2008年04月28日

髪を抜く

自閉症者の問題行動にはいろいろありますが、周囲にはそれほど迷惑はかけないけど、傍から見て「やめてよ〜」と泣きたくなるのは自傷行動だと思います。
私が以前目撃してショックを受けたのは、壁に自分の頭を激しく叩きつける行為。とても痛そうなのに何度も何度も繰り返して、そばでお母さんがおろおろしていました。
自閉症児・者は痛みに鈍感という傾向はあるようです。ウチの息子も痛みで泣くことはめったになく、たまに泣いたら「よっぽど痛かったんだね」と周囲が顔を見合わせる感じでした(この20年でほんの数回、最後が何年前だったか、思い出せないです)。
痛みの刺激が程よいのか頭を打ちつけたり拳骨で叩いたりする人は、その後よく見聞きしました。手をしょっちゅう噛んでタコになっているのもたまに見ます。

我が家は、幼い頃の夜驚症というのか夜中にひとしきり泣きわめく行為、極端な偏食、服やカバン、履物などを破る行為には悩まされました。
成長とともにそれほど深刻なことはなくなって、ラクになったと思っていた矢先、びっくりするような事態が持ち上がりました。なんと、頭(前)頂部の髪を抜き「河童ハゲ」になりかけていたのです。三蔵法師のお供の沙悟浄、あれ…。
髪の毛を抜くという行為自体は自閉症児者にはよくある話で、息子の学校にもこれが原因で丸坊主にされるジヘイちゃんはたまにいました。

昨夜、入浴中の私のところに娘がやって来て、「○○の頭、ヤバイよ。明日床屋さんに連れて行ってよ」とガラス戸越しに訴えます。
「エッ、そんなに? …床屋さん開いてるかなあ」とうろたえた私。火曜日が定休日ですが、たまに月曜日と連休するのです。ホントは週末がいいけれど、いつも空いている平日の夕方に行くことにしています。
お風呂を出て見てみたら、それほどでもなくホッとしました。このごろは生活時間帯がずれてあまり顔を合わさないので、たまに見た娘は仰天したのでしょう。
数日前から少し地肌が見えて傷があるので、薬を塗ったりはしていました。
髪を短くした方がいいかな、でももうちょっと暖かくなってからの方が…と考えているうちに、ぎょっとする薄さになってしまいました。

ときどき髪の毛を抜いて口に入れることはありました。前歯の間(裏側)が黒ずんでいるのを発見して歯科に連れて行ったら、虫歯ではなく髪の毛でした、けっこう取れましたよと笑われたことも。
見かけたら注意するのでその場では止めていましたし、髪の毛は人の二倍はあるという話(父親譲りです)なので、あまり気にしないでいました。息子は私より背が高いので上から見下ろすことがあまりなく、正直なところ、注意して見てなかったというのもあります。
気がつくと頭頂部がすっかり薄くなって、爪のあとか、かさぶたのようなものがいくつも見えます。一人で部屋にこもる時間も長いので、手持ち無沙汰でつい髪を抜いていたのでしょう。
今まで自傷行為はあまりなかったので、こちらも甘く見ていたと反省しています。
行きつけの床屋さんが開いていたら、帰りに寄って来るつもりです。


ここまで書いたあとで息子を迎えに行き、床屋さんにも寄ってきました。
うんと短くしてもらったので、薄くなった部分も目立たなくなりました。とりあえず一件落着。
それにしても、散髪が終わり台を降りてきた息子を見て、「アンタ誰?」と笑ってしまった私。こんなに短くしたのは初めてで、息子も不思議そうに頭を撫でたりしていました。
これで髪をむしるのを止めて、きれいに生え揃えばいいのですが。爪が立たない長さではないので、まだ油断は出来ないかもしれません。

床屋さんで待っている間に、置いてあった週刊ポストを読んでいたら、「赤ちゃんポストに障害児が入れられていた!」という記事がありました。
共同通信が配信したのみで、ほかのメディアは触れなかった。ポストの記者が取材したら、赤ちゃんのプライバシーを守る観点から答えてはもらえなかったけど、否定はしなかったそうです。
障害児が置かれたことは以前にもあって、そのときは後日親が引き取りに来た。このニュースは私も聞きました。
思い詰めて殺すくらいなら、ここに置いて他人に託すのもいいでしょう。でも「こんな子ヤダ、育てたくない」という親のエゴを助長するおそれも十分考えられること。メディアが沈黙するのは賢明なのかもしれませんね。
生後20年たってもまだ床屋さんのお供。障害児の親は終わりのない特殊な任務を負うので、育てられない人がいても不思議ではないとあらためて思います。
posted by dashi at 22:52| Comment(3) | TrackBack(0) | 自閉症関連

2008年04月26日

勿忘草

息子の送迎で毎日歩く並木道、桜のあとは躑躅(つつじ)が咲きそろって綺麗です。花というと白や暖色系が多いと思いますが、青くてひっそりと咲く小さい花(オオイヌノフグリやスミレとか)もこの季節よく見かけます。
ラジオ深夜便・きょうの一句の4月24日にこんな句がありました。
「この花に勿忘草といふ名あり」清崎敏郎
勿忘草に「わすれなぐさ」とルビが振ってあります。名前のように水辺や道端に地味に咲いている印象の薄い花だと思います。
どんな花かぴんと来ない方はこちらをどうぞ。
http://pht.so-net.ne.jp/photo/miiya/images/1416943

勿忘草はヨーロッパ原産の多年草。春から初夏にかけて淡青色の可憐な花を着け、花言葉は「私を忘れないで」「真実の友情」「誠の愛」。
アラスカの州花だそうで、寒い地方でも育つ花のようですね。
昔から愛と誠実のシンボルとして多くの民謡や詩に歌われているそうです。
上の句の解説文に「ドイツの伝説から」命名されたとあり、どんな伝説なのかと検索してみました。
よく知られている(らしい)のがドナウ川ので、ほかにもう二つ見つかりました。まだ他にもありそうですね。

昔、ルドルフとベルタという若い恋人同士が春のタべ、ドナウ川のほとりを歩いていた。(ルドルフは騎士で、重い鎧を着ていたという話もあるようです)
ベルタは河岸に咲く青い可憐な花を見つけ、ルドルフに採って欲しいとせがんだ。
彼は岸に降りてその花を手折った瞬間、足を滑らせた。そして花を岸辺に投げて「私を忘れないで(Vergissmeinnicht)」と叫ぶなり、急な流れに呑まれてしまった。
残されたベルタはルドルフの墓にその花を植え、彼の最期の言葉を花の名にした。
ドイツに伝わるこの伝説から、この花は"Vergissmeinnicht"と呼ばれる。英名では"Forget-me-not"、中国と日本では「勿忘草」、何れも同じ意味です。

