2007年07月31日

子どもの万引き

大阪から修学旅行に来ていた中学生が、東京ディズニーランドで集団万引きをしていたそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070731-00000907-san-soci
TDLは警察に被害届を出さず、学校は商品を店に返させて、反省文を書かせただけ。
「見つかって運が悪かったな。まったくドジを踏みやがって」と笑いながら話している生徒たちの顔が見えるような事件だと思いました。
TDLは大口の顧客を失いたくないし、学校はできることなら秘密裏に済ませたい。たとえ捕まったとしてもたいした処分を受けないのは生徒も見越してのことでしょう。即退学処分となる私立の生徒なら、誘われてもかなりためらうんじゃないでしょうか。

こういうのは、警察に突き出してぎゅうぎゅうに油を絞ってもらうべきではないんですか。もう絶対しないぞって思い知るべきだと思います。
そうでなければ再発は防げないんじゃないでしょうか。
もし黒幕がいて、その子がいじめの一つとして万引きさせていたなら、学校の先生の手に負える相手ではないでしょう。学校から引き離して警察に任せるべきです。
やっていいことと悪いことのけじめは、厳然とつけるべきだと思います。

万引きに関しては、不愉快な思い出があります。
娘が、クラスの男子が万引きの成果を自慢している、と私に訴えたことがあったのです。
どこそこの店はやりやすいとか、何人かの生徒がよく教室の話題にしていたそうで、娘はそういうのが嫌でいやで、学校に通うのが苦痛でたまらないようでした。聞いた私はとても驚きました。
折りよく学校で個人面談があったので、私は担任にその話をしました。担任は30代始めぐらいの男性教師でしたが、話をそらして、まともに聞いてくれないのです。娘から聞いた実名をあげても、「その生徒はとてもいいお子さんですから」と取り合わないのです。
「聞かなかったこと、なかったこと」にしたかったんでしょうね。

ギターで弾き語りをしてくれるという、明るく人気のある先生のようでしたが、私はすっかり失望してしまいました。万引きして、その成果を競っているのが事実としたら、それは「たいしたことない」ことなんでしょうか。
べつにその子を呼び出して問いただせと言ってるんじゃありません。クラスでさりげなく万引きの話題を取上げて、「もしやったことのある子がいたら、反省して、もう二度とやるなよ」と言ってもらうだけでも、かなり効果はあったと思うのです。
勇気を持ってチクってくれた娘の気持ちは無視されたままでした。もし娘が、自殺したくなるほどひどいいじめに遭っても、この先生は何もしてくれないだろうなと思いました。

うっかりしたことを言うと、すぐさま問題視される風潮は確かにあります。
生徒を疑うようなことをすれば、「うちの子を泥棒呼ばわりするのか」と怒鳴り込んでくる保護者もいるかもしれません。

それでも万引きはいけない。窃盗は刑法犯です。
「刑法第二百三十五条  他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。」
子どもだからって大目に見るべきではないと思います。
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2007年07月30日

責任は取るべきだ

とうとう農民票が離れたな、農民票が取れなければ自民党は勝てないのでは、と昨夜の開票速報を見ながら思いました。
保守色の強い地方で自民党が負けるなんて、こんなこと初めてです。一人区で野党が勝つなんて信じられない、おとなしい日本人も目覚めたなあと思いました。

だから首相続投と聞いて耳を疑いました。
これだけわかりやすい民意を、無視するんですか。いったい、誰のための政府なんでしょうね。
(お人よしで)部下をかばうだけじゃなくて、自分にも大甘な人だったんですね。
続投を支持するセンセイ方は、いったい、どんな弱みを握られてるのかと思いました。
これじゃみっともなくて恥ずかしい、責任を取るべきだって鈴をつけにいくのに、それほど勇気が要るんでしょうかね。
伊吹文部大臣あたり、年の功で捨て身になって、進言してくれませんかね。

「ボクのせいじゃないもん! 反省するって言ってるんだからいいでしょ!」…って駄々をこねてるガキンチョみたいです。
この人について行きたくはないと大半の人は思ってるんじゃないでしょうか。
今回の結果に責任を取るということは、これだけの逆風にもめげず応援してくれた有権者に対しても、必要なことなんじゃないかと思います。
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2007年07月29日

放置された子

きょう息子と一緒に金沢動物園に出かけ、コアラ舎のそばの売店に寄りました。
きょうもとても暑く、坂道を上がってそこにたどり着くまでにバテバテ。冷房の効いた売店に座り、自動販売機のお茶で一息つきました。
息子はそこで食べると決めている(らしい)紅茶味のアイスをかじり、無表情ながらご満悦。
大きなガラス窓前のカウンター式の席は目前に緑豊かな林が広がって、とてもくつろいだ気分になれました。
その気分をぶち壊されたのは、いつまでも泣き止まない赤ちゃんの存在です。

赤ちゃんは泣くものです。それはわかります。
私だって3人の子を育てましたから、泣かれて困ったり、ごちそうを一口しか食べられなかった(中座)、なんてことは何度も経験しました。新幹線の中であやしながら歩き回ったり、一緒に泣いたり、「なんで泣くの!」と叱ったり…。
でも、泣き止まない子をいつまでもほっておいたり、周りの人に対して「うるさい思いをさせてごめんなさい」という気持ちを、持たなかったことは一度もありません。赤ちゃん時代を過ぎてからも、息子が奇声を上げたときなどは「お騒がせしました」と謝っています。
第一、うるさいのもだけど、泣いて意思表示しているのにかまってもらえない赤ちゃんって、かわいそうで切なくなります。「早くなんとかしてやれよ!」って思います。

赤ちゃんがベビーカーで泣いているのに、抱き上げようともしないで平然と仲間とおしゃべりしている母親って、どうなんだろう。
自分はいつものことだから慣れてしまって、うるさいとも思わないのかしら。赤ちゃんの泣き声が耐え難い騒音だってこと、考えてもみないんでしょうか。
「なぜ」泣くのか気を回して、泣く原因を取り除いてやろうとは考えないんでしょうか。オムツなら早く換えないとかぶれてしまいそうだし、のどが渇いたとか暑いとかなら、下手すると命にもかかわると思います。
何かを必死で訴えている赤ちゃんを、かわいそうと思わないんでしょうか。
席を立って出ながら見たら、ウチの娘たちといくらも違わない、若い母親でした。

若い母親が未熟なのは、仕方のないことです。遠慮なく口出ししてくる姑と同居している人は今はほとんどいないでしょうから、気がつかないのだと思います。
育児は育自、と言われるように、育児を通して親が成長するという面は否定できないでしょう。親自身が大人になり、おっかなびっくりで育てる最初の子よりは次の子が、三人目、四人目がいたらその子のほうがもっと要領よく育てられると思います。
こういうのは自分の子だけじゃなくて、他人の子に対しても言えることで、そういう意味では保育園の保育士というのは学校出たての若い子よりも、育児の経験がある中年の女性の方が適任なのではないかと思います。育児経験、人生経験といったものは、もっと評価されていいんじゃないでしょうか。

北九州市でバスの中に取り残された子が熱中症で亡くなるといういたましい事故がありました。
子どもの把握だけじゃなくて、大勢の子どもが乗ったなら忘れ物はないかと(ありそうなことです)点検しておけば防げた事故です。実際、別の子が忘れた帽子を探しに来て、ぐったりした子を発見、ということでした。
この保育園の体制はよく知りませんが、記者会見にのぞんだ園長はずいぶん若い男性でした。経験もあまりないのでしょうね。
それにしても、お帰りの時間までいないことに気がついてもらえなかった子はほんとに気の毒です。ずっと泣いているのにベビーカーから抱き上げてもらえなかった、あの赤ちゃんと重なって、その無念さに心が痛みます。
posted by dashi at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2007年07月28日

人のカネ

私は不思議でならないのだけど、赤城農相ってどうしてあんなに強気なんだろう。
政治活動費の二重計上問題について、「単純な事務的ミスで、すでに訂正している」と繰り返し、「ニセ領収書」と報じた週刊現代に対しては「弁護士と対応を協議している」そうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070727-00000155-mai-pol
実家を実体のない事務所にしたり、顔の絆創膏について聞かれても「たいしたことじゃない」と突っぱねる。
特権階級であると思い上がって、やりたい放題という印象を受けますね。今回が参議院じゃなくて衆議院の選挙だったら、この人が再選されるのかどうか興味深いところです。

一般企業で二重計上がばれたら、「単純な事務的ミス」じゃすまないでしょう。税務署からどれだけいじめられる、じゃない、温かいご指導をいただくことかと思います。
確定申告の折や税務署の査察が入ったときに、みんな「すまして」言いたいですよね、「あ、これ? 単純な事務的ミスが見つかりましたね、訂正します」って。「たいしたことじゃないでしょ? なにか問題でも?」って。
「訂正するからいいでしょ」で通るなら、世の会計担当者はどれほど仕事がしやすくなることか。

だいたい、自殺した前任者もそうだけど、人のカネ(税金)を気安く使わないでほしいものです。

新潟の地震で家をなくしたお年寄りが、灼熱地獄の避難所で仮設住宅に入れるのを待ってます。あの人たちはこれから、家を始め失った多くのものへの未練とともに、不安でならない老後を送ることになります。
あの人たちだって、何十年にもわたって税金を納めてきた。これからも、たとえ最低限の生活を余儀なくされるとしても、モノを買うたびに消費税は払わなければならない。介護保険料だって年金からしっかり引かれます。
血税って言葉があるように、税金って庶民のなけなしの財布から搾り取ったものじゃないんですか。法人税だって、払うために企業は涙ぐましい努力をしていると思う。それだけの重みをわきまえて、大切に使わなきゃバチが当たるってもんですよ。

