2006年10月17日

葬儀雑感

10日に亡くなった父の四十九日法要を11月26日に行うと連絡がありました。
本来は初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日と一週間おきに法要をして、七七の四十九日目を満中陰と呼んで一区切りつき、その次は百ヵ日となって少し時間が空くようです。
その後は一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌と平成34年まで予定されています。死んでもなかなか忙しい。
正しい四十九日は11月27日に当たりますが、平日を避けて集まりやすい日曜日に決めたようです。私は行けないでしょうが、関西に住んでいる姉たちは出席するものと思います。

今回の葬儀は、3つの部屋のふすまや障子を取っ払って、父の住み慣れた自宅で行いました。
早世してしまった、大工さんだった父の末の弟が建ててくれた家で、古くなっても建て替えは父も母も反対だったそうです。昨年にリフォームをしたばかりできれいになっていて、おあつらえ向きだったねと話したことでした。
そこに幕を張って葬儀屋の人が祭壇を設け、たくさんの花が供えられました。
こういうのには全く疎い私は、葬儀の花というのは菊ばかりと思い込んでいましたが、今は色とりどりのきれいな花を飾るんですね。見たこともない花も多くて見とれてしまいました。
会ったこともない市長からの花もあって(なにか地域に貢献していたことがあったようです)、ポケットマネーとは思えず「カネの出所」が気になりました。

参列出来なかった私の子どもたちの分の供花も姉が頼んでくれていて、1万円の供花を1値割引にしてくれたからと9千円請求されました。
「この花が1万円もするわけ? 高いね〜」と率直な感想を述べてこの姉にはすっかり嫌われてしまいました。
卒業式でも思いますが、どうして生の花を「大量に」贈ったり供えたりするんでしょうか。どうしてこういう習慣が根付いたのか、私は不思議でなりません。
花が大好きな人なら喜んでくれるでしょうが、父は花は「腹の足しにならん」と言って価値を認めない人でした(私も多少その影響を受けているかもしれません)。
綺麗だけどこんなにたくさんはもったいない、こういうのはレンタルで十分だと思う私はセコいのかなと考えてしまいます。生花の使い回しはタブーなんでしょうか。

納棺の際に、みんなでこの花の一部を棺桶に入れました。たくさんあるから花で埋めようとどんどん入れていたら、葬儀屋の方に「それくらいにしておいて下さい」と遮られました。
「お骨に色がつくことがあるんですよ」との説明に、そうなのかと納得した次第です。
そのあと見たら、本当に父の頭蓋骨は薄いピンク色に染まっていました。父の顔の周囲には赤紫の蘭が何本か入っていたので、その色がついたのだろうと思いました。

お骨を拾うのは初めての経験でしたが、さすがに「いよいよこれでお別れだ」としんみりしました。
それでも、頭蓋骨が逆さになっている(あごが上の方にあった)のが不思議で、焼き場の職員さんに聞いてしまった不謹慎な私です。焼死体は両手をすぼめていわゆる「ボクサーポーズ」を取ると言われますが、焼くと人間の身体はスルメみたいに反っくり返るものらしいですね。
喘いでいるような印象で、苦しそうで可哀想な気もしました。死にたいと口にする子どもにはこういう姿を見せて、死んだらアンタもこんなになっちゃうんだよ、熱そうだねって脅したら、思いとどまるかもしれませんね。
みんな父のように、もう十分と思える年齢まで長生きしてほしいものだと思いました。
posted by dashi at 23:23| Comment(4) | TrackBack(0) | 身辺雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする