2007年01月11日

無財の七施

この冬休みはどう過ごしましたか、と息子の学校から聞かれました。
ほかに息子を連れて行くところもないので……なんて言うと神仏に叱られそうですが、近場の神社やお寺をあちこち回りました(鎌倉・鶴岡八幡宮の帰りに江の電に乗って、ミニ旅行気分を味わったことは前に書きました)。どこもお正月の前後ということもあってきれいに整備され、飾り付けが行き届いて歩くのも気持ちのいいところでした。
3日午後に鶴見の曹洞宗大本山・総持寺に初詣に行ったら、門前市をなすの賑わい。大行列のため参拝はあきらめて、脇の方でちょっと手を合わせたり、階段を上って道路の向かい側にあるお稲荷さんにお参りしたりしました。
ビーズに極小サイズの七福神を通した可愛いお守りストラップが売ってあったので、記念に一つ買いました。

私は特に信仰のない人間なので宗派を問わずどこにでも行きますが、両親は(形だけとは言え)毎日仏壇に手を合せていた浄土真宗の門徒です。
昨秋の父の葬儀の折り、ずいぶん久しぶりにお坊様の説教を拝聴しました。そのとき、宗教というのはどれを信じていても目指すところはみな同じ。一つの山を登るのにいくつもの道があるようなもので、たどり着く頂上は一緒のところだ、というお話がありました。
なかなか寛容な宗教だと思います、異教徒の存在を否定しないわけですからね。
母がまだ元気な頃同じようなことを言っていたなと思い出して、お寺様の庶民の間での指導的、教育的役割というものについて、ちょっと考えたりしました。
おとなしく足るを知って勤勉に働き、他人には寛容で家庭を大事にしておれば、世の中は平和で、大多数の人はそこそこ幸せになるのかもしれません。

ところで、お参りする時はお賽銭(私はわずかです)を投げ込みますが、賽銭を願を叶えてもらうことの対価として考えるのは間違い。喜捨、報捨というお賽銭でなければ、本当の信心ではなくて取引となってしまうそうです。
喜捨:進んで寺社に寄進し、または貧しい人に施しをすること。
報捨(広辞苑では報謝):仏事を修した僧や巡礼に布施物をおくること。また、神仏への報恩のため、慈善をなし、金品を施すこと。
……と広辞苑には解説があります。喜捨と報捨はどう違うのかよくわかりませんが、いずれにせよ「進んで」「喜んで」寄進するのが重要みたいですね。
お布施(僧に対する寄進)はお釈迦様の教えを見聞させていただいた喜びを形に表すものであって、お経に対する「謝礼」や「報酬」ではない。お賽銭にも、功利的な期待をしてはいけないということのようです。

お布施が喜びを形に表すものなら、何も金銭や物品である必要はない。持てる物が何もない人にも出来る「無財の七施」という教えがあります。

和顔施(わがんせ)  なごやかな顔で接する行為(あなたのお蔭で幸せ、という表情)
眼施 (がんせ)   優しいまなざしで接する
言施 (ごんせ)   やさしい言葉をかける(愛語施、言辞施とも)
心施 (しんせ)   思いやりをかける、慈悲の心で祈る
身施 (しんせ)   自分の身体で奉仕する
床座施(しょうざせ) 人に席を譲ったり、自分の地位を譲って悔いない
房舎施(ぼうしゃせ) わが家(雨露しのげる場所)を人のために提供する

うーん、たしかに手持ちがなくても心がけ次第で出来そうなことばかりです。
和顔施というのは瀬戸内寂聴さんが好んで口にされる言葉だそうですが、つまり「スマイル!」ってことですね。
柔らかな笑顔が自然にこぼれる人は誰にも好かれて周囲を和やかにしてくれそう。何よりの「施(し。「せ」は慣用音だそうです)」と言えそうですね。
ただ、心からの微笑みであることが大切で、無理に作った笑顔ではだめ。無理が過ぎると「微笑みうつ病」になってしまうそうです。この項についてはまた後日に。  
posted by dashi at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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