ある日、迷った羊を探しに山奥に入った羊飼いが、今までに見たことのない青い美しい花を見つけた。それを摘んで見とれていると、もたれかかっていた岩が割れて山の女神が現れ、ついて来るように言った。
促されるままについて行くと、割れ目の奥は大きな洞窟になっていて、その中央には黄金の山が光り輝いていた。
「好きなだけお取りなさい。でも、一番大切なものを忘れてはいけませんよ。」
女神はそう言うと姿を消してしまった。
貧しい羊飼いは夢中で黄金をポケットや帽子、ありとあらゆるところに詰め込み、両手に持てるだけ持って帰ろうとした。
その時、先程摘んだばかりの青い花が悲痛な声をあげた。「私を忘れないで!」
しかし羊飼いが花には目もくれずに駆け出すと、頭上から岩が崩れ落ちてきて彼は埋まってしまった。
女神が注意した「一番大切なもの」とは、小さな青い花、勿忘草のことだったのですね。

アダムがエデンの園にいたとき、楽園の植物すべてに名をつけて回った。
つけ終わると、神は、アダムを連れて園内を巡回した。植物にそれぞれの名を言わせて覚えているかどうか調べて回るためである。
すると、この青い小さな花だけが、うなだれて小声で「難しくて忘れてしまいました」と詫びた。
神はこの小さな花を哀れんで「自分の名を忘れたからとて気にすることはない。しかし、私を忘れてはいけないよ」と慰め、改めて「忘れな草」の名を与えた…そうです。
posted by dashi at 20:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 興味津々

2008年04月23日

ゴミにして出す

米のディズニーワールドで、誤ってゴミとして捨ててしまった結婚指輪3個が、無事に見つかったそうです。
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081208927819.html
[米フロリダ州オーランド 21日 AP] ウォルトディズニーワールドの従業員たちはまるで魔法のように、マサチューセッツの夫婦が誤って捨ててしまった3個のプラチナとダイヤモンドの結婚指輪を見つけだした。

ポール・カンパネールさんは、ディズニーワールド内の滞在施設を去るにあたって部屋のかたづけをしたとき、彼の妻のカレンさんの婚約指輪、結婚指輪、結婚5周年記念指輪が入った紙箱を、それと知らずに捨ててしまった。
ディズニーワールドの従業員はマサチューセッツ州ウスターから遊びに来ていた夫妻に、指輪を回収するのはほとんど不可能だと告げた。金曜日、夫妻とふたりの子どもは空港行きのマジカル・エクスプレス・バスに乗った。
その頃、ワイルダーネス・ロッジ・リゾートでは、従業員のドリュー・ウィーバーさんが、カンパネールさんたちが滞在していた別荘からでたゴミがまだ産業サイズの圧縮機に達していないことを突き止めていた。 彼に加えて7人のボランティアが防護服を身につけ、駐車場のゴミ箱を空にして、指輪を見つけようとゴミ袋を次々とあたっていった。そして彼らはやり遂げた。…
「私たちがゴミをあさったのはこれがはじめてではありません」「いつも見つかるわけではありません。多くの場合、無駄に終わります。でも今回はそうではなかったのです」と、ウィーバーさんは語っている。


私は理解できないのですが、アメリカ人は旅行に行くとき指輪を持っていくんでしょうか。留守中に盗まれたらイヤだから?
とにかく、よかったですね。そうとう運のいい夫婦とみえます。

ゴミとして捨ててしまった、というのでは最近とっても気の毒な話を聞きました。
私と同年輩の友人が結婚した時のこと。
式が終わって、地方から出てきた彼女の両親とともに新居に戻りました。新婚旅行は翌日に出発の予定だったそう。
彼女のお母さんが、式場から持ち帰ったご祝儀の束を、手近にあったお菓子の空き箱に入れました。ちゃんと蓋のできる入れ物の方が落ち着きますよね。
すると彼女が、その箱をゴミと思って捨ててしまったのだそうです。
そうとわかって取り戻しに行ったけど、時すでに遅し。
さんざんな気分で新婚旅行に行ったとかで、結婚式の思い出というとその件がまず浮かんでしまうそうです。

ゴミと間違って捨てる、私も身近で目撃したことがあります。
私の(もとの)義母が、季節の変わり目に、クリーニングに出す服を黒いゴミ袋二つに入れて、玄関の下駄箱の上に置いていました。
そして義母がちょっと家の中に入っていた間に、義父がその袋をゴミ捨て場に出してしまったのです。
その直前に二人は口げんかしていましたから、義父としては進んでゴミを捨てて「あげて」、機嫌をとろうとしたのだと思います。収集車の近づく音(メロディー)が聞こえて、急いだのかもしれません。

さあ車に積もうと玄関に取りに来た義母はびっくり、何もない下駄箱の上を茫然と見ていました。彼女にも例のメロディーは聞こえたはず、何が起こったか一瞬で悟ったに違いありません。
今来たばっかりだからもしかして、と急いで収集場に走りました。たまたま居合わせた私たちも手分けして探しましたが、収集車は見つかりませんでした。
電話で問い合わせてずいぶん粘っていましたが、どうしようもないと言われたようです。

義母ががっくりしたのは、クリーニングに出すような高品質の服(毛皮のコートもあったようでした)をまとめて無くしたことに加え、義父が意固地になって謝らなかったことも拍車をかけたと思います。
それまで見たこともないくらい落ち込んでいました。愛着のある服もあったのでしょう。
事情を知って義父は却って怒り出しました。黒いゴミ袋に入っているものはゴミだと誰だって思う、そんなのに入れるのが悪い、というのが義父の言い分。
まあ、そりゃそうですけど。ごめんとひと言言ってくれればいいのに、と私としては思いました。

ゴミ袋が今のように半透明だったら。収集車がもっと遅く来たら。
「ゴミ捨てて来るよ」と声をかけてくれていたら。
「これはクリーニングに持っていくのよ」と義母が伝えていたら。または、袋の口を締めてなくて中が見えていたら…。
そもそも二人がけんかしてなかったら防げた事件だったと思います。いつもは仲のいい夫婦でしたから。運が悪いときは重なるものですね。
ゴミの中から札束、というニュースはたまにありますね。『ゴミ』は最初からゴミではないのだから、「ゴミにして出す」時は気をつけましょう。箱なら念のため開けてみる、と。