この間、ドーナツ屋におばあちゃんと来ていた小さい子が二人、かじったドーナツを「もういらない」と押しやっていました。
『そのドーナツ、いったいいくらすると思ってるの!食べきれないほどせがむなよ!』
と隣の席でムッとした私ですが、おばあちゃんはニコニコとそのドーナツを紙ナプキンに包んでいました。たぶん、おばあちゃんがあとで食べるんだろうなあ。(「使いますか」と折りたたんだ小さなコンビニ袋をあげたら、とても喜んでもらえました)
小さい子はしかたない(たまに会うおばあちゃんだから甘くなるのかもしれないし)けど、高校生ぐらいの子がもったいないことしてるのを見ると、「この子にお小遣いあげるためにお母さんはパートに出てるのかも」と複雑な気分になります。自分で稼いだカネならそんな使い方はしないんじゃないの、と思うことありますね。

閑話休題。
政治家がいいかげんなことを言ったりしたりするのは、有権者が甘いからだと思います。
甘くするとなめられるのは、朝青龍も同じですね。疲労骨折で巡業をお休みのはずがモンゴルに帰国してサッカーに興じるとは。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070728-00000014-sanspo-spo&kz=spo
今度ばかりは相撲協会もカンカンのようです。どうする、北の海理事長。
またまた閑話休題。
一般庶民が政治家に注文をつけることが出来るのは投票のときだけ。今回棄権する人は、自分の納めたカネがどう使われようとかまわないってことですね。赤城農相に文句を言う資格はないと思います。
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2007年07月27日

夏バテ

いや〜夏ってこんなに暑いものだったかしら。
早朝汗ばんで目が覚めて、二回シャワー浴びたのに、またすぐ汗びっしょりになる。気持ちの悪い暑さです。
やたら暑くて、更年期のホットフラッシュとやらかと思いましたが、この夏一番の暑さというニュースに納得です。
車で出かけたらものすごい渋滞で、すっかり体力消耗してしまいました。
…夏バテできょうはお休みします。
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2007年07月26日

自己主張

小さいときは私の行くところにはどこでもおとなしく着いてきてくれた息子ですが、だんだん、途中で行方不明になったり(電車に乗って家に帰ったことも)、嫌な時は大声を出して抵抗したりするようになりました。19歳の今は初めてのところにはまず入りませんし、行こうと声をかけると「イラナイイラナイ」と大きな声を出して拒否します。
小さいときは「いや」と言うことを知らなかったから、我慢するしかなかったのでしょう。「いや」と言えるようになったら自傷行為が収まったという自閉症児の話もきいたことがあります。
「イラナイ」と言うのは自己主張が出来るようになった、成長の証なのだろうと思っています。

きょう、電車でちょっと出かけるつもりで家を出ました。そこより先には行かなくてすむようにと、わざわざ川崎止まりの電車が来るのを待って乗ったのに、終点で降りたらとても不満そう。
どこか行きたいところでもあるのかと好きなようにさせたら、品川ではちゃんといったん外に出て乗り換え、電車も間違わずに上野へ。動物園が見えるところまで行ったら、満足そうににやっとしていました。
私は電車の清算をしたり切符を買って着いて行っただけ。

動物園と言っても、息子は動物にはあまり興味がありません。促しても横目でちらっと見るくらい、ふらふらと先に歩いていってしまいます。
見失っても適当に待っていてくれるので、私はせっかく来たからと見物することにしました。
私にはやっぱり守護霊が…と思ったのは、ちょうど、ゾウとふれあう時間に通りがかったことです。それも、終了の数秒前という感じ。柵越しにゾウにさわれたんです!!
いったいどんな感触なのか、鼻や眉間のあたり、腕を伸ばして耳(人間で言うところの耳たぶ部分)にもそーっとさわらせてもらいました。「もう終わりです」と言われながら…。ごわごわしていて、古くなった柔らかい皮のカバンに毛が生えたような、という印象でした。

以前は亀とか爬虫類はわりと好きで、じっと見たりしていた息子ですが、このごろは関心が薄れた様子。
絶滅が危ぶまれるガラパゴスゾウガメやホシガメなど珍しい亀もたくさんいたのに、もったいないことでした。
息子の分までと見ていた私の印象に残ったのは、強化ガラス(?)越しに、たぶん数センチの距離で観察したガラガラ蛇。頭って、ほんとに三角形なんですね。先日書いたプラナリアみたいに、少しエラの張った三角形の頭をしていました。
道端で遭遇する蛇にはぎょっとして気持ち悪くなるのに、どうして動物園のとぐろを巻いている巨大な蛇には抵抗がないんだろう、なんて考えました。光沢があってきれいな皮です。ぬけがらは美しいかも。
蛇というと楳図かずおの恐怖漫画、ですけどね。

息子が動物園を目指したのは、売店のソフトクリーム目的のようでした。私はもう覚えてませんが、前に来たときに食べさせたのだと思います。
それから向かったのはモノレール乗り場。これには前に乗った記憶があります。
二分足らずの短い行程ですが、たしかに視点が変って面白くはありますね。べつに楽しそうな顔もしていないけど、モノレールが気に入ってたんだなあと思いました。
そのあと不忍池沿いを歩いて、ハスの花が咲いているのを珍しく見たりしました。
おみやげや、なにか食料を買おうとしても「イラナイイラナイ」が始まるので、お昼を食べそびれて帰ってきました。
本人もおなかがすいていたはずですが、思い通りのところに行けて満足したのか、空腹でも機嫌が悪くならず助かりました。
ながーい夏休みも今年が最後。私も少しは楽しみながら、息子の自己主張につきあっています。
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2007年07月25日

ヘンな靴

気が滅入るようなニュースばかりなので、なにか楽しい話題はないかとGIGAZINEというサイトをのぞいてみました。
ここは世界中から変った話題をよく集めてあります。
私の期待を裏切らず、いろいろありましたが、中でも呆れたり笑ったり、へんなの〜とつぶやいたのがこれ。
それぞれの指先が分かれた靴です。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070725_vivram_five_fingers/
靴下の5本指は水虫や疲労回復に効果があるとかで、だいぶ普及したようですが、靴とはね。
この靴はハダシで履くんでしょうか。ざぶざぶ洗えるような材質にも見えますが、なんだか不潔になりそう。臭くなったり、水虫になりそうな気がしますが…。
70ドル(約8500円から100ドル(約1万2000円)といい値段らしいですが、既製品がぴったり履けるものなんでしょうか?

こちらはGPS搭載で、居場所がすぐわかるスニーカー。通話もできるそうです。
325ドル(約3万9千円)から、とかなり強気の値段です。買う人いるのかしら。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070218_gps_shoes/
多動の自閉症児や徘徊癖のある認知症の人に履かせるといいかもしれません。どこにいるか把握できます。
でも、途中で脱いでしまうとお手上げですね。
主婦としては、洗うときどうするんだろう? って気になります。取り外せるんでしょうか、それとも完全防水?

これもかなり笑える。サイズを調節できる子ども靴です。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070209_growshoes/
子どもの靴ってほんとにすぐ小さくなるので、こういうのを考案した人の気持ちはよくわかります。
でも、伸ばせばいいってもんじゃないと思うんですよね。蛇腹部分がごろごろしてすれそうです。履き心地は最悪なのでは? 

ヘンな靴と言えば、かかとの部分がないつっかけみたいな靴とか、つま先が細く尖っていて甲の部分から指の股が見えるハイヒールとか、履き心地の悪そうな靴も多いですね。危ないからか歩きにくいのか、厚底のぽっくりみたいなのは見かけなくなりました。

先日友人と話していたら、彼女は左胸に穴が開いていると話してくれました。結核ではない何とかいう病気で、人には感染しないし命にはかかわらないらしい。たまに咳き込んだら止まらないことがあるくらいだそうです。
この彼女が足裏マッサージに行ったら、「左の胸に悪いところがありますね」と言われてびっくり仰天した由。足の裏は身体の状態がよくわかる大事なところらしいです。
冗談みたいなヘンな靴履いて、足の裏をないがしろにしない方がいいかもしれません。
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2007年07月24日

再生、自切

息子の夏休みで、いつもは送迎で留守にする時間帯のテレビを見ることがあります。
息子は自分の部屋に引っ込むくせに、なぜか必ず教育テレビをつけていきます。(4時過ぎないと幼児番組は始まらないんだけど)
私が替えなければそのままで、きのうは「高校講座・生物」というシブイ番組をやっていました。
コーヒーをすすりながらぼんやり見ていたら、「再生」というテーマで、(ナマコみたいな形の)プラナリアを二つに切って経過を見た映像が流れました。
横二つに切られた部分のうち、頭側からしっぽが再生するのはわかりますが、しっぽの方から頭が出来るのは珍しく、思わず見入ってしまいました。白っぽい再生芽が盛り上がり、8〜9日目に目(とても可愛い)が出来て、15日ぐらいでほぼ再生が終わりました。
このプラナリアは再生力が非常に強く、実験によく使われる生物だそうです。

プラナリアというのは、扁形動物門ウズムシ鋼ウズムシ目ウズムシ亜目に属する動物の総称、などいくつかの定義があり、生物学でいうプラナリアはナミウズムシを指すことが多いそうです。
似たような名前の花もあるようですが、北海道をのぞいた全国に広く分布している虫だそうです。画像がありましたのでどうぞご覧ください。
http://www.sci.himeji-tech.ac.jp/life/regeneration/planaria.html
きれいな谷川の石や落ち葉の裏などによくいるそうで、肉食。水生昆虫を食べるということです。
水質に影響を受けることから指標生物とされているそうです。一見ナメクジみたいで女性には嫌われそうですが、プラナリアの住むところは水がきれいということでしょうか。

