2006年10月31日

復活延期

きょうは風邪もだいぶ良くなって買い出しにも行き、息子を学校まで迎えにも行きましたが、まだ文字を打ってるとクラクラするので復活は明日以降の予定です。
いろいろ書きたいことがあるのにと欲求不満。ストレス太りしそうですが、仕方ありません。
今後書きたいと思っているテーマは、「性同一性障害」「稚穂」「いじめ自殺の報道について」「非電化の発明」などです。うずうず。

きょうはせっかく開いていただいた方に、軽いお笑いをご紹介。先日NHKラジオで聞いたネタです。
「サルカニ合戦とかけて、格闘技家の講演と解く。そのこころは」
「エステとかけて、昨日のおでんと解く。そのこころは」
「エステとかけて、恩知らずと解く。そのこころは」
……それぞれ、
「最後は『ウス』で決まります」
「よく『しみとり』ます」
「顔に泥を塗ります」。
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2006年10月30日

PC自粛してます

油断して風邪をひどくしてしまい、しつこい頭痛に悩まされています。
PC見ているととても疲れるので、更新を自粛中です。
みなさまもどうぞお大事に。
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2006年10月28日

リチャード・ギア

きょう娘が「シカゴ」のDVDをつけたまま外出してしまったので、消すのも面倒でぼんやり見ていました。
知り合いの話では、一緒に映画館に見に行った若い女性(法学部学生)はストーリーに腹を立てて途中で帰ってしまったそうです。まあ、殺人を軽く扱ってあるので、正義感の強い若者には許せないかもしれないけど、メリハリの良く効いたエンターテインメントとしては秀逸な映画だと私は思います。
アカデミー助演女優賞を受賞したキャサリン・ゼタ・ジョーンズの演技も素晴らしいけど(妊娠中だったとはびっくりですね)、悪徳(銭ゲバと呼びたい……)弁護士役のリチャード・ギアもはまり役だと思います。
主演のレニー・ゼルウィガーも歌声も可愛いしダンスもなかなかのもので(高校時代は名チアガールだったとか)見直しましたが、二人に比べるとかすんで気の毒な感じです。

リチャード・ギアは1949年生まれだそうですから、還暦も間近ですね。
この「シカゴ」を撮るにあたって5ヶ月間タップダンスの特訓を受けたそうですが、その甲斐はあったと思います。歌って踊れてカッコイイ、しかも渋い俳優さん。そのトシには見えません。
父親はアイルランド系ユダヤ人の保険代理人で母は専業主婦。5人兄弟の次男ということですが、複雑な家庭らしく異父母の兄弟もいるようです。
ペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれてすぐニューヨークに移ったので、出身地がフィラデルフィアとニューヨークと両説あるようです。
マサチューセッツ大学で哲学を専攻していましたが、中退して演劇の道に入ります。

哲学を専攻していたのと関係あるのかどうか、本人は20年も前からダライ・ラマ14世に深く傾倒するラマ教信者として有名。ニューヨークで、チベット難民救済のための「チベット・ハウス」を私費で運営しているそうです。
チベット同化政策による中国中央政府の宗教弾圧は激しく批判していて、公の場でも理解と支援を訴え続けています。
敬虔な仏教徒でベジタリアン。親日家としても知られ、たびたび来日しています。
黒澤明監督の「8月の狂想曲」出演の際には、撮影に使用した念仏寺のオープンセットを解体して持ち帰り、アメリカの別荘に移築したそうです。

小泉サンと似ているのは本人も認めていて、2005年に来日した折りには小泉首相(当時)を表敬訪問して(主演したShall We Danceにちなみ)一緒にダンスを踊るパフォーマンスを見せました。
ところで、この会見の最後の写真撮影の際に、突然司会のマイクを使って
「中国で反国家分裂法案が制定されることに絶対反対します。小泉首相に賛同し、中国に武器が輸入されることを絶対に反対します」と声を荒らげる場面がありました。
台湾が中国から分離した場合に向けて武力行使を容認する「反国家分裂法案」に言及したものですが、対チベット政策を「文化的弾圧」と批判して来た姿勢の本気さが窺えるエピソードですね。
(その法案は2005年3月第10期全人代で採択されました)

今年の7月にはニューヨークタイムズ紙に「破滅へと続く鉄道」と題する一文を寄稿しています。こちらで全文を読めます(日本語です)のでどうぞ。
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2006/07/ny_0477.html
9月末にはネパールへ亡命しようとした丸腰のチベット人が、「犬のように」撃ち殺される場面がルーマニア人登山家に隠し撮りされてネットで世界中に流れました。
http://www.sankei.co.jp/news/061022/kok003.htm
リチャード・ギアの発言に関心を持ってくれる人が増えたかもしれません。
中国政府から刺客が放たれていそうな人ですね。幸いゴルゴ13じゃないらしい。
posted by dashi at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 気になる人

2006年10月27日

実習終了

自閉症の息子が卒業後の準備として通った、地域作業所での実習が終わりました。
今回の実習では幸い問題も起こさず、利用者の皆さんにも可愛がられて、後半には笑顔も見せていたそうです。仕事はちゃんと片付け、給食も普通に食べて、指導員さんにも迷惑かけなかったようでホッとしました。
学校は遠くにあるので自家用車とスクールバスを乗り継いで行ってますが(たまには公営バスや電車も利用します)、今度の実習先は自宅から歩いても(かなりの早足ですが)15分ぐらいと近かったので、送迎する私にとってもずいぶんラクをした一週間でした。

きょうは養護学校の先生も参加しての反省会が行われ、平和裡に終了したことを確認しました。
今回の実習先は、障害者地域活動ホームという施設の分場(ブランチ)という位置付け。
週の終わりの金曜日午後には、いくつかある分場の利用者も全員活動ホームに集まって、レクレーションを楽しんだりお茶にケーキをいただいたりするようです。息子も他の人たちと一緒に活動ホームに移動して、近くの公園まで散歩に出たようでした。
終わったころに私が行くと、さっさとカバンを背負って帰ろうとし「気をつけピ、さようなら」を連発して笑われていました。

作業所の利用者さんたちが、帰る前に息子に「学校でもガンバッテね」「元気でね」「淋しくなるなあ」などと声をかけて別れを惜しんでくれました。ここの利用者さんたちには比較的年齢の高い人が多くて、弟か息子といった感じで可愛がってもらったようです。
みなさん知的に遅れはあるのでしょうが、こういう普通の感情を示してもらうと、指導員さんもやり甲斐があるんじゃないかなと思いました。
せっかく声をかけてもらっても、息子は手をちょっと振るぐらいでほとんど無視。どう行動すればいいのかわからないのでしょうね。
一見して自閉症とわかる男の子もいましたが、息子にはまったく関心なし。いかにも、でした。

給食費を5日分払って、お礼を言って辞しました。息子の学校の給食費は日数分戻って来ます。
実習先への謝礼は学校から渡されるようでした。
学校からは毎日先生が交代で来て、様子を見て帰られていました。クラスの子どもたちが全員、時期をずらしてあちこち実習に行くので、先生も長時間移動に取られてお忙しいことだろうと思いました。
来週からまた学校、金曜日はビッグイベントの文化祭バザーです。私も早く風邪を治して、その日は元気に働きたいものだと思っています。
posted by dashi at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 自閉症関連

2006年10月26日

風邪

半袖の翌日はセーター、みたいな不順な気候で風邪をひいてしまいました。
一足先に風邪ひいて鼻水がからんでいた息子はもう回復したようですが(自閉症の子は風邪がすぐ治るようだ、と指導員さんが言ってましたが、私も同感です)、もう一週間も耳が痛かった私は、今朝方4時前に激しいのどの痛みで目が覚めました。
このごろは寝る前に湯冷ましを少し飲むようにしているのですが、ゆうべはそれを忘れて床に入り、また起き上がるのが億劫でそのまま寝てしまった、そのせいかもしれません。
風邪の予防はとにかく水分を摂ること、水を飲むことととも聞きます。

風邪(症候群)は200種類以上とも言われる細菌やウイルス(さらに例えばライノウイルスには数百種類の型が存在する)を原因とするので、ワクチンを作るのは事実上不可能。風邪をひくたびに人体には「その」風邪に対する免疫が出来ますが、数が多いので作りきれないと言いますね。
ウィルス由来の風邪が8〜9割を占めるので、たいての風邪には(細菌にのみ有効である)抗生物質は効きませんし、むしろ有害です。
普通は栄養をとってゆっくり寝ていれば数日で治ってしまいますが、持病があるなどで免疫力が低下した人にとっては命取りにもなりかねないので、あまり軽視も出来ません。
普段からしっかり栄養を摂って身体を鍛え、風邪を寄せ付けない、ひいてもすぐ回復出来る身体を作るのが理想ではありますね。

風邪の時はコレ、という民間療法はいろいろありますが、有名なところは卵酒、ネギ味噌、生姜湯や番茶といったところでしょうか。
そのほか黒くなるまで焼いたみかんを食べる、みかんの皮を入れたお風呂に入る、梅干・黒砂糖・生姜に熱湯を注いで飲む、などは効きそうです。私の田舎ではキンカンを煮たりしてましたね。
大根、蜂蜜、ニンニクもよく使われるようです。
免疫力を高める、食欲を刺激するといった効果がありそうですね。
外用としては湿布やツボ療法などもありますが、変わったところでは
「あわびの殻を軒先に吊るす」
「畳の合わせ目には寝ない」
というのもあるそうです。あわびの殻は虹色に光るので魔除けになりそうだし、畳の合わせ目からは(床下からの)冷たい風が吹き上がる(から避ける)、ということかもしれません。

いろいろあるということは、決め手になる療法がないということでもありますね。
民間療法は手近にあるもので間に合わせますから、外国のものを見ると郷土色が出ていて面白いです。
フランス……赤ワインに砂糖、卵を加えて加熱
ネパール……ターメリック(うこん)の粉に熱湯を注ぎ塩で調味
香港……神仙粥(もち米、生姜、わけぎの粥)
チリ……薔薇の実(ローズヒップティー)
タンザニア……生姜汁入り紅茶
韓国……唐辛子入り焼酎
ロシア……木いちご、ツルコケモモのジャム、菩提樹の花茶
トルコ……菩提樹の花と葉を煎じて砂糖、レモン汁を加える
イタリア……蜂蜜入りグラッパ(イタリア特産の蒸留酒)

ところで真偽のほどはわかりませんが「風邪は病気、特にガンや脳溢血を予防したり治したりする」という意見もあります。風邪もひかない人に限ってある日突然バッタリいく、というのにはにわかに賛成し難いですが……。
http://www.mitomo.com/doc/c43.htm
ガン細胞は高熱で死滅するそうですから(そういう療法もありますね)、風邪の発熱は効果があるという説には一理ありそうです。
上のサイトには風邪の対処法なども詳しく書かれていますから、自己責任でご参考にどうぞ。
posted by dashi at 21:22| Comment(2) | TrackBack(1) | 雑学