オマケ:のどかなニュースがあったので、口直しに(3月のニュースでネットからは削除されています)。
マケドニアの裁判所、はちみつ盗んだクマに有罪判決

[スコピエ 13日 ロイター] マケドニア南部ビトラの裁判所は、養蜂家からはちみつを盗んだクマに有罪判決を下した。ただ、クマには所有者がおらず、保護動物にも指定されていることから、養蜂家に対しては国が14万デナール(約35万円)の損害賠償を支払うよう命じている。

 勝訴した養蜂家はドネブニク紙に対し「クマが怖がると聞いたので、撃退するために照明や音楽を使った。そのために発電機を買い、辺りを照らして音楽をかけた」と語った。
 ただ、その後の数週間は効果があったものの、発電機が使えなくなって音楽がやむと「クマは再びミツバチの巣箱を襲ってきた」という。
 クマの居場所などの情報は明らかになっていない。
posted by dashi at 22:29| Comment(2) | TrackBack(1) | 興味津々

2008年04月20日

太りすぎ

息子の卒業した養護学校に、ちょっとした移動にも息を切らす肥満体の子(Kくん)がいました。
身長は140cm台で腹回りは150cm以上(私が手を回すと両手が届かなかったので)。どう考えても不健康で、生活習慣病予備軍なのは間違いないと思います。
小さいときは普通の体型でしたが、あまり動くのが好きではないせいもあってか徐々に太り続けています。学校で運動させてくれても、走るわけではなくてゆっくり歩くだけですから、たいしてカロリー消費はしていないように見えました。
お母さんが一念発起して連日プールに通い、8キロばかり減量した夏もありましたが、たちまちリバンドしたようです。リバウンドすると前よりずっと太りやすいのは周知の事実で、Kくんもその例にもれませんでした。

問題はKくんのお母さんに危機感がないことで、「このままじゃ病気になるからダイエットさせなきゃダメだよ」といくら言っても、言い訳して軽く受け流されてしまいます。
Kくんは毎朝納豆で丼飯を二杯食べる、と聞きました。(私としては手っ取り早いダイエットとして、その丼を小さい飯碗にすればと言いました)
納豆キナーゼのおかげか、それほどの肥満に関わらず血液検査の結果は問題なし。心臓の精密検査も今のところは大丈夫だそうです。
Kくんのお母さんは一度、話を逸らしたかったのか、以前その子と同じような体型だった子のことを持ち出して、「Sクンは痛風になっちゃったんだって!」と言い出したことがありました。

「お医者さんにすごく叱られたらしいよ。だから必死でダイエットさせたんだって」
身を乗り出して目を輝かす彼女に、アナタの子はもっと太ってるから危ないよ、見習って痩せさせたらと食い下がって嫌われた私でした。
風が吹いても痛むから痛風、そりゃ〜可哀相です。80〜90%になんらかの腎障害が現れるそうですし、合併症も高血圧、高脂血症、糖尿病、肥満、動脈硬化、心筋梗塞。周囲も真剣にならざるを得なかったでしょう。
痛風はかつては美食のせいとされましたが、現在では否定されています。アルコール、激しすぎる運動、ストレスが関連を疑われているようですが、それらに無縁と思われるSクンの痛風は、肥満の結果なのだと思います。

Sクンは劇ヤセしました。別人のようにすっきりして見違えたものでした。
Sクンのお母さんも太めで、血圧や血糖値の治療中らしいですが、残念ながら痩せたのはSクンだけのようです。
私がダイエットしたときにしきりに羨ましがるので、アナタもやりなさいよと勧めました。枇杷の葉を煎じて飲むなど民間療法を試みていましたから、それよりダイエットが早いと強く勧めました。
でも彼女は愛嬌のある顔で「わかってるけど出来ないのよね。コンデンスミルクに××を落としてちびちび飲むのが最高なの〜」と無邪気に笑うだけでした。(××が何だったか思い出せません)
そばにいた友人が「コンデンスミルク!?」とあきれて大きな声を出していました。
痩せた方がいいのは百も承知。痩せれば体調も良くなるのは重々承知だけど、今目の前にある誘惑に勝てないのでしょうね。
彼女が自分も痩せなきゃと目が覚めるのは、糖尿か痛風を宣告された時なのかもしれません。

きのう久しぶりに会った年下の友人が、私の顔を見るなり「とうとう酒をやめた」と言いました。「もう2ヶ月、一滴も飲んでない」。
そう言われてみると顔は(皮下脂肪が減って?)「つやつや」が緩んで目が大きくなった感じ。肩や足も固かったのが柔らかくなっていました。
「これから急激に体重が落ちるかもね」と励ましたことでした。彼女の娘3人はみんな可愛い顔をしているので、彼女も痩せると驚くような美人になるかもしれません。
結婚以来の肥満体、原因はストレスを紛らす酒(ビール)とわかっているので、やめるように私が再三意見していた人です。
その彼女が酒をやめたきっかけは、膝が痛くなって階段を上れなくなったこと。糖尿かもしれないとコワくなったそうです。
以前、糖尿になって30キロダイエットしたら治療の必要がなくなったという知人の話をし、糖尿の合併症で脅したこともあったので、頭の隅にあったのかもしれません。かなり辛辣なことも言って敬遠され気味でしたが、結果的によかったと嬉しく思っています。

自分の心がけひとつで解決できるダイエットは、しない手はないと思います。
多少の小太りは大目に見るとして(その方が丈夫とも言うし)、適度な体型で最後まで元気に過ごしたいものです。食べたいものを食べたいだけ、自分でコントロールできる自由に感謝しつつ。
posted by dashi at 20:48| Comment(3) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2008年04月19日

終の棲家

最近は気の重くなる、長生きできないね〜とため息をつきたくなるような事件・政策が多くてイヤになりますが、とりわけ、岡山県津山市で起こったケアホームの虐待は、障害者の親としては目の前が真っ暗になるような衝撃的なニュースでした。
営利目的ではないと謳うNPO法人(「NPO」は、「Nonprofit Organization」あるいは「Not-for profit Organization」の略)が作るホームなら安心、と思うのは甘いんですね。
http://www.asahi.com/national/update/0417/OSK200804170099.html
高齢者虐待で指定取り消し 岡山・津山のグループホーム
2008年04月17日22時53分

 岡山県津山市日本原の介護事業所「グループホームRing」で、入所する認知症の高齢者が衰弱していることを把握しながら放置し、虐待していたとして、津山市は17日、このグループホームを運営するNPO法人「高齢者介護研究研修実践の会Ring」(藤井諭理事長)に対し、介護保険法に基づく事業者指定を30日付で取り消す処分を決定し、同法人に通知した。同市は、入所者が十分な食事を与えられていなかった疑いがあるとみている。厚生労働省によると、虐待を理由に介護施設の指定を取り消すのは初めて。

