2007年01月31日

笑い死にの話

世の中にはホントに気の毒な死に方をする人もあるもので、今日読んでいた本に出てきたのは文字通りの「笑い死に」した人です。
先に本をご紹介すると、V.S,ラマチャンドランほか著、山下篤子訳の「脳の中の幽霊」(角川書店)。最近「脳の中の幽霊ふたたび」というのも出たそうです。
ラマチャンドラン博士はインド出身のアメリカの神経科医、心理学・神経科学者。カリフォルニア大学サンディエゴ校の神経科学研究所長です。
この本は、かの養老猛司センセイも「面白い」と絶賛されているそうで、センセイに面白いものが私に理解できるわけはなく、、、。面白いと思って読みながらも、残念ながら難しくてよくわからない本でした。それでもとても興味を惹かれる話がちょくちょく出てきて、この笑い死にもそのひとつです。

1931年ロンドン。ウィリー・アンダーソン(25)は母親の葬儀の日の朝、墓地の穴に棺が下ろされるときに笑い始めました。
どうしても抑えられず本人も狼狽して、悲嘆にくれる人々の視線を避けて遠ざかりながら、彼の笑いは数時間続いたそうです。
あまりに場違いな笑いに、その日の夕方いとこが彼を病院に連れて行きました。病院では瞳孔、脈拍や呼吸数など調べ、入院させて様子を見ていたようです。その二日後、重度のくも膜下出血のために意識不明で発見され、そのまま亡くなりました。
また1936年フィラデルフィアでは、58歳のキャリアウーマンが突然の頭痛のあと笑いの発作が止まらなくなりました。
意識はあって医師の指示に従うことも出来たけれど、脳の酸素不足で苦しがり、モルヒネも効かなかったそうです。
そして1時間半の激しい笑いのあとぐったりと昏睡状態になり、24時間後に亡くなりました。

笑いすぎると苦しくなるのは経験した人も多いでしょう。それが数時間も続いて、挙句に死んでしまうというのはとんでもない拷問に思えます。
上の二人は、解剖したら脳の中に大量の出血が見つかり、それが脳の中の組織を圧迫していました。
1930年代のことだったから助けられなかった、二人とも生まれたのが早すぎたと同情するしかありません。医学の発達した現代ならMRIで脳内出血が判り、ただちに開頭手術して助かったことでしょう。
なお笑い死にの症例はきわめて稀で、今までに20数例の報告しかないそうです。笑いの発作が短かったり、死亡までに日数があったりすると記録に残らないかもしれないですね。

イギリスの「ネイチャー」に報告された比較的新しい例では、難治性のてんかんで脳の一部を切除する手術を受ける少女(意識はあった)が、脳への電気刺激に反応して笑いが止まらなくなったことがあったそうです。
(脳は痛みを感じないので直接触れることが出来るのは、「ハンニバル」という映画(私は気持ち悪くて一部しか見てませんが)で脳を露出された男と会話をするシーンでも明らかでした。脳を切り取られても生きてましたね。ちなみに脳幹<呼吸中枢などを司る>を傷つけないと死なないから、頭を撃ち抜いて自殺するのって案外難しいそうです)
「患者を笑わせる異常な活動性ないし損傷は、脳の辺縁系、すなわち情動に関与する海馬、乳頭体、帯状回などを含む一つながりの組織の中にある」のだそうです。だからそこらへんが出血などで圧迫(刺激)されたら、笑いが止まらなくなることもありうるのでしょうね。

ところで、自閉症の子どもが葬儀などで笑い出して、親戚の顰蹙を買うという話はたまに聞きます。知人は「二度と連れて来るな」と実の父親から怒鳴られ、それから子連れでは帰省してないと言ってました。
ウチの息子も何年か前までは、満員電車の中など「よりによってこんな場所で」とこちらは泣きたくなるようなシチュエーションで、クスクスげらげらと笑い続けて困ったことが何度かありました。
「自閉症の子は可笑しいから楽しいから笑うとは限らず、どうしたらいいかわからない時にも笑う」
と解説されていますが、研究が進むとそのうち何か、医学的な説明がつくようになるのかもしれません。
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2007年01月30日

昔の人の暮らし

きょうはお天気もいいし暖いという予報だったので、息子をスクールバスに送ったあとちょっと遠出。
横浜市歴史博物館の付属施設(?)、大塚遺跡と都筑民家園を見学してきました。横浜市営地下鉄の終点に近い、センター北という駅の近くにあります。
子どもたちがまだ小さいころに行ったときは、ピカピカの駅舎のまわりはまだほとんど空き地でした。遠くの丘の上にぽつんとマンションが建っていて、夜帰宅する住人は淋しそうだね〜と話したのを覚えています。
横浜市がニュータウンとして計画的に開発したようで、今はマンションも立ち並び大きなショッピングセンターもあって、すっかり都会になっています。人口もずいぶん増えただろうと思いました。

歴史博物館の建物も以前は目立っていましたが、今は高いビルに取り囲まれて「どれだっけ?」って感じ。
でもいち早く遺跡周辺を確保して大きな公園に整備した成果で、駅の近くに豊かな自然が残されています。
歴史博物館の中の展示は今回はパスして、屋上から連絡通路でつながった大塚・歳勝土遺跡公園のほうへ向かいました。
すぐそばを幹線道路が通っているとは思えない静けさの中、ゆるやかな坂道を上っていくと、通路わきの落ち葉の中からカサカサ音がします。
なんだろうと足を止めて目を凝らすと、落ち葉が保護色になってよく見えない野鳥が現われました。大きさはヒヨドリぐらいで、羽が一部黄色がかった地味な鳥です。少し離れた場所に移動して、私が行き過ぎるのを迷惑そうに待っている気配でした。
落ち葉の中に虫でもいるのか、少し先でも同じ羽色の鳥をまた見かけました。

大塚遺跡というのは、墓地の跡の歳勝土遺跡とともに、昭和61年に国史跡に指定されたところです。そこに盛り土をして、弥生時代の竪穴式住居7棟、高床式倉庫1棟と、集落をめぐる環濠・土塁・木柵、木橋が復元してあります。
倉庫の「ねずみ返し」に、こんなもんでも効果があるのかと意外に思ったり、屋根の茅を集めるのが大変だっただろうなと思ったりしました。
半地下の竪穴式住居に入ってみるとひんやりと涼しく(寒く?)、少しかび臭い匂いがします。昔の人はこの中に草や毛皮を敷いて寝ていたのだと思うと、現代の快適な暮らしがありがたくなります。
自由に中に入ったり触ったり出来、ひと目でよくわかるようになっていて、小学生の社会科の教材にはうってつけ。
私が行った時間には保育園児が散歩に来ているだけでしたが、公園中に子どもがあふれる時もあるのだろうと思いました。

少し先の都筑民家園に行ってみると、ちょうど小学生の団体が来ていてガイドさんの説明を聞いているところでした。
今みたいに便利な生活は出来なくて、、、という声が聞こえましたが、生まれたときから便利な生活にどっぷり浸かっている子どもたちにはピンと来ないだろうなと思います。時代劇もあまり見ないでしょうしね。
ここは江戸時代の民家を移築したところだそうで、ヘリのない畳がいかにもそれっぽかったです。
高い天井のある板間には囲炉裏があって、実際に火に鉄瓶がかけてありました。大きな梁はすすで黒くなっていますが、あれは害虫除けと防腐効果があると聞いています。
私の小さいころ、建て替える前の生家にはこんな黒塗りの板間や梁があったなあと(よく覚えていないのですが)、なつかしく思い出しました。
近隣の方がボランティアで参加して、ガイドのほか野菜を植えたり掃除したりして、この民家園を維持して下さっているようです。

昔はもちろんひねったらすぐ水が出る便利なものはありません。炊事は井戸から水を汲み水桶にためたものでやっていたはず。
ここの民家のような大きなお屋敷は、別棟に水屋があってそこで煮炊きしたものと思われます。水屋の建物は部外者立ち入り禁止で覗けませんでした。
昔はお風呂の水だってひと桶ひと桶くみ上げて溜め、薪をくべて沸かしたのですよね。(夜、シャワーで温かいお湯を浴びながら、そんなことを考えました)
民家園のあと久しぶりにモザイクモールの観覧車に乗りました。建物の中に入り込んだ形だからあまり大きくなく料金も400円です。晴れていたので期待しましたが案外ガスっていて、眺望はイマイチでした。
昔の人がタイムマシンで連れてこられ観覧車に押し込められたら、ここはあの世かとパニくるかも。恐怖で気絶するか逃げ出そうとドアをこじ開けるかもしれませんね。
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2007年01月29日

女は「産む機械」か

女は子供を産む機械だとか装置だとか発言した政治家が、辞任を求められる騒ぎになっています。この人がこともあろうに厚生労働大臣というのは、あきれてものも言えませんね。
発言するときに「こう言っちゃ申し訳ないけど」「ごめんなさいね」と言い訳してたそうですから、不適切という判断が少しはあったんでしょう。そこで言うのをやめておけばいいのに、あえて口にしたばっかりにとんでもないことになりました。
心の中で何を思おうと人にはわからないし、日本には言論の自由があるから基本的に何を言おうと勝手ですよ。でも厚労相が公の場所で言っていいことではないでしょう。

政治家は「相手を言いくるめる」能力が何より大切だそうです。白を黒と相手に本気で思い込ませるくらい、弁舌に巧みである必要があるということでしょうか。
まったくうそをつかない、人望だけでカリスマ性を保持できる政治家も、いないわけではないでしょうけどね。
この大臣は、あまりうそをつけない正直な人なのかもしれません。少子化で困っているから、「産める機械、産める装置」の人にはがんばってっもらいたいという本音が出たのだと思います。
でも政治家がそんな無神経で愚かでは困ります。いったいどういう経緯でこの人が厚生労働大臣に選ばれたのか、選んだ安倍首相には責任はないのか聞きたいですね。

この人は以前、代理母を容認するような発言をしています。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/23662/
今となっては、「子供がほしいけど産むことができない」人の側に立った発言でなく、「とにかく子供を増やしたい」からであるのは明らか。
子供を産んでもらうためには手段を選ばない、「機械や装置」に問題がない人に産んでもらえばいいという、安易な考えが伺われます。
今回は単なる失言ではなく、この人の本音であることははっきりしています。厚生労働大臣に不適切であるばかりでなく、人間的に問題のある人であることは間違いないでしょう。辞任することになっても「たった一回の失言で」と同情する必要は全くありません。

今回の騒ぎで一番腹を立てたり悲しい思いをしているのは、不妊治療にかかわっている人たちでしょうか。部外者は知らないけど、かなりの数いるそうです。
こんな時代遅れの恥知らずな人がいるから、皇太子妃だって病気になるほど苦しむことになる。
子供が出来なかったという安倍首相にとっても他人事ではないので、今度ばかりは本気で叱責したんではないでしょうか。
愛妻が「ちゃんと動かない壊れた機械」「油をさしても動かない存在価値のない装置」呼ばわりされたんですからね、こんな失礼な話はないでしょう。
さっさと辞めさせて、たまには毅然とした指導力を発揮してほしいものです。

