を重ねてなるべく克服していくべきではないでしょうか。
その子にとって大きな声を上げるのが気持ちのいいことだとしても、周囲にそれを受容しろと言うのは無理があります。ここならいいという場所で思い切り出すのはかまわないが、それ以外では我慢するということを覚えるのは、その子にとって最優先の学習課題かもしれません。
実はウチの息子も、バスの中などで声を出したり急にくすくす笑い出して困ることがあります。「降りようか」「降りないなら静かにして」と声をかけることで(時には腕をつかんで立ち上がって…もう動かせないですが)、なんとか周囲に大きな迷惑をかけない程度にやり過ごしています。
小学部から高等部本科・専攻科と14年間を過ごした養護学校ですから、ここを去るのはかなり大きな節目。学校が大好きでほとんど休まずに通った息子にとっては、安住の地を失うということです。
最重度の知的障害(自閉症)の息子は、いろんな人から再三「卒業おめでとう」と声をかけられ、午後の謝恩会で心のこもった出し物やエールをおくられても、その意味するところは理解できなかったと思います。それでも朝からずっと窮屈なネクタイ姿で最後まで落ち着いていた姿には、成長を感じられました。
卒業式の終盤でのこと。
在校生の終了式も兼ねた式なのでけっこう長引き、子どもたちの中には声を上げたり立ち歩く子も増えて、会場はだいぶざわついて来ていました。
おとなしいダウン症の子はともかく、そもそも進行していることの意味を理解できない知的障害児は、長くじっと席についていること自体が苦手です。自閉症の場合はことに行事・イベントが苦手な子も少なくありません。
(ウチの息子も小学部のころはよく奇声を上げ、後ろの保護者席にいる私にも聞こえて苦笑したものでした)
いつもなら保護者席と子どもの席は離れているのですが、卒業生の母親は証書授与がよく見える前の方に設けられた席に座ります。子どもが受け取った証書や記念品(アルバム)を式が終わるまで預かったりもします。
私の近くの席にいた女の子が、ニコニコ笑いながらしきりに悲鳴のような声を出していました。(たぶん)今年度中学部に入った子で、私は見かけたことがあるだけで名前も知りません。
式の終わり近くになって、卒業生の代表が(答辞に当たる)「感謝の言葉」を読み上げ始めました。担当したのは息子のクラスの、はっきりした口跡で話すことのできる子です。
お世話になった皆さんに感謝を述べるものですし、私としてはその女の子の奇声に邪魔されずに、ちゃんとその全文を聞きたいと思いました。
ちょっと迷いましたが、その子のそばに行って、「聞こえないから静かにしてくれない?」と小さく声をかけてみました。
他の問題行動に比べ、奇声を止めさせるのはかなり難しいといわれます。隣に座った担任の先生も再三注意していましたが、聞いてくれないでいるようでした。
私としてもダメモトでしたが、その女の子は初めての私にびっくりしたのか、ぴたっと声を出すのを止めてくれました。
また笑顔で出しそうになるのを「もうちょっと、もうちょっと我慢」「もう少しね」となだめ、途中で「ちゃんと我慢できてエライね」と褒めたりしながら、「感謝の言葉」が終わるまで粘りました。
終わった時には私も心からその子に感謝して「よしっ、頑張ったね」と肩を軽く叩いて席に戻りました。
親や先生ではない第三者に言われたらよく聞く、ということは確かにあります。
こういうやり方が通用しない子もいますし、かえってパニクるなど逆効果になる子もいるのはわかっています。
息子のクラスの子(自閉症)に、「そんなことやめなさいよ」と気軽に注意したらたちまち逆上して、周囲に八つ当たりし、私をさんざん口汚く罵ってきたのであっけにとられたこともあります。(あとで涙ぐみながら謝ってきました)
でも、世界がその子を中心に回っているのではない以上、周囲との折り合いは出来るだけつける努力はするべきだと思うのです。
「この子はいくら言ってもわからないから、どうしようもない」という状況は私も(イヤと言うほど)経験があります。でも、「だから周囲の方がこの子に合わせてくれて当然だ」というのは開き直りというものでしょう。
前回書いた「そっ啄同時」のような、こちらの働きかけがすっと受け入れられるタイミングを探す努力は惜しむべきではないと思います。
タイミングといっても必ずしも時間的なことだけではなく、場面、相手など、膠着状態で困っている現状打破につながる要素には、様子を見ながら試みる価値があると思っています。
偏食の激しい自閉症の子に、その子が食べられるもの「だけ」を用意していたのでは、いつまでたっても偏食は直らないでしょう。いつかふっと食べ始める時のために、ダメモトで勧めてみる、そういうことも大事だと思います。
先ごろ、定年退職するまでずっと公的な機関で障害児福祉の仕事をしていた方とお話をする機会がありました。その方の言葉で強く印象に残ったのは、
「昔は何でも受容、だから大変だったけど、今はそうじゃないから。今育っている子たちは大丈夫よ」
というものでした。
そう言われて思いだしたことがあります。
私が九州の実家に身を寄せて、息子と母子通園していたときのことです。運動療法というものだったでしょうか、子どもたちに同伴して平均台やすべり台を順番に通過するプログラムがありました(それ以外は母子分離でした)。
足元のおぼつかない子が前にいたとき、ウチの息子は身体的には問題がないので邪魔に感じたのでしょう、押しのけようとしました。相手の子は大きくぐらつき、危ないでしょっ、と横にいた私は息子を叱りつけました。
すると、指導をしていた先生が叱ってはいけないと私を止めたのです。私としては大いに不満でしたが、子どもの行為はすべてその子なりの「かかわりの方法」とみなして「受容」しなければならないようでした。その頃はそういう指導が主流だったのでしょう。
その後こちらに戻って通い始めた療育センターでも、子どもを叱るようなことは一切ありませんでした。でもこちらでは一段進んでいて、「そもそも叱りたくなるような危険な場面を作らない」マニュアルが徹底していたような気がします。
障害児がすべて純粋な天使であるなら、受容するだけでいいのでしょうけどね。
卒業式の女の子に対する私の行動について、隣にいた担任の先生はあとでお礼を言ってくれました。
でも「dashiさん、大丈夫です、大丈夫ですから」と声をかけて、私をさえぎろうとした先生がいたのも事実。とても穏やかな優しい先生なので、本人は何でも受容したいのでしょう。
でも、奇声のためにせっかくの「感謝の言葉」が全然聞こえない状況を私たちに「受容」しろと? 自分の子どもを含む卒業生の総意を表す「感謝の言葉」の内容を知り、皆さんにもちゃんと聞いてほしいと思うのは当然だと思いますし、その女の子の親としても奇声を上げてほしくはないはず。
そこで我慢したことがあとで形になって(自傷とか)現われ困るとしても、それはその後の長い人生を思えば、経験を重ねてなるべく克服していくべきではないでしょうか。
その子にとって大きな声を上げるのが気持ちのいいことだとしても、周囲にそれを受容しろと言うのは無理があります。ここならいいという場所で思い切り出すのはかまわないが、それ以外では我慢するということを覚えるのは、その子にとって最優先の学習課題かもしれません。
実はウチの息子も、バスの中などで声を出したり急にくすくす笑い出して困ることがあります。「降りようか」「降りないなら静かにして」と声をかけることで(時には腕をつかんで立ち上がって…もう動かせないですが)、なんとか周囲に大きな迷惑をかけない程度にやり過ごしています。
2008年03月15日
そっ啄同時
きょうは天皇家のお姫様が幼稚園を卒業したそうですが、世間はまさにそういう季節ですね。
ウチの息子が月に一度通っている訓練会でも、卒業生を送るお別れ会がありました。
訓練会は幼児・学齢期を対象とした組織なので、高等部卒業までで会員を卒業することになっています。
息子は2年前(高等部卒業時)に卒業を祝ってもらい、記念品もいただきました。現在はOBの立場でリトミックの日だけ参加しています。
今年は卒業生が3人でした。みんな息子とは別の学校なので息子より2歳下ですが、春からは共に社会人です。
卒業するのは子どもたちばかりではなくて、ボランティアで参加してくれていた学生さんも一緒です。大学のボランティアサークルから代々来てくれていますが、今年は4年生が4人卒業でした。
障害児の相手をしてくれるのだからみなさん優しくて忍耐強い、元気な学生さんたち。
障害児の中には知的に軽い人懐っこい子もいますが、どちらかというと一緒に参加しているきょうだい児の遊び(話し)相手として貴重な存在です。
きょうだい児のフォローというのは(親には手が回らないけれど)とても大切なこと、この会で救われてきたきょうだい児も多かっただろうと私としては思っています。
ボランティアの学生さんたちが、卒業する子どもたちに色紙を贈ってくれました。
訓練会はOBだけど学校を今年卒業するウチの息子の分もあり、笑顔で手渡されました。
トトロのイラストを囲んで寄せ書きが配置された、とても可愛い色紙です。
いつもはこういうものにあまり関心を示さない息子ですが、今回は違いました。色紙にこめられた温かい愛情が伝わり、自分に贈られたものとわかったよう。無表情ながらじっと眺めたり、大事そうに持ったりしています。
家に帰ってからは自分の部屋に持ち込んで「観賞」しているようです。
例えば「寒いから、それでは風邪を引くから」と服を着せようとする。
爪を切っている時尖った部分が出来て「これでは引っかいて怪我をするから」ヤスリをかけようとする。
塩分の摂りすぎになるから、ドレッシングや塩コショウを控えさせようともします。
こちらは息子によかれと思ってするのですがわかってくれず、激しく拒否される度に裏切られたような気分になる。
これは喜ぶだろうと奮発して買ったもの(天空の城ラピュタのDVDとか)も、一度見たらあとは頑として受け付けない。がっかり。
心が通い合うというのは期待する方が間違っている、と今はもう諦めが先に立つことが多いです。だからきょうの反応はとても嬉しく思いました。
息子も人の愛情が受け止められるほどに成長したのかもしれません。
親がいくら一生懸命になったところで、時期がこないと子どもは反応を示さない(反発はする)。受け入れる準備が整ったところに働きかけがあって初めて、すんなりと意思が通う。
ちょうど、こういう状態を形容するぴったりの言葉を聞きました。そつ(口篇に卒)啄同時(そったくどうじ)、というのです。
もともとは禅宗の用語で、師家(しけ)と弟子のはたらきが合致すること、と広辞苑にあります。
今まさに悟りを得ようとしている弟子と、 それを導く師家の教えが絶妙に呼応することを指す言葉のようです。絶妙に呼応する、というのはめったにあることではないでしょうね。
一般に使われるのは、それから発展した「逃したらまたと得がたいよい時機」の方でしょう。
口+卒(そつ)は、孵化直前の雛が卵の中から殻をコツコツつつくことで、啄(たく)は親鳥がそれに応えて外側から殻を突き破ること。(啄木はキツツキのことですから、啄の方はわかりやすいですね)
雛がつついているのに気づかないでいると雛は死んでしまう。親が破るのが早すぎても雛は死んでしまう。内側と外側から同時に呼応して突き破って、初めて雛が誕生する。そういうことを表す言葉だそうです。
(親がつつかなくても出てこれる雛もいるんじゃないかと思いますが…。孵卵器で生まれるヒヨコは殻が柔らかいのかもしれませんね)
タイミングを見計らう能力が、(特に障害児の)親や教育者に最も求められる資質かもしれません。
ウチの息子が月に一度通っている訓練会でも、卒業生を送るお別れ会がありました。
訓練会は幼児・学齢期を対象とした組織なので、高等部卒業までで会員を卒業することになっています。
息子は2年前(高等部卒業時)に卒業を祝ってもらい、記念品もいただきました。現在はOBの立場でリトミックの日だけ参加しています。
今年は卒業生が3人でした。みんな息子とは別の学校なので息子より2歳下ですが、春からは共に社会人です。
卒業するのは子どもたちばかりではなくて、ボランティアで参加してくれていた学生さんも一緒です。大学のボランティアサークルから代々来てくれていますが、今年は4年生が4人卒業でした。
障害児の相手をしてくれるのだからみなさん優しくて忍耐強い、元気な学生さんたち。
障害児の中には知的に軽い人懐っこい子もいますが、どちらかというと一緒に参加しているきょうだい児の遊び(話し)相手として貴重な存在です。
きょうだい児のフォローというのは(親には手が回らないけれど)とても大切なこと、この会で救われてきたきょうだい児も多かっただろうと私としては思っています。
ボランティアの学生さんたちが、卒業する子どもたちに色紙を贈ってくれました。
訓練会はOBだけど学校を今年卒業するウチの息子の分もあり、笑顔で手渡されました。
トトロのイラストを囲んで寄せ書きが配置された、とても可愛い色紙です。
いつもはこういうものにあまり関心を示さない息子ですが、今回は違いました。色紙にこめられた温かい愛情が伝わり、自分に贈られたものとわかったよう。無表情ながらじっと眺めたり、大事そうに持ったりしています。
家に帰ってからは自分の部屋に持ち込んで「観賞」しているようです。
例えば「寒いから、それでは風邪を引くから」と服を着せようとする。
爪を切っている時尖った部分が出来て「これでは引っかいて怪我をするから」ヤスリをかけようとする。
塩分の摂りすぎになるから、ドレッシングや塩コショウを控えさせようともします。
こちらは息子によかれと思ってするのですがわかってくれず、激しく拒否される度に裏切られたような気分になる。
これは喜ぶだろうと奮発して買ったもの(天空の城ラピュタのDVDとか)も、一度見たらあとは頑として受け付けない。がっかり。
心が通い合うというのは期待する方が間違っている、と今はもう諦めが先に立つことが多いです。だからきょうの反応はとても嬉しく思いました。
息子も人の愛情が受け止められるほどに成長したのかもしれません。
親がいくら一生懸命になったところで、時期がこないと子どもは反応を示さない(反発はする)。受け入れる準備が整ったところに働きかけがあって初めて、すんなりと意思が通う。
ちょうど、こういう状態を形容するぴったりの言葉を聞きました。そつ(口篇に卒)啄同時(そったくどうじ)、というのです。
もともとは禅宗の用語で、師家(しけ)と弟子のはたらきが合致すること、と広辞苑にあります。
今まさに悟りを得ようとしている弟子と、 それを導く師家の教えが絶妙に呼応することを指す言葉のようです。絶妙に呼応する、というのはめったにあることではないでしょうね。
一般に使われるのは、それから発展した「逃したらまたと得がたいよい時機」の方でしょう。
口+卒(そつ)は、孵化直前の雛が卵の中から殻をコツコツつつくことで、啄(たく)は親鳥がそれに応えて外側から殻を突き破ること。(啄木はキツツキのことですから、啄の方はわかりやすいですね)
雛がつついているのに気づかないでいると雛は死んでしまう。親が破るのが早すぎても雛は死んでしまう。内側と外側から同時に呼応して突き破って、初めて雛が誕生する。そういうことを表す言葉だそうです。
(親がつつかなくても出てこれる雛もいるんじゃないかと思いますが…。孵卵器で生まれるヒヨコは殻が柔らかいのかもしれませんね)
タイミングを見計らう能力が、(特に障害児の)親や教育者に最も求められる資質かもしれません。
2008年02月27日
採血
一昨日、以前受けた健康診断でクリアできなかった血液検査のための採血に行ってきました。
学校が終わる頃に迎えに行って、初めて乗るみなとみらい線を利用。地下4階にホームがあり、ずいぶん深くまで掘ったんだなあと驚きました。この線は料金も高めですが、工事費を考えるとやむを得ないのかもしれません。
息子は、地下路線で外が見えないのがつまらなそうでしたが、いくらも乗らずに到着。
駅から少し歩いたところの療育センターに到着したのが3時10分過ぎ、3時20分の予約でした。
こういうところは(需要に供給が追いつかないため)何ヶ月も前から予約が詰まっているのが普通、私の場合は無理を言って割り込ませてもらったものです。だから待たされるのは当然なのですが、そういう事情はわからない息子は待つのに飽きて、何度も上着を着てはカバンをしょい、立ち上がる。しきりに帰ろうとするのをなだめなだめ待ちました。
到着してすぐは本棚に直行してひとしきり絵本を見ていました。
初めての場所で何が始まるのか不安もあったに違いありませんが、無心に(?)本を物色する姿には、私の都合でよく図書館に連れて行かれる(じきに飽きますが)経験の積み重ねの効果があるかもしれないと思ったりしました。
他の人がそばに来たからか、それとも早々と飽きたのか、いったん本棚を離れてからはいくら促してももう関心を示しませんでした。
あとはベンチでボーとするか、何度も立ち上がるか、トイレに行く(一回)か、のみ。
小一時間待ってやっと順番(当然最後)が来ましたが、初めての場所で長く待たされた挙句に拷問(!)では、正直、かわいそうだったと思います。でも、おそらく本人にとっても最も幸せな選択と思える通所施設に入るためには、これをしないわけにはいかない。
そこは障害児・者の扱いには慣れたもので、まずは採血をしている絵カードを見せて説得にかかりました。
息子もカードを一瞥はしましたし、あれこれ説得されて、腕まくりするところまではいきました(私はこれだけでも大いに感動しました)。でもそのあとはやっぱりダメ。
予想通り、息子は全力で抵抗しました。なにしろジーンズを素手で破る怪力の持ち主ですから、簡単には制御できません。
どこにいたのか看護師さんが集結し、おそらくこういうときに動員されるらしい男性職員が何人も上の階から呼ばれ、加勢してくれました。総勢7、8人だったでしょうか。
椅子に座っては無理(蹴飛ばす、立ち上がる)ということで、みんなで床に押さえつけました。
絨毯の床ですがサッと枕が置かれて、その素早さは達人の域という印象でした。
私は採血しない方の腕を馬乗りで押さえつけ、片手であごのあたりを押さえて「これが終わらないと帰らないよ、我慢して」などと再三言い聞かせました(ま、ムダですが)。
蛇の道は蛇と言いますか、押さえつけて物理的に動けなくしさえすればさすがはプロ、わりとあっけなく採血終了。血はほとんど出なかった上に内出血もなく、その手際のよさは感動モノでした。
あまり痛くもなかったのでしょう、終わった後は息子もけろっとして気にする様子もなく、怒りもしませんでした。
何をされるかわからない恐怖から暴れたけど、たいしたことなかった、といったところでしょうか。次回からは(毎年一回はするようです)平気でさせるかもしれません。
子どもの時とは違うな、と思ったのは、泣かないことでした。小さいときなら顔を真っ赤にして泣きわめいて、私が「もうやめて下さい」と泣き出すような思いを、あるいはしたかもしれません。
あとどんなことがあるか…と考えても、にわかに思いつかない。もうこんな大変な思いをするようなことは、二度とないような気がします。(削るような虫歯は作らないように気をつけよう…)
もう成人式も終わったオトナの息子へ。卒業式もしっかりね!