 同市高齢介護課によると、入所者の家族からの苦情などを受けて3月14日に同ホームへ監査に入ったところ、70代〜90代の女性入所者5人全員が入所時より体重が減っていた。このうち、3人が10キロ以上減り、入所後1年3カ月の間に45キロあった体重が28キロに減った人もいたという。

 同課が10キロ以上やせた3人について医師に診察を求めた結果、3人とも「栄養失調。絶対的なカロリー不足」と診断された。このため、同市は、施設内で入所者を衰弱させるような著しい減食や長時間の放置などの虐待が繰り返されていたと判断した。
(以下略)

他で読んだ情報によれば、2006年ごろから入居者の家族から訴えがあり、昨年の秋には「職員の指示に従わないと罰として食事を与えられない」由の内部告発があったのに、津山市は簡単な事情聴取しただけで虐待はないと判断、放置していたらしいです。餓死でもしてたらどうなってたんでしょうね。
少人数の家族的なケアを期待されて、終の棲家に選ばれて入ったホームでしょうに、とんでもない飢餓地獄が待っていたとは。
28キロなんて小学低学年の体重だと思います。骨もスカスカでしょう。軽いから移動などの介護するのにはラクだったかもしれませんね。


息子がまだ就学前に通園していたとき、「人のものを勝手に食べてしまって困る」とこぼすお母さんがいました。
ウチの息子は当時甘いものは一切食べなかった(飲まなかった)し、人のものに手を出すなんてことはありませんでした。そういう、小さい子がみんなやるようなことをしてくれたら、むしろ、喜んだかもしれません。
そのお母さんの悩みに対し、もう一人のお母さんが言いました。
「おなかがすいたら人のものでも取って食べてほしい。おなかがすいたと言えなくてすいたままでいるのは可哀相だから、私はその方がいい」
それはあまりに自己本位な考えではとあっけにとられながらも、ここまで大切に思ってくれるお母さんのもとに生まれた子は幸せだと思いました。

ウチの息子は「おなかがすいた」とは言わない(言えない)けど、しまってある食べ物を探したり、人のものを取って食べることはするかもしれません。
もしケアホームでそういうことをして、罰として絶食させられたら…と想像するだけで胃が痛くなりそうです。そんなホームなら、抵抗して暴れると縛られるか薬漬けにされそうだし。
障害児者の親にとって、自分たちが死んだあとの子どもの処遇は、最も気にかかるところです。
ウチはほかのきょうだいもいるし、母子二人だけでずっと暮らすのはよくないと思うし(共依存関係?)、いずれはグループホーム(ケアホーム)かな。安心して息子の老後を託せるホームを探すなり作るなりするのが、私の最後の仕事かな、と思ってきました。かなり困難で重要な仕事だ、と気の引き締まる思いです。
posted by dashi at 23:39| Comment(2) | TrackBack(2) | 社会問題

2008年04月18日

ホトトギス

きょうは雨で巣籠りしたようですが、一昨日の朝、ウチの前の藪でホトトギスが鳴くのを聞きました。
ホトトギスの画像と豆知識はこちらをどうぞ。
http://www.kanshin.com/keyword/956909
姿かたちはメジロが断然可愛いですが、鳴き声となるとホトトギスは別格だと思います。
鳴かぬなら……ホトトギス、というのがありますよね。
織田信長は「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」
豊臣秀吉が「鳴かぬなら 鳴かしてみよう ホトトギス」
そして徳川家康が「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」
織田信長はすぐカッとなる短気で乱暴なイメージ、豊臣秀吉は努力家、徳川家康にはよく言えば我慢強い、悪く言えば老獪なイメージがあると思いますが(私だけではないでしょうね?)、この句がそういうイメージを定着させたかもしれませんね。

これは趣味人として知られる肥前平戸(現在の長崎県)の第9代藩主・松浦静山(まつらせいざん)が残した、江戸時代の随筆集「甲子夜話(かっしやわ)」に出てくる句だそうです。三人三様の性格を的確に表しているから、人口に膾炙して現代にも残ったのだと思います。
この三人のが有名ですが、甲子夜話には十一代将軍徳川家斉(いえなり)を詠んだ「鳴かぬなら鳥屋へやれよホトトギス」というものもあるそうです。家斉は「遊び狂っていた腐敗将軍として有名」で、「蟹や鶏を踏み潰したり殴り殺したという残虐な逸話がある」そうですが、…よくわかりませんね。
なお徳川家康には
「人の一生は、重き荷を負いて長き道を行くが如くなり。急 ぐべからず」
という遺訓もあるようで、私が子供のころ日光土産にもらった小物にこの句が書いてありました。私はわりと気に入ってましたが、説教臭いかな。家康公はあまり楽天的な人ではないようですね。

たまたま見かけたサイトで、「鳴かぬなら、どうする?」と質問したものがありました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1014718950?fr=top_mantenna
十人十色、百人百色ですね、いろんな答えがあります。中には「食べてしまうぞ」とか「餌をやらんぞ、水もやらんぞ」などというのもありますが、概して優しい答えが多いようでした。
ベストアンサーに選ばれていたのが、
鳴かぬなら「明日は鳴いてね」ホトトギス  鳴きたくない日もあるさ〜 」
ホント、こういう余裕を持ちたいものですね。
ユーモアという点では、
鳴かぬなら、連帯保証人にするぞホトトギス。  どうだ、これなら泣くだろ(T_T) 」
鳴かぬなら どげんかしましょう ホトトギス

私が気に入った答えをいくつか。
鳴かぬなら 鳴かぬでもいい ホトトギス  (強要はいけませんw  今、会社で他の人を教育しててこの心境です)
いつかは鳴くよ・・・・・ホトトギス!  (焦ったってしょうがない、まあ、心にゆとりを・・・・・ゆっくり待ちましょう! )
なかぬなら 静かでいいね ほととぎす  (ま、鳴きたくて鳴けないなら病院だけど(^^; 鳴かないならそれはそれでいいんじゃないかー )
鳴かぬなら、、、、踊ってごらんよホトトギス。  (他の可能性を探します)
鳴かぬなら 「とりあえず原因をつきとめよっか・・・」 ホトトギス  (獣医に連れて行きます 治るなら治療 治らないなら受け止めて大切に育てます )
…最後のセリフにはグッと来ますね〜障害者の親としては。
posted by dashi at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 興味津々

