昨日は、SELP・杜10周年記念・ありがとうコンサートというのに行って来ました。
SELP・杜(セルプもり、と読みます)というのは、横浜市栄区にある(以前の呼び方では)通所授産施設。ここが開所10周年を迎えたようです。
ここで職員をしている知り合いの方に、コンサートがあることを教えてもらいました。
最後の春休み、どうして過ごそう(息子を過ごさせる)かと頭の痛いところに、こういうイベントがあるのは本当にありがたいことでした。
SELPのS は、Support(支援)、 E はEmployment(就労)、 L は、Living(生活)、 P はParticipation(参加)を表し、その頭文字をとっているそうです。支援を必要とする人たちの就労・生活・社会参加を支援する施設です。
交通はわりと不便(バス便だけ)なところにありますが、施設見学の人たちがよく訪れ、障害者の親の間では理想的な進路先として人気のあるところです。
(ただ授産というところは就労の足がかりという位置づけなので、ウチの息子のような重度の子には無理です)
施設長の手腕も左右するのでしょうか(人望のある方のようです)、地域に溶け込んで関連施設も増やし、かなり成功しているところだと思います。
お年寄りのデイセンター(中野地域プラザ)と同じ建物(玄関を共有)であることや、施設にある多目的ホールや調理場を地域の人に開放していることなどから、人の出入りが盛ん。
そこにもってきて、そこで作る豆腐やうどん、パンは美味しく、喫茶室で食べることも出来、人気があるようです。
換金性の高い仕事をしていることもあって、万単位のお給料も出ていたようです。
こういうところで働けたらどんなに幸せかと思いますが、ここもご他聞にもれず自立支援法のせいで、かなり運営が苦しくなっているような話でした。
コンサートは入場は無料ながらちゃんとしたホールを借り、プロも招いて開かれていたので経費はかなりかかったと思いますが、地域交流のイベントということで、横浜市の補助金で賄えたということです。
アンサンブルブーケという女性ばかりのコーラスグループ(ピアノも)は、障害者も多数来ていることを前提としたプログラムで楽しめましたし、和太鼓集団・昇龍の演奏は迫力があってさすがにプロ。大きな音があまり好きではない息子もよく聞いていました。
それにしても和太鼓はそうとうの運動量だなあと思いました。この激しい運動でストレス発散すればスッキリしてよく眠れそうです。
会場で会った友人が、「ウチの子もゲームばっかりやってないで太鼓やればいいのに」とぼやいていました。
「芋掘りなどで交流がある」保育園児がヤーレンソーラン節とかいう曲で見事な出し物をしてくれ、可愛い〜と感激しました。
就学前の小さい子たちですが長い曲なのにちゃんと振り付けを覚え、激しい屈伸運動などもこなしていました。大きな子の方がテレがあるのか、なんとなく恥ずかしそうに見えました。
SELP・杜のクラブからフラダンスとダンスの発表もあり、楽しそうに踊る利用者の姿も心に残りました。でも笑顔だったりひょうきんだったりするのはダウンちゃんばかり、ジヘイと思われる人たちは表情が豊かではありません。
息子の先輩も一人その中にいて、元気そうだなとなつかしく手を振ったことでした。
2008年03月29日
2008年03月27日
ITグッズの進化
昨年のこと。電車の中でテープを聴きたいと言っていたら、娘が使わなくなったiPodをくれました。(娘はもっと進化したものを使っているようです)
小さくて(4×3×1cmというところ)軽く、イヤホンをはずすとなくしそうです。
パソコンから中身(音楽や語学教材など)を入れて、再生専用。電池を入れるところもなくて、パソコンにつないで充電するという不思議な物体です。
電源、再生と停止、早送り、巻き戻し、規則的再生とシャッフルの切り替え。操作できるのはこれだけです。それも一つのボタンの上下左右を使っているので、ボタンはたった3つしかありません。
とても軽いので、コートのポケットに入れたりクリップで服に留めたりしても、全然邪魔になりません。
部屋の片づけをしていたら、携帯用のMDプレーヤーが出てきました。
iPodを使い慣れた身にとっては、びっくりするような重さ、大きさです。
これはもう時代遅れだ、使う気にはならないだろうな〜とつくづく思いました。
昔、ウォークマンが世に出たときには、なんて小さいんだ、軽いんだ、と驚いたものでした。
カセットテープよりちょっと大きいだけでポケットにも入れられて、名前どおりに歩いているときや、通勤通学の電車の中で聞くのが可能になりました。世の語学学習者の強い味方になっただろうと思います。
娘がMDプレーヤーを使い始めたときは、ウォークマンよりだいぶ小型化されているのに感心したものでした。テープだと延びきったり千切れることもあるので、その点も進化だったと思います。
(iPodは娘が自分で買ったので、私は長いことちゃんと見たこともありませんでした)
IT関係のものはすごいスピードで進化していくので、早く老化が進む犬にちなんでドッグイヤーと形容されますが、ホントにちょっとの間にすぐ古くさくなるような気がします。
デジカメやパソコンなんて、エイッと思い切らないと手が出せないですね、すぐに改良型が出るようなので。
息子の卒業式では、最新式らしい一眼レフのデジカメで撮りまくっている人もいました。パソコンで画像処理も簡単に出来るんだろうな、と思いましたが、本体もだいぶ軽くて使いやすそうでした。(一眼レフの普通のカメラってずっしりと重いですよね。カメラマンは30キロの荷物=交換レンズが重い=をかついで走り回るそうで))
パソコンと言えば、マックの小型パソコン(マックブック・エア)には驚きました。
http://it.nikkei.co.jp/pc/news/index.aspx?n=MMITda000016012008
茶封筒からスーと取り出すなんて「あり得ねー」って叫びたくなります。
商業高校を出てずっと経理の仕事をして来た人が、初めの頃のコンピューターは部屋いっぱいの大きさだった、と話していました。
ふとそのことを思い出して「初期のコンピューター」の画像を検索したら、こんなものが出てきました。
http://jp.fujitsu.com/museum/ikeda/exhibition/facom128b/
1959年(昭和34年)に製造され現在も(富士通本社で?)稼動しているそうです。
下の方にはもっと大きい、壁一面という画像もあります。
では、初期の「携帯用」パソコンはどれくらいだったかというと、これくらい。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070923_osborne1/
ちょうど我が家の古いミシン(現役)ぐらいあります。
「携帯」なんかしたら肩こりや腱鞘炎にも悩まされそうですね。(ノートパソコンが発売されたときには泣いて喜ぶ人もいたことでしょう)
1981年4月に発売。価格は1795ドル(約20万円)、重さは24.5ポンド(約11キログラム)もあったそうです。
マックブック・エアの1スピンドルモデル(なんのこっちゃ、調べても意味不明)が22万9800円だそうですから、値段は当時とあまり変わりませんね(相対的にはかなり高い)。重さは11キロからナント1.36キログラムへ!
いったいどこまで進化するのか、長生きして見届けたい気もします。
小さくて(4×3×1cmというところ)軽く、イヤホンをはずすとなくしそうです。
パソコンから中身(音楽や語学教材など)を入れて、再生専用。電池を入れるところもなくて、パソコンにつないで充電するという不思議な物体です。
電源、再生と停止、早送り、巻き戻し、規則的再生とシャッフルの切り替え。操作できるのはこれだけです。それも一つのボタンの上下左右を使っているので、ボタンはたった3つしかありません。
とても軽いので、コートのポケットに入れたりクリップで服に留めたりしても、全然邪魔になりません。
部屋の片づけをしていたら、携帯用のMDプレーヤーが出てきました。
iPodを使い慣れた身にとっては、びっくりするような重さ、大きさです。
これはもう時代遅れだ、使う気にはならないだろうな〜とつくづく思いました。
昔、ウォークマンが世に出たときには、なんて小さいんだ、軽いんだ、と驚いたものでした。
カセットテープよりちょっと大きいだけでポケットにも入れられて、名前どおりに歩いているときや、通勤通学の電車の中で聞くのが可能になりました。世の語学学習者の強い味方になっただろうと思います。
娘がMDプレーヤーを使い始めたときは、ウォークマンよりだいぶ小型化されているのに感心したものでした。テープだと延びきったり千切れることもあるので、その点も進化だったと思います。
(iPodは娘が自分で買ったので、私は長いことちゃんと見たこともありませんでした)
IT関係のものはすごいスピードで進化していくので、早く老化が進む犬にちなんでドッグイヤーと形容されますが、ホントにちょっとの間にすぐ古くさくなるような気がします。
デジカメやパソコンなんて、エイッと思い切らないと手が出せないですね、すぐに改良型が出るようなので。
息子の卒業式では、最新式らしい一眼レフのデジカメで撮りまくっている人もいました。パソコンで画像処理も簡単に出来るんだろうな、と思いましたが、本体もだいぶ軽くて使いやすそうでした。(一眼レフの普通のカメラってずっしりと重いですよね。カメラマンは30キロの荷物=交換レンズが重い=をかついで走り回るそうで))
パソコンと言えば、マックの小型パソコン(マックブック・エア)には驚きました。
http://it.nikkei.co.jp/pc/news/index.aspx?n=MMITda000016012008
茶封筒からスーと取り出すなんて「あり得ねー」って叫びたくなります。
商業高校を出てずっと経理の仕事をして来た人が、初めの頃のコンピューターは部屋いっぱいの大きさだった、と話していました。
ふとそのことを思い出して「初期のコンピューター」の画像を検索したら、こんなものが出てきました。
http://jp.fujitsu.com/museum/ikeda/exhibition/facom128b/
1959年(昭和34年)に製造され現在も(富士通本社で?)稼動しているそうです。
下の方にはもっと大きい、壁一面という画像もあります。
では、初期の「携帯用」パソコンはどれくらいだったかというと、これくらい。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070923_osborne1/
ちょうど我が家の古いミシン(現役)ぐらいあります。
「携帯」なんかしたら肩こりや腱鞘炎にも悩まされそうですね。(ノートパソコンが発売されたときには泣いて喜ぶ人もいたことでしょう)
1981年4月に発売。価格は1795ドル(約20万円)、重さは24.5ポンド(約11キログラム)もあったそうです。
マックブック・エアの1スピンドルモデル(なんのこっちゃ、調べても意味不明)が22万9800円だそうですから、値段は当時とあまり変わりませんね(相対的にはかなり高い)。重さは11キロからナント1.36キログラムへ!