私は子供は産みましたけど、普通分娩で死にかけたので帝王切開でした。お医者様のお世話にならないと産めなかったというのは、性能の悪い機械ということになりますね。
おまけに産んだ子の一人は最重度の知的障害。社会的援助がないと生きていけません。誰がなんと言おうと社会のお荷物です。こういう子を産んだ私は不良品を生産した機械ということになりそうですね。産めないよりもっと出来の悪い機械かしら。

長いこと不妊治療をしていた知人に、「あまり高齢になって産んでも障害児かもしれないし」と声をかけると「それはもう、覚悟の上ですから」と笑顔で返され、そんなにほしいんだ、と絶句したことがあります。
子どもが好きで、私の障害のある息子にも温かく接してくれる人です。この人の元にどうして子どもがやって来なかったのかととても残念、やさしい賢いお母さんになったに違いない人なのに。彼女は今度のトンデモ発言にどんなに傷ついたことでしょう。

とても許せる発言ではないですね。
posted by dashi at 13:54| Comment(4) | TrackBack(1) | 社会問題

2007年01月28日

自損事故

昨日の夕方、渋滞を避けて通った抜け道で、車よけのポールにぶつけてしまいました。
細くて蛇行している道ですが対向車はなく、もっと中央寄りを走っていれば起こさなかった事故。車線の中をちゃんと走る練習もしようと色気を出したのがいけません。
買って2年近くになるのに未だに車両感覚がつかめず、車庫入れでもよくやり直ししています。自分が思っているよりだいぶ車両の幅があるようです。営業マンは前の車とほとんど変わらないって言ったんだけどな。
ガツンと衝撃は来たけど後続車もいたし、狭い道だから停車も出来ずそのまま帰ってきました。車庫入れして改めて見てみると思ったより派手にこすっていて、ドアエッジプロテクターがぺろっとめくれる有様。

若葉マークの娘は「アタシがやったとみんな思うだろうな」とぼやき、修理に持っていったらそこの担当者に「あれ? 直したばっかりですよね?」と軽く笑われてしまいました。
赤信号と渋滞で停まっているところに後ろからぶつけられた(相手の過失100%)のが2回、どちらも修理費が40万以上かかったようでした。今回は私の車両保険で修理するのでまた自己負担はありませんが、何度も事故っていると購入した代金より高くなりそうです。
今回交換することになるのは前の修理とは違う場所で、もともと細かい傷がついていました。まあ、きれいになるからいいか! とやけ気味。
ぶつけた相手が人や車じゃなくてよかった、とはもちろん思っています。

今まではずっと安い中古の車だったので車両保険には入ったことがなく、車両保険を使うのは初体験です。いろいろ考えさせられました。
「保険で直す」ことを前提としているからじゃないかと思うけど、車の修理はとにかく高い。これが車両保険に入っていない時なら、パーツ屋さんで安いのを探してもらうかもしれません。
最初の事故では免責ゼロですが、一年以内に二回使おうとすると免責が10万。
無茶な運転する人や運の悪い人は何度も使うことになるのかもしれないけど、二度目以降は自己負担も大きい。それに一度使うと保険の等級が3等級下がりますから、保険に加入出来なくなりますね。
知り合いが遭った事故では、相手は社会的にもちゃんとした人なのに任意保険に入ってなかったのを、なんでだろうと不思議がっていたものでした。もしかしてその加害者は、何度も事故を繰り返して等級が最低になり、保険加入を断られていたのかもしれません。

軽く考えていたけど、ぶつけたポールを修理しなくてもいいかどうかなども、保険会社としては調査するようです。余分な修理をしないか確認というのもあって、修理が始まるまで何日か待つみたい。それもあってか、10日ばかり預けることになりました。
前の事故のときは代車が出たのであまり不便なこともなかったけど、10日も車のない生活は久しぶり。これをきっかけに、また息子が電車通学に戻ってくれないかなと期待しています。
北風が身にしみそうですが、早足で歩くとあったまるし、ダイエットと思って頑張らなくちゃ。
皆様もどうぞお大事に。
posted by dashi at 22:29| Comment(3) | TrackBack(2) | 身辺雑記

2007年01月27日

手話の制限はおかしい

1月19日の定例記者会見で石原都知事は、聾学校で手話を中心とした教育が出来る教育特区を申請すると明らかにしました。知事の意向では、手話を第一言語とし、読み書きを第二言語にする「バイリンガル聾教育」に全国初で取り組むそうです。
部外者から見たら信じがたい話ですが、現行の学習指導要領に手話教育はないため、聾学校なのに手話は教えないし使用禁止、というところが多いらしいですね。中心となるのが口話と指文字です。
手話では健常者とのコミュニケーションが取れない、健常者と一緒に生きていくには不適切との判断があってのことでしょう。聾を一段低いものと見て、健常者のレベルに近づく努力を当然視する発想ではないかと思います。
口話は自分には聞こえない声を出して発声し、相手の唇の動きを見て読むわけですから、達成度にはかなりの個人差がありそうです。比較的マスターしやすい手話の習得は、努力を要する口話教育の邪魔となるとして禁じられたのだと思います。

友人のご主人に聾学校出身の方がいますが、両親はどちらも手話が出来ないそうです。子供との意思疎通は書き文字を使うようですが、手元に筆記具がなかったり面倒に感じたりしたら、もういいやということになるのではと余計な心配をしてしまいました。
学校で禁止するぐらいですから、両親としても敢えて習得しようとは思わなかったのでしょう。口話を使えるほうが本人のためだという親心かもしれませんね。
口話がある程度出来る人は働く場所の選択はぐっと広がりそうですが、相手が口をあまり開かずにしゃべる人だったり、下や横を向かれたりしたら唇を読めないでしょうし、集中しないといけなくてとても疲れるのではと思います。
学校で禁じても手話を使える人が多いのは、それだけ習える場所もあり仲間もいる、需要があるということだと思います。
手話を使って笑顔で会話している姿を見かけることがあります。よく話す人とおとなしめの人がいて、せわしなく話す人のんびりした人がいるのは、普通の会話と同じ。手話はひとつの言語と認めるのが当然だと思います。

先月私が始発電車に乗って発車待ちしていたときのことです。
乗り込んで来ようとした人が、入り口付近にいた二人連れに「この電車はどこそこに停まりますか」と聞きました。二人は顔を見合わせて、困ったように何も言いません。
もう一度聞いても返事しないので、私が奥から「停まりますよ、大丈夫です」と声をかけました。
意地悪で返事しない人たちのようには見えなかったので、もしかして外国人かなと思っていると、二人はそのうち手話で会話を始めたので、聴覚障害者だったのだとわかりました。
口話が(あまり)出来ない人なら、急に話しかけられても困るでしょうね。でも日本語がわからない外国人の場合だって、条件は全く同じだと思います。日本語がわからない人は日本に来ちゃいけないとは、誰も言わないでしょう。
学校教育の場で手話を教えるというのは、楽しくコミュニケーションできる便利なツールを手渡すことだと思います。当然手に入れる権利があるのでは。

健常者に混じって生活するための口話の習得に傾ける労力や時間を、手話を使った学びのために使ったら。そのほうがはるかに豊かな教育を受けられるのではないかと思います。
ポルトガル、フィンランド、ウガンダ、ベネズエラは公用語として手話が使われているそうです。ポルトガルでは幼児テレビ番組にも手話通訳が出てくるとか。
フランスのド・レペ神父が1760年代に世界初の聾学校を建て、寄宿舎を用意して教育を始めたときには専ら手話が使われました(これも世界初)。ルイ16世とマリー・アントワネットがこの学校を訪問したこともあったそうですし、革命の後もこの学校の教育は高く評価され、国立パリ聾学校の前身となりました。
これほどの歴史のある手話を、あまりに不当に扱わないでほしいと、私としては思っています。
posted by dashi at 23:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会問題

2007年01月26日

取り柄、特技

息子のマラソン大会のとき、応援に来ていたお母さんの中に「私はかけっこは得意だった。いつも一番だった。転んでたった一度だけ2番になったけど、あとはずっと一番」と胸を張っている人がいました。
いつもマイペース、けっこう自分勝手で回りに迷惑かけてる(でも憎めない)人なので、思わず「誰にも取り柄はあるってことね〜」と口走り、「何よそれ、どういう意味!」「私はいつもビリだったからサ、ひがみ」「ビリ〜!? そんなに遅かったの?」と大笑いしました。
その人にはほかにも取り柄があって、子どもがとっても可愛い(女の子)。きっとお父さん似だな(冗談です)。

何年か前のことですが、郵便局に入った強盗にインクボールを投げつけて捕まえたという事件がありました。お金を奪って逃走しようとする犯人に、後ろから投げつけて命中したものです。よく目立つ、洗っても落ちないインクをかぶったまま逃げ続けるのは共犯者の車でもない限り無理ですね。
この事件のニュースを見たあとで、近くの郵便局のカウンターにインクの入ったボールが置いてあるのを見つけ、どんなものかと、許可を得てから手に取って観察させてもらったことがあります。透明の柔らかいプラスチックのボールの中に、蛍光オレンジ色のインクが揺れていました。

思ったより丈夫なものだったので、これを投げつけたぐらいで割れるんですかと聞いてみました。割れてインクが飛び散らないことには、本来の目的を果たさないはずです。柔らかい服や帽子に当たっても割れる(破れる)ものかなと疑問に思ったのです。
親切な(そしてヒマな)局員さんは、「道路に投げつけるように指導されてます」と笑っていました。
「思い切り投げつけないと割れないんじゃないですか?」
「そうですねえ、投げたことはないですが、当てるの難しいって話ですね」
実際に使わないにしても、カウンターに置いておくだけで、強盗を思いとどまらせる効果はかなりありそうです。

上の事件のとき見事命中させた郵便局員さんは、もと高校野球部員だった人で、ボールのコントロールに自信があったということでした。狙う場所もだけど、かなり速い球を投げないと届かないし割れもしないと思います。この人の場合、野球がうまいという特技が見事に生かせたわけですね。
誰にも取り柄や特技の一つぐらいはあると思うけど、悪用する人も少なくありません。
とび職の経験があって高いところが平気な男が、マンションの屋上から上層階に繰り返し盗みに入っていたという事件もありました。マンションの上層階はみんな油断して戸締まりが甘いらしいですね。
きょうはこんなニュースを見つけました。http://www.zakzak.co.jp/top/2007_01/t2007012525.html

家賃を何か月も滞納、電気代も払わないために送電を止められた男がいました。
マンションの管理人が退去の督促に行って、おそらく居留守を使ったのでしょうが、ボタンを押すとドアホンが鳴る。マンションの共用部分から勝手に電気を引いて使っていたのがバレ、窃盗で捕まりました。
電気を止められているはずなのに鳴るのはおかしいと気づいた管理人さんはお手柄でしたね。
この男は電気修理業の経験があり、電気を盗むノウハウは熟知していたらしいです。そんな特技がありながら仕事が見つからなかったんでしょうか、今は修理より買い替える人が多いから需要はあまりないのかもしれませんね。
電気工事なんかシロウトには出来ないのに、もったいない話です。770円相当の窃盗らしいから、一時間にも満たない時給でしょうか、そのくらい働けばいいのに。
posted by dashi at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2007年01月25日

