2008年03月20日

受容

昨日は息子の卒業式でした。
小学部から高等部本科・専攻科と14年間を過ごした養護学校ですから、ここを去るのはかなり大きな節目。学校が大好きでほとんど休まずに通った息子にとっては、安住の地を失うということです。
最重度の知的障害(自閉症)の息子は、いろんな人から再三「卒業おめでとう」と声をかけられ、午後の謝恩会で心のこもった出し物やエールをおくられても、その意味するところは理解できなかったと思います。それでも朝からずっと窮屈なネクタイ姿で最後まで落ち着いていた姿には、成長を感じられました。

卒業式の終盤でのこと。
在校生の終了式も兼ねた式なのでけっこう長引き、子どもたちの中には声を上げたり立ち歩く子も増えて、会場はだいぶざわついて来ていました。
おとなしいダウン症の子はともかく、そもそも進行していることの意味を理解できない知的障害児は、長くじっと席についていること自体が苦手です。自閉症の場合はことに行事・イベントが苦手な子も少なくありません。
(ウチの息子も小学部のころはよく奇声を上げ、後ろの保護者席にいる私にも聞こえて苦笑したものでした)
いつもなら保護者席と子どもの席は離れているのですが、卒業生の母親は証書授与がよく見える前の方に設けられた席に座ります。子どもが受け取った証書や記念品(アルバム)を式が終わるまで預かったりもします。

私の近くの席にいた女の子が、ニコニコ笑いながらしきりに悲鳴のような声を出していました。(たぶん)今年度中学部に入った子で、私は見かけたことがあるだけで名前も知りません。
式の終わり近くになって、卒業生の代表が(答辞に当たる)「感謝の言葉」を読み上げ始めました。担当したのは息子のクラスの、はっきりした口跡で話すことのできる子です。
お世話になった皆さんに感謝を述べるものですし、私としてはその女の子の奇声に邪魔されずに、ちゃんとその全文を聞きたいと思いました。
ちょっと迷いましたが、その子のそばに行って、「聞こえないから静かにしてくれない?」と小さく声をかけてみました。

他の問題行動に比べ、奇声を止めさせるのはかなり難しいといわれます。隣に座った担任の先生も再三注意していましたが、聞いてくれないでいるようでした。
私としてもダメモトでしたが、その女の子は初めての私にびっくりしたのか、ぴたっと声を出すのを止めてくれました。
また笑顔で出しそうになるのを「もうちょっと、もうちょっと我慢」「もう少しね」となだめ、途中で「ちゃんと我慢できてエライね」と褒めたりしながら、「感謝の言葉」が終わるまで粘りました。
終わった時には私も心からその子に感謝して「よしっ、頑張ったね」と肩を軽く叩いて席に戻りました。

親や先生ではない第三者に言われたらよく聞く、ということは確かにあります。
こういうやり方が通用しない子もいますし、かえってパニクるなど逆効果になる子もいるのはわかっています。
息子のクラスの子(自閉症)に、「そんなことやめなさいよ」と気軽に注意したらたちまち逆上して、周囲に八つ当たりし、私をさんざん口汚く罵ってきたのであっけにとられたこともあります。(あとで涙ぐみながら謝ってきました)
でも、世界がその子を中心に回っているのではない以上、周囲との折り合いは出来るだけつける努力はするべきだと思うのです。
「この子はいくら言ってもわからないから、どうしようもない」という状況は私も(イヤと言うほど)経験があります。でも、「だから周囲の方がこの子に合わせてくれて当然だ」というのは開き直りというものでしょう。