いったいどこまで進化するのか、長生きして見届けたい気もします。
2008年03月26日
死生観
ずいぶん昔のことですが、日本人と中国人の死生観の違いを思い知らされたことがあります。
私が学生の頃、飛行場にハイジャックされて停まっていた機内に軍隊が突入し、人質が何人か殺されたという事件があったのです。
(私は西ドイツ=当時=と記憶していましたが、今調べてみると、場所はウガンダで、突入したのも機内でなくターミナルビル、突入したのはイスラエル特殊部隊のようです)
中国人留学生を交えた場でこの話題が出たとき、日本人学生はすべて「軍隊の突入は乱暴すぎる。まずは人質の安全を考えて慎重に対処するべきだ」という考えで一致していました。
でも何人かいた中国人留学生は、「突入は当然だ。テロリスト相手に生ぬるいことをするべきではない。人質が死んだのは気の毒だがやむを得ない」という意見。
中でも日本語が流暢なH君が目をぎょろつかせながら「中国人はみんなそう言うはずだ」と断言したものです。
大義の前には人権が消し飛ぶ。
チベットの騒乱を力ずくで封じ込める中国政府のやり方に、またかと天安門事件を思い出し、人間の尊厳なんてものはこの国にはないんだなあと改めて思ったことでした。
いったい何人のチベット人が殺され、濡れ衣を着せられて処刑され、便乗して財産を没収されるのか、真相は永久に藪の中でしょう。
かつてリチャード・ギアが懸念した事態が現実のものとなりました。
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2006/07/ny_0477.html
こういう記事もあります。昨年夏から不穏な状況が伝えられていました。
中国による懐柔策は失敗 チベット民衆なびかずhttp://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/104672/
中国政府はダライ・ラマのインド亡命以来、チベット民衆に対して厳しい思想統制を敷き、僧侶を中心にダライ・ラマを否定する思想教育を強化してきた。その一方で、膨大な経済支援を投入するなど“アメとムチ”を使い分け、チベット民衆の懐柔に努めてきた。
しかし、チベット亡命政府によると、毎年2000人ものチベット民衆が自らの生命を懸けて、同自治区などから国外に脱出し続けている。また、中国当局の厳しい監視下にもかかわらず、ダライ・ラマを慕う民衆の活動は活発化しており、暴動やデモなどもしばしば伝えられる状態だ。(昨年11月)
青海チベット鉄道(青蔵鉄路)の開通で、今までは秘境だったチベットに観光客や参拝客とともに漢民族の文化の押し付けが迫ったわけですね。
チベットは富士山の山頂並みに標高の高いところで、ゆっくり動かないと高山病に苦しむことになるそうです。そういう地域で信仰を生き甲斐に質素に暮らして来た人たちが、たまりかねて反乱を起こしても数を頼みにたちまち制圧される。
フランスは北京オリンピックの開会式ボイコットをちらつかせている(リチャード・ギアも呼びかけている)ようですが、チベット政策がそんなものに左右されることはないでしょう。
知り合いに薦められて、「脳死・臓器移植の本当の話」(小松美彦・PHP新書)という本を読んでいます。
その中に鳥肌が立ちそうな話がありました。
脳死患者(ドナー)からいざ臓器を取り出そうとメスを入れた瞬間、「脈拍と血圧が急上昇して」「動き出し、のたうち回る」から看護師は動転する。かくて、移植医はドナーに「麻酔」をすることを求め、アメリカではモルヒネの使用が普通のこととなっている、というのです。(89〜90P)
それで思い出したニュースがあります。
2006年7月26日 のニュースで現在は消えていますが、検索すると詳細が書かれたサイトがありました。
http://www.lifestudies.org/jp/ishokuho.htm#11
脳死:米国・カナダで判定の3人、日本帰国後に意識回復 (毎日新聞 2006年7月26日15時00分)
米国やカナダ滞在中に脳血管の病気で意識不明になった日本人で、家族らが現地の医師から「脳死」と説明されたにもかかわらず、帰国後に意識を回復した人が3人いたことが中堅損害保険会社の調査で明らかになった。東京都内で開かれた日本渡航医学会で、損保の担当者が報告した。海外での脳死診断は日本ほど厳格でなく、治療を打ち切る場合があることを浮き彫りにする事例で、報告した担当者は「医療文化が違う国にいることをはっきり認識すべきだ」と警告する。
報告によると、02〜05年度に、旅行や仕事で米国、カナダに滞在中の旅行保険契約者9人が脳血管障害で入院。主治医は家族や損保の現地スタッフに「脳死」と説明した。うち3人の家族は「治療中止は納得できない」などと訴え、チャーター機で帰国。日本で治療を受け、意識が回復した。搬送費用の約2000万円は保険で支払われた。残り6人は、チャーター機手配に必要な額の保険に加入していなかったことなどから帰国を断念。現地で死亡したという。
意識が戻った60代男性の場合、カナダで脳梗塞(こうそく)となり、入院した。人工呼吸器をつけなくても呼吸できる自発呼吸はあったが、医師は家族に「脳死」と説明したという。しかし、男性は帰国後1カ月で意識が戻り、記憶も回復した。
…日本医科大の横田裕行助教授(救命救急医学)は「海外の基準でも脳死なら意識は回復しない。米やカナダなどの一般医療現場では、回復は難しいなどの意味で脳死を使うことがある」と言う。
アメリカやカナダでは簡単に「脳死」ということになるみたいですね。
こちらの国とも死生観にかなりの違いがあるように思えます。どうせ間もなく死ぬ運命なら臓器を提供してよ、と言われても(合理的な考え方なのかもしれませんが)、一般的な日本人の死生観では簡単に応じられないだろうと思います。
上の本に、ハワイで交通事故に遭った24歳の女性の話が載っていました(392P)。
脳死ではないけど瞳孔は両眼とも拡大、重大な脳傷害で深昏睡状態。
家族は、「お嬢さん一人で20人の命が助かる」と多臓器の提供を求められたそうです。応じていれば「脳死」として処理されたのでしょう。若いからオイシイ臓器だったかもしれません。
母親はショックを受けながらも、「20人助けられるのなら娘の一人助からないわけがない」と気を取り直して要求を突っぱね、治療の継続を要求。彼女は助かり、今は社会復帰まで果たしているそうです。
上の本にもありましたが、日本から移植のためにアメリカに渡る子どもがよく話題になります。(募金活動とか)
日本では15歳以下の臓器移植提供が出来ないから海外に行くわけですが、その子たちに臓器を提供した海外の子どもたちは、きちんとした基準で脳死判定されているのか、ブローカーが介在していないか、気になります。
私が学生の頃、飛行場にハイジャックされて停まっていた機内に軍隊が突入し、人質が何人か殺されたという事件があったのです。
(私は西ドイツ=当時=と記憶していましたが、今調べてみると、場所はウガンダで、突入したのも機内でなくターミナルビル、突入したのはイスラエル特殊部隊のようです)
中国人留学生を交えた場でこの話題が出たとき、日本人学生はすべて「軍隊の突入は乱暴すぎる。まずは人質の安全を考えて慎重に対処するべきだ」という考えで一致していました。
でも何人かいた中国人留学生は、「突入は当然だ。テロリスト相手に生ぬるいことをするべきではない。人質が死んだのは気の毒だがやむを得ない」という意見。
中でも日本語が流暢なH君が目をぎょろつかせながら「中国人はみんなそう言うはずだ」と断言したものです。
大義の前には人権が消し飛ぶ。
チベットの騒乱を力ずくで封じ込める中国政府のやり方に、またかと天安門事件を思い出し、人間の尊厳なんてものはこの国にはないんだなあと改めて思ったことでした。
いったい何人のチベット人が殺され、濡れ衣を着せられて処刑され、便乗して財産を没収されるのか、真相は永久に藪の中でしょう。
かつてリチャード・ギアが懸念した事態が現実のものとなりました。
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2006/07/ny_0477.html
こういう記事もあります。昨年夏から不穏な状況が伝えられていました。
中国による懐柔策は失敗 チベット民衆なびかずhttp://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/104672/
中国政府はダライ・ラマのインド亡命以来、チベット民衆に対して厳しい思想統制を敷き、僧侶を中心にダライ・ラマを否定する思想教育を強化してきた。その一方で、膨大な経済支援を投入するなど“アメとムチ”を使い分け、チベット民衆の懐柔に努めてきた。
しかし、チベット亡命政府によると、毎年2000人ものチベット民衆が自らの生命を懸けて、同自治区などから国外に脱出し続けている。また、中国当局の厳しい監視下にもかかわらず、ダライ・ラマを慕う民衆の活動は活発化しており、暴動やデモなどもしばしば伝えられる状態だ。(昨年11月)
青海チベット鉄道(青蔵鉄路)の開通で、今までは秘境だったチベットに観光客や参拝客とともに漢民族の文化の押し付けが迫ったわけですね。
チベットは富士山の山頂並みに標高の高いところで、ゆっくり動かないと高山病に苦しむことになるそうです。そういう地域で信仰を生き甲斐に質素に暮らして来た人たちが、たまりかねて反乱を起こしても数を頼みにたちまち制圧される。
フランスは北京オリンピックの開会式ボイコットをちらつかせている(リチャード・ギアも呼びかけている)ようですが、チベット政策がそんなものに左右されることはないでしょう。
知り合いに薦められて、「脳死・臓器移植の本当の話」(小松美彦・PHP新書)という本を読んでいます。
その中に鳥肌が立ちそうな話がありました。
脳死患者(ドナー)からいざ臓器を取り出そうとメスを入れた瞬間、「脈拍と血圧が急上昇して」「動き出し、のたうち回る」から看護師は動転する。かくて、移植医はドナーに「麻酔」をすることを求め、アメリカではモルヒネの使用が普通のこととなっている、というのです。(89〜90P)
それで思い出したニュースがあります。
2006年7月26日 のニュースで現在は消えていますが、検索すると詳細が書かれたサイトがありました。
http://www.lifestudies.org/jp/ishokuho.htm#11
脳死:米国・カナダで判定の3人、日本帰国後に意識回復 (毎日新聞 2006年7月26日15時00分)
米国やカナダ滞在中に脳血管の病気で意識不明になった日本人で、家族らが現地の医師から「脳死」と説明されたにもかかわらず、帰国後に意識を回復した人が3人いたことが中堅損害保険会社の調査で明らかになった。東京都内で開かれた日本渡航医学会で、損保の担当者が報告した。海外での脳死診断は日本ほど厳格でなく、治療を打ち切る場合があることを浮き彫りにする事例で、報告した担当者は「医療文化が違う国にいることをはっきり認識すべきだ」と警告する。
報告によると、02〜05年度に、旅行や仕事で米国、カナダに滞在中の旅行保険契約者9人が脳血管障害で入院。主治医は家族や損保の現地スタッフに「脳死」と説明した。うち3人の家族は「治療中止は納得できない」などと訴え、チャーター機で帰国。日本で治療を受け、意識が回復した。搬送費用の約2000万円は保険で支払われた。残り6人は、チャーター機手配に必要な額の保険に加入していなかったことなどから帰国を断念。現地で死亡したという。
意識が戻った60代男性の場合、カナダで脳梗塞(こうそく)となり、入院した。人工呼吸器をつけなくても呼吸できる自発呼吸はあったが、医師は家族に「脳死」と説明したという。しかし、男性は帰国後1カ月で意識が戻り、記憶も回復した。
…日本医科大の横田裕行助教授(救命救急医学)は「海外の基準でも脳死なら意識は回復しない。米やカナダなどの一般医療現場では、回復は難しいなどの意味で脳死を使うことがある」と言う。
アメリカやカナダでは簡単に「脳死」ということになるみたいですね。
こちらの国とも死生観にかなりの違いがあるように思えます。どうせ間もなく死ぬ運命なら臓器を提供してよ、と言われても(合理的な考え方なのかもしれませんが)、一般的な日本人の死生観では簡単に応じられないだろうと思います。
上の本に、ハワイで交通事故に遭った24歳の女性の話が載っていました(392P)。
脳死ではないけど瞳孔は両眼とも拡大、重大な脳傷害で深昏睡状態。
家族は、「お嬢さん一人で20人の命が助かる」と多臓器の提供を求められたそうです。応じていれば「脳死」として処理されたのでしょう。若いからオイシイ臓器だったかもしれません。
母親はショックを受けながらも、「20人助けられるのなら娘の一人助からないわけがない」と気を取り直して要求を突っぱね、治療の継続を要求。彼女は助かり、今は社会復帰まで果たしているそうです。
上の本にもありましたが、日本から移植のためにアメリカに渡る子どもがよく話題になります。(募金活動とか)
日本では15歳以下の臓器移植提供が出来ないから海外に行くわけですが、その子たちに臓器を提供した海外の子どもたちは、きちんとした基準で脳死判定されているのか、ブローカーが介在していないか、気になります。
2008年03月22日
感動を「与える」
ここ数年のことだと思いますが、一部のスポーツ選手の発言で私にはとても気になる言い回しがあります。「感動を与えたい」という言い方。
感動って、人に「与える」ものでしょうか?