2008年04月17日

息子の近況

養護学校を卒業した息子が、自宅から歩いて(かなりの早足)20分の立地にある通所施設に通い始めて、半月あまりが過ぎました。
中間点あたりのバス停前(人だかりがある)で足を止め、ちょっとペースを落とすものの大体一目散。通所を嫌がる様子はないので、心地よい居場所なのだろうと思っています。
ただ、14年も同じ学校に通い慣れていたので、本人としても切り替えが大変だったのでしょう。連日上履きを持ち帰ろうとしたり、それを止められて投げ飛ばしたり。作業中も上履きに手をやって注意されたり(止められなければ上履きをバリバリと破るのが大いに予想される展開)していたようです。

何かを破らないと気がすまなかったのか、家庭との連絡に使っていたファイルや連絡票も2回ビリビリに破られました。連絡票は家でコピーしてその後も使いましたが…。
現在は小型のファイルに交換し、本人には隠して持ち運びしています。私のバッグに入れると見つかるから服の下にはさんだりして、ヨレヨレの連絡票に苦笑している次第。
破られたら担当職員が対応をすぐ考えてくれ、「一枚うわて」のやり方を楽しみながら模索する余裕も感じられ、なかなか勉強になります。
ハンカチ一枚入れただけのリュックを背負って、他の人のように連絡帳が入っていないことに多少不思議そうな顔をしながらも、「そんなものかと思っている」ようす。
私の予想より適応に時間がかかったものの、ようやく落ち着いてきた(と思われる)ところです。

そこは自閉症者ばかり、定員50人のところに57人も集まっているそうです。自立支援法施行の余波で定員に幅を持たせられるようになり(と言うか、そうでもしないと経営的に立ち行かないらしい。今でもすごい赤字らしいし)、ウチの息子も滑り込めたという感じですね。
以前からいるお母さんたちがこの前、「57人もいるんだって」と眉をひそめていました。援助が手薄になるんじゃないかとご心配なのでしょう。
まあ、そこは自閉症のプロのお手並み拝見と大目に見て下さい、と言いたいところです。ウチの息子にも、なるべく手をとらないで迷惑かけないでやってほしい。

同時期に別々の養護学校から新卒が4人入りました。先日そのお母さん4人でお茶を飲んだら、同じような障害の子たちだから悩みも共有できて話がはずみ、すっかり話し疲れるほどでした。
来週には、この施設を運営している社会福祉法人(関連施設多数)の、保護者会総会。厳しい社会情勢や運営などの実情を聞いて、認識を新たにする…ことになるかなと思っています。
posted by dashi at 13:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 自閉症関連

2008年04月14日

そごうの時計

皆さん知ってました?
そごうの入り口にあるからくり時計、明日を最後に動かなくなるそうですよ。
いや、時計自体は動くらしい。「イッツ・ア・スモールワールド」のメロディーに乗って登場していた、あの人形たちが姿を見せなくなるそうです。
http://www.asahi.com/life/update/0412/OSK200804120024.html
老朽化を理由としているらしいけど、それほど古いとも思えないですね。
人形を動かすには余分な電力もかかるしメンテナンスも必要。近くで見るとかなり大きいものなんだろうし、複雑な形で掃除も大変かもしれない。
維持するにはやっぱりコストがかかるんだろうな〜と思っています。
そごうは東京ディズニーランドの、イッツ・ア・スモールワールドを提供している(オフィシャルスポンサー)から今まで続けてきたのでしょうが、今回のからくり中止はそごうの経営危機と関係あるのかもしれませんね。

私が知っているのは横浜のそごうだけで、息子のクラスで待ち合わせるときはいつもあそこを使っていました。相手が少し遅れてきても許せますしね。
思わず横浜そごうに電話して「お宅のも動かなくなるんですか!?」って聞いてしまった。残念ながら本当でした、明日の午後7時45分で動きを止めるそうです。
いつも人だかりが出来てる人気のスポットなのに、消えるのは寂しいですね。
いくらするものか知らないけれど、横浜には「人形の家」もあるのだから、移設して現役で動かしてほしいなあ。
人形を全部見ようと思えば正午の時報の時ですね。明日で最後になるなら、(わざわざだけど)見に行こうかと迷っています。
posted by dashi at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 興味津々

2008年04月12日

職務に忠実

昨日の東名バス事故には驚きました。対向車線のトラックから外れたタイヤが飛んできて観光バスを直撃、運転手が死亡した事件です。
自分には何の落ち度もないのに、よりによって運転席を直撃されたために亡くなった運転手さんは本当にお気の毒です。
http://mainichi.jp/photo/archive/news/2008/04/11/20080411k0000e040084000c.html
大型トラックの整備不良の疑いということですが、その後の情報ではちゃんと車検を通っていたそうです。世界一厳しいと言われる日本の車検を通った車の、ボルトが全部錆びていたとはにわかに信じがたい、叩けばほこりが出るのかもしれません。

このニュースを聞いて映像を見たとき、最近のバスの車体はずいぶん頑丈なのだなあと思いました。100キロもある(と聞きました)タイヤが直撃したのにフロントガラスは一部しか割れず、亡くなったのも運転手一人だけ。これだけの事故となると、一昔前ならもっと悲惨なことになっていたと思います。
それと、運転手が亡くなったなら制御不能だろうに、バスが側壁にぶつかったり暴走したりせずに止まったようなのは、不思議に思っていました。バスが蛇行でもしていれば巻き添えになる車もあったと思います、なにしろ高速道路ですから。
今日になってその疑問が解けました。亡くなった運転手さんが、おそらく飛んでくるタイヤを視野にとらえたのでしょう、ブレーキを踏み、サイドブレーキを引いてバスを停めたらしいのです。

びっくりして身体をよけていれば、運転手さんは直撃を免れてあるいは助かったのかもしれません。でも逃げずに職務に忠実、非常事態にとっさにバスを停めようと行動して結果的にたくさんの命を救った。すごいなー、これこそプロの仕事と素直に感動しました。
トラックの運転手や、その運転手を雇っている会社の経営者が、もうちょっと職務に忠実だったら。安全を第一に法定の整備と点検をしていれば、起こらなかった事故、失われなかった命ではないかと残念です。
大型トラックはタイヤ一つも凶器になるのは、前例もあります。はずれた(トレーラーヘッドの)タイヤの直撃を受けて、ベビーカーを押していた若いお母さんが亡くなった事故もありました。これは三菱自動車の製造責任でしたが、よその事故は教訓としてほしいですね。