こんなすごいのもありました。二つなんてケチくさいことを言わずコマギレにしても再生するらしいです。
http://www.k3.dion.ne.jp/~ar.11510/LOVELOG_IMG/20050703fc8bdba8.JPG
240個に切り分けても再生した(240匹になったわけではないらしい)記録があるそうです。
なぜそんなことが出来るかというと、まだ何になるか決まっていない未分化の細胞(幹細胞)がプラナリアは全身にまんべんなく備わっているから。必要に応じて適切な細胞に分化、成長していくのですね。
幹細胞の研究が進めば、いずれは臓器移植が不要になるのでしょうか。研究材料としてプラナリアの果たす役割は小さくないようです。

今朝玄関の前をトカゲが横切るのに遭遇しました。黒々とした身体に白い縦縞が入り、テラテラ光っていました。
再生と聞くと、私は「トカゲのシッポ切り」というのを連想します。シッポを踏まれたトカゲが、シッポを落として逃げるのを実際に見たこともありますが、千切れたシッポがピクピク動いて不気味だったのを覚えています。
トカゲがシッポを切るのは(自切と呼ぶそうです)、捕食者の目を切れたシッポにひきつけておいてその間に逃げるためだから、切れたあとしばらくは動いてくれないとまずいですよね。なるべくなら激しくのたうちまわるくらいに。
自切はミミズでもよく見られるようですね。たまに両側が頭になって困っている、と聞いたことがありますが、真偽のほどはわかりません。
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2007年07月23日

月面着陸

きょうの朝日新聞朝刊(科学面)に、なつかしい人が載っていました。
ニール・アームストロング氏、76歳。
人類史上初めて月面に降り立った、アポロ11号の船長として記憶に刻まれている人です。
彼がゴーストつきの白黒画面を通して月面から発信した、
"That's one small step for a man, one giant leap for mankind."
「これは一人にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大なる飛躍だ」
の名セリフ(訳は数種類あったようでした)には、子どもだった私も酔いました。

今月初めに、この中継で一躍有名になった、同時通訳者の西山千さんが亡くなりました。95歳で老衰のため、ということですから大往生ですね。当時の記憶のある私としては、容赦なく過ぎ去る時の流れに感慨を覚えます。
独特の抑揚で「こちらヒューストン」と流れる声、とにかくカッコよかったです。同時通訳を志して英語の勉強に熱を入れた若者も少なくなかったでしょう。
「あの、英語を即座に翻訳する機械をウチも買いたい」という問い合わせがNHKに殺到したから、始めは声だけだった西山さんが(機械じゃない証拠に)画面に登場するようになったそうです。
当時はアポロ11号のコンピューター性能も(最先端のはずですが)ファミコン以下だったそうで、送られてくる音声も何秒かタイムラグがあって、雑音もひどいものでした。通訳もご苦労が多かったことと思います。

アームストロング氏は現在76歳だから、西山千さんよりずいぶん(20近く)若かったのですね。1930年生まれで偉業を成し遂げたのは1969年、当時39歳という計算になります。
ベトナム戦争時には海軍の戦闘パイロットを務めた経歴もあリ、その後大学に戻って航空工学を研究。NASAの宇宙飛行士に選ばれてからジェミニ、アポロ両計画に参加していたそうです。昨年だったか回想録の出版があったんじゃないかと思います。
引退後は故郷のオハイオ州で農業を営んでいるそうで、人前に出るのは稀らしいです。今回は7月10日にイスラエルのハイファの宇宙技術博物館を訪れ、子どもたちに、
「月に生命は存在しなかった。空き缶かなにかみつからないかと期待していたが何もなかった」
と話したそうです。さすがにアメリカ人、さりげないユーモアがありますね。
月旅行の価値について「人類はいつまでも地球にしがみついているわけではない。宇宙に広がることを期待している」、
「再び月に行く機会があったら行きたいか」との質問には「もちろん」。
記者(AP通信)と話すのは拒んでイスラエルを去ったそうですが、そこの子どもたちは、自分たちがどんな贅沢な時間を持ったかピンとこないでしょうねえ。

ところで歴史的な「月への第一歩」をアームストロング氏(船長)に譲ったオルドリン飛行士(月着陸船のパイロット)は、二番手になったことで敗北感にさいなまされ、帰還後、鬱になったということです。
月着陸船の構造上からも、その順番は仕方のないことだったようですが、オルドリン飛行士はよほど功名心の強い人なのでしょうか。
2002年に、「月着陸は捏造だ」と主張する映画監督バート・シブレルに、ホテルで待ち伏せされ壁に押し付けられて、詐欺師呼ばわりされました。このとき72歳ですが、華麗なパンチを一発お見舞いしたそう(シブレル事件)で、やはり宇宙飛行士に選ばれるような人は強靭な肉体と精神の持ち主のようです。
それにしても、「月着陸はでっちあげだ」という異端説(?)は今も根強くあるようですね。実際に月面を歩いた生き証人が二人も健在なのに、ずいぶん失礼なことを言うものだと思います。
当時テレビに釘付けになった者としては、捏造のわけがないと笑って言いたいところですが、もう「生まれる前の話」である世代が大半なのでしょうか。ネット世界では情報操作もしやすい印象を受けますが、世のいい子は変な扇動に乗らないで冷静に歴史を見てほしいと思います。

ところで、月面に21時間半滞在した後二人は、レーダー反射板(今現在も使用中だそうです)やアメリカの国旗など記念品をいくつか残してきました。その中に当時のニクソン大統領のサイン入り銘板もあり、こんな文句が刻まれているそうです。
Here Men From Planet Earth
First Set Foot Upon the Moon
July 1969 A.D.
We Came in Peace For All Mankind.
地球から来た人間、ここに月面初の足跡を記す
西暦1969年7月
全ての人類を代表し、平和のうちに来たれり

全ての人類を代表したと言っても、実はそんなことがあったとは知らない人々が当時にもいたのは確かだと思います。
1980年代にモロッコで行なわれた調査では、多くの人々が月着陸のことを「聞いたことがない」と答えたそうです。
余談ながらそれを聞いて思い出すのは…。私たちが北京に住んでいたころに「ソ連崩壊」という大ニュースがありました。でも当時私が購読していた新聞・北京晩報では、国際欄もありましたが、全く無視されていたのです。ほかの(国内の)メディアも似たようなものだったらしく、声をかけた中国人は(インテリもいたと思いますが)誰も知りませんでした。
情報がほしくて、日系のホテルまで足を伸ばして日本の新聞や雑誌を読み漁ったものです。
今はネットもあるし、こんな情報の封じ込めは出来ないと思います。似たようなことをやってる国はほかにもありそうですけどね。
posted by dashi at 23:32| Comment(0) | TrackBack(1) | 興味津々

2007年07月22日

「悲しい」子

公務員として定年まで福祉畑で働いていた人と、ちょっと話す機会がありました。
その方(女性)が、「悲しいものを見ちゃったのよ」と話してくれたのは、こんな情景です。
ガイドヘルパーさんと思われる女性に付き添われて商店街を歩いていた、見たところ自閉症の小学6年生ぐらいの男の子。
いいお天気の暑い日中で、日差しは厳しかったそうです。その男の子は点々と続く木陰に入るたびに、ごろりと地面に寝ころがってしまう。
人通りもあるところだから、ヘルパーさんはあわてて腕を引っ張って立たせる。その子は次の木陰に駆け込むとまた寝ころがる…。
ごろんとやりたい子ども、立たせようと焦るヘルパーさん。見ようによっては笑える光景だけど、当人たちにとっては泣きたくなるような深刻な事態かもしれません。

「ねっころがると涼しいんでしょうね。でもほかの通行人の邪魔だし、立たせないわけにはいかないわよね」
自閉症の子は(みんなじゃないですが)汗腺の発達が人より遅れているため体温調節が上手くできず、部屋の隅っこで寝ころがって涼んだりするのだそうです。気温の低い場所をよく知っているとか。
ウチの息子も汗をかいて体温を下げるところができなかったので、夏にはよく板間で寝そべっていました。
背中にびっしょりと汗をかくようになったのは、小学部も後半じゃなかったかと思います。やっと汗をかけるようになったんだ、と嬉しく思ったものでした。
暑くなくても寝ころがるのは、結局、その皮膚感覚が心地いいのでしょうね。気持ちが落ち着くのだと思います。

もちろんこの人は、自閉症のそういう特性はよくご存知です。だから切ない二人の姿に「悲しく」なったわけですね。
たぶんその子は木陰がぬかるんでいても汚れていても、おかまいなしに寝ころがるのだと思います。
「それは困りますね、服だって汚れますしね」
「もっと小さな子ならいいかもしれないけど。本人も辛いでしょうね」
ウチの息子もところかまわずごろんと寝ころがるのは、幼児期によくありました。3歳から4歳にかけて北京に暮らしたころは、北京の街中でごろんとやりそうになる度にあわてて引っ張りあげたものでした。
北京はほとんど雨の降らない乾いた気候のところで、ほこりっぽく、道行く人はよく「かっ、ぺっ」と痰を吐いていて、信じられないくらい汚かったのです。(昔の話です。今はきれいになったと思います)