学校が終わる頃に迎えに行って、初めて乗るみなとみらい線を利用。地下4階にホームがあり、ずいぶん深くまで掘ったんだなあと驚きました。この線は料金も高めですが、工事費を考えるとやむを得ないのかもしれません。
息子は、地下路線で外が見えないのがつまらなそうでしたが、いくらも乗らずに到着。
駅から少し歩いたところの療育センターに到着したのが3時10分過ぎ、3時20分の予約でした。
こういうところは(需要に供給が追いつかないため)何ヶ月も前から予約が詰まっているのが普通、私の場合は無理を言って割り込ませてもらったものです。だから待たされるのは当然なのですが、そういう事情はわからない息子は待つのに飽きて、何度も上着を着てはカバンをしょい、立ち上がる。しきりに帰ろうとするのをなだめなだめ待ちました。
到着してすぐは本棚に直行してひとしきり絵本を見ていました。
初めての場所で何が始まるのか不安もあったに違いありませんが、無心に(?)本を物色する姿には、私の都合でよく図書館に連れて行かれる(じきに飽きますが)経験の積み重ねの効果があるかもしれないと思ったりしました。
他の人がそばに来たからか、それとも早々と飽きたのか、いったん本棚を離れてからはいくら促してももう関心を示しませんでした。
あとはベンチでボーとするか、何度も立ち上がるか、トイレに行く(一回)か、のみ。
小一時間待ってやっと順番(当然最後)が来ましたが、初めての場所で長く待たされた挙句に拷問(!)では、正直、かわいそうだったと思います。でも、おそらく本人にとっても最も幸せな選択と思える通所施設に入るためには、これをしないわけにはいかない。
そこは障害児・者の扱いには慣れたもので、まずは採血をしている絵カードを見せて説得にかかりました。
息子もカードを一瞥はしましたし、あれこれ説得されて、腕まくりするところまではいきました(私はこれだけでも大いに感動しました)。でもそのあとはやっぱりダメ。
予想通り、息子は全力で抵抗しました。なにしろジーンズを素手で破る怪力の持ち主ですから、簡単には制御できません。
どこにいたのか看護師さんが集結し、おそらくこういうときに動員されるらしい男性職員が何人も上の階から呼ばれ、加勢してくれました。総勢7、8人だったでしょうか。
椅子に座っては無理(蹴飛ばす、立ち上がる)ということで、みんなで床に押さえつけました。
絨毯の床ですがサッと枕が置かれて、その素早さは達人の域という印象でした。
私は採血しない方の腕を馬乗りで押さえつけ、片手であごのあたりを押さえて「これが終わらないと帰らないよ、我慢して」などと再三言い聞かせました(ま、ムダですが)。
蛇の道は蛇と言いますか、押さえつけて物理的に動けなくしさえすればさすがはプロ、わりとあっけなく採血終了。血はほとんど出なかった上に内出血もなく、その手際のよさは感動モノでした。
あまり痛くもなかったのでしょう、終わった後は息子もけろっとして気にする様子もなく、怒りもしませんでした。
何をされるかわからない恐怖から暴れたけど、たいしたことなかった、といったところでしょうか。次回からは(毎年一回はするようです)平気でさせるかもしれません。
子どもの時とは違うな、と思ったのは、泣かないことでした。小さいときなら顔を真っ赤にして泣きわめいて、私が「もうやめて下さい」と泣き出すような思いを、あるいはしたかもしれません。
あとどんなことがあるか…と考えても、にわかに思いつかない。もうこんな大変な思いをするようなことは、二度とないような気がします。(削るような虫歯は作らないように気をつけよう…)
もう成人式も終わったオトナの息子へ。卒業式もしっかりね!
2008年02月23日
息子の成人
かつて熱心に活動していた自閉症団体の機関誌に、息子の成人に際して寄稿を頼まれました。私も編集担当をしていた時は、該当者に寄稿依頼書を書き、原稿が届くと大喜びしたものです。
きょう掲載誌も届いたことだし、目新しい内容もあるので、そこに書いた文章を手直ししたものを載せたいと思います。
1月20日、横浜ラポールで開かれた成人の集いに出席してきました。
障害者とその保護者が、周囲に何の遠慮も気兼ねもなく、誇らしげに成人を祝うことの出来るこの会、とてもありがたく思いました。
その前の週には横浜アリーナで横浜市主催の成人式がありました。
もし息子が障害のない子でそちらに出ていたら、上の娘たちと同様、友だちと行くか行くのを拒否するかで、いずれにせよ親が同伴することもなかったでしょう。今の時代、わが子の成人式に同席してともに祝えるのは、障害者の親ぐらいかもしれないと思いました。
また、政情不安定や衛生状態が悪くて成人まで育つことが難しい国だったら、成人を祝うのも大きい意味を持つことでしょう。成人式が人生の一里塚として大きな意味をあまり持たない(ように見える)日本は、平和で豊かな国である証明かなとも思います。
障害者の場合、養護学校の高等部などを卒業して作業所その他に通うのは18歳からが一般的ですが、ウチの息子は学校に高等部専攻科(2年)があるため卒業はこの3月。成人式用に買ったスーツは、またすぐ卒業式で出番となります。
知り合いのお母さんがスーツを着たわが子のことを「馬子にも衣装」と笑っていましたが、ウチの息子もまさにそんな感じ。ネクタイやトレンチコートがサマになっていて、電車に乗っていても一人前の若者に見えるだろうと思いました。
式のとき私の隣は車椅子の女の子でした。
重い脳障害のある子のようで、車椅子に身体を投げ出すようにして座っていました。麻痺のある細い手がときどき私の目の横に伸びてきました。
絞り染めの和服を着て、頭はきれいに結ってあります(かつらだったかもしれません)。顔もお化粧してあって(ちらっと見ただけですが)赤い口紅が印象的でした。
親御さんにとっては娘が元気にこの日を迎えられたことが奇跡のような、そんな20年だったのではないかとそのご苦労を思いました。
我が家の場合、親の離婚で子どもたち、とりわけ父親の愛情を「全く」知らないで育った息子には、申し訳ないことをしたとずっと思っています。
離婚前、子どもたちを連れて8ヶ月ほど身を寄せていた私の実家のある田舎では、ヨソモノは目立つので、娘たちが学校でひどいいじめに遭いました。次女はいじめられても適当に受け流すたくましさがあったようですが、長女の方は深刻でした。
私は息子と一緒に出て昼間は留守なので、学校に行かないわけにはいかない。
学校が辛いばかりの場である上にくつろげない居候生活、親は不和、弟は障害児というこの試練に耐えられるのか、自殺するんじゃないかと私は本気で心配して、その後もかなり過保護で育ててしまったと思います。
息子は障害があるとわかって障害児の通園施設に通い始めましたが、なにしろ田舎のことですから遠いのには閉口しましたし、職員との関係にも不満が残りました。あとになってみると、あの時ああしておけばよかった、と反省することばかりです。
横浜に戻って療育センターの通園部(年長組)に入れたときは、その明るい雰囲気に驚き、手馴れた対応ぶりに「この子の居場所があった!」と涙がこぼれるほど安堵しました。
その後は運よく父親も望んだ養護学校に入学できて、今日に至っています。
息子の問題行動はひどい偏食、破衣行為などいろいろとありましたが(今でもたまにはやりますが)、「日にち薬」でもうすべて笑い話です。
ところで、今回の成人の集いに出かける朝、とても嬉しいことがありました。
前の日、娘が「まじめにお付き合いしている人がいる」と言うので、弟のことは話したのかと訊ね、早い段階で話しておくように言いました。娘はその夜、メールで「自閉症の弟がいる」と告げたようです。
そして朝、「自閉症のことはあまり知らないけど、これから勉強する」「レインマンは見た」「近く弟さんにも会いたい」と返事が来た、と教えてくれました。
障害児の親にとって、これほどに嬉しい反応はないと思います。娘の選択眼の確かさにも感激しました。
その前の日には、もう一人の娘の彼氏が遊びに来てくれました。
息子は促されてコンニチハとお辞儀をするなり部屋に引っ込んでしまいましたが、息子に向けた彼氏の顔は温かく笑っていてとても自然。
そして相模原市上鶴間で起こった、50代の母親が20代の息子二人(下が知的障害者)を殺害した事件を持ち出して、「ウチの近くなんですよ」とさらりと、少し残念そうに話していました。
息子の障害のことを、他人事と思わないで受け止めてくれているんだなあと、娘の味方になってくれそうだなと、これにも感激しました。
今後どうなるかは神のみぞ知るですが、そのうち息子にやさしいお兄さん(たち)が出来るかもしれないと、楽しみにしています。
成人した息子へ。春からは元気に職場に通って、しっかり働こうね!
2008年02月09日
ひとり親
何年か前にご主人を亡くした友人と久しぶりに会いました。
一昨年に体験談を聞いたときには話しながら涙ぐんでいましたが、やはり日にち薬、だいぶ明るくなった印象です。
まだ働き盛りの40代と若かったので多少不調でも病院に行くのは後回しになっていたのでしょう、診察を受けたときにはすでに末期の癌で、闘病3ヶ月で亡くなったそうです。
彼女にもウチの息子と同じ知的障害を伴う自閉症の息子がいます。あとは受験を控えた高校生のお兄ちゃんだけで、身内は遠い地方に住んでいて手助けしてはもらえなかったようでした。
いよいよ危ないというころに自閉症の息子を入所施設に預かってもらったのだけど、そこでの対応がよくなかったのか、ひどく荒れた。精神病院に入院させると言われたのでタクシーで迎えに行ったりと、とても大変だったようです。
危篤のご主人が苦しい息の下から「俺のことはいいから息子のところに行ってやれ」と言ってくれたとか。
ご主人にはずいぶん心残りもあったと思いますが、せめてもの救いは社宅から新しい家に引っ越したばかりだったという点でしょうか。
社宅なら出なければなりませんが、ローンの支払いがなくなった家が残る(ローンを組むとき生命保険に加入させられます)わけで、少なくとも住むところの心配はない。遺族年金で生活も出来るようです。
今回、「ご主人が亡くなったあとって、鬱にならなかった?」と聞いたら、「息子のことで大変だったからもう夢中で、鬱になっているヒマはなかったわね」と笑っていました。
お兄ちゃんもお母さん思いの優しい子で、大変な時期をよく支えてくれたようです。
自閉症の子どもが小さいときって、中にはウチの息子のようにおとなしい子もいますが、信じられないくらいのエネルギーで周囲を振り回してくれます。
普通の子みたいに長い時間寝ません。何日も寝なくても平気な子もいます。
目を離すとどこに行くかわからない。車の間をぬって国道を渡ったりもします。
親はヘトヘトになって肝を冷やし寿命の縮む思いをするわけですが、うまくしたもので親がくたびれて更年期に悩まされるころには落ちついておとなしくなる子が大半のようです。
大変な時期に鬱になると、無理心中を図ったりしやすくなるのだと思います。
この友人の子はその後養護学校を卒業して、少し遠くの通所施設に入りました。情緒不安定なところがあって友人はずいぶん心配したらしいですが、今は落ち着いて通っているようです。
彼女は息子を朝夕送迎して、昼間は家事や趣味で穏やかに過ごしている様子。小さい織機を買って趣味の織物を始めたとかで、細い糸で織ったマフラーを見せてくれました。
それがとても品のいい見事な出来栄えで、私が率直にほめると彼女は照れくさそうににっこり。無心に集中して作品を織りあげる楽しみが、どれほど彼女の救いになっているかと思いました。
彼女も私も、おそらくは障害のある息子と二人だけで、自分の老後を迎えることになると思います。
(息子はいずれケアホームか入所施設のお世話になるとしても…)
万が一脳梗塞や心臓発作で倒れたとしても、救急車を呼んだり近所に助けを求めたりしてくれる可能性ゼロ。少なくとも生活習慣病とは無縁な状態で年取らないとマズそうです。
もっとも、今は救急車を呼んでも受け入れを拒否されたりして、搬送してくれるとは限らないみたいですけどね。
一昨年に体験談を聞いたときには話しながら涙ぐんでいましたが、やはり日にち薬、だいぶ明るくなった印象です。
まだ働き盛りの40代と若かったので多少不調でも病院に行くのは後回しになっていたのでしょう、診察を受けたときにはすでに末期の癌で、闘病3ヶ月で亡くなったそうです。
彼女にもウチの息子と同じ知的障害を伴う自閉症の息子がいます。あとは受験を控えた高校生のお兄ちゃんだけで、身内は遠い地方に住んでいて手助けしてはもらえなかったようでした。
いよいよ危ないというころに自閉症の息子を入所施設に預かってもらったのだけど、そこでの対応がよくなかったのか、ひどく荒れた。精神病院に入院させると言われたのでタクシーで迎えに行ったりと、とても大変だったようです。
危篤のご主人が苦しい息の下から「俺のことはいいから息子のところに行ってやれ」と言ってくれたとか。
ご主人にはずいぶん心残りもあったと思いますが、せめてもの救いは社宅から新しい家に引っ越したばかりだったという点でしょうか。
社宅なら出なければなりませんが、ローンの支払いがなくなった家が残る(ローンを組むとき生命保険に加入させられます)わけで、少なくとも住むところの心配はない。遺族年金で生活も出来るようです。
今回、「ご主人が亡くなったあとって、鬱にならなかった?」と聞いたら、「息子のことで大変だったからもう夢中で、鬱になっているヒマはなかったわね」と笑っていました。
お兄ちゃんもお母さん思いの優しい子で、大変な時期をよく支えてくれたようです。
自閉症の子どもが小さいときって、中にはウチの息子のようにおとなしい子もいますが、信じられないくらいのエネルギーで周囲を振り回してくれます。
普通の子みたいに長い時間寝ません。何日も寝なくても平気な子もいます。
目を離すとどこに行くかわからない。車の間をぬって国道を渡ったりもします。
親はヘトヘトになって肝を冷やし寿命の縮む思いをするわけですが、うまくしたもので親がくたびれて更年期に悩まされるころには落ちついておとなしくなる子が大半のようです。
大変な時期に鬱になると、無理心中を図ったりしやすくなるのだと思います。
この友人の子はその後養護学校を卒業して、少し遠くの通所施設に入りました。情緒不安定なところがあって友人はずいぶん心配したらしいですが、今は落ち着いて通っているようです。
彼女は息子を朝夕送迎して、昼間は家事や趣味で穏やかに過ごしている様子。小さい織機を買って趣味の織物を始めたとかで、細い糸で織ったマフラーを見せてくれました。
それがとても品のいい見事な出来栄えで、私が率直にほめると彼女は照れくさそうににっこり。無心に集中して作品を織りあげる楽しみが、どれほど彼女の救いになっているかと思いました。
彼女も私も、おそらくは障害のある息子と二人だけで、自分の老後を迎えることになると思います。
(息子はいずれケアホームか入所施設のお世話になるとしても…)
万が一脳梗塞や心臓発作で倒れたとしても、救急車を呼んだり近所に助けを求めたりしてくれる可能性ゼロ。少なくとも生活習慣病とは無縁な状態で年取らないとマズそうです。
もっとも、今は救急車を呼んでも受け入れを拒否されたりして、搬送してくれるとは限らないみたいですけどね。
2008年02月03日
雪
朝、のどが渇いて目を覚まし、水を飲みに台所へ行ってびっくり。
出窓の外が妙に明るいのだけど、晴れた日とは違う白っぽい明るさで、雪だとすぐ気づきました。さすがに寒い。
予報で雪が降ると言われながら今まで降らずじまいだったので、この冬は雪を見ないで終わるのかと思っていました。たまには雪もいいけれど、積もるとたちまち外出に困ります。きょうは日曜日でホントによかった。
一日家に閉じこもって息子は退屈だっただろうけど、仕方ありません。
息子の部屋の雪見障子を開けて(日中もわざわざ閉めて薄暗くしています)、「ほら、雪だよ。ずいぶん積もってるねーー。きょうは外には行けないね」と説得(?)し、しばらく一緒に雪を眺めました。
雪と言えば、私は
「♪ゆ、きでした あなたのあとを なんとなく ついてゆき たかった」
「振、り向いた 貴方の瞳は 早くお帰り ぼうや って言ってた」
という「猫」(というグループがあったのですよ)の歌が口をついて出ます。
テレビも持ってなかった貧乏学生の頃、ラジオでよく流れていたような記憶があります。
きょう検索で初めて知りましたが、これは吉田拓郎の歌だそうです。「猫」は拓郎のバックバンドだったということなので、その縁なのでしょう。
参考までに、歌詞とコードはこちらに載っています。
http://music.j-total.net/data/038yo/001_yoshida_takuro/032.html
千葉県市原市でも、こちらとあまり変わらないくらい雪が降ったんじゃないかと思いますが、自閉症の娘を殺した母親が自首した、という事件があったそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080203-00000052-mai-soci
中1の三女殺害容疑で母を逮捕 千葉
2月3日19時5分配信 毎日新聞
3日午前6時35分ごろ、千葉県市原市辰巳台東の県警市原署辰巳台交番に、東京都大田区仲六郷2、無職、池田由起子容疑者(48)が「近くの実家で娘の首を絞めて殺した」と自首してきた。署員が同市大厩(おおまや)の住宅を調べたところ、布団の上であおむけで死亡している三女耀(よう)さん(13)=同区立東調布中1年=を発見し、池田容疑者を殺人容疑で緊急逮捕した。
調べでは、池田容疑者は3日午前2時ごろ、空き家だった実家の和室で、就寝中の耀さんの首を和服の腰ひもで絞め殺害した疑い。耀さんは自閉症だったといい、池田容疑者は「介護に疲れた。娘を殺して、自分も死ぬつもりだった」などと供述している。
池田容疑者は夫(52)や耀さんら4人暮らしで、2日午後4時ごろ、母娘で実家を訪れたという。台所のテーブルの上には「皆さんごめんなさい 由起子」などと書かれたメモがあった。【山本太一】
自閉症と雪は相性が悪いのかどうか、ウチの息子も今朝の起き抜けはいつになく落ち着きがなくて、余計なことばかりしてくれ、私はイライラさせられっぱなし。
「もうアンタみたいな子いらん! 出てって!」と怒鳴っていたら、「きのうじゃなくてよかった」とつぶやきながら娘が起きてきました。(きのうは娘の友人が遊びに来ていたようですが、私と息子は外出していて会ってはいません)
自閉症の子がいなければ怒鳴ることもない、家庭は平和というわけでもないでしょうが、すべて投げ出して逃げ出したくなることは私にも今までに何回かありました。
特に思春期で不安定な時期には、わけもなく暴れたり私に殴りかかったりもしました。
殺された女の子は中一ということですから、一番難しい時期だったかもしれません。
女の子の自閉症のお母さんに聞いたところでは、生理中(とその前)はとてもイラついて大変だそうです。
何年かたって慣れればいいのかもしれませんが、初潮からしばらくは人前でナプキンを取って投げるなど過激なこともされ、死にたくなる思いをするお母さんもいるようです。この母親も、何かそういうことがあったのかもしれません。
何も殺すことはない、自分で育てるのが無理なら児童相談所や福祉事務所に泣きついて施設に預かってもらえばいい、と無責任に言うのは簡単ですが、そうできない事情があったのでしょうか。
相模原では、引きこもりの兄と障害者の弟(20代)の二人を殺した母親もいました。思い詰めて警察などに相談に行ったけれど、なかなか親身になって考えてはもらえなかったようですね。
ふんわりとかかった厚めの白いベール。事件事故も、毒ギョウザも、「35過ぎると羊水が腐る」発言(倖田來未 )も、すっぽり覆われたような観があります。
「太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪降り積む
次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪降り積む」(三好達治)
今夜は、ウチの息子もよく眠らせてほしい。
出窓の外が妙に明るいのだけど、晴れた日とは違う白っぽい明るさで、雪だとすぐ気づきました。さすがに寒い。
予報で雪が降ると言われながら今まで降らずじまいだったので、この冬は雪を見ないで終わるのかと思っていました。たまには雪もいいけれど、積もるとたちまち外出に困ります。きょうは日曜日でホントによかった。
一日家に閉じこもって息子は退屈だっただろうけど、仕方ありません。