職務に忠実なのはビミョーと私が思うのは、ホームヘルパーの仕事です。
私が実習に行っていたとき、こんなことがありました。
利用者はアパートで一人暮らししているおばあさん。身の回りのことは大丈夫だけど足が不自由で家事は出来ないようでした。
幸いすぐ隣が小さいスーパーなので、買い物は便利。「きょうは何々を食べたい」と言われて、(出来合いのものを)買いに行っていました。
戻ってからお風呂とトイレの掃除、床にもざっと掃除機をかけます。
お正月の前だったので、おばあさんは換気扇の掃除や窓掃除をしてほしいと言いました。

いつもは一人のところに私もいたので、お安い御用とやろうとしました。換気扇をはずそうとするとヘルパーさんがあわてて止めます。
大掃除はいけない。要するに、介護保険でカバーしている(ケアの範囲)以上のことはやってはいけないのです。ボランティアならいいのですが公金が介在すると縛りが出てくるのですね。
結局換気扇ははずさずに拭くだけにして、それでも「きれいになったわ」と喜んでくれました。
窓ガラスも、内側を拭くのはいいが外はダメ(だったかな)とかいった決まりがあったようです。
そして、私がすごく疑問に思ったのは、電球を買ってきて換えてほしいという願いをヘルパーは「出来ない」と断ったことです。「ウチは全部主人がするから、私は換えたことがない」というのがヘルパーさんの言い分でした。

それが本当なら、あまりに無能なヘルパーだと思います。実は出来るけど、想定外の仕事だからやらない(やるべきでないと考えている)ならば、それはヘルパーの資質としていかがなものかと(意地が悪いと)思いました。
ところが後日私が仕事をしたお宅でも「前のヘルパーさんは電球を換えてくれなかった」と聞きました。そういう方針らしいのです。
派遣する事業所がヘルパーに電球の交換を禁じているならば、それはあまりに杓子定規な、現実を無視した方針だと思います。吹き抜けなど危険な高さならともかく…。
電球が切れていれば、夜はそりゃあ困るでしょう。
でも、そのくらいやってあげるよと「余分なことをやる」のは職務に忠実ではない越権行為なのだと思います。「あのヘルパーなら何でもやってくれる」というのも困る。結局自分の首を絞めることにもなりかねません。
…一事が万事。
世話好き、おせっかいな人にはホームヘルパーは向かない…かもしれない。
posted by dashi at 23:55| Comment(1) | TrackBack(0) | 社会問題

2008年04月10日

高い人、低い人

以前身長世界一とされていたのは中国人男性・鮑喜順さんで、ここでもご紹介したことがあります(その後結婚したというニュースも流れました)。
http://dashisroom.seesaa.net/article/29830377.html
が、2006年に公式に計測して2m57cm、世界一と現在ギネスに認められているのはウクライナに住むレオニード・スタドニクという男性だそうです。
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081206498603.html
サイトに写真もあります。14歳のときの脳手術の影響で、成長ホルモンの過剰分泌が原因という気の毒な巨人化、膝を傷めるなど苦労も絶えないようです。
もと獣医さんだそうですが、大型の動物なら適任としても、巨大な指では小さい動物を扱うのも難しそうですね。
ガスも通わない不便な僻地住まいらしいですが、幸い、情報が流れると支援者も現われて助かっている様子。プレゼントされたコンピューターで世界中に友人が出来て、(結婚した)鮑喜順さんにもあやかりたいようです。
大統領は巨大な車をプレゼントすることを検討中とのことですが、早く実現してあげてほしいですね。足のサイズが43cm、200kgの体重の人が乗る車って、座席もキングサイズ…?
この人が聖火を運べば誰も届かない、ですね。

一方インドの14歳の少女Jyoti Amgeさんは、身長は58cm、体重は5kgしかないそうです。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080409_smallest_girl/
中段には2歳の幼児とツーショットの写真。幼児より小さいですね。
これは軟骨形成不全症(小人症)のためで、将来も現在の身長より高くなることはないとか。
特別製の机を並べて一緒に学ぶクラスメートと撮った写真もありますが、ノートや教科書を入れたカバンをどうやって運ぶんでしょうか。
本人は臆することなく、服やアクセサリーは自分用にオーダーメイドしたものを身につけ、
「私は自分が小さいことに誇りを持っています。私は自分に集まる注目を愛しているし、小さいままでいることも怖くなく、後悔もありません」
と述べているそうです。
そのうち来日して日本でも人気者になるかもしれませんね。
世界も広い、病気や不自由さに負けず、偏見や差別も丸ごと呑み込んで前向きに生きるたくましさに脱帽です。
posted by dashi at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 興味津々

2008年04月08日

スポーツと年齢

※敬称略

FA権を認められた巨人の上原投手が、実質的な大リーグ挑戦宣言をした、というニュースには感慨を覚えました。
http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20080407-OYT1T00581.htm?from=navr
10年前、鳴り物入りで巨人入団した(逆指名した)当時のことは、特別ファンでもない私にも記憶があります。
私は知りませんでしたが、巨人入団の年に大リーグ入りの話もあって、その時は「自信がなくて」断ったらしいですね。昨夜のテレビインタビューでそう話していました。
自信というのは投球の技術のことではないでしょう、まだまだ日本人が見下さている時代のことで、心配する人が周囲にも多かったのではないかと思います。
いずれ大リーグに行きたい、という夢(本人は目標と言っていました)を諦めないで自信をつけ(一度はポスティングを希望したとか)、自分で行き先を決められるFAまでじっと待っていた、そのけなげさに心を打たれます。

所属する球団が経済的な窮地に陥らなければ、松坂大輔だって10年待たなければならなかったでしょう。10年後に今ほどの活躍ができたのかどうか。
松坂も松井秀喜も高校野球からプロ入りしましたから、10年待っても28歳かそこら。上原は一浪の大卒だからそれより5歳プラス。新しい環境になじんで活躍するには厳しいし、持ち時間も少ないですよね。
「目標を達成してから終わりたいという気持ちも強い」というコメントに、全盛期を過ぎたことを自覚し、選手生活に悔いを残したくないという覚悟が感じられますね。
先ごろ現役引退を表明した桑田真澄のように、すっきりした気分でグラブを置く日を迎えてほしいと思います。
個人的には、ドラフト制とともにFAというのはとても非情な制度だと思います。勤務先が自由に選べず、選ぶには10年待たないといけないというのが、これからも制度としてずっと残るのか気になります。


女子テニスの伊達公子現役復帰、のニュースにも驚きました。
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/sports/news/CK2008040802001908.html
杉山愛のほかに自分に続く選手が育っていない、と言われると、たしかに…という感じですね。
プロ復帰と言っても海外遠征やツアー参戦は考えてないそうで、後進を育てるべく若手を刺激するという狙いが大きいようです。
引退からもう12年たつ(それでもまだ37歳)そうですが、結婚もして幸福そうで、テニスを楽しむ余裕ができたのでしょうか。
悲壮感とは無縁な、こんなプロもいいなと思いました。