帰国して地下鉄に乗ったら、いったいどこへ行くのかと不安でたまらなかった(と思われる)息子が、通路の真ん中で大の字に寝そべりました。(さいわい電車はがらがらで、歩いている人はいませんでした。)
電車の床はきれいに磨かれていて、ゴミひとつ落ちていない。もちろん痰の乾いたのもこびりついていない光り輝く清潔な床に、涙がこぼれそうなくらい感動しました。
気が狂ったように息子を引っ張りあげなくても、気分が悪くなるような汚さとは無縁。とは言えほっとくわけにはいかないので、穏やかに声をかけて落ち着いて立たせ、背中をはたいてから座席にかけさせました。
「そんなとこに寝ちゃダメ! 汚い!」と金切り声で腕を引っ張られるのと比べたら、息子にとってもどんなによかったかと思います。
この環境で子育てが出来る、と深く安堵したものでした。

「それにしても、そんなにしつこく寝ころがるのは、よほど暑かったんじゃないでしょうか。体温が下がるように、水を飲ませたらよかったかもしれないですね」
と私が言うとうなずいて、「ヘルパーさんがそういうことをわかっているのかどうか」と首をかしげていました。
その子が汗をかけない子だったら、体温があがって涼みたかったのかもしれないと思います。それでも道端でごろんと寝ころがるのは、やめてほしいですよね。
大きくなってからは指導(矯正)も難しいから、「小さいときの教育って大事ですね〜」と話したことでした。
自閉症でも自分で説明できる子ならいいですが、会話が出来ない子ならあわてて制止する前に周囲が、「なぜそういう行動をとるか」、ちょっと考えてあげてほしいですね。全く脈絡のない突飛な、理解しがたい行動ももちろん多いのですが、うまく解決することもたまにはあるので。
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2007年07月21日

ジョハリの窓

ノートの走り書きに「ジョハリの窓」とありました。メモしたことは覚えていますが、どんな内容だったのかはきれいさっぱり忘れていたので、検索してみました。面白いと思うので参考までにご紹介します。

「ジョハリの窓」とは
「自分をどのように公開し、隠蔽するか、対人関係における気づきのグラフモデル」
のことで、ジョハリ (Johari) は提案した2人(心理学者ジョセフ・ルフト Joseph Luftとハリー・インガム Harry Ingham)の名前を組み合わせたものということです。
1955年夏に提唱されたそうですから、新しい概念というわけではないですね。私は知らなかった(忘れていた)ですが、コミュニケーション心理学や健康心理学(そんな分野もあるんですね…)ではよく話題になるものだそうです。
人間の対人の心理を、開放の窓(公開された自己)・盲点の窓(自分では気がついていないが他人からは見られている自己)・未知の窓・秘密の窓に4分割したものです。

ウィキペディアに図解してありました。あまりあけっぴろげではない人は中心点がぐっと左上にあり、秘密のない人は左下のほうにずれるという感じでしょうか。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/7/79/Johari_window.png

まだ駆け引きも出来ない幼児は開放の窓(open self)が大部分を占め、隠れた能力に自分でも気づいていない人は未知の窓(unknown self)が大きいということでしょうか。
顔に大きな絆創膏を貼って目を惹きながら「たいしたことじゃない」と言い捨てたり、つまんない発言で吊るし上げを食らう政治家は、盲点の窓(blind self)が大きいのかもしれません。自覚していない(たぶん)、傲慢な気持ちがあるからこその発言でしょうしね。

北海道・苫小牧で、猫を首吊りにしたり、犬や鳩に虐待して殺傷する事件が多発しているそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070720-00000001-mai-soci
神戸の事件の記憶がある私としては、「早く捕まえないと、そのうち人間がやられるぞ」と思って気分が悪くなりますね。
神戸のときのようにまだ若い、子どもの犯罪のような気もしますが、犯人はいったいどんな心理からこんなむごたらしいゲームに走るんでしょうね? 
アイツならやりかねない、と思われるような表立った倒錯傾向のある人ならまだしも、「えっ、あの優しそうな人が!」と驚かれるような人物だったとしたら、秘密の窓(hidden self)がぐんと広いということになりそうです。
4つの窓がバランスよく配置されてプライバシーも侵されずに平和な暮らしが出来るとすれば、陰惨な犯罪も減りそうなものですが、さてどうでしょうか。
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2007年07月20日

総持寺散歩

一足早く夏休みに突入している息子と、きょうは鶴見の総持寺へ行ってきました。
午後から雨という予報だったので早めに、晴れていたから帽子をかぶって出かけました。
途中の駅で降りたがらなかったので、また川崎大師まで行って風鈴市を見るのもいいかなと思っていました。
息子に運動と気晴らしをさせるのが目的だから、気持ちよく行けるところならどこでもいいわけです。近い方が交通費は安くなりますが、少しは私も楽しめる方がありがたい。
風鈴市に行ったとしても、風鈴は一個2000円ぐらいという話でちょっと贅沢、まあどうせ横目で見ながら息子を追っかけるだけだろうな…と考えながら、ダメモトで途中の鶴見で「降りよう」と声をかけたら、意外にもすんなりついて来てくれました。

総持寺は駅から近くて便利なところにあります。
曹洞宗なので禅宗ということだと思いますが、修行僧もさほどストイックな感じでなく(参道を洗い流して掃除していましたが、消防ポンプの水を頭からかけてふざけたりしていました)庶民に広く親しまれているような印象を受けます。
総本山でずいぶん大きなお寺ですが、HPも堅苦しさはないですね。
http://www.sojiji.jp/index-2.html
もともとは能登半島に縁起があって、横浜鶴見に本山を移転したようです。全国から参拝客が訪れるようで、ウチの娘がまだ小さいころ、神戸から来た大姑が参拝したいと言うので案内したこともありました。
関西に住んでいる私の姉宅の近くにも総持寺がありますが、そこもけっこう大きなお寺です。

初詣にも来たおなじみの場所だから、息子はリラックスした様子で歩き回っています。何度か来たことがある場所で、人気(ひとけ)があまりなくて自然の豊かな、息子にとっては理想的なところだったかもしれません。
お賽銭を入れて手を合わせ、意味もわからないまま「よろしくお願いします」と早口で言っていました。
木陰が心地よく感じるくらいいいお天気だったのは幸いでした。大きな木が多いからか、あまり蒸し暑さは感じず気持ちのいいお散歩になりました。

せっかくここまで来たからと、境内にある「石原裕次郎の墓」へ足を伸ばしてみました。
私はファンではないけれど、おとといが20回目の命日だったそうで、大勢の関係者やファンがお参りしている様子がテレビで紹介されていたのを思い出しました。
お墓はずっと昔に偶然見かけたきりで場所もよくわかりませんでしたが、途中の分れ道に小さく「祐ちゃんの墓」と矢印が書かれた道しるべが二箇所あったので無事たどり着きました。
近くまで行くと、色とりどりのあふれんばかりのお花で、すぐわかりました。珍しい美しい花も多く、記念に写メールを撮ってブログにアップしようと思いましたが、情けないことに新しい携帯の操作がわかりません。
ちょうどそばに来て手を合わせているおじさんがいたので、携帯の扱いがわからないか聞いてみましたが、残念ながらさっぱり…ということでした。
裕次郎ファンかと思ったら、その人は近所の人で、散歩によく来るんだということでした。ここの墓地は静かで散歩にはいいかもしれません。

そこを離れて歩き出したら、途中、草ぼうぼうのお墓が二つ並んでいるところがありました。
何とか家の墓、と刻まれた立派な墓石のある区画です。子孫が絶えてしまったのでしょうか、墓石が草(茅やぺんぺん草など)に埋もれてしまいそうになっていました。
契約して草むしりや清掃をしてもらっているところもあるようですから、それをしてくれる縁者もないお墓なのかなと少し気の毒になりました。
ちょっぴりでいいから裕ちゃんのお墓の花を分けてあげたかったです。
もっとも、私はお墓に魂があるとは思わない(私の墓の前で泣かないで、という歌に共感します)し、それで故人が悲しむわけではないと思いますが、花ならぬ草ぼうぼうではさすがに侘しすぎますね。
田舎のお墓の草むしりをしてくれている姉にお礼を言わなくちゃ、と思ったことでした。
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2007年07月19日

北京の蝶

新潟の地震で、国内の自動車生産がストップという事態になったそうです。
柏崎にあるリケンという工場は一部の部品のほぼ100%のシェアを占めているとか。精密な部品なので設備や技術が専門化していて、おいそれと代替工場で作るというわけにはいかないようですね。
全国の自動車会社から派遣された650人が復旧の応援をしている様子がテレビのニュースで流れていました。
自動車の部品は1万個もあるそうですが、自動車によってサイズも違い、また経費節減のため在庫を減らして、必要なだけ生産するというやり方(カンバン方式。使用した部品の補充を知らせる「帳票」をカンバンということから)。
けっこう危ないことやってますね。震度6強という想定外の事態にはひとたまりもなかったようです。
被災地のあたりにはほかにも精密産業などの工場がたくさんあるようです。
http://www.asahi.com/business/update/0718/TKY200707170676.html

遠い新潟の地震で、九州など遠方にある工場の自動車生産がストップするというのを聞いて、ニュアンスは違いますが、私は「北京の蝶」という言葉を連想しました。
「北京の蝶」は、北京で一羽の北京の蝶が羽ばたくと、次々と仲間の蝶が共鳴して大きな風を起こし、ロサンゼルスにハリケーンを起こす(ニューヨークに嵐、という説も)という、気象学者のローレンツが1963年に発表した考え方です。もともとは気象の説明に使われ、カオス理論に結びついて広く用いられるようになったようですね。
バタフライ効果とも呼ばれ、ちょっとした異変が大きな相乗効果を生む。初期のわずかな差が大きな違いを生み、予測が困難になるということだそう。株の世界ではよく起こりそうですね。
まさか蝶の羽ばたきが太平洋を越えるとは思えませんが、イメージ的にも美しく印象に残る表現だと思います。
(私は「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」という安西冬衛の詩を思い出します)
赤城大臣の顔の絆創膏が、さまざまな憶測を呼んで、浮動票の行方に影響するようなことにも言えるでしょうか。