その選手のプレーを見て観客が感動するのは、それはもちろん素晴らしいことだけど、「さあ感動してね」と言われてするものではないと思います。
人に感動してもらうためだけに競技をするのではないでしょう。
選手は自分の目的(達成感、金メダル、優勝賞金や名声、身分の安定)のために競技に臨み、結果的にそのプレーがその選手の生まれながらの天分やたゆみない努力を思わせ、見ている人がすごいなーとため息をつく。
時には天候や怪我など思いがけない要素で息を呑むドラマが生まれたりします。
感動というのは、自然発生的に副次的に生まれてくるはずのものではないでしょうか。
もっと言えば、感動を「与える」というのはいわゆる「上から目線」ってやつで、かなり「不遜」な言い方だと思います。
私がとりわけ違和感を持つのは、高校野球の出場選手の中にこの言葉をよく聞くことです。
きょうは春の高校野球(センバツ)の開会式でしたが、朝日新聞夕刊によれば、選手宣誓で「日本の高校野球の代表として感動を与え…」と語ったそうです。
たしか以前にも「感動を与えたい」と胸を張っていた高校生がいました。
学校関係者も新聞社も、この言い方が気にならないんでしょうか。
感動するかどうかは、見ている人が決めること。何も「与えて」もらうことではない、と私は言いたいです。
感動した、と言ってもらえたらそこで初めて素直に喜べばいい。自分のプレーは当然「感動に値するから、みんなを感動させてあげるよ」という態度、どうかと思います。
感動してもらえるようなプレーをしたい、と言うべきではないでしょうか。
その点、「自分で自分をほめたい」と言った有森選手は、立派だったと思います。
本来、スポーツ選手は自分のためにトレーニングに励んでいるはず。そこのところをわきまえてほしいと思います。
書いていて思いだしましたが、スポーツ選手だけじゃなくて、歌手などにもこういうことを臆面もなく言う人がいますね。「与える」という言葉のニュアンスがだいぶユルくなっているのかもしれません。
「さあみんなワタシを注目してね。うーんと感動させてあげるからね!」と胸の中で叫ぶのは、いくらでもやってもらって結構。頭の中でどんなに不遜なことを考えていようと、それは個人の自由。
でも感動を「与えたい」などと僭越な発言は遠慮してほしいと思います。
感動って、人に「与える」ものでしょうか?
その選手のプレーを見て観客が感動するのは、それはもちろん素晴らしいことだけど、「さあ感動してね」と言われてするものではないと思います。
人に感動してもらうためだけに競技をするのではないでしょう。
選手は自分の目的(達成感、金メダル、優勝賞金や名声、身分の安定)のために競技に臨み、結果的にそのプレーがその選手の生まれながらの天分やたゆみない努力を思わせ、見ている人がすごいなーとため息をつく。
時には天候や怪我など思いがけない要素で息を呑むドラマが生まれたりします。
感動というのは、自然発生的に副次的に生まれてくるはずのものではないでしょうか。
もっと言えば、感動を「与える」というのはいわゆる「上から目線」ってやつで、かなり「不遜」な言い方だと思います。
私がとりわけ違和感を持つのは、高校野球の出場選手の中にこの言葉をよく聞くことです。
きょうは春の高校野球(センバツ)の開会式でしたが、朝日新聞夕刊によれば、選手宣誓で「日本の高校野球の代表として感動を与え…」と語ったそうです。
たしか以前にも「感動を与えたい」と胸を張っていた高校生がいました。
学校関係者も新聞社も、この言い方が気にならないんでしょうか。
感動するかどうかは、見ている人が決めること。何も「与えて」もらうことではない、と私は言いたいです。
感動した、と言ってもらえたらそこで初めて素直に喜べばいい。自分のプレーは当然「感動に値するから、みんなを感動させてあげるよ」という態度、どうかと思います。
感動してもらえるようなプレーをしたい、と言うべきではないでしょうか。
その点、「自分で自分をほめたい」と言った有森選手は、立派だったと思います。
本来、スポーツ選手は自分のためにトレーニングに励んでいるはず。そこのところをわきまえてほしいと思います。
書いていて思いだしましたが、スポーツ選手だけじゃなくて、歌手などにもこういうことを臆面もなく言う人がいますね。「与える」という言葉のニュアンスがだいぶユルくなっているのかもしれません。
「さあみんなワタシを注目してね。うーんと感動させてあげるからね!」と胸の中で叫ぶのは、いくらでもやってもらって結構。頭の中でどんなに不遜なことを考えていようと、それは個人の自由。
でも感動を「与えたい」などと僭越な発言は遠慮してほしいと思います。
2008年03月20日
受容
昨日は息子の卒業式でした。
小学部から高等部本科・専攻科と14年間を過ごした養護学校ですから、ここを去るのはかなり大きな節目。学校が大好きでほとんど休まずに通った息子にとっては、安住の地を失うということです。
最重度の知的障害(自閉症)の息子は、いろんな人から再三「卒業おめでとう」と声をかけられ、午後の謝恩会で心のこもった出し物やエールをおくられても、その意味するところは理解できなかったと思います。それでも朝からずっと窮屈なネクタイ姿で最後まで落ち着いていた姿には、成長を感じられました。
卒業式の終盤でのこと。
在校生の終了式も兼ねた式なのでけっこう長引き、子どもたちの中には声を上げたり立ち歩く子も増えて、会場はだいぶざわついて来ていました。
おとなしいダウン症の子はともかく、そもそも進行していることの意味を理解できない知的障害児は、長くじっと席についていること自体が苦手です。自閉症の場合はことに行事・イベントが苦手な子も少なくありません。
(ウチの息子も小学部のころはよく奇声を上げ、後ろの保護者席にいる私にも聞こえて苦笑したものでした)
いつもなら保護者席と子どもの席は離れているのですが、卒業生の母親は証書授与がよく見える前の方に設けられた席に座ります。子どもが受け取った証書や記念品(アルバム)を式が終わるまで預かったりもします。
私の近くの席にいた女の子が、ニコニコ笑いながらしきりに悲鳴のような声を出していました。(たぶん)今年度中学部に入った子で、私は見かけたことがあるだけで名前も知りません。
式の終わり近くになって、卒業生の代表が(答辞に当たる)「感謝の言葉」を読み上げ始めました。担当したのは息子のクラスの、はっきりした口跡で話すことのできる子です。
お世話になった皆さんに感謝を述べるものですし、私としてはその女の子の奇声に邪魔されずに、ちゃんとその全文を聞きたいと思いました。
ちょっと迷いましたが、その子のそばに行って、「聞こえないから静かにしてくれない?」と小さく声をかけてみました。
他の問題行動に比べ、奇声を止めさせるのはかなり難しいといわれます。隣に座った担任の先生も再三注意していましたが、聞いてくれないでいるようでした。
私としてもダメモトでしたが、その女の子は初めての私にびっくりしたのか、ぴたっと声を出すのを止めてくれました。
また笑顔で出しそうになるのを「もうちょっと、もうちょっと我慢」「もう少しね」となだめ、途中で「ちゃんと我慢できてエライね」と褒めたりしながら、「感謝の言葉」が終わるまで粘りました。
終わった時には私も心からその子に感謝して「よしっ、頑張ったね」と肩を軽く叩いて席に戻りました。
親や先生ではない第三者に言われたらよく聞く、ということは確かにあります。
こういうやり方が通用しない子もいますし、かえってパニクるなど逆効果になる子もいるのはわかっています。
息子のクラスの子(自閉症)に、「そんなことやめなさいよ」と気軽に注意したらたちまち逆上して、周囲に八つ当たりし、私をさんざん口汚く罵ってきたのであっけにとられたこともあります。(あとで涙ぐみながら謝ってきました)
でも、世界がその子を中心に回っているのではない以上、周囲との折り合いは出来るだけつける努力はするべきだと思うのです。
「この子はいくら言ってもわからないから、どうしようもない」という状況は私も(イヤと言うほど)経験があります。でも、「だから周囲の方がこの子に合わせてくれて当然だ」というのは開き直りというものでしょう。
前回書いた「そっ啄同時」のような、こちらの働きかけがすっと受け入れられるタイミングを探す努力は惜しむべきではないと思います。
タイミングといっても必ずしも時間的なことだけではなく、場面、相手など、膠着状態で困っている現状打破につながる要素には、様子を見ながら試みる価値があると思っています。
偏食の激しい自閉症の子に、その子が食べられるもの「だけ」を用意していたのでは、いつまでたっても偏食は直らないでしょう。いつかふっと食べ始める時のために、ダメモトで勧めてみる、そういうことも大事だと思います。
先ごろ、定年退職するまでずっと公的な機関で障害児福祉の仕事をしていた方とお話をする機会がありました。その方の言葉で強く印象に残ったのは、
「昔は何でも受容、だから大変だったけど、今はそうじゃないから。今育っている子たちは大丈夫よ」
というものでした。
そう言われて思いだしたことがあります。
私が九州の実家に身を寄せて、息子と母子通園していたときのことです。運動療法というものだったでしょうか、子どもたちに同伴して平均台やすべり台を順番に通過するプログラムがありました(それ以外は母子分離でした)。
足元のおぼつかない子が前にいたとき、ウチの息子は身体的には問題がないので邪魔に感じたのでしょう、押しのけようとしました。相手の子は大きくぐらつき、危ないでしょっ、と横にいた私は息子を叱りつけました。
すると、指導をしていた先生が叱ってはいけないと私を止めたのです。私としては大いに不満でしたが、子どもの行為はすべてその子なりの「かかわりの方法」とみなして「受容」しなければならないようでした。その頃はそういう指導が主流だったのでしょう。
その後こちらに戻って通い始めた療育センターでも、子どもを叱るようなことは一切ありませんでした。でもこちらでは一段進んでいて、「そもそも叱りたくなるような危険な場面を作らない」マニュアルが徹底していたような気がします。
障害児がすべて純粋な天使であるなら、受容するだけでいいのでしょうけどね。
卒業式の女の子に対する私の行動について、隣にいた担任の先生はあとでお礼を言ってくれました。
でも「dashiさん、大丈夫です、大丈夫ですから」と声をかけて、私をさえぎろうとした先生がいたのも事実。とても穏やかな優しい先生なので、本人は何でも受容したいのでしょう。
でも、奇声のためにせっかくの「感謝の言葉」が全然聞こえない状況を私たちに「受容」しろと? 自分の子どもを含む卒業生の総意を表す「感謝の言葉」の内容を知り、皆さんにもちゃんと聞いてほしいと思うのは当然だと思いますし、その女の子の親としても奇声を上げてほしくはないはず。
そこで我慢したことがあとで形になって(自傷とか)現われ困るとしても、それはその後の長い人生を思えば、経験を重ねてなるべく克服していくべきではないでしょうか。