ポジティブ・シンキング

きょうは神奈川県知的障害養護学校PTA連合会(県知養P連)主催の、講演を聞きに出かけました。(きのうは学校のマラソン大会だったし、障害児の親もなかなか忙しいです)
講師は横浜市立大学医学部付属病院・小児精神神経科部長、医学部助教授(児童精神科医)で、学校保健審議会委員、日本児童青年精神医学会評議員などをされている竹内直樹先生、テーマは「障害とともに生きる」です。
途中まで車で行ったらえらい渋滞に引っかかり、10分ばかり遅刻してしまいました。コソコソと会場に入るとお話はもう始まっていて、用意された席がほとんど埋まる盛況ぶり。保護者(養護学校の母親がほとんど)の関心の高さが伺われました。

ウチの息子は本来ならもう養護学校高等部を卒業して社会人になっている年齢ですから、講演を聞くにはもう時期を過ぎたという印象はありました。先生もおっしゃっていましたが18歳を過ぎたら落ち着く子が多い。「障害児の親」も一段落です。どう「障害とともに生き」たらいいのか模索し、問題行動に振り回されて悩み、対応を人に相談したりするのはその前の時期だと思います。
私も小学部のころに聞いていれば子育ての参考になったかもしれない、と思える話が多かったですが、それでも心に残ったことはいくつかありましたので、ご紹介したいと思います。
(メモも取らずに聞いて、記憶だけで書いていますので多少私のフィルターで「脚色」されているかもしれません。その点割り引いて下さい)

机の上のものを払いのけてしまう、という行動に悩んでいる事例が出ました。食卓でこれをやられると、食器は倒れたり割れたり、中身はぶちまけられて食べられないし、あとの掃除も大変です。この子の場合は養護学校の先生たちが創意工夫して乗りきったようでした。
講演のあとの質疑応答で、この「払いのける行為」の原因は何だったのですか、という質問が出ました。
そこで先生がおっしゃったのは、原因を追究するのはとりあえず「棚上げ」した方がいい、ということです。なぜなら、原因を考えると「犯人」を作ってしまうから。お父さんがああ言ったからだ、お母さんがあそこでこうしたからだ、薬のせいだ、先生が……。

たしかに、子どもの行動に出ることにはいろんな要素が複雑に絡み合っているわけで、これと決めつけるのは不適当かもしれませんね。本当にそうだったのかは、神ならぬ身、誰にもわからないことです。
子どもを育てるのには周囲の人間が力を合わせていかなければならないから、犯人探しはしない方がいいのかもしれません。よりよい環境を整える努力はするべきでしょうけど。
詳しくは聞いていないのですが、問題行動の「原因」がわかっている事例は、(こうするとこう出ると一般に言われていることでも)実はホントはとても少ないものなのだそうです。
本人にも原因がわかっていないけどなんだかイライラして殴りたくなる。そういう時はとにかく殴られそうな人を物理的に離して様子を見るのがいい。なんとかその場をしのぐことを考える。

もう一つ、「ポジティブ・シンキング」のお母さんの話。
障害児の母親で、前向きに熱心に活動していた明るいお母さんが、脳腫瘍で手術を受けた例があったそうです。
するとこのお母さんはあくまでもポジティブ・シンキング(positive thinking 前向き思考)で、「いい先生に執刀してもらえてよかった」「今まで子どものことだけだったけど、自分のために時間を使ってゆっくり休める」と言っていたそうです。
でも実は、先生がおっしゃるには「明るい、前向きなだけの人は無理をしている」のだそうです。だから脳腫瘍にもなる(?)し、キッチンドリンカーにもなりがちとのこと。
「いつも明るい人は一人で泣いているんですよね」という言葉に深く納得した私です。
無理しないで愚痴も言い合える家族や友人の存在がとても大事、あらためて心したいと思いました。
なるべくポジティブ・シンキングでいきたいと思ってはいますけどね。
posted by dashi at 23:42| Comment(3) | TrackBack(0) | 自閉症関連

2007年01月24日

納豆の話

「ずばり、納豆を食べると痩せますか」
昨日の昼間の番組で、NHKの有働アナが単刀直入に聞きました。その答えはとても明快。
「納豆ひとパックはだいたい50g、これにはご飯一杯分のカロリーが含まれてるんですよ。納豆を朝夕食べるということは、毎日ご飯二杯を余分に食べることになります。ほかのものをそのまま食べるなら太りますよ」
だいたいこういう内容だったと思います。
答えたのは東京農大教授の小泉武夫博士。食べ物、微生物関係で特許二十数件お持ちの、発酵の専門家です。
「納豆がダイエットに劇的に効く」という捏造番組はやはり、ウソだったようですね。

でもこの小泉教授、毎日朝夕納豆を食べているそうです。作家の椎名誠さんによれば教授は普通の人の5倍(!)食べるそうですから
http://ch-k.kyodo.co.jp/17kyodo/backnumber/backnumber2001/job/job38.html
体型は当然太め(レインコートのボタンが合わなくなった太鼓腹↑)。でも血圧も血糖値その他も全く異常なし、極め付きの健康体だそうです。あやかりたいですね。
昨日のページのコメント欄にも書きましたが、私は個人的には、納豆はとても優れた栄養食品で、出来ることなら食べる方がいいと思っています。
(血栓を溶かすほか、血圧を下げる、老化を防ぐ、骨を丈夫にするという効果は証明されているようです)

私は九州の出身ですが、私の田舎では納豆を食べる習慣がなく、中年になるまで全く食べないで過ごしました。
私の隣町出身の従弟は、結婚する時相手に「何でも食べるが納豆だけは勘弁してくれ」と言ったそうで、私もそんな感じです。
それで困ったことはたった一度だけあります。
当時勤めていた会社の上司に、千駄ヶ谷の将棋会館でお昼をご馳走してもらった時のことです。そう高くないランチで、棋士好みなのかおかずは全部素朴な和食、とても小さい器の納豆がついていました。
私はたいていのものは大丈夫ですが、納豆だけは食べられません。そう断って納豆を残し、ごちそうさまを言うと、上司が「おごってもらうのに好き嫌いするなんてもってのほかだ」と怖い顔をするのです。
これは困りました。あの匂い、あのネバネバ、見るのもイヤなのに食べるなんてとんでもない。一度知らないで納豆巻をかじった時には、あわてて吐き出したものの臭いが取れなくて閉口したものでした。
私が下を向いて黙っていると、上司は「冗談だよ」と大笑いして、私の分も食べてくれました。

私も、納豆が安くて身体にいいことはよくわかっていました。食べられたらどんなにいいだろうと思ってチャレンジしたことも何度かありますが、その度に挫折しました。
結婚相手も「食べられるけど好きではない。どちらかというと出さないでほしい」人だったので、長いこと食べないままでした。断定しますが、納豆を食べなくても生きていけます。
数年前に「納豆ダイエット」という言葉が話題に出たとき(あるあるより前から言われてはいましたね。ネタ元は覚えていません)、丸々した体型の友人が「アタシは納豆が大好きで毎朝食べてるの。安売りの日に買って冷凍しとくのよ。納豆食べて痩せるわけないのは私を見たらわかるでしょ」とケラケラ笑ったものでした。小泉教授の女版ですね、彼女もとても健康な人でした。

ある日私は、このまま歳を取るのはマズい。納豆しか食べられない貧乏(以前書いた、司法試験勉強中の大平光代さんみたく)にも耐えられるようになるべきだ、と考えました。
一緒に練習を始めた娘は簡単に納豆が好きになりましたが、私の場合は始めるのが遅い分納豆の壁は厚かった。挫折を繰り返しながら願掛けをして続けました。
試行錯誤して最も食べやすいと思ったのが「カレーと一緒に」なので、結局は誤摩化した食べ方ですね。タマネギのみじん切りと一緒に載せた納豆チーズトーストも、ぽろぽろこぼれて食べにくいのを除けば、臭いもないので苦手な人もかなり食べやすいと思います。
残念ながら今でも好きとは言えませんが、あまり大きくないパックなら抵抗なく食べられるようになりました。

それで、一日ひとパックをノルマに一年余り(だったかな?)続けた結果、病気知らずで身体はとても快調になりました。何より肌がつるつるしてきて、目の下の隈(歳とったな〜と思っていました)が消えてしまったのです。
気のせいではない証拠に、久しぶりに会った友人に「なんだか若返ったわね」と言われたものでした。
ずっと続けていたらよかったのですが、願掛けを諦めてからくじけてしまい、今は時々思い出したように食べているだけです。
納豆のマイナス面を挙げると、私の場合、意外なことに便秘しがちになりました。中年まで食べ慣れない発酵食品だったからでしょうか。もっともそれほど頑固なものではありませんでした。

私にとって納豆をクリアしたのだけは、数少ない「自分で自分をほめてあげたい」ことでした。
でも、食べられない人も大丈夫。小泉教授お薦めの「納豆の代用食」があります。それは「小さくさいの目に切ったチーズをご飯の上に載せ、卵と醤油をかけて混ぜて食べる」。けっこう美味しそうですね。
今はあまり居ないでしょうが、チーズも食べられない人でも案外いけるかもしれません。
posted by dashi at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 興味津々

2007年01月23日

認識のずれ

捏造が発覚した「あるある大事典2」は番組打ち切りが決まりましたが、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070123-00000119-jij-soci
決断が遅いという印象を受けました。役員の処分も案外軽いですね、制作会社の責任だって言わんばかり。
当初の記者会見でも「データを捏造したのは確かだが、納豆のダイエット効果はウソとは言えない」と弁解するなど、言い訳がましくて不愉快な対応でした。
みんなやってるくせに。バレない程度にうまくやればいいのに、と思っているのが私には透けてみえました。
過去の番組だって、私に言わせれば「やってないわけがない」。今回「だけ」こんな大胆なことをするはずがないです。まるきり捏造とは思わないにしてもテレビ局だってある程度の「いじり」は承知していたと思います。

私はこの番組をよく知らないのですが、花王の単一スポンサーだったようですね。花王はスポンサーを降りることをサッサと決めて、番組打ち切りより先に昨日発表しています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070122-00000106-yom-ent
世論を考えればもっともな方針決定で、テレビ局は自分たちのしたことの大きさを思い知るべきですね。
花王からしたらイメージダウンもはなはだしい、恥ずかしい事件だと思います。
水中毒で死者が出たのは無知からだろうけれど、こっちは死者こそ出ないけどもっと悪質。視聴者を欺いて怒らせ、関係ない人にまで「テレビってそこまでデタラメなのか、眉唾ばかりなのか」とあきれさせ、そんな番組に巨額の制作費を提供して来た花王はいい面の皮です。

制作側としては「納豆が身体にいいのは事実。納豆キナーゼに血栓を溶かす効果があるのは証明されている。安いものだし、食べるのは悪いことではない。ちょっとぐらい大げさにしてもいいじゃないか」という安易な考えがあったかもしれませんね。
でも、視聴者が怒っているのは「騙されて納豆を買わされた」からではない。テレビ報道に対する信頼が根本から裏切られたからだと思います。
お見合いの釣書に全く別人の写真や履歴書を使われたら。なんてスバラシイ人だろうとときめいてお見合いの席に臨んだら、写真とは全然似ても似つかぬ人が目の前にいたとすれば、こちらは激怒すると思います。釣書を持って来た人とは絶交しても当然でしょう。それと同じようなことではないでしょうか。

