2008年06月28日

障害との共生

幼稚園年長組、5歳の女の子。
ある日自宅の庭で、遊びに来た同年輩の親戚の子と、石を投げて遊んでいました。
それに気がついた大人が、危ないから止めるように注意しましたが、やんちゃな子どもたちは言うことを聞きません。
そのうち、女の子の右目に小石が命中してしまいます。
それが原因の外傷性白内障で、女の子は右目を失明。何度も手術を受けましたが光は戻らず、左目まで失明するのを食い止めるのが精一杯でした。

明確な障害を持っているけれど、それを特別なこととしないで自然体で成長しました。
母親には「アンタの目がそうなったのは、自分が悪いんだからねっ」と突き放された(心を鬼にして、かもしれないと私は思います)そうですが、たぶんそれをちゃんとフォローする人がいたのでしょう。
内面的なことはわかりませんが、傍から見る分にはコンプレックスとは無縁の、言いたいことをずけずけ言うはっきりした人でした。(敬遠する人が多くて、私もその一人でした)
地域では最高峰とされる大学の大学院に進んで一生の仕事を持ち、お医者さんと結婚して、授かった子ども二人は国立の大学を出て、父親と同じ職業に就きました。
田舎に広い敷地の家を持って、自給自足を目指して各種の野菜を育てながら、捨てられた犬や猫を何匹も引き取って平和に暮らしているそうです。

きょう、出張で上京してきた彼女と久しぶりに会いました。
彼女とは長い付き合い、同じクラスにもなったことのある高校の同級生です。
彼女とはもともとあまり親しくなく、立ち入った話をしたこともありません。でもきょうは、めったに会える人ではないし、(時期的に)もういいだろうと思って、目のことを聞いてみました。
高校時代の彼女は片目が白濁していましたが、体育の時間も(多少もたつくぐらいで)普通にやっていたし、少しは見えるのかと思っていました。確認したら、「視力0.0」、全く見えないのだそうです。
一見軽い斜視程度にしか見えないのは、「カラーコンタクトを入れているから」。
白濁がひどくなったのか、一時は眼球をくるむような義眼(?)を入れていたけれど、目やにが出たり疲れやすかったりで困っていた。カラーコンタクトの存在を知って、入れてからは調子がいいと笑っていました。

彼女に、今まで困ったことはなかったか聞いてみました。
物心つくころからだから、それが当然のこととしてあまり意識したことがない。
困ったというのではないけど…と彼女が笑いながら話したのは「よく子どもを蹴飛ばしていた」ということでした。
子どもが小さいときは、よく母親の足にまとわりついてくるものです。彼女の場合は子どもの姿を見落とすことが多かったのでしょう。
よく蹴飛ばして(泣かせて?)しまうので、「なんでこんなに度々蹴飛ばすんだろう」と不思議に思っていた。自分の視野が狭いからだということにあとで気づいて、ああそうかと納得したそうです。
あと、若いときにはバドミントンなどの球技でみんなと遊べない(出来ないことはないが、とても疲れる)のが辛かった。それから、山登りで、杖を使うことを思いつくまでは降りるのがとても大変だった。
…それくらい。普段は意識することはほとんどない、そうです。

片目とは言え全く見えないのなら、障害者として何か特別扱いを受けているのかと思い、そのことも聞いてみました。
返事を聞いて驚きました。彼女も以前ちょっと聞いてみたところ、障害者と認定されるには、眼球を摘出しなければならないと言われたのだそうです。
彼女は社会的にも自立しているし、眼球を摘出してまで公的援助を受ける必要はない。特に障害者として扱われることなくずっと来たということでした。
私の亡くなった父も、戦地でのマラリアが原因で片耳が全く聞こえなかったそうです。でも母にそのことを教えられるまで私は全然気がつかなかったし、知っている人はごくわずかでした。
障害があっても、他人の世話にならずごく普通に生活ができる人もいる。(多少の不便がないはずはないし、本人の苦悩は人にはわかってもらえないでしょうけどね)
身体の障害と重度の知的障害は、そこが一番違うところかなと思ったことでした。
posted by dashi at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 自閉症関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。