その子にとって大きな声を上げるのが気持ちのいいことだとしても、周囲にそれを受容しろと言うのは無理があります。ここならいいという場所で思い切り出すのはかまわないが、それ以外では我慢するということを覚えるのは、その子にとって最優先の学習課題かもしれません。
実はウチの息子も、バスの中などで声を出したり急にくすくす笑い出して困ることがあります。「降りようか」「降りないなら静かにして」と声をかけることで(時には腕をつかんで立ち上がって…もう動かせないですが)、なんとか周囲に大きな迷惑をかけない程度にやり過ごしています。
小学部から高等部本科・専攻科と14年間を過ごした養護学校ですから、ここを去るのはかなり大きな節目。学校が大好きでほとんど休まずに通った息子にとっては、安住の地を失うということです。
最重度の知的障害(自閉症)の息子は、いろんな人から再三「卒業おめでとう」と声をかけられ、午後の謝恩会で心のこもった出し物やエールをおくられても、その意味するところは理解できなかったと思います。それでも朝からずっと窮屈なネクタイ姿で最後まで落ち着いていた姿には、成長を感じられました。
卒業式の終盤でのこと。
在校生の終了式も兼ねた式なのでけっこう長引き、子どもたちの中には声を上げたり立ち歩く子も増えて、会場はだいぶざわついて来ていました。
おとなしいダウン症の子はともかく、そもそも進行していることの意味を理解できない知的障害児は、長くじっと席についていること自体が苦手です。自閉症の場合はことに行事・イベントが苦手な子も少なくありません。
(ウチの息子も小学部のころはよく奇声を上げ、後ろの保護者席にいる私にも聞こえて苦笑したものでした)
いつもなら保護者席と子どもの席は離れているのですが、卒業生の母親は証書授与がよく見える前の方に設けられた席に座ります。子どもが受け取った証書や記念品(アルバム)を式が終わるまで預かったりもします。
私の近くの席にいた女の子が、ニコニコ笑いながらしきりに悲鳴のような声を出していました。(たぶん)今年度中学部に入った子で、私は見かけたことがあるだけで名前も知りません。
式の終わり近くになって、卒業生の代表が(答辞に当たる)「感謝の言葉」を読み上げ始めました。担当したのは息子のクラスの、はっきりした口跡で話すことのできる子です。
お世話になった皆さんに感謝を述べるものですし、私としてはその女の子の奇声に邪魔されずに、ちゃんとその全文を聞きたいと思いました。
ちょっと迷いましたが、その子のそばに行って、「聞こえないから静かにしてくれない?」と小さく声をかけてみました。
他の問題行動に比べ、奇声を止めさせるのはかなり難しいといわれます。隣に座った担任の先生も再三注意していましたが、聞いてくれないでいるようでした。
私としてもダメモトでしたが、その女の子は初めての私にびっくりしたのか、ぴたっと声を出すのを止めてくれました。
また笑顔で出しそうになるのを「もうちょっと、もうちょっと我慢」「もう少しね」となだめ、途中で「ちゃんと我慢できてエライね」と褒めたりしながら、「感謝の言葉」が終わるまで粘りました。
終わった時には私も心からその子に感謝して「よしっ、頑張ったね」と肩を軽く叩いて席に戻りました。
親や先生ではない第三者に言われたらよく聞く、ということは確かにあります。
こういうやり方が通用しない子もいますし、かえってパニクるなど逆効果になる子もいるのはわかっています。
息子のクラスの子(自閉症)に、「そんなことやめなさいよ」と気軽に注意したらたちまち逆上して、周囲に八つ当たりし、私をさんざん口汚く罵ってきたのであっけにとられたこともあります。(あとで涙ぐみながら謝ってきました)
でも、世界がその子を中心に回っているのではない以上、周囲との折り合いは出来るだけつける努力はするべきだと思うのです。
「この子はいくら言ってもわからないから、どうしようもない」という状況は私も(イヤと言うほど)経験があります。でも、「だから周囲の方がこの子に合わせてくれて当然だ」というのは開き直りというものでしょう。
前回書いた「そっ啄同時」のような、こちらの働きかけがすっと受け入れられるタイミングを探す努力は惜しむべきではないと思います。
タイミングといっても必ずしも時間的なことだけではなく、場面、相手など、膠着状態で困っている現状打破につながる要素には、様子を見ながら試みる価値があると思っています。
偏食の激しい自閉症の子に、その子が食べられるもの「だけ」を用意していたのでは、いつまでたっても偏食は直らないでしょう。いつかふっと食べ始める時のために、ダメモトで勧めてみる、そういうことも大事だと思います。
先ごろ、定年退職するまでずっと公的な機関で障害児福祉の仕事をしていた方とお話をする機会がありました。その方の言葉で強く印象に残ったのは、
「昔は何でも受容、だから大変だったけど、今はそうじゃないから。今育っている子たちは大丈夫よ」
というものでした。
そう言われて思いだしたことがあります。
私が九州の実家に身を寄せて、息子と母子通園していたときのことです。運動療法というものだったでしょうか、子どもたちに同伴して平均台やすべり台を順番に通過するプログラムがありました(それ以外は母子分離でした)。
足元のおぼつかない子が前にいたとき、ウチの息子は身体的には問題がないので邪魔に感じたのでしょう、押しのけようとしました。相手の子は大きくぐらつき、危ないでしょっ、と横にいた私は息子を叱りつけました。
すると、指導をしていた先生が叱ってはいけないと私を止めたのです。私としては大いに不満でしたが、子どもの行為はすべてその子なりの「かかわりの方法」とみなして「受容」しなければならないようでした。その頃はそういう指導が主流だったのでしょう。
その後こちらに戻って通い始めた療育センターでも、子どもを叱るようなことは一切ありませんでした。でもこちらでは一段進んでいて、「そもそも叱りたくなるような危険な場面を作らない」マニュアルが徹底していたような気がします。
障害児がすべて純粋な天使であるなら、受容するだけでいいのでしょうけどね。
卒業式の女の子に対する私の行動について、隣にいた担任の先生はあとでお礼を言ってくれました。
でも「dashiさん、大丈夫です、大丈夫ですから」と声をかけて、私をさえぎろうとした先生がいたのも事実。とても穏やかな優しい先生なので、本人は何でも受容したいのでしょう。
でも、奇声のためにせっかくの「感謝の言葉」が全然聞こえない状況を私たちに「受容」しろと? 自分の子どもを含む卒業生の総意を表す「感謝の言葉」の内容を知り、皆さんにもちゃんと聞いてほしいと思うのは当然だと思いますし、その女の子の親としても奇声を上げてほしくはないはず。
そこで我慢したことがあとで形になって(自傷とか)現われ困るとしても、それはその後の長い人生を思えば、経験を重ねてなるべく克服していくべきではないでしょうか。
その子にとって大きな声を上げるのが気持ちのいいことだとしても、周囲にそれを受容しろと言うのは無理があります。ここならいいという場所で思い切り出すのはかまわないが、それ以外では我慢するということを覚えるのは、その子にとって最優先の学習課題かもしれません。
実はウチの息子も、バスの中などで声を出したり急にくすくす笑い出して困ることがあります。「降りようか」「降りないなら静かにして」と声をかけることで(時には腕をつかんで立ち上がって…もう動かせないですが)、なんとか周囲に大きな迷惑をかけない程度にやり過ごしています。
2008年03月15日
そっ啄同時
きょうは天皇家のお姫様が幼稚園を卒業したそうですが、世間はまさにそういう季節ですね。
ウチの息子が月に一度通っている訓練会でも、卒業生を送るお別れ会がありました。
訓練会は幼児・学齢期を対象とした組織なので、高等部卒業までで会員を卒業することになっています。
息子は2年前(高等部卒業時)に卒業を祝ってもらい、記念品もいただきました。現在はOBの立場でリトミックの日だけ参加しています。
今年は卒業生が3人でした。みんな息子とは別の学校なので息子より2歳下ですが、春からは共に社会人です。
卒業するのは子どもたちばかりではなくて、ボランティアで参加してくれていた学生さんも一緒です。大学のボランティアサークルから代々来てくれていますが、今年は4年生が4人卒業でした。
障害児の相手をしてくれるのだからみなさん優しくて忍耐強い、元気な学生さんたち。
障害児の中には知的に軽い人懐っこい子もいますが、どちらかというと一緒に参加しているきょうだい児の遊び(話し)相手として貴重な存在です。
きょうだい児のフォローというのは(親には手が回らないけれど)とても大切なこと、この会で救われてきたきょうだい児も多かっただろうと私としては思っています。
ボランティアの学生さんたちが、卒業する子どもたちに色紙を贈ってくれました。
訓練会はOBだけど学校を今年卒業するウチの息子の分もあり、笑顔で手渡されました。
トトロのイラストを囲んで寄せ書きが配置された、とても可愛い色紙です。
いつもはこういうものにあまり関心を示さない息子ですが、今回は違いました。色紙にこめられた温かい愛情が伝わり、自分に贈られたものとわかったよう。無表情ながらじっと眺めたり、大事そうに持ったりしています。
家に帰ってからは自分の部屋に持ち込んで「観賞」しているようです。
例えば「寒いから、それでは風邪を引くから」と服を着せようとする。
爪を切っている時尖った部分が出来て「これでは引っかいて怪我をするから」ヤスリをかけようとする。
塩分の摂りすぎになるから、ドレッシングや塩コショウを控えさせようともします。
こちらは息子によかれと思ってするのですがわかってくれず、激しく拒否される度に裏切られたような気分になる。
これは喜ぶだろうと奮発して買ったもの(天空の城ラピュタのDVDとか)も、一度見たらあとは頑として受け付けない。がっかり。
心が通い合うというのは期待する方が間違っている、と今はもう諦めが先に立つことが多いです。だからきょうの反応はとても嬉しく思いました。
息子も人の愛情が受け止められるほどに成長したのかもしれません。
親がいくら一生懸命になったところで、時期がこないと子どもは反応を示さない(反発はする)。受け入れる準備が整ったところに働きかけがあって初めて、すんなりと意思が通う。
ちょうど、こういう状態を形容するぴったりの言葉を聞きました。そつ(口篇に卒)啄同時(そったくどうじ)、というのです。
もともとは禅宗の用語で、師家(しけ)と弟子のはたらきが合致すること、と広辞苑にあります。
今まさに悟りを得ようとしている弟子と、 それを導く師家の教えが絶妙に呼応することを指す言葉のようです。絶妙に呼応する、というのはめったにあることではないでしょうね。
一般に使われるのは、それから発展した「逃したらまたと得がたいよい時機」の方でしょう。
口+卒(そつ)は、孵化直前の雛が卵の中から殻をコツコツつつくことで、啄(たく)は親鳥がそれに応えて外側から殻を突き破ること。(啄木はキツツキのことですから、啄の方はわかりやすいですね)