前回書いた「そっ啄同時」のような、こちらの働きかけがすっと受け入れられるタイミングを探す努力は惜しむべきではないと思います。
タイミングといっても必ずしも時間的なことだけではなく、場面、相手など、膠着状態で困っている現状打破につながる要素には、様子を見ながら試みる価値があると思っています。
偏食の激しい自閉症の子に、その子が食べられるもの「だけ」を用意していたのでは、いつまでたっても偏食は直らないでしょう。いつかふっと食べ始める時のために、ダメモトで勧めてみる、そういうことも大事だと思います。
先ごろ、定年退職するまでずっと公的な機関で障害児福祉の仕事をしていた方とお話をする機会がありました。その方の言葉で強く印象に残ったのは、
「昔は何でも受容、だから大変だったけど、今はそうじゃないから。今育っている子たちは大丈夫よ」
というものでした。

そう言われて思いだしたことがあります。
私が九州の実家に身を寄せて、息子と母子通園していたときのことです。運動療法というものだったでしょうか、子どもたちに同伴して平均台やすべり台を順番に通過するプログラムがありました(それ以外は母子分離でした)。
足元のおぼつかない子が前にいたとき、ウチの息子は身体的には問題がないので邪魔に感じたのでしょう、押しのけようとしました。相手の子は大きくぐらつき、危ないでしょっ、と横にいた私は息子を叱りつけました。
すると、指導をしていた先生が叱ってはいけないと私を止めたのです。私としては大いに不満でしたが、子どもの行為はすべてその子なりの「かかわりの方法」とみなして「受容」しなければならないようでした。その頃はそういう指導が主流だったのでしょう。
その後こちらに戻って通い始めた療育センターでも、子どもを叱るようなことは一切ありませんでした。でもこちらでは一段進んでいて、「そもそも叱りたくなるような危険な場面を作らない」マニュアルが徹底していたような気がします。

障害児がすべて純粋な天使であるなら、受容するだけでいいのでしょうけどね。
卒業式の女の子に対する私の行動について、隣にいた担任の先生はあとでお礼を言ってくれました。
でも「dashiさん、大丈夫です、大丈夫ですから」と声をかけて、私をさえぎろうとした先生がいたのも事実。とても穏やかな優しい先生なので、本人は何でも受容したいのでしょう。
でも、奇声のためにせっかくの「感謝の言葉」が全然聞こえない状況を私たちに「受容」しろと? 自分の子どもを含む卒業生の総意を表す「感謝の言葉」の内容を知り、皆さんにもちゃんと聞いてほしいと思うのは当然だと思いますし、その女の子の親としても奇声を上げてほしくはないはず。

そこで我慢したことがあとで形になって(自傷とか)現われ困るとしても、それはその後の長い人生を思えば、経験を重ねてなるべく克服していくべきではないでしょうか。
その子にとって大きな声を上げるのが気持ちのいいことだとしても、周囲にそれを受容しろと言うのは無理があります。ここならいいという場所で思い切り出すのはかまわないが、それ以外では我慢するということを覚えるのは、その子にとって最優先の学習課題かもしれません。
実はウチの息子も、バスの中などで声を出したり急にくすくす笑い出して困ることがあります。「降りようか」「降りないなら静かにして」と声をかけることで(時には腕をつかんで立ち上がって…もう動かせないですが)、なんとか周囲に大きな迷惑をかけない程度にやり過ごしています。

