2010年06月16日

貸本マンガの思い出

朝8時からの「ゲゲゲの女房」を楽しみに見ています。
ちょうど貸本マンガが衰退していく時期で、出版社が軒並みつぶれて原稿料もまともにもらえず、赤貧洗うが如し。でも電気がとめられる事態にもひょうひょうと明るく、たくましい。それがこのドラマの高視聴率(朝ドラでは久しぶりでは?)となっているのでしょう。
この貧乏も週刊誌にシフトするまでのことかと思いますが、かの水木しげるさんにこんな時代があったのかと感慨深いです。

私も子どものころ貸本マンガ(背表紙が赤い地にロウソクの絵)にはずいぶんお世話になりました。家で絵本を読んだ記憶もないので、たぶん字も覚えたのもマンガ。私の人格形成にかなり影響したと思います。
小さいころのことですから小遣いももらえず、安いとは言っても(15〜20円ぐらい?)貸本代が自由になる立場ではありませんでした。だからすべて、姉たちが借りてきたものを見せてもらっていただけです。
姉は4人いて一番歳が近いのが4つ上ですが、この姉はマンガ好きではなかったので、たぶん6つと8つ上の姉たちあたりが借りていたのではないかと思います。そう考えるとかなり背伸びをした趣味だったわけで、私は幼いときから「ませくれ(早熟ってことです)で可愛げがない」と言われていたものですが、案外このあたりが影響しているのかもしれません。

木内千鶴子さんのマンガは主人公は優しくて貧乏、金持ちの意地悪な子にいじめられるというステロタイプでした。意地悪な子がひどいめにあう勧善懲悪は徹底していたと思います。
矢代まさこさんは左翼系の人だったのか、労働問題(炭鉱の閉山とか)を扱うような硬派で、私はよくわからないながらも大好きでした。

そして強烈な印象を残しているのが楳図かずおさんです。偶然が重なっていく「私という名のミツキ」など一話完結の短編ばかりでした。味噌汁の中から長ーい髪の毛が出てくるシーンなど、ゾクゾクするくらい怖かった。
事故で意識不明になったあと、振り向くと人の頭の上に余命をあらわす炎が見えるようになった話では、振り向いて鏡をのぞき自分の余命を知ろうとするシーンには子供ながらとってもドキドキして、「怖くてどうしても見られなかった」のに、そりゃそうだとホッとし、また転んで?頭を打ったら炎が見えなくなったという結末にはよかったねーーと嘆息したりしたものでした。
なお、何年かあとに同じ作者が同じ題材で描いたマンガを見ましたが、媒体が女の子向けの雑誌だったせいかちっとも怖くなくて、楳図かずおの変節ぶり(たぶん編集部の意向)が寂しかったです。

小さい貸本屋さんもつぶれ、私も大きくなってマンガをあまり読まなくなったあと、懐かしい再会は上京してからのことでした。学生街だったからか、アパートのすぐ近くに貸本屋さんがあったのです。感激しました!
昔の田舎の貸本屋さんとは趣も品揃えも格段に違い、垢抜けていました。さすが東京(新宿区)。
今はマンガ喫茶というのがありますが、お茶は飲めないけどあんな感じに小奇麗なところでした。
私はそこで「MW」など(高くて買えない)手塚治虫さんの長編を借りまくったものですが、残念ながら間もなく店じまいしてしまいました。

「ゲゲゲ」に出てくる国防婦人会の亡霊のような親の元に生まれた子供たちは、貸本を読めなくて悲しい思いをしたことでしょう。ドラマの中でも泣いていました。(隠れて読んだかな?)
私の親はマンガなんか読むなと言うこともなく私はラッキーでしたが、もっとマシな本を読めばいいのにとは思っていたかもしれません。

posted by dashi at 17:05| Comment(2) | 興味津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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