雛がつついているのに気づかないでいると雛は死んでしまう。親が破るのが早すぎても雛は死んでしまう。内側と外側から同時に呼応して突き破って、初めて雛が誕生する。そういうことを表す言葉だそうです。
(親がつつかなくても出てこれる雛もいるんじゃないかと思いますが…。孵卵器で生まれるヒヨコは殻が柔らかいのかもしれませんね)
タイミングを見計らう能力が、(特に障害児の)親や教育者に最も求められる資質かもしれません。
ウチの息子が月に一度通っている訓練会でも、卒業生を送るお別れ会がありました。
訓練会は幼児・学齢期を対象とした組織なので、高等部卒業までで会員を卒業することになっています。
息子は2年前(高等部卒業時)に卒業を祝ってもらい、記念品もいただきました。現在はOBの立場でリトミックの日だけ参加しています。
今年は卒業生が3人でした。みんな息子とは別の学校なので息子より2歳下ですが、春からは共に社会人です。
卒業するのは子どもたちばかりではなくて、ボランティアで参加してくれていた学生さんも一緒です。大学のボランティアサークルから代々来てくれていますが、今年は4年生が4人卒業でした。
障害児の相手をしてくれるのだからみなさん優しくて忍耐強い、元気な学生さんたち。
障害児の中には知的に軽い人懐っこい子もいますが、どちらかというと一緒に参加しているきょうだい児の遊び(話し)相手として貴重な存在です。
きょうだい児のフォローというのは(親には手が回らないけれど)とても大切なこと、この会で救われてきたきょうだい児も多かっただろうと私としては思っています。
ボランティアの学生さんたちが、卒業する子どもたちに色紙を贈ってくれました。
訓練会はOBだけど学校を今年卒業するウチの息子の分もあり、笑顔で手渡されました。
トトロのイラストを囲んで寄せ書きが配置された、とても可愛い色紙です。
いつもはこういうものにあまり関心を示さない息子ですが、今回は違いました。色紙にこめられた温かい愛情が伝わり、自分に贈られたものとわかったよう。無表情ながらじっと眺めたり、大事そうに持ったりしています。
家に帰ってからは自分の部屋に持ち込んで「観賞」しているようです。
例えば「寒いから、それでは風邪を引くから」と服を着せようとする。
爪を切っている時尖った部分が出来て「これでは引っかいて怪我をするから」ヤスリをかけようとする。
塩分の摂りすぎになるから、ドレッシングや塩コショウを控えさせようともします。
こちらは息子によかれと思ってするのですがわかってくれず、激しく拒否される度に裏切られたような気分になる。
これは喜ぶだろうと奮発して買ったもの(天空の城ラピュタのDVDとか)も、一度見たらあとは頑として受け付けない。がっかり。
心が通い合うというのは期待する方が間違っている、と今はもう諦めが先に立つことが多いです。だからきょうの反応はとても嬉しく思いました。
息子も人の愛情が受け止められるほどに成長したのかもしれません。
親がいくら一生懸命になったところで、時期がこないと子どもは反応を示さない(反発はする)。受け入れる準備が整ったところに働きかけがあって初めて、すんなりと意思が通う。
ちょうど、こういう状態を形容するぴったりの言葉を聞きました。そつ(口篇に卒)啄同時(そったくどうじ)、というのです。
もともとは禅宗の用語で、師家(しけ)と弟子のはたらきが合致すること、と広辞苑にあります。
今まさに悟りを得ようとしている弟子と、 それを導く師家の教えが絶妙に呼応することを指す言葉のようです。絶妙に呼応する、というのはめったにあることではないでしょうね。
一般に使われるのは、それから発展した「逃したらまたと得がたいよい時機」の方でしょう。
口+卒(そつ)は、孵化直前の雛が卵の中から殻をコツコツつつくことで、啄(たく)は親鳥がそれに応えて外側から殻を突き破ること。(啄木はキツツキのことですから、啄の方はわかりやすいですね)
雛がつついているのに気づかないでいると雛は死んでしまう。親が破るのが早すぎても雛は死んでしまう。内側と外側から同時に呼応して突き破って、初めて雛が誕生する。そういうことを表す言葉だそうです。
(親がつつかなくても出てこれる雛もいるんじゃないかと思いますが…。孵卵器で生まれるヒヨコは殻が柔らかいのかもしれませんね)
タイミングを見計らう能力が、(特に障害児の)親や教育者に最も求められる資質かもしれません。
2008年03月11日
授業終了ほか
きょうは息子の授業が終了した日でした。
あとは来週卒業式の予行演習のため登校して、一日置いたらもう卒業式です。
(息子が)まだコドモコドモしていた小学部から14年間通い慣れた学校ですから、去るのには少なからず感慨があります。
きょうは課外活動(のようなもの)がある日で、もともと学校まで迎えに行くことになっていました。いい機会なので私も学校の周辺をぶらつき、バス通りに沿って長く延びる商店街を歩きました。卒業するともうあまり来ることもないだろうな、と思いながら。
有名人がごひいきにしているらしい、有名な和菓子屋さんの本店もあります。
元町にも近いですが、どっちか言うと下町っぽい庶民的なお店が多いです。
中華街から流れてきたような本格的な中華料理店や、入ったことはないけどギリシャ料理店なんてのもあります。
行事で学校に来たときに何度か食事をした、思い出のお蕎麦屋さんの前も通りました。そのとき一緒に食事をした友人も、もうほとんどが卒業したか、今年か来年には卒業です。
学校の生徒も保護者も、知らない顔がほとんどになってしまいました。
先日、義兄が入院したという知らせが入りました。
普段はあまり交流のない姉たちとの電話が行きかい、すると久しぶりなので長電話になります。
義兄は早期退職をしたばかり、これから悠々自適の年金生活を楽しもうと考えていたと思います。
なぜそれほどに…と言いたくなるくらい大量にお酒とタバコを飲む人でした。でも身体がとびきり丈夫で、これまで一度も病院にかかったことがないそうです。
夏ぐらいから食欲が落ちて(もともと食の細い、痩せた人です)、姉がどんなに病院に行くように勧めても、頑として聞かなかったそう。
ところが、今回あまりに具合が悪くて診てもらったら、手遅れの食道ガンであることが判明。余命数ヶ月という話です。
姉が言うには「たまにおかしくなる」そうなので、脳に転移しているのかもしれません。
急な話でびっくり、私もすぐ、息子を預けてお見舞いに行こうと手配を始めました。
でも、入院して処置してもらったら「やけに元気になった」。
遠くに住む私までが駆けつけたら、自分はそんなに悪いのかとショックを受けるかもしれない。来るのはもう少しあとにしてくれと連絡がありました。
そりゃあ私としても、息子の卒業式が終わって、出来たら4月に入ってからの方が助かります。
とりあえずは少し様子見というところ。
両親を亡くすのは順番と思うし、二人とも長寿を全うしたのでさほどの衝撃は受けませんでした。
でもきょうだいとなると、そんな年じゃないのにとかなり落ち込みます。
命に限りがあることを、あらためて痛感させられます。元気なうちに、やるべきことで今やれることはやっておかないと。
ところで、おとといの女子マラソンで、無名の新人が優勝した映像を見ながら私が思ったのは、日本の女子マラソンは層が厚いなあ…ということでした。
その層の厚さを形成するのに、Qちゃんはかなり貢献したと思います。
8年前のオリンピックで金メダルを取って、「とっても楽しかった」と笑顔を見せたQちゃん。彼女にあこがれて、あとに続いた女の子もたくさんいたと思います。そういう子たちが8年後のQちゃんを追い抜き、置き去りにしていくのは当然とも言えるでしょう。
去年の夏にひざの手術をしたばかり、35歳のQちゃんに負けるようなら、それこそあまりに情けない。
Qちゃんにはもう、ボルダーやら昆明やらで修行僧のような生活をしないで、市民と一緒に走ってあのQちゃんスマイルを惜しげなく振りまき、走ることの楽しさを伝えてほしいと思います。
あとは来週卒業式の予行演習のため登校して、一日置いたらもう卒業式です。
(息子が)まだコドモコドモしていた小学部から14年間通い慣れた学校ですから、去るのには少なからず感慨があります。
きょうは課外活動(のようなもの)がある日で、もともと学校まで迎えに行くことになっていました。いい機会なので私も学校の周辺をぶらつき、バス通りに沿って長く延びる商店街を歩きました。卒業するともうあまり来ることもないだろうな、と思いながら。
有名人がごひいきにしているらしい、有名な和菓子屋さんの本店もあります。
元町にも近いですが、どっちか言うと下町っぽい庶民的なお店が多いです。
中華街から流れてきたような本格的な中華料理店や、入ったことはないけどギリシャ料理店なんてのもあります。
行事で学校に来たときに何度か食事をした、思い出のお蕎麦屋さんの前も通りました。そのとき一緒に食事をした友人も、もうほとんどが卒業したか、今年か来年には卒業です。
学校の生徒も保護者も、知らない顔がほとんどになってしまいました。
先日、義兄が入院したという知らせが入りました。
普段はあまり交流のない姉たちとの電話が行きかい、すると久しぶりなので長電話になります。
義兄は早期退職をしたばかり、これから悠々自適の年金生活を楽しもうと考えていたと思います。
なぜそれほどに…と言いたくなるくらい大量にお酒とタバコを飲む人でした。でも身体がとびきり丈夫で、これまで一度も病院にかかったことがないそうです。
夏ぐらいから食欲が落ちて(もともと食の細い、痩せた人です)、姉がどんなに病院に行くように勧めても、頑として聞かなかったそう。
ところが、今回あまりに具合が悪くて診てもらったら、手遅れの食道ガンであることが判明。余命数ヶ月という話です。
姉が言うには「たまにおかしくなる」そうなので、脳に転移しているのかもしれません。
急な話でびっくり、私もすぐ、息子を預けてお見舞いに行こうと手配を始めました。
でも、入院して処置してもらったら「やけに元気になった」。
遠くに住む私までが駆けつけたら、自分はそんなに悪いのかとショックを受けるかもしれない。来るのはもう少しあとにしてくれと連絡がありました。
そりゃあ私としても、息子の卒業式が終わって、出来たら4月に入ってからの方が助かります。
とりあえずは少し様子見というところ。
両親を亡くすのは順番と思うし、二人とも長寿を全うしたのでさほどの衝撃は受けませんでした。
でもきょうだいとなると、そんな年じゃないのにとかなり落ち込みます。
命に限りがあることを、あらためて痛感させられます。元気なうちに、やるべきことで今やれることはやっておかないと。
ところで、おとといの女子マラソンで、無名の新人が優勝した映像を見ながら私が思ったのは、日本の女子マラソンは層が厚いなあ…ということでした。
その層の厚さを形成するのに、Qちゃんはかなり貢献したと思います。
8年前のオリンピックで金メダルを取って、「とっても楽しかった」と笑顔を見せたQちゃん。彼女にあこがれて、あとに続いた女の子もたくさんいたと思います。そういう子たちが8年後のQちゃんを追い抜き、置き去りにしていくのは当然とも言えるでしょう。