2006年10月25日

インドについて

文春新書「インドIT革命の驚異」という本に書いてあるらしいですが、インドでは小学校で19×19まで暗記させるそうですね。インドの人々は二桁の計算は(99×99までは)暗算でするそうです。
足し算じゃないですよ、掛け算ですよ、かけざん。ウソでしょ〜って言いたくなりますが……。
きょうたまたま見つけた脳科学者の茂木健一郎さんのブログに、茂木さんがアトランタで乗り合わせたインド人タクシー運転手が
「インドでは19×19まで学校で教えるってホントか」と聞かれて
「それは当たり前じゃないの? ……ぼくは15×15までしか出来なくてあとは筆算」
と答える話が書いてありました。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/10/post_b478.html

少なくとも19×19までは常識らしいですね。インド人、恐るべし。
もっとも、「インド式二桁掛け算を暗算で即時に出来る方法」というものが存在するそうなので、コツさえのみ込めば誰でもインドの小学生並みにはなれるらしいです。
私は暗算は苦手で、小学校で九九を暗唱させられていた時には「8・3……」と言いながら頭の中で素早く「8×3=3×8=24」といった置き換えをやってから「24」と続けていたのを覚えています。8の段9の段になるとたいていやってました。コツを習っても19×19は難しそうです。
算盤をやっていた姉たちは暗算がすらすら出来ていたので、小さいときに算盤を習うのは算数を学ぶ上できっと効果があると思います。
(余談ですが、トンガの王様は来日した時算盤に注目して大量に国に持ち帰ったそうですね)
今になって思えば、3×8がわかればべつに8×3が出来なくったって(同じ答えになるということがわかっていれば)構わないような気もしますが、インドの子どもが聞いたらあざ笑いそうですね。

現在IT産業は1位アメリカ、2位中国、3位日本、4位がインドで、近い将来日本とインドは入れ替わると言われているそうです。宇宙開発はアメリカに次いで世界2位とか。
なにせ10億の人口をかかえる大国ですから、そこに数字に強いという武器があれば怖いものなしという気はしますね。
民族紛争や貧富の差が激しく、カースト制度や男尊女卑の風潮(持参金が少ない嫁が殺されるとか)など、解決しなくてはならない問題も山積みのようではありますが。

インドの映画というと昔「ムトゥ・踊るマハラジャ」というのを楽しく見たものですが(ヒロインの美しさは抜群でした)、1年間に製作されるインド映画の本数はアメリカよりも多いそうです。
映画が庶民の娯楽として定着していることのほか、理系(映画製作の技術面)に強いという国民性もありそうです。
日本では貧しさばかりが強調されて、「正しい」インドの姿はあまり紹介されていないように思いますね。
インドというとカレー、ターバン、サリーといった連想しか浮かばないような気もします。考えてみたら失礼な話ですね、古代文明発祥の地だというのに。
お互いの国を正しく理解して、友好を深めていきたいものですね。
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2006年10月24日

ハロウィン

スーパーのケーキ屋さんがハロウィン一色でした。
ハロウィンは10月の終わりですから、今年ももうそんな時期になったかとあらためて驚いています。
丸くて小さいオレンジ色の、例のカボチャの形をしたチョコレートや、フェルト製・とんがり帽子の魔女のお菓子詰め合わせが並んでいました。詰め合わせの内容説明を見るとマシュマロやキャンディーが入っているようです。買ってないので中身は見てませんが、キャンディーの個別袋にもカボチャの絵があるのかもしれませんね。
アップルパイの上側をくりぬいてカボチャの顔にしたのには、いろいろ考えるなあと笑ってしまいました。

ハロウィンを祝う習慣は日本ではまだあまり馴染みがありませんが、いずれはクリスマスやバレンタインのように定着して、ケーキやチョコレート販売のかきいれ時となるのかもしれませんね。
数年前にはとても珍しかったオレンジ色の小さいカボチャも、この時期には花屋さんでも普通に売られるようになりました。
このカボチャは観賞用で、食べても美味しくないそうです。でも観賞用だけに栽培するとも思えないから、外国では家畜の餌になるのかもしれませんね。
(小型でないオレンジ色のカボチャは、私の田舎には食用としてありました。深緑や薄い緑もありましたが、オレンジ色のはスジっぽくてあまり美味しくなかったように記憶しています。観賞用のと何か関係はあるかもしれません)

ところでハロウィンと言えば私が連想するのはライナスのカボチャ大王。
毎年10月末になるとライナスはスヌーピーと一緒にカボチャ畑でThe Great Pumpkinを待ちます。
なぜか、ハロウィンの夜にはカボチャ大王が現われておもちゃをくれると信じているのです。
バカバカしいとみんなに笑われ、姉のルーシーには「今年はどこそこのカボチャ畑に現われたって!」とからかわれても、少しもめげません。信念の人なのですね。
Trick or Treat!とお菓子をもらい歩く習慣は、大人びた変わり者のライナスには、子どもっぽくて熱中出来ない楽しみなのかもしれません。

ハロウィンの語源は「諸聖人の祝日の前夜」(古代ケルト民族の大晦日)を意味する「All Hallow's Even」が短縮された「Halloween」。
この夜には死者の霊が親族を訪ねたり、悪霊が降りて作物を荒らすと信じられています。それで恐ろしげな仮装をして身を守り、悪霊に取り付かれないようにしているそうです。
また死者の霊を導いたり悪霊を追い払ったりするための焚き火に由来するのが、例のカボチャ「Jack-o'-lantern」。カボチャをくりぬいて顔を作った中にロウソクを立てた提灯です。
この提灯、もともとはカブで作られていたのを、アメリカに渡った移民が作りやすいカボチャを使ったのが一般化したとか。今でもアイルランドには昔ながらのカブで作る地域も残っているそうです。

ハロウィン用に仮装した姿はよく映画に出て来ますが、現実世界では異様なものであることは確か。
16歳の日本人留学生がハロウィンの仮装パーティーに出かけて、会場となる家を間違ったために撃ち殺されるという悲劇が、1992年ルイジアナ州で起こりました。「動くな」という意味で「freeze」と、銃を構えたその家の主人に言われたのを理解出来ずに、誤解をとこうと近づいて至近距離から撃たれたものです。
高校生は「サタディナイト・フィーバー」の仮装、同行していたホストブラザーは包帯を巻いた病人の仮装だったそうです。凶悪な仮装とも思えませんけどね。
この射殺した主人が陪審員全員一致の無罪評決を受けるに及び、アメリカの病んだ銃社会が改めて問題視されました。高校生のご両親が銃規制を訴える活動をされていましたね。
この事件の持つ意味はハロウィンを機に問い直してみてもいいんじゃないかと思います。
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2006年10月23日

伊能忠敬の人生

先日富士山の宝永噴火の特別展示を見た折り、資料の中に噴火のあとの様子を記した「伊能景利日記」というものがありました。文人として名高い人らしいです。
千葉県佐原村(現在の香取市佐原)在の人ですが、富士山の噴火が東京湾を越えて千葉県(成田市の東、茨城との県境近く)でもよく見えたものとみえますね(高い建物はないでしょうが……)。それとも江戸勤務の時だったのか、残念ながらよくわかりませんでした。
それで私の目を引いたのは、この伊能景利が「伊能忠敬の養父」と説明があった点です。

伊能忠敬って、家督を息子に譲ってから好きな測量の道(金持ちの道楽)に踏み込んだ人なので、養子とは思いませんでした。婿養子でもそんな自由があったなんて不思議な気がします。
調べてみてびっくり、かなり複雑な生い立ちの人なんですね。
生まれたのは1745年(延享2年)、上総の国小関村(今の九十九里町)。幼名は小関三治郎。
名主の家ですが6歳で母が亡くなり、婿養子だった父は実家の神保家に戻ります。小関家を母の弟が継いだからですが、男子がいるのになぜ母が戸主だったかというと、九十九里の方では女でも長子が家を継ぐ(婿養子をもらう)という風習だったらしいですね。
10歳の時に三治郎も、事業で成功して分家を立て後妻も娶った父の元に戻りました。

三治郎は極めて向学心や好奇心旺盛な少年で、寺子屋の成績ももちろん抜群。算術はことに得意で、子どものころから父の手伝いをして帳面を付けるような仕事を任されていたそうです。
また学者やお寺や医師のもとに出入りして中途半端ながら多くの知識を身につけました。
その優秀さに注目してくれた人の仲介で、17歳で伊能家の婿養子となります。
これに先立って忠敬と改名しています。通称は三郎右衛門。
伊能家は酒・醤油の醸造、貸金業や利根水運にも関わっていたそうですから、地方の名家ですね。三治郎は商人としてかなりの才覚を持ち、事業を拡大し莫大な財を築いたそうです。また地元の顔役としても活躍したようです。

社会的には成功した人ですが、家庭的には不運が続きました。
最初の妻ミチは4歳年上で再婚、男の子がいましたがこの子は忠敬の結婚の翌年に亡くなっています。
忠敬の子は長女、長男、次女と生まれますが、一方で養母、実父、妻と次々に亡くします。
婿養子だから後妻をもらうわけにはいかなかったのか、庶子として次男、3男、3女ともうけますがこの子たちの生母も26歳で亡くなります。当時忠敬は45歳。
すぐ(実質)3人目の妻を迎えますが、仲が良かったこの妻も5年で亡くなってしまいます。
それでも3年後には内縁の妻エイを迎えていますから、懲りない人ではありますね。

45歳から地頭に引退を願い出るも許されず、やっと許されて隠居、家督を長男に譲って江戸に出ます。これが50歳のとき。
19歳も年下の暦学者・天文方の高橋至時の押し掛け弟子となりきちんと学び始めます。私財を投じて器具を揃え、測量の仕事に打ち込みます。
初めは幕府から補助的な援助を受けるだけでしたが、その仕事の見事さが認められて天覧となってからは、幕府に取り立てられて国家的事業となりました。間宮林蔵も弟子として協力しています。
74歳で忠敬が死去したあとも喪を秘して地図製作を続行、死後3年目にようやく大日本海與全地図が完成。
幕府に献上された原本は明治初期の火災で、伊能家の写しは関東大震災で焼失。原板は残っていないそうですから、つくづく運の悪い人だと思います。
江戸時代、50歳以降にこれほど充実した第二の人生を歩んだ人がいるというのは、大いに励まされますね。
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2006年10月22日

棄権した人へ

きょうは神奈川県と大阪で、衆院の補選が行われました。どちらも自民党の現職議員の死去に伴うものと聞いているので、自民党が議席を獲得するのが順当というところでしょうか。
それにしても午後6時現在の中間投票率は神奈川16区36.43%、大阪9区39.83%、いずれも昨年9月の衆議院選を12ポイント程度下回っているということです。
もう最終投票率も出た時間ではありますが(当確も出たらしい)、どのみち半数にも満たない投票率なのでしょう。