息子の部屋の雪見障子を開けて(日中もわざわざ閉めて薄暗くしています)、「ほら、雪だよ。ずいぶん積もってるねーー。きょうは外には行けないね」と説得(?)し、しばらく一緒に雪を眺めました。
雪と言えば、私は
「♪ゆ、きでした あなたのあとを なんとなく ついてゆき たかった」
「振、り向いた 貴方の瞳は 早くお帰り ぼうや って言ってた」
という「猫」(というグループがあったのですよ)の歌が口をついて出ます。
テレビも持ってなかった貧乏学生の頃、ラジオでよく流れていたような記憶があります。
きょう検索で初めて知りましたが、これは吉田拓郎の歌だそうです。「猫」は拓郎のバックバンドだったということなので、その縁なのでしょう。
参考までに、歌詞とコードはこちらに載っています。
http://music.j-total.net/data/038yo/001_yoshida_takuro/032.html
千葉県市原市でも、こちらとあまり変わらないくらい雪が降ったんじゃないかと思いますが、自閉症の娘を殺した母親が自首した、という事件があったそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080203-00000052-mai-soci
中1の三女殺害容疑で母を逮捕 千葉
2月3日19時5分配信 毎日新聞
3日午前6時35分ごろ、千葉県市原市辰巳台東の県警市原署辰巳台交番に、東京都大田区仲六郷2、無職、池田由起子容疑者(48)が「近くの実家で娘の首を絞めて殺した」と自首してきた。署員が同市大厩(おおまや)の住宅を調べたところ、布団の上であおむけで死亡している三女耀(よう)さん(13)=同区立東調布中1年=を発見し、池田容疑者を殺人容疑で緊急逮捕した。
調べでは、池田容疑者は3日午前2時ごろ、空き家だった実家の和室で、就寝中の耀さんの首を和服の腰ひもで絞め殺害した疑い。耀さんは自閉症だったといい、池田容疑者は「介護に疲れた。娘を殺して、自分も死ぬつもりだった」などと供述している。
池田容疑者は夫(52)や耀さんら4人暮らしで、2日午後4時ごろ、母娘で実家を訪れたという。台所のテーブルの上には「皆さんごめんなさい 由起子」などと書かれたメモがあった。【山本太一】
自閉症と雪は相性が悪いのかどうか、ウチの息子も今朝の起き抜けはいつになく落ち着きがなくて、余計なことばかりしてくれ、私はイライラさせられっぱなし。
「もうアンタみたいな子いらん! 出てって!」と怒鳴っていたら、「きのうじゃなくてよかった」とつぶやきながら娘が起きてきました。(きのうは娘の友人が遊びに来ていたようですが、私と息子は外出していて会ってはいません)
自閉症の子がいなければ怒鳴ることもない、家庭は平和というわけでもないでしょうが、すべて投げ出して逃げ出したくなることは私にも今までに何回かありました。
特に思春期で不安定な時期には、わけもなく暴れたり私に殴りかかったりもしました。
殺された女の子は中一ということですから、一番難しい時期だったかもしれません。
女の子の自閉症のお母さんに聞いたところでは、生理中(とその前)はとてもイラついて大変だそうです。
何年かたって慣れればいいのかもしれませんが、初潮からしばらくは人前でナプキンを取って投げるなど過激なこともされ、死にたくなる思いをするお母さんもいるようです。この母親も、何かそういうことがあったのかもしれません。
何も殺すことはない、自分で育てるのが無理なら児童相談所や福祉事務所に泣きついて施設に預かってもらえばいい、と無責任に言うのは簡単ですが、そうできない事情があったのでしょうか。
相模原では、引きこもりの兄と障害者の弟(20代)の二人を殺した母親もいました。思い詰めて警察などに相談に行ったけれど、なかなか親身になって考えてはもらえなかったようですね。
ふんわりとかかった厚めの白いベール。事件事故も、毒ギョウザも、「35過ぎると羊水が腐る」発言(倖田來未 )も、すっぽり覆われたような観があります。
「太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪降り積む
次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪降り積む」(三好達治)
今夜は、ウチの息子もよく眠らせてほしい。
2008年02月01日
健康診断
自閉症の息子が内定した施設に通う日のために、調査用の書類をどっさり書きました。
自閉症の人に特化した施設なので、個人対応の準備のために詳しい資料が必要となるようです。こんな丁寧な仕事をしていては儲からないだろう(コムスン&グッドウィルとはえらい違い)と老婆心ながら思いますが、親としては実にありがたいことです。
息子をスクールバスに乗せた後、図書館にこもって集中して書き上げ、気がつくと2時間もたっていました。
療育手帳の判定のときなど、幼いときからの生育歴を書かされることはよくあります。
いつも同じことを書かされるので、「こんなのデータベース作って保存しておけばいいじゃん!」と思ったりします。
でも今回は、「これこれこういうことで今現在困っていることはありますか」など、これまでに聞かれたことのない、踏み込んだというか家族の側に立った質問も多くて、心強く思いました。
自閉症者には特有のクセみたいなものがありますが、そういうのをよく承知して対処法を考えてくれるところは全国的にもあまりないでしょう。ここに内定をもらえた幸運に感謝して、しっかりやっていきたいと思います。
提出しなければならない書類の中に、健康診断書があります。
さあ困った、初体験の採血をして血液検査を受けなければなりません。
区役所の福祉保健課で教えてもらった病院や近場の総合病院に電話して、こういう子で暴れるかもしれないがやってもらえるか、と確認したら案の定、健康診断「だけ」というのはお断りしています、との返事。
とびひで皮膚科にかかったぐらいで、ほとんど病院とは無縁に大きくなった息子ですが、かかりつけの病院がないとこういうときに困ります。
息子の通っている養護学校の、校医さんの病院ならどうだろう、と思いつきました。学校でちょっとした怪我をして診てもらったことのある病院です。
診察券もあるしと電話して、ダメモトで学校から回って、行ってみました。
初めてのことは苦手ですが、血圧は「これはゼッタイやらなくちゃいけないの!」と迫力勝ち?で測ることができました。
尿は、年に一度採っている(学校に提出)ので抵抗なく採らせてくれました。
あと身長・体重は笑ってしまうくらいカチンカチンになって計測させてくれました。
レントゲンも学校で昨年度撮ったとかで初めてではなかったのと、先生も扱いに慣れた様子で(校医さんですからね)、すんなり撮れました。
余談ですが、レントゲン写真に映った息子の心臓は「少し大きいね」ということでした。
(「ついでにお聞きしたいんですが、これは心臓ですか?」と訊ねて教えてもらいました)
この子の父親は「心臓が馬並みに大きい」と言われたそうだ(だから遺伝?)、という話をしたら、先生は首をひねって「心臓は大きいのはあまりよくないんだよね」。意外でした…。
元気な人は心臓が小さいそうです。朝青龍のなんてちっこくて性能抜群なんでしょうね。
息子のはやや大きめ程度で「正常」だそうです。
採血だけはどうしてもダメ。
先生も無理だろうと判断されて、提出先と相談するように言われました。結局血液検査抜きの診断書(血液検査がないからすぐ結果がわかる)を書いてもらい、8千円あまり支払って帰りました。
何も異常なし。当然…と思うのは不遜かもしれませんね。
そのあと施設長さんの計らいで、血液検査だけを後日、こういう子専門の病院で受けられることになりました。日時が指定されるのを待つことになります。予約でいっぱいのところに無理を言うので、この日に来いと言われたら、何を差し置いても行かなければなりません。
あとひとふんばり。
自閉症の人に特化した施設なので、個人対応の準備のために詳しい資料が必要となるようです。こんな丁寧な仕事をしていては儲からないだろう(コムスン&グッドウィルとはえらい違い)と老婆心ながら思いますが、親としては実にありがたいことです。
息子をスクールバスに乗せた後、図書館にこもって集中して書き上げ、気がつくと2時間もたっていました。
療育手帳の判定のときなど、幼いときからの生育歴を書かされることはよくあります。
いつも同じことを書かされるので、「こんなのデータベース作って保存しておけばいいじゃん!」と思ったりします。
でも今回は、「これこれこういうことで今現在困っていることはありますか」など、これまでに聞かれたことのない、踏み込んだというか家族の側に立った質問も多くて、心強く思いました。
自閉症者には特有のクセみたいなものがありますが、そういうのをよく承知して対処法を考えてくれるところは全国的にもあまりないでしょう。ここに内定をもらえた幸運に感謝して、しっかりやっていきたいと思います。
提出しなければならない書類の中に、健康診断書があります。
さあ困った、初体験の採血をして血液検査を受けなければなりません。
区役所の福祉保健課で教えてもらった病院や近場の総合病院に電話して、こういう子で暴れるかもしれないがやってもらえるか、と確認したら案の定、健康診断「だけ」というのはお断りしています、との返事。
とびひで皮膚科にかかったぐらいで、ほとんど病院とは無縁に大きくなった息子ですが、かかりつけの病院がないとこういうときに困ります。
息子の通っている養護学校の、校医さんの病院ならどうだろう、と思いつきました。学校でちょっとした怪我をして診てもらったことのある病院です。
診察券もあるしと電話して、ダメモトで学校から回って、行ってみました。
初めてのことは苦手ですが、血圧は「これはゼッタイやらなくちゃいけないの!」と迫力勝ち?で測ることができました。
尿は、年に一度採っている(学校に提出)ので抵抗なく採らせてくれました。
あと身長・体重は笑ってしまうくらいカチンカチンになって計測させてくれました。
レントゲンも学校で昨年度撮ったとかで初めてではなかったのと、先生も扱いに慣れた様子で(校医さんですからね)、すんなり撮れました。
余談ですが、レントゲン写真に映った息子の心臓は「少し大きいね」ということでした。
(「ついでにお聞きしたいんですが、これは心臓ですか?」と訊ねて教えてもらいました)
この子の父親は「心臓が馬並みに大きい」と言われたそうだ(だから遺伝?)、という話をしたら、先生は首をひねって「心臓は大きいのはあまりよくないんだよね」。意外でした…。
元気な人は心臓が小さいそうです。朝青龍のなんてちっこくて性能抜群なんでしょうね。
息子のはやや大きめ程度で「正常」だそうです。
採血だけはどうしてもダメ。
先生も無理だろうと判断されて、提出先と相談するように言われました。結局血液検査抜きの診断書(血液検査がないからすぐ結果がわかる)を書いてもらい、8千円あまり支払って帰りました。
何も異常なし。当然…と思うのは不遜かもしれませんね。
そのあと施設長さんの計らいで、血液検査だけを後日、こういう子専門の病院で受けられることになりました。日時が指定されるのを待つことになります。予約でいっぱいのところに無理を言うので、この日に来いと言われたら、何を差し置いても行かなければなりません。
あとひとふんばり。
2007年12月15日
きょうだい児
きょうは息子の通う養護学校のクリスマス会でした。
キリスト教系の学校ですから、これは入学・卒業式に次ぐ重要な学校行事だと思います。
もう14年目なので私も感動が薄れていますが、入学した最初の年などはおごそかな雰囲気に圧倒され、厳粛な気分に浸ったものでした。
式のあとは子どもたち全員が参加する生誕劇(ページェント)で、高等部の生徒たちは劇の幕間に聖歌を歌ったりちょっとした演奏をする聖歌隊です。
在校している子どもたち全員を見る機会というのも年に何度もありません。年の離れた子などは久しぶりで見違えたりします。
成長期には一年で20センチ伸びる子もいますから、あらー大きくなったねとびっくりします。思春期ににきびが出るのも年齢相応。
顔は全然変わらなくても身体は大きくなっていたり、成長に伴って親と似てきたりして、なかなか面白いものがあります。
自閉症の女の子が一人、人が大勢集まっていて興奮したのか、ニコニコ笑いながらずっと両足跳びを続けていました。
あれは激しい運動ですから、普通は1分も跳んでいられないと思います。
自閉症の子が疲れを知らないのは、やっぱり脳がうまく機能していないんだなあとあらためて思ったことでした。
午後、ボランティアサークルがミニコンサートを開いてくれました。
ノリノリで終了したあと退出の順番を待っていたら、前の方に、中学一年生のダウンちゃんが妹と一緒にいる後姿が目に入りました。
妹はまだ小学校低学年ぐらい、家族全員で来ていたようです。
その子が、隣に座っているお兄ちゃんに甘えるように寄りかかり、頭を傾げてもたせかけました。お兄ちゃんの方は戸惑ったように妹の方を見て、黙ってまた正面を向きました。
お兄ちゃんが好きなんだなあとほほえましい光景です。
ただ、障害のある兄に屈託なく甘えてくれるのも、もうあと何年もないだろうなとちょっと切ない思いで二人を見た私でした。
そこのお宅は両親とも医師をされていて、お母さんの実家に同居。
きょうだいは他に上に二人、4人の子どもがいます。両親だけでなく大人が多い環境は子育てには助かることでしょう。
大人たちや上の兄姉の愛情を十分に受けて、のびのびと育った妹も、思春期にはダウンちゃんの兄の存在を重く感じて悩むときが来るのかもしれません。
同じ悩みを共有する兄姉がいることは、彼女にとっては大いに救いになるだろうとは思います。
でも、どんなに家族愛が豊かでも、いくら周囲がサポートして頭ではよくわかっていても、全く避けて通れはしない道ではないかと思います。
おとといの勉強会で、自閉症の子の、思春期のきょうだいとのかかわりを質問している人がいました。
講師の話で私の印象に残ったことは…。
障害児のきょうだいのことを「きょうだい児」と呼んでいますが、きょうだい児の中には
「きょうだい児って言わないで。きょうだいって目で見られるのがイヤだ。きょうだいじゃなくて、私はワタシ」
と訴える子がいるそうです。
この気持ちは、親はしっかりと受け止めてあげなければならないでしょう。
きょうだい児はいじめの対象になりやすい上に、障害児の分まで期待されたり、お手伝いを期待されたりと、思えば辛い子ども時代になりがちですね。
小さいときにはよく面倒を見てくれたような「いい子」だったきょうだい児であればあるほど、無意識のうちに押さえつけていたものがたくさんありそうです。
たまにはうんとわがままを言わせて、ガス抜きをしてあげたほうがいいかもしれません。
夕食のおかずを、きょうだい児の希望を聞いてそれを優先するといった、小さいことでもいい。「あなたのことを大切に思っている」ということを伝えてあげたいですね。
キリスト教系の学校ですから、これは入学・卒業式に次ぐ重要な学校行事だと思います。
もう14年目なので私も感動が薄れていますが、入学した最初の年などはおごそかな雰囲気に圧倒され、厳粛な気分に浸ったものでした。
式のあとは子どもたち全員が参加する生誕劇(ページェント)で、高等部の生徒たちは劇の幕間に聖歌を歌ったりちょっとした演奏をする聖歌隊です。
在校している子どもたち全員を見る機会というのも年に何度もありません。年の離れた子などは久しぶりで見違えたりします。
成長期には一年で20センチ伸びる子もいますから、あらー大きくなったねとびっくりします。思春期ににきびが出るのも年齢相応。
顔は全然変わらなくても身体は大きくなっていたり、成長に伴って親と似てきたりして、なかなか面白いものがあります。
自閉症の女の子が一人、人が大勢集まっていて興奮したのか、ニコニコ笑いながらずっと両足跳びを続けていました。
あれは激しい運動ですから、普通は1分も跳んでいられないと思います。
自閉症の子が疲れを知らないのは、やっぱり脳がうまく機能していないんだなあとあらためて思ったことでした。
午後、ボランティアサークルがミニコンサートを開いてくれました。
ノリノリで終了したあと退出の順番を待っていたら、前の方に、中学一年生のダウンちゃんが妹と一緒にいる後姿が目に入りました。
妹はまだ小学校低学年ぐらい、家族全員で来ていたようです。
その子が、隣に座っているお兄ちゃんに甘えるように寄りかかり、頭を傾げてもたせかけました。お兄ちゃんの方は戸惑ったように妹の方を見て、黙ってまた正面を向きました。
お兄ちゃんが好きなんだなあとほほえましい光景です。
ただ、障害のある兄に屈託なく甘えてくれるのも、もうあと何年もないだろうなとちょっと切ない思いで二人を見た私でした。
そこのお宅は両親とも医師をされていて、お母さんの実家に同居。
きょうだいは他に上に二人、4人の子どもがいます。両親だけでなく大人が多い環境は子育てには助かることでしょう。
大人たちや上の兄姉の愛情を十分に受けて、のびのびと育った妹も、思春期にはダウンちゃんの兄の存在を重く感じて悩むときが来るのかもしれません。
同じ悩みを共有する兄姉がいることは、彼女にとっては大いに救いになるだろうとは思います。
でも、どんなに家族愛が豊かでも、いくら周囲がサポートして頭ではよくわかっていても、全く避けて通れはしない道ではないかと思います。
おとといの勉強会で、自閉症の子の、思春期のきょうだいとのかかわりを質問している人がいました。
講師の話で私の印象に残ったことは…。
障害児のきょうだいのことを「きょうだい児」と呼んでいますが、きょうだい児の中には
「きょうだい児って言わないで。きょうだいって目で見られるのがイヤだ。きょうだいじゃなくて、私はワタシ」
と訴える子がいるそうです。
この気持ちは、親はしっかりと受け止めてあげなければならないでしょう。
きょうだい児はいじめの対象になりやすい上に、障害児の分まで期待されたり、お手伝いを期待されたりと、思えば辛い子ども時代になりがちですね。
小さいときにはよく面倒を見てくれたような「いい子」だったきょうだい児であればあるほど、無意識のうちに押さえつけていたものがたくさんありそうです。
たまにはうんとわがままを言わせて、ガス抜きをしてあげたほうがいいかもしれません。
夕食のおかずを、きょうだい児の希望を聞いてそれを優先するといった、小さいことでもいい。「あなたのことを大切に思っている」ということを伝えてあげたいですね。
2007年12月14日
問題行動
昨日は勉強会に行って、自閉症の専門家に問題行動への対処など伺ってきました。
(講師は京都市発達障害者支援センター・中山清司さんです)
問題行動というのは「周囲の状況や関係によって決まる相対的なもの」であるという指摘には、ナルホドと思いました。
例えば、
何度も石鹸をつけて繰り返し、手洗いがいつまでたっても終わらない人に対しては「きれい好きなんだね」。
疲れを知らず走り回る多動の子に対しては「元気いっぱいだね」。
という見方も出来る。たしかにそうです。
それが問題のある行動として親が死にたくなるほど悩むことになるのは、水道代が非常識な額になったり、片時も心の休まるヒマがないほど振り回されるから、だと思います。
療育センターのとき一緒だった子に、激しい多動の子がいました。
その子のお母さんは看護師の経験があったせいか、とても度胸の座った人でした。
その子の妹がまだおなかにいた頃、ちょっと目を離した隙にその子が飛び出して、大きな通りの向こう側に行ってしまったことがあるそうです。
「トラックばんばんのイチコク(国道1号)を横切ったんだよ〜。ぞーっとしちゃった」
と笑うお母さん。幸い、急ブレーキかけたりクラクション鳴らす車はなかったそうです。
「ああいう子は上手にすり抜けるんだよね。車に轢かれたって話は聞かないなあ」
と屈託がありません。
周りにいた人は「それで、どうした?」と身を乗り出しました。
するとそのお母さんは困ったような笑顔で、
「だってえ、どうしようもないよ、こっちは妊婦だし」。
引き返してまた横断しないことを祈りながら、何メートルか先の信号が青になるのを待って渡ったそうです。いちおう「こっちに来ちゃダメ」と声をかけながらだったそうだけど、それを聞けるような子だったら苦労はありませんよね。
でも同じことは二度としなかったそうですから、子どものほうも何となく感じるものがあったのでしょうか。実は怖かったとか?