去年の夏にひざの手術をしたばかり、35歳のQちゃんに負けるようなら、それこそあまりに情けない。
Qちゃんにはもう、ボルダーやら昆明やらで修行僧のような生活をしないで、市民と一緒に走ってあのQちゃんスマイルを惜しげなく振りまき、走ることの楽しさを伝えてほしいと思います。
2008年03月08日
世界の小ネタ
世界も広いもので、あちこちでいろんな出来事が発生しているようです。きょうはCNNのサイトで見つけたワールド(小)ニュースをご紹介。
▲世界初? 6本足のタコ見つかる 英国近海
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200803050016.html
(サイトには写真もあります)
英国の近海で、6本足のタコが見つかった。通常のタコは足が8本だが、生まれつき2本の足を欠損している個体と見られる。これまでに6本足のタコの記録は残っておらず、世界で初めてとみられる。
英国のメディアなどによると、6本足のタコは先月下旬、ウェールズの北部沖で捕獲された。
英国北部のブラックプール・シー・ライフ・センターの展示向けに捕獲されたタコ8匹に含まれていたが、最初は誰も「6本足」に気付かなかったという。
しかし、水槽のガラスにへばりついているところで、足が2本少ないことが判明した。
水族館では、6人の妻を持ったヘンリー8世にちなんで、ヘンリーと名付けた。
ヘンリーと名付けた、がイイですね、さすがはイギリス人のユーモア。
▲確率2億分の1、一卵性の三つ子誕生 米国
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200803050025.html
米ニューヨーク州ロングアイランドのノースショア大学病院で5日未明、一卵性の三つ子が誕生した。確率は2億分の1で、非常に珍しいと注目を集めている。
母親のアリソン・ペンさん(31)とトムさん(46)夫妻は、4年前に結婚してから赤ちゃんの誕生を待ち望んでいたが、なかなか子宝に恵まれなかった。
そこで、体外受精で妊娠。受精卵を1個しか子宮内に戻さなかったため、生まれてくる赤ちゃんは1人だと思って、1人分の準備しかしていなかった。ところが、三つ子の妊娠が判明し、本当に驚いたという。
多胎出産の専門家であるビクター・クライン医師によると、子宮に戻した受精卵がまず2つに分かれ、そのうちの片方がさらに分裂したという。一卵性三つ子の確率は文献によって異なるが、6万分の1から2億分の1だという。 (以下略)
6万分の1から2億分の1って…ずいぶん違うと思うんですが。いずれにしてもかなり珍しいことではありますね。
3人のうち一人は腎臓に問題があるようですが、あとの二人はすこぶる健康とのこと。
多胎出産の専門家がいる、設備の整ったところで生まれた赤ちゃんは幸運でした。一卵性だから全部同性のはずですが、どっちかは書いてありません。ローガン、コリン、イーライという名前から判断すると男の子になるでしょうか。
日本のニュースなら「男の赤ちゃん」「女の赤ちゃん」は必ず書くだろうなと思いました。
▲野良犬10万匹を毒殺処分へ、狂犬病対策で インド
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200803070011.html
野良犬10万匹の毒殺処分を撤回、反発受け インド
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200803080009.html
インド北部ジャム・カシミール州スリナガルの市当局は7日、狂犬病対策として打ち出していた市内の野良犬約10万匹の毒殺処分を撤回、代替策として不妊手術を実施すると発表した。動物愛護団体などからの反発を踏まえた措置。
(中略)
世界保健機関(WHO)によると、世界では毎年、約3万5000人が狂犬病で死亡しているが、インドにおける死者数は全体の60%以上を占める。
同国には数百万匹規模の野良犬がいるとされる。急激な都市化の波でこの問題は一層悪化していた。
狂犬病は致死率100%という怖ろしい病気ですから、荒療治と批判されても思い切った施策で根絶できれば素晴らしいことだと、個人的には思いますが…。
日本でほぼ根絶できたのは、終戦後、野犬狩りと飼い犬への予防注射の義務化を徹底させたからだと聞いてますが、昔だから出来たことかもしれませんね。
不妊手術では効果が上がるまでに時間も費用もかかりそうですが、動物愛護団体は手ごわいですしね、やむを得ないのでしょう。
野良犬と共存する社会は、命あるものに寛容な、住みよい世界なのかもしれませんけどね。
▲姿消した夫に腹立て妻が携帯400個以上燃やす、中国
http://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200803080016.html
中国の国営・新華社通信は7日、山東省で夫が家庭を捨てたことに腹を立てた37歳の妻が共に経営していた携帯電話の販売店にあった新型の商売品400個以上に火を付ける事件があったと報じた。
妻は放火容疑で逮捕された。放火した後、家から逃げたが、隣人が出火を見付けて消防署に通報、消し止めていた。
商売はもうかっていたが、夫婦関係は冷却しており、3月3日に夫が姿を消したという。
燃やした携帯の損害額は30万米ドル(約3100万円)相当と見積もられている。
さすが「白髪三千丈」の中国、やることがダイナミックです。
新型を400台も、だって。もったいない…。
携帯電話ってよく燃えるのかな、プラスチックが焦げて臭いかな。ダイオキシンも発生?
30万米ドル(約3100万円)という額は、一般の国民の何百年分の年収に匹敵するのか…。保険金は下りないでしょうし、今後この妻はどう行動するのか(自分のものを燃やしただけだから、刑務所には入りませんよね。借金取りに追われるぐらい?)興味津々です。
▲世界初? 6本足のタコ見つかる 英国近海
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200803050016.html
(サイトには写真もあります)
英国の近海で、6本足のタコが見つかった。通常のタコは足が8本だが、生まれつき2本の足を欠損している個体と見られる。これまでに6本足のタコの記録は残っておらず、世界で初めてとみられる。
英国のメディアなどによると、6本足のタコは先月下旬、ウェールズの北部沖で捕獲された。
英国北部のブラックプール・シー・ライフ・センターの展示向けに捕獲されたタコ8匹に含まれていたが、最初は誰も「6本足」に気付かなかったという。
しかし、水槽のガラスにへばりついているところで、足が2本少ないことが判明した。
水族館では、6人の妻を持ったヘンリー8世にちなんで、ヘンリーと名付けた。
ヘンリーと名付けた、がイイですね、さすがはイギリス人のユーモア。
▲確率2億分の1、一卵性の三つ子誕生 米国
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200803050025.html
米ニューヨーク州ロングアイランドのノースショア大学病院で5日未明、一卵性の三つ子が誕生した。確率は2億分の1で、非常に珍しいと注目を集めている。
母親のアリソン・ペンさん(31)とトムさん(46)夫妻は、4年前に結婚してから赤ちゃんの誕生を待ち望んでいたが、なかなか子宝に恵まれなかった。
そこで、体外受精で妊娠。受精卵を1個しか子宮内に戻さなかったため、生まれてくる赤ちゃんは1人だと思って、1人分の準備しかしていなかった。ところが、三つ子の妊娠が判明し、本当に驚いたという。
多胎出産の専門家であるビクター・クライン医師によると、子宮に戻した受精卵がまず2つに分かれ、そのうちの片方がさらに分裂したという。一卵性三つ子の確率は文献によって異なるが、6万分の1から2億分の1だという。 (以下略)
6万分の1から2億分の1って…ずいぶん違うと思うんですが。いずれにしてもかなり珍しいことではありますね。
3人のうち一人は腎臓に問題があるようですが、あとの二人はすこぶる健康とのこと。
多胎出産の専門家がいる、設備の整ったところで生まれた赤ちゃんは幸運でした。一卵性だから全部同性のはずですが、どっちかは書いてありません。ローガン、コリン、イーライという名前から判断すると男の子になるでしょうか。
日本のニュースなら「男の赤ちゃん」「女の赤ちゃん」は必ず書くだろうなと思いました。
▲野良犬10万匹を毒殺処分へ、狂犬病対策で インド
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200803070011.html
野良犬10万匹の毒殺処分を撤回、反発受け インド
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200803080009.html
インド北部ジャム・カシミール州スリナガルの市当局は7日、狂犬病対策として打ち出していた市内の野良犬約10万匹の毒殺処分を撤回、代替策として不妊手術を実施すると発表した。動物愛護団体などからの反発を踏まえた措置。
(中略)
世界保健機関(WHO)によると、世界では毎年、約3万5000人が狂犬病で死亡しているが、インドにおける死者数は全体の60%以上を占める。
同国には数百万匹規模の野良犬がいるとされる。急激な都市化の波でこの問題は一層悪化していた。
狂犬病は致死率100%という怖ろしい病気ですから、荒療治と批判されても思い切った施策で根絶できれば素晴らしいことだと、個人的には思いますが…。
日本でほぼ根絶できたのは、終戦後、野犬狩りと飼い犬への予防注射の義務化を徹底させたからだと聞いてますが、昔だから出来たことかもしれませんね。
不妊手術では効果が上がるまでに時間も費用もかかりそうですが、動物愛護団体は手ごわいですしね、やむを得ないのでしょう。
野良犬と共存する社会は、命あるものに寛容な、住みよい世界なのかもしれませんけどね。
▲姿消した夫に腹立て妻が携帯400個以上燃やす、中国
http://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200803080016.html
中国の国営・新華社通信は7日、山東省で夫が家庭を捨てたことに腹を立てた37歳の妻が共に経営していた携帯電話の販売店にあった新型の商売品400個以上に火を付ける事件があったと報じた。
妻は放火容疑で逮捕された。放火した後、家から逃げたが、隣人が出火を見付けて消防署に通報、消し止めていた。
商売はもうかっていたが、夫婦関係は冷却しており、3月3日に夫が姿を消したという。
燃やした携帯の損害額は30万米ドル(約3100万円)相当と見積もられている。
さすが「白髪三千丈」の中国、やることがダイナミックです。
新型を400台も、だって。もったいない…。
携帯電話ってよく燃えるのかな、プラスチックが焦げて臭いかな。ダイオキシンも発生?