これでいいんでしょうか。
補選だから与党に勝てっこないと無気力になるのもわかりますが、国政に直接参加出来る滅多にないチャンスに自分の意思表示をしないで、それでいいんでしょうか。
投票する権利があったのに、今回投票に行かなかった人に聞きたいです。
政治家がどんなに好き勝手な政治をしても、もの申さずに、黙ってそれを受け入れるんですね?
お仕着せの政治に、文句ないんですね? 年金がいくらに減らされようと、黙って我慢するんですね?
投票にも行かないのなら、政府の方針に文句ないってことですよね。

女性に投票権を認めさせ、女性を意志を持つ一人の人間として扱わせるためには、打ち破らなければならない壁がたくさんありました。先人は血のにじむような苦労をしたと思います。
そういう人の努力の成果として、今、女性は男性と同じ一票を行使出来る。
1890年の第一回総選挙では、選挙人は満25歳以上の男子で、直接国税15円以上を納入する者に限られました。投票出来たのは(議員の顔ぶれを決定出来るのは)国民全体のわずか1%、ひと握りの人でした。当然、ひと握りの人のための政治を進めたと思います。
そのころに生きていた人が、成人ならすべて公平に投票権を持つ現代を見たら、なんて言うでしょうね。
国の政治をあなた任せで、ホントにいいんですか?
posted by dashi at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会問題

ゴルゴ13雑感

最近オープンしたBOOK OFFをのぞいたら、SPコミックスのゴルゴ13が一冊105円であったので、喜んで買って来ました。ほかのところだと普通300円から350円ぐらいするようです。新刊でも6〜700円だと思うのでかなり強気。そのくらい人気のあるコミックスというわけですね。
ゴルゴ13はビッグコミックに連載されるほか増刊号の目玉にもなり、雑誌サイズの別冊や安価本にも収録されたりしていますが、このSPコミックスが本の体裁としては一番上だと思います。
話によっては、ちょっとした映画を見ているような面白さがありますし、ありえねーーって笑ってしまうのもご愛嬌です。

ゴルゴ13は1本の話を原作・脚本・作画を分業してチームで描いているコミックです。原作の公募をしていたときもありました。
だから一人の漫画家がアシスタントを使って描くのとは違って、量産できるのだと思います。
ニュースに敏感で、すぐ取り入れられますね。ダイアナ妃の死もパパラッチに紛れたゴルゴ13の仕業ということになってますし、宇宙に出たことも、核爆発に遭遇したこともあります。
あまりに不死身すぎて反発したくなるのか、ゴルゴ13が砂漠で行き倒れになりかけた話(ピラミッドの盗掘団の話でしたか)は、娘に大受けでした。サソリ食べてましたっけ。
もっともゴルゴがピンチに陥ったことは何度かあって、マザー・テレサに助けられたりもしています。
うちで独裁者の話が出ると「そろそろゴルゴの出番だね」と笑ったりします。

今回買って来たうちの一冊は、本がきれいだから騙されました(笑)が、そうとう古いものでした。
ペレストロイカ時代の軍縮に関する(軍のクーデター未遂)ものですから、ソ連崩壊の前。もう15年も昔の話になると思います。
ゴルバチョフが実名で出て来ます。こんなときもあったなと懐かしく思いながら、ストーリー自体はまあまあ楽しめました。脚本担当も複数いるでしょうから偏向することはないと思っているのですが、だいたいKGBが負けることになっています。
1話の方ではゴルゴの隠れ家(山荘)が出て来て、珍しいなと思いました。武器庫があって地下室は核シェルター。外壁は一見ログハウスだけど防弾処理されています。さすが。

どこにも所属せず、カネのためだけに公平に(?)狙撃するフリーの殺し屋。さいとうたかを氏もダイナミックなキャラをよく考えついたものです。
ライバルは必ず殺すので、ブラックジャックにおけるドクター・キリコ的存在は皆無。徹底しててそこがまたいいと思います。
初期のゴルゴは猪首が顕著で(ムキムキだとそうなるみたいですね)目つきも悪く、あまりカッコ良くありません。目が細く鋭くなった今の顔の方がフィットしていてスマートです。
ところで北の核実験のニュース。ゴルゴのネタにしようと張り切って事態の推移を見守っている人は、必ず存在すると思います。
posted by dashi at 00:35| Comment(2) | TrackBack(1) | 趣味

2006年10月21日

富士山の噴火

きょう神奈川県立歴史博物館に寄ってみたところ、ちょうど特別展<富士山大噴火ー宝永の「砂降り」と神奈川ー>というのをやっていて、ブログのネタにしようと即決した次第です。
知っているようでいて案外知らないことって色々ありますが、私にとっての富士山もその一つです。

息子の学校から車で帰る時に、ちょうど道路の正面に富士山が見えるポイントがあります。
すっと伸びた稜線まできれいに見えることはめったになくて、もう13年も通っている道(月に数回は通る)ですが、私の記憶にあるのは2回だけです。
人に聞いたところ、富士山周辺はガスが多くて曇ってばかりという説明でした。それに富士山周辺は晴れていても、途中にスモッグが漂っていればくっきりと見えることはないでしょう。富士山からこちらまでの間がずっと、風が強く吹いて晴れ上がっているという気象条件でないと見られなさそうですね。
娘たちが通っていた小学校からも富士山が望めますが、やはりめったに見えなかったそうです。

夏に岐阜に行ったとき、帰りの新幹線で乗り合わせた青年はちょっと変わった人でした。
私とは初対面なのに話し相手に飢えていたのか、詐欺に遭って何十万か巻き上げられたなどと訴えていましたが……。
浜名を過ぎて富士山が見える辺りで、私が「きょうは富士山は見えませんね」と残念がったら、その青年は、
「みんな富士山富士山と言うけど、ボクは全然興味がない。ただの山じゃないかって思う」
と、つまらなさそうに口を尖らしました。
そ、そりゃあただの山だけど……と可笑しくなった私が笑うと、青年は一緒になって苦笑していました。
若いころに東京から寝台列車(東海道線)で九州へ帰っていた時には、車窓いっぱいに広がる富士山の見事さに息を呑んだこともありますが、新幹線からはそういう風には見えないようですね。
青空を背景にくっきり見える富士山は、さすがにとても美しく神々しい山だと思います。

その富士山は言うまでもなく火山で、平安時代の2回と江戸時代と合わせて3回の大噴火を起こしています。
竹取物語(平安時代前期に書かれたとされる)は、かぐや姫が残した不老不死の薬を駿河で一番高い山の頂上で焼いたから、不死の山(富士山)は今も煙を出している、と結ばれています。当時は活火山だったのだろうと窺わせる記述ですね。
1707年12月には年号(宝永4年)から宝永大噴火と呼ばれる噴火が、広い範囲の住民に大きな災害をもたらしました。
幸運なことに火砕流は発生しなかったから、噴火による死者はなかったそうです。でも火山灰(初めは粒の大きいあられ状の石)が長期間降り注いで耕地は埋まって生産力は失われ、積み上げられた灰が大雨で流れ出し川を塞いで氾濫するなどの、深刻な二次災害を引き起こします。
噴煙は風に流されて山の東側だけに降り注ぎました。西側の地区はすぐそばでもほとんど被害がなかったそうですから、運ですねー。

今回の特別展は物証が残っているこの宝永噴火に関するものが大半で、保存状態のいい絵図では生々しい噴火の様子を見ることが出来ました。
噴火の時は火柱として吹き上げられる石がこすれあって雷が発生する、この火山雷(稲妻)の絵図もあります。
世は徳川綱吉の時代で元禄文化に浮かれていた頃。遠く江戸でも火山灰が降り積もり、新井白石は「折たく柴の記」に昼間でも薄暗い降灰の様子を記しています。吹き上げられた火山灰を吸い込んで気管支の病気も多発したそうです。
火山灰を7割残して耕作しようとしたら、保水力がないためちょっとした日照りでも作物が育たない。結局は灰をよそによけるか、土返しという方法で地表をひっくり返すかという何年もの重労働の結果ようやくもとの耕地に戻りました。
灰を除くことが出来ずにそのまま放置された土地もあります。
噴火で家や倉庫が失われて蓄えられていた食糧は尽き、灰に覆われた耕地はそのままでは使えず、用水路も埋まって水の供給が出来ない。深刻な飢饉となり、噴火では死ななかった農民も餓死したりしたそうです。

噴火の49日前には、推定マグニチュード8.6という大地震が起こりました(宝永地震)。東海地震と南海地震が同時に起こったと考えられているそうです。
東海道、紀伊半島、四国で死者2万人、倒壊家屋6万戸、津波による流失家屋2万戸という大惨事でした。この地震の影響で、宝永大噴火への復興資金を回してもらえなかったという事情もあったようですね。
富士山の下にはマグマ溜まりがあって、現在そこでは低周波地震の発生が観測されているとのこと。
今ならある程度予知も出来て、大惨事は防げるかもしれませんね。それでも(私も含め)ひどい目に遭う人は多いでしょうから、富士山を怒り狂わすような事態が起こらないことを祈るばかりです。
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2006年10月19日

先生のいじめ

先ごろ、自殺した中学生のいじめが昨年度の担任に起因するとわかった、というニュースには衝撃を受けました。私も、うちの子もそんな目にあった、という人もきっとたくさんいるでしょうね。
からかっているだけでいじめのつもりはない、と言っても、受け止める側の辛さは人にはわからないと思います。
今回はサインを何度も出していたのに、友人間では本気にしてもらえなかったみたいですね。親には心配かけたくなくて言わなかったのか、気になるところです。
不登校の子どもの親も、もはや無理に行かせようと思わなくなったのではないでしょうか。
学校に行けないのは本人が悪いんじゃなくて、学校側に問題があるという場合も少なくないでしょう。
義務教育の場がこうでは、ホントに困りますね。選んで行く学校じゃないですからね。

ウチの娘は太めでのんびりした子だったので、元気でハキハキした子が好きという噂の担任に受け持たれた小学1・2年生の時は、ずいぶんひどいことを言われたようです。
ただ、教育熱心なベテラン教師で落ちこぼれを作らない、という評もありましたから、私としてもまさか先生が率先して娘をいじめているとは思いもしませんでした。
「ボールがちょっとぶつかっただけで、わーって泣くんですよ」とジェスチャーつきで呆れたように言われたことがあり、あ、この先生はウチの子嫌いなんだ、と悟ったことはありました。でもまさか、いじめるなんてね。

大人になってから、先生に受けた仕打ちの数々を話してくれて、胸がつぶれる思いをしました。
何か言われて悲しくて泣き出すと、それをあざ笑うような追い打ちをかけられていたようです。
当時は私も生まれたばかりの息子の世話もあり、夫は留学中でしたから、あまり真剣に向き合う余裕はなかったのも事実です。可哀想なことをしました。
「もう今さらどうにもならないから、忘れるしかないね」と言いながら、悔しくてたまりません。
その先生はご主人が社会党の地方議員だったからか、地域のカオで、自転車で通えるすぐ近くの小学校に転勤もなく15年も勤めていて、校長より発言力があるという話でした。
学校生活の最初でつまづいて、娘の人生をかなりの部分台無しにしてくれたと思っています。