posted by dashi at 23:19| Comment(6) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 こんにちは。
 息子さんのご卒業,おめでとうございます。
 今年は我が家も全員義務教育を卒業し,やっと一段落ですが,こちらのブログを読んで,これまでのdashiさんのご苦労は僕の何十倍もあっただろうと推察します。本当におめでとうございました。
Posted by かば at 2008年03月21日 02:35
同感です。私はそういったことの積み重ねが、命にかかわる危険を回避できることにつながると考えています。周囲への理解を広げつつも決して開き直らない。これが隣人と上手く生きていくコツですよね。
Posted by へーじ at 2008年03月21日 17:05
>かばさま
こんにちは、お優しいコメントありがとうございます。
おかげさまで学校生活も無事終了、子育ても一段落した気分でホッとしています。これからは自分の食い扶持ぐらいは稼ぎたいなと^^。
かばさんのところは高校生以上ですか、もう親に頼るまいとして突っ張る時期ですね^^。
義務教育が終わると親の責任はだいぶ果たしたというところですよね、おめでとうございました。
Posted by dashi at 2008年03月21日 21:05
>へーじさま
コメントありがとうございました。
ウチの息子は長いこと遠くの学校に通っていたので、地域の人とはあまりなじみがありません。今度は歩いて通うことになり、今までなおざりにしていた近隣との関係が重要課題となりそうです。
最近は街で障害者が一人で歩いている姿も珍しくなくなりました、世間の理解は進んでいると思います。その流れに逆らわないように努力します。
Posted by dashi at 2008年03月21日 21:24
こんばんは。
前回の記事と一緒に、とても参考になります。

ちょっと本筋ではない部分に感動してしまって。
私の回りには 軽度といわれる子がおおくて、
また私も まだ、障害児の親としての経験が少ないので、

こうやって、注意するだけじゃなくて、暖かく励ましたり、そのあとのフォローというか、聞いてくれてえらいね、頑張ったね、っていう人って ほとんど見ることがありません。(先生も含め。もち論、自分も含め)教えてあげてるんだ、 障害児は注意を聞いて当たり前。という態度をとりがちになってしまいます。

「うるさいでしょっ!だめっ!」ではないように言ってもらえて、何とか頑張ることができた。
いい経験が積めて その女の子にとっても いいことだったのでしょう。
思いやる気持ちと、これは聞いておきたいから、という真剣な思いが伝わったのかもしれませんね。

私もなかなか、そういう風にできないことが多いので、見習いたいです。

本筋の、開き直るの件も、時々振り返って気をつけたいです。
うちの子も、私が見ていないときに、注意してもらって、ギャあっとかんしゃくを起こしたことがあります。
その場では 大荒れに荒れて、学校に戻って先生が入って 私も呼ばれてひと騒動、注意してくださった方も非常に恐縮されてしまって、ほんとに申し訳なかったです。が、あとあと、「あの時、俺悪かったね。危ないから言ってくれたんだったね」といった(何年もたって、子どもが、注意してくださった方に謝ってました)ことがあります。
受容も大事だと思うけど、なにがなんでも、受容 じゃないですよね。
Posted by mm at 2008年03月22日 21:00
コメントありがとうございます。
そうですね、叱るだけで誉めない親は多いと思います。でも確かに、誉めるとなんだか気分よさそうにしてますよ^^。

<お手伝いをさせなさい、その子の家庭内での役割を果たさせなさい。そして何かしてもらったら「ご褒美」をあげなさい、物質的なモノじゃなくて「ありがとう、助かったわ」という言葉でいいんです>
ということを講演会や学習会で繰り返し聞かされて、洗脳されたかも^^。

私もちゃんとフォローしてくれない家庭で育って、上の子たちの育児には生かせなかったけれど、こういうのって健常児の教育にもとーってもいいと思いますよ。気持ちよく手伝ってくれるようになるかも。「ほめて育てる」ってやつですね。

口先だけで「ありがとう」と言うのと、「よくやってくれたなあ、助かったなあ」と思ってお礼を言うのとでは、違うと思います。見透かされるみたい。

ちょっとした用事(ビデオ返すとか、郵便局とか)で出かけたとき、車の中で待っててくれることがあります。自分から「待ってる」というサイン(あごの下に手の甲をもっていく)をしてくれます。初めてのときは(意思表示をあまりしない子だったので)感激しました。
車に戻って「待っててくれてありがとう!」と言いますが、これは(仕方なく言うんじゃなくて)自然に出てきますね。少しの時間なら車で待っててくれるというのは定着したので、「ご褒美」が、うまくいった例だと思います。
Posted by dashi at 2008年03月24日 22:37
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/90276706
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。