その局面で、卒倒しそうになったり逆上して泣きわめくお母さんもいるかもしれませんね。
同じエピソードでも語る人によってずいぶんイメージが変わりそう。問題行動と深刻に悩むか、しかたないとさばさばするか、お母さんの個性がだいぶ出そうです。
ところで、今回、例として挙げられた問題行動に「突然、着ている服を破って裸になってしまう」というのがあり、思わず隣に座っていた友人と顔を見合わせて笑ってしまいました。
ウチの息子も同じようなことをしていたからですが、のんきに笑っていられるのは過去の行動となったからです。
今も上履きを破るなど油断なりませんが、裸になるほど激しいパニックは卒業した様子。当時はクラーーい毎日が一年半も続いたのに、「過ぎてしまえばみな美しい」「日にち薬」を実感しました。
ここで挙げられていた実例は女の子で、登校途中のバスの中で破っていたそうですから、もっと深刻だったでしょう。付き添っていたのはお母さんでしょうか、いつ始まるかとびくつく切ない気持ちがよーくわかります。
今回のお話の<問題行動への対処>の中で、「適切な初期対応」としてまず挙げられたのが「静かに、落ち着いて対応する」ということでした。
※ゆっくりと近づく
※小さな声で、ゆっくりと、しかしはっきりと聞き取れるように
※視覚的な手がかりを使う:指差し、文字、絵や写真、モデルを示すなど
たしかに、私も身に覚えがありますが、びっくりして「きゃー、何てことするの! やめなさーい」と騒ぐと、その問題行動に油を注ぐことになるようです。
まずは深呼吸して、「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせるといいかもしれません。
先の「だってえ、どうしようもないよ」と苦笑していたお母さんは、きわめて適切な対応をとったことになるでしょうね。
問題行動の中でもとりわけ家族が悩まされるのは、夜中に寝かせてもらえない睡眠障害だと思いますが、時間が限られていたせいか、これについては話が出ませんでした。
(講師は京都市発達障害者支援センター・中山清司さんです)
問題行動というのは「周囲の状況や関係によって決まる相対的なもの」であるという指摘には、ナルホドと思いました。
例えば、
何度も石鹸をつけて繰り返し、手洗いがいつまでたっても終わらない人に対しては「きれい好きなんだね」。
疲れを知らず走り回る多動の子に対しては「元気いっぱいだね」。
という見方も出来る。たしかにそうです。
それが問題のある行動として親が死にたくなるほど悩むことになるのは、水道代が非常識な額になったり、片時も心の休まるヒマがないほど振り回されるから、だと思います。
療育センターのとき一緒だった子に、激しい多動の子がいました。
その子のお母さんは看護師の経験があったせいか、とても度胸の座った人でした。
その子の妹がまだおなかにいた頃、ちょっと目を離した隙にその子が飛び出して、大きな通りの向こう側に行ってしまったことがあるそうです。
「トラックばんばんのイチコク(国道1号)を横切ったんだよ〜。ぞーっとしちゃった」
と笑うお母さん。幸い、急ブレーキかけたりクラクション鳴らす車はなかったそうです。
「ああいう子は上手にすり抜けるんだよね。車に轢かれたって話は聞かないなあ」
と屈託がありません。
周りにいた人は「それで、どうした?」と身を乗り出しました。
するとそのお母さんは困ったような笑顔で、
「だってえ、どうしようもないよ、こっちは妊婦だし」。
引き返してまた横断しないことを祈りながら、何メートルか先の信号が青になるのを待って渡ったそうです。いちおう「こっちに来ちゃダメ」と声をかけながらだったそうだけど、それを聞けるような子だったら苦労はありませんよね。
でも同じことは二度としなかったそうですから、子どものほうも何となく感じるものがあったのでしょうか。実は怖かったとか?
その局面で、卒倒しそうになったり逆上して泣きわめくお母さんもいるかもしれませんね。
同じエピソードでも語る人によってずいぶんイメージが変わりそう。問題行動と深刻に悩むか、しかたないとさばさばするか、お母さんの個性がだいぶ出そうです。
ところで、今回、例として挙げられた問題行動に「突然、着ている服を破って裸になってしまう」というのがあり、思わず隣に座っていた友人と顔を見合わせて笑ってしまいました。
ウチの息子も同じようなことをしていたからですが、のんきに笑っていられるのは過去の行動となったからです。
今も上履きを破るなど油断なりませんが、裸になるほど激しいパニックは卒業した様子。当時はクラーーい毎日が一年半も続いたのに、「過ぎてしまえばみな美しい」「日にち薬」を実感しました。
ここで挙げられていた実例は女の子で、登校途中のバスの中で破っていたそうですから、もっと深刻だったでしょう。付き添っていたのはお母さんでしょうか、いつ始まるかとびくつく切ない気持ちがよーくわかります。
今回のお話の<問題行動への対処>の中で、「適切な初期対応」としてまず挙げられたのが「静かに、落ち着いて対応する」ということでした。
※ゆっくりと近づく
※小さな声で、ゆっくりと、しかしはっきりと聞き取れるように
※視覚的な手がかりを使う:指差し、文字、絵や写真、モデルを示すなど
たしかに、私も身に覚えがありますが、びっくりして「きゃー、何てことするの! やめなさーい」と騒ぐと、その問題行動に油を注ぐことになるようです。
まずは深呼吸して、「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせるといいかもしれません。
先の「だってえ、どうしようもないよ」と苦笑していたお母さんは、きわめて適切な対応をとったことになるでしょうね。
問題行動の中でもとりわけ家族が悩まされるのは、夜中に寝かせてもらえない睡眠障害だと思いますが、時間が限られていたせいか、これについては話が出ませんでした。
2007年12月11日
物足りないニュース
きょうYahooにこんなニュースがありました。
死亡率高く、早く成長して出産=ピグミー族が小柄な理由−英ケンブリッジ大が調査
12月11日16時1分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071211-00000089-jij-int
念のために全文コピペすると…
アフリカなどに住むピグミー族が小柄なのは、死亡率が非常に高いため、早く成長を終えて子供を産むように適応した可能性が高いとの調査結果を、英ケンブリッジ大の研究チームが11日までにまとめた。人類が進化し、世界に居住地域を拡大する過程でどのように環境に適応したかの解明に役立つと期待される。論文は米科学アカデミー紀要の電子版で発表される。
小柄な理由をめぐっては、これまでは(1)熱帯森林での生活で体内に熱がこもらない(2)密林で動きやすい(3)食物が乏しい環境で飢えに耐えやすい−との説があった。しかし、森林以外の涼しく乾燥した地域に住んでいたり、食物が少ない環境でも背が高い民族がいたりして、はっきりしていない。
ピグミー族は男性の平均身長が155センチ以下で、同程度の体格の民族がマレーシアやフィリピン、ブラジルなどにも住んでいる。研究チームは2002年から03年にかけ、フィリピンの2地域で計約800人の子供や大人を調査した。
その結果、女性の場合、身長の伸びが早く、12−13歳で大人並みになることが判明。15歳まで生き延びる割合は3−5割と、アフリカの草原に住む民族の6−7割に比べ、大幅に低かった。
ん? と頭をひねったのは私だけでしょうか。
ピグミー族について解説するなら、なぜ死亡率が「非常に」高いのかなど、もうちょっと情報がほしいと思います。
ピグミー族で検索して驚きました。「ピグミー族」というのは特定の民族を指す言葉ではなく、成人男子の平均身長が150cm(80cmという説も)以下の種族を指す、のだそうです。
(ピグミーはギリシャ語の「ひじからこぶしまでの長さ」をあらわす単位。誇張した表現)
ピグミー=アフリカに住む小柄な民族、というのが一般的な認識ではないでしょうか。
古代エジプトの文書にはファラオが軍の指揮官に「樹木の国からの真性のコビト」「霊地からきた神の踊り子であるコビト」を宮廷まで連れてくるように命令している記載があり、これがピグミー族を指しているらしいとのことです。かなり小さくないとこのような書き方にはならないでしょう。記事にある155cm以下で「小人」呼ばわりされるのか大いに疑問です。
そして、このような短躯の民族はアフリカだけでなくアジアにも存在していて、だから上のニュースでマレーシアやフィリピンが出てくるわけですね。彼らも「ピグミー族」の範疇に入るようです。
岩肌のくぼみに薄い壁を作っただけの住居(アフリカ)の写真がありましたが、
http://www.ayumi-g.com/past/ex04/jukuten5/miura/miura.html#4
なかなかにユニークな文化を持つ、文化人類学的にはとても興味をそそる人たちだと思います。
私がざっと調べた範囲では、残念ながら、なぜ、どのように非常に短命(死亡率が高い)なのかはわかりませんでした。きょうは時間が足りないので、また調べてみたいと思います。
ネットでニュースが読めるのは早いし読み比べることができてとても便利です。
印刷して配送する時間が節約できるのだから早いのは当然と言えますが、内容的には不満が残ることも多いのも事実ですね。誤字脱字も案外よく見かけます。
朝日新聞の契約更新に来たASAの社員に聞いたら、そこでは毎年100人ずつ契約者が減っているそうです。私の知る範囲でも新聞の購読をやめた人は多いです。
でも今のネット配信のレベルでは、無料だからといっても(有料のところもありますね。そういうところはこんな不満もないのでしょう)私はとても満足できないですね。もうちょっと頑張ってほしいです。
死亡率高く、早く成長して出産=ピグミー族が小柄な理由−英ケンブリッジ大が調査
12月11日16時1分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071211-00000089-jij-int
念のために全文コピペすると…
アフリカなどに住むピグミー族が小柄なのは、死亡率が非常に高いため、早く成長を終えて子供を産むように適応した可能性が高いとの調査結果を、英ケンブリッジ大の研究チームが11日までにまとめた。人類が進化し、世界に居住地域を拡大する過程でどのように環境に適応したかの解明に役立つと期待される。論文は米科学アカデミー紀要の電子版で発表される。
小柄な理由をめぐっては、これまでは(1)熱帯森林での生活で体内に熱がこもらない(2)密林で動きやすい(3)食物が乏しい環境で飢えに耐えやすい−との説があった。しかし、森林以外の涼しく乾燥した地域に住んでいたり、食物が少ない環境でも背が高い民族がいたりして、はっきりしていない。
ピグミー族は男性の平均身長が155センチ以下で、同程度の体格の民族がマレーシアやフィリピン、ブラジルなどにも住んでいる。研究チームは2002年から03年にかけ、フィリピンの2地域で計約800人の子供や大人を調査した。
その結果、女性の場合、身長の伸びが早く、12−13歳で大人並みになることが判明。15歳まで生き延びる割合は3−5割と、アフリカの草原に住む民族の6−7割に比べ、大幅に低かった。
ん? と頭をひねったのは私だけでしょうか。
ピグミー族について解説するなら、なぜ死亡率が「非常に」高いのかなど、もうちょっと情報がほしいと思います。
ピグミー族で検索して驚きました。「ピグミー族」というのは特定の民族を指す言葉ではなく、成人男子の平均身長が150cm(80cmという説も)以下の種族を指す、のだそうです。
(ピグミーはギリシャ語の「ひじからこぶしまでの長さ」をあらわす単位。誇張した表現)
ピグミー=アフリカに住む小柄な民族、というのが一般的な認識ではないでしょうか。
古代エジプトの文書にはファラオが軍の指揮官に「樹木の国からの真性のコビト」「霊地からきた神の踊り子であるコビト」を宮廷まで連れてくるように命令している記載があり、これがピグミー族を指しているらしいとのことです。かなり小さくないとこのような書き方にはならないでしょう。記事にある155cm以下で「小人」呼ばわりされるのか大いに疑問です。
そして、このような短躯の民族はアフリカだけでなくアジアにも存在していて、だから上のニュースでマレーシアやフィリピンが出てくるわけですね。彼らも「ピグミー族」の範疇に入るようです。
岩肌のくぼみに薄い壁を作っただけの住居(アフリカ)の写真がありましたが、
http://www.ayumi-g.com/past/ex04/jukuten5/miura/miura.html#4
なかなかにユニークな文化を持つ、文化人類学的にはとても興味をそそる人たちだと思います。
私がざっと調べた範囲では、残念ながら、なぜ、どのように非常に短命(死亡率が高い)なのかはわかりませんでした。きょうは時間が足りないので、また調べてみたいと思います。
ネットでニュースが読めるのは早いし読み比べることができてとても便利です。
印刷して配送する時間が節約できるのだから早いのは当然と言えますが、内容的には不満が残ることも多いのも事実ですね。誤字脱字も案外よく見かけます。
朝日新聞の契約更新に来たASAの社員に聞いたら、そこでは毎年100人ずつ契約者が減っているそうです。私の知る範囲でも新聞の購読をやめた人は多いです。
でも今のネット配信のレベルでは、無料だからといっても(有料のところもありますね。そういうところはこんな不満もないのでしょう)私はとても満足できないですね。もうちょっと頑張ってほしいです。
2007年11月29日
アルミ缶つぶし
Yahoo!ニュース東北版にこんなものがありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071129-00000021-khk-l04&kz=l04
障害者の意欲つぶさないで 作業用アルミ缶の提供激減
(11月29日14時19分配信 河北新報)
長いので少し短くしました。原文そのままではありませんので、ご了承ください。
仙台市若林区、知的障害者施設「のぞみ苑分場 南材ホーム」の、通所者の作業「アルミ缶つぶし」が危機に陥っている。施設周辺の住民、企業などから提供される空き缶の量が減り続けているためだ。同施設は「15年以上続けてきた作業であり、得られる報酬は通所者の貴重な収入源」として、協力を呼び掛けている。
ホームのアルミ缶つぶしは1991年に始まった。知的障害者のある11人が月―金曜の1時間半、空き缶の回収と選別、缶をつぶす作業などに取り組んでいる。つぶす際の感触が障害者にとって達成感につながるほか、作業への集中で心を落ち着かせる効果もあるという。
つぶしたアルミ缶は、回収業者に1キロ100円前後で引き取ってもらい、通所者の旅行や誕生会などの行事費用に充てている。
周辺の町内会や市内の企業などから、ビールや清涼飲料水の空き缶を回収してきたが、状況が変わってきた。企業、個人の支援者が減り、今年の回収量は1334キロ(10月25日現在)と、10年前の半分程度にまで減少した。このまま減り続けると作業そのものの継続が困難になりそうだという。
千葉はるみ指導課長(51)は「通所者は作業を毎日、楽しみにしている。時間短縮も精神的な負担につながる。単純にごみとして廃棄しているアルミ缶があったら、回収させてほしい」と提供を呼び掛けている。
連絡先は、同ホーム022(215)6951。
私にとっては他人事ではないニュースです。
以前息子が実習に行った施設でも、アルミ缶つぶしは花形の作業です。
そこは専用の機械を買う資金も置く場所もないため、集めてきた缶は足で踏んでつぶしていました。バキバキとかなりうるさいのですが、利用者にとってはこれがいいストレス解消になるようでした。
アルミはけっこう高く買い取ってもらえるので、銭単位の受注作業をしている施設にとっては、アルミ缶つぶしは効率のいい現金収入が見込める作業のようです。アルミ缶を集めて回るのもいい運動になるし、気分転換にもなるようでした。
私も、風向きが変わってきたなと感じていました。
北京オリンピックの影響もあるのか、相場が高価になっているようで、回収して収入を得ようという自治体も増えています。私の住んでいる団地でも、資源ごみとして捨てていたアルミ缶を月に一度回収するようになりました。
軽トラックで乗り付けて、集めてあるアルミ缶を盗んでいく人を見たこともあります。
ほぼ毎日、巨大なゴミ袋いっぱいのアルミ缶をいくつも自転車にくくりつけて走っている人もいます。(いつかは自動販売機のそばのゴミ箱から回収していました。厳密に言うと窃盗なのでしょうね)
2缶で1円になる回収用の機械が備えてあるスーパーもありますから、小遣い稼ぎしているのかもしれません。
作業所に回してもらうアルミ缶は、ずいぶん減っただろうと思っています。
なんとか理解のある企業や商店から、定期的に提供を受けて続けられたらいいのですが。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071129-00000021-khk-l04&kz=l04
障害者の意欲つぶさないで 作業用アルミ缶の提供激減
(11月29日14時19分配信 河北新報)
長いので少し短くしました。原文そのままではありませんので、ご了承ください。
仙台市若林区、知的障害者施設「のぞみ苑分場 南材ホーム」の、通所者の作業「アルミ缶つぶし」が危機に陥っている。施設周辺の住民、企業などから提供される空き缶の量が減り続けているためだ。同施設は「15年以上続けてきた作業であり、得られる報酬は通所者の貴重な収入源」として、協力を呼び掛けている。
ホームのアルミ缶つぶしは1991年に始まった。知的障害者のある11人が月―金曜の1時間半、空き缶の回収と選別、缶をつぶす作業などに取り組んでいる。つぶす際の感触が障害者にとって達成感につながるほか、作業への集中で心を落ち着かせる効果もあるという。
つぶしたアルミ缶は、回収業者に1キロ100円前後で引き取ってもらい、通所者の旅行や誕生会などの行事費用に充てている。
周辺の町内会や市内の企業などから、ビールや清涼飲料水の空き缶を回収してきたが、状況が変わってきた。企業、個人の支援者が減り、今年の回収量は1334キロ(10月25日現在)と、10年前の半分程度にまで減少した。このまま減り続けると作業そのものの継続が困難になりそうだという。