30万米ドル(約3100万円)という額は、一般の国民の何百年分の年収に匹敵するのか…。保険金は下りないでしょうし、今後この妻はどう行動するのか(自分のものを燃やしただけだから、刑務所には入りませんよね。借金取りに追われるぐらい?)興味津々です。
2008年03月07日
でっちあげ
冤罪という言葉を使う気にもならない、出来の悪いでっちあげ。どうしてこんなことがまかり通ったのかあきれてしまう事件です。
04年3月、火事の焼け跡から刺し傷のある男性が見つかり、実の妹が窃盗と威力業務妨害の罪で逮捕されたあと、殺人と放火の罪で逮捕されました。
5日、福岡地裁は殺人・放火については無罪と判断、昨日の朝からこの判決のニュースが流れました。
http://www.asahi.com/national/update/0306/TKY200803050354.html
北九州市八幡西区で04年3月、無職古賀俊一さん(当時58)方が全焼し、刺し傷のある古賀さんの遺体が見つかった事件で、妹の片岸みつ子被告(60)に5日、殺人と非現住建造物等放火について無罪が言い渡された。裁判で争点となったのは、留置場で同房だった女性(25)が片岸被告から聞いたとされる「犯行告白」。福岡地裁小倉支部の判決は、その任意性と信用性に疑問を示した。
地元ではもっと詳しく報道されたのかもしれません。
テレビのニュース番組や新聞の報道を見ただけの段階では、要するに証拠不十分という感じでした。
窃盗などでは執行猶予のついた判決が下ったということで、「真っ白の白」で無罪、という印象を受けなかったのは私だけではないでしょう。
正直なところ、「ホントにやってないのかな」という目で彼女の映像を見て、「疑わしきは被告人の有利に」とか言うからな、と思ったものです。
それがとんでもない誤解だということはネットの情報で知りました。
こちらのサイトに詳細があります。
http://www.hikinoguchi.com/gaiyou.html
「窃盗」というのが、生前の兄(アル中)に再三、
「自分が死んだら預金を下ろして、次女に学費を渡してくれ、母の葬儀代にしてくれ、俺の後始末をしてくれ」
と頼まれていたから、その通りにしただけだというのです。
このお金をネコババしたわけでもなく、事情を聞きにきた刑事にも話したし、兄の家族にお金を渡そうとしていたらしいです(別居中だった妻に拒否されたとか)。
マスコミはもっとこういう実情を報道するべきだと思います。
もちろん、遺産相続者は配偶者と子ですから、妹が勝手に預金を引き出すのは法に触れます。妻が受け取りを拒否したというのもそういう不満があったからでしょう。
でも(そうと知らずか知ってか)似たようなことをしている人は世の中にたくさんいるでしょう。逮捕されるほどのことかと疑問に思います。
また威力業務妨害というのも、別居中の兄の妻が公文の教室として使っていた(だから業務の妨害とみなされるのでしょう)実家の離れに、兄や母の居室とするために壁を設置したというもの。大げさな罪名をつけて逮捕するようなことではないと思います。
彼女が殺人・放火で逮捕されることになったのは、留置場で不自然に長期にわたり同房となった若い女が「彼女から殺人の告白を聞いた」とメモした、たったそれだけの供述調書が根拠だそうです。
この女はこの「功績」により、かなり優遇されたようですね。取調官と特別な関係があったのかどうかは不明。
上のサイトを見れば、犯人扱いされた彼女が普通の幸せな家庭を持ち、パッチワークを趣味とする優しい市民であることが伺われます。
なぜ警察は、少女時代からたびたび補導され覚せい剤に手を出しているような女をスパイにし、その話を鵜呑みにしたのか。なぜ強引に、この善良な女性を凶悪犯に仕立て上げようとしたのか、どう考えても不思議です。
でっちあげた警察はともかく、検察はいったい何を考えて起訴したんでしょうか。
警察は、真犯人を実は知っていて、それを明らかに出来ない事情でもあるんでしょうかね? 警察関係者とか。
また、私が思うのは、亡くなった人の預金を下ろすことが出来たというのは、銀行の落ち度ではないのかということ。下ろせてなければ彼女は逮捕されず、殺人放火犯にされることもなかったと思います。
ひっそりと亡くなっていたのならともかく、こんな大きな事件は実名で報道されたはずです。銀行はすぐ口座を凍結しなければならなかったんじゃないでしょうか。
下ろした人を逮捕するなら、下ろさせた方にも同じくらい責任があると思うのです。
(おそらく)取引してスパイを仕立てる。「蜘蛛女のキス」という古い映画(ウィリアム・ハートとラウル・ジュリア)を思い出させる、嫌な気分になる事件でした(映画はとても良かったです)。
古くは三億円強奪事件のとき、別件逮捕という行為が激しく非難されました。あのときは怒ってたんすの上を叩いた行為が脅迫とされたような記憶があります。オウム事件のころは偽名でホテルに泊まったのが罪に問われたりしてましたね。
…なんにも悪い事をしてなくても、ある日突然凶悪犯に仕立て上げられることもある、日本ってそんな国だったのかとあきれたりゾッとしたり。
このお粗末な「でっちあげ」茶番劇のシナリオを書いた人物は、ちゃんと法の裁きを受けるのか、知りたいものです。
04年3月、火事の焼け跡から刺し傷のある男性が見つかり、実の妹が窃盗と威力業務妨害の罪で逮捕されたあと、殺人と放火の罪で逮捕されました。
5日、福岡地裁は殺人・放火については無罪と判断、昨日の朝からこの判決のニュースが流れました。
http://www.asahi.com/national/update/0306/TKY200803050354.html
北九州市八幡西区で04年3月、無職古賀俊一さん(当時58)方が全焼し、刺し傷のある古賀さんの遺体が見つかった事件で、妹の片岸みつ子被告(60)に5日、殺人と非現住建造物等放火について無罪が言い渡された。裁判で争点となったのは、留置場で同房だった女性(25)が片岸被告から聞いたとされる「犯行告白」。福岡地裁小倉支部の判決は、その任意性と信用性に疑問を示した。
地元ではもっと詳しく報道されたのかもしれません。
テレビのニュース番組や新聞の報道を見ただけの段階では、要するに証拠不十分という感じでした。
窃盗などでは執行猶予のついた判決が下ったということで、「真っ白の白」で無罪、という印象を受けなかったのは私だけではないでしょう。
正直なところ、「ホントにやってないのかな」という目で彼女の映像を見て、「疑わしきは被告人の有利に」とか言うからな、と思ったものです。
それがとんでもない誤解だということはネットの情報で知りました。
こちらのサイトに詳細があります。
http://www.hikinoguchi.com/gaiyou.html
「窃盗」というのが、生前の兄(アル中)に再三、
「自分が死んだら預金を下ろして、次女に学費を渡してくれ、母の葬儀代にしてくれ、俺の後始末をしてくれ」
と頼まれていたから、その通りにしただけだというのです。
このお金をネコババしたわけでもなく、事情を聞きにきた刑事にも話したし、兄の家族にお金を渡そうとしていたらしいです(別居中だった妻に拒否されたとか)。
マスコミはもっとこういう実情を報道するべきだと思います。
もちろん、遺産相続者は配偶者と子ですから、妹が勝手に預金を引き出すのは法に触れます。妻が受け取りを拒否したというのもそういう不満があったからでしょう。
でも(そうと知らずか知ってか)似たようなことをしている人は世の中にたくさんいるでしょう。逮捕されるほどのことかと疑問に思います。
また威力業務妨害というのも、別居中の兄の妻が公文の教室として使っていた(だから業務の妨害とみなされるのでしょう)実家の離れに、兄や母の居室とするために壁を設置したというもの。大げさな罪名をつけて逮捕するようなことではないと思います。
彼女が殺人・放火で逮捕されることになったのは、留置場で不自然に長期にわたり同房となった若い女が「彼女から殺人の告白を聞いた」とメモした、たったそれだけの供述調書が根拠だそうです。
この女はこの「功績」により、かなり優遇されたようですね。取調官と特別な関係があったのかどうかは不明。
上のサイトを見れば、犯人扱いされた彼女が普通の幸せな家庭を持ち、パッチワークを趣味とする優しい市民であることが伺われます。
なぜ警察は、少女時代からたびたび補導され覚せい剤に手を出しているような女をスパイにし、その話を鵜呑みにしたのか。なぜ強引に、この善良な女性を凶悪犯に仕立て上げようとしたのか、どう考えても不思議です。
でっちあげた警察はともかく、検察はいったい何を考えて起訴したんでしょうか。
警察は、真犯人を実は知っていて、それを明らかに出来ない事情でもあるんでしょうかね? 警察関係者とか。
また、私が思うのは、亡くなった人の預金を下ろすことが出来たというのは、銀行の落ち度ではないのかということ。下ろせてなければ彼女は逮捕されず、殺人放火犯にされることもなかったと思います。
ひっそりと亡くなっていたのならともかく、こんな大きな事件は実名で報道されたはずです。銀行はすぐ口座を凍結しなければならなかったんじゃないでしょうか。
下ろした人を逮捕するなら、下ろさせた方にも同じくらい責任があると思うのです。
(おそらく)取引してスパイを仕立てる。「蜘蛛女のキス」という古い映画(ウィリアム・ハートとラウル・ジュリア)を思い出させる、嫌な気分になる事件でした(映画はとても良かったです)。
古くは三億円強奪事件のとき、別件逮捕という行為が激しく非難されました。あのときは怒ってたんすの上を叩いた行為が脅迫とされたような記憶があります。オウム事件のころは偽名でホテルに泊まったのが罪に問われたりしてましたね。
…なんにも悪い事をしてなくても、ある日突然凶悪犯に仕立て上げられることもある、日本ってそんな国だったのかとあきれたりゾッとしたり。
このお粗末な「でっちあげ」茶番劇のシナリオを書いた人物は、ちゃんと法の裁きを受けるのか、知りたいものです。
2008年03月05日
きょうの一句
息子の卒業を前に、思いがけず友人たちからお祝いをいただきました。
一緒に楽しくランチした食事代を出してもらったり、お花やお菓子を贈られたほか、14年間ご苦労様でした、と図書カードもいただきました。
せっかくだから、手元に置いて資料的な使い方をする本を買い求めて記念にしたいと思っていたところ、きょう、まさにぴったりの本が見つかりました。
ステラMOOK ラジオ深夜便 「誕生日の花ときょうの一句」(NHKサービスセンター)です。
ラジオ深夜便は夜中から早朝にかけて放送されているラジオ番組ですから、私は聞いてはいません。
とくにこの「きょうの一句」のコーナーは午前4時50分台に放送されているそうですから、私は熟睡している時間帯、存在も知りませんでした。
買い求めた本に収録されているのは2007年4月1日から2008年3月31日までに放送された…と書いてありますが、ということは、まだ放送されていない分もあるようです。
毎日俳句を一句、誕生日の花と花言葉とともにまとめてあります。
毎日「その日の誕生花」があるのは知っています。娘が「面白いよ」と買ってきた誕生日の花の本には、花言葉とともにその日が誕生日にあたる有名人の名前が書いてあって、「誰それと誕生日が一緒だ」とはしゃいだりしていました。
その本には、花のイラストがついていました。それはそれで美しい本ですが、カラーでもないし必ずしもホンモノと似ていない。
きょう買った本は、親切なことに綺麗な花のカラー写真つきで、属する科の記載もあります。ご近所の庭などに咲いていて名前を知らなかった花など、ちょっと調べるのにも重宝しそうです。
一年は365日、今年はうるう年なので366日ありますから、それだけの数の花が載っていることになります。
日本は気候に恵まれた国だから、これほどの数の花を観賞することが出来るんだなあとあらためて思いました。
きょう3月5日の「きょうの一句」は、
たて書きの詩のごとくあり花きぶし(和田順子)
「釣鐘形の小さな花が、列を作って垂れ下がっている。その一つ一つの花を文字に、花のかたまりを詩の一行に見立てた」と解説が付いています。
この句に歌われた「花きぶし」は「キブシ」(キブシ科)、花言葉は「出会い」だそうです。
写真を見ると、薄黄色い小さい穂が連なって垂れた花で、これは公園などでよく見かける花(木)だと思いました。