ところで大阪場所で悲願の優勝を果たした朝青龍、実は13日目の琴光喜戦で太ももの肉離れを起こしていたそうです。
痛いと言ってられなくて優勝戦にも臨み、その後の巡業にも痛み止めを飲みながら参加している由。
http://www.sanspo.com/sports/top/sp200804/sp2008040500.html
以前は怪我してもすぐ治ったのに、治りが悪い。「オレも年かな」と苦笑いしたそうです。
お相撲さんの引退が早いのはよく知られてますね。朝青龍は1980年9月生まれの27歳だそうですが、関取としては高齢かもしれません。
ちなみに白鵬は1985年3月生まれ、23歳になったところです。

先ほど運転しながらラジオを聴いていたら、日本で最高齢の五輪出場を決めた馬術・法華津(ほけつ)選手の会見を紹介していました。
話題になったわりに情報がないなと思っていたら、謎が解けました。5年も前からドイツ西部に定住している人で、今回やっと帰国してくれたのですね。今まで取材の機会がなかったのでしょう。
東京大会以来44年ぶり、実に67歳のオリンピックと騒がれています。
でも、ソウル五輪も出場するはずだったのに、馬が検疫に引っかかって出られなかった。だから本人としては「20年ぶりの五輪」という感覚のほうがしっくり来るそうです。
もちろん現役。五輪も競技会の一つにすぎない、と冷静なのは、年の功かもしれません。ずっと続けていると上手くなるんですよ、というようなことを淡々と話されていました。いぶし銀の活躍に期待。
posted by dashi at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 興味津々

2008年04月06日

餃子パーティーで

朝刊を広げてびっくり。私が昨日参加したイベントが地方面に大きく紹介されていて、笑っている私の顔もばっちり写っています。記者やカメラマンらしい人も何人か来ていたから不思議はないけれど、予想よりだいぶ大きな記事でした。
それは数日前に同じ地方面で見かけたイベントです。
横浜市の中学生が、冷凍餃子問題で冷え切った日中の関係をなんとかしたいと思い立ち、手作りの餃子パーティーで友好を温めたらどうかと企画。
日中友好「餃子料理教室」を楽しむ会・主催とし、神奈川県日中友好協会と(財)横浜市芸術文化振興財団・磯子区民文化センター「杉田劇場」の協力で開かれました。

日にちと開かれる予定の時間帯が、ちょうど息子をガイドヘルパーさんにお願いすることになっていた時間とぴったり同じ。いつもの自宅ではなく会場からすぐの駅改札で息子の送迎をすることにすれば大丈夫、と計算しました。
週末に開かれる(障害者向けなど息子と一緒に出かけられるもの、ではない)イベントは、今までは興味があってもハナから諦めていましたが、今回はまさに「おあつらえ向き」です。これは参加しなさいということだろうと、記事を読んですぐメールで申し込みました。
私以外の参加者たちは、日中友好協会の人やそこで中国語を習っている仲間とか、中学生の学校関係者(保護者、生徒)が多かったようです。

企画したのが中学生というのがすごいですね。どんな子たちかと思ったら、特別優等生ふうでもない、ごく普通の中学生でした。
大人が思うほど肩に力が入ってなくて、一人は「長野県でそば打ちをしたノリで」と話していました。
文革や天安門事件の記憶のある私としては、中国に対しては少なからず警戒する気持ちがどうしてもあります。冷凍餃子やチベット問題にしても、ありそうなことだと思っています。
でも問題が山積みと言ってもお隣・中国との友好は避けて通れない問題。これからはこういう先入観のない若い世代が関係を作っていくのでしょう。

餃子はたまに作りますが、皮はこれまで市販のものを使っていました。
中国に住んでいたときにコックさんが粉から皮を作るのを見ていて、そう難しいものでないことは知っていました。
今回は実際に作ってみて、やっぱり皮から作った方が美味しいし、皮の買い置きがなくても思い立てばすぐ作れる。第一面白いので、これからは皮から作ることにしようと密かに誓った次第。
中国では餃子と言えば水餃子のことで、日本で多く食べる焼き餃子は「鍋貼(guotie)」と呼ばれて、一般的なものではありません。今回作ったのも水餃子にしていただきました。

友好を深めるのが狙いと言っても参加者はほとんどが日本人で、中国人は講師の女性と、特別参加の少年だけでした。日中友好協会の人が声をかけたら来てくれたそうです。
他の人たちは連れがいる感じだったし、私は専らこの少年とお話しをしました(迷惑がりもせずよく相手してくれました)。
訛りのないきれいな日本語を話すので日本の生活が長いのかと思ったら、来日してまだ一年半とのこと。
来日直後は言葉が通じなくて大変だったそうです。中国であらかじめ日本語を勉強したわけではないそうですから、来日してからよほど頑張ったのでしょう。頭もいいのでしょうね。
受験して公立の商業高校(名門)に受かったそうで、来週から高校生とはにかんでいました。

冷凍餃子事件ではどうだった、と聞いたら、やはりずいぶん影響があったそうです。多くは語らないけど、いろいろ言われて大変だったと苦笑していました。卒業してホッとしたかもしれません。
日本語の検定試験は受けたの、と聞いたら、受けたけどダメだったそう。一級の文法問題がまるきり歯が立たなかったそうです。その若さで一級を狙い、またチャレンジするそうで、将来有望だなあと思いました。
ちなみに彼の両親は周囲が中国人ばかりの環境で(お父さんは餃子を作る職人ということでした)日本語はあまり話せない。彼自身は「中国語を忘れないように」家では中国語で話しているそうです。

日本語一級(志望)の彼に話すのも恥ずかしいけど、私は先月中国語検定3級を受けたところ。いずれは2級にもチャレンジしたいと話したことでした。
いつかまたどこかで再会して、そのときは彼と中国語で会話したいものだと思っています。
posted by dashi at 21:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2008年04月04日

老後の住まい

養護学校を卒業した子のお母さんと話していたら、
「(子どもが)学校に行ってる時はあまり考えなかったけど、自分の老後が気になるようになった」と言うので、
「自分よりまず親だよ〜、順番から言ったらそっちが先でしょ」と笑ったことでした。
彼女のご両親は90近い高齢ながらとても元気で、横浜近郊で農業を続けていらっしゃるそうです。だからあまり心配してないらしい。
「ずっと元気で働いててある日パタッと倒れて、見たら死んでた、という最期が理想ね」「私の親はそうなりそうな気がする」。
まさにPPK(ピンピンコロリ)、周囲に迷惑をかけない幸せな生き方(逝き方)ですね。