千葉はるみ指導課長(51)は「通所者は作業を毎日、楽しみにしている。時間短縮も精神的な負担につながる。単純にごみとして廃棄しているアルミ缶があったら、回収させてほしい」と提供を呼び掛けている。
連絡先は、同ホーム022(215)6951。
私にとっては他人事ではないニュースです。
以前息子が実習に行った施設でも、アルミ缶つぶしは花形の作業です。
そこは専用の機械を買う資金も置く場所もないため、集めてきた缶は足で踏んでつぶしていました。バキバキとかなりうるさいのですが、利用者にとってはこれがいいストレス解消になるようでした。
アルミはけっこう高く買い取ってもらえるので、銭単位の受注作業をしている施設にとっては、アルミ缶つぶしは効率のいい現金収入が見込める作業のようです。アルミ缶を集めて回るのもいい運動になるし、気分転換にもなるようでした。
私も、風向きが変わってきたなと感じていました。
北京オリンピックの影響もあるのか、相場が高価になっているようで、回収して収入を得ようという自治体も増えています。私の住んでいる団地でも、資源ごみとして捨てていたアルミ缶を月に一度回収するようになりました。
軽トラックで乗り付けて、集めてあるアルミ缶を盗んでいく人を見たこともあります。
ほぼ毎日、巨大なゴミ袋いっぱいのアルミ缶をいくつも自転車にくくりつけて走っている人もいます。(いつかは自動販売機のそばのゴミ箱から回収していました。厳密に言うと窃盗なのでしょうね)
2缶で1円になる回収用の機械が備えてあるスーパーもありますから、小遣い稼ぎしているのかもしれません。
作業所に回してもらうアルミ缶は、ずいぶん減っただろうと思っています。
なんとか理解のある企業や商店から、定期的に提供を受けて続けられたらいいのですが。
2007年11月22日
Kさんのこと
きょうは息子の学校で創立40周年を祝う会が開かれ、出席して、昼食にはお赤飯をいただいてきました。
最初は戦中戦後の混乱の中、教会の奉仕活動の延長でしょうか、身寄りのない子どもたちを引き取る施設として始まりました。
そこから当時は学ぶような場もない(就学猶予で義務教育からはじかれた)障害のある子どもたちの学校が作られたそうです。
初めは小学部だけの小さな学校で、養護学校義務化で公立の学校が設置された時には、転校する子が続出して、深刻な経営危機に陥ったこともあるそうです。
公立の学校は学費が要らないし、自宅に近い方がラクだからでしょうか。新築で職員も多い大きな校舎に惹かれた親もいたかもしれません。
今でこそ息子の学校も校舎を新築してきれいになっています(金八先生のロケにも使われました)が、ウチの子が入学した14年前には床のささくれが気になるようなオンボロ校舎でした。
40年のあゆみを記念して、年に一度発行される機関紙をまとめて冊子にしたものが配られました。33年分あるそうです。
この機関紙には、毎年二人ぐらいの保護者が依頼を受けて文章を寄せます。
その中に私が2002年に書いたものもあり、久しぶりに読み返しました。わりと気に入っている話なので、手前味噌で恐縮ですが、ここに再掲させていただきます。
<Kさんのこと>
訓練会OBのお母さんたちが(子どもはみな成人)おしゃべりしていました(私はそばで聞いていました)。
「きのうスーパーに、ちっちゃいダウンちゃんを連れたお母さんがいたの。とっても可愛くてさー、声をかけたかったんだけど」
「かけたらよかったのにー」
「そうよ、お母さん、喜んだと思うわよオ」
口々に言っている中でぽつりとひとこと、
「かわいそうだね。これから地獄が始まるんだね」。
溜め息まじりのつぶやきに、みな絶句。やっと一人が
「べつに、地獄とは思わないけど」
と力なく言うのが精一杯でした。
この「事件」で私は故郷の友人Kさんを思い出しました。
Kさんに出会ったとき、私たちの子どもは同じ自閉症の4歳児。母子で地元の通園施設に通っていました。
Kさんは私より一回り若く、一人っ子のTくんを溺愛と言ってもいいくらいに可愛がっていました。
初めての障害児に悩まされていた私には、
「知恵遅れでも自閉症でも何でも、ちっともかまわない。Tが笑ってくれるだけで最高に幸せ」
と屈託のないKさんが、むしろ不思議に思えました。
あるとき、亡くなったKさんのお父さんの話を聞いて、なるほどと納得したのです。
大工の棟梁だったKさんのお父さんは、とても子煩悩な人だったようです。
Kさんはけっこう遅くまでおねしょをしていて、嘆かれたり叱られたりで悲しい思いをしたそうです。そんなとき、Kさんのお父さんは、
「Kの小便はちっとも臭くない。いい匂いがする」
と言って、干したおねしょ布団にほおずりをしてみせてくれたそうです。Kさんの深い愛情は親譲りというわけです。
Kさんはその後、Tくんが国立大学付属の養護学校に入学できてから、二人の子を産みました。上京の折に会ったら、幼い弟妹が「Tにいちゃん」の横で明るく笑っていました。
障害なんか関係なくTは可愛いと言い切るKさんと、地獄というあのOBさんと。
未来は大きく変わってしまうだろうと考えさせられたことでした。
字数の関係で書けなかったのですが、Kさんに関してはこんなエピソードもあります。
障害児の親が集まった席で、親にとっては知的障害と身体障害(ほとんど一人では動けないくらいの)のどっちがラクか、という話になりました。
本人にとっては、悩まなくていい分(悩めるほど軽くない前提)知的障害の方が幸せだろうと意見が一致しましたが、親にとっては、の方は意見が分かれました。
意思疎通が出来るのはいいとしても、本人が悩んでいるのを見るのは辛いものがあるだろう、という意見ももっともです。
Kさんの考えはこうでした。
「動けなかったら地震や火事のとき逃げられない。周りに人がいなくなったら、餓死するしかない。そんなのカワイソウだから、知的障害の方がいい。おなかがすいたら、人のものを奪ってでも食べてほしい。行きたいところに行き、したいことをしてほしい」
ここまで子どもを愛して子ども本位の考え方をするんだ…と感動したことを忘れられません。
Kさんの子に産まれてTくんは幸せだったな、と思っています。
2007年11月04日
売られた喧嘩
きょう、息子と散歩に出て、行きは電車だったけど帰りはルートを変えて一駅分歩き、路線バスに乗ることにしました。
自閉症の息子は決まったルートを好みがちですが、散歩のときはあまり固執しませんし(するときもあります)、なるべくさせないように心がけてもいます。
始発から終点まで20〜30分ばかり乗ります。ウチの最寄り駅まで一本で帰れるので、私たちにとっては便利なルートです。
車ではよく走る道ですが、運転中にはよそ見もできないし、高い位置に視点があるので見慣れた場所でも違って見え、ミニ旅行気分にも浸れます。
あまり利用する人のない路線なので、昼間は一時間に1、2本しかありません。
バスターミナルに着いて時刻表を見たら、発車までに30分もありました。そばのスーパーに寄ってお茶などを買って戻っても、まだ20分以上あります。
電車を乗り継いで帰ることも出来ますが、息子の機嫌もいいし、のんびり待つことにしました。
利用者が何人か並んでいましたが、乗り口に近いベンチには空席がいくつもあります。
その乗り場からは3つの路線が発着していて、私の乗る予定以外はバス便しかない、比較的利用者の多いルートです。並んでいる人は私とは別の線だろうと思われました。
空席があるのに何も20分も立って待つことはないと思い、空いたベンチに息子と二人腰を下ろしました。
「割り込みだ!」
大きな声が飛んできました。驚いてそっちを見ると、白髪まじりの頭をした小柄な女性がこっちをにらんでいます。
私の左隣に息子、その向こうに70代ぐらいの男性、空席がひとつあって一番奥(端っこ)に件の女性が座っています。
割り込むつもりはない、みんなのあとから乗ればいいだろう。疲れているし、席が空いているから座っただけで、いけないことではないだろう、というようなことをなるべく穏やかに説明したつもりです。
こちらには、座っていれば息子も落ち着いて待っていられる、という事情もありました。
ところが私がひとこと言うと、相手は大きな声で何倍も言い返してきます。訛りもない、はっきりとした口跡です。
私はからんだりからまれたりというのは、あまり経験がありません。きょうだいゲンカでも私は年が離れた一番下なので、だいたい言われっぱなし。鍛えられていないので鈍く、たまに舌戦をしても丁々発止ができません。
揚げ足を取るような物言いをされると、冷静に言い返せずついカッとなってしまいます。
途中で、相手は知的障害者だと気がつきました。論旨が滅茶苦茶です。
滑舌がいいというのか、口が達者で、なんだかんだと罵ってきます。罵る言葉ばかりをどうしてこれほどに溜め込んでいるのかとますます腹が立ちました。
(知的障害者は)「いっそ何もしゃべらない方が可愛がられる」というのは、こういうことを指しているのだと納得できました。
左隣の男性が、立ち上がって乗り口の方に移動しました。
みんなが(彼女を避けるように)離れた場所に並んでいたのは、私の来る前にも何かひともんちゃくあったのかもしれません。
相手にするな、とそっと忠告してくれた人がいて、とても恥ずかしくなりました。
相手が喧嘩を売るのが趣味なら、こちらはそれを買わなければいいだけの話。むきになって声を荒げた私は(怒ると言葉に詰まる方ですが…)、娘が一緒だったら制止されていたに違いありません。
いいトシしてほんとうに恥ずかしい。
黙り込んだ私に、割り込みを非難する言葉から、お門違いの説教になり、おとなしくしている息子(障害児とわかったのでしょう)や私を中傷する言葉が延々と続きました。まあその憎たらしいのなんの。
それだけしゃべれる知性を、別の方に使ってほしいものだと思いました。
我慢して無視している私に再三、「聞いてんの?」と尖った声が投げつけられます。
「どこそこではこんなんじゃすまないよ、怖いよ。アタシはこの前殴られたんだから」
別の駅では殴られたらしいですが、さもありなんと思いました。
その場を立ち去る選択肢もありましたが、長く歩いて疲れてもいたので、そのまま耐えました。
二台違う行き先のバスが来て、人が去りました。私の見込みどおり、並んでいた人はみんな乗ったようです。
(心配して?)先に乗るように促してくれた人もいました。
右隣にいた女の子に「うるさくしてごめんなさいね」と謝ったら、「大丈夫です」とにっこりしてくれました。
なんとその女性は私と同じバスに乗りました。
私より前から待っていたわけだから、最低でも20分以上。待ちかねたようにさっさと乗って中央あたりに掛けました。
うんざりだったけど仕方ありません。あとから来た人たちが乗り込んでから一番最後に乗り、がらがらだったので奥に座りました。
バスの中でまでは続かなかったのでやれやれでしたが、途中で彼女が降りるまでは気が休まりませんでした。
「割り込みはいけない」のは確か。この場合はそうではない、と幅のある思考が出来ないのは自閉症なのかもしれません。そうだとすると彼女は「喧嘩を売った」つもりはないのでしょうが、こちらとしてはそうとしか思えませんでした。
彼女はたぶん、喧嘩を売る形でしか人と関わりを持てない孤独な女性なのでしょう。怒って相手をしてくれれば、寂しさが紛れるのかもしれません。
おそらく相手が黙り込み無視する形で決着するのが大半でしょうから、言い負かしたのと同じこと。ゆがんだ形の達成感を得て満足しているのかもしれません。
相手が男なら殴られることもあるでしょう。殴りそうにない相手を選ぶのか、殴られてもいいから相手をしてほしいのかもしれません。
私が広い心の持ち主だったら、その寂しさを切なく思い、彼女に優しくしてあげられたのかどうか…。
全く大人げない対応をしてしまった、と自己嫌悪に陥り、すっかり落ち込んでしまいました。気晴らしに娘が借りてきた「ダイ・ハード」を見てもスカッとしないでいます。…もう寝よう。
自閉症の息子は決まったルートを好みがちですが、散歩のときはあまり固執しませんし(するときもあります)、なるべくさせないように心がけてもいます。
始発から終点まで20〜30分ばかり乗ります。ウチの最寄り駅まで一本で帰れるので、私たちにとっては便利なルートです。
車ではよく走る道ですが、運転中にはよそ見もできないし、高い位置に視点があるので見慣れた場所でも違って見え、ミニ旅行気分にも浸れます。
あまり利用する人のない路線なので、昼間は一時間に1、2本しかありません。
バスターミナルに着いて時刻表を見たら、発車までに30分もありました。そばのスーパーに寄ってお茶などを買って戻っても、まだ20分以上あります。
電車を乗り継いで帰ることも出来ますが、息子の機嫌もいいし、のんびり待つことにしました。
利用者が何人か並んでいましたが、乗り口に近いベンチには空席がいくつもあります。
その乗り場からは3つの路線が発着していて、私の乗る予定以外はバス便しかない、比較的利用者の多いルートです。並んでいる人は私とは別の線だろうと思われました。
空席があるのに何も20分も立って待つことはないと思い、空いたベンチに息子と二人腰を下ろしました。
「割り込みだ!」
大きな声が飛んできました。驚いてそっちを見ると、白髪まじりの頭をした小柄な女性がこっちをにらんでいます。
私の左隣に息子、その向こうに70代ぐらいの男性、空席がひとつあって一番奥(端っこ)に件の女性が座っています。
割り込むつもりはない、みんなのあとから乗ればいいだろう。疲れているし、席が空いているから座っただけで、いけないことではないだろう、というようなことをなるべく穏やかに説明したつもりです。
こちらには、座っていれば息子も落ち着いて待っていられる、という事情もありました。
ところが私がひとこと言うと、相手は大きな声で何倍も言い返してきます。訛りもない、はっきりとした口跡です。
私はからんだりからまれたりというのは、あまり経験がありません。きょうだいゲンカでも私は年が離れた一番下なので、だいたい言われっぱなし。鍛えられていないので鈍く、たまに舌戦をしても丁々発止ができません。
揚げ足を取るような物言いをされると、冷静に言い返せずついカッとなってしまいます。
途中で、相手は知的障害者だと気がつきました。論旨が滅茶苦茶です。
滑舌がいいというのか、口が達者で、なんだかんだと罵ってきます。罵る言葉ばかりをどうしてこれほどに溜め込んでいるのかとますます腹が立ちました。
(知的障害者は)「いっそ何もしゃべらない方が可愛がられる」というのは、こういうことを指しているのだと納得できました。
左隣の男性が、立ち上がって乗り口の方に移動しました。
みんなが(彼女を避けるように)離れた場所に並んでいたのは、私の来る前にも何かひともんちゃくあったのかもしれません。
相手にするな、とそっと忠告してくれた人がいて、とても恥ずかしくなりました。
相手が喧嘩を売るのが趣味なら、こちらはそれを買わなければいいだけの話。むきになって声を荒げた私は(怒ると言葉に詰まる方ですが…)、娘が一緒だったら制止されていたに違いありません。
いいトシしてほんとうに恥ずかしい。
黙り込んだ私に、割り込みを非難する言葉から、お門違いの説教になり、おとなしくしている息子(障害児とわかったのでしょう)や私を中傷する言葉が延々と続きました。まあその憎たらしいのなんの。
それだけしゃべれる知性を、別の方に使ってほしいものだと思いました。
我慢して無視している私に再三、「聞いてんの?」と尖った声が投げつけられます。
「どこそこではこんなんじゃすまないよ、怖いよ。アタシはこの前殴られたんだから」
別の駅では殴られたらしいですが、さもありなんと思いました。
その場を立ち去る選択肢もありましたが、長く歩いて疲れてもいたので、そのまま耐えました。
二台違う行き先のバスが来て、人が去りました。私の見込みどおり、並んでいた人はみんな乗ったようです。
(心配して?)先に乗るように促してくれた人もいました。
右隣にいた女の子に「うるさくしてごめんなさいね」と謝ったら、「大丈夫です」とにっこりしてくれました。
なんとその女性は私と同じバスに乗りました。
私より前から待っていたわけだから、最低でも20分以上。待ちかねたようにさっさと乗って中央あたりに掛けました。
うんざりだったけど仕方ありません。あとから来た人たちが乗り込んでから一番最後に乗り、がらがらだったので奥に座りました。
バスの中でまでは続かなかったのでやれやれでしたが、途中で彼女が降りるまでは気が休まりませんでした。
「割り込みはいけない」のは確か。この場合はそうではない、と幅のある思考が出来ないのは自閉症なのかもしれません。そうだとすると彼女は「喧嘩を売った」つもりはないのでしょうが、こちらとしてはそうとしか思えませんでした。
彼女はたぶん、喧嘩を売る形でしか人と関わりを持てない孤独な女性なのでしょう。怒って相手をしてくれれば、寂しさが紛れるのかもしれません。
おそらく相手が黙り込み無視する形で決着するのが大半でしょうから、言い負かしたのと同じこと。ゆがんだ形の達成感を得て満足しているのかもしれません。
相手が男なら殴られることもあるでしょう。殴りそうにない相手を選ぶのか、殴られてもいいから相手をしてほしいのかもしれません。
私が広い心の持ち主だったら、その寂しさを切なく思い、彼女に優しくしてあげられたのかどうか…。
全く大人げない対応をしてしまった、と自己嫌悪に陥り、すっかり落ち込んでしまいました。気晴らしに娘が借りてきた「ダイ・ハード」を見てもスカッとしないでいます。…もう寝よう。
2007年10月07日
地域の運動会で
きょうは地域の障害者団体連合の運動会に参加して、リレーで走る息子を応援したりしました。
今までは耳を押さえたりしてろくに走らなかったのが、速くはないけどまともに走っていて、おおっという感じでした。
パン喰い競走とか風船割り競走にも、私がほかのお母さんとおしゃべりしている間に、自分から出て行って(ボラさんと一緒ですが)参加しています。こんなことは初めてで、息子の中で殻を破ったと言うか、何かに目覚めたのかなあと成長を感じる出来事でした。
今は月に一度、リトミックのプログラムのときだけ参加している訓練会所属としての参加です。
子どもがいるのは訓練会ぐらいで、ほかはほとんど作業所などで働いている成人。息子の数年後という感じの青年がいたりします。
正直、この区だけでも障害者がこんなにいるのか…と圧倒される気持ちもあります。
でも障害者ばかりが(ボランティアさんや職員、保護者もですが)これだけ集まる機会はあまりないので、みんな楽しそうでした。