私が中学生のとき、英語の時間に先生が突然「ベトコン、今のところを訳して」と言い出して、みんな「ベトコンって誰だ?」とキョロキョロ顔を見合わせたことがありました。
名指しされたのは先生が顧問をしていたソフトボール部の女の子でした。なぜベトコンと命名されたのかは謎ですが、そのあだ名は定着して、その子は卒業するまでベトコンと呼ばれ続けていました。
当時はベトナム戦争の最中でしたからベトコンという名詞にはみな馴染みがあり、意味も考えずに使っていました。
救いとしてはその子がベトコンと呼ばれるのを別に気にする風もなかったことでしょうか。もし内心嫌がっていたとすれば、気の毒だったなと思い出しています。

また高校のときにはこんなことがありました。
私の高校は前にも書いた通り甲子園出場を果たしたことがあるのですが、私のクラスには補欠の生徒がいました。その生徒のことを、化学の先生がなぜか、しつこくからかっていたのです。
「お前のポジションはどこだ、甲子園ではどこを守るんだ、センターの後ろか」
というのは何度も聞かされ、その子はついには自分から「ボクはセンターの後ろデス」と自嘲気味に称していました。
先生としては眠そうな生徒たちを笑わすためのジョークだったのでしょうが、本人にしてみればとても悔しかっただろうなと思っています。

先生の無神経な発言でいじめが始まりエスカレートすることは、よくあると思います。
もし子どもの口からそういうことを聞いたら、早めに対応してあげてほしいです。みんな学校が好きになって、授業を楽しく受けて、給食をおいしく食べてほしいですね。
そしてみんなで仲良く「美しい国」を支えて下さい。
posted by dashi at 23:46| Comment(5) | TrackBack(0) | 社会問題

2006年10月18日

実習前面談

来週から息子が現場実習に行くので、養護学校の進路担当の先生も交えて事前の面談に出かけました。
息子は秋休みに見学に来たところだし、施設長さんとは運動会でもお会いしたので、慣れた様子で階段(ビルの4Fにあります)を上ってくれて助かりました。
自閉症の子は慣れない(初めてではなくても)場所をひどく警戒することも多くて、ウチの息子を以前東京・中野に住んでいた甥のアパートに連れて行ったときは、どうしても部屋に入ろうとせず、階段の下で待っていたものでした。
私の家に寄ってくれた友人に「お茶でも飲んでいけば」と声をかけても、子どもがゼッタイに入らないから無理だったということも何度かあります。

きょうレスパイトで泊まることになっている利用者さんがいて、私たちが話している間、そばのソファーでじっと待っていました。(ジヘイっぽく見えましたが定かではありません)
そこは小さな作業所ですが連携している施設が4カ所ばかりあって、共同で宿泊用の部屋を借りているそうです。
冠婚葬祭など緊急のときは言うまでもありませんが、親が旅行したいなどレジャー目的の場合でも、理由は問わず預かってくれるサービスがあって、これをレスパイトと呼んでいます。
もちろん有料ですが、障害児の親にとっては、目的を問わず預かってくれる場所があるのは有り難いことですし、そこが子どものことを熟知していて安心して預けられるところならなおさら心強いです。
今はこういう地域資源も充実して来て、障害児者を育てるのも以前と比べたら格段にラクになったようです。

きょうの面談で、「嫌がることはありますか」「不機嫌になったらこうすればいいというのはありませんか」など聞かれました。ケアをする側としたら、最優先に知っておきたいことでしょうね。
いろいろ話しているうちに、息子が(好きな曲でないBGMだと嫌がるから)運動会の出番の時はBGMを消した、と先生からお聞きして、そんな配慮までしてもらってたのかと恐縮でした。
レスパイトの青年(利用者)がトイレに立ち、そばを通ったときに半袖シャツだったので腕がよく見えました。
ハッとしたのは、肘から手首までの間に無数の傷跡があったことです。
おそらく自分で噛んだものと思われました。時間が経ってケロイド状になっています。

自閉症の人の中には自傷行為といって自分の肉体を痛めつける問題行動が見られることがよくあるのです。
髪の毛をむしり取ってしまうとか、頭を壁に何度も叩き付けるとか、この青年のように自分の腕に噛みつく話もよく聞きますね。ギリギリと血をにじませながら噛み続けるそうです。
他人を攻撃する他傷(他害)行為よりはまだはるかにマシですが、端で見ているととても耐えられない辛い光景です。ウチの息子もほんの一時期ですが自分の頭をゲンコツでポカポカ殴っていた時があり、一度は思わず「やめてよ〜」と抱きついて泣いたものでした。

不安定になってイライラすると自傷や他害が出かねないので、見通しをもって気持ちよく実習に臨んでほしいなと思っています。
posted by dashi at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 自閉症関連

2006年10月17日

葬儀雑感

10日に亡くなった父の四十九日法要を11月26日に行うと連絡がありました。
本来は初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日と一週間おきに法要をして、七七の四十九日目を満中陰と呼んで一区切りつき、その次は百ヵ日となって少し時間が空くようです。
その後は一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌と平成34年まで予定されています。死んでもなかなか忙しい。
正しい四十九日は11月27日に当たりますが、平日を避けて集まりやすい日曜日に決めたようです。私は行けないでしょうが、関西に住んでいる姉たちは出席するものと思います。

今回の葬儀は、3つの部屋のふすまや障子を取っ払って、父の住み慣れた自宅で行いました。
早世してしまった、大工さんだった父の末の弟が建ててくれた家で、古くなっても建て替えは父も母も反対だったそうです。昨年にリフォームをしたばかりできれいになっていて、おあつらえ向きだったねと話したことでした。
そこに幕を張って葬儀屋の人が祭壇を設け、たくさんの花が供えられました。
こういうのには全く疎い私は、葬儀の花というのは菊ばかりと思い込んでいましたが、今は色とりどりのきれいな花を飾るんですね。見たこともない花も多くて見とれてしまいました。
会ったこともない市長からの花もあって(なにか地域に貢献していたことがあったようです)、ポケットマネーとは思えず「カネの出所」が気になりました。

参列出来なかった私の子どもたちの分の供花も姉が頼んでくれていて、1万円の供花を1値割引にしてくれたからと9千円請求されました。
「この花が1万円もするわけ? 高いね〜」と率直な感想を述べてこの姉にはすっかり嫌われてしまいました。
卒業式でも思いますが、どうして生の花を「大量に」贈ったり供えたりするんでしょうか。どうしてこういう習慣が根付いたのか、私は不思議でなりません。
花が大好きな人なら喜んでくれるでしょうが、父は花は「腹の足しにならん」と言って価値を認めない人でした(私も多少その影響を受けているかもしれません)。
綺麗だけどこんなにたくさんはもったいない、こういうのはレンタルで十分だと思う私はセコいのかなと考えてしまいます。生花の使い回しはタブーなんでしょうか。

納棺の際に、みんなでこの花の一部を棺桶に入れました。たくさんあるから花で埋めようとどんどん入れていたら、葬儀屋の方に「それくらいにしておいて下さい」と遮られました。
「お骨に色がつくことがあるんですよ」との説明に、そうなのかと納得した次第です。
そのあと見たら、本当に父の頭蓋骨は薄いピンク色に染まっていました。父の顔の周囲には赤紫の蘭が何本か入っていたので、その色がついたのだろうと思いました。

お骨を拾うのは初めての経験でしたが、さすがに「いよいよこれでお別れだ」としんみりしました。
それでも、頭蓋骨が逆さになっている(あごが上の方にあった)のが不思議で、焼き場の職員さんに聞いてしまった不謹慎な私です。焼死体は両手をすぼめていわゆる「ボクサーポーズ」を取ると言われますが、焼くと人間の身体はスルメみたいに反っくり返るものらしいですね。
喘いでいるような印象で、苦しそうで可哀想な気もしました。死にたいと口にする子どもにはこういう姿を見せて、死んだらアンタもこんなになっちゃうんだよ、熱そうだねって脅したら、思いとどまるかもしれませんね。
みんな父のように、もう十分と思える年齢まで長生きしてほしいものだと思いました。
posted by dashi at 23:23| Comment(4) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2006年10月16日

特養ヘルパー哀歌

きょうは昨年一緒にヘルパー講習を受けた仲間と集まる予定の日でした。
同居の母親が入院したり急用が出来たりで、残念ながら出て来れない人もいて、結局は3人だけの淋しい同窓会。でも共通の話題があると話は大いに盛り上がり、私が息子のお迎えの時間になるまで楽しいひとときを過ごすことが出来ました。

一人は専業主婦の傍ら週3回のホームヘルパー。
水曜日には午前中と夕方の2回、同じ家に行くそうです。その家は坂の上にあるので通勤用に電気自転車(9万)を買った。思ったより漕ぐのに力が要るけど、頑張って元を取るワと笑っていました。
調理などの仕事をしながらもずっと声をかけ続け、無事を確認しているそうです。
利用者のおばあちゃんの一人は始終不安そうにしている人で、数ヶ月通っているのにまだ笑顔を見たことがないとか。「いつ笑ってくれるか楽しみだね」と励ましたことでした。

もう一人はまだ20代の大柄な元気な人で、特養で働いています。
特養というのは特別養護老人ホームの略称で、身体的、知的に障害があって(認知症が多い)家庭での介護が難しい高齢者のための入所施設。病気療養のための施設と異なり、終の住処となるのが一般的です。
夜勤のときなどは1ユニット11人を一人で見るとかで、なかなかにハードな仕事のようです。
まだ未婚で親と同居している人ですが、親が嫌うから家では絶対吸えないタバコを、夜勤のときは吸わずにおれないとこぼしていました。タバコが自分の身体に悪いのは百も承知だけど、ぶつける先がないストレスを鎮めないでいるのはもっと悪いと思う。
でも仕事は楽しいから、辞める気はないそうです。

ストレスの中身を聞いて、少しは予備知識もあったつもりだけど、うーーんとうなってしまいました。
まず、利用者からの暴力がひどい。叩かれたり蹴られたりつねられたり。噛みつかれたこともあるそうです。見せてくれた腕には爪を立てられたあとがアザになっていくつも残っていました。
水虫のある利用者の足の爪を切っていた看護師さんが(医療行為なので看護師さんの仕事です)、いきなり殴られてメガネが吹っ飛ぶのを見たので、怖くてメガネは使えないという話でした。
暴れる相手にも手首をつかんで押さえる(強くやりすぎると骨折するから、ゆるく)程度のことしか出来ず、やられて痛くてもひたすら我慢。怒鳴ったりすると上から叱られるそうです。