「ごめ〜ん、気に入らなかった? 性格はいい人なんだけどなあ。今度はホントに選り抜きの人を紹介するわよ、信用して」……出来ますかって、そんなこと。二度と気を許しませんよ、<わざと>ならね。 
誰の発言だったか忘れましたが、先日テレビでNHKは仕事がしやすいと言ってました。民放だとスポンサー以外の同業他社のものを番組で使うわけにいかないから、って。
もともとそういうしばりもあるのだし、番組制作には細心の注意が必要なはず。下請け孫請けが作った番組なら尚更、二重三重のチェックを経てから放映するべきです。捏造があったらその時点でわかりそうなものだし、わからなければならないと思います。

不二家もそうですが、企業と一般大衆とにはかなりの認識のずれがあるなあと思います。
そういう不祥事を招いた構造的な問題について、切羽詰まった危機感が欠落して見えます。とりあえず社長の首を入れ替えるぐらいで(創業家じゃないって言っても生え抜きだし)、いったい誰が納得出来るんでしょうか。
バレたからしぶしぶ謝っている感じ。「はいはい、悪かったですよ、社長が辞めてあげるから勘弁してね」と軽く言われているような不愉快さが残ります。
賞味期限を過ぎた牛乳を使ったから怒ってるんじゃないですよ。もっと前に別の問題があったことを知ったのに「雪印みたいになったら大変だから」って隠して「学習」をせず、同じようなことを続けて食中毒も出した。
これが食品会社のやることですか、「少しぐらい平気、たいしたことない。バレなきゃオッケー」って思ってるからこその行動でしょ。

きょう卸売り市場の小売りコーナーに寄ったら、お菓子屋さんで不二家のホームパイを売ってました。特に投げ売りでもなかったですね、影響を受けないところもあるんだとペコちゃんのイラストをまじまじと見てしまいました。
不二家のレストランが営業を再開したらしいのも見かけました。でも客足は戻らないでしょうねえ。さんざん嫌味も言われそうだけど営業せざるを得ない、フランチャイズの店主が気の毒です。
テレビ局も不二家も、庶民の目でものを見てシビアに進言する、認識に「ずれ」のない人を役員に迎えて、本気で改革してほしいものです。吉永みち子さんは忙しすぎないかなあ。
(一般大衆と私に認識のずれがないか、一抹の不安……)
posted by dashi at 21:43| Comment(6) | TrackBack(0) | 社会問題

2007年01月22日

防災グッズ

最近とみに固有名詞が出て来なくなった私。
「あの人なんて言ったっけ、日本人の質問に出てた落語家」と娘に聞いたら、「文珍さんでしょ、桂文珍」と答えたあとクスクス笑って「冷え性の人」。娘もあのエピソードを覚えていたとみえます。
阪神大震災のときのインタビューで、文珍さんは家が壊れて瓦礫の中を逃げたと話していました。足を怪我しなかったですか、と聞かれて「アタシはすごい冷え性なんですわ、だから靴下何枚も重ねてはいて寝るんですよ、それがよかったですね」というようなことを話されていた記憶があります。あの時のテレビを娘も一緒に見ていたのでしょう。
底のぶ厚いスリッパを防災用に常備しておくといい、と聞きます。私も昨年の地震のときは大きなガラス窓の前にいたので、すぐスリッパをはきに立ったものでした。実際役に立ちそうではありますね。

コープこうべが制作した「こうべからのメッセージ」、阪神・淡路大震災時に家庭で役に立ったグッズBEST20では、トップは懐中電灯。2位が食料品、3位がラップです。
ラップは紙皿にかけると、洗わなくても皿を何度でも使える。手が汚れていてもラップ越しに食料をつかんで食べられるなど、水が貴重な時の食事には活躍しそうですね。
またケガした時にぎゅっと巻いて止血したり、不潔にならないよう傷口を保護する用途にも使えそうです。
ケガと言えば、止血に便利なのが生理用ナプキンだそうです。清潔に個別包装されているし、吸水という点では文句なし。生理中に足りないととても困るでしょうし、ほかの用途でも重宝するのだから、薄型タイプを防災袋に追加しておくといいかもしれません。

このBEST20で6位に入っているのがトイレットペーパーです。
本来の用途に使うのは当然としても、洗濯が出来ないような時に使い捨ての雑巾やタオル代わりにも重宝するんじゃないでしょうか。少し単価の高い、高級品をストックしておくとよさそうですね。ティッシュペーパーより嵩張らなくていいと思います。
ビニール袋(4位)は段ボールにかけて簡易トイレにも使えるそうです。
10位の小銭は公衆電話用かなと思いましたが、今は公衆電話自体少ないですね。
20位に帽子とあります。これはスリッパと同様(頭の)保護のためでしょうか。

市川市・手をつなぐ親の会防災マニュアルに「意外と役に立ったもの」というページがあって、なるほど〜これはいいと思ったのでご紹介したいと思います。
※家族の写真……万一、家族がバラバラになった時、探してもらうための重要な「てがかり」。
※業務用ゴミ袋……本来の使い方のほか、寒さや風雨をしのぐ即席ポンチョにもなる。
※マスク……有害な粉塵よけ。液状化現象が起こった後には乾燥すると細かい砂が吹雪のように舞う。
※ガムテープ……飛び散ったガラスの始末、ヒビの入ったガラスの応急処置、ものをまとめる、止血など、あらゆる場面で大活躍。

備えあれば憂いなし。
何ごとも起こらず、防災袋の中身が無駄になるくらいの方がありがたいですね。
息子の養護学校では、9月1日(防災の日)に防災訓練をして、その日の給食に備蓄している非常食料を食べている(新しいものと入れ替える)ようです。非常食も乾パンばかりでなくて最近のはだいぶ美味しくなったそうですね。カップ麺は食器も不要だし、水だけで加熱出来るパックも開発されて便利になったようです。http://item.rakuten.co.jp/e-rescue/l073/
あれもこれもと詰め込みすぎて、いざという時防災袋が重くて持てなかったらどうしよう。
posted by dashi at 23:02| Comment(2) | TrackBack(0) | 興味津々

捏造

ここまで大胆に捏造すると、却って感心してしまいますね。
「これから放送する内容はフィクションです。こうあったらいいなという希望的観測の部分も含まれています」
と但し書き付で放映したら、ギャグと笑って済ませたのかしら。
関西テレビ「あるある大事典2」で、捏造「だけ」で番組がつくられていたことが判明しました。
http://www.excite.co.jp/News/society/20070120191400/20070121M40.027.html
納豆で痩せたという事実も架空なら、痩せた写真は全く無関係のもの。測定もしてないデータを捏造し、アメリカの学者の名前を勝手に謳う。まったく、やりたい放題。ウソのオンパレードです。
きのうの続きじゃないけど、ウソはいけません。閻魔様に舌を抜かれるぞ。

納豆がバカ売れして店頭から姿を消していたので、メーカーは増産の体制に入っているはず。納豆は仕込みから出荷まで10日ばかりかかるそうですから、あと数日分は大量に売れ残るのではないでしょうか。
普段は食べないけどダイエットのためにと、納豆を冷蔵庫に買い貯めた一般視聴者はどうなる。
納豆は安いからいくらかマシですが、それでも「騙された! カネ返せ!」と怒り心頭の人も多いでしょう。
子会社や下請けに制作を任せて、どーせ制作費はピンハネする上にろくにチェックもしてないんでしょうから、作る方としてはカネのかかる実験は省略したくなるんでしょうか。今回ばかりとは思えませんね。体質的に問題があるんでしょう。
それにしても全く、ヤラセや捏造って性懲りもなく繰り返されますね。
みなさん「川口探検隊」を連想しませんでしたか、合意の上(?)のヤラセ番組。普段見てなかった私がたまたま見た時は、ピラニアに掌を喰いちぎられて血だらけになるシーン、ぎょっとしました。

先日友人からこんな話を聞きました。
以前NHKテレビで紹介されて大反響を呼んだ(何度も再放送されたり続編も作られたりしたそうです)、ある作業所のケーキ作りの話。ダウン症ほか知的障害を持つ何人かの青年が、作業所の職員とともに無添加完全手作りのチーズケーキやクッキーを製造して販売、人気商品となっているそうです。
とにかくすごい美談仕立ての番組で、それを見た友人(ダウン症児の親)も「なんて素晴らしい作業所かしら。ウチの子もこんなところで働かせたい!」と感動し、うらやましさにため息をついたそうです。
ところがその作業所の事情に詳しい知人から電話が入り、「テレビを信じちゃダメ。あそこはいろいろと問題の多いところだけど、聞く耳を持たない。泣いてる人もいっぱいいるのよ」と教えてもらったというのです。
捏造やヤラセとは違うけど、実態とかけ離れたいいとこどりの番組だったようですね。
テレビ放映はどうしても提灯番組になりがち、一歩下がって見る目が必要なのかもしれません。

ところできょう、こんな話題を知りました。薬を使わない殺虫剤の発表資料です。
http://www.lion.co.jp/press/2007002.htm
人体に有害で臭いも気になる殺虫成分を使わず、氷点下40℃のスプレー(霧)で虫を瞬間凍死させるそうです。
これはスバラシイ、赤ちゃんの居る家庭でも安心して使えます、私も買おうと思いました。
これからCMや紹介が始まるのでしょうが、民放の番組なら、ほかの殺虫剤メーカーがスポンサーの場合は自粛するのかなあ、と考えてしまいました。
posted by dashi at 00:20| Comment(3) | TrackBack(0) | 社会問題

2007年01月21日

うそ

内心を押し隠して、いつもニコニコと笑顔の女の子がいました。先日書いたタイプCのような「じっと我慢の子」ではなくて、どんなに嫌いな相手にも笑顔で接することがごく自然に出来る才能に恵まれているようでした。(彼女のほかの家族もそんなタイプでした)
当然敵は作りません、誰からも好かれていたと思います。
一度気持ちよく人と別れたあとで、彼女が今別れたばかりの人のことを「あの人大っきらい」と小さくつぶやくのを耳にして、私は腰が抜けるほどびっくりしました。
彼女はまたすぐ笑顔に戻り、別の話を始めました。

彼女との付き合いが途絶えたのは、私が夫のウソを知って悩んでいたとき、彼女が私にひと呼吸置いたあとで「ウソも方便じゃない」って言ったから。ウソなんか聞き流せばいい。そしてウソでもいいから、夫にはいい顔だけを見せて仲良くすればいいのよ、と言われたからです。
そういうことは私には出来ない、と言いました。
お給料のためにふりまく営業スマイルは、それはそれで涙ぐましい訓練の結果で立派なスキルだと思うけど、夫婦や家族の中でウソを許すわけにはいかない。何でもかんでも洗いざらい話せない場合もあるかもしれないけど、それならひたすら沈黙するべきだ、と私は思います。

耳障りのいいウソで誤摩化して相手を喜ばせるのって、これ以上ない残酷な仕打ちに思えます。
「折れたタバコの吸い殻で あなたのウソがわかるのよ」と始まるヒット曲がありました。
歌の題は「うそ」。ほかにいい人が出来て、結婚する気もないくせに「花嫁衣装はどうするの 僕は着物が好きだな」などと優しいウソをつく男を悲しく見ている女の歌です。
「あんまり飲んではいけないよ 帰りの車も気をつけて 一人の身体じゃないんだから」というのも「うそ」。
1974年の歌ですがずいぶん流行りました、当時で100万枚売れたそうです。
よくあるような情景ですね。映画の一シーンみたいで、中条きよしという名とともに、強烈に印象に残りました。

息子の養護学校で知り合ったお母さんが、自分の娘(障害児の妹。小学生)はすぐウソをつくのよ、とへらへら笑いながら言った時には驚きました。「それを許すわけ? ウソをついちゃいけないって叱らないの?」と詰め寄りました。
「ウソをつかせない」、これは子どもの人格形成にあたって何より大事なことではないのでしょうか。自分の子がすぐウソをつくことを笑い話にするという神経が理解出来ませんでした。
その場にはほかにも何人かいましたが、みんな気にも留めない様子。よその子のことにムキになっているのは私一人で、あとは一人のお母さんが「そうねえ、私もウソをついたら叱るかなあ」と穏やかに笑っただけでした。

平気でウソをつく子は、「悪いことをしてはいけない」という定規を持たないまま成長すると思います。ゲーム感覚で万引きしたり、いい子のふりをして陰で陰湿ないじめをしたり、結婚後も浮気するんじゃないでしょうか。殺したあとに平然と偽装工作も。
「ウソは泥棒のはじまり」と言いますが、私はホントにそうだと思うのです。ウソは諸悪の根源。
賞味期限を無視して生菓子を製造したり、架空の事務所経費を税金から使ったり、重大な手抜き工事のマンションや道路を造ったり。戦争をふっかける口実にも使われました。
こんなことは「ウソをつけない」人間には出来ないことだ。「ウソをつかない子」ばかりならきっと世の中良くなる、子どものウソを許さない態度が大切、と思うのですが、どうでしょうか。
ウソも方便と笑っていいのは、しつこそうなセールスマンを「実家が同業ですから」と角を立てずに追い払うときぐらいだと思います。
posted by dashi at 00:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2007年01月19日

水中毒

アメリカの話ですが、まったくバカな企画をやったものです。
3人の子どものために賞品の「任天堂 Wii」をゲットしたい一心で、「水がぶ飲み大会」で無理をした若い母親が、水中毒のために亡くなりました。
http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070117-143430.html
水も異常に摂り過ぎると脳浮腫を起こすんですね。
時事通信の報道では、水中毒の危険性を警告する人がいたのに、司会者は「知ってるよ」「責任は負わなくていいんだ」と笑い飛ばした由。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070119-00000022-jij-int
水中毒の危険性を知らないで企画したのと、「危険を承知で署名して参加してるんだから自己責任」と言い放つのとでは、問われる罪状もかなり違って来るでしょう。これが事実だとすれば(放送された以上事実と思えますが)ラジオ局の重大な責任問題になるのは必至。いったい何人の首が飛ぶのか、深刻な事態に思えます。

水中毒というのは、腎臓の処理能力(1分に16ml)を超えるスピードで水分を摂り続けると、細胞が水膨れを起こし、低ナトリウム血症を起こすもの。腎臓がちょっとでも弱いと命取りになりそうですね。
無理しないでトイレに行ってさえいれば死ぬことはなかったわけですが、トイレに行くとリタイアになるため我慢した母親を、愚かと笑うことは出来ないと思います。
今回の事件で、これまであまり知られることのなかった水中毒について報道されることも増えました。
でも、飲み過ぎよりもっと身近で危険なのは脱水症状の方。インフルエンザなどで高熱出した子どもには「水」じゃなくて「ポカリスエットなどのスポーツ飲料がいい」と以前から言われていることが、常識になればいいなと思っています。
水中毒と言えば、このサイトに以前、水中毒で子どもが死にかけた(?)ことのあるお母さんが、体験談を書き込んで下さったことがあります。
http://dashisroom.seesaa.net/article/15580906.html
コメント欄の後ろの方です。

この方のように、水のがぶ飲みについては、自閉症児・者の中にはその心配をしなければならない子も少なくありません。「あるものを片付けたい」から、あるだけ飲む、空っぽになるまで飲む、となりがちです。
「空っぽにならない」水道の蛇口から出る水はどうかというと、笑い話のようだけど笑っちゃ悪いホントの話。
友人のところでは、ほっておくと果てしなく水を飲んでしまうため、台所の水道はナント流しの下の水栓を閉めているそうです(そこを操作してるのを見られないように用心)。
幸いにも「水は台所の水道で飲む」ことにこだわりがあるのか、ほかの洗面所やお風呂の水を飲むということはしないようです。
汗をかく夏場はともかく、トイレが近くなるので出先では困りますね。

ウチの息子はそこまで極端ではありませんが、ペットボトルの水やお茶だと一気に飲み干してしまいます。あまり水分を摂り過ぎるのもね、と喉が渇いてなくても私が少しもらって量を減らしたりしています。
レストランではコップの水を飲み干すので、何度も足しに来てくれるお姉さんに「もう注がないで」とお願いしたこともあります。でも料理に胡椒などドバッとかけたり、激辛ラーメン(私は辛いのはダメなので食べられない)を食べたりするので、ホントに水が欲しいのかもしれず見極めがつきません。
脱水状態の時に発作が起こりやすいと聞いてもいるので、水分は不足させたくないし、なかなか難しいです。
人生は試行錯誤。
posted by dashi at 21:16| Comment(8) | TrackBack(0) | 自閉症関連

2007年01月18日

障害者の犯罪

今年は年頭から猟奇的なバラバラ殺人が続き、しかも兄妹や「セレブな」夫婦だったりと、大衆誌が飛びつきそうな事件ばっかり。合間には不二家も入るし、記者は休む暇がないですね。どうせなら少し時期をずらして発生してくれれば……とぼやく声が聞こえそうです。
それにしても、歯学部を目指す受験生だったり、ハイソなお嬢様の犯罪だったりで、「何をするかわからな」くて怖いのは、決して知的障害者ばかりではないというのははっきりしたと思います。
いつだったか、子どもをマンションから投げ落として殺し、掃除のオバさんまで投げようとした(抵抗されて逃走)のは、理容師あがりのカーテン屋さんの店長でした。

きょう施設の見学会で会った障害児のお母さんが、
「犯人って障害者じゃないよね?」と身を乗り出しました。
「福祉作業所で働いている男」が幼児を歩道橋から投げ落とした事件のことです。被害者はほんとに気の毒なことでした。頭を強く打ったそうで、後遺症が残らないといいのですが。
私もうなずいて「実名が出てたよね。障害者なら出ないだろうし」。
「もう6回も事件起こして、罰を受けてるんだって」
それは知らなかったので驚きました。「そんなヤツをなんで野放しにしとくんだ」とみのもんたが怒ったそうですが、世論がそっちに行きそうで気になります。

夜になってニュースを聞いていると、今までも子どもを連れ回す(可愛がるの延長?)などの犯罪はあったけど、凶暴な事件を起こすようなことはなかった(から対応が甘かった)とのことでした。
作業所で焼いたパンを移動販売していたけれど、事件の直前に職員に叱責されて逆上した(?)という報道もあるようです。

「騒ぎを起こせば作業所をやめられると思った。子どもが死んでもかまわないと思った」
と供述したと報道されていましたが、ホントかなあとにわかに信じられない私です。そこまで計算して計画的に投げたとは思えないのですが。
この男、いわゆるボーダーなのか精神障害者なのか、または全くの健常者なのかわかりませんが、取り調べに対して言われたままに肯定したり、おうむ返しをしたり、適当に答えている可能性も大いにあると思うのです。
「死んでもかまわないと思った」のと思わなかったのでは、量刑がかなり違うはずです。人権派の弁護士さんがついて、公正な裁判が行われることを願っています。
障害者の犯罪については、書きたいこともありますが、また後日に。
posted by dashi at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 自閉症関連

事の軽重

夜帰宅した娘が「テレビは不二家のことばかり」とあきれていました。阪神大震災のことも「少しは言ってたけど」。
不二家を叩くのは簡単でフランチャイズ店の苦悩などドラマもあるだろうけど、そして、同じ食品界に警鐘の意味はあるのだろうけど、「やって当然」の品質管理を不二家はしてなかっただけ。社員合理化の弊害が出たというのは教訓になるにしても、社会的に見てそれほど大事な事件でしょうか。
きょう見ていたサイトに、阪神大震災復興に果たした日本人の勤勉さと優秀さについて書いてありました。
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=89954&pg=20070116
「結局、この国を支えているのは、無名の一般国民なのです。マスコミは、そういうことをもっと伝えて欲しいとおもいます。」
の一文のあと、この記事の最後に、
「バラバラ殺人の兄妹の話は、もういいです。一回聞けば分かります。
事の軽重を考えていただきたい」
と結んであって、そうだそうだと膝を叩きたくなりました。
最近は猟奇的な事件が続出するけど、「事の軽重」についてはもっと配慮がほしいと私も思います。

今朝の朝日新聞「声」の欄に、「無責任意見のブログに嫌気」と題した39歳会社員の声が掲載されていました。
「……無責任な書き込みが横行し、何が本当で何がウソなのか分からなくなり、ブログを読むことに嫌気を覚えた」そうです。最近は出来るだけ電話で連絡を取り、資料も足で集め、文書も手書き最優先、とのこと。
それはそれで結構なことだと思います。少なくとも「読めるけど書けない」漢字が増える心配が無くなる。パソコンだとパッと変換してくれるので漢字を忘れてしまう、というのはみんなよく口にしてますからね。
資料も足で集めて間に合うのなら、その方が大事に扱うと思います。
文書もよほどの悪筆でなければ、相手によっては手書きの方を喜ぶでしょう。年賀状なんて最近は宛名まで印刷されたものが増えましたしね、手書きの、毛筆だったら殊に歓迎されると思います。

しかし、無責任意見が横行しているのは何もブログに限らず、テレビや新聞、雑誌だって似たようなものです。
きょう出先で順番を待っている間に、置いてあった女性週刊誌に目を通しました。
向井亜紀の代理母「初めての独占告白」と表紙にあったので思わず「うそつけ……」とつぶやきながら読んでみると、見事に綺麗ごとばかり。よくもまあ、これだけ白々しいウソをでっち上げたものだと呆れました。
この代理母は、代理出産して間もない頃には、双児で帝王切開になって戸惑ったこと、自分も家族も動揺して、もう二度とやらないとインタビューに答えていたはずです。
http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/dairibo.htm
ところがこの女性、なんと3月には別の日本人の代理母となるそうです。そのための美談仕立てなのでしょう。
出産は命がけの大事業と思う私としては、代理母という職業(?)を無責任に称えるとんでもない記事だと思いました。

テレビや新聞でやらせが横行しているのは周知の事実。かの朝日新聞だって珊瑚に落書きという全く恥さらしのヤラセをしました。
タウンミーティングのように、書かれた台本に沿って茶番が繰り広げられるのは、記者会見や国会での応答もそうだと思います。議論の内容ではなく、会議がスムーズに運行するかどうかが重大事。税金を大事に使うことより、知事のご機嫌取りの方が優先する……。全く、無茶苦茶なことばかりです。
小泉サンのことをみんな悪く言うけど、私は少なくともだいぶ風通しをよくしてくれたと思っています。昔の自民党だったらゼッタイもみ消していた事件がだいぶ表に引きずり出されたのではないでしょうか。
ところが絶好の機会に民主党が自滅。マスコミはどうでもいいようなことばかりをセンセーショナルに報道し、結果的に自民党がこれだけ好き勝手にやるのを黙認しました。