息子が今月実習に行く予定の通所施設は自閉症専門のところなので、行事が嫌いな自閉症の特性を尊重してか、参加していませんでした。
(3連休の中日を出勤にしたら、あとの手当て(代休とか)が大変なのかもしれません)
私も今までは、自閉症の息子は運動会は嫌いだと思っていたので、きょうは認識を新たにしたことでした。
困ったのは、はしゃいでいたのか笑顔のまま、人の帽子のひさしを押し下げるという行為を繰り返していたことです。
「いいかげんにしろー」と怒っている人もいて、ボラさんが私を呼びに来たりしました。
それくらいイイヨと大目に見てくれる人が大半なのですが(たぶんそれを見越してのことでしょう)、面白いらしくてこれはなかなか終わらない問題行動です。
お天気に恵まれた、1日早い体育の日でした。
今までは耳を押さえたりしてろくに走らなかったのが、速くはないけどまともに走っていて、おおっという感じでした。
パン喰い競走とか風船割り競走にも、私がほかのお母さんとおしゃべりしている間に、自分から出て行って(ボラさんと一緒ですが)参加しています。こんなことは初めてで、息子の中で殻を破ったと言うか、何かに目覚めたのかなあと成長を感じる出来事でした。
今は月に一度、リトミックのプログラムのときだけ参加している訓練会所属としての参加です。
子どもがいるのは訓練会ぐらいで、ほかはほとんど作業所などで働いている成人。息子の数年後という感じの青年がいたりします。
正直、この区だけでも障害者がこんなにいるのか…と圧倒される気持ちもあります。
でも障害者ばかりが(ボランティアさんや職員、保護者もですが)これだけ集まる機会はあまりないので、みんな楽しそうでした。
息子が今月実習に行く予定の通所施設は自閉症専門のところなので、行事が嫌いな自閉症の特性を尊重してか、参加していませんでした。
(3連休の中日を出勤にしたら、あとの手当て(代休とか)が大変なのかもしれません)
私も今までは、自閉症の息子は運動会は嫌いだと思っていたので、きょうは認識を新たにしたことでした。
困ったのは、はしゃいでいたのか笑顔のまま、人の帽子のひさしを押し下げるという行為を繰り返していたことです。
「いいかげんにしろー」と怒っている人もいて、ボラさんが私を呼びに来たりしました。
それくらいイイヨと大目に見てくれる人が大半なのですが(たぶんそれを見越してのことでしょう)、面白いらしくてこれはなかなか終わらない問題行動です。
お天気に恵まれた、1日早い体育の日でした。
2007年10月03日
才能の発掘
小さな絵画展に行ってきました。
息子の通う養護学校の、美術の先生が主宰している小さな絵画教室の発表会です。
出展しているのは、息子の学校の卒業生のほか、商業高校やよその養護学校の卒業生など7人、「アトリエ七色」という会の名前どおりでした。それに主宰の先生と、写真を担当する協力者もいらっしゃるようで、各人の写真も数点ずつつけてありました。
前は在校生も混じっていましたが今回は全員作業所などで働いている社会人ばかりでした。はっきり聞いてはいませんが、たぶんみなさん知的障害を持つ人だと思います。
7人の中には兄弟も一組います。絵を描くこの二人は知る人ぞ知る存在で、ほかの自閉症児者の作品展でも(たぶん何度か)絵を見かけました。もう10年も前のことになりますから、二人は生涯の趣味としてずっと絵を描き続けるのでしょうね。
私は双生児かと思っていましたら兄弟とのことで、たまたまいらしていたお母様とお目にかかりました。私より少し上の世代と思われる品のある女性でした。
弟にも障害があるとわかったときのお母さんの苦悩を思い、二人を穏やかな絵を描く青年に育てあげたお母さんの歩みを思ったりしましたが、親しかったら聞いてみたいところです。
息子の学校とはもう14年ものお付き合いですから、卒業生の一人は知っている子で、もう一人はお母さんも含めよく知っている子でした。
そのよく知っている子・自閉症のYくんは、卒業する頃になって絵に目覚めたようです。
卒業する一年前ぐらいまではあまり絵らしい絵は描かなかったらしいですが、指導がぴったり合ったのでしょうか、描き始めたらめきめき上達したようでした。このことには、お母さんもびっくりされているそうです。
絵はまだ発展途上という感じですが、自閉症らしい集中力でそのうち大化けするかもしれません。次回の展示会を楽しみに待ちたいと思います。
養護学校に通う子も障害の程度はさまざまで、中には普通の学校でもいけそうな子もいますから、そういう子は絵も器用に描きます。でも、口もきけない重い知的障害のある子でも、絵だけは抜群にうまかったりする例も珍しくありません。
親としては山下清の再来を望むのも無理もないところですが、そこまで欲張らなくても、落ち着いて集中できる趣味があるのは幸せなことだと思います。
趣味を自分で選び出すことが難しい知的障害児の場合は、適切な指導者とひき合わせてあげられるかどうかですね。家族がその役割を果たせたら一番いいのでしょうけど。
日産のゴーン社長が、朝日Beのインタビューで答えていました。「人間にとって最大のムダは持って生まれた能力をムダにすることです」と。
耳が痛いですね、自分自身についてもですが、今まで長いこと息子の潜在能力(たくさんあるような気はするのです)を引き出してやれなかったなあ、時間をずいぶん無駄にしたかも…と悔いが残っています。
息子の通う養護学校の、美術の先生が主宰している小さな絵画教室の発表会です。
出展しているのは、息子の学校の卒業生のほか、商業高校やよその養護学校の卒業生など7人、「アトリエ七色」という会の名前どおりでした。それに主宰の先生と、写真を担当する協力者もいらっしゃるようで、各人の写真も数点ずつつけてありました。
前は在校生も混じっていましたが今回は全員作業所などで働いている社会人ばかりでした。はっきり聞いてはいませんが、たぶんみなさん知的障害を持つ人だと思います。
7人の中には兄弟も一組います。絵を描くこの二人は知る人ぞ知る存在で、ほかの自閉症児者の作品展でも(たぶん何度か)絵を見かけました。もう10年も前のことになりますから、二人は生涯の趣味としてずっと絵を描き続けるのでしょうね。
私は双生児かと思っていましたら兄弟とのことで、たまたまいらしていたお母様とお目にかかりました。私より少し上の世代と思われる品のある女性でした。
弟にも障害があるとわかったときのお母さんの苦悩を思い、二人を穏やかな絵を描く青年に育てあげたお母さんの歩みを思ったりしましたが、親しかったら聞いてみたいところです。
息子の学校とはもう14年ものお付き合いですから、卒業生の一人は知っている子で、もう一人はお母さんも含めよく知っている子でした。
そのよく知っている子・自閉症のYくんは、卒業する頃になって絵に目覚めたようです。
卒業する一年前ぐらいまではあまり絵らしい絵は描かなかったらしいですが、指導がぴったり合ったのでしょうか、描き始めたらめきめき上達したようでした。このことには、お母さんもびっくりされているそうです。
絵はまだ発展途上という感じですが、自閉症らしい集中力でそのうち大化けするかもしれません。次回の展示会を楽しみに待ちたいと思います。
養護学校に通う子も障害の程度はさまざまで、中には普通の学校でもいけそうな子もいますから、そういう子は絵も器用に描きます。でも、口もきけない重い知的障害のある子でも、絵だけは抜群にうまかったりする例も珍しくありません。
親としては山下清の再来を望むのも無理もないところですが、そこまで欲張らなくても、落ち着いて集中できる趣味があるのは幸せなことだと思います。
趣味を自分で選び出すことが難しい知的障害児の場合は、適切な指導者とひき合わせてあげられるかどうかですね。家族がその役割を果たせたら一番いいのでしょうけど。
日産のゴーン社長が、朝日Beのインタビューで答えていました。「人間にとって最大のムダは持って生まれた能力をムダにすることです」と。
耳が痛いですね、自分自身についてもですが、今まで長いこと息子の潜在能力(たくさんあるような気はするのです)を引き出してやれなかったなあ、時間をずいぶん無駄にしたかも…と悔いが残っています。
2007年09月30日
特別養子縁組
私の親戚に、子どものできなかった夫婦がいます。
40近くまで不妊治療を受けたものの、とても痛い思いをする上にお金もかかる(100万単位?)ものだそうで、叶わないまま諦めたようでした。
二人とも子どもが大好きで、とてもいい父親母親になれたと思える人たちです。
奥さんの方は就職はしなかったけど教職課程を履修した人で、小学校で教育実習をしたのがとても楽しかったと言っていました。
この人から最近私に電話があり、養子を考えていると打ち明けられました。
二人とも私より少し年下で、早い人なら孫がいてもおかしくない年齢です。
夫婦仲が良く、夫の仕事で何年か海外赴任だったときは、子どものいない身軽さからあちこち旅行したりと外国生活を楽しんでいたようでした。
子どものいない仲良しの夫婦も珍しくありませんから、私はてっきり二人もそうなるのだと思っていましたが、子どものいる暮らしを諦め切れなかったものとみえます。
生まれたばかりの赤ちゃんを考えている、という彼女に、
「私はどうしても考えてしまうけど、生まれたばかりでは自閉症はわからないよ」
と言わずにはおれませんでした。私の味わって来たものを、彼女に勧める気にはなれません。
ダウン症など染色体の異常や、身体に現われる障害なら生まれてすぐでもわかると思います。
成長の過程で事故や病気で障害を負った場合は、二人なら実子と同じように悲しみ、苦しみを分かち合うでしょう。でも、たった一人の他人の子を引き取って育てるのに、その子が障害児だったら、引き取る方も引き取られる方もお互いに不幸だと思います。
不妊治療を受けていた頃、高年齢出産で障害児発現の割合が増すのは「覚悟の上」と話していた人ですが、実子ならともかく養子にまでその覚悟をしろと言うのは酷。
「この子がいてよかった」と話す障害児の親も、「自分の子にも(障害児を)産んでほしいとは思わない」と言います。
自閉症の子の中には、普通かそれ以上の速さで成長してしゃべり始め、そのあと言葉が消えてしまったという過程の子も少なくありません。
そういう話をするお母さんに、何人も会いました。
まるで退化するみたいに、言えていた言葉を言わなくなり、出来ていたことが出来なくなるそうです。
ウチの息子も、ほんの少しですがしゃべりかけていて消えたクチです。
見た目可愛くて賢そうに見えるから、障害があるとはにわかに信じ難かったりしますね。
2歳か3歳ぐらいならわかるんじゃない…と言っていたら、彼女は実子として入籍したいのだそうです。だから生まれたばかりの赤ちゃん。
それなら、特別養子縁組というのがあるよ、と話したことでした。
子どもの福利のためにともうけられた制度らしいですが、この特別養子縁組という制度については、もっと知られてもいいんじゃないかと思います。
裁判所のサイトに詳しい説明がありました。
http://www.courts.go.jp/saiban/syurui/kazi/kazi_06_09.html
特別養子縁組とは,原則として6歳未満の未成年者の福祉のため特に必要があるときに,未成年者とその実親側との法律上の親族関係を消滅させ,実親子関係に準じる安定した養親子関係を家庭裁判所が成立させる縁組制度です。そのため,養親となる者は,配偶者があり,原則として25歳以上の者で,夫婦共同で養子縁組をする必要があります。また,離縁は原則として禁止されています。
養子縁組を解消することを離縁といいます。
この子はヤダ、や〜めた、が許されないわけですね。
実子と同じように愛情を注いで育てることが求められるわけで、だから(それまでの記憶があまり残らない?)5歳までしか認められていません。一定期間里子として過ごしたとか、兄弟の子であるとかいった、実績や事情も考慮されるようです。
縁組には裁判所の許可が必要なわけですが、これが認められると実子と同じ扱いとなって、実の親の存在も戸籍には残らないと思います。
子どもがほしいけど出来ない人は、DNAにこだわって危険な代理母を考えるよりも、こっちの方が合理的ではないでしょうか。
たいして費用もかからないようだし、赤ちゃんポストに捨てられて親が迎えに来ない子などに対し、もっと積極的に進められてもいいんじゃないかと個人的には思っています。生みの親に育てられるのが一番幸せ、というのは、幻想ですから。
40近くまで不妊治療を受けたものの、とても痛い思いをする上にお金もかかる(100万単位?)ものだそうで、叶わないまま諦めたようでした。
二人とも子どもが大好きで、とてもいい父親母親になれたと思える人たちです。
奥さんの方は就職はしなかったけど教職課程を履修した人で、小学校で教育実習をしたのがとても楽しかったと言っていました。
この人から最近私に電話があり、養子を考えていると打ち明けられました。
二人とも私より少し年下で、早い人なら孫がいてもおかしくない年齢です。
夫婦仲が良く、夫の仕事で何年か海外赴任だったときは、子どものいない身軽さからあちこち旅行したりと外国生活を楽しんでいたようでした。
子どものいない仲良しの夫婦も珍しくありませんから、私はてっきり二人もそうなるのだと思っていましたが、子どものいる暮らしを諦め切れなかったものとみえます。
生まれたばかりの赤ちゃんを考えている、という彼女に、
「私はどうしても考えてしまうけど、生まれたばかりでは自閉症はわからないよ」
と言わずにはおれませんでした。私の味わって来たものを、彼女に勧める気にはなれません。
ダウン症など染色体の異常や、身体に現われる障害なら生まれてすぐでもわかると思います。
成長の過程で事故や病気で障害を負った場合は、二人なら実子と同じように悲しみ、苦しみを分かち合うでしょう。でも、たった一人の他人の子を引き取って育てるのに、その子が障害児だったら、引き取る方も引き取られる方もお互いに不幸だと思います。
不妊治療を受けていた頃、高年齢出産で障害児発現の割合が増すのは「覚悟の上」と話していた人ですが、実子ならともかく養子にまでその覚悟をしろと言うのは酷。
「この子がいてよかった」と話す障害児の親も、「自分の子にも(障害児を)産んでほしいとは思わない」と言います。
自閉症の子の中には、普通かそれ以上の速さで成長してしゃべり始め、そのあと言葉が消えてしまったという過程の子も少なくありません。
そういう話をするお母さんに、何人も会いました。
まるで退化するみたいに、言えていた言葉を言わなくなり、出来ていたことが出来なくなるそうです。
ウチの息子も、ほんの少しですがしゃべりかけていて消えたクチです。
見た目可愛くて賢そうに見えるから、障害があるとはにわかに信じ難かったりしますね。
2歳か3歳ぐらいならわかるんじゃない…と言っていたら、彼女は実子として入籍したいのだそうです。だから生まれたばかりの赤ちゃん。
それなら、特別養子縁組というのがあるよ、と話したことでした。
子どもの福利のためにともうけられた制度らしいですが、この特別養子縁組という制度については、もっと知られてもいいんじゃないかと思います。
裁判所のサイトに詳しい説明がありました。
http://www.courts.go.jp/saiban/syurui/kazi/kazi_06_09.html
特別養子縁組とは,原則として6歳未満の未成年者の福祉のため特に必要があるときに,未成年者とその実親側との法律上の親族関係を消滅させ,実親子関係に準じる安定した養親子関係を家庭裁判所が成立させる縁組制度です。そのため,養親となる者は,配偶者があり,原則として25歳以上の者で,夫婦共同で養子縁組をする必要があります。また,離縁は原則として禁止されています。
養子縁組を解消することを離縁といいます。
この子はヤダ、や〜めた、が許されないわけですね。
実子と同じように愛情を注いで育てることが求められるわけで、だから(それまでの記憶があまり残らない?)5歳までしか認められていません。一定期間里子として過ごしたとか、兄弟の子であるとかいった、実績や事情も考慮されるようです。
縁組には裁判所の許可が必要なわけですが、これが認められると実子と同じ扱いとなって、実の親の存在も戸籍には残らないと思います。
子どもがほしいけど出来ない人は、DNAにこだわって危険な代理母を考えるよりも、こっちの方が合理的ではないでしょうか。
たいして費用もかからないようだし、赤ちゃんポストに捨てられて親が迎えに来ない子などに対し、もっと積極的に進められてもいいんじゃないかと個人的には思っています。生みの親に育てられるのが一番幸せ、というのは、幻想ですから。
2007年09月27日
姉をヨロシク
お嬢さんの結婚が決まった友人が、嬉しそうにツーショットの写真を見せてくれました。
ついこの間まで学生していた気がするけど、もう就職して12年、33歳になったそうです。
(お相手は39歳とかで、優しそうな人です。若いカップルとは違い落ち着いた雰囲気の二人でした)
しっかり者で結婚願望も特にない(一人でも生きていけるタイプ)ながら、突っ張っていたわけではなく、親の勧めるお見合いも何度かした。
傍目には文句のつけようもない条件のいい相手もいたようですが、本人がその気になれなかったようです。
慎重な人なのでしょう、一年間じっくり付き合って様子を見たそうです。
そして、今回巡り会った人のことを、お母さんに、
「いいもんめっけた、と思った」
と形容したそうです。いい話だなあと感動しました。
焦らず騒がず、マイペースで歩いているときにふっと見つけた「いいもん」。すかさず拾い上げて両手で包み込み、大事に胸に抱いている姿が目に浮かびます。
できちゃった婚に象徴される性急な野放図な恋愛ではない、品格のあるオトナの恋ですね。
このお嬢さんにも障害者の弟がいるのですが、初めて相手と会ったとき、慣れない相手には警戒して「固まる」その弟が、帰り際には自分から握手を求めに行ったそうです。
自分が温かく受け入れられていることを、本能的に察したのかもしれませんね。
そして「姉をヨロシク!」という思いが伝わってくる話で、聞いた私もうるっと来てしまいました。
お姉さんの幸せを願う気持ちは、知的な遅れがあってもきっと誰にも負けないくらい、持ち合わせているに違いありません。
障害児(者)の弟の存在が結婚にどう影響するか、ウチの娘たちにとっても近い将来直面する(かもしれない)現実です。
私の息子が養護学校に入学したとき、遠くに住む義母のお母さん(息子のひいおばあちゃん)からお祝いが届きました。