食事のときは一度に3人に介助することもあるけど、口を開けようとしない利用者がいて手こずる。食事をしないと薬が飲ませられないから、口を開けなくてもギブアップ出来ないのですね。
薬を抜くことは許されないから、朝と昼の食事の時間は空けないとまずい、と焦ってイライラする。誤って飲み込んでむせたり肺炎起こされでもしたら一大事ですから、無理に詰め込むわけにもいきません。
みんなが同じものを食べるわけでもなくて、飲み込みにくい人にはゼリー状の汁物を用意したりするので、どれが誰のという確認も必要です。人のに手を出す人は止めないといけないし。
やっと食事が終わったら、どのくらい食べたか(食欲はどれくらいか)一人一人きっちりと記録をする仕事も残っています。
私も現場実習で経験しましたが、食事介助というのはなかなか面倒で大変な仕事です。これが一日三回ですからね。

施設に入った人は残余能力が急速に衰えてしまうそうです。あっという間に、それまで出来ていたことが出来なくなってしまう。
それを見るのは辛いことだけど、介護度が重くなると世話がラクになるのは確か、と複雑な表情でした。介助してトイレに連れて行くよりも、おむつになった方が時間も手間も省けるそうです。
そこで踏ん張って、なんとかトイレに連れて行こうと頑張るのは、よほど良心的で人的手当の充実した施設か、家庭ということになるでしょうね。
仕事明けにはヘトヘトになってひたすら寝てばかり、若いのに、遊ぶに行く元気はないそうです。きょうは久しぶりに仕事以外の外出で、ついでにぶらぶらして買い物すると笑っていました。

職員の言葉による虐待で問題になった(隠しどりした録音テープで表面化)さくら苑についてどう思うか、聞いてみました。
「イヤですよねー。ついベッドの下をのぞいちゃいますよ。テープが置いてないかって」
「職場ではなにか注意されたりした?」
「貼り紙してありましたね。でもあんな職員ウチにはいませんよ」
利用者のおばあちゃんたちが「可愛くて」仕事を辞める気はないと話すこの人が、厳しい表情でベッドの下をのぞく光景を想像して、気が重くなりました。

そして、これだけの肉体的、精神的に消耗の激しい仕事なのに、月に4、5回も夜勤をするのに、月の手取りは12万という話には心底びっくり。
「そんなんじゃ、やる人いなくなっちゃうよ! みんな辞めるはずだね〜」とため息が出ました。
「仕事が楽しいから、給料が安いのくらいいいか〜」と彼女は思って続けているそうですが、親許にいるから出来ることです。結婚を考える男性職員は深刻かもしれませんね。
いったい何故これほどに待遇が悪いのか。こんな状況でフィリピン人介護士を導入したらどうなるのか。
無責任に施設を吊るし上げるだけのマスコミに、じっくりと追及してほしいものです。
posted by dashi at 22:44| Comment(3) | TrackBack(0) | 介護

2006年10月15日

きょうだいの絆

今回父の葬儀に帰郷して、長く会わなかった多くの親族と会いました。
そのうちの一人、遠縁のテルちゃんとは40年ぶりの再会、もうお互い顔もわかりませんでした。
小さい頃近くに住んでいたしすぐ上の姉と同い年なので、子どものころにはよく遊んでもらった記憶があります。
幼い私にはよくわからなかったけれど、テルちゃんの家はきょうだいが多くてとても貧しかった。貧乏人の子だくさんを地でいく家庭でした。(親の借金もあったようです)
戦後間もないころに生まれたテルちゃんの兄姉は、貧しくて学校に弁当を持っていくことも出来なかった。お昼になると教室から抜け出して、水を飲んで飢えをしのいでいました。学校給食が始まって一番喜んだのは、子どもたちを不憫に思っていたテルちゃんの母親だったそうです。

それほどの貧しい家庭ですから、きょうだいみんな中学校までしか行けず、卒業後は就職しました。
一番上の姉は中華料理店に住み込みで働き、独立して結婚してからは弟妹の援助をし、父の死後は母親も引き取って一緒に暮らしていました。
テルちゃんは美容院に住み込んで修行を始め、のちに美容師の資格を取って働き、結婚して店も持ちました。
仕事の傍ら子ども二人を育て、孫も5人と嬉しそうに笑っていました。今は店を継いでくれた息子にバトンタッチして、忙しい週末に手伝うだけという話でした。
仕事柄髪は明るい栗色に染め若々しく元気で、葬儀の前には姉の髪を直してくれました。

夜に私の姉二人と布団を並べて寝た時に、このテルちゃん一家の話が出ました。
あんなに貧乏だったのに親を恨むどころかとても親孝行で(もう亡くなりましたが)、きょうだいみんな仲がよくて何かのときはすぐ集結し、一人としてグレたり疎遠になったりしていないようです。
どうしてだろう? と私が不思議がると、
「どん底を見ていれば、食べるご飯があるだけで有り難いって思うのかもね」
と姉が言うのに納得しました。苦労を苦労と思わずひたすら働き、たまにきょうだいと会えるのが唯一の楽しみだったのかもしれませんね。

私の育った家庭はテルちゃんの家よりははるかに豊かで、望めば大学にも行かせてくれました。
でもテルちゃんたちほどきょうだいの絆は強くなく、音信も途絶えがち。
遠くに住んでいるのを口実に、ばらばら以外では何年も会わずにいます。5人姉妹が揃ったのは実に20余年ぶりのことでした。
会ってみればやはり他人とは違い、誘い合って一緒にお風呂に入ったりもします。おなかの皮がたるんでいるのを笑い合うのも、きょうだいならではかもしれません。
争うほどの遺産もなく、一周忌での再会を望みながら笑顔で別れました。きょうだいの絆を再認識したのが、父への何よりの供養だったかもしれません。
posted by dashi at 22:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2006年10月14日

エンゼルメイク/エンバーミング

父死去の知らせを受けて帰郷し、棺桶に横たわる父の死に顔を初めて見た時は、とても違和感がありました。死んでいるようには見えなかったのです。とても血色がよく、静かに眠っているだけのようでした。今にもパッと目を開いてニヤッとしそうな感じ。
以前首相をしていた村山さんと言えば垂れ下がった眉で有名でしたが、私の父も中年のころから同じように眉が長くて、長寿の相と言われていました(当たったわけですね)。その眉も長いままきれいに切り揃えられて、安らかな寝顔でした。
亡くなった人に施す化粧を、エンゼルメイクと呼ぶそうです。

地方などでは今でも、自宅で亡くなって検死が終わると、そのまま葬儀を行う家もあると思います。そういう場合は遺族が死に化粧をするのが普通かもしれません。
病院で亡くなった時には看護師さんがしてくれるそうです。病院によってはエンゼルメイク用の予算をとってメイクセットを揃えてくれたりするようですね。
葬儀社の人が病院に来てやってくれる場合もあるそうです。

20年あまり前に祖母が亡くなった時は、紫がかったいかにも死人という顔色でギョッとしたのを覚えています。
当時はエンゼルメイクという概念自体もなかったでしょうし、今は化粧の技術も格段に進歩したことでしょう。生前の雰囲気に合わせるべくファンデーションや口紅もたくさんの色を揃えるそうです。
亡くなるのは高齢者が多いので化粧のノリもあまり良くないそうですが、そこは愛情と誠意と技術でカバーというところでしょうか。
父は入院後数時間で亡くなったので、おそらく看護師さんか葬儀屋の方がエンゼルメイクをして下さったのだろうと思います。

湯灌の設備を備えた葬儀社なら、湯灌できれいにしてくれるようです。これは洗う(清める)だけでなく、死後硬直で曲がった身体の姿勢を整えるといった用途もあるようですね。
病院ではアルコールで全身拭くので、あまり必要はない、むしろ感染症を考えたらしない方がいいとも言います。でも日本人はお風呂が好きですから、最後にやってあげたいと考える人も多いでしょうね。
余談ですが、湯灌を担当するのは、入浴介助の経験がある介護士や看護師出身の人が多いということです。

病死ならメイクや含み綿(顔をふっくらさせる)ぐらいでいいのですが、事故などで損傷した場合はエンバーミングです。
Embalming(遺体衛生保全)というのはアメリカでは有資格者(エンバーマー)が行う特殊技術ですが、日本ではあまり馴染みがありませんね。車と航空機、銃社会のアメリカでは死体の損傷頻度も多いのかもしれません。
アメリカでは南北戦争のころから、遠くまで遺体を運ぶためにエンバーミングが使われていたそうですが、一気に技術が進んだのは朝鮮戦争の時と言われます。生前と変わらない姿のままで遺族に引き渡すために、というのも悲しい話ですが、せめてきれいな状態で受け取りたいと遺族なら思うでしょうね。

日本でエンバーミングという言葉が使われ出したのは、御巣鷹山の日航機事故の時だったと思います。あの時は悲惨な状況で、遺体のごく一部しか見つからなかった遺族も多かったですね。
あるお医者さんが、後頭部が無くなった遺体に新聞紙を丸めて詰めて、苦心してかなり形を整えるのに成功し、遺族に感謝されたことがあったそうです。こういうのもエンバーミングの一種ですね。
身元不明の死体の復元にこの技術が応用されることもあるようです。

本格的なエンバーミングは頭蓋骨が陥没していたら皮膚をはがして詰め物をし、皮膚がなければ太ももの皮膚などを使って縫い付ける。バラバラになっていればひたすら縫ってつなぐそうです。
遺体の血液を抜いて防腐剤と入れ替え(血色を出すために着色してある)、防腐剤の入った化粧品でメイクするから腐敗はかなりの期間防げるそうです。
レーニンや毛沢東はそれぞれの廟に安置されて、エンバーミング処理をされた永遠の姿で見物客を待っていますね。
エンバーミングの語源は「イン・バルサム」、王様のミイラを作る時にバルサムという名前の油に浸したことに由来するそうです。つまりエンバーミング(ミイラ作り)は古代エジプトで、宗教的な理由や伝染病を防ぐ衛生上の理由から行われていたのが始まりだそうです。

私としては、エンゼルメイクを経て火葬というのが、一番合理的で幸せな最後かなと思います。
posted by dashi at 23:31| Comment(6) | TrackBack(0) | 興味津々

父の死

父が急死したため、田舎の葬儀に帰郷して来ました。
もっと悲しいものかと思っていましたが、これも順番だからとむしろホッとするくらい。うるっとする程度で涙は全く流れず、きれいに死に化粧が施された父の姿に、もう心のこりもなかっただろうと思いました。
89歳の誕生日を目前にした長寿でしたから存分に生きたと思います。最近は下の始末が出来なくなって同居の姉を困らせてもいました。
以前にも書いたことがありますが、パーキンソン病が進んで夫の介護を受けていた身内に「そんなになってまで生きていたいのか」とあきれたように言い放った人ですから、人の世話になってまで長生きしたくはなかったと思います。