予期しない影響が出る、という意味でおなじみなのは、「風が吹けば桶屋が儲かる」でしょうか。
風が吹けばなぜ桶屋が儲かるのか、いまの子たちには理解できないかもしれませんね。
おさらいに書いてみると、
風が吹く→ほこりが巻き上がって目に入る→視覚障害者が増える(ここがもう時代遅れ?)→視覚障害者のなりわいは三味線弾きが多い(ここも…)→三味線には猫の皮を使うから、野良猫が捕獲されて激減する→天敵の猫がいなくなって、ネズミが増える→ネズミが増えると桶(のたが)をかじる→桶屋が儲かる。
現代っ子なら「桶ってなに?」と聞くかもですね。
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2007年07月18日

同じ話

きのう、そばを通りかかった娘に、エクセルの試験のことを「何点で合格だったっけ?」と聞きました。
すると娘は目を丸くしてしげしげと私の顔を見ながら、「この前、全く同じことを聞いたよね」と心外そうに言います。
えっ、そうだっけ? とちょっとうろたえた私でした。…でも同じことを聞いちゃいけないわけ? 
「決まってないんだって。毎回変わるんだってさ」と言われて、ああそうだったねと思い出しました。
若いときには、全くないとは言わないけど、こういうことは少ないと思います。加齢による脳の老化なのでしょう。

娘たちに話をしようとすると、「その話はもう何回目」と冷たくあしらわれることがあります。
前にも話したけどまあいいか、と思いながら口にすることもあれば、話の流れで何気なく口にすることもあるし、初めてのつもりで張り切って(?)話していることもあります。話した記憶が全くないときは、ボケの始まりじゃないかとちょっと不安。
年老いた親や祖父母が、同じ話を何度もするのに辟易した経験がある人は多いと思います。
「また始まった」と苦笑しながらもつきあってくれればいいけれど、「その話ならもういいよ」と、うんざりしてさえぎる人もいますよね。
何度も何度も同じ話をするのは、話したことを覚えていないか、承知の上でそれでも話したいかの、どちらかだと思います。
話す人にとって、その話は人生における印象深い一大事だったのかもしれません。冷たく拒絶して口を封じるのは、とても残酷な仕打ちに思えます。

私の学生時代、アルバイト先の牛丼屋で一緒に働いていたオバサンが、私のアパートで隣の部屋に住んでいました(アパートと言っても一人暮らし用1Kの狭いところです)。偶然とは思えないので、アルバイト先の紹介でそこに住んだのだったかもしれませんが、古いことでよく覚えていません。
そのオバサンは私の親よりちょっと若いぐらいの世代で、夫に先立たれて一人息子とは離れて暮らしていました(私が卒業するころ息子のところに引っ越しました)。
どういう流れだったか、同じ職場のアルバイト青年とそのオバサンと私の3人で、私の部屋でお茶を飲んだことがありました。
仕事帰りだったので普通なら酒になるところでしょうが、私は一滴も飲めないからビールのひとつも置いてませんでした。お茶うけに何かつまみながら、のんびりおしゃべりしていたのだと思います。

雑談しているうち、そのオバサンは急に東京大空襲の話を始めました。
同席した青年も私も戦後の生まれですから、空襲はもちろん経験していません。話を聞いても正直なところぴんと来ないのですが、オバサンにとっては生々しい記憶の残る辛い体験だったようです。
もしかしたら、そのころになって初めて口に出来るようになったのかもしれず、仕事の合間などによく断片的な話は聞いていました。家族や近所の人がかなり犠牲になったようで、話し出すと熱を帯び、憑かれたように話すのが常でした。
聞いていて楽しい話ではありませんが臨場感に富んだ生きた歴史です。私は嫌いではなく、同じ話でも気にならずに耳を傾けるのが常でした。
ところが、オバサンが話し始めるやいなや、同席した青年はぴしゃりと「その話ならもう聞いたよ」と不快感をあらわにして吐き捨てたのです。不機嫌にしかめっ面までするその青年を、私は信じられない思いで見やったものでした。
オバサンは言葉を呑み込んで暗く黙り込み、そのあとすぐ解散になりました。

まだ老人という年齢ではなかったオバサンのことですから、話したことを忘れてまた口にするのではなくて、何度でも話して自分の体験を人に聞いてもらい、わずかでも背中の荷物を軽くしたかったのだと思います。話して他人と記憶を共有することで、辛かった思い出が少しは希釈されて落ち着くということはあるんじゃないでしょうか。
聞いたことのある話だって、いいじゃないか黙って聞いてやればと私は思います。あまりにうんざりして聞くのが苦痛なら、別の話題に持っていくとか口実つけて中座するとか、ぴしゃりとさえぎる以外にやりようはあるはずです。
毎日顔を突き合わせている家族なら、いいかげんやめてほしいと悲鳴になるかもしれないですけどね。

他人には寛容な私も、その昔、父が戦争の話をよくするのに「そんな話はもう聞きたくない」とさえぎったことがあります。
多感な頃だったから、同じ話に飽き飽きしていたことに加え、自分の親が従軍して、もしかしたら人を殺したかもしれないということを、考えたくなかったのは事実でした。
父は器用な人だったからか、射撃はうまかったようです。野生のキジの首を撃って仕留めたことを感慨深げに語ったときには、その銃で人も撃ったのかと聞きました。父は一瞬間を置いてから「人は撃っとらん」と力なくつぶやいたものです。
……父に対してはひどいことをしたと後悔が残っています。後年体験談を聞こうとしたら、もう記憶もおぼろになっていました。

何度も同じ話をする人が、衝撃的な体験をした人や老人ばかりとは限りません。
私が大学に入ったばかりのころ、ある老教授のことを「同じ話ばっかりするから学生に嫌われてるみたい」と話していたら、そばで聞いていた友人(男)が思い詰めたような顔で「Tもそうなんだよ! 困ってるんだ」とため息をつきました。
その友人とTくんとは入学以来常に行動をともにしている(たまたまその時はいなかった)仲良しのようでしたが、そんな苦労があるのかとみんなで笑ったことでした。
同級生だから当時はTくんも18歳だったと思います。今はトシのせいもあって「同じ話」に拍車がかかっているかもしれませんね。
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2007年07月17日

ライントランゼクト法

きょう出先の大きなスーパーに行ったら、二階分ある駐車場が満車という混みようでした。雨の日は濡れないで買い物できる屋内駐車場つきのところが、やっぱり人気ですよね。
売り場ももちろん混んでいて息子を見失いそう。いったいどれくらいの客が来ているんだろうと思いました。
客がすべて車で来ているなら、車の台数(収容台数)に1.1か1.2をかけるぐらいの数でしょうか。徒歩や二輪車の人もいるから、駐車台数の2倍ぐらいかなと考えたりしました。
客はレジを通るから記録は残るわけで、「2時から3時までに買い物した客の数」など、調べようと思えば簡単にできると思います。コンピューター制御になっていればグラフもすぐ作れる。

やって来た客はベビーカーを押してたり家族総出だったりするから、レジを通った客と来店した客の数はイコールではないですよね。
防犯カメラの画面に映ったような感じに人をぱっと見て数えた数と、レジで支払いをする人数には開きがあると思います。
ぱっと見て数えるというと、私が連想するのは「紅白歌合戦」投票での「日本野鳥の会」のみなさんです。赤白のカードの数を即座に数える姿に、いつもすごい特技だなあ、何かコツがあるのだろうと思っていました。
ちゃんとした統計をとるために、売り場をぱっと見て今そこに何人ぐらいの人がいるか、カードが何枚か数えるのには、ライントランゼクト法というのを使うのではないかと思います。
たとえば1メートル四方の枠の中に何人いるかぱっと数えて、それを面積比で積算する数え方です。

先月、開通を控えた関西空港の新しい滑走路で、数百匹から千匹のバッタが異常発生して、捕獲作業が行われたというニュースがありました。このバッタを数えるのにライントランゼクト法が使われたそうです。
この耳慣れない方法、「バッタの数 ライントランゼクト」と走り書きしたメモ(ワイドショーで解説していました)が出てきたので思い出して、検索してみました。
もともとは海の中で、魚の数や海草の数を調査して、藻場(魚の住処)の働きを守るためのもののようです。検索では海洋関係がいろいろでてきました。実際にロープを張って(ラインを作って)魚や藻の数を記録するようですね。
なお、干潟や湿地など水が濁って調べにくいところでは一定の広さを囲い込むドロップネット式というのも使われているそうです。
こちらに詳しい解説があります。http://www.ies.or.jp/japanese/mini/mini_hyakka/57/mini57.html

ライントランゼクトは、海水浴場や、花火大会の人出などを調べるのにも用いられているそうです。交通規制など警備の資料にされるのでしょうか。
以前明石の歩道橋で、花火大会帰りの混雑で命を落とした人もいました。警備する側の呆れるような見通しの甘さが批判されましたね。
コンサート会場で将棋倒しになって亡くなった人は昔もいました。多すぎる人が集まると(おとなしい人ばかりでも)それだけで危険なことも起こりますね。
人が集まるイベントには、どこにどれくらいの群集が押し寄せるか前もって研究し、それなりの警備体制が必要とされると思います。前の年のビデオでもあれば参考になるんじゃないでしょうか。
花火大会はこれからがピークでしょうから、是非ライントランゼクト法を活用してほしいですね。
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2007年07月16日