当時夫(孫)は北京駐在で別居中、仕方なく私が電話をして(あとで手紙も書いたと思います)お礼を言いました。そこはとても格式の高い家で、もともと口をきくのも緊張する人でしたが、やけに冷ややかな対応だったのが印象に残りました。
ひいおばあちゃんはあとで義母に「どうして本人に直接お礼を言わせないのか」と不満を言っていたそうです。
義母は「私立の学校に入った」と説明しただけで、養護学校というのは内緒にしていました。私も、その点はぼかすようにと言われました。
障害児のひ孫が存在するなんて、たぶん亡くなるまでご存知なかったと思います。
遠くだったから隠せもしたけど、これがすぐ近くに住む人だったら揉めるのは必至。…離婚が早まっていたでしょう。
娘の交際相手やそのご両親と会ったとき、肩が凝らない相手でほんとうに安心しました。
自閉症の息子が自分から握手を求めることはない(と思う)けど、存在を否定されることなく平和裏におつきあいできたらと願っています。
ついこの間まで学生していた気がするけど、もう就職して12年、33歳になったそうです。
(お相手は39歳とかで、優しそうな人です。若いカップルとは違い落ち着いた雰囲気の二人でした)
しっかり者で結婚願望も特にない(一人でも生きていけるタイプ)ながら、突っ張っていたわけではなく、親の勧めるお見合いも何度かした。
傍目には文句のつけようもない条件のいい相手もいたようですが、本人がその気になれなかったようです。
慎重な人なのでしょう、一年間じっくり付き合って様子を見たそうです。
そして、今回巡り会った人のことを、お母さんに、
「いいもんめっけた、と思った」
と形容したそうです。いい話だなあと感動しました。
焦らず騒がず、マイペースで歩いているときにふっと見つけた「いいもん」。すかさず拾い上げて両手で包み込み、大事に胸に抱いている姿が目に浮かびます。
できちゃった婚に象徴される性急な野放図な恋愛ではない、品格のあるオトナの恋ですね。
このお嬢さんにも障害者の弟がいるのですが、初めて相手と会ったとき、慣れない相手には警戒して「固まる」その弟が、帰り際には自分から握手を求めに行ったそうです。
自分が温かく受け入れられていることを、本能的に察したのかもしれませんね。
そして「姉をヨロシク!」という思いが伝わってくる話で、聞いた私もうるっと来てしまいました。
お姉さんの幸せを願う気持ちは、知的な遅れがあってもきっと誰にも負けないくらい、持ち合わせているに違いありません。
障害児(者)の弟の存在が結婚にどう影響するか、ウチの娘たちにとっても近い将来直面する(かもしれない)現実です。
私の息子が養護学校に入学したとき、遠くに住む義母のお母さん(息子のひいおばあちゃん)からお祝いが届きました。
当時夫(孫)は北京駐在で別居中、仕方なく私が電話をして(あとで手紙も書いたと思います)お礼を言いました。そこはとても格式の高い家で、もともと口をきくのも緊張する人でしたが、やけに冷ややかな対応だったのが印象に残りました。
ひいおばあちゃんはあとで義母に「どうして本人に直接お礼を言わせないのか」と不満を言っていたそうです。
義母は「私立の学校に入った」と説明しただけで、養護学校というのは内緒にしていました。私も、その点はぼかすようにと言われました。
障害児のひ孫が存在するなんて、たぶん亡くなるまでご存知なかったと思います。
遠くだったから隠せもしたけど、これがすぐ近くに住む人だったら揉めるのは必至。…離婚が早まっていたでしょう。
娘の交際相手やそのご両親と会ったとき、肩が凝らない相手でほんとうに安心しました。
自閉症の息子が自分から握手を求めることはない(と思う)けど、存在を否定されることなく平和裏におつきあいできたらと願っています。
2007年09月22日
殺される子
幼い子どもを道連れに無理心中を図った、というニュースに接する度に、「障害児かしら」と考えてしまう私ですが、たぶんそう的外れではないと思います。
夫の暴力とか不倫とか、人生に絶望するようなことがあったとしても、一緒に死のうとまで思い詰めるのはよくよくのことではないでしょうか。まだ子どもが小さいなら母親も若いはずだし、同情して助言したり助けてくれる人もいると思います。
周りにわかってくれる人が居ない、未来は出口のない真っ暗なトンネルとしか思えない、深い絶望の中で死を選ぶのでしょう(実際にはなかなか死ぬことは出来ないようで、生き残る親も多いですね)。子どもを残して行けないのは、子ども自身にその原因があるからだと思います。
有名な大学病院で小児科医として働いていた人が、生まれた子がダウン症だったとき「迎えに来ない親もいる」と話していました。(ダウンちゃんは心臓に奇形があることが多いと聞きますが)手術をしないと助からないとわかっていて、手術を断る親も珍しくないそうです。
赤ちゃんポストに入れられたダウンちゃんもいたようですね。(幸いあとで迎えに来たそうです)
警察が介入することなく、闇に葬られた障害児も少なくないでしょう。
自閉症の場合は生まれてすぐにはわからないので、殺されるとしたら多動で走り回る(親をふりまわす)ようになったあとでしょうか。
事件になっても自閉症であることが明らかにされることは少ないと思いますが、きょう、珍しく二人の「自閉症」を苦にした殺人の報道を見つけました。
事件自体は昨年、二人の子どもを殺して自分は死に切れなかった母親が、殺人の罪に問われたものです。
この事件のニュースを聞いたとき、私は例によって「どっちかが障害児か? 自閉症では?」と思いましたが、そういう報道はなかったように記憶しています。
二人とも自閉症の子だったようですね。
これは地裁で被告が述べたことを報じる7月のニュースですが、広島の事件なのでこちらではあまり報道されなかったように思います。
2007年7月25日(水) 、 共同通信社が提供したニュースです。
---------------------------------------------------------------
「生きていても幸せでない」 2児殺害の母が心境
広島県福山市で昨年、自閉症の長男(5)と二男(3)を殺したとして殺人罪に問われた無職泉ひろみ被告(35)は25日の広島地裁(奥田哲也裁判長)の公判で被告人質問に答え、「世間では障害者は不幸という見方が強く、生きていても幸せになれないなら一緒に死んだ方がいい」と殺害を決意した心境を話した。
泉被告によると、二男は知的障害もあり、パニックになると手に負えなかったといい「わたしの養育方法が間違っていたのか」と悩んでいたと説明。一方で「かわいいという気持ちはなくなっていなかった」と言葉を詰まらせた。
また「夫に助けを求めたが、『おまえの育て方が悪い』と言われた」「自閉症は障害なので薬をのませるものではないのに、母親に『のませろ』と言われ無理解だと思った」と孤立感を深めていった状況を話した。
奥田裁判長は、弁護側が求めた精神鑑定の実施を決めた。
ひとごととは思えないですね。私も上に二人の子がいなかったら、子ども二人が自閉症でパニックを起こす子だったら、同じことをしたかもしれません。
『おまえの育て方が悪い』
『(薬を)のませろ』
私も同じことを言われました。(薬は夫が強く希望して処方してもらいましたが、二回で飲ませるのをやめてしまってなじられました。お医者さんの話ではとても苦い、ぴりぴりする薬だそうです)
「オレの血筋にはこんな子は居ない。お前の方の血だ」とも言われましたね。
夫のもとを離れて実家に身を寄せたら、実の姉には「母原病」と決め付けられたし、他の姉には「3回も帝王切開をしたからだろう」と言われました。
私の場合、経済的なこと以外身内に頼ることは出来なかったですが、今まで無事にやってこれたのは、こういう子を専門に療育してくれる場があったからです。
上の子たちを幼稚園に預けた経験はあるのに、この子は無理だろうという思い込みがあって(保育園を2日で断られたから)、「えっ、この子を預かってくれるの? 私はいなくていいの?」と感激しました。子どもと離れられる時間が全くなかったら、息抜きも出来ず絶望的な気分になっていたかもしれません。
若いお母さんたちは誘い合ってカラオケに行っていましたが、療育施設の先生はそういう気晴らしを積極的に勧めていました。(親同士仲がいいのは武器になるでしょうから、親睦は大切だと思います)
その後の養護学校でも、母子ともどもよく助けていただいています。
そしてとても大きかったのが、同じような悩みを持つ人たちと出会い、自閉症の団体で一緒に活動したことです。
「離乳食を食べなかった」と人が話すのを聞いて、思わず「うちの子もですよ!」と叫んだことは忘れられません。
いろんな奇異に見える行動のことを「ウチの子もそうだったわね」とアッサリ笑われて驚き、自分が「悲劇の主人公」ではなくて、<よくいる>「障害児の母親」の一人にすぎないことを悟りました。
顧問的な先生をはじめ専門家からは適切なアドバイスをもらって自然と勉強もしましたし、先輩お母さんは小難しいことは言わず、「そういうときはこうしたらいいわよ」と実践的な対処法を教えてくれるので、とーーっても助かりました。
子ども二人が自閉症の人も何人も、中には双子という人もいます。こういう人の体験談を聞くことが出来ていれば、先の母親は子どもを殺すことはなかったと思います。
『おまえの育て方が悪い』 と言われた。
「そうそう、みんな言われてるのよね!」と笑い飛ばされ、
『(薬を)のませろ』と言われた。
「アタシも飲ませてみたけど効果なかったよ」「アイスやコーヒー牛乳に混ぜても気がついて飲まないのよね。こういうのは敏感だからしかたないよ」と体験談を聞き、
「なんとか治ったらいいな、薬があるなら(ダメモトで)飲ませてみようって思うよね、普通。無理もないよ」と慰めてもらっていれば、未来に絶望することもなかったと思います。
たとえ身内の中で孤立していても、世界は身内以外のほうが親切だし数も圧倒的に多いのだから、大丈夫。
「生きていても幸せでない」 かどうか、先輩お母さんや子どもたちの笑顔を見てから考えてほしいです。
夫の暴力とか不倫とか、人生に絶望するようなことがあったとしても、一緒に死のうとまで思い詰めるのはよくよくのことではないでしょうか。まだ子どもが小さいなら母親も若いはずだし、同情して助言したり助けてくれる人もいると思います。
周りにわかってくれる人が居ない、未来は出口のない真っ暗なトンネルとしか思えない、深い絶望の中で死を選ぶのでしょう(実際にはなかなか死ぬことは出来ないようで、生き残る親も多いですね)。子どもを残して行けないのは、子ども自身にその原因があるからだと思います。
有名な大学病院で小児科医として働いていた人が、生まれた子がダウン症だったとき「迎えに来ない親もいる」と話していました。(ダウンちゃんは心臓に奇形があることが多いと聞きますが)手術をしないと助からないとわかっていて、手術を断る親も珍しくないそうです。
赤ちゃんポストに入れられたダウンちゃんもいたようですね。(幸いあとで迎えに来たそうです)
警察が介入することなく、闇に葬られた障害児も少なくないでしょう。
自閉症の場合は生まれてすぐにはわからないので、殺されるとしたら多動で走り回る(親をふりまわす)ようになったあとでしょうか。
事件になっても自閉症であることが明らかにされることは少ないと思いますが、きょう、珍しく二人の「自閉症」を苦にした殺人の報道を見つけました。
事件自体は昨年、二人の子どもを殺して自分は死に切れなかった母親が、殺人の罪に問われたものです。
この事件のニュースを聞いたとき、私は例によって「どっちかが障害児か? 自閉症では?」と思いましたが、そういう報道はなかったように記憶しています。
二人とも自閉症の子だったようですね。
これは地裁で被告が述べたことを報じる7月のニュースですが、広島の事件なのでこちらではあまり報道されなかったように思います。
2007年7月25日(水) 、 共同通信社が提供したニュースです。
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「生きていても幸せでない」 2児殺害の母が心境
広島県福山市で昨年、自閉症の長男(5)と二男(3)を殺したとして殺人罪に問われた無職泉ひろみ被告(35)は25日の広島地裁(奥田哲也裁判長)の公判で被告人質問に答え、「世間では障害者は不幸という見方が強く、生きていても幸せになれないなら一緒に死んだ方がいい」と殺害を決意した心境を話した。
泉被告によると、二男は知的障害もあり、パニックになると手に負えなかったといい「わたしの養育方法が間違っていたのか」と悩んでいたと説明。一方で「かわいいという気持ちはなくなっていなかった」と言葉を詰まらせた。
また「夫に助けを求めたが、『おまえの育て方が悪い』と言われた」「自閉症は障害なので薬をのませるものではないのに、母親に『のませろ』と言われ無理解だと思った」と孤立感を深めていった状況を話した。
奥田裁判長は、弁護側が求めた精神鑑定の実施を決めた。
ひとごととは思えないですね。私も上に二人の子がいなかったら、子ども二人が自閉症でパニックを起こす子だったら、同じことをしたかもしれません。
『おまえの育て方が悪い』
『(薬を)のませろ』
私も同じことを言われました。(薬は夫が強く希望して処方してもらいましたが、二回で飲ませるのをやめてしまってなじられました。お医者さんの話ではとても苦い、ぴりぴりする薬だそうです)
「オレの血筋にはこんな子は居ない。お前の方の血だ」とも言われましたね。
夫のもとを離れて実家に身を寄せたら、実の姉には「母原病」と決め付けられたし、他の姉には「3回も帝王切開をしたからだろう」と言われました。
私の場合、経済的なこと以外身内に頼ることは出来なかったですが、今まで無事にやってこれたのは、こういう子を専門に療育してくれる場があったからです。
上の子たちを幼稚園に預けた経験はあるのに、この子は無理だろうという思い込みがあって(保育園を2日で断られたから)、「えっ、この子を預かってくれるの? 私はいなくていいの?」と感激しました。子どもと離れられる時間が全くなかったら、息抜きも出来ず絶望的な気分になっていたかもしれません。
若いお母さんたちは誘い合ってカラオケに行っていましたが、療育施設の先生はそういう気晴らしを積極的に勧めていました。(親同士仲がいいのは武器になるでしょうから、親睦は大切だと思います)
その後の養護学校でも、母子ともどもよく助けていただいています。
そしてとても大きかったのが、同じような悩みを持つ人たちと出会い、自閉症の団体で一緒に活動したことです。
「離乳食を食べなかった」と人が話すのを聞いて、思わず「うちの子もですよ!」と叫んだことは忘れられません。
いろんな奇異に見える行動のことを「ウチの子もそうだったわね」とアッサリ笑われて驚き、自分が「悲劇の主人公」ではなくて、<よくいる>「障害児の母親」の一人にすぎないことを悟りました。
顧問的な先生をはじめ専門家からは適切なアドバイスをもらって自然と勉強もしましたし、先輩お母さんは小難しいことは言わず、「そういうときはこうしたらいいわよ」と実践的な対処法を教えてくれるので、とーーっても助かりました。
子ども二人が自閉症の人も何人も、中には双子という人もいます。こういう人の体験談を聞くことが出来ていれば、先の母親は子どもを殺すことはなかったと思います。
『おまえの育て方が悪い』 と言われた。
「そうそう、みんな言われてるのよね!」と笑い飛ばされ、
『(薬を)のませろ』と言われた。
「アタシも飲ませてみたけど効果なかったよ」「アイスやコーヒー牛乳に混ぜても気がついて飲まないのよね。こういうのは敏感だからしかたないよ」と体験談を聞き、
「なんとか治ったらいいな、薬があるなら(ダメモトで)飲ませてみようって思うよね、普通。無理もないよ」と慰めてもらっていれば、未来に絶望することもなかったと思います。
たとえ身内の中で孤立していても、世界は身内以外のほうが親切だし数も圧倒的に多いのだから、大丈夫。
「生きていても幸せでない」 かどうか、先輩お母さんや子どもたちの笑顔を見てから考えてほしいです。
2007年09月12日
自閉症者の辛さ
きのうちょっとした集まりの席で、アスペルガーの判定を受けている人が、こんな話をしていました。
(アスペルガーの定義はいろいろあるようですが、ここでは「知的障害を伴わない、広い意味での自閉症」といった意味合いでご理解ください)
その人が前の日に出席した会合は最悪だった。
一つの部屋で、集まった人たちが3つのグループに分かれて、それぞれで話し合いをしたそうです。
それほど狭くもない部屋で、ギャーギャーわめき散らすようなこともないなごやかな話し合い。
でも彼女には、ざわざわと別の話をしているのが四方から聞こえてとても疲れ、耐え難い苦痛だったそうです。
「だって、自分のところで話していたら、別のグループの話なんか聞こえないでしょう」
と誰かが言ったら、「聞こえないんですか!?」と驚いていました。
自閉症の子が騒がしいところが苦手だったり、子どもの泣き声に過剰に反応したりするのは、こういうことなんだろうなあと考えさせられました。
補聴器を初めてつけたときには、うるさくて我慢できないという話を聞きます。自分にとって不要な雑音も全部拾ってしまうからですね。
私たちの脳は、自分に関係ない雑音をシャットアウトして聞かない、という高度なふるい分けを無意識のうちにやっています。だからかなりうるさいところでも隣の人と会話が出来るし、雑踏の中で自分の名を呼ぶ声に気がついたりします。
アスペルガー(自閉症)の人は、このふるい分けの能力が低いのかもしれません。あまり高性能でない補聴器のように、周りの音を取捨選択しないですべて拾ってしまうのかも。
それと、嗅覚と同じように、うるさい場所でも少し時間がたつと慣れて平気になりますが、自閉症者にはこういうファジーさが欠けているのかもしれないと思います。
良く言えば潔癖できちんとしているのが好き。許容範囲が狭い、と言えるでしょうか。
「まあいいか、これくらい」といういい加減さは我慢できないかもしれません。
会話の出来る子ならそれを言葉にして伝えることも可能だけれど、生まれたときからそうならば人は自分と感覚が違うということが理解できないでしょう。
言葉のない子ならその場を逃げ出したり、泣きわめいたり暴れたりするかもしれません。いずれにしても、なかなか人にはわかってもらえない辛い立場だなあと思いました。