何度も戦争に行った父は修羅場をくぐりながら運良く生き延び、長女のあと復員後にも4人の娘を得て、孫12人ひ孫9人の子孫を残しました。その大半が集まり、配偶者も含め大勢で賑やかに送ることが出来ました。
偏屈者でしたが嫌われていたわけではなかったらしく、実家で行った葬儀にはたくさんの人が参列して泣いてくれました。
女の子しか持てなかった父は、幼い頃父親を亡くした、長姉と同世代のいとこ(男)をとても可愛がっていたそうです。父親のように慕っていた、と言われて驚いたりしました。

今回亡くなったのは、姉がちょっと目を離したすきの事故でした。
汚れた下半身を洗うためにお風呂に入った際に、自分で給湯の蛇口を開いて熱い湯をためた浴槽に足を入れてしまったもののようです。健康な人ならあわてて飛び出すところ、認知症も入った老人のことですから反応も鈍く、姉が気がついたときには膝から下を火傷していました。
救急車の中で「痛い痛い」と暴れたそうで、その点は可哀想だったとみんなが話していました。田舎のことですから緊急病院も遠くて時間がかかり、救急車の中ではモルヒネを打ってもらうことも出来ずに、苦しみながら意識をなくしてそのまま亡くなったそうです。

夏に私が帰省したときから何度か、原因不明の熱を出すことがあったようです。今回も入院したあと退院して数日たったところ、住み慣れた自宅で死にたかったのだろうとみんなが話していました。
事故死ですから警察の事情聴取があり、姉は虐待だか殺人だかの疑いをかけられたと憤慨していました。ここで書類を発行してもらわないと埋葬も出来ないから仕方ありません。
危篤だと電話をもらって、そのあと間もなく亡くなったと連絡があったので「えっ、もう!?」と驚いた私でした。死に目に会えなかったのは残念ですが、遠くに住んでいるので無理ありません。押っ取り刀で駆けつける必要はなくなったので、落ち着いて支度しました。
息子を預かってもらう手配をして、翌朝息子を送った足で羽田に向かいました。
(続きはまた明日)
posted by dashi at 00:53| Comment(8) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2006年10月10日

お休みします

急なことですが実家で不幸があり、明日の朝、急遽帰郷することになりました。ここの更新は今日を含め数日お休みさせていただきます。
posted by dashi at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑記

2006年10月09日

懐かしのアニメ

さっきテレビで「芸能人が選ぶアニメ100選」というのをやっていました。
50位あたりを見たあと消して、あとでベスト10を見たのですが、こういうののベストテンというのは誰が(職業、年齢、国籍、性別etc)選ぶかで大きく異なるだろうなと思いました。
私が「一位はやっぱりドラえもんかな」と言ったら、娘に「違うでしょ」と笑われたのは意外でした。
「じゃあ、なに。ドラえもん以上に人気のヤツって、あるの?」
「さあ? サザエさんとか?」
「まさかあ」
サザエさんは何位か知りませんが、ベスト5には入っていませんでした。
これがお年寄りまで入れて投票したら一位かもしれませんね。今は、家族揃って安心して見られるアニメってサザエさんぐらいでは。たまに見ると季節の行事に敏感で、そういうのに疎い私には参考になったりします。

見ていて「これはゼッタイ子どもに悪影響を与えたと思う」と思わずつぶやいたのは「キン肉マン」です。
そこでちょっと出たハイライトでも、投げ飛ばした敵役の顔を足で踏んづけてグリグリ、鼻血まみれにするシーンがありました。プロレスだから何でもあり、とは言うものの、そういうものを子ども向けのアニメにして本当によかったのかどうか。暴力肯定につながったのは否定出来ないと思います。
キン肉マンにやられる役専門の、いじめられっ子もきっといたと思うのです。
どうして子どもたちにあれほど人気があったのか、人間の闘争本能を刺激して目覚めさせたのでしょうか。
私の甥はキン肉マンが大好きでキン消し(消しゴム)を箱一杯集めてましたが、今は暴力とは無縁の優しい大人になっています。皆が皆悪影響を受けるわけではないのは当然ですね。

相撲では、負けた相手を土俵から突き落とすなど追い打ちをかける(水に落ちた犬を叩く)行為は、見苦しいとしてきつく戒められます。初期のころの朝青龍はモンゴル相撲式に突き落として非難されたものでした。
かと言って、土俵から落ちた力士に(勝ち力士が)手を出して引っぱりあげてやるのは、されるのを潔しとしない負けず嫌いの人もいるそうですけどね。
「ヤッターマン」の映像を見ていたら、悪者が乗り物から逃げ出したあとにそれが爆発するシーンがあり、娘が「ふーん、ちゃんと逃げ出してから爆破するんだ」と感心していました。
昔のアニメには、こういう節度(たとえ悪者でも人は殺さない)はあったように思いますね。今でもテレビ東京は規制が厳しくて流血シーンを出せないとかで、血を一滴も流さないで死ぬという不自然なことになっているようです。

私が子どものころ楽しみに見ていたのは「おそ松くん」や「オバケのQ太郎」「エイトマン」「鉄人28号」などでした。白黒だったので、のちにカラーで見て「こんな色だったんだ」と驚いたのは主人公が着ていた服だったでしょうか。当時は勧善懲悪がしっかりしていて、正義感を培うアニメだったと思っています。
子育ての時期には子どもと一緒にドラえもんの長編アニメもよく見ました。宇宙や恐竜などロマンも豊かで、子どもの人格形成に果たした役割は小さくなかったと思います。
うちでは圧倒的人気を誇るドラえもんですが、今夜のテレビでは3位でした。2位がドラゴンボールで(これも暴力的なシーンが多いですね)、そんなに人気あるのかとびっくりでした。
若いタレントさんの票を集めて一位になったのは、ルパン3世です。
荒唐無稽とも言えるギャグ満載ですが、ルパン以外のキャラ設定がしっかりしているのが人気の秘訣でしょうか。
こじゃれた小物や車が登場するのも、通受けするのかもしれません。
軽薄すぎる感じがして私は初めあまり好きではなかったですが、あの軽妙なしゃべりも好まれるのでしょうね。

アニメ作品で私が高く評価しているのは、ドラえもん長編の他、「天空の城ラピュタ」と「となりのトトロ」です。声優さんがひどくなければもののけ姫もいいんですけどね。
手塚作品はアニメになるととんでもないのが多く、とりわけ「火の鳥」は原作のよさが全く殺されていると思います。
サザエさんほど平和じゃなくて適度に刺激があり、なおかつ安心して楽しめるアニメを期待しています。
posted by dashi at 23:52| Comment(3) | TrackBack(0) | 趣味

2006年10月08日

地域の運動会

きょうは皇室のお姫様も運動会だったそうで、晴天に恵まれて何よりでした。やっぱり晴れた方が警護もラクでしょうしね。
私の地元では障害者団体の連合運動会が開かれ、通所施設で働いていたり訓練会などを利用している人たち、その家族やボランティアの皆さんが地区センターのグランドに集まりました。
学校が家から遠い場所にあるため地域との接点はあまりないのですが、今はOBとして月に一度リトミックの日だけ出席している訓練会から、息子も参加しました。
こういう行事を楽しむのが難しい息子は、10時からでは長過ぎて持て余すし、私も疲労困憊してしまいます。OBの気楽さで、お昼頃に出かけて一緒にお弁当をいただき、午後の出し物だけ参加させてもらいました。

障害と言ってもさまざま。身体と知的の両方集まるので、車椅子の人もいれば、聴覚障害など一見なんともなさそうな人もいます。物陰に隠れてニコニコしている自閉症らしい子や、ボラさんと手をつないでいるダウンちゃんがいたりします。
社会のバリアフリー化なんて言っても、健常な人に混じればどうしても萎縮してしまいがちですから、こういう場ではみんな気兼ねがなくのびのびとしているように思います。
うちの息子も自分からは行きませんが、誘ったり促したりしていくつかの競技に出してもらいました。
リレーでは受け取ったバトンを持ってナントその場でもじもじ。「走れ〜」と声をかけられて初めて走り出すというハプニングもありました。ちゃんと走ったので遅れなくてよかったです。
息子を乗せた車椅子を押して短いS字カーブを走る競技では、3着のリボンをもらいました。

ここではふだん疎遠になっている古い知り合いに会ったりします。
だいぶ年上の、息子の学校の卒業生が来ていたので、そのお母さんと近況報告を交わしました。上のお嬢さんは結婚して出ていき、ご主人はもうすぐ定年。親も年を取るけど老け込んではいられないと元気です。
他の養護学校に行っている自閉症の子のお母さんとも久しぶりに会って話をしていたら、もうすぐ実習でスーパーに行くということでした。後方の仕事という話なので、野菜を計量して袋詰めにしたり、ラップを次々とかけていくような仕事なのかなと思いました。
その子は言葉もほとんどなく障害として軽くはない方ですが、手先は器用だし指示には従えるようです。
一般就労か、いいなあと私が羨ましがると、どうなるかわからないとお母さんは首を傾げました。
「その仕事をする能力があることと、ちゃんとやるかどうかは別だから」
「うん、それはそうね。たいていは人間関係がネックだもんね」
理解のある職場で気持ちよく働けたらいいね、とAくんの横顔を見たことでした。

小学生のころから知っている子にも会いました。お母さんの方はどこか行っていて、その子はボランティアさんと一緒に日陰のベンチで見物していました。
私の顔を見ると腕を伸ばして来て、挨拶代わりに「ガチャピン」「あにゃ」を繰り返しますが、これは小さいころからずっと変わりません(私も一緒に「ガチャピン、あにゃ」をハモります)。
笑って「○○ちゃんも語彙が増えないね」と言うと、隣にいたボランティアさんが「うるさい、は言うらしいですよ」とニヤニヤしていました。お母さんの口癖なのでしょうね。
そう言えば、広島にいたころの知り合いが、子どもが初めて覚えた言葉が「どいて」だったと苦笑していたのを思い出しました(綺麗好きな人でよく掃除してました。掃除の邪魔で「どいて」だったのでしょう)。

最後はグランドいっぱいに二重の輪になって、「マイムマイム」を踊りました。知っている曲だからか息子も嫌がらず、ふらふら動いていました。
いろいろあって、楽しい運動会でした。
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ジョーク

学生時代はよく「冗談の通じないヤツ」と言われた私。家族にジョーク好きの明るい人間はいないので(明るいだけのはいますが)、こういうセンスは家庭環境が大きいのだろうと思っています。
今でも笑うツボが人と異なっているらしく、「なぜ笑う?」と真顔で不思議がられたり、「こんなところで笑うんだ……」とあきれられたりします。
漫才も最近のはめったに笑えず(オール阪神巨人さんは好きです)、ネゴ6で大笑いしていたらとても珍しがられました。テレビにネゴ6が出ているよ、と知らせが来たりします。
ないものねだりで、洒脱なジョークをあやつる人には憧れます。笑いの絶えない家庭って、病気も逃げていきそうですね。むかし、笑いは百薬の長、という本もあったことだし。