閑話休題。無責任なブログも多いとは思います。荒らされて炎上するところもあります。かの巨大サイトのように、匿名をいいことに言いたい放題、罵詈雑言捏造のオンパレード、というところも少なくありません。
韓国北朝鮮や中国、ライブドアや宗教がらみの記事には、実生活で口にすると人格を疑われそうなことが平気で書き込まれています。
差別用語を羅列して障害者を侮辱した書き込みを私も以前目にして、落ち込んだこともあります。
でも、それはハッキリ言って「そんなところにアクセスするから悪い」のです。ごく常識的で良心的な、少しは読んでためになる「事の軽重をわきまえた」サイトを取捨選択して、お気に入りにすればいいことだと思います。
posted by dashi at 00:02| Comment(6) | TrackBack(1) | 社会問題

2007年01月16日

今年の目標

ぼやぼやしていたら、もう半月も過ぎてしまった。
きょう、年が明けて初めて食事をした友人と、今年は……と話をしました。
友人の方は、20年だか30年だかご無沙汰の、お琴をまた始めるそうです。一時は芸大の邦楽を希望していたこともあったくらい熱中していたものだそう。
私はほかにもありますが、実現可能な目標として今年はウィンドウズを使えるようになりたいな、と考えています。

人権派の弁護士さん(だと思う)のブログを読んでいると、行が飛んでいることがよくあります。これまでは、忙しい人だから大急ぎで打ってタイプミスも多いのだろうと失礼なことを思っていました。
ところがIEでなくSafariで見るときれいに表示されているのを発見。ウチのPCがMacなので、IEだと不具合が出ていたようです。
娘がウィンドウズのPCを持っているのでちょっと貸してもらって実験しました。
これまで表示出来なかったサイトや添付ファイルも即座に見ることが出来る。読み込みに時間がかかって不安定だったサイトにも、すぐアクセス出来ます。

これまでメールの添付ファイルが開けないとか、少し崩れて表示されるなどの問題はずっと我慢して来ました。
娘たちがデザインを勉強するためにMacを使い始め、買い替えながらわが家はずっとMacひとすじでした。
Macでは一般就職の役に立たない、と一大決心をした娘がウィンドウズを自分で買い、不要になったまだ新しかったMac OSXが私専用になって一年余り。
Air Macにウィンドウズも対応するようになったので、実に助かります。
Macでもブログの更新には十分だけど、いろいろストレスもたまります。一番困るのが、図書館のPCで調べものをするのにまごつくことですね。Macなら出来るのに、とイライラします。
(少ししかないけど、足りる!)ホームヘルパーで稼いだ金で買うぞ! と決心。注文しました。

というわけで、これまでコメントしようとするとバグっていたサイトにも、文字化けして書き込めなかったサイトにも、出現するつもり。これまで見れなかったページも閲覧出来る。うきうき。
息子用のゲーム(数が圧倒的に多い)をDL出来るのも嬉しいです。私がハマらないように気をつけよう。
それにウィンドウズなら、わからないところを教えてくれる人が周囲にたくさんいそうです。
ちゃんと勉強して、ワードとエクセルぐらいは使えるようになりたいと思っています。
……ほんのサワリだけでいいから。
posted by dashi at 23:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2007年01月15日

品格

一年ぐらい前のサイトに「『国家の品格』という本がよく売れている」と書いてあるのを見かけました。
そういえばそんなこともありましたね。本屋さんでもたくさん平積みになっていました(もしかして今も?)。新書版で値段も手頃だし(714円)ハードカバーほどかさばらないので、通勤通学時に読むにはぴったりだったかもしれません。
品格という言葉はふだんあまり耳にしませんが、広辞苑によると(2)品位。気品。「ーのある女性」と説明があります。
それまでなじみがなくても、品格と聞いてなんとなくそういう気配を感じ取れる、そんな日本語だと思います。
反対の言葉をと考えると、下品(上品と気品はちょっと違うような気もしますが)、はしたない、といった感じでしょうか。

私としては、「武士は喰わねど高楊枝」とやせ我慢して、武士の矜持を守る姿にも品格が感じられると思います。
著者の藤原正彦氏は新渡戸稲造の「武士道」を引き合いに出して、「惻隠の情」「もののあはれ」を論じられました。武士道と聞いただけで、この本を右翼傾向と勘違いして批判する人もかなりあったようです。
私はナナメ読みしただけですが、至極まっとうなことを言ってある真面目な本だと思いました。
国家の品格が崩れている時代だから、それを嘆く人やこれからを模索する若い人にも読まれたのかもしれません、ベストセラーになって流行語大賞ももらったんじゃなかったでしょうか。
でも開いた口がふさがらない事件が続出の現在、日本は品格のある国家になったかと聞かれると、苦笑いが出そうですね。

それにしても、いったいいつから日本人、ことに女性が品格なんてものを捨て去り、これほど厚顔無恥(スケベ)になったのか、とため息が出る思いがするのは「愛ルケ」公開の報道に接したからです。
男性の眼を気にせずに映画を楽しめるよう、男性入場禁止の上映をしたら大好評だったというニュース。
http://movies.yahoo.co.jp/m2?ty=nd&id=20070114-00000028-dal-ent
人目が気になるような映画なら、知る人もいないような遠くの映画館に行ってコッソリ見るとか、DVDになるのを待ってナイショで見るとか、その程度の慎みを期待するのって間違っているでしょうか。
第一、それって「ポルノ、アダルト映画」じゃないんですか。
自分の年頃の息子や娘が見ると言っても、影響を受けても、平気ですか? 娘が不倫しても、きれいになれば許すんですか?

ずいぶん昔のことになりますが、男友達(恋人ではない)二人に誘われて映画を見に行ったら、それがナント「エマニエル夫人」。映像は美しく音楽もよかったらしいですが、なにせ「奔放な」「官能的」「ソフトポルノ」と形容がつく一般映画です。籐椅子にハダカで座って足を開くとぱあっとボカシが入りました。
田舎のオクテな女の子だった私はびっくり仰天、何がなんだかわかりませんでした。目のやり場に困って横を向くと、友人と目が合ってバツが悪い。あわてて反対を向くともう一人の友人と。
とても困って、結局途中で出たのを覚えています。友人たちも話題になった映画の券をもらったから見ようとしただけで、内容についてはよく知らなかった。私をからかうとか、困らせるといった意図はなかったようでした。

そのあと、今度は故意犯(?)の友だちに「愛のコリーダ」を見せられ、気分が悪くなりました。
あんな映画のどこがいいのか、経費をかけて映画を作る価値がなぜあるのか、さっぱり理解出来ませんでした。不潔でただ嫌悪感を覚えただけでした。
阿部定事件をモデルにした実話ですから、面白可笑しく波瀾万丈には出来なかったのかもしれないけど、なぜあれほど話題になったのか(初のヘアヌードだったからでしょうか)今でもわかりません。
お好きな人はポルノでもアダルトでも好きなだけご覧になればよろしい。それで若い子や変質者が犯罪に走るとしても、法規制を守って作られたものなら、(いいとは言いませんが)それは表現の自由の範疇。本人や保護者の責任の範囲のことだと思います。あまりに野放しすぎるように私としては思いますけどね。
そして一線を画して、誰でも見るような一般の映画に紛れ込まないでほしい。

閑話休題。
痴話、という文字が示すように、下ネタは羞恥心とともに存在するもので大っぴらに話すものではない、漫才などでもちらっと触る程度。そういう合意が社会にはあったと思います。不倫を堂々と公開するなんてもってのほかです。
不倫がばれて番組を降ろされたアナウンサーが謹慎期間もろくに置かずすぐ復帰したり、過去の男性遍歴を平気で暴露する勘違い女など、いったい日本はどうなるのだ、タブーもない世の中でどうやって子どもを育てるつもりか、と嘆きたくなります。
なんの恥じらいもなく朝刊にポルノ小説を連載させた大手新聞社にも、それを書く有名小説家(前にも同じようなことがありました。儲かって味をしめましたか)にも、なんの抵抗もなく映画出演をする有名な女優母娘にも、そして「男禁シアターで生唾を呑む」女性たちにも、あなたたちには人間としての品格はないのかと聞きたいです。
posted by dashi at 23:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会問題

2007年01月14日

成人の集い

きょう、いつものように掃除のあと息子をボーリングに連れて行ったところ、駐車場があふれるくらいの人出。いったい何ごとかと思ったら、ホールで障害者団体連合の「成人を祝う集い」が開かれていたのでした。
いわば障害者向けのもう一つの成人式ですね。
障害者にも分け隔てなく成人式の招待状は届くので、一般の人と一緒に自治体の成人式に出る人ももちろんいます。養護学校ではなくて地元の特殊学級(個別支援学級)に通った子なら、健常児の友だちと一緒に出るのが普通かもしれません。
でもこちらは車椅子が邪魔者扱いされず、手話通訳が待機(たぶん)している施設での成人式。もし奇声をあげたり走り回ったりするとしてもあまり気にならないのは、親としては気兼ねがなくてホッとすると思います。

式の様子は見てないのでわかりませんが、一般の式のように延々と祝辞やお偉いさんの説教(?)が続くこともないだろうと思います。その点でも親は助かりますね。
遠い昔の自分の成人式を思い出すと、着慣れない和服を着て窮屈な上に寒くて(膝にショールを置いてましたが小さくて……)、早く終わらないかなあとばかり考えていたのを覚えています。
式が終わったあとは中学校の同窓会をすることになっていたので(小さい自治体なので中学校も一つしかありませんでした。今は平成の大合併で市になってますけどね)、そのことに気を取られていました。
式では残念ながら心に残るようなセリフのひとつも聞けませんでした。記念品を何かもらったはずですが、全く記憶にありません。

きょうは息子の学校の、上のクラスの先生が付き添いでいらしていて、息子に声をかけてくれました。この先生のクラスの子は今年が成人式で、春には卒業です。
もう終了したらしい受付に友人(同じ自閉症関係の団体所属)の顔が見えたので、寄って立ち話しました。彼女のところは昨年が成人式で、前年に出席したお母さんが順繰りにお手伝いすることになっているそうです。
私のところは来年ですから、再来年は受付を手伝うことになるのかもしれません。
友人と話していたら、久しぶりに会う知人(一緒に活動していた同志)も通りがかって旧交を温めました。
立ち話をしていた15分くらいの間、息子はそばでポケッと天井を眺めながら時々姿勢を変えて待っていてくれました。

ボーリングの順番を待ちながら見ていたら、式が終わって正装した親子連れがどっと出て来ました。
普通の成人式には親は出ないでしょうから、やはり「よくぞここまで育ってくれた」と感慨深いものがあるんじゃないかと思いました。
スーツに、男ならネクタイが多かったけど、羽織袴や振り袖姿の女性も見かけました。髪も華やかに結ってあるのが遠くからも目立ちました。
友人二人の子どもたちにも偶然会いましたが、ピシッとスーツで決めていると有能なサラリーマンという感じです。自閉症らしい端正な顔をちょっと緊張させていました。

来年はウチの息子もいよいよ成人。髭もちゃんと剃って、オトナっぽい髪型で、カッコ良く決めたいものです。隣の私が引き立て役、かな。
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2007年01月13日