地震お見舞い

台風が過ぎ去ってやれやれと思ったところのこの地震、被災地の方は本当にお気の毒です。
非力な私にはなんにも出来ませんが、お見舞い申し上げます。
豪雪地帯だから柱が太いとか、頑丈な作りなのでしょう、つぶれた家屋も瓦の重みによるものという印象ですね。地震の規模にしてはまだしも被害が少ないように思います。
これが人口密度の高い都市部だったり、平日で学校や役所に人が集まっているときだったら、被害者も増えていたでしょうね。台風のために旅行を取りやめて難を逃れた人もいたかもしれません。

きょうは息子を散歩に連れ出して、野毛山動物園に行くつもりが、息子が電車を降りたがらなかったので、終点の川崎まで乗って川崎大師へ足を伸ばしました。
何度か歩いている道なので息子も嬉しそうにどんどん歩いて行き、私も見失わないようによそ見をせず急ぎ足で進みました。
お賽銭を投げて、せめてものことに余震の早期終焉をお祈りしてきました。地震国での原発も早くやめてほしいです。
川崎大師ではあさってから風鈴市が開かれるそうで、テントなどの設営が始まっていました。全国から特産の風鈴が集まるとか、その音色を堪能したいものですが、息子は嫌がって走りぬけることでしょう。
参拝のあとは裏に抜けて、鈴木町まで歩いて駅そばのイトーヨーカドーに寄り道します。
息子は往復とも普通電車の最前列に座れて、たっぷり線路の先を眺めることが出来て満足そうでした。
帰りは雨になってしまい、電車の視界がぼやけたのは残念でした。

新潟も明日は雨になるそうです。皆様どうぞお大事に。
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2007年07月15日

メモから(英語)

ほほー、これは面白い。ブログのネタにしよう! と思ってメモを取りながらも塩漬けになったものがいくつかあります。
難しすぎてギブアップしたもの(経済関係や理科系のものなど)のほか、あとで調べようと思って忘れたり、うまく調べられなかったりしたものです。
机周りを片付けているとメモした紙切れが出てくることがありますが、時間がたっているのでキーワードだけでは意味不明だったり、走り書きの自分の字が読めなかったりもします。
ネットで見つけたものはコピーペーストして保存してありますが、うっかりURLを書くのを忘れるとどこにあった記事かわからなくなります。
きょうはそんな、元ネタが不明のメモからご紹介。

アメリカ人(英語圏ならどこでもいいでしょう)に日本語の数字を教えるとき。
1:itch(痒い)
2:knee(ひざ)
3:sun(太陽)
4:she(彼女は)
5:go(行く)
6:rock(岩)
7:hitch(引っ掛ける、ヒッチハイク)
8:hatch(出入り口、ハッチ。孵化とか悪事をたくらむという意味も)
9:cue(合図、きっかけ)
10:Jew(ユダヤ人)
という単語を使うとうまくいくそうです。日本語を習っている人に教えてあげると喜ばれそうですね。

「掘った芋いじるな」と言うと(本格的な発音に近い?)通じやすいそうですが、どんな英語かおわかりでしょうか。What time is it now? だそうですよ。時間を聞くのに「掘った芋いじるな」で通じるなら、覚えておくと便利ですね!
「ウィスコンシン(州)」は「上杉謙信」と言うと英語っぽい発音になるそうです。
(「風林火山」の上杉謙信がガクトとやらであきれてましたが、そこそこやってるらしいですね。私の記憶の中の上杉謙信は、石坂浩二です…。)
またアメリカ人には「いただきます」が「It's a dirty mouse.(それは汚いネズミです)」、「どういたしまして」はDon't touch my mustache.(ボクの口ひげに触るな)と聞こえるらしいです。

中国語でもこういうのはあって、北京のタクシーで行き先を言うのに「5時45分」と言えば通じる、なんて話をしていました。5時はたぶん「国際guoji」のことですが、残念ながらもう忘れてしまいました。
また思い出したらお話しします。
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2007年07月14日

お助けグッズ

今朝、尾篭な話で恐縮ですが、トイレの水があふれるという事件(!)がありました。
私があふれさせたんじゃないけど、男手がないのでこういうの(パイプの詰まり)はすべて私の仕事です。とりあえず捨ててもいいボロキレで拭き取っているうちに、わずかに水は引きました。
台所や洗面所用にはもう20年以上使っているパイプ掃除専用のワイヤー(年に一度も使いませんが重宝しています。全く同じものではありませんが、こんな感じ。http://www.luck-at.com/catalogue/etc/paipu/paipu.html)がありますが、これをトイレで使うともうほかでは使えなくなるので惜しい。
不用品のルーター用のコード(少し頑丈)を引っ張り出して来て、あとは捨てるつもりで突っ込んでみました。ほんの少しは改善されましたが、ザーッと流すのはとても無理。

ホームセンターが開く時間まで待って、なんとかしようと考えていたら…。
息子が「トイレに行ってきます!」と言いながらやって来ました。さっき用を足したばかりだからしばらくはもつと思ったのに!
こりゃ大変。させるわけにはいかない、終わったらザーとやってまたあふれさせるのはわかりきっています。
ご近所のトイレを借りることも考えましたが、自閉症の息子は、初めての家には入らないかもしれない。ぐずぐずしておもらしされても困る。
車を出して、近くの24時間営業のスーパーに急ぎました。靴下をはく時間も惜しんで大慌てで。
「まだやっちゃだめだよ、ちょっと待ってね」と声をかけながら。
あとから思うと漫画みたいで笑えますが、間に合うだろうかとひやひやしました。車の中でもらされたらどうしよう…とか頭をよぎりました。

大急ぎでトイレに向かい、なんとか間に合ってやれやれと男子トイレの前で息子を待っているうち、すぐそばの棚にトイレ用品が陳列してあるのが目に入りました。なんと、「つまりとり用・ラバーカップ」があるじゃありませんか! 
これでいけるかも! 天の助けと手に取りました。「守護霊」のお助けかしら。
この店、以前は食料品がほとんどでこんなものは売ってなかったと思います。24時間営業に切り替えたとき模様替えして、生活雑貨にも力を入れるようになったのかもしれません。

今までにウォッシュレットの修理や交換はしましたが、便器自体に問題はありませんでした。
でも、トイレを詰まらせたことは実は初めてではありません。
息子がまだ幼児のころ、ミニカーを流して詰まらせてしまいました。ミニカーが原因と知らない私が、それを結果的に奥に押し込んでしまい、どうにもならなくなって業者のお世話になりました。
電話帳で探して、近かったのですぐ来てくれて助かりましたが、当時のお金で1万円ばかりかかり、出てきたミニカーを前に脱力したものでした。業者の方も笑っていましたが、3つばかり入っていたように記憶しています。
息子も一人でトイレが使えるようになって嬉しかった時期だと思いますが、私はもう散財は出来ないと、トイレに行こうとする息子の「持ち物チェック」をせざるを得ませんでした。幸い二度目はなかったです。

ところでこの「ラバーカップ」、北京に住んでいたときには必需品で、トイレになぜか複数本置いてありました。厚くて固くて単純な形をしていて、使い勝手はあまりよくなかったですね。
今日買った日本製のものはゴムの弾力が強く形も工夫されていて、実に強力で素晴らしい威力でした。こんなに簡単でいいのかしら…とびっくり。値段も1000円以下、安上がりで助かりました。
もう使うときはない方が嬉しいけど、詰まっても慌てないですむのはありがたいです。
このお助けグッズを作ったのは山崎産業という会社。ポリバケツなども作っているところですね。

お助けグッズと言えば、最近もうひとつ「おおっ、これはすごい!」と感動したのがKUREのCRC、5-56という製品です。
詳細はこちらで。http://www.kure.com/556/index.html
少し前から、玄関の鍵が上手く閉まらずに困っていました。雨が続いてじめじめしたような日には特に、キーの回転が悪い。なかなか回らず、施錠するのに何分もかかったりしていました。
鍵を交換しないといけないかな、と考えながらホームセンターに行き、鍵穴のすべりをよくするものがないか訊ねてみました。そういうものがあるような話を以前聞いたこともあったのです。
渡されたのは小さなスプレー、値段も300円台だったと思います。キャップに張り付けられた細いストローをスプレーの噴出口に差し込んで、鍵穴に吹き付けてみて、と説明されました。

ほんのちょっとでいいですよ、と言われたので、帰って鍵穴に軽くひと吹き。
びっくりしました、信じられない…。あんなに手こずっていた施錠が軽い音とともにすべるように出来ます。イライラは霧散霧消、たった一秒足らずで解決したのでした。
樹脂のうすーい膜(1.8〜1.9ミクロン)を張る原理だそうで、かなりいろんなものに使えるようです。固いソケットにもひと吹きすれば、コンセントが抜けなくてイライラすることもなくなりそうです。アルミサッシや門扉のきしみ解消にも。
昔はミシン油を差していたようなところに使うといいですね。害はなく、皮膚についてもかぶれる心配はないようです。

いろんなお助けグッズを上手に使って、ストレスのない快適な暮らしをゲットしよう〜。
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2007年07月13日

ミカンの薄皮

石川県加賀市の市立中学校で、理科の実験に使ったミカンを食べた生徒が、のどの痛みや腹痛を訴えて検査入院したそうです。いずれも軽症で同日退院したとのこと。
http://www.asahi.com/national/update/0712/OSK200707120144.html?ref=goo
ミカンを食べたのが27人いて、そのうちの13人だけが不調を訴えたそうです。指導が行き届かなかった点は講師の責任とは言え、よく洗い流さなかった生徒自身にも落ち度はありそうですね、幼児でもない中学生なんですから。
希塩酸と水酸化ナトリウムを使ってミカンの薄皮をむく実験をした、という記事に、
「面白いことをするんだなあ。そんな授業を受けていれば私も理科が好きになっていたかも」
と、ちょっぴり羨ましくなりました。