きょうブックオフに行ったら「ユーモア話術」というのが105円であったので、少しはおもろい話術を研究してみようかと買って来ました。もとNHKアナウンサーの相川浩さんの本です(KKロングセラーズ)。
その中にあったジョークを。
※かなり混雑した通りを、捨て子の赤ちゃんを乗せたベビーカーを押して、警官が交番に戻ろうとしていた。すると通りがかりの少年が、その警官に興味津々の顔で尋ねた。
「お巡りさん、この赤ちゃん、何か悪いことしたの?」
※次は、問題です。私はむか〜し聞いたことがあるような気がする。
「My father is my mother. これを日本語に訳して下さい。制限時間は5分」わかりました?(答えは末尾に)

品川の書店ですごい量の平積みになっていた「世界の日本人ジョーク集」という本(早坂隆著、中公新書)には、こんなのがありました。
※浮気現場にて
会社からいつもより少し早めに帰宅すると、裸の妻が見知らぬ男とベッドの中で抱き合っていた。こんな場合、各国の人々はいったいどうするだろうか?
アメリカ人は、男を射殺した。
ドイツ人は、男にしかるべき法的措置をとらせてもらうと言った。
フランス人は、自分も服を脱ぎ始めた。
日本人? 彼は、正式に紹介されるまで名刺を手にして待っていた。

※早く飛び込め! 
ある豪華客船が航海の最中に沈みだした。船長は乗客たちに速やかに船から脱出して海に飛び込むように、指示しなければならなかった。
船長は、それぞれの外国人乗客にこう言った。
アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ」
イギリス人には「飛び込めばあなたは紳士です」
ドイツ人には「飛び込むのがこの船の規則となっています」
イタリア人には「飛び込むと女性にもてますよ」
フランス人には「飛び込まないでください」
日本人には「みんな飛び込んでますよ」

上の問題の答え:「私の父はわがまま(我がママ)です」
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2006年10月06日

とび職

きょうの朝日新聞朝刊に、とびの専門家を目指す女子高校生の話が載っていました。
都立工業高校建築科3年の伊藤舞さんが3日、国家資格「とび」2級技能検定試験に合格したそうです。女子高校生の受験、ましてや合格というのは、主催者の都職業能力開発協会も「聞いたことがない」と驚くくらい珍しいことのようですね。
実務経験者対象の2級ですが、3級取得のあとは(伊藤さんは昨年3級合格)高校生なら受験出来るということなので、中卒の人が多い職業なのかもしれません。

伊藤さんは大好きな大工のお父さんにあこがれて、大工になるために今の学校に進学したそうです。親冥利に尽きるだろうなという気はしますが、とびはきつい肉体労働ですからお父さんは反対して来たとか。
資格はあっても実務経験はなし、就職先も未定と言うことですし、これからが正念場でしょう。
伊藤さんが受けたのは晴海埠頭での試験で、足場を組んだようですが、同じ7月に高松市内で行われた試験では、下敷きになっているパイプの角度を調節して1トンもあるコンクリートの塊を動かしたそうです。てこの原理を使って重い荷物を運ぶ実技とか。
たしかに狭くて重機が入らない現場もありますね、足場を組むスペースを確保するのも大事な仕事です。パイプだけでも十分に重そうですがそれで足場を組むだけではなく、とび職は建設機械の組み立てや解体、石材の移動などもある重労働のようですね。
女の子には厳しそう……なんて言うと浜口京子さんからどやされるかしら。

ところで、なぜ「とび」かと言うと、江戸時代に町の火消しに鳶口(とびぐち)という道具が使われ、その鳶口自体や鳶口を使う身軽な人たちのことを「とび」と呼ぶようになったらしいです。
延焼を防ぐために途中の家を壊して火の手をせき止めるとき、家の柱などを鳶口で引っ掛けて倒したりしたのだと思います。焼け跡の整理にも活躍したようです。
鳶口というのは、大工さんが丸太に突き刺して引っぱっていた、先がトビ(とんび)のくちばしみたいに曲がって尖った道具ですが、最近はあまり見かけませんね。今は家を建てるのにも工場で揃えて来た木材を組み立てる感じ、運ぶのも小型のクレーンを使っているようなので、鳶口は使わないのかもしれません。

とびの人がはく、あのニッカボッカみたいなズボンは、何もおしゃれで着ているのではありません。
作業服は燃えにくく油に強いなどの理由で棉やポリエステル素材が多いのですが、伸び縮みしないので細身だと膝が曲げにくい。だぶだぶだと汗で身体にくっつくこともなくて動きやすい他に、センサーとしても機能しているそうです。
風にはためく様子を目安にして鉄骨を吊り上げるクレーンの操作を加減したり、ズボンの揺れ具合で危険を察知したり、周囲にある物との距離(ズボンが引っかからなければ十分な幅がある)を測ったり出来るそうです。裾が広がっていると危険なので絞ってありますね。

先日、向かいの家の屋根をふき替えていました。若い人が二人屋根に上がって作業して、親方らしい人が少し離れて下から指示していました。今は瓦を持ち上げる便利な機械もあるんですね。
筋骨隆隆の若者を見上げながら、親方にコッソリ「もと走り屋とかやってた人?」と聞いてみたところ、親方はニヤッと笑って、「怖がるヤツにはつとまんないからね」とうなずいていました。
高いところを怖がらない度胸もだけど、足を持ち上げないですり足で素早く移動するといった、独特の危険回避の知恵、作法もあるようですね。
屋根ふき職人ととび職人は違うのかもしれませんが、どちらも高所で作業する危険な仕事。私の知り合いの大工さんは屋根から落ちて骨盤骨折の大ケガをしたと言っていました。
女子高校生の伊藤さんには、そんな目に遭わずいつまでも元気に働いてほしいと願っています。
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2006年10月05日

開き直り

民主党の議員と不倫旅行したのを写真雑誌にすっぱ抜かれて謹慎中(?)のアナウンサーが、電話して来た友人のキャスターに「くじけず頑張る」と再起を誓ったそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061005-00000093-sph-soci
こんな個人的なやりとりがなぜニュースになるのか理解に苦しみますが、それだけ「社会的需要」度が高いんでしょうか。
私なら再起を誓うより、恥を知って雲隠れしてほしいと思うけど。

今は不倫というのは恥ずべきことではないんでしょうか。そんなことをしたら世間様に顔向け出来ない、なんて言ったら(私は言いませんけど……)「江戸時代じゃないのよ」とせせら笑われるのかしら。昔は日本にも姦通罪というのがあったそうですけどね(北原白秋はこれで友人知己の多くを失ったとか。7月17日にここに書きました)。
相手の民主党の議員も不倫をした事自体ではなくて、「世間をお騒がせした」(不倫がばれた。写真を撮られた)方を詫びているようです。
そうじゃないでしょ、もっと選民意識を持って、ちゃんと子どものお手本になるような生活をして頂戴、と言いたいですね。

自分もしてるから言うんじゃないけど、離婚というのは仕方ないと思います。人生にはやり直す機会が何度かあって、離婚もそのひとつだと思う。若い時の選択が間違っていたとお互い思うなら、チャラにすることはアリだと思います。もちろんなるべく避けるべきだし(特に子どもがいるなら)、お互いに誠意を尽くして円満に別れるべきだとは思いますけどね。
でも離婚する気もないのに恋人と堂々と旅行なんて、奥さんを始め支持してくれている人たちに対して、あまりにひどい裏切り行為ではないでしょうか。恥ずかしい、とは思わないのかしら。
もし自分の子が同じことをしたら、叱れないですよね。

恥ずべき態度、というので私が思い出すのは、国会に証人喚問された人たち(小佐野賢次氏とか?)がテレビで「覚えておりません」「記憶にありません」を連発したロッキード事件でしょうか。昔のことでよく覚えていませんが、「大の(偉そうな)大人でもミエミエのウソを平気でつくんだ〜」と驚いたものでした。
厳密に言えばウソをつくと罪になるから(偽証罪)、知らないととぼけたんでしょうけどね。「記憶にない」「覚えていない」のがウソだというのは実証するのが難しいかもしれませんね。
ウソをつくと閻魔様に舌を抜かれる、と脅されて(本気で信じていたわけじゃないけど)育った私には、とても異様に見える光景でした。残念ながら、もう珍しいものではなくなりましたけどね。
開き直って他人に責任を押し付け、被害者ヅラをしたのはおなじみの姉歯もと建築士ですね。
正直が美徳でない時代なのかと気分が重くなります。

最近は小中学校の給食費を滞納する親が増えているそうです。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/21476/
貧困ばかりが原因ではなく、高級車を乗り回したり携帯に何万も払っていながら……。開いた口もふさがらないどころか笑い出してしまいそうです。
義務教育だから払いたくないって、なんだか学校に「(面倒だけど仕方ないから)行ってやってる」って姿勢ですね。
行ってやってるのに、カネまで取るんか? ってね。
しまいには「給食を出してくれと頼んだ覚えはない」と開き直るんだって! 先生も大変だ、不登校になりそうですね。「親の顔が見たい」ってセリフ、今日日は通用しないかも。
posted by dashi at 22:42| Comment(3) | TrackBack(1) | 社会問題

2006年10月04日

脱・飲酒運転

マスコミがこぞって取り上げるテーマには流行があるようで、今は「脱・飲酒運転」が旬ですね。
誰が何と言おうと飲酒運転は本人が悪い。心神喪失で不起訴とか過失致死や過失傷害程度の量刑で片付けられたら、被害者はとても納得出来るものではないでしょう。マスコミがこういうことでキャンペーンを張るのは歓迎したいですね。是非飲酒運転撲滅まで続けてほしいと思います。
愛知県の屋台風焼き鳥チェーン店・あみやき亭は、釜飯など食事中心のメニューにシフト変更を決めたそうですし、居酒屋の中にはキーを預かるところも出ているようです。
酒を提供した方の責任も厳しく問われるようになるなら、おそらく確実に飲酒運転は減っていくでしょうね。

これからはタクシーや代行運転業の需要が増えるでしょう。
以前は野放しだった代行運転業も、今はタクシー並みに普通2種免許取得が義務づけられていて、公安委員会の審査を通って初めて開業出来るそうです。
車の所有者に代わって運転する人(普通2種保持者)とその車のあとについて行き、運転手を乗せて帰る(普通免許のみで可)人の二人のドライバーがいたら出来る仕事。車があればあとは宣伝費と保険料ぐらいですから、わずかな資金で開業出来ますね。
代行運転の料金は各社ばらばらのようで、1キロ1100円から3キロ2000円、待機は10分300円などとあります。安くはありませんが、タクシーと違って車も家まで運んでくれるわけですから、便利ではありますね。