アスペの彼女の話が一段落したとき、彼女の斜め前にいた人が、
「そうそう、あなたはこれが苦手なんだったね」
と言いながら飲みかけのペットボトル(小さい、背の低いサイズ)の、下に置きっぱなしだったふたを締めました。
聞けば、アスペの彼女はペットボトルの口が開いたままになっているのがどうにも気になって落ち着かないそうです。
彼女は笑いながらジェスチャーつきで、
「締めようと思って立ち上がろうとすると(取上げて)飲むから、すわって、また締めようとしたら飲み始める、の繰り返しだった」
と話していました。やっと締めてくれたからとても嬉しそうでした。
私自身、粗忽者でよくものを倒す方なので、ペットボトルを机に置くときは必ずいちいち口を締めることにしています。大事な書類のそばにコーヒーカップがあったりするのは我慢できない方。だから彼女の気持ちはよくわかります。でも、人のペットボトルのふたまで締めようとする人は、あまりいないかもと思ったことでした。
アスペルガーの人の中には知能が天才的に高い人も少なくありません(アインシュタインやビル・ゲイツもそうだと言われています)。
私の知っている人もみな、「勉強は出来た、成績は良かった」そうです。だから一般の優秀な学校に進んで、「変わり者」のレッテルを貼られて仲間はずれやいじめの対象になる。こういう人は殊に苦しい思いをするのではないでしょうか。
知り合って間もない別のアスペの女性と二人きりで話しこんでいたとき、
「私には友だちがいないんです。友だちはいらないんです」
と言うので言葉に詰まったことがありました。でもその後彼女も、光が三角に尖って見えるなど独特の感性を解りあえる同じようなタイプの人に巡り会って、仲良くしているようです。
その彼女は息子が自閉症と診断される過程の中で自分の障害にも気がついたそうです。息子の、傍目には奇異に見える行動が、なぜそんなことをするのかよくわかって共感する(時には一緒にやる)ということでした。
彼女にはもう久しく会ってないけど、辛い思いからは解放されて、息子や「友だち」とともに心地よい日々を過ごしていることを願っています。
(アスペルガーの定義はいろいろあるようですが、ここでは「知的障害を伴わない、広い意味での自閉症」といった意味合いでご理解ください)
その人が前の日に出席した会合は最悪だった。
一つの部屋で、集まった人たちが3つのグループに分かれて、それぞれで話し合いをしたそうです。
それほど狭くもない部屋で、ギャーギャーわめき散らすようなこともないなごやかな話し合い。
でも彼女には、ざわざわと別の話をしているのが四方から聞こえてとても疲れ、耐え難い苦痛だったそうです。
「だって、自分のところで話していたら、別のグループの話なんか聞こえないでしょう」
と誰かが言ったら、「聞こえないんですか!?」と驚いていました。
自閉症の子が騒がしいところが苦手だったり、子どもの泣き声に過剰に反応したりするのは、こういうことなんだろうなあと考えさせられました。
補聴器を初めてつけたときには、うるさくて我慢できないという話を聞きます。自分にとって不要な雑音も全部拾ってしまうからですね。
私たちの脳は、自分に関係ない雑音をシャットアウトして聞かない、という高度なふるい分けを無意識のうちにやっています。だからかなりうるさいところでも隣の人と会話が出来るし、雑踏の中で自分の名を呼ぶ声に気がついたりします。
アスペルガー(自閉症)の人は、このふるい分けの能力が低いのかもしれません。あまり高性能でない補聴器のように、周りの音を取捨選択しないですべて拾ってしまうのかも。
それと、嗅覚と同じように、うるさい場所でも少し時間がたつと慣れて平気になりますが、自閉症者にはこういうファジーさが欠けているのかもしれないと思います。
良く言えば潔癖できちんとしているのが好き。許容範囲が狭い、と言えるでしょうか。
「まあいいか、これくらい」といういい加減さは我慢できないかもしれません。
会話の出来る子ならそれを言葉にして伝えることも可能だけれど、生まれたときからそうならば人は自分と感覚が違うということが理解できないでしょう。
言葉のない子ならその場を逃げ出したり、泣きわめいたり暴れたりするかもしれません。いずれにしても、なかなか人にはわかってもらえない辛い立場だなあと思いました。
アスペの彼女の話が一段落したとき、彼女の斜め前にいた人が、
「そうそう、あなたはこれが苦手なんだったね」
と言いながら飲みかけのペットボトル(小さい、背の低いサイズ)の、下に置きっぱなしだったふたを締めました。
聞けば、アスペの彼女はペットボトルの口が開いたままになっているのがどうにも気になって落ち着かないそうです。
彼女は笑いながらジェスチャーつきで、
「締めようと思って立ち上がろうとすると(取上げて)飲むから、すわって、また締めようとしたら飲み始める、の繰り返しだった」
と話していました。やっと締めてくれたからとても嬉しそうでした。
私自身、粗忽者でよくものを倒す方なので、ペットボトルを机に置くときは必ずいちいち口を締めることにしています。大事な書類のそばにコーヒーカップがあったりするのは我慢できない方。だから彼女の気持ちはよくわかります。でも、人のペットボトルのふたまで締めようとする人は、あまりいないかもと思ったことでした。
アスペルガーの人の中には知能が天才的に高い人も少なくありません(アインシュタインやビル・ゲイツもそうだと言われています)。
私の知っている人もみな、「勉強は出来た、成績は良かった」そうです。だから一般の優秀な学校に進んで、「変わり者」のレッテルを貼られて仲間はずれやいじめの対象になる。こういう人は殊に苦しい思いをするのではないでしょうか。
知り合って間もない別のアスペの女性と二人きりで話しこんでいたとき、
「私には友だちがいないんです。友だちはいらないんです」
と言うので言葉に詰まったことがありました。でもその後彼女も、光が三角に尖って見えるなど独特の感性を解りあえる同じようなタイプの人に巡り会って、仲良くしているようです。
その彼女は息子が自閉症と診断される過程の中で自分の障害にも気がついたそうです。息子の、傍目には奇異に見える行動が、なぜそんなことをするのかよくわかって共感する(時には一緒にやる)ということでした。
彼女にはもう久しく会ってないけど、辛い思いからは解放されて、息子や「友だち」とともに心地よい日々を過ごしていることを願っています。
2007年09月05日
リュウちゃんのおばあちゃん
知的障害のある(と伝えたマスコミもあります)3ヶ月の孫の首をタオルで絞めて殺した祖母が、殺人で逮捕されたというニュースがありました。
http://excite.co.jp/News/society/20070904114400/20070904E40.042.html
「3ヶ月で知的障害がわかるということは、ダウン症かしらね」
と娘と話したことでした。知的障害はほかにもありますが、数や障害のわかりやすさから言ったらダウン症かなと思った次第。
自閉症の子ならそんな早くにはわからないです。
報道によれば普通の明るい家庭だったようで、この事件でみんなの運命はどう変るのかと考えさせられました。
人の命は地球より重いとか、孫でも一人の人格を持った人間なのだから許せないとか、正義感からこの祖母を非難するのはたやすい事です。
でも同じくらいに「孫の将来を悲観してのこと」「三女のこれからの苦労を思いつめての犯行」などと減刑嘆願も出てくるんじゃないでしょうか。殺人といっても行きずりの金目当てや暴行の挙句に殺したのとはわけが違います。
いずれ情状酌量が認められて執行猶予がつくか、正常な判断力がなかったとして裁かれないか、刑務所に入ることはないんじゃないかと思います。それでも犯した罪は死ぬまで抱えて生きていかなければならない。家族にとっても辛い日々が続くことでしょう。
せめてマスコミはこの家族を追いかけないでそっとしておいてあげてほしいと思います。
このニュースで私が思い出したのは「リュウちゃんのおばあちゃん」。
ウチの息子がまだ自閉症の診断もつかない段階で通っていた、障害児対象の療育施設で出会った人です。
九州の実家に身を寄せていたとき、年中の年齢で息子が通い始めた近くの保育園では、2日で「面倒見きれない」と断られました。
「これからどうします?」と園長先生は心配してくれましたが、加配の制度もない田舎の保育園。乳児も何人もいましたし、言うことを聞か(け)ない、昼寝をしない、何をするかわからない息子は危なくて預かれなかったようです。
そのあと紹介してくれる人があって、車で1時間以上かかるところにあるその施設まで通い始めました。
「知的障害がある」と言われてもなかなかぴんと来ませんでしたが、いきなり障害児ばかりの世界に飛び込んで、少なからずショックを受けました。
出産時の事故で重い脳障害を負った子数人をはじめ、突飛な行動に走る自閉症児、ダウン症の女の子、身体と知的の両方に軽めの障害を持った子、ヘッドギアをつけた重い点頭てんかんの子、などなど。
「ウチの子は、この子たちの仲間なのか!?」と厳しい現実にたじろぎました。こんなに可愛い、賢そうな顔をしてるのに! 身体もなんともないのに!
そこに行き始めて間もなく、その通園施設を含む障害者センター合同の運動会がありました。
大人から幼児まで、残余能力を使っていろんなゲームをしたり、ダンスしたりします。私も息子と一緒に、段ボールでこさえたキャタピラーの中に入って走(這)ったりしました。
スタッフやボランティアさんたちが笑顔で進行してくれたのですが、当時の私は「なんでわざわざ見世物になるようなことをするんだ?」と、イヤでたまりませんでした。
一見して「障害がある」とわかる子がほとんどでしたが、中でも初めて見たとき思わず顔をそむけそうになったのがリュウちゃんでした。
詳しいことは忘れてしまいましたが、発育不全のまま生まれて、頭の骨もまだよくつながってなかったんじゃないかと思います。
顔が文字どおりに「曲がって」いて、赤塚不二夫の漫画のよう。手術のあとの縫い目も目立つ。悪いけどギョッとし、正直に言って「この子、これでちゃんと育つの? よく生きてるな〜」と人体の不思議を見る思いでした。
ところがこのリュウちゃん、やたらと明るいのです。最初はひいてしまった私も可愛くなる、よく笑う子でした。
リュウちゃんの明るさには理由があって、それがフルタイムで働くお母さんの代わりにリュウちゃんの送迎をし行事のたびに出てくる、おばあちゃんでした。
このおばあちゃん、心底リュウちゃんが可愛くてたまらないようで、周りのお母さんたちが辟易して顔を見合わせるくらい、リュウちゃんの自慢ばかりするのです。
「リュウちゃんがあれをした、これをした」って、「それで?」と突っ込みたくなるような話を延々とします。
リュウちゃんは奇跡的に生き延びた子らしく、元気に育っていることがこのおばあちゃんにとって何よりの喜びのようでした。
おばあちゃんはいわゆるインテリではない、ごく庶民的なお年寄りでした。医学的なことは何もわからなかったと思います。ただ盲目的と言ってもいいくらいの愛情でリュウちゃんを包み、その、人と比べたらかなり遅い発達を無条件に喜んでいたのでした。
このおばあちゃんの成し遂げたことを実感したのは、保護者会結成(私が行っていた間に出来ました)10年目に開いてくれた同窓会に出席したときです。
ウチの子は年長に上がるときにこちらに引越したので、みんなに会うのは10年ぶりでした。まだ幼児だった子どもたちがいい大人になり、うっすらとヒゲが生えた子もいる中に、あのリュウちゃんがいました。
10年たっていても面影はあり、みんな顔はわかりました。リュウちゃんは独特な顔はそのままで大きくなっていました。
私がとても驚いたのは、リュウちゃんがお母さんと(誰とでも話せるわけではないようでした)おしゃべりをしていたこと、立って普通に歩き回っていたことです。お母さんの指示で何か運んだりとお手伝いもしていました。促されると挨拶もしてくれました。
ろくに歩けもしなかったあのリュウちゃんが! ニコニコ笑うだけだったあのリュウちゃんが!
おばあちゃんが惜しみなく注ぎ続けた愛情が、形になって見えたような気がしました。もう身体が弱って外出は控えているということで、残念ながら再会は出来なかったのですが、家では元気にリュウちゃんの相手をしているという話でした。
生まれた赤ちゃんに重い障害があるとわかったとき、「子ども(孫)の将来を悲観して」「障害児の親になって苦労する娘が不憫」と殺してしまうおばあちゃん。
あやしたら笑った、その顔がとても可愛いと人に話さずにおれないおばあちゃん。
生まれた家によ
http://excite.co.jp/News/society/20070904114400/20070904E40.042.html
「3ヶ月で知的障害がわかるということは、ダウン症かしらね」
と娘と話したことでした。知的障害はほかにもありますが、数や障害のわかりやすさから言ったらダウン症かなと思った次第。
自閉症の子ならそんな早くにはわからないです。
報道によれば普通の明るい家庭だったようで、この事件でみんなの運命はどう変るのかと考えさせられました。
人の命は地球より重いとか、孫でも一人の人格を持った人間なのだから許せないとか、正義感からこの祖母を非難するのはたやすい事です。
でも同じくらいに「孫の将来を悲観してのこと」「三女のこれからの苦労を思いつめての犯行」などと減刑嘆願も出てくるんじゃないでしょうか。殺人といっても行きずりの金目当てや暴行の挙句に殺したのとはわけが違います。
いずれ情状酌量が認められて執行猶予がつくか、正常な判断力がなかったとして裁かれないか、刑務所に入ることはないんじゃないかと思います。それでも犯した罪は死ぬまで抱えて生きていかなければならない。家族にとっても辛い日々が続くことでしょう。
せめてマスコミはこの家族を追いかけないでそっとしておいてあげてほしいと思います。
このニュースで私が思い出したのは「リュウちゃんのおばあちゃん」。
ウチの息子がまだ自閉症の診断もつかない段階で通っていた、障害児対象の療育施設で出会った人です。
九州の実家に身を寄せていたとき、年中の年齢で息子が通い始めた近くの保育園では、2日で「面倒見きれない」と断られました。
「これからどうします?」と園長先生は心配してくれましたが、加配の制度もない田舎の保育園。乳児も何人もいましたし、言うことを聞か(け)ない、昼寝をしない、何をするかわからない息子は危なくて預かれなかったようです。
そのあと紹介してくれる人があって、車で1時間以上かかるところにあるその施設まで通い始めました。
「知的障害がある」と言われてもなかなかぴんと来ませんでしたが、いきなり障害児ばかりの世界に飛び込んで、少なからずショックを受けました。
出産時の事故で重い脳障害を負った子数人をはじめ、突飛な行動に走る自閉症児、ダウン症の女の子、身体と知的の両方に軽めの障害を持った子、ヘッドギアをつけた重い点頭てんかんの子、などなど。
「ウチの子は、この子たちの仲間なのか!?」と厳しい現実にたじろぎました。こんなに可愛い、賢そうな顔をしてるのに! 身体もなんともないのに!
そこに行き始めて間もなく、その通園施設を含む障害者センター合同の運動会がありました。
大人から幼児まで、残余能力を使っていろんなゲームをしたり、ダンスしたりします。私も息子と一緒に、段ボールでこさえたキャタピラーの中に入って走(這)ったりしました。
スタッフやボランティアさんたちが笑顔で進行してくれたのですが、当時の私は「なんでわざわざ見世物になるようなことをするんだ?」と、イヤでたまりませんでした。
一見して「障害がある」とわかる子がほとんどでしたが、中でも初めて見たとき思わず顔をそむけそうになったのがリュウちゃんでした。
詳しいことは忘れてしまいましたが、発育不全のまま生まれて、頭の骨もまだよくつながってなかったんじゃないかと思います。
顔が文字どおりに「曲がって」いて、赤塚不二夫の漫画のよう。手術のあとの縫い目も目立つ。悪いけどギョッとし、正直に言って「この子、これでちゃんと育つの? よく生きてるな〜」と人体の不思議を見る思いでした。
ところがこのリュウちゃん、やたらと明るいのです。最初はひいてしまった私も可愛くなる、よく笑う子でした。
リュウちゃんの明るさには理由があって、それがフルタイムで働くお母さんの代わりにリュウちゃんの送迎をし行事のたびに出てくる、おばあちゃんでした。
このおばあちゃん、心底リュウちゃんが可愛くてたまらないようで、周りのお母さんたちが辟易して顔を見合わせるくらい、リュウちゃんの自慢ばかりするのです。
「リュウちゃんがあれをした、これをした」って、「それで?」と突っ込みたくなるような話を延々とします。
リュウちゃんは奇跡的に生き延びた子らしく、元気に育っていることがこのおばあちゃんにとって何よりの喜びのようでした。
おばあちゃんはいわゆるインテリではない、ごく庶民的なお年寄りでした。医学的なことは何もわからなかったと思います。ただ盲目的と言ってもいいくらいの愛情でリュウちゃんを包み、その、人と比べたらかなり遅い発達を無条件に喜んでいたのでした。
このおばあちゃんの成し遂げたことを実感したのは、保護者会結成(私が行っていた間に出来ました)10年目に開いてくれた同窓会に出席したときです。
ウチの子は年長に上がるときにこちらに引越したので、みんなに会うのは10年ぶりでした。まだ幼児だった子どもたちがいい大人になり、うっすらとヒゲが生えた子もいる中に、あのリュウちゃんがいました。
10年たっていても面影はあり、みんな顔はわかりました。リュウちゃんは独特な顔はそのままで大きくなっていました。
私がとても驚いたのは、リュウちゃんがお母さんと(誰とでも話せるわけではないようでした)おしゃべりをしていたこと、立って普通に歩き回っていたことです。お母さんの指示で何か運んだりとお手伝いもしていました。促されると挨拶もしてくれました。
ろくに歩けもしなかったあのリュウちゃんが! ニコニコ笑うだけだったあのリュウちゃんが!
おばあちゃんが惜しみなく注ぎ続けた愛情が、形になって見えたような気がしました。もう身体が弱って外出は控えているということで、残念ながら再会は出来なかったのですが、家では元気にリュウちゃんの相手をしているという話でした。
生まれた赤ちゃんに重い障害があるとわかったとき、「子ども(孫)の将来を悲観して」「障害児の親になって苦労する娘が不憫」と殺してしまうおばあちゃん。
あやしたら笑った、その顔がとても可愛いと人に話さずにおれないおばあちゃん。
生まれた家によ