缶詰のミカンの皮(薄皮)はどうやってむくんだろう、と疑問に思った人は多いんじゃないでしょうか。
まさか一つ一つ指でむくわけじゃないですよね。あんなにきれいにむくのは難しいと思います。
私が子どものころ家でそんな話をしていたら、たまたま遊びに来ていたいとこが、昔ミカン工場でアルバイトをしていたとかで、
「あれは薬につけてむくんだよ。むくと言うより溶かすの」
と教えてくれたことがありました。
なるほどね、ふーんと納得して、巨大な水槽に沈められたミカンの薄皮がだんだん溶けてはがれていく様子をイメージしたものでした。皮がはがれたミカンはまた別の水槽でオーバーフローで薬品を洗い流されるのだろう、皮を溶かす薬は人体には害があるだろうからよく洗うんだろうな、と思っていましたが、だいたい当たっているようです。

ウチの息子は生協に買い物に行くと、ミカンの缶詰とゼリーの素をかごに入れてきます。そして小鉢にミカン入りのゼリー液を注ぎ分けて、みかんゼリーを作ってくれます。
最初の頃はミカンを均等に入れるということがわからず、ぎっしり入ったのと一個もないのと出来ていました。回数を重ねるうちにだんだん上達して、今は全部に入っているようです。(スモールステップながら息子の成長が具体的に見られて嬉しく思っています)
お湯を沸かすのと、最初に缶きり(回転式で、切り口が危なくない)の刃を入れるのだけは私がやりますが、あとは一人で嬉々としてやっています。まだ熱いゼリー液を冷蔵庫に入れるのには迷惑してますが、一人で(通して)やれることがあるのはとても満足感を味わえるようですね。
教えたわけでもないのに、笛吹きケトルのふたをフォークを使って器用に開けていて(熱い思いをしたことがあったのでしょう)、「道具を使うことを覚えた」人類の歴史を思ってニヤニヤしています。

このミカンの缶詰に、ごくたまにですが取れきっていない皮が残っていることがあります。二房くっついた内側にあったりしますね。半透明になって白い斑点があることが多いようです。
この皮を見ると思い出すことがあります。
北京に住んでいたとき、出かけた先の外国人用ではない店でミカンの缶詰を買いました(とても安かった)。そして家に帰って開けたら、なんと薄皮がついたままだったのです!
とても驚きました。そして、コックさんに見せたら、それが何か? というように変な顔で見返されました。珍しいものではなかったようです。(今はもう売ってないと思いますが…)
薬品処理がいいかげんで皮が溶けなかったのか(不良品?)、始めから溶かすつもりのない(薬品処理の設備のない工場で作っている)製品なのか、どちらなのかは永遠の謎です。

ミカンは皮の方が栄養があるとも聞きますね、むいて食べる必要はないのかもしれません。
でもきれいに皮がむけた大ぶりの缶詰ミカンは、見た目も可愛く美しい、美味しい食べ物だと思います。
理科の実験で、薬品をよく洗い流して美味しく食べられたなら、面白い思い出として残ることでしょう。こんな楽しそうな実験が、この事件で、以後封印されないことを願っています。
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2007年07月12日

エクセル不満足

女性のためのパソコン講座・エクセル中級資格コースというのを受けてきました。
前回と同じ教室で、午前中3時間、5日間のコース。息子の夏休み前に終わるワと喜んで申し込み、「資格コース」の意味をよく考えないで受けたので、予習もしない初日はあまりのレベルの高さに度肝を抜かれました。
前回習った分はざっと復習してわかっているつもりでしたが、周りは「完璧に使いこなせ、受験に臨む」人ばかりらしい。講師の口をついて出る用語の意味を「ええと」と思い出しているようではキツイ5日間でした。

前回は中高年のためのパソコン講座でしたが、今回は若い人も混じっていて、私の隣はウチの娘ぐらいの若い女性でした。
エクセルの操作には慣れている様子で、キーボードを打つのも速い。余裕を漂わせています。
私が困っていると心配そうに視線を投げ、聞くと懇切丁寧に教えてくれます。とても優しくて可愛く、「息子(健常なのがいたら…)の嫁に」と言いたくなる娘さんでした。
終わったあとちょっと立ち話したら、彼女は働いていたときエクセルを使っていたということでした。
何がなんだかわからないままに、言われたとおり操作して仕事をしていたそうです。今回ちゃんと習ったことで、なるほど、そういう仕組みだったのかとよくわかったということでした。

おおまかなことがわかっていて、それを理論付けて習うことが出来れば、理解も深まるし面白く思う余裕があると思います。彼女は楽しく受講できたことでしょう。
短期決戦の私はけっこう必死でしたし、道はまだはるか。
「練習問題をきっちりやっておけば資格は取れそうですね」
「模擬テストが9割出来たら合格するって話でしたよ。一発で決めたいですね」とうなずきあいました。
失業中の彼女は「受験料が高いからびっくりしました、落ちたら困るなあ」と笑っていました。

存在を知っているだけで全くやったことがなかったエクセルを5月から習い始めて、なんて便利なソフトだろうと感激しています。
家計簿の一覧みたいな表計算があっという間に出来ます。おそらく少し前まではパチパチ算盤入れたり計算機を叩いていたのでしょうが、もうそんなことは一切必要ない時代のようです。計算間違いもありません。
数学が苦手な私にとっては緊張の種でしたが、「関数」というものも実に便利です。成績表の中に「140点以上は合格、それ未満は不合格」と一瞬にして記入できます。借りたお金の支払額を、支払い回数や金額によって一瞬で計算することが出来ます。
ハイパーリンク、表からグラフの作成、文字の置き換えにデータベースからの抽出。自由に使いこなせたら、万能な事務担当者になれると思います。採用にあたってエクセルが使えるかどうかを考慮するのは、当たり前という気がします。

最終日のきょう、模擬テストというのをやってみたら、私はさんざんな出来でした。途中で時間切れとなり、思ったよりミスも多い。
ちなみに、おとなりの彼女は87点でした。彼女は軽くクリアしてステップアップするのでしょうね。
私が自分の点数を恥ずかしがっていると、「大丈夫ですよ」と温かく励ましてくれました。
忘れるの(老化)と競争だけど、やったら確実に上達するという自信は持ちました。
それに第一、とっても面白いです。年賀状や名刺など使い道も多そう。せっかくだから頑張ってみようと思っています。
来春には養護学校を卒業する息子と一緒に、私も「ワード・エクセル不満足」から卒業するぞ〜!
posted by dashi at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2007年07月11日

長生き

先日ケアマネをしている友人が、長く施設で働いていた友達と一緒に、私をランチに誘ってくれました。すぐ近くにある施設なのでどんな感じか、会って話を聞きたいという私の要望に応えてくれたものです。
その人は無資格のパートで施設の入浴介助から始め、ホームヘルパーを経てそこの老健施設で創立以来働いていた人です。有給が残っていたらしく、まだ退職していないと言っていました。
介護福祉士の資格をとってから老健施設では事務の仕事をしていたけれど、やはりふれあう仕事の方が楽しいからと介護に戻ったそうです。細くて小柄な人ですが体力はあるようで、移動介助(ベッドから車椅子とか)も苦にならない。腰痛も経験ないそうで、コツがあるのよということでした。

ホームヘルパーのとき「何もしなくていいから、話し相手だけ」と頼まれた仕事は、やることがなくてヒマすぎて耐えられなかったそうですから、根っからの働き者なのでしょう。それに友人の話によれば、とてもきれい好きだそうです。こういう人にお世話してもらえたら幸せだろうなと思いました。
でも、介護の仕事を15年だかやったけれど、「もうダメ、誰も私を止められない」とのこと。あまりの薄給に見切りをつけ、今後はコンビニで働くそうです。その方がよほど稼げる。
とはいえよほど介護の仕事が好きらしく、どこかのコンビニが介護福祉士を常駐させるサービス(?)を始めるそうで、「私がその一号になる」と子どもに言っていると笑っていました。

これほどの人材が去っていくのって、なんとも惜しいことです。介護の世界があきれるほど薄給なのは、もうだいぶ知れ渡っていることと思いますが、ほんとになんとかならないのかと思います。
彼女が働いていた施設も職員の入れ替わりが激しく、3年以上だと長い方だということでした。
息子がお世話になっている(ガイドヘルパー)事業所は、一般企業から転職した若い男性がサービス責任者です。
(とても優しくて配慮が行き届き、息子も初めてのときからすぐなじんで、とても助かっています。ヘルパーさんも温かい。)
一度話をしていて驚いたのは、「転職したら給料が3分の1になりましたね」とさらっと言われたことです。3分の1ですよ!!
この人は優しすぎて一般企業になじめなかったのかもしれないけど、後悔はしてないかしら。この人には逃げ出さないでほしいと強く思っています。

友人の友達に話を戻して…。
長く老健で働いていると、自分の死生観にもかなり影響を受けるようです。死に慣れるというか、逃れられないものとして受け入れる覚悟は出来るかもしれません。あまり長生きしたくないわね、とつぶやく言葉に実感がこもっていました。
その人のお母様が末期の癌とわかったとき、身内は告知をためらったけど、彼女は話すべきだと主張して自分で告知したそうです。限りある命と知って大切に、と淡々と最後まで看取ったようでした。
認知症の母親がいる別の友人が、この前言っていました。もう意識もなくてチューブで「生かされているだけ」だって。お母さんだってきっと<もう行きたい>と思っているだろうと。すでに10年も今の状態のままだそうで、友人たち姉妹は毎月1万円ずつ、施設に通って世話をしている一番上のお姉さんに仕送りしているとか。