田舎にいる私のいとこは、まだ50代で未婚の子どももいるというのに、重症のアルコール中毒。もともととても頑健な身体に恵まれた人なのに、可愛がっていた息子が事故死したこともあってか、酒量が増え続けていたようです。
どんなに止めても運転をやめないので周囲は困りきっていました。
私が帰省したおりに、たまたま私の父と同じ病院に入院していて会う機会がありました。
肝臓をかなり悪くしていたようで、顔色は肝臓病特有の土気色というやつ。意識が混濁していて私が誰かもわからない様子でした。点滴のチューブを取りたがって看護師さんや付き添いの奥さんを怒鳴りつけ、困らせていました。
もう長くないんじゃないかと密かに思った私ですが、そのあと退院したという話には驚いたりホッとしたり。次に帰省した時に奥さんに会ったので聞いたら、その後酒は飲んでいないし運転もしていないということでした。
飲酒運転で事故を起こす前に断酒出来そうで、奥さんも子どもたちもさぞかし安心だろうと思いました。

過度のアルコールは健康な人間を廃人にしてしまう、毒薬にも匹敵する有害なもの。酔っぱらいの失態に寛大な日本人の感覚は、なんとかするべきだと思っています。
現在公立校の教師をしている私の甥が大学生の頃、飲酒(酒気帯び?)運転で捕まったことがあります。あとで聞いた本人の弁によれば、
「居酒屋でコンパのあと、先輩にバイクを下宿に持って帰ってくれと頼まれた。ずっと押して歩いていたが、疲れたので坂道でちょっと乗ってしまった。ヘルメットをかぶっていなかったから警官に止められた」
お酒は好きじゃないからほとんど飲んでなかった、とノーヘルで「不運だった」と言わんばかり。
飲酒運転で捕まった人たちに多い反応ではないかと思います。
この知らせを聞いた時には、温厚な義兄(甥の父親)が烈火の如く怒りました。
甥に電話をかけていきなりすごい剣幕で怒鳴りつけたそうです。たまたまそばに居合わせた私の娘たちが、優しいおじちゃんの怒る姿を初めて見て「怖かった〜」と怯えていました。
飲酒運転にだけはこの義兄ぐらい、断固とした姿勢で臨んでほしいと思います。
posted by dashi at 22:11| Comment(3) | TrackBack(2) | 社会問題

2006年10月03日

寝付けない夜

今朝は息子がなかなか起きてくれず、スクールバスに間に合わないかと心配しました。
それというのも、ゆうべ遅くまで寝付けなかったからです。早くから寝床に入っているのに、いつまでも思い出したように声を出すのが聞こえます。
こういうのは珍しいことではなく、睡眠のリズムが乱れるのは(睡眠障害)自閉症の子にはよくあることです。
小さい時はよく、夜中にトイレに連れて行ったり水を飲ませたりしたものでした。こちらも眠れない(起こされる)わけですから、けっこう辛い思いをします。

ゆうべもとても眠くて起きあがるのもイヤでしたが、このままでは寝ないだろうと観念してコップの水を持って行くことにしました。これで寝てくれることもよくあります(それでもダメな時の方が多いですが)。本人も眠いのか面倒なのか、声をかけても自分では飲みに行かないんですよね。
ノックして部屋を覗いたら、パソコンの電源が入ったままで青白いランプが光っているのに気がつきました。
いつも入浴の前に私が電源を切るのですが、もしかしたら時間が早くてスリープのままだったかもしれません。
息子は上の子が使わなくなったパソコンをCDプレーヤーとしてだけ使っています。CDを入れ替えたり曲を選んだりはするのに、電源を切るのは自分の仕事ではないと思っているのか、やろうとしません(やろうと思えば出来るはず)。
寝付けないのはこの光が原因だったかと納得して、コップの水を一気飲みしている息子に「ごめんね」と言いながら電源を切りました。「自分で切ればいいのに!」と言いたいところですが、ここらへんが自閉症たるゆえんだろうと諦めています。

前には、雨戸が閉まってなかったために寝付けないでいたことも何度かありました。
ガラス戸の内側にカーテンではなく障子戸があるので、雨戸が閉まってないと夜はぼわっと白く見えます。
水を持って行って気づいたこともあるし、朝になって気づいて「ゆうべなかなか寝なかったのはこのせいか」と、眠くて様子を見に起きなかったことを後悔したりします。
いつもは息子が雨戸を閉める担当なのですが、出かけたりしてて上の子が閉めることがあります。この子は「自分の部屋の雨戸ぐらい自分で閉めるべきだ」と言い張って、息子の部屋のは閉めてないことが多いのです(ホントは単に忘れてるだけだと思いますが)。そんな日にうっかりして閉め忘れてしまいます。

パソコンの電源ランプや障子の明るみが気になるのは、無理もないことだと思います。言葉のない子だからうまく伝えられないわけで、「いつもと違うことは苦手」な自閉症者としてはとても困る事態なのでしょう。
先輩お母さんがこんな話をしていました。連日熱帯夜が続いていた年のことです。
暑いからクーラーをタイマーにして寝たい。ところがクーラーがついたままだと自閉症の息子さんが気になって寝ない。タイマーが切れて止まるまで目をギラギラさせて見張っているそうです。息子さんが寝ないとうるさくてお母さんも眠れない。クーラーが切れると息子は寝るが自分は暑くて眠れない……。
そりゃあ困ったね、と聞いていたジヘイちゃんの親たちは口々に同情はするものの、妙案はなく、「涼しくなるまでの辛抱よ」と笑いながら慰めた(?)のでした。

私がクーラー(除湿)を切るのを忘れた日もあります。
朝になって息子の部屋に入ったらひんやりしていてびっくり。タオルケットを頭までかぶって丸まって寝ていました。
前の夜、息子は寝付けないでいたようだったのに私は爆睡してしまっていました。寒かっただろうなと心配しましたが、最近のクーラーは温度調整もちゃんとしていて冷えすぎないのか、幸い風邪引くことはなかったです。
こうして書いてみると、息子の睡眠障害は私の不注意によって起こることも少なくないようですね。以後気をつけよう。
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2006年10月02日

代理母の出産

タレントの向井亜紀さんがアメリカ人の代理母に生んでもらった双児ちゃんに、東京高裁は品川区に出生届を受理するように命じました。
その後の報道を見ていると、お涙頂戴、美談仕立ての扱いが気になります。
結婚して妊娠直後に子宮がんが見つかり、子どもをあきらめて泣く泣く子宮を摘出した向井さんは、そりゃあ気の毒です。飲酒運転で自損事故を起こし障害が残ったような事例とは違って、本人に責任はない、完全な不運です。
聡明できれいな人ですし、人柄や生い立ちにも文句のつけようのない、可愛い人だと思います。
不妊に悩む人たち、がん患者の関係者、向井さんやご主人の親族やファン、友人知人、みんな記者会見で彼女が涙をこぼす姿にもらい泣きしたり同情したりしたと思います。
自分の健康とひきかえに失った赤ちゃんへの未練も、人には計り知れないくらい強いものがあったでしょう。

ネバダ州では代理母が違法ではなく、引き受けてくれる人がいた。代理母となった女性は自分で生んだ3人を含め4人の子がいる人で、ネットでやりたいと希望を出していたそうです。
仲介業者の厳密な審査を通った、思想的、遺伝的にも問題のない代理母。報酬で家のローンを払ったそうですから、ボランティアではない、完全に営利事業ですよね。
向井さんの前に日本人の子にチャレンジしたけど、この時は失敗した。今回、無事に着床したあと双児とわかって減数手術を希望したけれど、向井さんがうんと言わなかったそうです。
実際に出産した人でなく卵子を提供しただけの方が母親というのは疑問だけど、生まれたあとすぐ引き取ってずっと育てるのなら、育てる人の方が母親と呼ばれるのにふさわしくはあるでしょう。
子どもたちはもうお話しも出来るくらい成長していて、向井さんのブログには幸せそうな一家の写真も出ています。
そういう意味では、子どもの福祉を優先した高裁の判断も妥当な気はします。

でも、裁判所が「代理母出産を認めた」というのとは、違うと思います。
そうではなく、生まれてもう2歳になる子どもたちに戸籍がないのは子どもの福祉上好ましくない。
代理母が合法のネバダ州で生まれているから、出生自体には問題はない。アメリカの裁判所で親子であることは認められているし、ちゃんとした両親のもと順調に育っている。公序良俗に反しないだろうから、今回は出生届けを受理してあげなさい、ということだと思います。
これで代理母にゴーサイン、と早まらないでもらいたい。
代理母が認められるなら、選りすぐりの優秀な遺伝子同士の子どもを「作ろうと」する人が、ゼッタイ出て来ると思います。人の命を「作ろうとする」行為、遺伝子を操作・選別しようとする行為。SFでおなじみの恐ろしいテーマです。

胎盤を作って血液を巡らし、おなかを切って(帝王切開だったそうです)赤ちゃんを「産んであげる」行為が容認されるなら、自分の意志で二つある腎臓の片方を売りその金で借金を返済しようとする行為(愛媛県の事件のことではないです)が、責められるでしょうか。
インドには片方の腎臓を売った人がたくさんいる「腎臓村」と呼ばれる地域があるそうです。
騙したり脅したりして提供させたり、さらって来た子どもの臓器を売るなど恐ろしいことも横行している国もあるらしいです(ブラジル映画の「セントラル・ステーション」にも出て来ました。昔の話かと思ったら現代だそうです)。
中国では死刑囚の臓器が移植に使われていると話題になりました。
出産は命がけの大事業だと体験上考える私としては、この出生届受理はあくまでも今回特例(上告したら結論は先延ばしされますが)だと思うし、とても「よかったね」と言う気にはなれません。
posted by dashi at 23:37| Comment(9) | TrackBack(1) | 社会問題

2006年10月01日

衛生的な社会

不衛生な環境が原因で、世界では発展途上国の農村を中心に、毎日少なくとも4500人の子どもが死亡しているそうです。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/medical/21545/
以前何かのテレビ番組で見た記憶では、きれいな水がないと身体を清潔にしておくことが出来ないから、感染症を防止することが出来ないそうです。
ろくに洗いもしないものを食べることになりますから、経口で病気が広がることも増えますね。

その番組では、水の少ない地域(中東のようでした)にWHOから派遣されていたのでしたか、無力感におそわれた日本人医師が、まずは水の確保だ、と井戸を掘るボランティア活動をして成果をあげていました。
水源の豊かな日本ではちょっと掘るとすぐ水が出るようですが、日本の何倍も掘らないと水源にたどり着けない、たどりつくとも限らないという話でした。
こういう国に対する援助は、井戸を掘る技術や機械が一番効果的だろうと思いました。
昔、中国の、水が貴重な内陸部を舞台にした「古井戸(原題:老井)」という映画を見た時には、水を汲むために生きているような生活をかいま見て、日本ってなんて恵まれた国なんだ、と感激したことを思い出します。

生まれた時から清潔な環境で育って、シャワーや水洗トイレが当たり前の人にとっては、遠くの井戸から汲んで来ないと飲む水もないという生活は、想像も出来ないでしょう。
今はキャンプ場も水道ぐらい設置してあるところが多いですね。
水道の栓をひねって水が出るのは、そこまで水道管でひいてあるからなのですが、ふだんは意識することもないですね。水道代を払う時になって初めて、水ってタダじゃないんだと気がついたりし