ペコちゃんが泣く

きょうの朝日新聞の社説「ペコちゃんが泣いている」、タイトルに共感を覚えて読みました。
経済面でも今後の経営を危ぶんだり、オピニオンのページでは雪印の社外取締役(元全国消費者団体連絡会事務局長)の日和佐信子氏が論評するなど、不二家関係にはかなりの紙面を割いてあります。ほかの新聞でも似たようなものではないでしょうか。
日和佐氏の文章にもありますが、今回の不二家の報道を聞いて「雪印に何も学ばなかったのだろうか?」と驚いたりあきれたり、激怒した人も多かったと思います。

私はケーキの材料にはなるべく雪印のバターを使いたいので、安くなっているとまとめ買いをします。雪印のバターで焼くと格段に美味しいんですよ、実際。同じことを友人も言っていました。
品質が確かだからコアなファンもいる一方、雪印の製品は絶対買わない、という人は今でも多いそうです。
6000人いた社員は1500人に減り、食品界の大部分から撤退しました。
品質管理がちゃんとしていれば、食べ物を扱うという責任感や使命感があれば、ごく初期の段階で解決出来た問題でした。なければどうなるのか、どんな大きな企業でもあっけなく倒れてしまうという教訓を、不二家はどうして我がこととして受け止めなかったのでしょうね。

長年そうやって来てたんだなあと誰だって思います。
私がニュースを聞いて驚いたのは、期限切れの牛乳を使ったのが「パート」社員だったということでした。パートの判断に任せてたんでしょうか、現場の責任者(社員)はどこで何をしてるんでしょうね?
ずいぶんずさんな品質管理だったんですね。
そんなことを知ってからも、わざわざ不二家のお菓子を買うのって、ねえ。もともとミルキーは歯に悪いからって敬遠気味みたいだし、カントリーマアムじゃなきゃイヤだ、とか、ルックチョコ「が」食べたい、という人だけを相手に生き延びるのは苦しそうに思えます。

ケーキについては尚更。
昔娘の誕生日に不二家のバースディケーキを買ったら、全く不人気で大量に残ったことを思い出します。マーガリンやショートニングを多用してコスト(と味)を落としたケーキだと思いました。
こういうものにはトランス脂肪酸が多く含まれますが、トランス脂肪酸が人体に有害なのはもうずっと前から指摘されていることです。
今は世界的にトランス脂肪酸締め出しの風潮があり、ニューヨークでは外食産業に使用が禁止されるとのこと。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20061206ik07.htm
ショートニングを使った、高級感で勝負をしない不二家のケーキは淘汰される運命だと思います。

賞味期限を一日過ぎた牛乳ぐらいなら私も平気で使いますが、細菌が基準の10倍もあるのを「うっかり」出荷した、というのは許せないですね。それを自分の子に平気で食べさせられるんでしょうかね。
もしかして不二家の社員やその身内には免疫がたっぷりで、ノロウィルスにも負けない身体とか? それはそれでいいような気もするけど。
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2007年01月12日

タイプA、B、C

きのう書いた「微笑みうつ病」の話です。

笑うと免疫力がアップする、ガンになりにくくなるというのは数年前かなりの話題になりました。
大阪・ミナミの「なんばグランド花月」で、吉本興業の芸人たちの漫才や落語、新喜劇を鑑賞した人に血液検査を行ったところ、リンパ球の中のNK(ナチュラルキラー)細胞※の活性化が18人中14人に確認されたそうです。
結論を出すには被験者(サンプル)の数が少なすぎるんじゃないのかなと個人的には思いますが、思い切り笑ってすっきりしたという経験は誰にもあるんじゃないでしょうか。身体には確かに良さそうな気がします。

※NK細胞について。
NK細胞については、発見自体が1975年とまだ日が浅く、まだまだ研究途上ということです。
白血球は単球(マクロファージ)、リンパ球、顆粒球(好中球、好酸球、好塩基球)と分けられ、さらにリンパ球の中にT細胞、B細胞、そしてNK細胞があります。
T細胞、B細胞が抗原で刺激されて初めて働くのと異なり、NK細胞は常に体内を独自にパトロール。ガン細胞やウィルス感染細胞を見つけるとただちに殺してしまう性質を持っています。ことに腫瘍に対しては抜群の威力を発揮するそうです。
健康な人の体内では毎日数千個のガン細胞が生まれ、NK細胞などの免疫機構がすぐ摘み取ってくれているのだそうです。加齢とともにNK細胞の活性は衰えるので、老いると自然治癒できずに病気が増えるのだということです。
そしてNK細胞を活性化させる行為がストレス解消で、笑うのもそうですが、スポーツでも音楽でも「自分の好きなことをやる」のが一番いいそうです。また、森林浴をするとNK細胞が20%以上も活性化するという実験結果もあるようです。

いつもニコニコ明るくしている人、それが地ならもちろん申し分ないことです。が、自分の本心を押さえ込んで常に無理しているとしたら問題。ストレスを深めて免疫力を低下させます。
ことに神経質な人は楽観的な人よりもストレスを強く感じ、ホルモン分泌や自律神経に影響して抑うつや絶望感などに陥りやすい。ひどくなると「微笑みうつ病」になってしまうそうす。
いつも笑顔で、怒りなどの否定的な感情は我慢強く押し殺す、真面目で几帳面な傾向の強い人は、慢性的にストレスにさらされ続けてガンになりやすい。「自分の好きでないことを常にやっている」状態だからNK細胞は活性化されず、ガン細胞が勢いづくというわけです。
こういうタイプは、以前から言われていたタイプA、タイプBに対してタイプCと呼ばれるようになりました。

タイプA、Bというのは、アメリカの循環器系学者M・フリードマンとR・ローゼンマンが、1959年に性格と虚血性心疾患(狭心症や心筋梗塞など)の関わりに着目して調査、提唱したもの。日本には1990年代に広く紹介されたようです。
虚血性心疾患を起こしやすいグループをタイプA、それと反対のグループをタイプBとしました。
タイプAのAはAggressive(攻撃的)の頭文字。精力的で野心的、目立ちたがりで出世欲が強い、働き者でせっかち、几帳面で責任感が強いといった特徴があるようですから、いわゆるやり手ですね。
こういう人は食事も大量に素早く食べ、ステーキなど高カロリーのものを好みそうな印象も受けます。
常にストレスの多い生活を苦にしない傾向がありますから、血圧が上がる、脈拍が増えるなど循環器系に負担がかかり続けて、心臓疾患の発症に関係してくると考えられています。
心疾患は、逆のタイプのBの倍以上も多く、高血圧、高脂血症も多いそうです。

タイプBはAの反対にあくせくせずにマイペース、気持ちにゆとりのある非攻撃的な性格傾向を持つ人。
社会的にはタイプAの人ほど成功しないように見えても、体調を壊さないで好きなことで人生を楽しめる分、幸せだと思います。
好きで突っ走るAはともかく、じっと我慢して「微笑みうつ病」やガンになりやすいタイプCが一番カワイソウですね。
タイプを判定するチェックリスト(AかBだけ)があったので、私もやってみました。
http://www-cis.fukushima-nct.ac.jp/〜mh/c/part_ca.htm
たいして忙しくもないせいかタイプBと出て、そんなもんかなと思いました。歳を取ってだいぶ悟り(諦め?)が出て来たから。でも解説の中の「ゆっくり歩く」というのは完璧ハズレ、たいていは人を追い抜きながらせかせかと歩いています。
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2007年01月11日

無財の七施

この冬休みはどう過ごしましたか、と息子の学校から聞かれました。
ほかに息子を連れて行くところもないので……なんて言うと神仏に叱られそうですが、近場の神社やお寺をあちこち回りました(鎌倉・鶴岡八幡宮の帰りに江の電に乗って、ミニ旅行気分を味わったことは前に書きました)。どこもお正月の前後ということもあってきれいに整備され、飾り付けが行き届いて歩くのも気持ちのいいところでした。
3日午後に鶴見の曹洞宗大本山・総持寺に初詣に行ったら、門前市をなすの賑わい。大行列のため参拝はあきらめて、脇の方でちょっと手を合わせたり、階段を上って道路の向かい側にあるお稲荷さんにお参りしたりしました。
ビーズに極小サイズの七福神を通した可愛いお守りストラップが売ってあったので、記念に一つ買いました。

私は特に信仰のない人間なので宗派を問わずどこにでも行きますが、両親は(形だけとは言え)毎日仏壇に手を合せていた浄土真宗の門徒です。
昨秋の父の葬儀の折り、ずいぶん久しぶりにお坊様の説教を拝聴しました。そのとき、宗教というのはどれを信じていても目指すところはみな同じ。一つの山を登るのにいくつもの道があるようなもので、たどり着く頂上は一緒のところだ、というお話がありました。
なかなか寛容な宗教だと思います、異教徒の存在を否定しないわけですからね。
母がまだ元気な頃同じようなことを言っていたなと思い出して、お寺様の庶民の間での指導的、教育的役割というものについて、ちょっと考えたりしました。
おとなしく足るを知って勤勉に働き、他人には寛容で家庭を大事にしておれば、世の中は平和で、大多数の人はそこそこ幸せになるのかもしれません。

ところで、お参りする時はお賽銭(私はわずかです)を投げ込みますが、賽銭を願を叶えてもらうことの対価として考えるのは間違い。喜捨、報捨というお賽銭でなければ、本当の信心ではなくて取引となってしまうそうです。
喜捨:進んで寺社に寄進し、または貧しい人に施しをすること。
報捨(広辞苑では報謝):仏事を修した僧や巡礼に布施物をおくること。また、神仏への報恩のため、慈善をなし、金品を施すこと。
……と広辞苑には解説があります。喜捨と報捨はどう違うのかよくわかりませんが、いずれにせよ「進んで」「喜んで」寄進するのが重要みたいですね。
お布施(僧に対する寄進)はお釈迦様の教えを見聞させていただいた喜びを形に表すものであって、お経に対する「謝礼」や「報酬」ではない。お賽銭にも、功利的な期待をしてはいけないということのようです。

お布施が喜びを形に表すものなら、何も金銭や物品である必要はない。持てる物が何もない人にも出来る「無財の七施」という教えがあります。

和顔施(わがんせ)  なごやかな顔で接する行為(あなたのお蔭で幸せ、という表情)
眼施 (がんせ)   優しいまなざしで接する
言施 (ごんせ)   やさしい言葉をかける(愛語施、言辞施とも)
心施 (しんせ)   思いやりをかける、慈悲の心で祈る
身施 (しんせ)   自分の身体で奉仕する
床座施(しょうざせ) 人に席を譲ったり、自分の地位を譲って悔いない
房舎施(ぼうしゃせ) わが家(雨露しのげる場所)を人のために提供する

うーん、たしかに手持ちがなくても心がけ次第で出来そうなことばかりです。
和顔施というのは瀬戸内寂聴さんが好んで口にされる言葉だそうですが、つまり「スマイル!」ってことですね。
柔らかな笑顔が自然にこぼれる人は誰にも好かれて周囲を和やかにしてくれそう。何よりの「施(し。「せ」は慣用音だそうです)」と言えそうですね。
ただ、心からの微笑みであることが大切で、無理に作った笑顔ではだめ。無理が過ぎると「微笑みうつ病」になってしまうそうです。この項についてはまた後日に。  
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2007年01月10日