ケアマネの友人も、その友達も、介護保険の実態をよく知っているから、将来に対してはとても悲観的です。
予算が足りるわけがない、介護保険料が上がったり、一割負担が二割になっても無理ないと言います。
生活援助は1時間以上は実費負担になるらしいですね。ヘルパーがまたごそっと辞めそうです。
年金だって先行き不安だし、長生きが素直に喜べない時代ですね。
私も元気に老いて、なるべく介護保険のお世話にならないでPPK(ぴんぴんころり)といきたいものだとあらためて思ったことでした。
posted by dashi at 22:57| Comment(2) | TrackBack(1) | 介護

2007年07月10日

参観日

土曜日は息子の(養護)学校の家族参観日でした。
普段、子どもの学校生活を見るチャンスのない家族(主にお父さん)のために、学校で半日一緒に活動してもらおうという企画です。
お昼は子どもと同じ給食を食べますし(給食費530円前払いします)、毎年何か共同作業で作ることが多いです。今年はお香とお香を載せる皿を作りました(粘土細工の部分だけ)。
小学部のころはお父さんやきょうだい児の参加も多くて賑やかなこともありましたが、もう最高学年なので静かなものでした。

私は息子の入学前から別居していてその後別れたので、父親の参加はなく、ずっと私が出て来ました。
夫婦で参加している家庭が多い年には正直なところちょっぴり淋しい思いもしました。息子も何か奇妙な気分だったかもしれませんが、今回でこの行事も最後です。
家庭では見られない面を見せられて、「へえ〜、こんなことも出来るんだ」と感心したり、呆れたり恥ずかしい思いをしたりもしますが、普段学校任せにしている子どもの教育を見直すいい機会です。
ウチの息子の場合は、家ではほとんどしゃべらないのに、パターン化された場面で案外声を出したりしています。あら、しゃべれるようになったのねと(もと姑なら特に)錯覚しそうです。

それに数日先立って、いよいよ最後となる校内宿泊がありました。学校が今年から指導寮というものを運営していて、そこでの最初で最後の宿泊、銭湯も初体験したようです。
息子は私の母の葬儀のときそこでお泊りを経験していますが、ほかにも数人いる自閉症の子にとって、慣れない場所で寝るのは拷問だったかもしれません。でもそこはさすがにもう成人を迎える年齢、みんなよく寝て余裕で宿泊を楽しんだようです。
家族参観日に、宿泊の様子を撮影したビデオを見せてくれました。夕食はハヤシライス(副菜は何だったか忘れました)、フルーツヨーグルト。買物に行って調理をして、盛り付けて食べて、片付ける、すべてが学習計画に組み込まれています。
同世代の子どもたちは大学や専門学校に行ったり、社会人として働いている年齢。障害がなかったら、と複雑な思いでもするのか、ビデオを見ようとしないお父さんがいて気になりました。


久しぶりでどうもリズムに乗れず、今日はこれにて失礼します。
posted by dashi at 21:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 自閉症関連

2007年07月07日

もう少し休みます

修理から戻ってきたパソコンが、ネットにつながらないというトラブル発生。
入れたまま修理に出したワイヤレスカード(エアマックを使っています)が出してあったのと関係ありそうですが、電話で指示されるままにあれこれやってもラチがあかず、「もう一度修理に出せ」と言われる始末。
そのあと会社(富士通)から電話があって、技術者が出向いてくれることになりました。
技術者から電話があるのが月曜日の夕方だそうで、まだしばらくお預けです。

冷静に考えれば、もう一度修理に出せなんてとんでもない話。
仕事で使っている人ならとても困ると思います。
コワイ人なら「今すぐなんとかせえ」ってすごむかも。

SEカードは入れっぱなしでもべつにかまわないから、修理に出す前の状態にして修理代も返せ! 私の無駄にした時間(電話で4時間かかった。待たされたし…)を返して! って気分です。
電話で応対するのが毎回(三回もたらい回しされた!)若い人で、いじめるのも可哀相だし相手は誠意を尽くしてるんだろうしなあ。

代用品のマックは異様な音を立てて不気味なので使えないし、今は上の子のパソコンをちょっと借りて書いています。すっごく打ちにくくて疲れます。

というわけで、もう少しお休みいたします。
posted by dashi at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2007年07月03日

辞任は当然だ

まったくとんでもない人物が防衛大臣をやっていたものです。

誰も「誤解」なんかしてません。
「発言が誤解を与えたから」じゃなくて、そんなことを考えている人物だと知られてしまったから。こともあろうに防衛大臣とはね。アメリカ追随は個人のレベルでやってほしい。
大臣に不適格な人物だということがバレバレになってしまったからには、もはや誰も庇えない。辞任は当然です。

私の実家にはかつて、原爆で焼け出された遠い親戚が身を寄せていたそうです。
私が生まれる前に亡くなったので直接は知らないのですが、原爆症で苦しんでいた様子はよく聞きました。親類の中には原爆手帳を持っている人や原爆二世が何人かいるようです。
私の同級生にも一人、小学生で白血病のため亡くなった二世がいました。
広島に住んだことありますが、広島は長崎と違って平らだから被害が大きく、市内に住んでいた人は大半死んでしまった。今の広島の住民はたいてい周囲から流れて来た「よそ者」だという話でした。
そんな大勢の無辜の民が、何のために残酷なやり方で殺戮されなければならなかったんでしょうか。

何の罰を受けるはずもない人たちが、突然巨大な放射能つき焼却炉に投げ込まれたんですよ。
「しょうがない」で済まされてはたまらないですね。
「過ちは繰り返しませんから」と誓ったんじゃないんですか。
沖縄など基地の住民に対しても似たような感覚なんでしょうかね。
「誤解、言葉足らず」と言い繕って粘ろうとした往生際の悪さも、任命した責任は棚上げで庇おうとした首相も、その姿は<お人好しで長くやりたい放題を許して来た>国民の目に、強く焼き付いたことでしょう。
堪忍袋にもサイズってものがありますよね。派手に破裂させるには投票に行かなくちゃ。
この絶好の機会に、野党は大いに奮起してもらいたいものです。


(パソコン不調で昨日はお休みしました)
posted by dashi at 21:58| Comment(3) | TrackBack(0) | 社会問題

2007年07月01日

マスコミの良識

朝、テレビに肥満体のタレントが出ていました。太った体が売りのお笑い芸人のようで、たるんだ皮で後頭部にできた肉の段(くびれ)で「携帯電話の充電をする」という(私には)笑えないギャグをやっていました。
太っている(そのことでいじられる)以外にアピール出来るものがある人なのかどうか、よくわかりませんでした。
番組の企画で3ヶ月で30キロの減量、というのをやっているそうです。まあ、これはやったらすごいです。(KONISHIKIにもやってほしい)
すでに2ヶ月すぎたのにまだ13キロ(だったかな)しか減量出来てないそうで、本人は弱気。

「大丈夫、強力な助っ人を呼んであります」
というので、こりゃゲストに噂のビリーなんとか(ブートキャンプの)が出るんだと確信。つい先日来日して、仕事をしまくったらしいですからね。
民放だからさんざんじらされましたが、案の定、その通りでした。
ネットで話題になってる人なので、いったいどんなエクササイズをやるのか興味津々。
お待ちかねのブートキャンプは、たしかに効きそうでした。大勢で一斉にやるなら気合いも入って楽しくエクササイズ出来そうです。
(参考までに、こんなものです。http://xn--fdkvaj3f4db.sblo.jp/
一人ではそうそう続かないだろうし、わざわざ一本1万円以上もするDVDを買うまでもないような気もしましたが、元をとろうと思って頑張るならそれもいいでしょう。

件のタレントはすぐ汗びっしょり。あんな激しい運動をしても内蔵は大丈夫なのかなあと、私としてはちょっと心配になってしまいました。
あの運動を毎日少しでも続ければ、ブートキャンプの名の本来の目的(肥満体の軍人を短期間で絞る)通り、ごく短い期間でもシェイプアップ出来るんじゃないかと思いました。
それにしても、つまらない茶々(笑えないギャグとか)をいれてレベルを下げ、ダイエットを軽薄なショーみたいに見せる番組の作り方には大いに不満です。ビリーに対しても失礼なんじゃないかと思いました。
せっかくビリーをゲストに呼ぶなら、ブートキャンプがなぜ効果的なのか科学的に説明するとか、続けるためにはどんな工夫が必要かなど、視聴者に役に立つ情報を提供して欲しかったと思います。

Yahooに面白いニュースが出ていました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070701-00000022-jij-ent
アメリカの女性キャスターが、パリス・ヒルトンのニュース原稿をトップで読むのを拒否し、原稿を破ったりシュレッダーにかけたりしたそうです。
話題作りをしてもっと大手の放送局に移りたいとかいった売名行為でやった可能性もありますが(私はそのキャスターを知らないのでわかりませんが)、あまりのバカバカしさに腹を立てた良識ある行動だとすれば、よくぞやったと快哉を叫びたいですね。
パリス・ヒルトンをご存じない人はこちらをどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3
そもそも何故収監されたのかは棚上げにして(私は、ひどい事故を起こす前に彼女を逮捕した警察に勲章をあげたい)、なんとかおつとめが終わったら、まるで偉業を成し遂げた英雄扱い、獄中記も書くようです。こんな勘違い女は世のいい子に悪い影響しか与えないんだから、マスコミはゲテモノとして扱うべきです。
日本でも小倉キャスターが批判的らしいですが、売れりゃいいだけじゃなくて、マスコミには良識を期待したいです。
posted by dashi at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会問題