ちなみにキブシは「木五倍子」「木付子」と書きます。果実を粉にし、ぶし(付子・お歯黒に用いたタンニン材)の代用として黒色染料とするところから、木の付子ということでこの名があるのでしょう。
明日3月6日は一茶の有名な(私も知っている…)句です。
「雪とけて村一ぱいの子ども哉」
花は「ショウジョウバカマ」(ユリ科)、花言葉は「希望」。
今年は雪が妙な降り方をして、まだとても雪解けとはいかないところもあるようですね。
こちらは陽射しも暖かくなって来て、きょうは冬のコートでは暑いくらいでした。
花粉や黄砂とともにやって来るのは頭の痛いところですが、日ごとに春の訪れを感じるこの頃です。
一緒に楽しくランチした食事代を出してもらったり、お花やお菓子を贈られたほか、14年間ご苦労様でした、と図書カードもいただきました。
せっかくだから、手元に置いて資料的な使い方をする本を買い求めて記念にしたいと思っていたところ、きょう、まさにぴったりの本が見つかりました。
ステラMOOK ラジオ深夜便 「誕生日の花ときょうの一句」(NHKサービスセンター)です。
ラジオ深夜便は夜中から早朝にかけて放送されているラジオ番組ですから、私は聞いてはいません。
とくにこの「きょうの一句」のコーナーは午前4時50分台に放送されているそうですから、私は熟睡している時間帯、存在も知りませんでした。
買い求めた本に収録されているのは2007年4月1日から2008年3月31日までに放送された…と書いてありますが、ということは、まだ放送されていない分もあるようです。
毎日俳句を一句、誕生日の花と花言葉とともにまとめてあります。
毎日「その日の誕生花」があるのは知っています。娘が「面白いよ」と買ってきた誕生日の花の本には、花言葉とともにその日が誕生日にあたる有名人の名前が書いてあって、「誰それと誕生日が一緒だ」とはしゃいだりしていました。
その本には、花のイラストがついていました。それはそれで美しい本ですが、カラーでもないし必ずしもホンモノと似ていない。
きょう買った本は、親切なことに綺麗な花のカラー写真つきで、属する科の記載もあります。ご近所の庭などに咲いていて名前を知らなかった花など、ちょっと調べるのにも重宝しそうです。
一年は365日、今年はうるう年なので366日ありますから、それだけの数の花が載っていることになります。
日本は気候に恵まれた国だから、これほどの数の花を観賞することが出来るんだなあとあらためて思いました。
きょう3月5日の「きょうの一句」は、
たて書きの詩のごとくあり花きぶし(和田順子)
「釣鐘形の小さな花が、列を作って垂れ下がっている。その一つ一つの花を文字に、花のかたまりを詩の一行に見立てた」と解説が付いています。
この句に歌われた「花きぶし」は「キブシ」(キブシ科)、花言葉は「出会い」だそうです。
写真を見ると、薄黄色い小さい穂が連なって垂れた花で、これは公園などでよく見かける花(木)だと思いました。
ちなみにキブシは「木五倍子」「木付子」と書きます。果実を粉にし、ぶし(付子・お歯黒に用いたタンニン材)の代用として黒色染料とするところから、木の付子ということでこの名があるのでしょう。
明日3月6日は一茶の有名な(私も知っている…)句です。
「雪とけて村一ぱいの子ども哉」
花は「ショウジョウバカマ」(ユリ科)、花言葉は「希望」。
今年は雪が妙な降り方をして、まだとても雪解けとはいかないところもあるようですね。
こちらは陽射しも暖かくなって来て、きょうは冬のコートでは暑いくらいでした。
花粉や黄砂とともにやって来るのは頭の痛いところですが、日ごとに春の訪れを感じるこの頃です。
2008年03月02日
みっともない
最近、「みっともない!」と思わずつぶやいたこと。
時津風部屋のもと親方が、弟子のリンチ死について
「兄弟子たちが勝手にやったことで、自分は知らない」
と言っているという報道に対して。悪あがきというか、実に見苦しい。
こんな親方と知らないで入門した弟子たちがかわいそうです。
兄弟子たちは「親方の言葉には逆らえなかった」と言い訳しているようですけどね。人一人死んだというのに、誰も「自分が悪かった」とは思ってないんでしょうか。
以前、相撲界に身内がいる人に話を聞く機会があったとき、
「そのくらいのこと(しごき? リンチ?)はどこでもやってるよ、と笑われた」と言っていました。
「その親方は、酒癖がすご〜く悪いので有名だったんだって」とも。
「無理ヘンにげんこつ」と書いて「あにでし(兄弟子)」と読む、と言いますから、相撲部屋ではけいこに名を借りた鉄拳制裁が日常なのでしょう。特別なことをした意識はないのかもしれませんね。
「相撲は喧嘩だ」と発言して物議をかもしたのは、まだ日本語がたどたどしかった頃の小錦(現KONISHIKI)でした。相撲は礼に始まって礼に終わる、といった、ただの喧嘩(格闘技)とは違うということをちゃんと教え込まないと、
「強ければ何でも許される」
「強くなる(する)ためには手段を選ばない」
という風潮に流れるのも無理からぬところだと思います。
サイパンで三浦某にむらがるマスコミ(カメラ)もみっともないです。
昔の「ロス疑惑」騒ぎを知る者としては、あのころよりもカメラの数が多いような気がします。きっとフリーで写真を売り込もうとするカメラマンもいるんでしょうね。
ロス疑惑は、週刊文春のスクープ連載記事がきっかけとなって事件性が疑われ始めました。最初は悲劇の夫から、襲撃した女優の告白など紆余曲折を経て、テレビカメラが回っている前で逮捕というドラマチックな事件でした。
少年時代に放火で服役していたとか、本来なら暴いてはならないような過去も公になりましたし、往年の有名女優(叔母らしい)の隠し子という噂が流れたりと、ヘタな小説より道具立ても賑やかでした。
何年前になりますか、ワイドショーでリポーターをやっている姿には開いた口がふさがりませんでした。かつて極悪犯扱いして追い掛け回したテレビ局が…、なんでもあり、なんだなあと。(長くは続かなかったようです)
週明けにはロス移送となるんでしょうか、サイパンの人があきれ返るようなみっともない真似は、してほしくないところです。
恥の上塗りでみっともない姿をさらしているのは防衛大臣。マッタクとんでもない時に大臣にされちまったな〜とぼやいている声が聞こえるようです。
身内(党内)の加藤某からも批判されたとかですが、苦しい言い逃れをするというのは、平たく言えばウソを重ねることだと思います。
懲りずに問題発言を繰り返す法務大臣や、火をつけると燃えそうなすぐキレる若い知事など、最近はみっともない政治家が多いですね〜。
後任人事が話題になっている日銀総裁もそうでした。余人を持って換え難い重要な仕事なのかもしれないけれど、うやむやになった後味の悪さは印象に残っています。
みっともないのの親玉は、「メタミドホスは袋からしみ込むことが実証された」と発表したどこかの国ですかね。
マジ? と聞きたくなります。
冷凍食品が入っている袋がそんな「風通しのいい」材質だったら、保存が利かないはず。
文盲がほとんどいない、新聞ぐらいは誰でも読める(世界的に見たら少数派らしいですね)この国相手に、よくもまあこんな非科学的な言い逃れをするものです。
禁止薬物のメタミドホスが簡単に入手できることを実証しようとした(農家から買った)日本の記者が拘束されると、かの国のネットでは、まるで毒物混入の犯人を見つけたかのような話になっているらしいですしね。いやはや。
口直し(?)に珍しい写真をどうぞ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080226-00000000-hsk_yg-l35.view-000
白いイチゴを栽培する農家があるそうです。
白い生クリームの上ではよくわかりませんが、チョコレートケーキだと引き立ちそうですね。
紅白のイチゴで縁起物として使えそうとのこと。いずれは普及して、山口ならずともお目にかかれそうですね。
白いイチゴは薄いピンクがかった白色だが、切ると真っ白な断面が現れる。熟していないように見えるが味や香りは赤いイチゴと変わらないそうです。
時津風部屋のもと親方が、弟子のリンチ死について
「兄弟子たちが勝手にやったことで、自分は知らない」
と言っているという報道に対して。悪あがきというか、実に見苦しい。
こんな親方と知らないで入門した弟子たちがかわいそうです。
兄弟子たちは「親方の言葉には逆らえなかった」と言い訳しているようですけどね。人一人死んだというのに、誰も「自分が悪かった」とは思ってないんでしょうか。
以前、相撲界に身内がいる人に話を聞く機会があったとき、
「そのくらいのこと(しごき? リンチ?)はどこでもやってるよ、と笑われた」と言っていました。
「その親方は、酒癖がすご〜く悪いので有名だったんだって」とも。
「無理ヘンにげんこつ」と書いて「あにでし(兄弟子)」と読む、と言いますから、相撲部屋ではけいこに名を借りた鉄拳制裁が日常なのでしょう。特別なことをした意識はないのかもしれませんね。
「相撲は喧嘩だ」と発言して物議をかもしたのは、まだ日本語がたどたどしかった頃の小錦(現KONISHIKI)でした。相撲は礼に始まって礼に終わる、といった、ただの喧嘩(格闘技)とは違うということをちゃんと教え込まないと、
「強ければ何でも許される」
「強くなる(する)ためには手段を選ばない」
という風潮に流れるのも無理からぬところだと思います。
サイパンで三浦某にむらがるマスコミ(カメラ)もみっともないです。
昔の「ロス疑惑」騒ぎを知る者としては、あのころよりもカメラの数が多いような気がします。きっとフリーで写真を売り込もうとするカメラマンもいるんでしょうね。
ロス疑惑は、週刊文春のスクープ連載記事がきっかけとなって事件性が疑われ始めました。最初は悲劇の夫から、襲撃した女優の告白など紆余曲折を経て、テレビカメラが回っている前で逮捕というドラマチックな事件でした。
少年時代に放火で服役していたとか、本来なら暴いてはならないような過去も公になりましたし、往年の有名女優(叔母らしい)の隠し子という噂が流れたりと、ヘタな小説より道具立ても賑やかでした。
何年前になりますか、ワイドショーでリポーターをやっている姿には開いた口がふさがりませんでした。かつて極悪犯扱いして追い掛け回したテレビ局が…、なんでもあり、なんだなあと。(長くは続かなかったようです)
週明けにはロス移送となるんでしょうか、サイパンの人があきれ返るようなみっともない真似は、してほしくないところです。
恥の上塗りでみっともない姿をさらしているのは防衛大臣。マッタクとんでもない時に大臣にされちまったな〜とぼやいている声が聞こえるようです。
身内(党内)の加藤某からも批判されたとかですが、苦しい言い逃れをするというのは、平たく言えばウソを重ねることだと思います。
懲りずに問題発言を繰り返す法務大臣や、火をつけると燃えそうなすぐキレる若い知事など、最近はみっともない政治家が多いですね〜。
後任人事が話題になっている日銀総裁もそうでした。余人を持って換え難い重要な仕事なのかもしれないけれど、うやむやになった後味の悪さは印象に残っています。
みっともないのの親玉は、「メタミドホスは袋からしみ込むことが実証された」と発表したどこかの国ですかね。
マジ? と聞きたくなります。
冷凍食品が入っている袋がそんな「風通しのいい」材質だったら、保存が利かないはず。
文盲がほとんどいない、新聞ぐらいは誰でも読める(世界的に見たら少数派らしいですね)この国相手に、よくもまあこんな非科学的な言い逃れをするものです。
禁止薬物のメタミドホスが簡単に入手できることを実証しようとした(農家から買った)日本の記者が拘束されると、かの国のネットでは、まるで毒物混入の犯人を見つけたかのような話になっているらしいですしね。いやはや。
口直し(?)に珍しい写真をどうぞ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080226-00000000-hsk_yg-l35.view-000
白いイチゴを栽培する農家があるそうです。
白い生クリームの上ではよくわかりませんが、チョコレートケーキだと引き立ちそうですね。
紅白のイチゴで縁起物として使えそうとのこと。いずれは普及して、山口ならずともお目にかかれそうですね。
白いイチゴは薄いピンクがかった白色だが、切ると真っ白な断面が現れる。熟していないように見えるが味や香りは赤いイチゴと変わらないそうです。