ブーバ/キキ効果

きのうの続きです。
日経サイエンス2月号「特集:ミラーニューロンと自閉症」の中にこんな話があって興味深く読みました。
「ブーバ/キキ効果」というものですが、心理学者のケーラーという人が60年以上も前に発見した法則なので、一部の人にとっては常識かもしれません。
2つの図形があります。片方は丸みを帯びた曲線で囲まれ、もう一方は鋭く尖ったギザギザの線で囲まれた図形です。
これを見てもらい、「この2つはブーバとキキというが、どちらがブーバか」と訊ねます。すると回答者の母国語に関係なく、98%の人が<曲線で囲まれた図形>をブーバ、<ギザギザの線で囲まれた図形>をキキと答えるそうです。

ヒトの脳には、形や音から抽象的特徴を抽出する能力があるらしい。
トゲトゲの形とキキという鋭い音(口を横に引っぱり喉を閉じてやっと出せる音)に共通して認識できるものがあるのだろうと推察されます。
そして、自閉症の子どもで実験したところ、98%の人がするように即座にギザギザ=キキと決定できなかったそうです。
脳の中の、視覚と聴覚(そして触覚)の中枢の交差するところにある角回という領域、ここではミラーニューロンに似た性質が確認されてもいるそうです。
脳のこの領域に損傷を持つ人(自閉症ではない)を対象に研究すると、ブーバ/キキのテストに失敗し、自閉症者と同じように隠喩(手を貸して、の意味するところが判らないなど)が通じにくい傾向が見られたということです。
やはり、今の科学はかなり自閉症の原因に迫っているような印象を受けました。

ところでこれは日経サイエンスとは離れますが、知り合いの自閉症者(アスペルガー)の人が「音に色がついている」と言うのを聞いたことがあります。
苦手な音だと、聴覚ばかりでなく視覚的にも猛烈な刺激となって苦しいそうです。
一人だけなら個性とも思えますが、その場にもう一人アスペの人がいて、「そうだよね〜」と深く共感していました。本人たちにとっては当たり前の情景のようでした。
ブーバ/キキの実験では98%の人は視覚と聴覚がクロスして普遍的(絶対的多数派)なものを認識するわけですが、自閉症の人はクロスの具合(角回の機能?)が他の人と違うのかもしれませんね。

もちろん、情緒的なものは人それぞれですから、音に色がついて(形が見えて)聞こえる人イコール自閉症と言っているつもりはありませんよ。そういう人、芸術家にはけっこういるようです。あまり珍しくないのかもしれません。
一つの物理的刺激が別の感覚を誘発するのが共感覚(Synesthesia)。
音を聞くと色が見えたり、味から物の形が感じられるようなことを指します。そして、こういう人は2000人に1人の割で遺伝的に存在し、女性が男性の6倍ということです。
また色聴(Colored-Hearing)は音を聴くと色が見えるもので、ナボコフ、コルサコフの二人の作曲家がそうだということです。なお、この色彩は個人の中では決まっていますが、他人との共通性が見られないそうです。なかなか面白いですね。
posted by dashi at 21:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 自閉症関連

2007年01月09日

自閉症の原因

「特集・ミラーニューロンと自閉症」
この表紙を見ては買わずにおれませんでした、日経サイエンス2月号。1400円という価格に一瞬たじろいだものの、気を取り直してすぐレジに向かいました。
最近は難しいものを読んでいるとすぐ眠くなってしまう私ですが、しっかり勉強して元を取らなきゃ。サイエンスと聞くだけで構えてしまいますが、案外やさしく書いてあって私にも読めそうです。
とりあえず「自閉症の原因に迫る」の項だけは一気に読みました。

カリフォルニア大学サンディエゴ校のV.S.ラマチャンドラン、L.M.オバーマン両氏の論文(原題は、Broken Mirrors:A Theory of Autism)。アメリカで昨年秋に発表されたものを翻訳してあるようです。最先端の研究であることは異論がないところだと思います。
結論として、「ミラーニューロンの機能不全が自閉症の一因である。そして『突出風景』を描くプロセスに歪みがある」という仮設に立てば、矛盾は生じないそうです。
ミラーニューロンとは何か、突出風景とは何か、と当然続けなければなりませんね。
ミラーニューロンについてはこちらをどうぞ。
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/34/index-34.html

突出風景は、自信ないですが、「感情的重要性の知覚」と言えばいいでしょうか。
私たちは膨大な情報の中から感情的にピックアップした反応をしている(強盗に遭うと恐怖を感じ、取るに足りないものには無関心でいるなど)。自閉症の子はそれが上手く出来ないから、些細な事柄に執着したり、「自律神経系の嵐」(いわゆるパニック?)を引き起こしたりする。
それは脳の連絡に問題があるということのようです。視覚野と扁桃体の間の連絡、大脳辺縁系と前頭葉との間の連絡の2つのルートが考えられるとのこと。
そしてどうしてそうなったかというのに、側頭葉てんかんとの関連が示唆されています。

いずれにせよ、脳の中のどの部分を活性化すればいいのか、かなり絞り込めて来たような印象を受けます。今は脳波検査装置やMRIなどを活用すれば頭の中の働きも(開かなくても)視覚的にも捕えられて、実験もやりやすそうですね。
どこに問題があるのかがわかれば対処法を考えることが出来ます。
最近の研究では、まだ幼いうちからそれなりの訓練を受けさせることで、改善できる可能性が見えて来たようです。母親の妊娠初期にダメージを受けた、若い脳の可塑性に期待できるということかなと私なりに思っています。
まだ子どもが小さい人にとっては、大いに希望の持てる研究ではないでしょうか。ご一読をお勧めします。
posted by dashi at 23:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 自閉症関連

2007年01月08日

ホーキング、宇宙へ

「車椅子の物理学者」として知られるホーキング博士が、宇宙旅行を実現するかもしれません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070108-00000026-jij-ent
きょう1月8日は博士の65歳の誕生日だそうで、記念のインタビューで「今年はゼロ重力飛行を経験し、2009年に宇宙へ行くことを計画している」と語ったそうです。
廉価な宇宙旅行事業を計画中の、ヴァージン・グループの総帥がスポンサーになるそうですから、あながち夢物語ではなさそうですね。

博士は22歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断されました。
ALSは治療しなければ発症から3〜5年で亡くなる難病ですが、この病気は経過の個人差が大きく、20%は10年以上生存するそうです。
それにしてももう40余年となる博士の場合はかなり例外的に進行が遅いようで、対応が極めて良かったのかもしれませんね。ALSの診断自体に異論を唱える人もあるようです。
診断のあと結婚して子どもも3人生まれていますから、写真から受ける華奢な印象より元気な人なのでしょうか。宇宙旅行というと強靭な体力という条件があったと思うので、(カネはあっても)ハナからあきらめていた人も多いでしょう。博士が希望の道を開くことになるかもしれません。

ALSは、手足、のど、舌の筋肉を動かして栄養を補給する運動神経細胞が死んでしまうために、筋肉が痩せて力がなくなる病気です。食べ物を飲み込みにくくなる嚥下障害があるためにますます栄養が摂りにくくなり、最後は呼吸が出来なくなるそうです。傍で見ていても辛いものがありそうな病気ですね。
大リーガーのルー・ゲーリック氏が罹患したことから「ルー・ゲーリック病」とも呼ばれます。
2.5〜10万人に一人(統計の取り方によって差があるようです)の割合で発生し、日本は推定7000人の患者数。
以前は日本の三重県、グアムに多発したそうですが、現在では地域差は見られないとのこと。
中年以降40〜50代に発症することが多く、男性が女性の約2倍。一家の担い手の場合が多いので、本人だけでなく家族の精神的、経済的負担も深刻ということです。

この病気は常に進行性で、一度かかると症状が軽くなることはない。運動神経だけが次第に破壊され、全身が数ヶ月から数年の間に次第にマヒ。それでも感覚(五感)、目の動き、排泄に障害が出ないほか、床ずれも出来ないという特徴があるそうです。筋肉が落ちて痩せてしまうからかもしれませんが、床ずれが出来ないのは助かるかもしれませんね。
この病気は原因もはっきりしない難病(特定疾患)ですが、治療法研究は活発でいろんなことが解明され、着々と進歩しているそうです。

ホーキング博士は、来日して話題になったこともありましたね。2001年11月16日に安田講堂で一般講演を行ったようです。
著書の「ホーキング、宇宙を語る」はウチの娘も読んでいました。
博士が宇宙に行ったら、次の本のタイトルは「ホーキング、宇宙に行く」かしら。是非読んでみたいものです。

(間違ってホーキン「ス」博士と表記しているのに気づき、今直しました。ああ恥ずかしい。失礼しました。1月10日記)
posted by dashi at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 興味津々

おにぎり

その昔自動車学校で知り合った人数人と、自宅に行き来するほど親しく付き合っていたことがありました。
私はまだ幼稚園に入らない子ども二人を連れての学校通いで、親しくしていた人も同じくらいの子どものいる人ばかりでした。授業を受けて試験に備えるなんてみんな学生時代以来で、励まし合い、仮免に通ったら無邪気に喜び合っていました。
その中の一人に、結婚して長いこと子どもが出来ず、やっと生まれた男の子を連れていた人がいました。
その人は私と同じ九州の出身で、親類縁者は一人も近くにいないというのも私と同じでした。また、引っ越したばかりで知り合いもあまりいないようでした。ご主人も不規則な交代勤務の人でした。
やっと授かった待望の男の子を、友人や、手助けや助言してくれる人もない状態で育てていたのです。

子どもがちょっと咳をするとあわてて服を着せようとします。
親同士おしゃべりしていても常に不安そうな視線を子どもに向けていて、傍目には子どもが神経質な視線で始終見張られている感じに見えました。
子どもは線が細くひ弱な感じで、のびのびとした子どもらしさとは無縁な子でした。
そしてそのお母さんの悩みは「子どもがご飯を食べてくれない」。
子どもの好みそうな食事を一生懸命作って、その成果のなさに疲れているように見えました。

みんな無事に免許を取得して次第に疎遠になったあと、久しぶりに街で会ったことがありました。
その時そのお母さんに言われたのですが、言った私には全く記憶がありませんでした。
「ご飯を食べてくれない、と言ったら、アナタはこう言ったのよ、『おにぎり作って置いとけば、おなかがすいたら勝手に食べますよ』って」
彼女は私が冗談めかして口にした言葉が強烈に印象に残ったそうです。そんなにいいかげんなことでいいのかとあきれる一方、それくらい気楽に構えてもいいんじゃないかとも思ったそうです。
おにぎりを置くことはしなかったけれど、ちょうど成長をする時期だったのでしょう、彼女の子も食欲が出て来て食べるようになった。彼女の悩みは雲散霧消して、子育てを楽しめる余裕が出て来たようでした。

私は「3人めからは上の子が育ててくれる」と笑う母にほったらかされて育ちました。
ある朝寝坊して起き出したら、家の中は静まり返っていて、母に「まだいたのか! 学校に遅れるよ!」と驚かれたこともあったぐらいです。
そんな感じですから、「食べてくれない」という嘆きとは無縁でした。小学生のある日、おかずの中に私の嫌いな牡蛎が入っていて、それが強く匂う。こんなの食べたくないとダダをこねたら、父はもちろ