そりゃあそうなれば最高ですが(自分でも納得できる年齢まで生きたらね)、最期まで元気なままという人は少ないでしょう。
75歳以上が悪評高い「後期高齢者」という呼ばれ方をするのも、「その年齢だとどこもなんともない人は少ない」という前提に立ってのことだと思います。
「後期高齢者医療制度」なるものが始まったのも、
「あんたたちの世代はほとんどが病気持ちで医療費が大変なの。面倒見きれないから自分たちでも負担して、なるべく節約してね」
ということでしょ。まったくひどい話ですね、安心して歳を取れやしない。
取ってつけたように「長寿医療制度」という名称と併用するらしいですが、トシヨリと見くびって誤魔化してないかしら、朝三暮四のサルじゃないんだけど。

先日チラッと見たテレビで、高齢者向けの賃貸マンションを紹介していましたが、自分で身の回りのことが出来る元気な老人の住まいとしては悪くないと思いました。
3食付きで、月額10万ちょっとだったと思います。
食堂に集まって栄養士の準備した食事を摂るシステム。
出てこない人がいたら心配してもらえるでしょうし、少しでも人と話すことで孤独から鬱になるのを避けられる。一人っきりで黙って食べるより美味しいでしょう。バランスのいい食事をきちんと摂ることで、生活習慣病の予防にもなりそうです。
食べ物の好き嫌いがあまりなく、他の入居者とほどほどに仲良く出来る人ならば、いいシステムだと思いました。

同居できる家族がいる人でも、希望して入居していたりもするそうです。家族と一緒にいるのが必ずしも幸せとは言えませんよね。
特に女性の場合、家族からお手伝いさん代わりに当てにされる人も少なくないと思います。テレビでも「やっと食事作りから解放された」と笑っている入居者(オバサン)もいました。
私の母がよく嘆いていた「女は三界に家無し」というのを思い出します。子どものときは親に仕え、結婚したら夫に仕え、年老いては子に仕える。今はそんな境遇に喜んで甘んじる女性は多くはないでしょう。
自分の年金や貯えで賄えるようなら、これからこういう気楽な生き方を選択する人が増えるのではと思います。
ただ個室が4畳半ぐらいの広さしかないそうなので、荷物はほとんど持ち込めませんね。大胆に身辺整理をする勇気がないと難しそうです。
また、要介護の状態になれば出ることになるのだろうと思いました。

要介護の人の小規模集団生活はケアホーム(グループホーム)という形式で介護保険の対象。身内を託す家族は、家庭に近い環境で介護の目も行き届くと期待すると思います。
現実はなかなか厳しいようですが、これからますます需要の増える分野ですから、補助金をケチったりしないで行政はちゃんと手当てしてほしいと思います。
希望すれば待たされないですぐ入れて、行政に用意された(つまり公立の)住まいで安心して快適な老後を送る。そんな未来だったら、いいなあ。
posted by dashi at 22:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会問題

2008年04月02日

これから

BBCの、ペンギンが空を飛ぶ映像には笑えましたね。エイプリールフールを楽しめるユーモアには脱帽。
その昨日から、息子は自閉症に特化した通所施設に通い始めました。行事が苦手な自閉症者向けに、入所式のようなセレモニーもない淡々とした始まりです。
「明日からどこそこに行きます」と前の日に何度か言われ、よくわからないながらも何か環境の変化を感じ取った息子は、多少落ち着かない様子でした。当日に行ってみると、実習で一週間(5日間)通ったこともある見知った場所なので、ホッとしただろうと思っています。
事前の打ち合わせがとても丁寧だったこともあり、息子のことはよく把握してあって安心してお任せできます。卒業した学校からも、進路の先生が様子を見に行かれたようです。

これからは行事の類は一切なし、夏に一週間の休暇があるだけで冬休みも年末年始のほんの数日、春休みにいたってはゼロという、私にとっては夢のような(待ち望んだ)生活が始まります。
学校に通うのは、遠いから交通機関を利用しなければならず、いったんは出来ていた自力通学も挫折しました。
今度ばかりはゼッタイ一人で通うようになってほしい。そのために、早足で片道20分の距離を歩いて通っています。
息子は往復するだけですが、相伴する私は二往復、最低でも80分歩くことに。息子が一人で行く日を楽しみに、路線バスに乗る誘惑と戦うつもりです。
毎日のウォーキングで身体を鍛えながら、「これから、どうするか」を真面目に考えたいと思っています。

きのうの朝、息子を送り届けた帰りに区役所に行って用事を一つ片付け、そのあとハローワークに寄ってみました。私にも出来そうな仕事があるかどうか、求人の状況を調べようと思ってのことです。
案外ハードルが高かったのが、勤務終了時刻でした。
息子の送迎(いずれは単独帰宅)を考えると、働ける時間がおのずと制限を受けます。朝はいいのですが夕方が早すぎて、こちらの望むような時間帯の仕事は皆無。
ハローワークの方は私の境遇に同情的で、とても親切でした。こちらの事情を話して労働時間に融通がきかないか相手方に訊ねてくれたりもしました(施設の指導員)。

私もいつの間にかこんな年齢になって、見てくれにも体力にも全然自信はありません。これで勤務時間に注文をつけるなど、とんでもないワガママというのはよくわかっています。
ワードやエクセルを使うような「綺麗な」仕事は、よほどの実務経験がない限りは若い人のもの。まあ、そりゃそうですよね。娘の友人(20代)も、事務の実務経験は豊富でも今はなかなか仕事が見つからないと言っていました。
結局、コマギレの時間で働く(効率の悪い)ホームヘルパーしか見当たりません。いずれまた、「ヘルパー2級」を使うときが来るのかなと思いました。

先日、ヘルパーを何年もやっている私より少し若い友人と会いました。
実務日数が受験資格に達したので、介護福祉士を受験したというのには感心しました。
彼女も障害児のお母さんですが、「上手に育てたなあ」と私が一目置いている人で、決して軽度ではない息子を社会にうまく順応させています。
週に3回ホームヘルパーをやって、一回は(断れない事情があって)近くの作業所でボランティアをやっている。ほとんど休みがないとぼやきながらもすこぶる元気そうでした。
彼女に言わせるとホームヘルパーは「ラク」だそうです。デイ(デイサービス)は入浴介助が主で「さっさとやめた」そう。体力のある男性や若い人の仕事かもしれませんね。そうじゃない私にはとても無理、canとhopeをよく見極めて行動しようと思ったことでした。
posted by dashi at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記